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最終更新日03/08/14

コラム

コラム125

インターネットでの個人責任

 前回、メールの活用の中で良い所と悪い所を話しましたが、メールと人の利用についてもう少し掘り下げてみます。

メールと言えば出会い系での利用がありますが、文章で仲良くなって実際に会うと言う行為は悪い事ではありません。
ですが、メールでやり取りしている中でトラブルが出ているのは、メールの中に大きな問題点がある事を利用者側が認識していないだけです。

メールが本来の人間の本質を隠している・・・逆にいえば、メールから人が判断できないから会って話すと言うのは良い事なのに人を騙したり傷つけたりする事件・・ましてや人を殺してしまう事件が起きている中で自分の行動に責任を求められているのが現実です。

メールに限りませんが、HPの掲示板などで、よくハンドルネームで話すのが当たり前になっているので書いている本人がどのような人なのかを隠しています。

インターネット上で実名を隠したから、自分の文章に責任を持たなくていいと言う訳ではないのに、書いた文章が誰だか分からないから、知らないから何をしてもいいと言う人も居るようです。

メール、掲示板のやり取りやIEの中で架空の人物として好き勝手にする事で、問題になっている事も多い筈です。
これらの要因の一つにコミニケーションのとり方の問題もあるのかも知れません。

対策の一環としてHPを訪れた方のログを控えておいて本人を特定するようなセキュリティを設けている場合もあり、モラルに依存する事が今時点で困難に成ってきているのでしょうね。

私のようにネームが名前そのままだと隠す事も出来ないし私を知っている人がHPをみれば車などから一発で私だとばれます(笑)
ですから、HPの書き方に自己責任をある程度は気にしながら書いています。
結局、
言論は個人の勝手であっても私で有る事がちゃんとわかる限り、書かれている事にある程度の責任を持つ必要性があります。(これらの責任と言う話自体をどう捉えるかは本人の価値観次第ですけど)
その為、
コラムなど個人の考えを書く時に他人に対する『中傷』や『批判』する様な書き方は避けてきました。
弁論や表現の自由とは言っても本人の知らない所で他人を傷つけていることも有り完璧に配慮する事が不可能だと分かっていてもある程度気を使う必要性はあると判断しています。

これらは人のモラルに依存するので難しい話ですけど、どうもこの頃、一般社会の中でモラルの低下を感じます。

人としての思いやり、優しさ、配慮が低下している気がしてなりません。
もちろん、それらが出来る人も沢山いるのも事実なんですが・・・・・・。

インターネットを通じて簡単に情報が手に入る事が逆に情報が溢れ出していている事がそれを見た個人に対する責任問題に繋がっているのかもしれませんね。

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