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(2014・12・31) 2014年回顧と2015展望

 2014年は私にとって忘れられない年になるでしょう。一つは8月に広島市を襲った豪雨災害です。我が家も被災しました。その後片付けに11月いっぱいかかりました。敷地が冠水し、床下に土砂が入りました。台風シーズンが過ぎるまでは本格的な作業はできないと思い、応急措置をしていたのですが、10月上旬に本格的な作業をするときにまたも台風が来ました。予報を見ながら作業をしました。作業をしていて不調になり、あぶないところでした。床下の作業は重労働です。その後、敷地の整備にとりかかり、業者に依頼して、くぼんだ敷地を舗装してもらい、舗装しない部分は自分で石を置きと、作業をして、11月末に終わりました。多くの方に心配していただきました。ありがとうございます。

 この間、夏休みからはじめていた、これまで書いたものや録音したものの電子出版をしました。すでにあったデジタルデータを使っているので、編集作業だけですが、11月に予定していた形で出すことができました。また2015年の2月発行予定のものもあります。これもすでにあるデータを使っての電子出版です。2015年はSCLのHPを立ち上げて15年の節目です。今年はそれを考えてこれまでに書いたものをまとめてきました。

 SCLは、浄土部門、総合冥想部門、東洋文化部門、教育部門、平和部門の五部門で、それぞれこれまでに書いたものがありますが、出版という形ではすべては揃っていませんでした。2015年は広島・長崎の被爆七十年の年です。それもあって全部門出版を揃えようとしてきました。何とか全部門が揃います。

 今回の被災は、2011年の東日本大震災で受けたショックと同等かそれ以上だったかもしれません。2011年は親鸞・法然大遠忌の年で、この年に向けて浄土教を盛り上げようと努力していたのですが、世間的には震災一色で浄土教のことなど吹き飛んだ感じでした。私の連載では、これをどう受け止めていいのかとまどいを書いています。ようやくそれから抜けだしつつあった矢先で、今度は来年の被爆七十年を視野に入れて動きだしていたところへの被災でしたので、やはりショックでした。しかし東日本大震災の被災者の方や、原爆の被災者の受けられたものに比べれば比較にならないでしょう。

 大震災も豪雨災害も、この世の無常の端的な表れです。無常を越えた世界を求めてきた自分にとって試金石なのだろうと思います。これからも私は、まことの世界を探求していきたいと思います。2015年は2月に「和の光 平和と文学」を電子書籍で発行の予定です。すでにあるデータを使っていますので、この冬休みに編集をほぼ終わりました。SCLの五部門に書籍を揃えて再出発するつもりです。今後ともどうぞご支援のほど、よろしくお願いします。よいお年をお迎えください。
 


(2014.8.12)『永遠の0』をめぐって

 『永遠の0』を読んだのは数年前のことで、私が担当していた学年で夏の課題図書を選ぶのに、同僚の推薦で入れました。広島では夏休みの平和学習を兼ねて、戦争と平和に関する本を生徒に読むよう勧めます。紹介した他の本は知っていた本ですが、この本は読んだことがなかったので、生徒とともに自分も読みました。同僚は初めて読んだときに、途中でいったんは挫折したのだが、思い返して読了したのだと言っていました。

 私は夏休みの一日を当てたのですが、そのぶ厚さから二日くらいかかるだろうと思っていました。しかしその内容に引き込まれてその日の夕方までに読み終えました。ヤクザになった景浦の語る第十章「阿修羅」から最後まではラストスパートの感じで、読み終えて小説でこれほどの感動は久しぶりだと思いました。

 映画も見ました。私にとってやや心残りなのは、原作で最も私が感動した場面が、原作でも語りだけだったのですが、映画でも台詞だけで描かれ、それが原作と同じことを言っているのですが、いまいち胸に響かなかったことです。私は映画ならその場面を映像として見せるのではないかと思っていたので、やや残念でした。しかし全体としては非常に長い原作の重要部分を取り出してうまくまとめていたと思います。

 百田尚樹さんの作品では『海賊と呼ばれた男』も読み、大変感動しました。その後、百田さんの言動がマスコミに取り上げられることが多くなり、私が考えていたのとは違う方向への言動が多く、生徒に勧めた手前、困惑していました。一緒に担当していた同僚も同じ気持ちだったようです。この夏にその同僚がこんな本があると言って、ある文芸評論家が書いた『永遠の0』についての新書を見せてくれました。それを読み、私とは全く違う読み方があるのだと思い、驚くとともに、これは一言、言っておかなければいけないと思うようになりました。

 私は原作を愛の物語として読みました。読み始めてすぐにわかるように、主人公の宮部は愛する妻子のために必ず生きて帰って来ると誓います。その通りに行動し、また彼の群を抜いた飛行技量もそれを可能にするはずのものだったはずです。その彼が特攻という無謀な作戦によって特攻をせざるを得ない状況に追い込まれていきます。その過程について作者は綿密に追っており、当時の政府と軍部、またそれを煽ったマスコミへの批判がしっかりと書かれています。

 この極限状況において、いかにして愛を全うするのかというのが私の感じた本筋です。宮部は自分の信じる愛を全うするために、自分の持つ全てを動員して戦います。帝国海軍の恥と呼ばれても、自分の信じる道を行こうとします。この強さは並大抵のものではありません。普通は圧力に屈するのが当然でしょう。

 その彼が、自分の教え子が次々と特攻隊員として出陣していくなかで、自らも出陣せざるを得ない状況に追い込まれていきます。そしてついに出撃命令が下ります。映画で私に強く印象に残ったのは、鹿屋基地で鬱状態になったような宮部の姿でした。岡田准一の名演技です。

 宮部の出撃直前にも生還の一縷の希望が見えます。自分の乗った零戦の不調を見抜くのです。もし途中で不時着すれば生還の望みがあるのです。ところが宮部はその機を、かつて宮部を助けるために敵機と宮部機の間に入って重傷を負った後輩の大石に譲ります。大石はそれにより不時着し、助かります。宮部は土壇場で家族への愛より、自分を助けてくれた部下に機を譲る道を選ぶのです。残された妻子のことを頼むという遺言のようなメモを残して。この宮部の愛を受け止め、残された妻子を捜し出し、大石は戦後を生き、やがて自らも愛した宮部の妻である松乃と結婚します。

 もう一人、宮部を慕い、特攻の援護機として最後まで付いていきながら、これも機体の不調で生還する景浦がいます。景浦は飛行道があるとすれば、その裏道、邪道に落ちた人間で、言わば非行飛行士です。彼はある時、模擬空中戦を宮部に挑み、実弾まで発射したような男です。その彼が宮部に敗れ、実弾を撃った自分を赦す宮部に惚れ込むのです。見事な回心です。

 生き残った景浦も、戦後、宮部の妻子の行方を捜します。大石より先に見つけるのですが、何とその時、宮部の妻松乃はだまされてヤクザの囲われ者になっているのです。単身乗り込んだ景浦は捨て身でヤクザの親分をたたききり、松乃に財布を投げます。「生きろ」と一言を残して。松乃の迷いを断ち切る場面です。実は原作で私が最も感動したのはこの場面でした。後で述べますが、私はこの「生きろ」が本願の言葉に聞こえました。「愛に生きろ」と.。

 宮部の妻の松乃は、景浦が宮部に見えたと言います。また後日、大石に初めて会ったときも大石が宮部に見えたと言います。私には宮部と大石と景浦が愛の三尊像になっているように見えました。宮部の愛の化身が大石と景浦です。大石が表役で、言わば観音です。景浦は原作に書かれているとおり阿修羅です。阿修羅ははじめは悪神なのですが、帝釈天との戦いに敗れて善神に変わったと言われます。護法神とも言いますが、命がけで宮部を護ろうと誓うのです。私は景浦は剣を持ったイメージから不動明王でもいいと思いました。この表役と裏役の使い分けが見事です。景浦は「かげ」「うら」ですから、裏役として描かれているのだと思います。

 これを演じるとすれば裏役の方が難しいはずです。映画では戦後の景浦を田中泯が演じていました。田中泯は現代の一室で台詞だけで演じています。舞台出身の役者なのでしょうか、迫真の演技でした。景浦が大石の孫との別れ際に彼を抱きしめて「俺は若い男が好きでな」と言いますが、この演技も見事でした。この場面は景浦の宮部への愛の告白であると同時に、景浦が宮部となって孫に愛を伝えている場面にもなっています。愛の相伝です。

 この三尊像の愛はこれだけでも充分完結するのですが、今の景浦の場面にあるように、さらにこれをそれまで宮部のことを知らなかった孫の世代に伝えようとします。ここで再び宮部を中心にして、宮部のことを知ろうする姉と弟という次の三尊像が形成されます。姉は愛する人を捨てて偽りの愛に生きようとする女性として、弟は人生に挫折した人間として。宮部の愛は、この二人に受け継がれるとともに、彼らを本来の生き方に引き戻す役割もしています。三尊像の本尊には脇を中心に引きつける力があるのです。

 私は「永遠の0」とは「空(くう)」のことだと思いました。それが愛として、世代を超えて展開していく物語だと。愛の引力とその展開を描くエンドレスストーリーです。浄土教的に言えば、宮部の誓った愛が誓願です。その誓願が宮部が身を捨てることによって逆説的に成就する物語だと思ったのです。浄土教の法蔵菩薩の誓願も、誓願が成就しなければ成仏しないという逆説的な説き方になっています。戦争と特攻という舞台は、最も愛を成就することが難しい極限の状況として選ばれたのだと思います。

 「宮部久蔵」という名は宮本武蔵を連想させるので、飛行道の求道者として、剣道を極めて『五輪書』で「空」を説いた宮本武蔵に重ねているのではないかと思いました。景浦が宮本武蔵を気取っているのを宮部が諭す場面があるので、宮部の方が宮本武蔵に近いということを表しているのだと思います。また「久蔵」というのは映画『七人の侍』で出てくる剣の達人だそうで、それを重ねているのだろうと同僚は言っていました。もっとも『七人の侍』の「久蔵」は宮本武蔵がモデルという説があるそうで、やはり宮本武蔵に行き着きそうです。さらに言うと私には先に述べた法蔵菩薩の法蔵も重なっているように思えました。

 そうすると法蔵菩薩の愛の誓願を成就しようとする法蔵菩薩、観音菩薩、阿修羅(不動明王)の愛の三尊像の物語であり、またその愛を受け継ぐ三代伝授の物語であるということにもなります。すぐれた芸術作品は自ずと宗教的になるのだと思います。芸術と宗教の根源は同じだと思っています。

 以上書いたことは作者の意図とは違うかもしれません。またある評論家の読み方とも違うようです。「帝国海軍の恥」と呼ばれた男が、その汚名を濯ぐ物語だという見方もあるようです。戦争の話として読めばその方が普通の読み方なのかもしれません。しかし自分の恥を自分で濯ぐ汚名挽回の物語、自己完結の物語で永遠性があるのでしょうか。飛行道と書きましたが、それは武士道の一つでもあります。ですから侍の物語でもありますが、道であれば必ず最後は愛に行き着くはずです。植芝盛平が合気道に行き着いたように。『武士道』を書いた新渡戸稲造はクリスチャンですが、彼も愛の一つの表れとして武士道を捉えたのだろうと思います。

 広島は8月6日を過ぎました。まもなく終戦記念日の8月15日です。私の伯父は特攻隊の生き残りでした。お盆に会うと、もう少し終戦が遅かったら自分はこの世にいなかったとよく話していました。もう亡くなりましたが、伯父がこの物語を読めばどう思うでしょう。聞いてみたい気がします。私は極限状況ではなく、平和というごく自然な日常の中で誓願成就の物語を生きたいと思っています。
 



(2014.1.2)2014年年頭の「一心」

 昨年の末にあらためて「宗教と平和」について考え、2013年12月30日版として掲載しました。最近の東アジアや日本を巡る情勢からどうしても一言言いたくなって書きました。普段は時間に追われ、「発掘歎異抄」を月に一回更新するのがやっとという状態ですので、冬休みのように時間がとれるときにはもっと言いたいことを書きたくなります。 昨年の11月24日の中国新聞の読書欄に『光のうつしえ』(朽木祥・著)の書評を掲載させてもらったのですが、字数の関係で書けないことがたくさんありました。原稿の終わりに「今が後の世に戦前と呼ばれないために」ということを書いたのですが、実はこの後に主人公の「希未(のぞみ)」の名に関係して「希未たちの灯籠は未来に向かって流れている」ということを書いています。この部分が記事ではカットされています。次の世代に「未来への希望」を託し、受け継いでほしいという気持ちを込めて書きました。2013年12月30日版の「宗教と平和」に「平和放棄は理想放棄です。理想放棄は希望放棄であり未来放棄です。」ということを書いていますが、これは書評に書きたかったことの延長にあります。

 それから書評の中に主人公を「戦争を知らない子供たち」としていますが、物語の時代となる1970年に「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしていました。北山修の作詞で私の好きな歌です。戦後生まれの子供たちが戦争のない時代を築いていくというメッセージを込めた歌です。昭和20年代から30年代に生まれた人達がその世代でしょう。もちろんその後の世代も日本が戦争に巻き込まれない限りはみな「戦争を知らない子供たち」なのですが、少し様子が変わってきたように思います。

 昭和20年代から30年代に生まれた「戦争を知らない子供たち」は親や祖父母が戦争を体験した人達でした。広島で言えば親が被爆者だという人達がたくさんいました。私自身がそうで、母親は被爆者ですし、父親は満州にいてソ連兵に殺されそうになったことろを危機一髪で助かって引き揚げ者として広島に帰り焼け野原を見て茫然としたという人です。ですから間接的に戦争を知り、また親たちの二度と戦争は嫌だという気持ちを肌身でわかっていました。しかし世代が代わり、「繁栄しか知らない子供たち」や「何も知らない子供たち」という世代になり、世論の形成者の構成が大きく変わろうとしています。

 核廃絶はいっこうに進む気配はありませんし、日本の平和憲法も変えられようとしています。平和憲法が変われば、次は専守防衛には必要のなかった空母所持論、さらに次は核武装論が台頭するでしょう。こうなる流れを何とかしたいというという気持ちが強くあります。そういうことを言うと、日本が危機にさらされている時に愛国心がないのかと非難されそうです。この流れを止めたいと思う人が非国民として扱われるのです。ですからどうしても愛国心についても考えざるをえません。

 私はこれまで「本願史観」という表現で、人類史的な観点を語ってきました。これまでの日本にあった皇国史観や唯物史観とは別の観点です。終末史観とも違います。今回も次の段階に進むことを考えて新たに「宗教と平和」を書きました。浄土教の語ってきた「四海同朋(同胞)」は浄土教だけの精神ではありません。広島に碇神社という神社がありますが、そこには「四海浴恩沢」と刻まれた門柱があります。海の神社なのでこの言葉が選ばれたのだと思います。かつては海沿いにあったそうですが海岸線が海側に進んだために今は街中にあります。この前を通るたびに「四海同朋(同胞)」と同じだと思いありがたくなります。四方を海に囲まれた日本の進む道はこの「四海同朋(同胞)」にあると思います。神の心も仏の心もこの点で変わりはないはずです。

