ミステリ&SF感想vol.145

2007.05.08

写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII  北森 鴻

ネタバレ感想 2005年発表 (新潮エンターテインメント倶楽部SS)

[紹介と感想]
 『凶笑面』『触身仏』に続く、民俗学ミステリのシリーズ第三弾です。異端の民俗学者・蓮丈那智と助手の内藤三國に加えて、「御陰講」『触身仏』収録)に登場したもう一人の助手・佐江由美子もレギュラーに定着し、さらに……ということになっていますが、このあたりは少々やりすぎの感がなきにしもあらず。作品そのものが相変わらず充実しているのは確かですが……。

「憑代忌」
 助手の三國の写真をお守りにすると、那智の講座で落第するのを免れる――そんな奇妙な噂が学内に広まる中、三國と由美子は那智に命じられ、火村家に代々伝わる“御守り様”という人形の調査に赴くが、そこで事件が……。
 三國を渦中に巻き込んだ奇妙な噂と、後半に起きる殺人事件との、何とも微妙な関係が面白いところ。また、ミスディレクションと手がかりがよくできていると思います。

「湖底祀」
 細長い形でありながら、“円{つぶら}湖”と名づけられた湖。地元の郷土史研究家は、その湖底に神社跡が存在する可能性を指摘する。そして、実際に崩れかけた鳥居が湖底で発見されたのだが、そこを訪れた那智は……。
 民俗学的な考証そのものも非常に面白いと思いますが、さらにそこから思わぬものが飛び出してくる展開が秀逸。ただし推理には飛躍が見受けられますし、それによって物語が破綻しかけているように感じられるところが難点です。

「棄神祭」
 三年に一度、広大な庭園に築かれた塚の上で家護の神像を燃やすという奇妙な儀式が行われてきた御厨家。だが、かつて院生時代の那智らが調査に訪れた際、御厨家に仕える執事が殺害される事件が起きていたのだ……。
 儀式と事件との絡み具合が非常によくできています。また、事件のあまりにも皮肉な顛末も印象的。惜しむらくは、民俗学的なテーマがやや浮いているように感じられます。もちろん、それ自体は面白くはあるのですが。

「写楽・考」
 非常に大胆な発想をもとにした、「仮想民俗学序説」という異端の論文を学会誌に発表した式直男。那智は彼のもとを訪ねるが、その直前に相手は謎の失踪を遂げてしまう。式家に伝わるという古文書、そして論文との関係は……?
 異端の論文を発表した謎の人物、不可解な失踪事件、そしてその家に伝わる奇怪な古文書と、内容は盛り沢山。事件の解決場面も見応えがありますし、結末で示される大胆な仮説も見事です。ただし、題名はまったくいただけません。

2007.04.17読了  [北森 鴻]
【関連】 『凶笑面』 『触身仏』

失われた時間 The Case of the Missing Minutes  クリストファー・ブッシュ

ネタバレ感想 1937年発表 (青柳伸子訳 論創海外ミステリ59)

[紹介]
 田舎の屋敷で世間から孤立した生活を営むトロウト老人は、ともに暮らす幼い孫娘のジャンヌを溺愛している様子だった。だが、なぜか使用人夫妻は夜ごと離れへと遠ざけられ、屋敷からは何者かの悲鳴が響いてくるという。怯える使用人夫妻は旧知の私立探偵ルドヴィック・トラヴァースに相談を持ちかけるが、調査のために屋敷を訪れたトラヴァースは、背中をナイフで刺されたトロウト老人の死体を発見する。やがて、捜査を通じて容疑者が浮かび上がるものの、どうにもつじつまの合わない十分間の謎が……。

[感想]
 『完全殺人事件』が代表作として知られる作者の“最高傑作”と評される本書は、作者が得意としていたらしいアリバイ崩しをメインとした作品です。しかし、“アリバイもの”という印象は意外に薄く、むしろ舞台としての館とその住人(及び関係者)に焦点を当てた“館もの”の性格が強いようにも思われます。

