ミステリ&SF感想vol.163

2008.07.22
『放浪探偵と七つの殺人』 『時砂の王』 『爆発的 七つの箱の死』 『道化の死』 『バラバの方を』



放浪探偵と七つの殺人  歌野晶午
 1999年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 『長い家の殺人』『白い家の殺人』『動く家の殺人』という初期3作のシリーズ探偵・信濃譲二が、再び探偵役として登場する連作短編集です。全篇が「問題編」「解答編」とに分けられ*、なおかつ「解答編」はまとめて袋とじにされているという挑戦的な構成ですが、フェアプレイを強く意識した内容のせいもあってか、難易度はそれほど高くはないように思います。注目すべきは、各篇に付された“読者への挑戦”のバラエティ――“犯人当て”が1篇しかない――で、ポイントの“はずし具合”が後の実験的な作品に通じるようにも思われます。

「ドア⇔ドア」
 正月を下宿で過ごしていた大学生・山科大輔の部屋を訪れたのは、一年ぶりに下宿に戻ってきた自称山師・恩田道夫だった。長々と酒盛りに付き合わされた山科は、酔ったはずみで恩田を殺害してしまう。われに返った山科は、血痕のついた自室のドアを恩田の部屋のドアと入れ替え、死体もそちらへ運んで隠蔽を図るが……。
「問:山科大輔の不手際はどこにありましたか?」
 一貫して犯人の視点で描かれ、その犯行を露見させる不手際が何なのかに重点を置いた、オーソドックスな倒叙ミステリとなっています。ネタはかなりシンプルですが、手がかりをさりげなく示す手際が見事です。

「幽霊病棟」
 女を殺してしまった関誠は、深夜、幽霊の出るという噂のある廃病院に死体を捨ててきた。だが、その際に財布を落としてしまった関は、翌日の夜再び廃病院を訪れ、幽霊見物に来た大学生らの目を盗んで侵入し、死体を捨てた場所までたどり着く。しかしそこには財布はおろか、捨てたはずの死体さえも見当たらないのだ……。
「問:なぜ死体が移動したのですか?」
 大きなヒントが示されているので難易度は低めだと思いますが、謎の作り方のうまさが光ります。

「烏勧請」
 あちらこちらからゴミを集めて自宅の敷地に溜め込んでいた下田フサ子が、そのゴミの山の中で変死体となって発見された。夫の美智男はちょうど九州に出張中で、美智男の愛人である小野寺佳枝が最有力容疑者として浮上するが、事件に関わることになった信濃譲二はなぜか、小野寺佳枝は犯人ではあり得ないと言う……。
「問:最有力容疑者が潔白である理由を述べなさい。」
 解き明かされる真相もよくできているのですが、それ以上に設問が見事。“読者への挑戦”としては非常にユニークなものだと思います。

「有罪としての不在」
 大学の男子学生寮で事件は起きた。学生の一人・深山光一郎が、自室にいたところを金属バットで撲殺されたのだ。事実上、外部からの出入りが不可能だったことから、内部の人間による犯行だと考えられたが、春休みで少なかった在寮生たちにはそれぞれにアリバイがあるようで、なかなか犯人が特定できない……。
「問:ズバリ、犯人を当てて下さい。」
 一見するとオーソドックスな犯人当てでありながら、実に周到な罠が仕掛けられた作品です。かなり注意深く考えない限り足元をすくわれてしまうのは不可避で、解答編で愕然とさせられることになるでしょう。

「水難の夜」
 悪徳商法で知られる会社の女社長・国枝有紀が、マンションの一室で惨殺された。その死体を発見したのは、宅配ピザのアルバイト・篠崎覚。被害者からの注文を受けて、土砂降りになった雨の中現場を訪れた篠崎は、血まみれの部屋の中で倒れている男女を発見し、すぐさま一一〇番に通報したのだが……。
「問:何を指しての「水難」ですか?」
 冒頭で犯人の名前が明かされた上に、問題編の最後に用意されているのは予想だにしない展開。そして設問もまた、通常の“読者への挑戦”ではあり得ないものになっているという、ポイントをはずしまくった異色の作品です。