 昨日の朝は地元にある専蔵坊というお寺にお参りし、ご本尊の前でひとしきり念仏してきました。寒かったのですがはりつめた空気があり清らかな気持ちになりました。私がこの地に生まれてきたときからずっと見守ってくださっているのだと思うと本当にありがたくてたまりませんでした。いくら感謝してもしきれません。

 地域共同体から地球共同体へ、さらには宇宙共同体へと進んで行く道があり、宗教もそれにそってより大きな心を表していく。また本来の宗教はもとからその大きな心を表しており、そのより大きなものへに目覚めさせ、導いていくものであると思っています。本来の宗教は一つの大きな心があるという意味では一心教です。またそれを受けて人類は心を一つにすることができます。一心が一心になるのです。凝り固まる一心ではなく、開く一心、つながる一心です。宗教者は同じ愛を語るにしてもより大きな愛を語っていくべきです。それが本願の道、本当の心ある道だと思います。どうぞこの点をご理解いただきたいと思います。

 年末に書きましたが、今年は『素直になる』の第二版を出す予定です。これでダイジ講話録シリーズは全て二回出すことになります。第二サイクルが完結します。その次がどうなるかまだ未定です。私も定年が近付き、HPでの発信は資金が不要ですので可能ですが、それ以外の活動はどうなるかわかりません。しかしこの世にいる限り、受信がある限り発信し続けるつもりです。本年もどうぞよろしくお願い致します。



(2013.12.28)2013年回顧

 2013年が間もなく終わろうとしています。今年は大きな旅行を何度かしました。私の行くところは寺社が多いのですが、今年もそうでした。記事には全部を書いていませんが、九州から関東まで、何度かに分けて行きました。2011年に中部から東北を巡って以来の大旅行の年になりました。京都には三度行きました。8月に京都に行ったときに、嵐山周辺を歩いたのですが、その後9月に嵐山が水害に遭いました。テレビの画面を見ても信じられませんでした。その後、11月にももう一度嵐山に行ったのですが、もうきれいになっていました。懸命に復旧がなされたのだと思います。

 中国地方では島根県の津和野が水害に遭い、こちらは9月に訪れました。津和野中心部は被害がなかったと聞いていましたので、それほど心配していませんでしたが、それでも川には大きな流木があり、相当の水が流れたのがわかりました。

 今月の「中国夢回廊」に福山の明王院のことを書いていますが、明王院の前に芦田川が流れており、ここに草戸千軒町がありました。伝説の町でしたが、川の中州から発掘されて町があったことが証明されました。明王院の門前町だったと言われています。明王院はよく残ったものです。このようなことが日本のみならず、世界のあちこちで起こったのだろうと思います。

 まもなく2011年の東日本大震災から3年になります。2011年が親鸞聖人750回、法然上人800回大遠忌の年で、この年を私自身の人生の一つの目標としていましたので、この大震災の衝撃は強烈でした。自分の中で整理するのに時間がかかり、今もそれが続いているのかもしれません。また『十三番目の冥想』の第一回が1978年3月11日でした。このことはある記事に書きましたが、この3月11日の符合というものをどう受け止めたらいいのか、これも時間がかかりました。年としても、月日としても、自分にとって重要な節目としたことと重なっていたのです。今年の3月に発行された研究紀要に「無常と永遠」というものを載せましたが、この題に私の思いを込めています。無常を越えて永遠の世界を語っていこうという思いです。

 『素直になる』の残部がわずかとなり、2014年には再版する予定です。支援してくださっている方々に感謝いたします。ブッククラブ回からは長年取り扱いをしていただいていますが、閉店していたと聞いていた東京中野の「大予言」の取り扱いが再開しました。「まんだらけ」という会社が店名と運営を引き継いだのだそうで、向こうからアプローチがありました。私の活動を知っていていただき驚いた次第です。これで東京での拠点が二つに戻りました。

 それでは皆様よいお年をお迎えください。
 




(2013.9.1)関東から京都へ

 夏休みが終わりました。今年はお盆過ぎまで猛暑でした。その後、中国地方では豪雨となりました。山口と山陰で大きな被害があり、山口線と山陰線が大きな被害を受けました。私は盆の前に旅行しました。関東から京都にかけてです。この間は雨の影響はほとんどなかったのですが、一度関東で豪雨を経験しました。午前中のことですので、夕立とは違います。鹿島神宮に行く途中でしたが、すさまじいものでした。幸いに 神宮に着く前に雨はやみました。

 鹿島神宮に行くのは二度目ですが、ここの奥社に行く途中に親鸞聖人旧蹟があります。親鸞聖人の門弟に鹿島門徒と言われる人々がありますが、親鸞聖人が鹿島を訪れていたことは確かでしょう。その際に鹿島神宮にある一切経を読みに鹿島神宮に寄ったと言われています。かつてはここにも神宮寺があり、そこで読んだと言われています。今はその前に鹿園があり、旧蹟を示す石碑はうっかりすると見落とします。

 その前には稲田の西念寺にも寄りました。今回で三回目です。三度も訪れると次はいつになるかわかりません。今回はすぐ横にある稲田神社にも寄りました。元来西念寺は稲田神社の境内の一部だったそうです。いわば神宮寺のような関係だったようです。稲田神社の祭神はクシナダヒメで、スサノオと結婚した出雲の神です。稲作の神で、全国に祀られていますが、出雲から遠い常陸でその神社があったのは不思議です。スサノオとクシナダヒメの関係が親鸞聖人と恵信尼の関係とよく似ています。日本人の感性によく合う組み合わせなのだと思います。

 京都では西本願寺にも寄り、晨朝にも参りました。朝の六時から七時までのお勤めでした。晨朝に参るのは何度目かになりますが、夏の朝の清々しい気にふれました。少し早めに行ったのですが、阿弥陀堂のご本尊の前に座ったとたん急にこみ上げるものがあり、ありがたくてたまらず念仏が止まりませんでした。大遠忌のときのお参りではそこまで感じませんでしたので不思議でした。法蔵菩薩の願いを親鸞聖人が受け止められた「願作仏心は度衆生心」という言葉が蘇ります。何のために成仏するのか、それは自分が苦から逃れるためだけではなく、一切の衆生を救うためだということです。この願いが我らの願いです。親鸞聖人にとっての一切経もこの一点に尽きるのでしょう。この原点を大事にしたいと思います。



(2013.5.6)中村元記念館

 2013年の3月末に松江自動車道が開通し、広島と松江の所要時間が一時間ほど短縮されました。以前から2012年の10月に松江市に開館した中村元記念館を訪れようと思っていましたが、これを機会に訪れました。記念館は松江市の中心部からは離れていて、中海に浮かぶ大根島にあります。車で行かないとやや不便かもしれません。松江市の八束支所の二階にあります。

 この場所が選ばれた経緯はよくわかりません。支所の二階が空いていたからという理由かもしれませんが、海の中に浮かぶこの島がそれ自体、日本を表しているようで、その日本から世界に発信した中村元にふさわしい場所かもしれないと思いました。

 図書室と展示室がありますが、展示室の中には中村元の書斎が復元されいています。小倉の松本清張記念館にも松本清張の書斎が復元されいていましたが、こういう展示の仕方が増えているのだろうと思います。

 この展示室で私の目を引いたのは「浄土真宗の生活信条」でした。手書きのもので、中村元が毎日拝読していたと言われるのが本当のことだったとわかりました。ハワイ別院で門徒が読んでいるのを見て感銘を受け、ご自身も読まれるようになったそうです。そういえばハワイという地理も太平洋の真ん中の島で、中海の中に浮かぶ大根島と似ています。連載の「発掘歎異抄」の2013年5月号にこのことを書きましたので、御覧下さい。またいずれ記念館を訪れたいと思っています。


(2013.1.1) 昨年の回顧と新年

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。昨年はSCLから発行している本を2冊増刷しました。『君がどうかい?』と『最高に生きたい』です。いずれも初版から約10年ほどかかり売り切れて増刷となりました。印刷会社との交渉で、できるだけ単価を抑えたかったのですが、10年経てば印刷製本費用は上がっています。定価を上げるのが簡単な方法ですが、これまでお世話になった書店との関係を考えるとそう簡単にはいきません。定価を据え置いての増刷となりました。商業出版ではまず考えられないことでしょう。はたしてこれからまた10数年して次の増刷があるかどうかよくわかりません。ボランティアに近い活動ですがこれまで続けてこられたことに感謝です。

 これに関連してすでにこのHP内でお知らせしていますように、季刊の仏教雑誌「サンガジャパン」VOL11(2012年9月発行)に「ダンテス・ダイジの説いた冥想」という記事を寄稿しました。担当の編集者は私の出した本を読んでいてダイジのことをよく御存知でした。これまでの活動が無駄ではなかったことが実感できました。またこれによって読者が増えればと思っています。バックナンバーをそろえているようなので今回の号もしばらく書店で購入できるはずです。

 この本の執筆者を見ると有名人が多く、その中の一人に田口ランディさんがいます。私はこの本が発行された後、この方の「クリスマスの仕事」という作品を授業で読みました。非常に宗教的な作品で、著者の隠された意図を感じ、生徒に語りました。教科書に掲載されるに当たり、書き直しがあるのですが、原作と比べて読むと私が語ったことはそれほど的はずれではないだろうと思います。ある方の推薦で日本ペンクラブに入会しましたので、何かの集まりでお会いできれば、「クリスマスの仕事」についてお伺いしたいと思います。

 また昨年取り組んだこととして、中国新聞に中村元生誕百年の記事を書くように依頼され、これが8月6日の広島の原爆記念日の掲載となりました。記事の依頼を受けてから中村元の本を連続して読んでいました。その間に思ったことを連載記事の「発掘歎異抄」に連載しています。すでに2012年11月号から2013年1月号まで三回ほど書きましたが、まだまだ書き足りないことがあり、続く予定です。新聞記事は分量の制約があるせいで書けなかったことがたくさんあるのです。

 この間いろいろと思い出に残る経験をしました。その一つが2013年1月号に書いたことです。中村元の翻訳した仏伝を読んでいて有名なブッダが悟りを開く場面にかかったときのことです。その場面がありありと目に浮かび黄金の光が満ち満ちていました。悟りのことをenlightenmentとも言いますがその黄金の光(light)を目にしてまさにその言葉通りだと思いました。仏教はこの光から始まったのだということがよくわかりました。仏像や仏壇が黄金なのもこの光を見れば説明不要です。翻訳にもこれだけの力があるのです。この光を見せていただいた中村元に深く感謝です。1月1日に初日の出を拝むのも光信仰の一つです。1月号の記事にふさわしいのではないかと思います。

 他にも色々の経験をさせてもらいました。夢の中でも何度かお話しさせてもらいました。書かれたものからはわからない御苦労があったことがよくわかりました。読書を通して作者と交流できるのは実にありがたいことです。「光流」と言った方が今回はふさわしいのかもしれません。読書は冥想の一種なのだと思います。

 私は以前「東方通信」という名で連載を続け「心の国語」という題で二冊の本にしましたが、この「東方通信」という名を付けるときに中村元の開設した「東方学院」のことが頭に少しあったのだと思います。「アジアの夜明け」とか「東方に光あり」という言葉とどこか結び付いているのです。東方からの発信という気持ちがあるのだと思います。私のしていることは中村元の活動からすれば微々たるものですが、心の中ではつながっていてご支援いただいているのだと思いました。

 今年も活動を続けますのでよろしくご支援のほどお願いします。

(2012.8.5)ブッククラブ回

 先日東京に行く機会があり、その時にブッククラブ回に立ち寄りました。ブッククラブ回には今年そのニューズレターでSCLと私の紹介をして

いただきました。非常に長い付き合いで、SCLの名で本を出し始めたころからのお付き合いです。他の書店では常に在庫を置いてもらっている

わけではなく、注文のあった時に納品する形です。広島の広文館やフタバ図書さんとも長い付き合いですが、その形です。ブッククラブ回では、

定期的に注文があり、よく出ています。と言っても出版してからその数が飛躍的に増えたということはなく、ほぼ毎年同じような数が出ています。

忘れられるわけでもなく、増えるわけでもなく、続いています。

 そのような安定した形になるのはブッククラブ回のあり方にも何かあるのだろうと思います。行ってみてわかったのですが、青山ですが、周囲は

オフィスや住宅のある閑静な場所で、書店がありそうには見えない場所です。赤いピラミッドが目印でこれがないとわからないかもしれません。

地下一階が店で、広いとは言えないでしょう。地方の個人の書店と広さは変わらないかもしれません。しかし書棚を見ると、本当に精神世界の

本がずらりと並び、珍しい本がたくさんあります。

 その中でSCLの本は中央の棚にあり、目に付きやすい場所にありました。私が店の人に名乗り、初めてお会いしました。その日は女性の店員

さんが一人だけでしたが、もちろん私が名乗ればすぐにわかってもらえました。店が大きいとは言えない規模でしたので、通販の方が多く出るの

かと思ったのですが、話しによれば通販は全体の三割ほどだそうです。店頭の方が七割ということです。この棚を見て買う人が多いようです。

私も東京に居れば行ってみたくなるような店です。東京の方は一度足を運んでみてください。
 




(2012.3.10)ブッククラブ回での紹介記事

ブッククラブ回には長年書籍を置いてもらっていますが、そこで発行されている雑誌に紹介記事が載りました。
インタビューに答える形になっています。

以下その記事です。

研究所の概要、出版書籍の傾向
 
「SCL広島精神文化研究所」の名で、HPの運営と出版活動をしています。
また渡辺郁夫として研究、執筆、講演等を行っています。
扱っている書籍は渡辺が編集、著作のものです。
また渡辺の名で他の出版社から出版したものもSCLのHPで頒布しています。
書籍は、ダンテス・ダイジ(雨宮第慈)の講話録、
渡辺の国語教育書と浄土教を中心とする宗教書などです。
 
 
研究所を始めたきっかけ:
 
1977年、ダンテス・ダイジとの出会いがありました。
同世代の若者とともに、冥想や座談会などを行い、
私は、ダイジから講話録を出版するように言われていましたが、
1987年、彼はこの世を去りました。
講話から15年の歳月が経ち、心苦しく思っていましたが、
ようやく彼の講話録の一冊目『十三番目の冥想』を1993年に出版しました。
それは、個人での出版で私家版と言っていいものでしたが、
彼の肉声のニュアンスがよく伝わってくると思います。
当時は宣伝方法も特になかったのですが、2000年になってHPを開設し、
その時にHPの名を「SCL広島精神文化研究所」としました。
私にとって『十三番目の冥想』は原点とも言うべきもので、
今後ずっと読み継がれるものだと思っています。
できるだけ多くの人に書籍を読んでもらいたいのが動機です。
 
 
特別な思いのある一冊:
 
大学での勉強のきっかけになり、その後も取り組んでいるのが親鸞の『歎異抄』です。
 
 
SCL広島精神文化研究所の根底に流れている目的やメッセージ:
 
