ミステリ&SF感想vol.128

2006.07.26
『七日間の身代金』 『歯と爪』 『0番目の男』 『暗色コメディ』 『検屍官の領分』



七日間の身代金  岡嶋二人
 1986年発表 (講談社文庫 お35-21)ネタバレ感想

[紹介]
 歌手の近石千秋と作曲家の槻代要之助のコンビは、ある日、知り合いで資産家の未亡人・鳥羽須磨子に助けを求められる。さほど歳の違わない義理の息子・鳥羽国彦が、須磨子の弟・武中和巳とともに誘拐されたというのだ。要求された身代金二千万円を運ぶ須磨子を二人で追いかけながら、警察署長の父親に連絡を取る千秋。犯人の指示に従って、受け渡し場所となる湘南の小島へたどり着いた須磨子だったが、突如銃声が響き渡る。警察の監視下にあり逃げ場のないはずの小島には、犯人の姿も身代金もなく、ただ須磨子の死体だけが残されていた……。

[感想]

 『あした天気にしておくれ』『どんなに上手に隠れても』『99%の誘拐』など、ユニークな誘拐ものを発表している岡嶋二人ですが、その中にあって本書は思いきり変化球というか、発端こそ誘拐事件であるものの、かなり早い段階で密室状況下の殺人事件へとシフトしていきます。

 ただし本書は、密室ものとしても決してストレートとはいえないように思います。確かにハウダニットに重点が置かれてはいるものの、トリックの扱いには常道をはずしたところがありますし、トリックそのものは意外にシンプル。よくできているのは間違いありませんが、物語の中心となるにはやや力不足の感が否めません。

 それでは本書の魅力は何かといえば、まず一つはひねくれたプロットでしょう。表に見えている部分もさることながら、読者に対して伏せられた部分(後に明かされる部分)、いわば物語の裏側のひねり具合が何ともいえません。誘拐事件や密室トリックのユニークな使い方も相まって、一筋縄ではいかない変なミステリに仕上がっています。

 そしてもう一つは、次第に明らかになっていく異様な犯人像です。本書の本質は誘拐ものでも密室ものでもなく、このサイコスリラー的な部分にあるのではないかとさえ思えるのですが、悪魔的ともいえる犯行の果てに待ち受ける、犯人の最後の告白は圧巻です。

 全体が今ひとつまとまりきれずちぐはぐに感じられるところもあり、岡嶋二人の作品としては水準よりやや下といったところかもしれませんが、それでも読んで損はないでしょう。ただ、若いカップルを主役としているせいか、今読むと会話が少々古臭く感じられるのは残念ですが。

2006.06.25再読了  [岡嶋二人]



歯と爪 The Tooth and the Nail  ビル・S・バリンジャー
 1955年発表 (大久保康雄訳 創元推理文庫163-02)ネタバレ感想

[紹介]
 奇術師のリュウ・マウンテンは、ニューヨークのホテルの前で困っていた女性を助けた。タリーという名のその女性は、いつしかリュウの奇術の助手を務めるようになり、やがて二人は結婚した。だが……。
 ……リュウは最後に、超一流の名人でさえ不可能と思える一大奇術を見事にやってのけた。すなわち、ある殺人犯人に対して復讐を遂げ、自分も殺人を犯し、そして自分も殺されたのだ……。

[感想]

 結末が袋綴じ(未開封なら返金保証)になっていることで有名な、作者の代表作にしてサスペンス小説の古典的名作です。カバーなどに付された紹介文の“最後の一ページの驚くべき大トリック”というフレーズこそ誇大広告の感もありますが、高いリーダビリティとスリリングな展開でページをめくる手を止めさせない、名作の名に恥じない作品となっています。

