〈連鎖式〉――作品リストとささやかな考察

2003.07.21 by SAKATAM

はじめに

 “連鎖式”(中島河太郎氏による命名のようです)は物語を構成する手法の一つです。日下三蔵氏は、“一応は一話完結でありながら、少しずつストーリーに一貫性を持たせていき、全体を通して読むと長篇にもなっている、というかたちの連作”(山田風太郎『明治断頭台』(ちくま文庫)解説より引用)と説明していますが、より簡単にいえば“長編化する連作短編”ということです。この“連鎖式”という手法は、ミステリとしての仕掛けや趣向と結びついて、主に国内ミステリで特異的な発展を遂げています。

 個人的にこの手法は好きですし、その発展の経緯にも興味があったので、作品をリストにまとめてみることにしました(shakaさん日記(2002.11.21)もきっかけになっています;だいぶ遅くなってしまいましたが)。




作品リスト

 発展の経緯がわかりやすいように、大まかに年代順に並べてみました(刊行された月まではチェックしていません)。
 厳密には連鎖式といえないものの、類似の構造を持つ作品や、同じような手法が使われたSF作品なども、参考のために含めてあります(このような参考作品は、括弧でくくって表示してあります)。

 作品の仕掛けに多少触れた部分がありますので、作品に関する予備知識を持ちたくないという方は、特に「備考」をご覧にならないようご注意下さい。

 漏れや誤りの指摘など、情報提供をお待ちしています( owlish@msj.biglobe.ne.jp まで)。


初刊著者・題名備考
1954
1959
(山田風太郎 『妖異金瓶梅』 前半は明らかに連作短編なのですが、それが途中から長編に切り替わってしまうという特殊な構造の作品です。はっきりした“仕掛け”はありません。
1958山田風太郎 『誰にも出来る殺人』 それぞれに殺人事件の顛末を描いた五つの手記が中心となった作品です。
1960(山田風太郎 『おんな牢秘抄』 厳密には連作短編形式とはいえませんが、一見独立・完結している六つの事件が一つにつながっていくという、典型的な構造を持った作品です。
1971ミスターX(E.D.ホック) 『狐火殺人事件』 6人の囚人たちが脱獄した事件を扱った長編ですが、それぞれの囚人に関わる(ほぼ)独立した謎解きがあります。(→情報元:A・Mさん)
1977(山田正紀 『地球・精神分析記録』 ミステリではなくSFですが、連鎖式と同じような手法が使われています。
1979山田風太郎 『明治断頭台』 次々と起こる怪事件が解決されていきますが……。
1980山田正紀 『ふしぎの国の犯罪者たち』 犯罪ゲームの物語が、最後のエピソードでがらりと姿を変えます。
1985(岡嶋二人 『解決まではあと6人』 明らかに長編ですが、一つの事件が複数の謎に分割され、それぞれに解決が提示されるという構造は、連鎖式に類似しています。
1988山田正紀 『人喰いの時代』 名探偵・呪師霊太郎が事件の謎を解いていきますが、最後の謎が解かれた時……。
1989(F.P.ウィルスン 『ホログラム街の女』 三つの中編が微妙につながって長編になったような形の作品です。
1990澤木 喬 『いざ言問はむ都鳥』 東京創元社から刊行された一連の連鎖式ミステリのはしりとなった作品です。手際はあまりいいとはいえませんが……。
(山田正紀 『ジュークボックス』 これもミステリではなくSFですが、トリッキーな物語の構造が最後のエピソードで説明されるという趣向の作品です。
1991黒崎緑 『しゃべくり探偵』 三つの“騒動”の裏に隠されたもう一つの秘密が、最後のエピソードで明らかになります。
若竹七海 『ぼくのミステリな日常』 社内報に連載された12篇の短編が中心となった作品ですが、その奥には秘密が隠されています。
1992加納朋子 『ななつのこ』 童話集『ななつのこ』に関連した事件についての、主人公と童話作者の手紙のやり取りという形の作品です。
1993加納朋子 『魔法飛行』 主人公の書く物語と、謎の人物からの手紙とが絡み合う構成です。
1994倉知 淳 『日曜の夜は出たくない』 全編にばら撒かれた細かい手がかりに気づいた名探偵・猫丸先輩は、最後の謎も解き明かしてしまいます。正直なところ、過剰にも感じられますが……。