広島はご存じのように人類初の核兵器の被爆地です。
核兵器は現在の物質文明の性格を象徴するもので、
現代人の行動原理が欲望と不安と恐怖によることをよく表しています。
2011年の福島原発事故は我々に核とは何かをあらためて問いかけました。
人間の真の行動原理は「本願」です。
人類初の核の被爆地から世界に新たな精神文化の発信をし、
新たな「本願の時代を拓く」のが私の願いです。
 
 
今、注目している人物:
 
新しい人々については疎いのですが、故人で再顕彰したい人が何人かあります。
HPに毎月「発掘歎異抄」という連載をし、10年以上続けています。
そこでとりあげるようにしています。
具体的には広島に縁の深い念仏者だった山本空外、藤秀すいなどです。
被爆地広島で戦後活躍された人で、本願を生きた人として敬意を抱いています。
 
 
今後の展望について:
 
個人で活動してきましたので、ほぼ手一杯の状態です。
書籍は他の出版社からのものを含めて10点を越えましたが、
私家版として出したままで正式に出版していないものも多くあります。
とりあえず活字にしておき機会を見て出版したいと思っています。
 
 
スピリチュアルブームについてや読者の変化など感じること:
 
「スピリチュアル」という言葉は日本では多義的で、
深い精神性を表すものからオカルト的なものまで様々のようです。
一時的な興味では続かないでしょう。
私は書籍の頒布をしていますが、本来は消費の対象になるものではありません。
外を次々と通り過ぎるのものではなく内に不滅のものを見いだしてほしいと思います。
 
 
日本の若い人たちに伝えたいこと:
 
浄土教で言う「本願」は全ての人に宿っています。
少しでも多くの人が本願に目覚めることを願ってやみません。
 
 
どうもありがとうございました。


(2012.1.1)謹賀新年

 明けましておめでとうございます。2012年が始まりました。皆様にとってよい年となりますことを心から願っています。

 昨年2011年は日本にとっても世界にとっても大きな変動の年でした。比喩的に「地殻変動」という言葉がよく使われますが、日本では本当に

大震災が起きました。阪神大震災を経験した時に自分の一生の中では一回のことかもしれないと思いましたが、それ以上の震災が東日本で起

きました。また中東では独裁政権が次々と倒れました。円高の進行、タイの大洪水、ヨーロッパの財政危機、信用不安と続きました。

 私は夏に親鸞聖人旧蹟巡りを兼ねて、北陸から東日本、東北へと足をのばしました。松島での海岸沿いの商店街の被害の様子や、出羽三山

の羽黒山で見た大震災の供養の風車の列は忘れられません。

 今回の震災と阪神大震災との違いは原発事故が重なったことです。原子炉の建屋が爆発する映像は目に焼きついています。今、あらためて

原子力政策のあり方が問われています。核兵器を持てない日本にとって核開発能力を示す原発は国策として安全保障の一環だったことは確か

でしょう。ロケット開発も同様でしょう。まずは安全保障と切り離して純粋にエネルギー政策として何が必要なのか再検討すべきだと思います。

 また2011年は法然上人800回大遠忌、親鸞聖人750回大遠忌の年であり、私は何年か前からここを一つの目標としてきました。自身も西

本願寺の大遠忌法要にお参りすることができ、また幾つかの親鸞展と最後に東京での「法然と親鸞展」も見ることができました。今月号の「発掘

歎異抄」にこの展覧会のことを書いていますが、「予もその一なり」の言葉を大事にしたいと思います。大遠忌と大震災とが重なりましたが、自分

と日本のあり方を見つめ直す年だったのだと思います。

 大遠忌の年に合わせるように2010年から続けていた『無量寿経』の阿弥陀仏の「四十八願」を全て語るということが2011年の年末に終わり

ました。依頼を受けた時にいつか挑戦したいと思っていたがことができてうれしかったのですが、最後までたどり着けるかという不安もありました

。親鸞聖人が四十八願の内で語られている願は数願に過ぎないからです。今回全体を語ることであらためて本願の宗教を確認することができ

ました。この本願の働きのままに、今年も書き続け語り続けたいと思います。

 このHPの名にしている「SCL」の一つの活動に出版活動があります。ダンテス・ダイジの講話録や私の著書の出版です。ダイジ講話録は1から

4まで出していますが、初版から10年くらいで再版や第二刷を迎えています。今年講話録の2『君がどうかい?』の第二刷が必要になります。徐

々に在庫が減ってきて増刷が必要になりました。時間はかかりましたが、売り切れることはありがたいことです。普通の出版なら在庫がなくなっ

たところで費用を回収し、収益が出して終わりでしょう。私の場合はこれまでの経緯から少しでも多くの方にダイジの言葉を読んでもらいたいと

の思いから始めましたので、できるだけ再版していきたいと思っています。問題は出版費用が10年前と比べるとかなり上がっている点です。出

版不況が言われて長いのですが、理由がよくわかります。今後も出版活動が続けられるように何とかやり繰りしていきたいと思います。今後とも

ご支持のほどよろしくお願い致します。

(2011.12.8)「法然と親鸞展」

 この11月に東京で開かれていた「法然と親鸞ゆかりの名宝展」に行ってきました。11月に上京する予定があったので時間を取りました。

これまで親鸞関係の展覧会にはかなり行っています。今年もこれで4回目になります。大遠忌の年を過ぎれば当分は開かれないでしょうか

らいい機会です。

 法然の展覧会はこれまでそれほど開かれていなかったように思います。今年の春に京都で開かれていた法然展に行きたかったのですが

、5月の連休には京都がかなり混みそうで断念しました。今回の東京の展覧会は国立博物館であり、かなりいいものが出るようでしたので

楽しみにしていました。

 私が見たかったものの第一は親鸞の『教行信証』の坂東本です。これは東本願寺の所有の国宝です。そのため西本願寺が主催する展

覧会では見ることができません。以前二十代に見たことがあり、その時以来でした。大変な人出でしたが、ここだけは人に押されながらも時

間をかけて見ました。後序の部分が開かれていて、そこに法難のことが書かれていました。それを読んで胸が熱くなりました。この時のこと

を「発掘歎異抄」の2012年1月号に書きます。親鸞の「非僧非俗」の宣言をあらためて受け取ることができたと思います。

 親鸞聖人750回の大遠忌は西本願寺では年明けの1月の法要で終わりますが、私はこの『教行信証』の「非僧非俗」の宣言をあらためて

受け取ることで、これからの歩みを始めたいと思います。来年2012年もよろしくお願いします。

(2011.8.28)高島野十郎展

 7月から8月にかけて久留米の石橋美術館で開かれていた「高島野十郎」の里帰り展に行ってきました。発掘歎異抄の8月号と9月号に分

けて書きました。記事には書いていませんが、この時期、同時に福岡県立美術館でも40点を展示していました。代表的なものは久留米に行

っていましたが、合わせて見ると高島野十郎の作品のほとんどを見ることができました。

 私が見たかった「月」をテーマにした幾つかの作品もじっくりと見ることができました。記事に書いている夜空に月だけを描いた作品は本当に

見事な作品です。面積としては月の部分より、夜空あるいは闇を描いている部分の方がはるかに広く、その濃緑色に何とも言えない深みが

あり、見るほどに引き込まれます。時間があればいくらでも見ていたいという作品でした。別館に蝋燭のシリーズが展示されており、それを見

た後、再び本館に戻って月の絵を見ました。

 福岡県立美術館にこの作品があれば、見る機会があると思うのですが、所蔵先が違うようです。しかしいつかはまた見ることがあるでしょう

。それまでは画集で思い出しながら見たいと思います。

             
(2011.6.11)「日本作文の会」の全国大会

2011年7月30日(土)に東京で、日本作文の会の全国大会があります。

この会での発表を依頼されました。私は以前、日本私学教育研究所の委託研究員をしていました。

その時も東京で発表しました。以来、国語教師としては、この面の研究も続けています。

「月刊国語教育」という雑誌の依頼で昨年書いた原稿が会の方の目に止まり、その内容を発展させた内容を発表する予定です。

題は「聞き継ぎ語り継ぐ国語表現」の予定です。放送班の参与として記事の原稿を書く指導も話す予定です。

今回の東日本大震災の後も、「聞き継ぎ語り継ぐ」ことが行われると思います。

またそこから文学的表現も生まれてくると思います。東京の方や、全国の国語教育の実践家とお会いするのを楽しみにしています。

詳しい日程は日本作文の会のHPに載ると思います。

日本作文の会 http://homepage3.nifty.com/nissaku/index.html#zennkokutaikai




(2011.5.31)中国新聞文化センターでの特別講座(6月7月)のお知らせ

・2011年6月19日(日) 10:00〜11:30 中国新聞連載の小説「親鸞」の解説
  中国新聞文化センター興銀ビル教室 問い合わせTEL082−247−4788
  広島市中区紙屋町2−1−22  広島市の中心部、紙屋町交差点の南西角、広島そごう前

・2011年7月16日(土) 13:00〜14:30 法然と親鸞 -大遠忌を迎えて-
  中国新聞文化センター中国ビル教室 問い合わせTEL082−545−7775
  広島市中区胡町3−19 広島三越の左側

今回、臨時講座として上記の二講座を日時、場所を変えて担当します。中国新聞に案内が載りましたので、
御存知の方も多いと思います。よろしければご参加ください。

定期講座の方も随時入会可です。こちらもよろしくお願いします。

・「歎異抄講座」(毎月第三日曜日13:00〜14:30)
・「国宝の旅」(毎月第四土曜日14:30〜16:00)
中国新聞文化センター興銀ビル教室(問い合わせTEL082−247−4788)

                              
     
(2011.5.5)誕生寺周辺

 東日本大震災から1ヶ月以上がたちました。まだ余震は続いているようです。福島第一原発の終息はまだ時間がかかりそうです。私は例年春

休みには旅行することが多いのですが、今年は福岡での毎月の講演に出かけただけでした。旅行という気分にはならないのが正直なところでした。

 それからさらに時間が経ち、連休はどこかに行こうと思い、京都に行って法然展や親鸞展を見ようかと思ったのですが、高速道路が連休として

は最後の千円高速ということで渋滞予測が出ていたので取りやめ、山陰から岡山にかけて3日ほど出かけていました。取材を兼ねた旅行です。

 現在、中国地方の道の駅に置かれている季刊の情報誌に連載を依頼されており、すでに2回書きました。今後のことも考えての取材です。以

前中国新聞に「こころの回廊」というのを連載しましたが、今回は「中国夢回廊」という名で、「こころの回廊」の新版のつもりで書いています。

 今回の取材では法然展に行けなかった代わりにと思い、法然の生誕地にある岡山の誕生寺を訪ねました。その前には子ども時代の法然が修

行したという菩提寺も訪ねました。誕生寺は今回で三回目の訪問です。いつ行ってもここは好きなところです。菩提寺は初めてでした。岡山の県

北にあります。ここは大銀杏があることで有名です。

 ところが菩提寺を訪れてみると今年の大雪で本堂の右側が崩れていました。雪の重みによる崩壊ということで驚きました。寺の庫裏は大丈夫

のようでしたが、寺としては使えない状態のようでした。後で誕生寺で聞いたのですが、岡山県の浄土宗として何とかしたいと募金を考えている

ということでした。誕生寺でもその呼びかけの張り紙がありました。

 私は近刊の町田宗鳳氏の「法然の涙」という小説を読んでいたので、幼い法然が修行した寺を見たいと思って出かけたのですが、思いもよら

ない寺の崩壊という事態を見てしまいました。法然の時代も冬はかなり厳しかっただろうと思います。

 誕生寺の方はよく整備されたきれいなお寺です。お参りの人はそれほど多いというわけではないのでゆっくりとお参りできます。ここでも東日本

大震災の募金の呼びかけと、また本尊の前には大震災の霊を示す位牌のようなものがありました。しばし念仏しました。 その後に本山寺を訪

れました。ここは法然の両親が子どもを授かるように祈ったという天台宗の寺です。本堂は改修中でしたが、三重塔が立っています。見事な塔で

す。天台宗には三重塔がよくありますが、歴史を感じさせる寺でした。

 誕生寺の周辺では、菩提寺、誕生寺、本山寺が法然ゆかりの寺として有名なようです。菩提寺の修復は時間がかかりそうですが、合わせて回

りたいものです。「こころの回廊」でも誕生寺のことは書きましたが、「中国夢回廊」にもいつか書きたいと思っています。
 
       

(2011.2.27)出雲市にて

 2011年3月号の「発掘歎異抄」に書いていますように、1月に出雲市のお寺に呼んでいただきました。願立寺という浄土真宗本願寺派のお

寺です。中国新聞に書いた記事を読んでいただき、それを脹らました形で話してほしいということで引き受けました。

 中国新聞に書いたのは法然上人の「一枚起請文」についてで、いつか書きたいと思っていたことです。浄土宗の方では親鸞聖人についての

話はほとんどないと思いますが、真宗の方では法然上人の話はよくあります。今でも西本願寺が発行している「季刊せいてん」という真宗の教

義について学習する雑誌には法然上人の『選択本願念仏集』についての解説記事が連載されています。法然上人に限らず、浄土七高僧と言

われる浄土教の祖師方についての研究や解説は真宗ではよく行われます。

 さらに言えば『教行信証』に引用された文献についてはすべて研究や解説の対象と言っていいでしょう。私も大学時代以来から接しています

が、その全てを理解するのは相当の時間を要します。この幅の広さは一つの魅力でもあり、またそれによって迷いを生じかねないのも事実だ

ろうと思います。親鸞聖人は自分の経験を踏まえて、この迷いを生じるものの中から自分が念仏に入ったことを明かされたのでしょう。つまると

ころは今回のタイトルにした「ただ一向に念仏すべし」です。

 この言葉は今回の記事に書いているように出雲市駅の近くの大きなお寺の掲示板に書かれていたのが偶然に目に入り、何ともありがたく思

いました。願立寺に着いてから尋ねたのですが、大念寺という浄土宗の大きなお寺でした。「一枚起請文」の話をする中でこの掲示板の話をさ

せてもらいました。大念寺にはお礼を申したいと思います。

 この「一向」の精神は道元で言えば「只管打坐」の「只管」に当たります。「ただひたすらに」ということです。この分別を捨てた「ただひたすら

に」が「無分別智」を開くのだと思います。今回は一面の雪景色がもたらす無分別の世界と関係づけて書きました。


     