「W=mgh」
 墓地の中で逆立ちした状態で発見された女性の死体。死亡推定時刻は発見前日の夕方だったが、現場近くに住む高瀬千春はその数時間後の真夜中に、すでに死んでいたはずの被害者と思しき女性が奇妙なポーズで道路を疾走するのを目撃していたのだ。やがて浮かんだ容疑者には、不完全ながらもアリバイが……。
「問:なぜ死者が疾走するのですか?」
 島田荘司「疾走する死者」『御手洗潔の挨拶』収録)を意識したのかどうかは定かではありませんが、いずれにしても奇怪な謎を中心に据えた作品です。とはいえ、比較的オーソドックスなハウダニットであるために、本書の中にあってはややインパクトに欠けるのが残念。

「阿闍利天空死譚」
 〈真神の使徒降臨教会〉のシンボルとされていたのは、様々な神々の顔を刻んだ巨大なコーラ瓶のような降臨塔だった。儀式の際には、誰も登り降りすることが不可能なはずのその頂上に、“神の使徒”が降臨するのだ。だがある日、巨大な塔の中ほどにミイラのような男の死体が磔にされているのが発見されて……。
「問:即身仏はどこからどのように出現したのですか?」
 これも「W=mgh」と同様のハウダニットですが、真相の凄絶さが強く印象に残ります。読み返してみると、冒頭の部分が実によくできていることに気づかされます。

*: 「はじめにお読みください」“雑誌発表時にはひと続きだった物語をあえてまっぷたつにぶった切り”とあるように、単行本にまとめるにあたって“読者への挑戦”という姿勢が強調されています。

2008.06.11再読了  [歌野晶午]



時砂の王  小川一水
 2007年発表 (ハヤカワ文庫JA904)ネタバレ感想

[紹介]
 西暦248年。突如出現した不気味な“物の怪”に襲われた女王・卑弥呼を救ったのは、2300年後の未来からやってきた“使いの王”だった――26世紀、謎の増殖型戦闘機械〈ET〉の襲来によって地球は完全に壊滅し、残された人類は海王星を拠点としてようやく反撃に転じていた。そして、時間遡行を行って人類を完全に殲滅しようとする〈ET〉の狙いを防ぐべく、人類に代わって無数の人工知性体〈メッセンジャー〉たちが過去へ送り込まれた――長く絶望的な戦いを経て卑弥呼の前に現れた“使いの王”こと〈メッセンジャー〉のオーヴィルは、人類の最終防衛線となるべき3世紀の邪馬台国で、〈ET〉との最後の戦いを繰り広げる……。

[感想]
 300頁にも満たないコンパクトな分量でありながら、スケールは実に壮大。そしてその大半が主人公・オーヴィルの終わりの見えない戦いを(直接的/間接的に)描くことに費やされた、何とも壮絶な時間SFです。

 時間SFに付きもののタイム・パラドックスが軽視されている、というよりも軽視せざるを得ない状況となっているのが本書の特徴の一つで、人類の絶滅を防ぐという至上命題の下で〈メッセンジャー〉は手段を選ぶことなく、ありとあらゆる改変を加えて次から次へと新たな“時間枝”(=平行世界)を作り出しながら、勝利を求めて過去へと遡っていきます。それはもちろん、人類が滅亡を免れる“時間枝”を生み出すための試行錯誤に他ならないのですが、“見捨てられた”無数の“時間枝”――敗れた人類が滅びるべき無数の“未来”の存在が、凄絶な戦いのイメージを一層強めています。

 そして、単なる戦闘機械ではなく人間的な感情を持ち合わせた存在であるがゆえに、〈メッセンジャー〉自身の苦悩と葛藤は計り知れないものがあります。特に、出動の前に“守るべきもの”をよく知るために人間として暮らし、その中でそれぞれに大切な人々を見出しながらも、それらの人々が存在し得ない(可能性が高い)新たな“時間枝”をこそ救わなければならないというジレンマは深刻で、撤退を強いられ続ける苦しい戦況と相まって、〈メッセンジャー〉は深い絶望にとらわれていくことになります。