 まず「プロローグ」で、本書の主役である奇術師リュウ・マウンテンが“一大奇術”を成し遂げたことが宣言され、否が応でも興味を引かれます。続く本編は、タリーとの出会いから始まるリュウの物語と、とある裁判の様子を描いた物語という、二つのパートが交互に繰り返される形になっていますが、この構成が非常に効果的です。というのは、作中の時系列では
 リュウの物語  →  一大奇術  →  裁判の物語 
という順序であるわけですが、“リュウの物語”が“これから起こること”を描く倒叙ミステリ的なスタイルであるのに対し、“裁判の物語”では通常のミステリ同様に“すでに起こったこと”が少しずつ解き明かされていくスタイルであるため、いわば時間軸の両側から“一大奇術”へ迫っていくことで、焦点となる結末が強調されるようになっているのです。

 終盤の袋綴じ部分には“意外な結末が待っていますが、あなたはここで、おやめになることができますか?”と記されていますが、残念ながら(今となっては)仕掛けそのものはかなり見通しやすく、“意外な結末”とはいい難いものになっています(さらにいえば(一応伏せ字)袋綴じの位置(ここまで)にも問題があるように思われます)。しかしそれでも(あるいはそれだけに)物語の結末が気になるのは確かで、大部分の読者が袋綴じを開かずにはいられないでしょう。そして、サプライズとはひと味違った強烈な印象と余韻を残す最後の一節が、実に見事です。

2006.06.29読了  [ビル・S・バリンジャー]



0番目の男  山之口 洋
 2000年発表 (祥伝社文庫 や11-1)

[紹介]
 2010年、ウズベキスタン。汚染の進む環境を復旧すべく、妻のイレーナとともに奮闘していた環境工学技術者・マカロフは、政府からとあるプロジェクトへの参加を求められる。それは、国家的な危機を打開するために、優秀な人材をクローン技術によって大量生産するというものだった。参加を承諾したマカロフは、自分のクローンたちの未来の姿を見届けるべく、人工冬眠の処置を受けることを希望する。一緒に処置を受けることを拒否したイレーナと別れ、70年の眠りを経て目覚めたマカロフが目にしたのは……。

[感想]

 『オルガニスト』で第10回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した作者の、いわゆる“400円文庫”という形で刊行された短い中編で、クローン技術を扱ったストレートなSFとなっています。

 クローンもののSFでは、遺伝的な同一性が重視される状況において人格の不連続性がクローズアップされる、というのが大勢であるように思われますが、本書では異なるアプローチがなされているのが面白いところです。もちろん、プロジェクトを実施する政府の側は遺伝的な同一性を重視しているのですが、主人公のマカロフの方は無数の“あり得た自分の姿”を見届けることを目的としているのです。

 そしてその、いわば“パーソナリティの変異と拡散”を強調するために、1000人近くという規模の大量生産によるスケール効果と、70年かけて順次クローンが生み出されることによる世代のバリエーションという設定が導入されているのが実に巧妙です(さらにいえば、それが政府の目的と合致しているところも見逃せません)。かくして、人工冬眠から目覚めたマカロフの前には様々な道へ進んだ“マカロフたち”が姿を現し、無数に分岐した“自己”による幻惑的なヴィジョンが描き出されます。

 とはいえ、物語終盤にはマカロフの予期しない、しかし当然予想してしかるべきだったともいえる事態が生じます。打ちのめされたマカロフを最後に待っていたのは、一つの希望。短いながらも読み応えがあり、しかも心を打たれる傑作です。

2006.06.30読了  [山之口 洋]



暗色コメディ  連城三紀彦
 1979年発表 (新潮文庫 れ1-1)ネタバレ感想

[紹介]
 ある日デパートで、夫がもう一人の自分と逢い引きしているのを目撃した主婦・古谷羊子。画が描けなくなった画家・碧川宏は、雪の降る夜に自殺を試みるが、自分をひき殺したはずのトラックが消滅してしまう。葬儀屋・鞍田惣吉が様子のおかしな妻を問いただしてみると、自分は一週間前に事故で死んだと告げられる。妻が知らぬ間に別人にすり替わっていたことに気づいた外科医・高橋充弘――四つの狂気はやがて絡み合い、一つにまとまって、奇怪な事件を浮かび上がらせていく……。

[感想]