(2011.1.4)立松和平氏のこと

 明けましておめでとうございます。発掘歎異抄135回2011年1月号に立松和平氏のことを書いています。立松和平氏が2010年2月に

急逝されてまもなく1年です。昨年の終わりに立松和平氏と五木寛之氏の対談集『親鸞と道元』が出版されましたので、そのことを今回の

記事に書いています。読んでいるうちにその語りの見事さにとりつかれてしまい、あれほどよく知っている話が初めて聞くように感動的に聞

こえました。

 記事に書いた老典座の話は道元のものを読むと必ず出てくる話です。私が以前取り上げた映画「禅」でもこの場面はありました。内容は

全く同じです。映画ではそれほど感動的な場面ではありませんでした。というのはこの話は道元が修行中のことであってこの言葉で悟った

なら、もうそれで終わりでもいいからです。道元は老典座との問答の時にはこの内容が完全には理解できなかったのでしょう。後から老典

座の言葉の意味がわかったのだろうと思います。それほど大事な問答だろうと思います。親鸞の浄土教は私というものを決して離れませ

ん。そこが本願の目当てであり無我の入り口だからです。また一念を重視します。重ねるという発想を退けます。それはこの老典座が言っ

ていることと同じです。

 立松和平氏の『道元禅師』には『正法眼蔵』の言葉が口語訳されて多く引用されています。『正法眼蔵』の口語訳は難しいと思いますが、

見事に訳されています。先にこちらを読んで原典を読むといいかもしれません。

 今年は親鸞聖人七百五十回大遠忌です。この年に巡りあえたことを感謝し、「一念一生」の念仏の日暮らしを続けたいと思います。




(2010.10.3)藤澤和上

 2010年9月の下旬に真宗学寮の教授で私がお世話になっていた藤澤桂珠和上が亡くなられました。もっとも亡くなられてといっても往

生されたというのが私の思いです。藤澤和上は広島での安芸門徒の教学、いわゆる芸轍を継承された方で、『教行信証』の解説を書い

ておられ、継続中でした。「信巻」までが発行されましたが、未完という形になりました。『教行信証』の解説を刊行された時に中国新聞に

記事が載り、完結に意欲を燃やされていました。八十一歳ということでしたので、年齢的には充分生きたという歳でしょうが、できれば完

結して欲しかったというのが私のみならず、藤澤和上に縁のあった方の思いでしょう。

 藤澤和上と私の接点は幾つかあるのですが、私が中国新聞に「こころの回廊」を連載していた時に、私の書いた記事を和上が大変気

に入られ、和上が真宗学寮の授業でそのことを何回か語られ、誰か私のことを知っている人はいないかと言われたそうです。それを人

づてに聞き、和上のお寺におじゃまし、いろいろとお話を伺わせていただきました。

 また真宗学寮の報恩講に呼んでいただき法話をさせていただきました。それ以後も何度か真宗学寮で先生の法話を聞かせていただ

きました。和上は崇徳学園の理事長をされていたこともあり、堂々とした体格で声も大きく押し出しのきく感じの方でした。広島の真宗学

寮という伝統ある教学の場の責任者をされ、伝統教学を語るだけで充分なはずなのに、私のような少し違った形で浄土教を語る人間に

関心をもたれるのがやや不思議に思いました。しかし、私だけではなく、中国新聞の記者の方も言われていましたが、他の宗教にも理

解があり、あの地位と年齢にしては珍しい人だったそうです。

 先生が私に言われたことの中で印象に残っているのは、自分達のように僧服を着て真宗を説く時代はもう終わりだと思う、私のような

立場の人間が語る時代なのだということです。このありがたいお言葉を胸にこれからも浄土教を語っていきたいと思います。先生のご指

導、ご支援はこれからも続くと思っています。

      

(2010.8.1)豪雨続報

 2010年8月号の「発掘歎異抄」に「梅雨明け」と題して、広島県での豪雨災害と、それに関連して豪雨災害のあった広島県庄原市出

身の倉田百三のことを書きました。全国ニュースではもう報じていないと思いますが、広島ではその後、この豪雨についての続報があり

ます。犠牲者の方が見つかったというのもその一つですが、どうしてこのようなことが起きたのか、人ごとではありません。

 実は昨日の夜、私はある人のサロンコンサートに行きました。ドリンクと軽食がついたもので、会場にいた方で当日の催しに関係する

方が何人か紹介されました。そのお一人が私の席の目の前に座っていた方で、あるテレビ局の三次支局長だとわかりました。三次市は

庄原市の隣の市なので、今回の豪雨災害の報道を担当したはずだと思い、コンサートの終了後にお話をうかがいました。私が原稿に書

いたように、あるテレビ番組を見ていたら突然庄原の豪雨災害の臨時ニュースになったというのは、その支局長のテレビ局の番組だっ

たのです。

 あの日、庄原市に隣接する三次市ではほとんど雨は降らなかったそうです。広島市でもそうでした。ですから私は庄原の豪雨が意外

だったのですが、それは隣接する三次市でも同様だったそうです。災害が起きたらしいという一報が入ってから確認しようとしたそうです

が、庄原の警察や消防に全く電話が通じず、その時に支局長は長年の経験でこれは大事件だと直感したそうです。広島市の局と連絡

をとりながら、三次支局では行けるところまで行ってみるということにして、広島市からは上空から撮影するためにヘリコプターを飛ばす

ことにしたそうです。

 支局長が現場に着いた時には、混乱のためまだ報道規制が始まっておらず、長靴を履いてどろどろの中を取材できるところまで取材

し、車に帰ってきたころに報道規制が始まったそうです。それでその局が最も早く速報できたのだと聞きました。私が自分の見たニュー

ス速報を話したところ、その局のものに間違いなく、生々しい現場を見た人の話を聞くことができました。この方の話から今回の豪雨が

極めて予想が難しいものだったということがよくわかりました。災害後にもそのことが報道されていたのですが、直接話を聞いてよくわか

りました。予報不可能だったようです。

 しかしこれでは対策のとりようがありません。原稿に書いたように私が今住んでいる地域は比較的平野部ですが、父の実家の周囲は

山の多い地域です。しかも大規模な開発が進んだ地域です。ひとまず梅雨は過ぎましたが、次は台風の時期です。広島に限らずご注意

いただきたいと思います。

       
(2010.6.5) 『引き出しの中の家』

 広島出身の児童文学の作家に朽木祥さんという方がおられます。この方の新刊 『引き出しの中の家』(ポプラ社)を読みました。

図書館発行の読書新聞に本の紹介を依頼されたのでこの作品を紹介しました。

 私はこれまで朽木祥さんの作品を何作か読んでいますが、この方は宗教的な感受性の持ち主だと思っていました。今回の作品

は「花明かり」という日本版の花の妖精と人間の少女の交流を二代にわたって描いたものです。

 花を好きな人は多いと思いますが、花を擬人化するときに妖精のような存在が感じられるのでしょう。そしてそれは人間の中の

童心と呼応していると言ってもいいのではないのでしょうか。花を愛する人には童心が宿っているのだと思います。この童心を花の

側で小さい人間として表すと「花明かり」のような存在になるのでしょう。ですから「花明かり」には成長はあるのでしょうが、いわゆ

る「大人」にはならないのでしょう。

 この作品には「花明かり」の少女とおばあさんが登場しますが、おばあさんは大人とは違うような気がします。人間の側も少女と

おばあさんが登場します。「花明かり」は目に見える存在ですが、それに会える人は童心の持ち主なのでしょう。

 「花明かり」はうれしいと内から光を発するのですが、このことに「照于一隅」を思い起こしました。私もこの作品を読んでいて、自

分の心が光るのを感じました。童心が宿ったのでしょう。そして幸せな気持ちになりました。大人の文学ではなかなかこういう感じ

は味わえません。心の引き出しにしまっておきたいような作品です。ご一読をお勧めします。

        

(2010.4.10)青木新門氏の講演

 3月の下旬に青木新門氏が広島に来られて講演がありました。映画「おくりびと」の原作となった『納棺夫日記』の作者です。た

だし講演でも言われていましたが、「おくりびと」では原作の表示はありません。これは映画と原作の内容が異なるので青木氏が

原作名を入れるのを断ったのだそうです。私も映画を見てからその内容が違うのに驚いたのでもっともだと思いました。もちろん

見方によっては原作としてもおかしくはないと思います。

 大きな違いは青木氏の経験された「光」の体験が抜け落ちていることと、その光体験によって親鸞が語る「無礙光」へと目覚め

、親鸞浄土教についての深い理解が原作に書かれていたのに、それが全く入っていないことです。映画制作者の立場では特定

の宗教の宣伝のように思われるのを避けたのでしょうが、これこそ青木氏の語りたかったことですから、青木氏が原作者とされ

るのを断ったのもわかります。

 私は青木氏の原作も、それから青木氏の講演録も読んでいたので、青木氏の講演の要旨はほぼ予想できました。それでも直

接青木氏の講演を聞きたいと思ったのですが、本当に聞いてよかったと思いました。話の要旨は同じでも、あらためて直接聞くこ

とで感動したのです。これは本当の言葉を語った人でなければ起こらないことだと思いました。

 今月の「発掘歎異抄」126回に書いたのですが、3月に公演された「アジャセの物語」で、私が最も聞きたかった台詞が予想通

り話されたにもかかわらず、なぜか感動しなかったのです。役者さんにはその言葉の意味がよくわかっていなかったのだと思い

ます。仏教を題材にしているのですから無理もありません。

 青木氏は違いました。自分の体験をそのまま話されているのですが、これは真実だと思いました。原作で特に感動するのは、

ウジ虫が光って見えたというところですが、これは見事だと思います。映画でこの部分が描けないのは仕方ないでしょうが、原作

では他に腹に卵を抱えたトンボが光って見えたという記述もあります。これなどは映画化できそうです。青木氏の講演はそれ自

体が一つの演劇、あるいは芸術だと思いました。実に見事なもので、これこそ宗教界のアカデミー賞です。ぜひ一度聞かれるこ

とをお勧めします。

      

(2010年2月1日)津本陽『無量の光』

 先日中国新聞の読書面(2010.1.24)に五木寛之著『親鸞』についての書評を書きました。年が明けてまもなく依頼を受け

たのですが、その時に津本陽の親鸞伝も出たばかりだから合わせて書きたいと伝えました。読み比べて比較しながら書いたの

ですが、メインは五木寛之著『親鸞』で、津本作品については少しだけ触れました。二人とも直木賞作家ですから直木賞作家の

親鸞競作ということで話題性があると思ったからです。

 新聞社に送った後、浄土教の用語が一般読者にわかりづらいのでその説明を入れてほしいということになり、それを入れたた

めに津本作品については作品名を出して直木賞作家の親鸞競作ということだけになってしまいました。

 津本作品は書き下ろしということで、五年かけて書かれたもので千枚の大作です。2001年にすでに『弥陀の橋は 親鸞聖人

伝』が書かれていただけにまた書くとは大変なことです。歴史作家だけに史実と原典に忠実に書かれ、「新・御伝鈔」と言ってい

い内容で、また『歎異抄』を多用し、法話の部分にそれが引用され「歎異抄物語」と言っていい内容になっています。真宗のお寺

などでの勉強会でも使えるようなしっかりとした内容です。

 一般の方にはやや堅い感じがして、小説としてのおもしろさでは五木版にはかなわないかもしれませんが、おもしろさは最初

から視点になかったような書き方です。それだけまじめに取り組まれた作品です。原典も多く引用され、『教行信証』も重要部分

が口語訳されて取り込まれています。これが難しいのでとりつきにくい面があるかもしれませんが、お寺で僧侶の方などが解説

されるにはちょうどいいのではないかいう気がします。新たなテキストとしての親鸞伝で、それで「新・御伝鈔」と言えると思いま

した。新聞を読まれた方は私の津本作品への思いがわからなかったと思いますので、補足させていただきます。 連載の「発掘

歎異抄124回」にもこの津本作品を取り上げたのですが、こちらではなぜ津本陽が親鸞伝を二回も書くことになったのかを想像

を交えて書いてみました。当たっているかどうかはわかりませんが、真宗門徒の方なら私の言いたいことがわかっていただける

と思います。終わりのないものが働いていることを感じるとこうなるのだと思います。世の中はオリジナリティーを重視しますが、

新しさの意味が違います。これは念仏をしている方はよくわかると思います。目新しさではなく、しかし常に新しいもので、ここに

行動原理があります。作家ならそれが創作意欲になるのだと思います。私も同じことを書いてきていますが、終わりそうにはあり

ません。本願を語り終えることは決してないでしょう。

                                       
(2010.1.1)謹賀新年

 明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。12月にアクセスが4万件を越えまし

た。このHPは2000年の2月に開設しましたので、年が明けて10年になります。それを前に4万件を

越えたのはありがたいことです。HPを開かなければ、これだけの方に私の書くものを読んでいただく

ことはなかったでしょうから、開いた意味は大きかったと思います。

 更新が多いとは言えない状況ですが、連載記事の「発掘歎異抄」は毎月欠かさず書いています。

この記事はペースメーカーの役割もあります。何よりも折に触れ、また事に付けて、浄土教に縁のある

ことを書きたいという気持ちが強くあり、このような記事になっています。「歎異抄」の名が入っていま

すが、「歎異抄」の解説を離れて浄土教のエッセイのつもりで読んでいただければと思います。

 とはいうものの、2009年秋から中国新聞文化センターで「歎異抄講座」の講師をつとめており、月に一度の講義ですが、

本に書いたことをあらためて考えなおしています。また「国宝を巡る旅」の方の講座も持っており、それを通して、日本の宗教

文化を考えています。国宝指定の寺社は数としては寺の方が多いのですが、神社も特色のある社が入っていて勉強になりま

す。講座を受講していただいた皆様本当にお世話になりました。

 12月に京都で仏教稲門会という早稲田大学出身の仏教関係者の同窓会があり、参加させていただきました。浄土真宗の

方が多くおられます。また他の宗派の方もおられ、ふだん広島にいて、真宗関係の方とお会いすることが多い私ですが、この

ような会に参加させていただくことで見聞を広めることができ、ありがたく思っています。「国宝を巡る旅」でもそうですが、宗派

意識に固まることなく、宗教文化を考えていきたいと思います。宗教間の対話は今後ますます重要で、日本だけでなく、世界

でもこのことは求められていると思います。このHPを開くに当たって宗派を越えた立場を大事にしたいと思いましたが、10周

年を迎えるに当たり、この初心を忘れないようにしたいと思います。

 2010年も、また今後も活動にご支援いただきますようお願いします。皆様とともによい年となることを願っています。

  

(2009.11.2)二上山

 この秋、親鸞聖人旧跡巡りのツアーに講師として参加しました。聖徳太子廟のある叡福寺、当麻寺、知恩院、安養寺、六

角堂、西本願寺などを二日かけて巡りました。当麻寺に参詣するのは久しぶりです。竹内峠を越えて、大阪側から奈良に

入りました。

 当麻寺は以前に参詣した時は、長い参道を歩いたのですが、今回のバスツアーでもバスはこの道に入れないということ

でやはり歩きました。この参道は土産物店などがあるのですが、大変落ち着いていて、ゆっくりと歩きながら、二上山も見

ながら歩くのがいいのだと思います。日没には時間がありましたが、雲があったので、日没直前には夕日が見えないかも

しれないと思い、山に近付いた夕日を拝みながら参詣しました。

 ここは国宝建築の多いところで、本堂、東西の塔などが国宝になっています。しかし何と言ってもここの中心は大麻曼荼

羅です。国宝指定の現物は傷みがひどいとのことで、本堂で拝めるのは後世に作られた複製ですが、図柄もはっきりとし

て、よく見えます。当麻曼荼羅の前では解説のテープが流れていて、だいたいのことはそれを聞くと分かります。

 観想念仏の対象になったと考えられるものですが、この図を長時間見ていれば自ずとその図はまぶたの裏に焼き付きま

す。それで目を閉じたときに見えたように感じればいいのだと思います。好きな人の姿はいつでも見えるような気がするも

のだと私は説明しましたが、実際浄土に憧れた人々の気持ちはそうだったのだと思います。

 この図のイメージが残ったままで外に出て二上山に沈む夕日を見れば、二上山の彼方に浄土があるように感じられるで

しょう。二上山は夕日信仰と結び付いた聖なる山だったのでしょうが、ここに当麻曼荼羅が置かれ、人々を引き付けたのは

よく分かります。源信は当麻の生まれですが、源信の浄土教が観想念仏を重視するのも、二上山に沈む夕日を見て育った

幼い時の体験が関係するのかもしれません。ゆったりとしたいい時間を過ごさせてもらいました。

(お知らせ) 

