ミステリ&SF感想vol.142 |
2007.03.13 |
『林真紅郎と五つの謎』 『パヴァーヌ』 『赤死病の館の殺人』 『善意の殺人』 『安達ヶ原の鬼密室』 |
林真紅郎と五つの謎 乾 くるみ | |
2003年発表 (カッパ・ノベルス) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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パヴァーヌ Pavane キース・ロバーツ |
1968年発表 (越智道雄訳 扶桑社・入手困難) |
[紹介] [感想] カトリック教会に支配され、中世の社会構造がほぼそのまま20世紀まで維持されている“もう一つの英国”を舞台にした歴史改変小説であり、長らく“幻の名作”とされてきた作品です。物語は、歴史の“分岐点”を簡単に説明した「序」に始まり、年代を追って進んでいく「第一旋律」〜「第六旋律」、そして新たな時代の開幕を予感させる「終楽章」とから構成されています。
メインである「第一旋律」〜「第六旋律」は、ほぼ独立していながらところどころに微妙なつながりが見受けられる、連作短編とも長編の一部ともつかない独特の雰囲気になっています。そこで描かれているのは、異なる歴史を歩んだ結果としての異なる世界。とはいえ、まったく想像を絶するというようなものではなく、科学技術の制限によって生み出された擬似スチームパンクともいうべきその姿は、どこか親しみやすく、そして大きな魅力を放っています。 各篇の主役となっているのは、社会に多大な影響を及ぼし得る権力者などではなく、蒸気機関車の運転士や若き信号手といった市井の人々であり、様々な束縛の存在する社会の中でそれぞれに情熱を燃やしつつ懸命に生きていこうとする姿は、鮮烈なイメージを残します。そして、一見淡々と積み重ねられていく“人生”がやがて大きなうねりを生み、ついには世界を動かすに足る“力”を得ていくという物語は、実に読み応えがあります。 エピローグにあたる「終楽章」では一転して、やや異なる視点が与えられることで相対化が図られているような印象も受けます。事実上のクライマックスともいえる「第六旋律」とは異なり、そこにあるのはあくまでも静謐な一場面。しかしそれは決して“停滞”ではなく、新たな、さらなる変化を予感させるものであり、それゆえに巻を閉じても昂揚は絶えません。独特のコンセプトの下に、歴史と人々を鮮やかに描ききった傑作です。 2007.03.02読了 [キース・ロバーツ] |
赤死病の館の殺人 芦辺 拓 | |
2001年発表 (カッパ・ノベルス) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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善意の殺人 Excellent Intentions リチャード・ハル | |
1938年発表 (森 英俊訳 原書房) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] いきなり法廷の場面から始まり、裁判が進行する中で事件当時の様子や捜査の経緯などがカットバックで描かれるという、ユニークな構成のミステリです。特に目を引くのが、B.S.バリンジャーの名作『歯と爪』と同様、読者に対して「被告」の名前が伏せられている点で、本来は被告が有罪か無罪かだけを決める法廷を舞台としながら、読者に「被告」が誰かを推理させるフーダニットの興味も盛り込まれています。
証言や回想の中では、被害者の嫌みな人物像が徹底的に描かれていますが、このような“殺されても仕方のない”(とまでいってしまうと語弊があるかもしれませんが)被害者の造形は、A.バークリー『ジャンピング・ジェニイ』などを連想させます。そして、そのような造形に対して提示されている、邦題に採用された“善意の殺人”という概念は、やはりA.バークリーの『試行錯誤』などを思わせます。それぞれの作品の発表年代を考えれば、このあたりはA.バークリーの影響を受けているということもあり得るのかもしれません。 さて捜査の本筋はといえば、比較的強い動機を持っていそうな容疑者たちが浮かび上がった後、“かぎ煙草に青酸カリを仕込む機会があったのは誰か?”という一点に絞られていきます。そして数々の証言が積み重ねられ、特に一部の容疑者たちの動きについては分刻みで検討されるという、さながらアリバイ崩しのような展開。やたらに細かいために、読んでいて次第にどうでもよくなってしまうのは否めませんが、被害者の悪癖が事態を複雑にしているあたりは面白いと思いますし、最終的にそれなりの説得力のある仮説を組み立てるための手がかりは、なかなかよく考えられていると思います。 やがて裁判は、訴追側・弁護側の弁論を経て、陪審員による評決という結末を迎えますが、満場一致の結論でなければならないということで、陪審員たちの間でまた一悶着起こっているのが面白いところです。が、さらにその後、物語の結末の強烈なぶん投げ方には思わず唖然。これもどことなくA.バークリーのような雰囲気が漂う、何とも皮肉で愉快な結末で、見事なプロットといわざるを得ません。 2007.03.08読了 [リチャード・ハル] |
安達ヶ原の鬼密室 歌野晶午 | |
2000年発表 (講談社ノベルス) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 『安達ヶ原の鬼密室』というおどろおどろしい題名、そして冒頭に掲げられた〈鬼屋敷〉の見取図――ところが、いきなり始まるのは、かわいらしいイラストの付されたジュヴナイル風の物語。そして“事件”が起こったところで唐突に舞台は米国へと移り、日本人留学生と切り裂き魔の物語が。さらに、それがクライマックスを迎えたところで再び次の、そして本書のメインでもある“安達ヶ原の鬼密室”の物語がようやく始まる……という風に、かなり風変わりな構造となっているミステリです。
見方によっては、前年に発表された『放浪探偵と七つの殺人』と同様に、まず複数の“問題編”が並べられ、次いでそれぞれに対応する“解決編”が配置された形ともいえます。が、本書は決して単なる短編集にとどまることなく、それぞれのエピソードとその配置には“ある意図”がうかがえます……本書を最後まで読み終えてみれば(正確にいえば、ある程度終盤まで読んだ時点でお分かりになる方が大半でしょうが)。しかしその“意図”については、非常に面白く感じられる部分とそうでない部分とが同居しているように思えます。 本書は紛れもなく“トリック”を中心に据えたミステリであり、その観点でいえば作者の“意図”は十二分に成功しているといえるのではないでしょうか。しかし、ひとたび“トリック”から離れて“物語”の方に焦点を当ててしまうと、大きな違和感を禁じ得ません。やや歯切れの悪い表現になりますが、“意図”を実現するための“作者の都合”が前面に出てしまい、読者に対する押しつけのようにも思えてしまう、といったところでしょうか。 繰り返しになるかもしれませんが、中心となるトリックそのものはなかなかよくできています(ただし“安達ヶ原の鬼密室”のトリックには無理の感じられる部分がありますが)し、作者の“意図”も大筋では面白いと思います。が、その特異な物語構造ゆえに、弱点を抱えているのもまた事実。他に例を見ない、先鋭的な試みであることは間違いないのですが……。 2007.03.10読了 [歌野晶午] |
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