1995西澤保彦 『解体諸因』 複数のバラバラ殺人事件を強引にまとめ上げた怪作です。
山田正紀 『花面祭』 花にまつわる4つの事件が、時を経て繰り返される華道家元の物語にはさみ込まれています。
1996(山田正紀 『デッドソルジャーズ・ライヴ』 “死”をテーマとしたSF連作。共通のモチーフが登場するエピソードが繰り返されていき、最後にその背景が示唆されています。
1997加納朋子 『ガラスの麒麟』 一人の少女の死が周囲に波紋を広げていき、それが最後に一つに収斂します。
(S.バクスター『プランク・ゼロ』
(S.バクスター『真空ダイヤグラム』
 未来史を描いたSF連作(邦訳では2分冊)ですが、全体を包むように配置されたエピソード「イヴ」を介して、SF的な仕掛けが施されています。
1999北森 鴻 『メイン・ディッシュ』 “連作”とすらいえなさそうな短編までも組み込んだ、異色の構成です。
北森 鴻 『屋上物語』 長編としての筋ははっきりしたものではありませんが、エピソード相互の関係は強く、独特の構成になっています。(→情報元:shakaさん
2000山田正紀 『SAKURA 六方面喪失課』 ダメ刑事たちが遭遇する小さな事件が、最終的に巨大な事件の存在を明らかにします。
(北森 鴻 『顔のない男』 中心となる謎から、それぞれ関係なさそうに見える複数の事件が派生している、という形の作品です。
(歌野晶午 『安達ヶ原の鬼密室』 そもそも連作短編ではありませんし、長編になるというわけでもないのですが、複数の(独立した)エピソードが“ある意図”に沿ってまとめられることで一つの作品を形成しているという、一風変わった形式になっています。
2001北森 鴻 『共犯マジック』 不吉な占いの本『フォーチュンブック』を介してつながっていく数々の事件が描かれています。
物集高音 『大東京三十五区 冥都七事件』 未読。(→情報元:アイヨシさん
2002霞 流一 『首断ち六地蔵』 おびただしい数の“解決”を盛り込んだ多重解決形式であると同時に、連鎖式の手法も導入されています。
(三津田信三 『作者不詳 ミステリ作家の読む本』 “問題篇”だけのミステリ短編集である作中作に、外枠部分で“解決篇”を配していくことで長編化した作品です。
2003柄刀 一 『OZの迷宮』 全編を通じた仕掛け、というよりは趣向が凝らされていて、それが「本編必読後のあとがき」で明らかになります。
霞 流一 『おさかな棺』 4つの事件の背後に隠された仕掛け。ただし、ミステリ的なものではありません。
鯨統一郎 『ミステリアス学園』 連鎖式の中でもおそらく随一の特異な構成となっている、色々な意味で凝った作品です。
2004伯方雪日 『誰もわたしを倒せない』 未読。
柳 広司 『聖フランシスコ・ザビエルの首』 フランシスコ・ザビエルが関わる4つの事件。最後のエピソードで、全編を通じた一つの謎が解明されます。
2005芦辺 拓 『三百年の謎匣』 作中作で謎の一部が未解決のまま残され、それが外枠部分で解決される形になっています。
鳥飼否宇 『痙攣的 モンド氏の逆説』 途中までは(曲がりなりにも)連作短編の様相を呈しながら、それが予想外の(無茶な)形でつながってしまう作品です。
鳥飼否宇 『逆説的 十三人の申し分なき重罪人』 どちらかといえば個々の短編の趣向に重点が置かれている感はありますが、最後には一応の“締め”が用意されています。
2006(芦辺 拓 『少年は探偵を夢見る』 “長編化する”とまではいえませんが、最後の1篇が他のエピソードに影響を与えることである程度の連続性が生じています。
2007(歌野晶午 『密室殺人ゲーム王手飛車取り』 長編とも連作短編ともとらえがたい中間的な形態の作品です。
2008鳥飼否宇 『官能的 四つの狂気』 連鎖式としてはオーソドックスな仕掛けともいえますが、その破壊力はなかなかのもの。
在原竹広 『ようこそ無目的室へ!』 未読。(→情報元:アイヨシさん
鳥飼否宇 『爆発的 七つの箱の死』 最後の1篇で全体を貫く趣向が明かされますが、そもそも個々の事件が表向き独立した扱いになっているのがおかしい気もします(苦笑)