10月から中国新聞文化センターの講師をしています。第三日曜日の13:00〜14:30「歎異抄講座」、第四土曜日の

14:30〜16:00「国宝の旅」です。中国新聞文化センター興銀ビル教室です。問い合わせ・受付082−247−4788
  

            


(2009.8.17)太宰治生誕100年

 今年は太宰治生誕100年です。太宰治は戦後昭和23年に玉川上水で入水しました。38歳でした。それから60年以上

経ちました。現在太宰治の作品がどれほど読まれているのかよくわかりませんが、ある書店で見たところ、文庫本が幾つも

ありましたから、読者はいるのでしょう。私は中学の授業で何度か『走れメロス』を教えています。これは今でも定番教材な

ので変わらないでしょう。高校の方は『津軽』がよく教科書にありましたが、最近は見かけないようです。私は以前『走れメロ

ス』についてそこに見られる浄土教的要素について話したことがあります。その時に太宰治がもっといい作品を書けた作家

だということを感じました。

 実際昭和19年の『津軽』まではそうです。最後の場面の育ての親というべき「たけ」という女中との再会は感動的です。

事実を基にして創作が入っているのですが、「たけ」の語りの見事さは太宰文学の一つの精華だと思います。これほど人の

まことを描けた人が、それから4年後にどうして入水するのかが問題です。

 今月あるところで太宰治生誕100年記念の講演の依頼を受けたので、そのことについてあらためて考えました。太宰治

の作家活動は結婚までの第一期、終戦までの第二期、戦後の第三期に分けるのが普通です。第一期の代表作が作品

集の『晩年』です。この時期には四回の自殺未遂をしており、『晩年』という作品集も遺書のつもりで書かれています。結婚

後の第二期は明らかに作風が変わり、健康的で人間のまことに期待する作品が多く書かれます。この時期の代表作が『走

れメロス』や『津軽』です。戦後はまた第一期に戻ったように滅びと死を志向する作風になります。その代表作が『斜陽』と『

人間失格』です。私は太宰文学の名作としては、『津軽』と『斜陽』を考えていたのですが、今回読み直してもその印象は変

わりませんでした。結婚後にあれだけ健康的で人のまことを描いた人がどうして戦後に入水したのかという答えは『斜陽』に

あるように思いました。

 『斜陽』は戦後の農地改革による実家の没落と、太宰の戦後の愛人だった女性の日記を基に書かれたということですが、

最も強く印象に残るのは「最後の貴婦人」と言われる「お母さま」の存在です。彼女も敗戦を機に没落する貴族です。この「

お母さま」の死は病死ですが感動的で、これを読むと、この「お母さま」の死によって、美しい日本も死に、太宰もまたここで

死んだのだと思いました。これを書いた後の太宰は生ける屍のようになったと思います。『斜陽』ではせっかく戦場から生還

した息子が母の死とともに生きる意味を失い自殺しますが、この殉死とも言える死は太宰の気持ちを写したものでしょう。こ

れは戦後まもなくの多くの日本人の心を捉えたはずです。戦争に生き残った太宰の気持ちもここにあるのでしょう。敗戦と

いう滅びを、ただみじめなもので終わらせたくなく、美的に昇華させたいという願望の表れでしょう。

 第一期の時期から「滅び」の本家を自認していたはずの太宰にとってこの作品は特別の意味があったように思われます。

『平家物語』以来の日本文学における「滅び」の伝統が見事に描かれていると思います。平家の人々は壇ノ浦で入水します

が、同じように太宰も入水しました。これは敗戦後の多くの日本人の心情を代表している面があると思います。太宰の死は

国民的カタルシスの役目があったのでしょう。もう一つの「壇ノ浦」です。彼は自らを自分の人生という作品の登場人物とし

てそれを演じたのだと思います。

 『津軽』と『斜陽』はいずれも太宰における「母なるもの」の大きさを示していますが、これも多くの日本人に共通するもので

しょう。『平家物語』が読まれる以上『斜陽』も読み続けられると思います。

       

(2009.6.7)融通念仏

 5月の連休に二泊三日で、比叡山、京都、大阪と巡って来ました。そのときのことの一部を「発掘歎異抄」6月号に書いて

います。比叡山は久しぶりでしたが、貴重な経験をさせてもらいました。一日目は比叡山で終わりました。二日目の京都で

は親鸞聖人入滅の地とされていた本願寺角坊別院、その後新たに入滅の地とされた御池中学の石碑、知恩院の横にあ

る本願寺故地、青蓮院、石清水八幡宮、三日目の大阪では、聖徳太子廟のある叡福寺、融通念仏宗の本山である平野

の大念仏寺、神戸では南京町と六甲山からの夜景を見て帰途につきました。貴重な経験を数々しましたので、記事の方に

書いていきます。

 大念仏寺は初めてだったのですが、ここで連休中に「万部おねり」という行事があります。極楽浄土から菩薩方が来迎す

る様を、面と衣装を着けた人々により表すものです。この行列の初めに先駆けがあるのですが、その中で、信徒の講によ

り、鉦をたたきながら「南無阿弥陀仏 融通念仏」と繰り返しながら歩む一隊がありました。後にある菩薩の来迎の華やか

さに比べれば、なんということもないと見えるでしょうが、私は大変感動しました。これが私には本願の展開する人類の歴

史そのものと見え、自分の人生も、この中にあるように感じられたのです。中には相当高齢の方もおられ、腰が曲がった

姿で、鉦をたたきながら行道されていました。私の一生もそうありたいと思いました。

 関西から帰った後、岡山に行き、現在帰国中の佐々井秀嶺師のお話を聞かせてもらいました。新聞で何度も報道されて

いるので御存知の方が多いと思いますが、新見市出身で現在一億五千万人いると言われるインド仏教徒の指導者です。

おそらく世界中の仏教指導者で最も多くの信者をもっていると言われる人です。詳しい経緯は山際素男・著『破天』に描か

れています。その中のハイライトというべきなのが、インドで佐々井師が受けたお告げで、龍樹と名乗る老人から南天竜宮

城に行けと言われたことです。このお告げが佐々井師の一生を変えたそうです。親鸞が聖徳太子から受けたお告げのこと

を思わせるものがありました。目の前で直接ご本人から聞くと迫力があり、作り話とは思えませんでした。その後の行動の

エネルギーと、驚異的な信者の増え方は、こうして宗教は始まるのだということをよく教えてくれると思います。しかし実にき

さくな方で偉ぶったところはありません。その後、新聞によれば、6月11日には広島でも真宗関係者の主催により、講演会

があるそうです。おそらくこれが最初で最後の帰国になるだろうとのことでした。

(お知らせ)

 『歎異抄を歩む』(みずのわ出版)が今月刊行されます。6月12日の予定です。書店への配本は次の週になると思います

。旧版の『歎異抄を読む』を大幅に増補(100頁以上)しました。旧版を読んでいただいた方でも読んでいただければと思

います。6月以降の講演会の予定は幾つかあるのですが、大きなものとしては6月30日午後、広島別院での真宗崇徳教

社主催のものがあります。「歎異抄を読む」と題して、新刊の中から重要な部分である「悪人正機」について話させていた

だきます。すでに原稿は用意しました。これまでも何度か別院で話しをさせてもらいましたが、ここで話すと、あらためて広

島から世界に念仏の声を伝えたいという気持ちになります。自分にとってここは特別な意味があると思っています。平日の

昼間ですが、時間の許す方はおいでいただけれはと思います。中国新聞後援なので、そのうち、新聞に案内が載ると思い

ます。また7月19日には福山で、中国新聞備後本社の主催で「小説親鸞を読み解く」という講演をします。これは五木寛之

氏の新聞連載小説『親鸞』について、3月に広島の中国新聞本社でした講演に、その後の展開を加えて話すものです。こ

れについては今朝(6/7)の中国新聞に案内が載っていましたので、ご覧になった方もあると思います。福山地方の方、

よろしくお願いします。

追記 『歎異抄を歩む』(みずのわ出版)が6月11日に発行されました。広島での書店への配本も終えました。

このHPからも注文できます。

          

(2009.4.11)「国宝の旅 功山寺」

 3月の下旬に中国新聞の依頼で、中国新聞から発行されている「リクリエ」という雑誌の4月号に「こころの旅 中国地方

の国宝を訪ねて」という記事を掲載しました。記事の依頼を受けたのが、2月の初めで、月末が締め切りという条件でした

。ほとんどが行ったことのあるところで、あらためて行かなくても記事が書けるところが多かったのですが、できればもう一

度行ってから書きたいと思い、広島と山口の国宝建造物はすべて回りました。広島は日帰りで二回行きましたが、山口は

ちょうど徳山に一泊で行く用事があったので、次の日に下関から山口市にかけて回りました。

 下関に行くのはもう何度目かですが、記事を書くのがわかっていると見方も変わります。下関では住吉神社と功山寺を

回りました。功山寺は以前に行った時は秋で、山門が紅葉していました。今回は2月ですからそれは無理ですが、梅が咲

いてなかなか趣がありました。功山寺の仏殿は、広島の不動院の金堂と形式は同じです。私は毎日通勤で不動院の前を

通っているので、不動院の屋根が見えます。不動院はかなり大きなものでどっしりとした感じがあります。不動院は今は真

言宗ですが、もとは山口にあった禅宗寺院を移築したので禅宗様式(唐様)です。功山寺は今も曹洞宗で、禅宗の寺です

。不動院を縮小したような感じですが、これはこれで味があります。記事には雲水の軽やかな心が宿っているようだと書

いたのですが、分量の関係でカットされています。他の記事もカットされたものが多くありますので、あらためてどこかに書

きたいと思います。

 功山寺の二重の屋根の反り返りがどこか羽を広げた鳥のように見えてはばたこうとしているように見えました。不動院で

はどっしりとした不動心を、功山寺では軽やかな雲水の心と、同じ形式からずいぶんと違う感じを受けるものです。これが

大きさの違いによるものだけなのかどうか、私にははっきりとわかりませんでした。いずれも禅の心だと思います。ふだん

真宗の寺にばかり行っているのでいい経験をさせてもらいました。

     

(2009.2.1)出家と在家

 この1月に「禅 ZEN」という映画が公開されていて見に行きました。道元の生涯をほぼ追ったもので、道元に関心の

ある方は見られた方がいいと思います。いずれDVDにもなると思います。原作は大谷哲夫の『永平の風』です。駒澤大

学総長という曹洞宗の重鎮の書物ですから、権威があります。

 この原作にないもので映画では大事な役所が、内田有紀が演じている「おりん」という女性です。彼女は比叡山時代に

道元に助けられた少女で、長じてからは遊女となり、宋から帰国した道元を知ります。彼女は幼子を亡くしたことをきっか

けに道元に帰依します。道元が比叡山の圧迫を逃れて越前に永平寺を開くと、彼女も越前に行きます。そこで道元に出

家を願い出るのですが、道元は許しません。彼女は地元に住んで農作業をしながら、生きていくのですが、ここで田植え

の場面が出てきます。私はこの場面が非常に気に入りました。私には僧が座禅をし、農民が田植えをするのが、ともに

仏道に見えたのです。蓮は汚泥に咲き、稲は泥田に実る。それがそのまま仏教です。「煩悩即菩提」、「不断煩悩得涅

槃」というあり方で、私はこの「おりん」がそれを象徴する存在として描かれるのだと思いました。

 ところが、おりんはやはり出家するのです。もともとそれが彼女の望みなのですが、ある若い僧が、彼女を好きになり、

それがもとで寺を出るという事件が起こります。遊女としての彼女の生活を支えたのはその美貌ですが、それが若い僧

の修行の妨げとなるのです。道元は死の間際におりんの出家を弟子の懐奨に依頼し、おりんは髪を下ろします。彼女も

出家となります。

 私はこの点は少し期待はずれで、彼女を通して、出家と在家の関係が調和的に描かれるのかと思っていましたので、

残念でした。私が真宗的な在家の立場で彼女を見たからでしょう。この映画を通して、あらためて出家と在家の関係につ

いて考えさせられました。両者を包含するものとしては、在家仏教協会の創設者で理事長だった加藤辨三郎の言う「仏

家」があります。道元の言う「仏の家」から採られた言葉ですが、いい言葉だと思います。私もその立場でありたいと思い

ます。

 この映画をもとに「道元と親鸞」について、2月に予定されているある講演で話す予定です。

        

(2009.1.1)明けましておめでとうございます。

 いよいよ2009年を迎えることになりました。この稿は大晦日に書いていますが、2008年は大変な一年でした。経済面

でこれほど大きな変化があった年は珍しいでしょう。アメリカのサブプライム・ローンの問題から始まった経済の変調は、ア

メリカ、日本も含め世界中に広がっています。百年に一度の事態と言われていますが、二十世紀にもあった世界恐慌の始

まりなのでしょうか。

 私は二十世紀末にアメリカがソ連や共産圏との競争に勝って、自分達のやり方が正しいのだと思ったところから、すべて

狂い始めたのだと思っています。強い方が勝ったのであって正しい方が勝ったわけではありません。この世界で、しかも経

済という分野で勝っただけのことです。これから市場経済のあり方についての反省をもとに新たな経済のあり方を模索して

いくのでしょうが、何か歴史は繰り返しているだけのような気がします。仏教で言えば輪廻です。

 輪廻の世界の特徴は浮き沈みを繰り返すことです。それで落ちたときには反省するのですが、天に昇ると、有頂天になり

、やがて没落していきます。これに気付くと輪廻を越えた世界を求める気になります。それが彼岸の世界です。浄土はそれ

を一つの世界として描きだしたものです。無限の光と永遠の命の世界です。浄土教は人の心に灯をともし、永遠の命を与

えるものです。

 現代のような変化の激しい時代に生きている人は、「無常」ということがいやというほどわかるのではないでしょうか。春

先には過去最高の利益だと言った企業が、半年後には赤字に転落するという時代です。人の命も肉体的には同じで、い

つ失われるかわかりません。浄土教を知った人は、その不安を乗り越えることができます。そもそもこの世界が無常の世

界であり、浮き沈みの激しい世界だというのが、浄土教の前提です。この世界に自分の生の基盤はないのです。その不

安を通して真の安心を得るのです。

 私は自分が浄土教に巡り逢えたことをうれしく思います。この世としては大変な一年の始まりかもしれませんが、常に永

遠を見据えて今年も語っていきたいと思います。今年もよろしくお願い致します。

       