 様々な時代や場所において繰り広げられる戦いは、当然ながら歴史改変ものならではの面白さも備えていますが、本書ではそのあたりはあくまで“背景”として位置づけられ、惜しげもなく刈り込まれているところに潔さが感じられます。さらにその“背景”が、物語の軸となる邪馬台国のパートと交互に配されることで、壮大な物語にもかかわらず一気に読ませるスピード感が生じているのが見事です。

 邪馬台国のパートには他の〈メッセンジャー〉は直接登場することなく、“使いの王”として邪馬台国の軍勢を率いるオーヴィルは、疲れ果てた孤高の存在として描かれています。それだけに、女王として大勢にかしずかれながらもやはり孤独な立場にある卑弥呼との結びつきを次第に強めていき、そのまっすぐな強さに支えられながら共に最後の戦いに臨む様子には、思わず引き込まれずにはいられません。

 しかし、オーヴィルと卑弥呼の悲壮な戦いの果てに待ち受けているのは、何とも唐突でとってつけたような印象を受ける、どこか釈然としない結末。確かに収拾をつけるのが難しい物語ではあるかと思うのですが、終盤に至るまでは傑作としかいいようのない出来だっただけに、個人的には非常に残念という他ありません。それでも、時間SFとして一読の価値があるのは間違いないところですが。


2008.06.13読了  [小川一水]




爆発的 七つの箱の死  鳥飼否宇
 2008年発表 (双葉社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 綾鹿市の大物実業家・日暮百人{ひぐらし・もんど}は、鳥搗{とりつく}島で引退生活を送るにあたり、奇妙な私設美術館を建てさせた。依頼を受けた建築家・藍田彪{あいだ・あきら}が密かに〈逆転美術館〉と名付けたそこには、気鋭の現代芸術家たち六組がそれぞれ創作活動に勤しむための六つのアトリエが配され、その作品を鑑賞できるのは日暮と友人の美術評論家・樒木侃{しきみぎ・かん}だけだった。だが、常人には理解しがたい芸術家たちの“狂気”の影響か、美術館では次々と奇怪な事件が……。

 題名は、巻頭に掲げられた岡本太郎氏の名言“芸術は爆発だ!”から。というわけで本書は、『痙攣的 モンド氏の逆説』と同様に*1前衛的な現代芸術を題材にした、異色の連作ミステリとなっています。
 主役となるのは、大物実業家の私設美術館に集められた、人格・作品ともに奇矯な芸術家たち。常人の理解を超える創作の方向性もさることながら、妥協をまったく許さない徹底したこだわりが、“狂気”と紙一重の危うさを強く感じさせます。
 ミステリとしては、トリックやロジックよりも、常軌を逸した創作活動に絡んだ奇抜な状況や、事件の背景に横たわる歪んだ心理に重点が置かれている印象で、残念ながら(とりわけ連作としての“締め”に関して)『痙攣的 モンド氏の逆説』のような強烈な破壊力には欠けていますが、まずまず面白い作品にはなっていると思います。
 なお、“七つの箱の死”という副題は、参考文献にも挙げられているカーター・ディクスン『五つの箱の死』にちなんだものですが、内容の関連はほとんど(まったく?)なく、事前にそちらを読んでおく必要はないかと思われます。

 ところで、各エピソードの題名(副題)*2や人名などには例によって趣向が凝らされているようなので、ぜひ識者の方に元ネタをまとめていただきたいところです。
「黒くぬれ! あるいは、ピクチャーズ・アバウト・ファッキング」
 画家の須手部有美は、“黒のアトリエ”にて新作〈ファッキン・ピクチャーズ*赤*黄*黒〉の仕上げに取りかかっていた。一方、鳥搗島の海岸には、眼球や耳、指や男性器が失われるなど激しく損壊された変死体が打ち上げられ、谷村警部補と南巡査部長が捜査を開始するが……。
 いきなり理解しがたい世界が展開されることもあって、事件そのものはさほどでもないにもかかわらず、どこへ着地するのかがなかなか見えなくなっているところがよくできています。