 まず発端では、使用人の口から屋敷の様子が語られますが、しばしば嘘をつくらしい少女とそれを溺愛する老人、さらに夜ごと聞こえてくる悲鳴と、いかにも事件を予感させる屋敷の中の怪しげな雰囲気が伝わってきます。そして、探偵役であるトラヴァースが屋敷を訪ねたまさにその時に事件が起きるという、序盤のクライマックスがお見事。

 ところがそこから先は、一転してひたすら地味な展開が続きます。このあたり、翻訳の問題もあってか少々辛い部分がなくもないのですが、それでも関係者たちの人物像がしっかりと描かれており、決して退屈させられるというわけではありません。特に、少女ジャンヌと彼女を取り巻く人々――とりわけ探偵役でもあるトラヴァース――との心の交流は、読者を物語に引き込む十分な力を備えています。

 事件の謎解きの方はかなり型破りというか、フーダニットにあまり重きが置かれていないのが異色。本来ならば重要であるはずの真犯人が、“何となく”という感じで明らかにされているところはいかがなものかとも思いますが、あくまでも“十分間の謎”を眼目とする作者の狙いを考えると、これで正解というべきかもしれません(物語の展開上、そういう風になってしまうことも理解できますし)

 その“十分間の謎”は、なかなかユニークです。ささやかな現象であるだけにその不思議さが際立っているというか、時間が短すぎるので犯人のアリバイ工作とも考えにくく、ただ狐につままれたような奇妙な感覚だけが残りますし、物語の終わりぎりぎりまで引っ張っておいて最後にそっと真相を示すという演出が、それまでかかっていた魔法が静かに解けたかのような雰囲気を生み出しているところも印象的です。この余韻に満ちた結末へとつながる伏線がまた巧妙で、地味ながらよくできた佳作といえるのではないでしょうか。

2007.04.21読了  [クリストファー・ブッシュ]

激走 福岡国際マラソン 42.195キロの謎  鳥飼否宇

ネタバレ感想 2005年発表 (小学館ミステリー21)

[紹介]
 北京オリンピックの代表選考会を兼ねた福岡国際マラソン選手権大会当日。国内外の有力な招待選手、一般参加選手、さらにパラリンピックを目指す視覚障害を抱えた選手など、多くのランナーたちがひしめき合う中、20キロまでレースを引っ張るペースメーカーとして出場する市川尚久は、特別な思いを抱いてレースに臨んでいた。やがてスタートの拳銃が鳴らされ、選手たちは42.195キロの過酷な道程に踏み出したのだが――レース中盤で思わぬアクシデントが……。

[感想]
 「POINT 42.195」に始まって「POINT 0」で終わる章題からも明らかなように、本書は丸ごと一冊かけてマラソンレースのスタート直前からゴールまでを描いた作品であり、レースの中で謎が提示されて解き明かされるマラソンミステリとなっています。

 マラソンといえば、自分自身若い頃に走った経験もある*のですが、客観的に観戦する際の面白さがさっぱりわからないというのが正直なところで、テレビ中継を見ることもまったくありません。しかし本書では、客観視点ではなく多視点で、走っている選手たち自身をはじめとする登場人物たちのレース中の心理を克明に描くことで、興味深い物語を作り上げることに成功しています。特に、物語が単調にならないよう、現在進行中のレースに関する思考だけでなく過去の回想が多く盛り込まれているところが目を引きますし、回想のきっかけ(となる状況)が巧妙に配置されているところも見逃せません。

 ミステリらしい謎としては、レース中盤に“アクシデント”が用意されていますが、残念ながらこれ自体はさほどのものではありません(前例もあったような気がします)。ただし、マラソンレースそのものに重点が置かれた構成のため、レース終了までの短時間で解決可能な謎でなければならない点は考慮すべきでしょう。そして、伏線や謎解き役など、細部はよく考えられていると思います。

 中盤の“アクシデント”以上に作者が力を注ぎ、また読者の興味を引くのは、ゴール直前までまったく予断を許さないレース展開そのものであり、さらにその裏に見え隠れする主人公・市川をはじめとする選手たちの思惑です。そして、その核心となる真相はあまりにも奇想天外。実際のところは、親切すぎる(?)伏線によって、作中で明かされるよりもかなり早い段階で大部分が読めたのですが、それでも作者の企み――そしてそれを支える工夫――には圧倒されました。