(2008.11.6)「かざり」

 昨日広島県立美術館で開かれていた「かざり」という展覧会を見てきました。東京でも開かれたということなので、見られた

方も多いと思います。東京ではサントリー美術館が会場だったそうです。その関係か広島の展示もサントリー美術館の所蔵

品が多くありました。私は昨年サントリー美術館に行ったのですが、そのときには見ていない作品が多くあり、サントリー美術

館の所蔵品が非常に優れたものだということがよくわかりました。会場に来た人からも、サントリー美術館はいいものをもって

いるなあという声が聞こえ、私もまったくその通りだと思いました。

 昨年サントリー美術館を訪れたときには、青いガラスの器が印象的で、今もその色が目に焼き付いています。今回も生活

用品の中にいい展示があり、陶器にいいものがありました。「かざり」という題の展示なので、装飾的な作品が多いのですが

、必ずしもそうではなく、むしろ装飾を抑えた作品もあり、それがかえって目立つのです。その一つが鍋島焼きの大皿で、白

地に松の文様が藍色で描かれたもので、白地の部分と藍の松の比率がよく、白の良さと、藍のよさがともに引き立っていまし

た。

 「かざり」がテーマなのは、日本美術でしばしば「わび、さび」といった非装飾的な理念が重視されるのに対し、もう一つの流

れとして装飾的なものもあるのだということを示そうということのようです。私流に言うと、「素(す)」の美と「文(あや)」の美で

す。これは世界の根源にある問題で、仏教でも「素(す)」を中心にすると「空」になり、「文(あや)」を中心にすると浄土や仏・

菩薩となります。仏壇の荘厳はその典型でしょう。この両者を見る目をもつことは大事なことだと思います。

 この鍋島の皿は、素と文の両者がよく出ていて、藍も濃淡があり、いい表情をしていました。どうも私はこのような白と青の

組み合わせが好きなようです。

 もう一つ、伊万里焼きで青磁の角皿で、下に小さく一羽の白鷺が描かれた皿がありました。この青磁が緑がかった青磁で、

モネの睡蓮の池を思わせるような色で、いい色でした。そこに白鷺が立つのですが、この配色も位置もいいものでした。私は

このような素と文の配合に魅力を感じるようです。

 サントリー美術館は東京ミッドタウンにあるので、行きやすい場所です。またいつか訪れようと思っています。

        


(2008.8.30)「クライマーズ・ハイ」

 夏休み中のことですが、映画「クライマーズ・ハイ」を見ました。8月に、映画の舞台と同じ群馬県に行くことになっていたの

で、そのこともあり見に行きました。原作者の横山秀夫の作品は「半落ち」と「出口のない海」を見ています。また横山秀夫が

この作品の舞台になっている前橋市で新聞記者をしていたことも知っていました。この作品は彼が新聞記者時代の経験を基

にして書かれたということです。日航機墜落事故の報道を巡る地方紙の新聞記者の動きを中心にしていてこの部分は見応

えがありました。あの事件を知ったときの驚きが今も蘇ります。

 ただ作品名の「クライマーズ・ハイ」ということが一応作品の中では説明されていましたが、いまいちよくわからず、登山経験

の豊富な先生にそのことを尋ねました。そうするとその先生のお母さんもこの映画を見たそうで、彼もこの題名が気になった

そうです。意外にも彼も初めて「クライマーズ・ハイ」を聞いたということでした。私はてっきり登山の世界では当たり前のよう

に使われている言葉だと思っていました。それからネット上で検索して調べたのですが、確かにこの作品関係のサイトには

出ていますが、それ以外にはほとんどありませんでした。

 私がこの言葉から受けた印象は比叡山の千日回峰行をした人の言うような、ある特殊な意識状態のことではないかという

ものでした。というのは今年5月の京都の光華女子大で講演したときのこと、講演の後に質問の時間があり、ある方が千日

回峰行をした人の講演を聞いた時に、その人も他力ということを言っておられて、そういう方の言われる他力と私が講演で言

った浄土教の他力はどう違うのかというものでした。私は千日回峰行をした人の講演を聞いたことはないので、詳しいことは

わかりませんが、そういう言い方をされることは大いに理解できるということを言いました。千日回峰行をして他力に行き着く

人もいれば、それに挫折して他力に行き着く人もいると思います。

 ある真宗の僧侶の方が言われていましたが、禅僧の方から聞いた話として、禅でも本音では他力だと思っている人が本物

なのだそうです。親鸞の言っていることが本当だと思っている人は多いようです。他力体験をした人がそれを見性と言ってい

るのだそうで、他力があって禅も成り立っているそうです。宗派的なこともあり、そういう言い方をしないだけのようです。本当

に経験する人が少ないようであまり一般的に言われないようです。私も似たようなことを聞いたことがあり、多くの世界でそう

いう特殊な意識状態の経験はあるようです。肉体の意識とか、人間的意識の壁が崩れるところがあるのだと思います。登山

をしている人がそれを体験しているのならおもしろいことです。念仏三昧もこの「ハイ」の一つなのでしょう。

        

(2008.7.23)屋久島

 先月、修学旅行の引率で屋久島と種子島に行ってきました。

豪華客船「ふじ丸」で行く旅です。このように長時間船に

乗るのは久しぶりで、酔うのではないかと心配し、酔い止めを

服用しましたが、幸い、行きも帰りも船はほとんど揺れず

、快適な船旅を味わいました。

 研修のメインは何と言っても屋久島です。多くのコースに分

かれて研修するのですが、私はヤクスギランドを中心にし

たコースに入れてもらいました。これがかなりの標高のところ

(写真=ヤクスギランドの「切り株更新」)        にあり、港を出るときには晴れていたのですが、中腹から

一面の霧、あるいは雲の中になり、ほとんど視界の効かない中をバスで走りました。それを抜けるとまた晴れます。

 ヤクスギランドに1時間ほどいて、ガイドさんに案内してもらいながら散策しました。とにかくあたり一面屋久杉です。お

もしろいのは多くの切り株や、切り倒した杉がそのままになっていることです。ここは江戸時代に杉を伐採した跡だそう

です。普通は腐るはずの倒木がここでは腐らないのです。1ヶ月に35日雨が降ると言われるのに腐らないのは不思議

です。

 その謎は麓にある屋久杉自然館の展示を見ると解けます。そこに切り株が展示されていますが、とにかく年輪が緻密

です。屋久島は岩の山で栄養分が少ないため、年輪が緻密で、油脂分が多い木なのだそうです。それで腐らないの

だと教えてもらいました。

 この年輪を見ていると気が遠くなるような気がします。千年以上も前から歴史を見てきた木なのです。彼らには人類

の歴史がどう映っているのでしょう。またこれからもその歴史を見続けるはずです。まさか彼らの方が人類より、長く生

存するということはないでしょうが、環境破壊を続ければありうることかもしれません。こういう木の姿を見て、人間の思

い上がりを戒めたいものです。

 とにかく空気がきれいで、最高の森林浴でした。またいつかこの木々と再会したいものです。

           

(2008.6.3)ルオー

 ひろしま美術館で今「マティスとルオー」という展覧会が開かれています。ひろしま美術館にはもともと二人の絵が所

蔵されていますが、今回はさらに多くの絵を見ることができるので楽しみにしていました。特に私はルオーの宗教画が

好きです。今回の展示ではその中でも「秋の終わり」という作品に特に惹かれました。一通り見終わってからこの絵の

前に戻り、しばらく見つめていました。画面全体が発光している感じがします。大げさに言えば後光がさしている感じです。

 画面の中心にいる三人の人物らしきもののうち、おそらく左の片手を上げて指し示している人がイエスなのでしょう。

それも判然とはしません。その人が道を指し示し、右の二人がそれにうなずいているように見えます。その背後には塔

のようなものがあり、その上に夕日らしきものがかかっています。どこか遠い国のようでもあり、またどこにでもありそう

な懐かしい風景のように見えます。

 ルオーは多くの宗教画を描きましたが、エルサレムに行ったことはなく、全て想像で描いたそうです。そのためかその

風景はルオー自身の中から生まれた心の風景なのだと思います。画面はかなり厚塗りがされていて、何かを写したの

ではなく、ここに一つの大地が生まれているように思われます。彼自身が一人の創造者であり、それは彼の愛したイエ

スとともになされた創造の営みなのでしょう。彼の中にはイエスが住んでいたのでしょう。

 おそらく本当の信仰者はみなこうなるのだと思います。阿弥陀仏を信じる者なら心の中に阿弥陀仏が住むのです。そ

れが信心です。そしてそれ自体が語り動き始めるのです。そこに何の不思議もなくただ当たり前にそうなります。「自然

(じねん)」の世界なのです。ルオーはステンドグラスの徒弟から画家になったそうですが、彼の絵をステンドグラスにし

て教会に置くと何の違和感もないでしょう。会場にもその例が一つ展示してありました。広島以外にも巡回するそうです

からご覧になられるといいと思います。

           

(2008年5月3日)本願寺展

 広島で今「本願寺展」が開催されています。私は4月27日に行きました。この日は龍谷大学の岡村喜史先生の講演会

があり、私は1時に行ったのですが、1時半からの講演会が会場が満杯で入れず、さらにロビーに溢れた客のためにモ

ニターが設置されていたのですが、その前にも行けず、結局ロビーを見下ろす階段から立ち見で講演の音声を聞きまし

た。さすがに1時間半立ったままで講演を聞くのは疲れました。しかし貴重な体験でした。

 会場では入ってすぐのところに親鸞と恵信尼の像があったのですが、以前私が新聞に書いたように見合わせるような

形で配置してあり、二人が語り合っているようでした。その前に「恵信尼書状」が活字とともに置かれており、それをたよ

りに読みました。親鸞が比叡山を下りて法然に帰す経緯が生々しく書かれており、あらためて感動しました。親鸞の肉声

が聞こえる「親鸞ライブ」として「歎異抄」と重なるものがあります。

 常設展も見たのですが、そこに靉光の天を仰ぐ自画像と、「コミサ」という俯いて祈るような女性像があります。靉光は

広島出身の画家で二十世紀前半を生きました。彼の青春と親鸞と恵信尼の青春が重なって見えました。天を仰ぐ自画像

と、「コミサ」という俯いて祈るような女性像が、出会う前の親鸞と恵信尼の姿に重なって見えたのです。「恵信尼書状」

の発見も、「歎異抄」が青年に読まれ始めたのも、靉光が苦悩の青春を描いたのも、同じく二十世紀前半のことです。「

無量寿」に照らし出されて、二十世紀の青春と永遠の青春がここに出会っているかのようでした。

(お知らせ)5月24日(土)に広島市中区舟入本町の永光寺(TEL 082−232−0077)で13:30から一時間半ほど

講演をする予定です。「本願寺展」から読み取るものについてお話しする予定です。

また6月1日(日)には広島市西区の西区民文化センターで「葬送の自由を進める会」のお招きで13:30から一時間ほど

「日本人の死生観 浄土教を中心として」という題で講演します。

        

(2008.4.20本土最南端

 春休みに南九州に行って来ました。人吉で隠れ念仏関係の地を訪ね、その日の午後には鹿児島に着きました。昨年も

鹿児島に行ったのですが、今年はNHK大河ドラマで「篤姫」を放送しており、そのこともあって鹿児島に行きました。

 鹿児島市に「維新ふるさと館」という明治維新で活躍した人々の博物館があります。展示とともに映像とロボットを組み

合わせたショーがあり、なかなか見応えがありました。

 翌日は桜島に渡り、展望所から火山を眺めた後、佐多岬に行きました。本土最南端の地です。海中を見せてくれる半

潜水式の遊覧船があり、それで岬の海中を遊覧しました。ウミガメが泳ぎ、珊瑚礁が広がり、確かに南国に来たという感

じがします。岬には駐車場から歩いて行くのですが、植生が明らかに変わり、亜熱帯の趣です。途中に海岸が見られる

場所がありますが、断崖絶壁で恐いくらいです。展望台のさらに先に灯台がありますが、そこには行くことができません。

それでも最南端に来たという感慨があります。屋久島と種子島が見えました。思ったより近くに見えます。今年は私は修

学旅行でそこに行く予定です。この旅のことは「発掘歎異抄103回」に書いていますので、ご覧下さい。

(お知らせ)

5月17日(土)13:30分から京都光華女子大で「発掘・歎異抄」と題して講演をします。15:00までの予定です。真宗文

化研究所の主催で一般参加できますので、京都の方、また関西の方でご都合のよろしい方はご参加下さい。問い合わ

せはTEL075−325−5383です。

 今回私を招いてくださったのは、同研究所の主任教授の可藤豊文先生です。この4月に先生の新刊が2作刊行されま

した。1冊が『悟りへの道』(法蔵館)です。この本の副題が「私家版・教行信証」です。

 私は本をいただいたとき先生なりに親鸞の「教行信証」についての解釈を述べられたものかと思ったのですが、そうで

はありませんでした。何とご自身の宗教観を「教行信証」の形を借りて述べられたものです。真宗に縁のある者なら、一

度はこういう発想で自分の宗教観を書いてみたいと思うかもしれませんが、そうは思っても多くの人がしりごみするので

はないでしょうか。それで結局は親鸞の「教行信証」をただなぞるような結果になるのでしょう。ちょうど私も広島でする予

定の講演の資料で「教行信証」について書くところでしたので興味深く読ませていただきました。そして先生が親鸞浄土

教に頼ることなくご自身の宗教観をこういう方で語られているのに驚かされたわけです。

 ここには世界のあらゆる宗教が網羅されており、それらがみな「悟りへの道」であることが説かれています。親鸞の「教

行信証」の「化身土巻」に「外教釈」があり、他の宗教のことが述べられています。私は現代的視点に立つと他の宗教

までも取り込んだ浄土教観があってもいいと思っています。それで私は「本願」の中に他の宗教も取り込んで語っています。

可藤先生にとっても宗教の壁はなく、ただ真実を語るという姿勢で書かれています。禅や神秘主義思想(オカルトでは

ありません)に関心ある方なら書かれていることがよくわかるはずです。ご一読をお勧めします。

 もう1冊は『女子大生 宗教教育の現場から』(自照社出版)です。これは『悟りへの道』の内容を女子大での授業で展

開されたものに対する学生のレポートをまとめられたものです。先生の授業を聞いた学生が自分なりに真実への道を歩

もうとしていることに心動かされます。これは教職にある者だけではなく、若い世代にある人々が、同世代の人がこういう

ことを考えているのだと知るきっかけにしてほしい本です。若い時代こそ人生の大問題を考える時期です。それを先送り

にするとあっという間に老年になってしまいます。これもご一読を勧めます。 

          