「青い影 ないしは、ノーサイドインサイド」
 舞台作家にして俳優の出口日多尊は、“青のアトリエ”で書き上げた新作〈ノーサイドインサイド〉の舞台稽古を行っていた。だがその最中、体を支えるロープが切れて天井から落下した出口は、真下にいた女優が持っていたに体を貫かれ、その女優ともども死んでしまった……。
 特殊すぎる状況であるために、真相がやや見えやすくなっている部分もありますが、最後に登場する“アレ”には思わず唖然。

「グレイとピンクの地 もしくは、ウィッシュ・ウィー・ワー・ヒア」
 彫刻家の是水トゥインズは、新作〈ウィッシュ・ウィー・ワー・ヒア――彫克〉――男女の双子である是水トゥインズ自身をモデルとした、千体にも及ぶ両性具有の人形――を関係者に公開していた。だが、関係者の一人が殺害されるとともに、是水トゥインズの片割れが姿を消し……。
 双子の特徴を融合させた両性具有の彫刻が千体も並べられた光景の異様さは、ジョン・ヴァーリイ「バービーはなぜ殺される」『バービーはなぜ殺される』収録)に通じるところがあります。事件の真相にはひねりが加えられてはいるものの、想像を大きく超えるものとはいえないのは、致し方ないところでしょうか。

「白日夢 さもなくば、エレクトロニック・ストーム」
 音響芸術家の辺根戸美留は、“白のアトリエ”に〈エレクトロニック・ストーム〉三部作と題された特殊な音響装置を設置した。しかしその中の一つ、〈エレクトロニック・ストームIII〉の残響室の中に入って装置の調整を行っていたはずの辺根戸が、密室状況下で殺害されてしまったのだ……。
 ぬけぬけとしたトリックには苦笑を禁じ得ませんが、印象に残るのは解決直前あたりに漂う何ともいえない不条理感です。

「赤い露光 でなければ、ソルジャー・ウォーク」
 パフォーマンス芸術家の東風村麻世は、“赤のアトリエ”から姿を消した後、所定の日時に〈レッド・エクスポージャ〉なるパフォーマンスを行うと予告してきたのだが……。一方、夏祭りが行われている綾鹿市では、花火見物の屋形船の中で大物代議士が毒殺される事件が発生し……。
 今ひとつとらえどころのないパフォーマンスという題材だけあってか、“パフォーマーのいないパフォーマンス”という本末転倒のコンセプトまで提示される芸術論は、どことなく禅問答にも似た味わい。登場人物とは違って全貌を見渡せる読者には、ある程度の段階でオチまで見えてしまいますが、それがむしろ印象を強めているように思われます。

「紫の煙 または、マシン・ヘッズ」
 映像芸術家の城間英一は、特殊なビデオカメラを用いて“紫のアトリエ”から新作〈マシン・ヘッズ〉の上映を行っていた。だが、正体不明の人物の姿が映った直後、城間が襲われて映像は中断してしまった。モニターを眺めていた一同があわてて現場に駆けつけるが、犯人は消え失せて……。
 行くところまで行ってしまった狂気の創作活動にまず度肝を抜かれますが、読者を振り回してあざ笑うかのような中盤の展開を経て、最後に示される真相がこれまたなかなか強烈です。

「紅王の宮殿 またの名を、デス・イン・セブン・ボクシーズ」
 ――内容紹介は割愛させていただきます――
 連作の“締め”としてはある意味オーソドックスであり、そつなくまとまっているという印象になってしまうのが残念なところ。とはいえ、驚かされる部分もあるにはあるのですが……。

*1: “ひぐらし・もんど”や“あいだ・あきら”といった人名からして、『痙攣的 モンド氏の逆説』を思い起こさせずにはいられないものです。
*2: 各エピソードの題名は順にローリング・ストーンズ、プロコル・ハルム、キャラヴァン、特定できず、クローム、ジミ・ヘンドリックス、キング・クリムゾンだと思われますが、副題は微妙にもじってあるようで、3番目のPink Floyd『Wish You Were Here』、6番目のDeep Purple『Machine Head』、そして最後のCarter Dickson『Death in Five Boxes』くらいしかわかりません。