 レース終盤の展開は、少々あざとく感じられる部分もなくはないとはいえ、やはり痛快にしてドラマティック。結末そのものもさることながら、42.195キロというマラソンならではの長丁場がじっくりと描かれ、選手たちに感情移入しやすくなっていることが、ラストの感動をより強いものにしているのも注目すべきところでしょう。あまりにもそのまんまな題名のせいでやや損をしている感もありますが、マラソンはおろか、スポーツをテーマとしたミステリの中にあってもなかなかの傑作だと思います。

*: 特に長距離走のトレーニングをして臨んだわけではなく、あくまでも完走する(途中棄権しない)のが目標で、記録も最高で4時間を切るのがやっとでした。

2007.04.21読了  [鳥飼否宇]

フォーチュン氏を呼べ Call Mr.Fortune  H.C.ベイリー

ネタバレ感想 1920年発表 (文月なな訳 論創海外ミステリ49)

[紹介と感想]
 “シャーロック・ホームズのライヴァルたち”の一人、外科医にして病理学者であるレジナルド(レジー)・フォーチュン氏が探偵役として活躍するシリーズの第一短編集です。
 探偵役のフォーチュン氏は、どちらかといえば直観型の名探偵である割には個性が薄い印象がありますが、逆に嫌みがなく親しみの持てるキャラクターともいえます。特に「気立てのいい娘」「ホッテントット・ヴィーナス」においては、そのキャラクターとユニークなプロットが結びついて独特の味わいになっていると思います。その反面、正義を厳しく追求しようとするあまり、時にやりすぎてしまっているようにも思えるところが特徴的でしょうか。

「大公殿下の紅茶」 The Archduke's Tea
 ボヘミアの王位継承者であるモーリス大公が、車にひかれて意識不明の重体に陥った。連絡を受けたフォーチュン氏は、屋敷へ駆けつける途中で、大公そっくりの体つきをした身元不明の男が、車にひかれて死んでいるのを発見した……。
 記念すべきフォーチュン氏の初登場作。謎解きは大したことがなく、真相も見え見えですが、事件を解決するためのフォーチュン氏の行動が見どころです。

「付き人は眠っていた」 The Sleeping Companion
 舞台女優バーディーが、悪夢に悩んでいるフォーチュン氏に相談しにきた翌朝、自宅で惨殺されているのを発見された。そして死体のそばで眠り込んでいた付き人のウェストンは、目覚めた途端に“わたしが殺した”と叫んだのだが……。
 密室でこそないものの、カーター・ディクスン『ユダの窓』を思わせる被害者と容疑者の状況が目を引きます。そして犯人はなかなか意外。ただし、手がかりが思いきり“後出し”なところは時代を感じさせるというべきでしょうか。

「気立てのいい娘」 The Nice Girl
 有名な鉱山王アルバート・ラント卿が銃殺された。容疑者として逮捕されたのは、アルバート卿に鉱山の権利を騙し取られて恨んでいた鉱山技師。彼の婚約者であるドーントシー看護婦から捜査を依頼されたフォーチュン氏は……。
 謎そのものもなかなか面白い上に、あまりにも意外すぎる真相が衝撃(笑撃?)的な傑作。「付き人は眠っていた」とは打って変わって、この時代に(少なくとも(一応伏せ字)アントニイ・バークリー(ここまで)に先駆けて)発表されたことに驚かされる作品です。

「ある賭け」 The Efficient Assassin
 フォーチュン氏の大学時代の友人であるジェフリーの父親が殺された。資産家の父親は、大喧嘩の末に家を飛び出したジェフリーを許していなかったが、全財産をジェフリーに遺すよう、死の直前に遺言状を書き換えていたのだ……。
 短い中で複数の死が描かれ、さらに二転三転の展開を見せるという凝った作品ですが、詰め込みすぎてバタバタしている印象も受けます。それでも真相の意外性はかなりのもので、なかなかよくできていると思います。