2003.07.21
 まず注目すべきは、(おそらく)パイオニアである山田風太郎の偉大さです。この連鎖式という手法は、1990年代に東京創元社から出版された作品で多用されたことで知られていますが、それを1950年代にすでに確立していたというのはただごとではありません。リストに挙げた以外にも、私の知らない作品が存在しているものと思われます。
 次に目につくのは、山田正紀加納朋子の多用ぶりです。山田正紀は1970年代から、しかもミステリだけでなくSFでもこの手法を採用していますし、著作のほとんどが連作短編という特異な作家・加納朋子は、やはり連鎖式を多用しています。
 最後に、やはりこの手法は国内で特異的な発展を遂げているといえます。海外作品で思い当たるのは唯一、S.バクスターのSF連作のみ。海外ミステリでは一つも思いつきません。そこには、作品の発表形態の違いもあると考えられますが、この手法が日本の(特にミステリの)読者に好まれているともいえるのではないでしょうか。

2003.08.15
 海外ミステリの例が一つ見つかりました。短編ミステリの名手であるE.D.ホック(ミスターX名義)の『狐火殺人事件』です。

2008.08.28
 近年は鳥飼否宇が多用しているのが目を引きますが、『逆説的 十三人の申し分なき重罪人』『官能的 四つの狂気』『爆発的 七つの箱の死』の3作をお読みになった方はお分かりのように、(一応伏せ字)“連鎖式専門のシリーズ探偵”(現在のところ)を登場させている(ここまで)点がユニークです。





ささやかな考察

 連鎖式――“長編化する連作短編”とは、長編でもあり連作短編でもあるということですから、作品は双方の特徴を備えることになります。すなわち、個々の“短編”の独立性と、各“短編”の連続性(関連性では不十分)という、一見矛盾する要件を同時に満たしているのです。したがって、ある程度独立した“短編”をどのようにつなげるのかが重要なポイントになるといえるでしょう。

 個々の“短編”が独立しているということは、それぞれに一応の決着がついているということを意味します。その決着が最終的に維持されるか否かによって、大きく二つに分けることができるのではないでしょうか。また、それとは別に、メタレベルの視点の有無によっても分けるべきではないかと思います。

1. 連結型
 個々の“短編”の決着が維持されつつ連結していくタイプです。
 それぞれの決着そのものを媒介として“短編”が連結されていく場合もありますが、むしろ、それぞれの決着とは別に作中で提示される要素(例えば未解決の謎など)が組み合わされることで、全体が一本の糸でつながっていく場合が多いように思います。

1'. メタ連結型
 〈1. 連結型〉のバリエーション。個々の“短編”を内包するエピソードを配置し、連結をメタレベルで行うものです。

2. 逆転型
 個々の“短編”の決着を最後で一気にひっくり返すことで、全体をつなげるタイプです。
 多重解決的な面白さや結末のインパクトが魅力ですが、“逆転”に無理が生じる場合がある(例えば、“短編”の事件を決着させた探偵役の扱いなど)のが難点といえるかもしれません。

2'. メタ逆転型
 〈2. 逆転型〉のバリエーション。個々の“短編”の決着をひっくり返すために、メタレベルの新たな視点を導入するものです。

   具体的な作品名は挙げませんが、“短編”のつなげ方に着目すると、上の四つのパターンに大別できるのではないでしょうか。特に、〈連結型〉がどちらかといえば連結のための手がかり(伏線)に重点を置いているのに対し、〈逆転型〉はどんでん返しの延長線上にあるともいえ、方向性としてはかなり違ったものではないかと考えられます。