2008.06.20読了  [鳥飼否宇]
【関連】 『本格的 死人と狂人たち』 『痙攣的 モンド氏の逆説』 『逆説的 十三人の申し分なき重罪人』 / その他〈綾鹿市シリーズ〉



道化の死 Off with His Head  ナイオ・マーシュ
 1956年発表 (清野 泉訳 世界探偵小説全集41)ネタバレ感想

[紹介]
 イングランドの片田舎にある南マーディアンの村、年老いた女主人が君臨するマーディアン・キャッスルでは、古くから冬至の次の水曜日に民俗舞踊〈五人息子衆のモリスダンス〉が催されてきた。道化の役をつとめる〈仮装者{ガイザー}〉こと鍛冶屋ウィリアムとその五人の息子たちを中心に、今年も松明に照らされた雪の残る中庭で繰り広げられるモリスダンス。だが、息子衆の“剣の舞”から“道化の死”、再びの“剣の舞”を経て、クライマックスである“道化の再生”にさしかかった時、死からよみがえるはずの道化――〈ガイザー〉が、首を切り落とされた死体となっているのが発見された……。

[感想]
 演劇分野での知識と経験を生かして舞台や劇場、劇団が絡んだ作品を多く発表している*1作者ですが、本書は屋外での民俗舞踊とやや毛色が変わってはいるものの、上演中の殺人が扱われているという意味ではやはり作者らしい作品となっています。また、小池啓介氏による解説で指摘されているように、“死”を演じる人物が本当に殺害されるというプロットはデビュー作『アレン警部登場』と共通しており、その意味でも興味深い作品といえるのではないでしょうか。

 物語は〈モリスダンス〉が催される数日前から始まり、事件の背景となる登場人物たちの人間模様が描かれていきます。身分を越えた恋に悩むカップル、年老いて頑固な女主人と付き従うオールドミス、これまた頑固な村の鍛冶屋、比較的没個性な息子たちの中に混じった“トリックスター”といった、登場人物の役回りの配置に計算が透けてみえる*2のが少々鼻につかないこともないのですが、わかりやすいのはやはり美点というべきかもしれません。とりわけ、〈モリスダンス〉という特殊な題材が、それに興味を抱いて村を訪れた民俗学者の存在によって把握しやすくなっているのは、常套手段とはいえありがたいところです。

 もっとも、いざ〈モリスダンス〉が始まると、様々な人々の動きがやや複雑でわかりにくく感じられるのは否めないところですが、そこで起こる事件のポイントは要するに“見物の目の前でいつの間にか被害者が首を切り落とされていた”という、なかなか強烈な不可能状況です。何しろ、ただ殺されただけでなく首が切り落とされたのですから、目撃者のわずかな隙を突いた“早業殺人”も無理。加えて、もともとダンスに組み込まれていた演出――被害者演じる“道化”が息子衆の剣で首を切られる――が、(結果的に)虚構と現実が交錯するようなややこしい状況を生み出しているのも見どころでしょう。

 事件の捜査に乗り出したアレン警視による丹念な事情聴取は、もはや余裕さえ感じさせる落ち着いたもので、特にマーディアン・キャッスルの女主人とのしゃれたやり取りにはニヤリとさせられます。このような味わいのあるドラマを織り交ぜながらも捜査は進み、上演中に起きた事件では“お約束”ともいえる舞台での事件の再現へと至る展開は、スリルやサスペンスには欠けるものの、“王道”の安心感といったものがうかがえます。

 そして明らかになる真相は、“ある一点”を足がかりに不可能状況を解体してしまう、なかなかよくできたものだと思います。そしてそれ以上に、様々に張り巡らされた伏線の巧みさには、脱帽せざるを得ません。少々気になるところもあり、傑作とまではいえないかもしれませんが、作者の持ち味が存分に発揮された佳作ではあると思います。

*1: (現時点で)邦訳されている長編では、『殺人者登場』『殺人鬼登場』)・『ヴィンテージ・マーダー』『死の序曲』『ヴァルカン劇場の夜』
*2: 小池啓介氏による解説では“マーシュは登場人物の役割分担が非常にうまい”(375頁)とされていますが、本書ではそれがやや勝ちすぎて、登場人物たちが“役柄を演じさせられている”という印象も受けます。