(2008.3.2)「美女と野獣」広島公演

 2月の中旬から劇団四季の「美女と野獣」広島公演が始まりました。私も見てきました。この作品はディズニーのアニメ版

をミュージカルにしたもので、こちらを見た人は多いと思います。しかしアニメ版を見た人はこれを人間が演じることができ

るのだろうかと思うはずです。野獣は顔は野獣でも人間の姿をしているので、これは扮装の問題だろうと予想がつくので

すが、問題は王子が野獣に変えられた時に、一緒に変身させられた召使い達です。これがありとあらゆるものに変えら

れています。燭台、時計、ティーポット、カップ、タンス、などです。アニメならどんな形でも顔さえ付け、しゃべらせれば人

間らしくなりますから可能ですが、舞台ではそうはいかないはずです。それを何とか解決しています。役者さんはかなり無

理な姿勢や重そうな扮装をしているので、あれで歌って踊っては大変だと思います。彼らは魔法が解けて何とか早く人

間に戻りたいと、王子と美女の恋が成就するのを待ち望みます。彼らをやきもきさせながらそこに向かって話しは進んで

いきます。同じディズニーのアニメ、「リトルマーメイド」は恋が成就すると人魚が人間になれる話ですから、似ている面が

あります。

 この「美女と野獣」はアニメを見たときはそれほど思わなかったのですが、ミュージカルを見ると、浄土教との接点を多く

感じました。一つは時間が経つ毎に散っていくバラの花です。これが人生の短さをよく表しています。それが散るまで愛に

目覚めなければ本来の姿を取り戻せないというのは、この世界で死までの時間を限られて、真実の愛に目覚めたら浄土

に還り、自分本来の姿を取り戻すことができ、目覚めなければ六道輪廻にさ迷い様々な姿、場合によっては畜生などに

姿を変えられるという浄土教のあり方と共通するものがあります。ここにまたガストンという自力万能的人間が対極に組

み合わされています。私達は魔法をかけられて今人間という姿をとっているのであり、本当は無碍光そのものです。この

魔法を解くことを語るのが浄土教です。念仏はその魔法を解く鍵であり、決して呪文ではありません。道具に変えられた

召使いの姿に私たちの姿を感じました。

 もう一つは愛に目覚め魔法が解けた王子の変身の場面です。私はこれにイエスキリストの復活を感じました。罪人とし

て十字架に捨てられたイエスが愛の化身として復活する姿を感じました。アメリカで作った時にはそれがある程度意識

されたか、あるいは西洋人が変身を考えるときには無意識にそれが入るのではないでしょうか。実に感動的な変身でし

た。あらためて劇団四季は愛の伝道者なのだと思いました。

 このことの記事を「発掘歎異抄」102回に書きました。舞台ともどもご覧下さい。

                             

(2008.2.11)『発掘歎異抄』発刊

 昨年末に予告していました 『発掘歎異抄』が発刊されました。月刊誌とこのサイトに連載したものをまとめたものです。

1999年に『歎異抄を読む』を発行してまもなく連載を始めましたから、9年間かかったことになります。私が浄土教を

意識するようになったのは小学校2年生のころのことで、そのいきさつはこれまでに述べています。それから言えば

すでに40年以上過ぎたことになります。自分が親しくしてもらった方々もずいぶんとこの世を去られました。

私も人生の半ばどころかかなりそれを過ぎたようです。大学生のころから、いつかは『歎異抄』について書くだろうと

思っていましたが、解説書とエッセイという組み合わせができました。このエッセイの方はまだ連載を続けるつもりです。

解説書の方はおかげさまで好評をいただき、在庫がほとんどなくなりました。いずれ全面的に改稿して新版を出すつもりです。

この『発掘歎異抄』の姉妹編というべき『こころの回廊』もおかげさまで好評で、私の手持ちの在庫が数十部となりました。

半年でここまで売れたのは皆様のおかげです。エッセイという形で浄土教の精神を語るという試みは大事なことなのだと

思います。今後ともご支援のほどよろしお願いします。

2月3日の東広島市での講演はおかげさまで盛況でした。講演後は急遽サイン会となり、あれほど短時間で多くのサインを

したのは初めてです。熱心に聴講して下さった方々に厚くお礼申し上げます。講演要旨を浄土部門のページに載せました。

それから朽木祥さんの新作『彼岸花はきつねのかんざし』(学研)が1月に発行されました。広島の被爆をテーマにした

作品で、私も東広島の講演で紹介させてもらいました。中国新聞にも書評が載りました。ぜひご覧下さい。

 また2月3日の講演からその紹介部分を下に引用しますので、ご覧下さい。

次は3月8日に東京の日本私学教育研究所で「心を育てる国語教育」について研究発表をしますので、その準備です。すでに

原稿は書いていますが、今月末の提出までにいいものにしたいと思います。『心の国語 中学編・高校編』に書いたことを基に

話す予定です。『心の国語 高校編』を昨年秋に出しましたが、これを読んで賛同してくださる方があり、萩市に中高編を合わせて

100冊寄贈してくださいました。心の教育に役立ててほしいとのことでした。明治維新胎動の地である萩から教育維新が始まれば

こんなうれしいことはありません。3月8日の発表に向けて心強い応援をいただきました。本当にありがとうございました。


朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』(学研)紹介(2008.2.3 元浄寺講演「二河白道を生きる」より

 最後に取り上げるのは、今年一月に発行されたばかりの児童文学の新作、朽木祥・著『彼岸花はきつねのかんざし』(学習研究社)である。この作品は先に取り上げた平山郁夫の世界と重なるものがある。それは作者が被爆二世で、広島での被爆を扱った作品だからである。

 物語は広島市の近郊に住む一家と、その家の裏の竹藪と鎮守の杜に住む狐一族の、祖母、母、孫娘の三代にわたる交流を描く。化かしたり、化かされたりしながら、一家と一族が同じ自然の懐に抱かれて生きている。人間一家の主人公となるのは小学四年生の孫娘の「也子(かのこ)」。狐一族の主人公が孫の子狐。子狐はまだそれほど人を化かすのに慣れておらず、白いしっぽが美しい。子狐の母は街に出て行ったまま帰って来ないという。也子の父も戦争に行ったまま帰って来ない。この二人(一人と一匹)の交流が中心となる。

 二人はともに花が大好きで、出会いの場面は春の一面の蓮華畑から始まる。夏になり戦争がますます激しくなり空襲警報が絶え間なく出された八月の初めのある日、二人の話題は季節にはまだ早い彼岸花の話になる。花を持ってきてあげると言う子狐に、也子が彼岸花がほしいと言うのだ。それもできれば白い彼岸花がいいと。子狐は白い彼岸花は街の近くにしかないと言う。

 そして八月六日。也子は学校の校庭で被爆する。プラタナスの木陰にいて助かったものの、それ以来寝たきりとなる。その病床で也子は子狐と会う夢を何度も見る。子狐と鬼ごっこをしたり、狐の嫁入りや、子狐と約束した彼岸花の夢である。一家は竹藪と鎮守の杜のお陰で助かったが、お手伝いの「ねえやん」は街に友達を捜しに行き、街で「毒を拾って」原爆症となり秋を前に亡くなる。

 そして秋になり、やっと起きられるようになった也子に、祖母がこのあいだ、お彼岸のころ、裏の竹藪の地蔵石に妙な花束が供えてあったのを見たという。「白い彼岸花」である。それを聞くか聞かぬかの内に也子は家を飛び出す。駆けつけた地蔵石には確かにすでに干からびた白い彼岸花が供えてあった。しかしそこに子狐の姿は見えなかった。いったい子狐はどこに行ったのだろう。

 子狐は急に姿の見えなくなった也子を心配しながら、約束の白い彼岸花を見付けるために、何も知らずにまだ毒の残っている街に出かけて行ったのだろう。也子が夢に見た、一面の赤い彼岸花の畑の中に、一点のように咲く白い彼岸花。それを持ち帰って也子の無事を祈って地蔵に供えられた白い彼岸花。しかし素足で被爆後の街に入った子狐にピカの土の毒はきつかったに違いない。白い彼岸花は二人の信と友情の印だった。それは子狐の命とひき替えだったのだろうか。実は地蔵に供えられていたのは子狐の命だったのだろうか。すでに子狐は、街に出て行ったまま帰らなかったという母の国に旅立ったのかもしれない。その胸に白い彼岸花を抱いたまま。

 私は自分がよく見てきた、川土手の道沿いに一面に群れ咲く彼岸花を思い出した。あれも二河白道に見える。秋のお彼岸に墓参りに行くときに見る光景だ。山の懐に抱かれて「南無阿弥陀仏」と刻まれた我が家の母方の墓の回りにもなぜか彼岸花が咲く。いつか誰かが植えたのだろうか。そこには被爆死した私の伯母と伯父が入っている。真っ赤な彼岸花の列は確かに彼岸へと続いている。そこに白い彼岸花があれば、それは二河白道の信心の色だろう。私は白い彼岸花を見たことはないが、薄紅色、ピンクがかった彼岸花を見たことがある。これは遠目には白に見える。

 この物語を読んで私の目には、焼け跡に咲いた真っ赤な彼岸花の中を、やっと見付けた白い彼岸花を大事にくわえて、白いしっぽを揺らしながら帰って来る子狐の姿が焼き付いた。信じ合う朋のために、朋と会うために。その白い道は彼岸へと続いている。子狐がその後どうなったかに関係なく。子狐と「かのこ」はいずれ「かの岸」で会うに違いない。この岸で会ったとしてもそれはすでに「かの岸」である。二人が信じ合っているからだ。

 それはまた広島に生き、二河白道を生きる私達念仏者の姿ではないのか。親や朋との再会を喜び合う「倶会一処」の浄土だけが約束の地ではない。広島に生きる私達にとっては、ここ広島もまた約束の地である。被爆二世の作者にもその思いがあるのではないだろうか。今回この作品を読んで、あらためて私はそのことを思った。

 また作者は前作『たそかれ』(福音館書店)でも鎌倉を舞台に戦災をテーマにした作品を描いている。舞台は鎌倉、心は広島という作品である。その主人公は河童の「不知」。浄土教で重んじる「一文不知」の「不知」である。浄土教で「一文不知」の精神が大事なのは、その「不知」が、ただ文字を知らず知識がないということだけではなく、知識や分別を積み重ねることによっては決して得ることのできない「信」を表し、「信心の智慧」に通じるからだ。こうして「不知」は「信」を介して真の智慧、無分別智と同じになる。二河白道は決して知識や分別知では渡ることはできない。知的に分析すればするほどその道は狭く危険になる。転落必至である。信や無分別智が生じない限り。人にとって知はしばしば躓きの石となる。信や無分別智が生じて初めて知識も分別知も活きてくる。

 この『たそかれ』の「不知」も人間の友人の言葉を信じて六十年間待ち続ける。それによって人間の友人「司」も河童の「不知」も救われる。この物語は戦災に遭った学校とプールを舞台にしており、ここにも火と水が出てくる。そこから「信」が浮かび上がってくる。これも二河白道に通じるものがある。二河白道は戦乱の時代を生きた人間の姿を一つの原型としているとも考えられるので、戦災を扱った作品では共通点が生まれやすいのだろう。『彼岸花はきつねのかんざし』とともに合わせてご一読をお勧めする作品である。



(2007.12.29)「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

 いつの間にか2007年も終わりに近付きました。記事の更新が滞りましたが、今年の最後の記事となりました。発掘歎異抄

の記事を99回と100回を合わせて載せました。これは内容が連続しているからです。読んでいただければわかるように、映

画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」について書いています。この映画が封切りになった11月の上旬に一回目を見て、すぐに

この記事を書きました。その後、もう一度見てから記事をこのページにアップするつもりでした。なかなか時間がとれなくて、冬

休みになってから見ました。

 当日は休日だったので、映画館はかなり混んでいて、私がチケットを買った時には後数席しかなく、かなり後ろで見ることに

なりました。1回目に見てもうストーリーはわかっているのですが、それでも見応えがあり、何度でも見られる作品だと思いまし

た。感動のシーンは前回と変わりませんでした。

 親子関係がこの作品の一つの柱ですが、鈴木オートに来た少女がトモエに「お母さん」というシーンは記事には書いていま

せんが、とてもいい場面です。こう書いていたらまた見たくなりました。もう2ヶ月近く上映していますので、そろそろ終わりかも

しれませんが、まだの方はお勧めします。

 来年は2月か3月ごろに「発掘歎異抄」をまとめて単行本にします。ぜひお読みください。2月3日には東広島市の元浄寺で

午前と午後の2回講演をします。3月8日には東京の日本私学教育研究所で「心を育てる国語教育」について研究発表をしま

す。5月17日には京都光華女子大学の真宗文化研究所のお招きで「歎異抄」について講演します。来年も皆様とお会いでき

るのを楽しみにしています。どうぞよいお年をお迎えください。

        

(2007.10.8)本願寺展

 いつの間にか10月になってしまいました。9月になっても暑い日が多く、体育祭の準備は大変でした。体育祭当日は私は

例年放送を担当しているので、放送班の生徒とテントの中にいたのですが、11時ころになると、テントの中も相当の暑さで、

頭が痛くなってきました。これまでで初めての経験でした。団扇で扇ぎながら何とかしのぎました。こういう暑さが当たり前の

時代になるのかもしれません。

 その次の日に連休を利用して福岡に行き、九州国立博物館で開かれている「本願寺展」を見に行きました。これは2011

年の大遠忌に向けての 行事の一環のようです。ふだんは写真でしか見られないものが見られます。私は10月になって少し

涼しくなってから行こうかと思っていたのですが、同僚の人で行こうという人がいたので、一緒に行きました。この博物館は

太宰府天満宮のすぐ横にあり、境内からエスカレーターで上がることができます。いい場所に作ったものです。

 親鸞の直筆を久しぶりに見ました。親鸞の筆跡は勢いがあります。躍動感があるのです。文字もはねるような感じがありま

す。蓮如の書いたものもありましたが、蓮如は丁寧な筆遣いで、その活動的な様子から感じるものと少し違います。恵信尼

の手紙もありました。これはまた勢いが感じられます。女性的と言っていいのかどうかためらうものがあります。大胆に書か

れているように思います。公式には僧侶と初めて結婚した人なのですから、勇気ある人であったことは確かでしょう。

 他にも西本願寺の内部にあり、ふだん見ることができないものも展示されています。機会があればおでかけ下さい。なおこ

の後、全国を巡回していくそうです。「発掘歎異抄97回」の記事にこの展覧会のことを書きました。お読み下さい。

(お知らせ)

『心の国語 高校編』
の発行の準備を進めています。今校正中です。一応発行の日付は11月中旬にしていますが、早けれ

ば今月下旬に出せるかもしれません。前編の『心の国語 中学編』をSCLから出しましたので、今回もSCLからの出版です。

ご支援よろしくお願いします。

10月4日に広島の真宗学寮の報恩講で「連続無窮」の題で講演をさせていただきました。多くの方に熱心に聞いていただき

ありがとうございました。

この講演要旨と8月の善徳寺での講演要旨を浄土部門のページに載せました。また本日10月8日の中国新聞洗心欄に載せた

「五木寛之 私訳歎異抄 を読んで」という書評を新聞掲載記事のページに載せました。

追記

『心の国語 高校編』を10月30日に発行しました。このホームページの「書籍の紹介」、「教育部門」に紹介しています。

このホームページからすでに注文もできます。また書店への配本も終えました。「書籍の紹介」のページにあるように広島の

主要書店で購入できます。

           