 また、どちらの方向であっても、連結ないし逆転の操作をメタレベルで行う方が、よりスムーズな印象があります。つまり、全体に配置した手がかりを途中で読者に気づかせることなく、最後になって一気に表面に浮かび上がらせるためには、いわば“神の視点”ともいえるメタレベルの視点を最後に導入するのが有利だと考えられるのです。このように、連鎖式とメタフィクションは非常に相性がいいといえるのではないでしょうか。


2008.08.28追記

 この連鎖式ミステリに関して、「大きな物語と小さな物語と連鎖式 - 三軒茶屋 別館」ではポストモダン“大きな物語の終焉”と絡めて興味深い考察がなされていますので、ぜひご一読下さい。

 私自身はそちらの方面の素養がないので、とても十分に理解できているとはいえないのですが、それはさておき。個人的に注目したいのは、以下に引用する部分です(強調は筆者)。

(前略)この”日常の謎”と連鎖式はとても相性が良いもののように思います。

 殺人事件といったような大仰なものではなく、日常にあってもおかしくない不思議。そうした日常の積み重ねの中から現れてくる、日常を変える大きな物語。それは、”大きな物語”と称するにはあまりにも素朴なものかもしれませんが、日常という土台を踏まえた上での”大きな物語”には大量消費に耐え得るだけの力があるのではないでしょうか。

 上の作品リストにも“日常の謎”が多く含まれており、確かに“日常の謎”と連鎖式は相性がいいように思われます。ここではその理由を、“物語”としての側面ではなく“ミステリ”としての側面から考えてみたいと思います。

*

 いわゆる“日常の謎”は、“日常生活の中にあるふとした謎、そしてそれが解明される課程(注:“過程”の誤記)をあつかった小説作品”「日常の謎 - Wikipedia」参照)だとされています。他にも色々な定義があり得るかとは思いますが、少なくとも推理の対象となる“謎”が、日常生活の中で見出される(どちらかといえば)ささやかな謎であることは確かでしょう。

 そしてその“謎”に対応する“真相”も、ほとんどの場合には事件性を生じるような重大なものではありません。そのために“日常の謎”では、警察のような事件解決のプロではなく“素人探偵”が推理をめぐらす余地が生じるわけですが、一方で推理によって導き出された仮説の検証が軽んじられる傾向があるのは否めないところです*

 上にも書いたように、連鎖式は多分に“多重解決”に通じるところがあり、その変形――いわば“タイムラグのある多重解決”ととらえることもできます。そして“多重解決”は、おおむね推理の誤り(もしくは不徹底)を前提としているわけですが、“日常の謎”でしばしばみられる仮説の検証の欠如は、この推理の誤り/不徹底にたやすくつなげることができ、結果として最後の“逆転”を許容することになるのです。

*

 また、“日常の謎”の大半が実質的にホワイダニットに分類される――残りはハウダニットがほとんどで、純然たるフーダニットはまずあり得ない――というのも重要です。“日常の謎”が“謎”として認識されるのは、ある行為(もしくは現象)の“意味がわからない”からであるのがほとんどで、それは多くの場合(“誰が?”などを含むものであっても)“なぜ?”という疑問に集約することができます。

 そしてホワイダニットにおける推理は、フーダニットなどのように唯一無二の真相を特定するのではなく、ひたすら蓋然性の高い解釈を求めていく行為に他なりません。すなわち、他のすべての解釈を排除するような性質のものではないために、新たに推理の材料を追加してやることで新たな解釈を引き出すことが可能です。つまりは、一旦導き出された“真相”をかなり容易に“逆転”させることができるのです。

* * *

*: 余談ですが、“日常の謎”がしばしば安楽椅子探偵形式となっているのも、検証の必要性の低さと無縁ではないでしょう。



黄金の羊毛亭 > 雑文 > 〈連鎖式>――作品リストとささやかな考察