2008.06.26読了  [ナイオ・マーシュ]



バラバの方を  飛鳥部勝則
 2002年発表 (トクマ・ノベルズ・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 “聖エラスムスは腸を引き出されて殺されるであろう”――私設美術館の開館を翌日に控えた大物画家・山田明の邸では、親族や友人を集めてパーティが催されていた。だが、招待客の一人である新聞記者・持田博喜のもとには残虐な殺人を予告するかのような不気味な手紙が届けられ、パーティの裏側では出席者たちがそれぞれに抱く憎悪と殺意が密かに渦巻く。そして翌朝、邸の敷地内に建設された私設美術館の展示室には、飾られた聖者殉教の絵画そのままに、腸を引きずり出され、あるいは乳房を抉り取られ、あるいは歯を抜かれ、あるいは全身針鼠にされた、凄惨な死体の山が……。

[感想]
 本書でも口絵に自作の油絵を掲載するなど画家でもあることで知られる作者が、古典的な宗教画のテーマである“死の舞踏”と“聖者殉教”をモチーフに、“まともに探偵小説に切り込んだ”一方で“結果的に怪奇小説に接近した”(いずれも「あとがき」より)という、奇怪でグロテスクな雰囲気に満ちた怪作です。

 三部構成となっている本書ですが、まず「何が起こっているのか」という副題が付された第一部「死の舞踏」が色々な意味で実に強烈。視点と時系列とが錯綜する形で、パーティ以前・パーティの最中・パーティ後の深夜の出来事が並行して描かれ、ただでさえ混沌とした状況が一層強調されている感があります。また、登場人物のほとんどが(普通の意味での)感情移入を許さないほどエキセントリックに憎悪と殺意をたぎらせ、読んでいて嫌な気分になってしまうのは避けられません。

 パーティ後の深夜になると、名前を伏せられた“犯人”を含む複数の人物が標的を狙って邸内を徘徊し、時に他者に先を越され、あるいはニアミスするなど、スリリングな無言劇が繰り広げられているのが面白いところ。その中にあって、“犯人”がどことなく淡々と殺人を重ねて死体を損壊していく様子は、かえってその狂気の根深さを強く感じさせ、不気味な印象を与えます。そして翌朝、展示室に飾りつけられた凄惨な死体の山が発見される直前の場面で第一部が幕を閉じるという、“寸止め”状態の演出がまた効果的です。

 「何が起こったか」という副題の通り、主人公・持田が事件を振り返る形で進んでいく第二部「メメント・モリ」では、モチーフとなっている“死の舞踏”(ダンス・マカブル)と“聖者殉教”についての興味深い美術的薀蓄が目を引く一方、事件の解明そのものについてはさほど進展が見えないまま。それだけに、取り憑かれたように事件の調査にのめり込んでいく持田の姿には危ういものが感じられ、読者までもが何ともいえない不安に引きずり込まれてしまうあたり、サイコサスペンス的な味わいも強くなっています。

 そして最後の第三部「バラバを許せ」では、「誰が何故起こしたか」という副題から明らかなように、犯人の正体とその(死体損壊の)動機に焦点を当てた真相解明が行われますが、正直なところをいえばやや微妙。フェアプレイに徹した作者の親切さ(?)ゆえかフーダニットとしては難易度が低く、明かされる犯人の正体にはさほど驚きがありません。また死体損壊の動機については、もちろん常軌を逸したものではあるのですが、その一方である意味ストレートともいえるために、破壊力がやや減じているように思われるのが残念なところです。

 しかし、真相解明に伴ってあらわにされた犯人の狂気がすべてを覆い尽くし、怪奇小説にまで達するかのような恐るべき結末は、冒頭の凄まじい犯行場面と釣り合うものになっていると思います。あくの強さゆえにかなり読者を選ぶ作品であるのは間違いないところですが、異様な魅力を備えた作者ならではの“探偵小説”といえるでしょう。


2008.06.28読了  [飛鳥部勝則]



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