 連城三紀彦の長編第1作で、大胆かつ巧妙な手口で“砂上”に“楼閣”を築き上げた、トリッキーなミステリです。

 まず「序章」では、いずれも現実から逸脱しかけているような、ばらばらな4人の人物のエピソードが断片的に描かれ、いきなり読者をわけのわからない不安に陥れます。続く「第一部」では、物語が少しずつとある精神科の病院に収斂していき、かろうじて一本の筋が通るようになってはいるものの、そこでもまた新たな謎が生じ、狂気と幻想が満ちあふれていきます。しかも巧みな文章のせいか、状況を受け止める登場人物たちの心理が生々しく感じられ、不条理であるはずの“幻想”に奇妙な現実感が、さらには何やら感染力のようなものまでが備わっているように思えます。

 とにかく前半は五里霧中のまま、作者にいいように引っ張り回されてしまうのですが、それが後半の「第二部」になると一変し、狂気はそのままながら“砂上の楼閣”の解体が始まります。もともと個々の謎=幻想が互いに強固に結びついているわけではないため、全体が一気に瓦解するというよりも幻想が虫食い状態になっていくという印象ですが、これが何とももったいないところ。構成上仕方のないことだともいえますが、前半の幻想があまりにも強烈なだけに、それが鮮やかに消滅するのではなく虫食い状態となってしまうのは少々興ざめです。

 物語が終盤にさしかかった時点でも新たな謎が提示されてはいるのですが、もはやそこには前半の幻想ほどの力はなく、ただ解体を待つのみ。“楼閣”が消滅した後に残る真相も、意外ではあるものの“大山鳴動して……”という印象を受けてしまいますし、結末もまた作者の意図したほどには成功しているとはいえません。

 要するに、前半と後半のバランスの悪さに今ひとつ釈然としないものを覚えてしまうのですが、個々のネタも含めてよくできているところはありますし、間違いなく一読の価値はあるかと思います。

2006.07.02再読了  [連城三紀彦]



検屍官の領分 Coroner's Pidgin  マージェリー・アリンガム
 1945年発表 (佐々木 愛訳 論創海外ミステリ7)

[紹介]
 第二次世界大戦下のロンドン。政府の極秘任務に従事していたアルバート・キャンピオンは、ようやく休暇を得て数年ぶりに帰国し、予定の列車に乗る前に自宅に立ち寄って浴室でくつろいでいたが、そこで何者かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。不審に思ったキャンピオンが寝室の様子をのぞいてみると、なぜかベッドの上には見知らぬ女性の死体が。それを運んできたのは、かつての使用人ラッグと先代カラドス侯爵夫人だった。かくしてキャンピオンは不可解な事件に巻き込まれていくことになったが……。

[感想]

 戦時下のロンドンを舞台に奇妙な事件を描いた作品ですが、残念ながら今ひとつ好みに合いませんでした。長らく留守にしていた自宅にかつての使用人が死体を運び込んでくるという、シュールにさえ感じられる冒頭の状況は非常に魅力的ですし、カラドス侯爵夫人の浮世離れしたような(いかにも貴族的ともいえる)言動からはスラップスティック・コメディの方向へ進みそうな雰囲気も感じられるのですが、なぜか全体的に地味な作品になってしまうのが物足りないというか。

 事件の方も、冒頭から死体が登場してはいるものの、不可解どころかあまりにもとらえどころがなさすぎて、読んでいて落ち着かない気分にさせられます。また探偵役であるはずの主人公・キャンピオンが、事件から微妙に距離をおいたところで右往左往しているという印象を受けてしまうこともあり、物語に入り込みにくくなっているように思います。そして、謎解きらしい謎解きがないままいつの間にか事件が解決してしまうところも、やはり物足りなく感じられてなりません。

 戦時下の状況がうまく取り入れられて事件が予想外の方向へ進んでいくところなど、面白い部分もあるにはあるのですが、全体としてやや面白味を欠いているのは否めないところです。ただし、まったく予備知識がなかったこともあって完全に意表を突かれた結末は、好印象を残します。

 ところで、『検屍官の領分』という題名の意味がよくわからないのですが……。

2006.07.06読了  [マージェリー・アリンガム]


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