「ホッテントット・ヴィーナス」 The Hottentot Venus
 犯罪捜査部部長の妹が経営する女学校で、奇妙な事件が起きた。生徒の部屋が荒らされ、何枚もの写真が盗まれたのだ。依頼を受けて女学校を訪れたフォーチュン氏は、図書館に落ちていたという風変わりな人形に目を止め……。
 ささやかな事件の裏に隠された企みを見抜くタイプの作品で、些細な手がかりを巧みにつなぎ合わせるフォーチュン氏の慧眼が光ります。そして、何とも皮肉なオチが秀逸です。

「几帳面な殺人」 The Business Minister
 政府の画に関する極秘情報を入手し、株を買い占めて儲けようとしている人物がいるらしい。疑いを向けられたのは、内閣入りした実業家キンボールとその秘書サンドフォード。疑惑を裏付けるかのように、何者かがサンドフォードの口座に3000ポンドを振り込んだことが発覚するが、本人は疑惑を否定する。その数日後、とあるアパートの中庭に積もった雪の下から、顔を潰された男の死体が発見されたのだが……。
 本書の中で唯一の中編です。一見すると何の関係もなさそうな二つの事件が結びつくプロットが面白いと思いますが、それ以降の謎解きはやや尻すぼみ。しかしそれを補うように、クローズアップされる特異な犯人像が強い印象を残します。

2007.04.24読了  [H.C.ベイリー]

ゆらぎの森のシエラ  菅 浩江

1989年発表 (創元SF文庫724-01)

[紹介]
 多量の塩分を含んだ霧に閉ざされて立ち枯れする森、そして人々を脅かす異形の動植物に囲まれた地・キニーヌ。人ならぬ化け物に姿を変えられ、命じられるがままに殺人を犯してしまった青年・金目{キンメ}は、不思議な少女・シエラとの出会いによって人の心を取り戻す。霧を寄せつけることなく、常に穏やかな風と陽光に包まれたシエラは、金目を騎士と呼び慕うのだった。やがて金目は、自分を化け物に変えた怪物たちの支配者・パナードへの復讐を誓うが、理想郷の建設を目指すパナードの強大な力を前に苦戦を強いられる。そして、シエラは急速に成長を遂げていき……。

[感想]
 菅浩江の第一長編で、山田正紀氏が解説で“ファンタジーからSFに、SFからファンタジーに揺らぎつづけて決してとまろうとはしない”と表現しているように、異世界風ファンタジーとバイオSFという“二つの顔”を併せ持つ作品です。

 異世界風の舞台を彩るのは様々な怪物=“キメラ”たちであり、異なる生物の形質が融合した結果として描き出される“混沌”は、やはり悪夢のようではあります。が、時としてそれが美しさのようなものを感じさせるあたりは、作者の持ち味といえるのかもしれません。このような、美醜の入り混じったイメージの奔流が、本書の大きな魅力の一つとなっています。

 大森望氏は本書に“仮面ライダー”のモチーフを見て取った(嵐山薫さん(「嵐の館」)による本書の感想を参照)ようですが、これは確かに慧眼というべきで、特に物語序盤の主人公・金目の姿には、心ならずも“怪物”に改造されてしまった人間の苦しみと“創造主”への怒りがあふれています。しかしそれが、もう一人の主人公・シエラの存在によって少しずつ変容していくところに、本書の奥深さがうかがえます。

 当初こそ絶対的な“善”と“悪”との戦いという様相を呈するものの、物語は次第に“善悪”という概念から離れ(完全に無縁となるわけではありませんが)宿命的な“対立”のみがクローズアップされていきます(余談ですが、このあたりは奇しくも解説の山田正紀好みのような……)。世界の命運を決するほどでありながらあくまでも“個”に焦点が当てられ、人間を超越した“神々の戦い(私闘)”を思わせるあたりがファンタジー風の印象を与えているようにも思われます。

 特に地の文がやたらに説明的なところなど、第一長編だけに荒削りなところは見受けられますが、非常に魅力的な作品であることは間違いありません。

2007.04.25読了  [菅 浩江]