(2007.7.28)二つの街「夕凪の街 桜の国」
 今週7月24日から26日まで東京に行っていました。帰りには京都にも寄りました。今回東京に行ったのは今年東京ミッ

ドタウンにオープンしたサントリー美術館を訪ねるのが大きな目的の一つでした。その他しばらく行っていない浅草や中央

線沿線も目的地でした。この旅行に出る前に映画 「夕凪の街 桜の国」を広島で見ました。全国公開は今日7月28日か

らですが、広島では御当地映画ということで7月21日から先行上映されました。私はすでに2回見ました。

 初日には舞台挨拶があるということで近くの映画館に行きました。半信半疑だったのですが、本当に佐々部監督、麻生

久美子さん、田中麗奈さんが来られて、私は目の前で見ることができました。私はこれまで佐々部監督の作品のことを書

いていますようにこの人を信頼しています。山田洋次、大林宣彦監督と並ぶ信頼できる監督です。

 先に作品の上映があり、それから舞台挨拶があったのですが、作品の余韻が残っているうちに聞くことができて本当に

よかったと思います。この作品のことを連載の「発掘歎異抄」94回95回に書きましたのでご覧下さい。2回分を使ってもま

だまだ書き足りないことがたくさんありました。この8月に広島の真宗のお寺で5回ほど話をさせてもらうことになっていま

すので、言い足りなかったことをさらにそこで話そうと思います。自分との深い縁を感じた作品です。

 この映画を見る前にすでに東京に行くことは決まっていたのですが、この映画と同じく自分も東京と広島を往復すること

になりました。原作では西武線の沿線が東京での舞台ですが、そこは自分も住んでいた沿線です。また今回中央線の沿

線を電車から見ましたが、懐かしい思い出がたくさんある場所です。早稲田のキャンパスも訪れました。広島と東京という

二つの街に自分のルーツがあるようです。もう一つは京都です。知恩院、大谷祖廟、安養寺を訪れました。浄土教の発祥

の地です。この旅の余韻も今回の記事に入っていると思います。この映画はいろいろな受け取り方ができるはずです。ぜ

ひご覧下さい。

(お知らせ)

8/8(水)の昼席(13:00)、夜席(19:30)から8/9(木)朝席(8:00)、昼席(13:00)まで広島市南区宇品神田

4−11−8の善徳寺で4回に渡り、原爆逮夜法座で話をします。8/9は長崎の原爆忌ですが、「夕凪の街 桜の国」

についても話す予定です。、また「異国の丘」についても話します。

また8/26(日)には広島市東区矢賀2−3−13の覚法寺で14:00から講演をします。「安心と安穏」という題で真宗と平和

について語りたいと思います。2011年の親鸞聖人750遠忌のテーマが「世のなか安穏なれ」です。このことも含めて

話したいと思います。お近くの方がおられましたら、お越し下さい。                                  

                    

(2007.7.8)「望郷」

 先日、青原さとし監督の記録映画「望郷」を見ました。青原さとし監督はご自身の出身である真光寺の戦前から被爆を経ての

戦後の歴史を描いた「土徳」の監督です。今回のこの「望郷」はご自身の寺がある広島市の十日市に隣接する広瀬小学校区

の被爆前後と現代を結ぶ作品で、「土徳」の続編としての性格をもっています。私はこの夏に広島市内のお寺で原爆逮夜

法座への依頼を受け、以前から話したいと思っていた原爆と真宗、安芸門徒の関わりを話そうと思いました。私自身は平和

についてこれまでも述べてきましたし、連載し単行本にした「こころの回廊」でもそのことについて書きました。これまでの

ことがベースにあるのは言うまでもありませんが、さらに原爆という人類史上まれに見る人為による災禍を安芸門徒がどう

乗り越えたか、突っ込んで考えたいと思います。それは被爆後の長崎で永井隆がしたことと重なるものがあります。

 広瀬小学校の校区は広島市の中心部から1キロほどのところですので、原爆の被害は大変なものでした。寺町もこの

校区です。何人もの被爆者の証言がありましたが、寺町のお寺の下寺のご子息であった禿樹さんの証言が印象的でした。

ご自身は校舎内で被爆し、何とか助かったものの、より爆心地に近い自宅では兄弟が亡くなり、生き残って避難した

お母さん、祖母が次々と原爆症で亡くなります。よくこの方が生き残られたものだと思います。原爆の恐ろしさの一つは

体に傷がなくても放射能障害によって命を奪われることですが、この方の証言を聞いてあらためてそのことを思いました。

 幾つもの証言がありますが、戦後をどう生きたか、また疎開していて被爆を免れた人が家族を失いながらどう生きたかも

大事な点です。また広瀬小学校に慰霊碑が建てられる経緯も詳しく紹介されています。皆さんがすでに70代の方です。

私の親と同世代です。今後このような記録映画はますますつくりにくくなると思います。我々もしっかりしないといけないと

思います。
 
 青原監督のことはそのホームページをご覧になるといいと思います。「土徳」で検索すれば出てきます。

またご自身が関わられている広島平和映画祭もこのホームページからリンクしています。この映画祭の会員を募集して

おり、当日会場で申込用紙が配られましたので、私も2000円で会員になりました。二回分の鑑賞券が付いていますので

前売り券を買うのと同じになります。

 今回この映画を見たのは広島市安佐南区沼田町阿戸の浄土真宗・浄宗寺です。寺のあるのは戸山という地区だと思うの

ですが、親戚が近くにあるはずなので聞いたところ、お寺の門徒でした。ふだん来ることのない地区ですが昔親戚の家に

遊びに行ったのを思い出しました。沼田町でも原爆の後に黒い雨が降ったと聞いたことがあります。その被爆者も住んで

おられるはずです。青原さんの映画は青原さんが僧侶ということもあり、お寺で上映されることがよくあるようです。お寺の

ほうで上映会を企画されれば出張上映をされます。今回の上映では上映後に青原さんのお話が30分ほどありました。

最後は皆で「恩徳讃」を唱えて終わりましたので、一種の法座という感じでした。私はまだ「土徳」を見ていないので、

どこかのお寺で上映会を企画していただけないかと思います。青原さんも歓迎されるはずです。またお寺に限らずホール上映

もされます。ホール上映の場合は会場費に加えて数万円というかなり安い額になっています。学校でも平和教育の一環として

上映できるのではないかと思いました。広島以外の地域でも上映されるようですので、ご検討いただければと思います。

今回の上映については青原さんから教えていただき、会場でいろいろとお話を聞くことができました。私は学校で放送部の参与を

してきて生徒と番組作りをしてきましたので、映画作家の方とお話でき大変参考になりました。上映等のことで青原さんの作品

ご関心のおありの方は、このホームページから私の方にメールで照会していただければ青原さんと連絡を取りますので、

お問い合わせ下さい。

          
(2007.6.3) 「マイ・フェア・レディ」
 
昨日広島で「マイ・フェア・レディ」の公演を見ました。このミュージカルはオードリー・ヘップバーンの主演でよく知られて

いるものです。彼女の映画は舞台版をかなり忠実に映画化したと言われており、おそらくミュージカル映画の傑作の一つ

として今後も見続けられると思います。私はオードリー・ヘップバーンのファンですが、「尼僧物語」と並んでこの作品が

好きです。特に花売り娘のイライザが正しい英語の発音をマスターして、喜びのあまり踊り始める場面が一番好きです。

このことは『こころの回廊』にも書きました。いつ見てもあの場面で胸の奥からこみ上げてくるものがあるのです。

浄土教でいう「歓喜涌踊」の心境を思わせるからでしょう。またその踊り始めるオードリー・ヘップバーンの舞がさすが

バレリーナ出身だけあって並ではないのです。天使の舞とはああいうのを言うのでしょう。この世の人とは思えない

のです。また曲が「踊り明かそう」という名曲です。この歌詞も浄土教的で、「何が私の心を舞い上がらせたのか知らないが、

彼が私の手をとって踊り始めたの」という歌詞は本当によくわかります。これが念仏の心です。自分がしたという感じが全く

起こらないのです。

今回の公演は大地真央主演でした。彼女は宝塚出身ですから、歌って踊ってというのは全く問題ありませんが、はたして

私のようにオードリーの「マイ・フェア・レディ」に親しんできた者にとっては同じような感動が起こるのだろうかという不安が

ありました。ところが始まってしばらくすると大地真央がオードリー・ヘップバーンに見えてくるのです。自分のイメージのせいかと

も思いましたし、大地真央も「マイ・フェア・レディ」のオードリーが好きで自然とそうなるのかとも思ったのですが、よくわかりません。

そしてあの「踊り明かそう」の場面、歌詞は忠実な訳ではありませんでしたが、感動的でした。彼女の演技力のせいなのか、

突然発音がよくなる場面が実に他力的なのです。言わば「言霊」が突然宿ったという感じです。そしてあの歌と踊り。オードリー

が還ってきたのかと思うくらい私の心も舞い上がり、ありがたくてしかたありませんでした。その夜はその感動が一晩中続いて

いました。「踊り明かそう」という題名通りでした。

ところで休憩時間にたまたま知り合いに会ったのですが、私が大地真央がオードリー・ヘップバーンに見えてしかたないと言うと

彼も驚いて、実は自分もそうなのだと言うのです。どうも私の主観だけではなかったようです。大地真央さんは婚約されたそうですが

、幸せの絶頂だからこういう舞台になったのかもしれません。どうもありがとうございました。

(お知らせ)

6月13日(水)13:00〜15:30の予定で、広島市にある西本願寺広島別院で講演をします。前日から行われている「総講習会」

という研修会の最後です。本来は僧侶の方の研修会ですが、私の講演部分は一般の方にも公開されることになりました。

6/8までに広島別院に往復葉書かファックスで事前の了解をとることが条件です。FAX082−292−1186 〒730−0801

広島市中区寺町1−19広島別院総講習会係です。講題は「唯説弥陀本願海 法難・論難を越えて」というもので、承元の法難

から800年を記念したものです。「こころの回廊」に書いたことを拡大して話します。今回の「発掘歎異抄92」に書いた「三業惑乱」

についても触れ、本願の休みなき働きを明らかにします。会費500円です。ご都合がよろしければおいで下さい。6月4日の

中国新聞の洗心面にこのことについての記事が出る予定です。

(2007.5.5)大阪
連休は大阪に行ってきました。これは海遊館の大水槽に

いるジンベイザメです。海遊館は数年前に一度行ったことが

あるのですが、その時にいたジンベイザメと同じものなのか

どうか説明を読んでみたののですが、同じもののようでした。

サメがどのくらい生きるのか知らないのですが、よく元気で

いたものだと思います。この水槽には巨大なエイのマンタも

いるのですが、この二匹の存在感は圧倒的です。

いくら見ていても見飽きることがありません。上の階から

下に降りてくるのですが、何度もベンチに座って見ていました。この写真を見ていても今にも泳ぎだしそうです。

 この日の午後からUSJに行き、次の日も一日中そこにいました。おかげでほとんどのアトラクションを見ることが

できました。ここも一度行ったことがあるのですが、JAWSとウォーターワールドが印象に残っています。JAWSの

サメは海遊館のジンベイザメとは全く対照的なサメで人食いザメです。アトラクションは船でコースを回りながら

そのサメに襲われそうになり、撃退するものです。これはこれで迫力があります。
 
その日の夜はピーターパンのネバーランドのショーを見たのですが、前回行った時にこのショーがあったのか

どうかよく覚えていません。このショーのハイライトはピーターパンが空を飛び回る場面です。ワイヤーで吊られた

役者が本当に飛び回るのです。かなりの高さがあります。子供たちの天使といった感じです。

 翌日はウィケッドというミュージカルを見ました。これはかなりレベルが高く、本格的なミュージカルです。オズの

国の二人の魔女の話ですが、外国人らしい人が演じた魔女の歌唱力に圧倒されました。本場のミュージカルが

よくわかります。30分ほどのものですが、もう少し話しをふくらませれば舞台版ができるだろうとおもいました。
 
 三日目は、通天閣、難波パークス、道頓堀、法善寺と回りました。通天閣の上の展望台には初めて上がった

のですが、ビリケンさんがいました。アメリカ人女性の夢にでてきたものを形にしたのだそうですが、USJが

できるはるか昔から、アメリカとの接点があったのはおもしろいことです。愛嬌があってこれもネバーランドの

住人のように感じました。神様というより一種の精霊のようです。難波パークスはオープンしたばかりで、

うわさの空中庭園を見てきました。二つのビルをはさんで、何層にもなっています。これは建築家の腕の見せ所

でしょう。植物はツツジが満開でした。屋上緑化の最新版という感じで、こういうビルがどんどん増えるのでは

ないかと思います。これで都市の気温が下がればいいのですが。楽しい連休でした。

(お知らせ)

「こころの回廊」が出版されました。すでに各書店への納品を終えました。どうぞお読みください。



(2007.4.14)隠れ念仏

 春休みに鹿児島に行ってきました。今回の旅の一つの目的は隠れ念仏の史跡

を訪ねることで、隠れ念仏の行われたという念仏洞を訪れることと、東西本願寺の

鹿児島別院を訪れることでした。一日目にはその念仏洞を訪れました。鹿児島市

の郊外に花尾神社という神社があります。ここは薩摩日光とも呼ばれる神社で、

決して大きいものではないのですが、装飾が見事です。天井には何百枚という

花の絵が描かれています。同じものはないように見えるので、これだけ描くのは

大変なことです。観光のガイドブックにも載っている有名な神社です。

 ところがこの神社の裏山には秘密があるのです。それが花尾の隠れ念仏洞です。神社の裏山を、今はよく

整備されている山道を登ると、二つの巨岩が合掌するように合わさり、その間の下部に洞ができているのです。

入り口に比べて横幅があり、十人くらいは入れそうです。ここに本尊を隠したり、時にはここで念仏したそうです。

 真宗が禁制だった薩摩ではこのような念仏洞が幾つかあるそうです。ここの場合はすぐ近くに神社があり、

それも有名な神社なので、このようなところにあるのが意外です。神社を隠れ蓑にして、神社に参るかに見せ

かけてでかけていたのでしょうか。この巨岩は見事なもので、ひょっとしてこれは岩磐で、もともと崇拝の対象

だったのかもしれないという気がしました。念仏の信者にとってはそれが自分たちを守ってくれる守り神に

思えたのかもしれません。親鸞は天神地祗は念仏者を守ると言っていますので、彼らもそう思っていたのでしょ

か。それにしてもよく露見しなかったものだと思います。

 現在は洞の中に小さいものですが、本尊が置かれ、お参りがあるようです。駐車場はかなり広く、トイレも整備

されていました。真宗の門徒の方のお参りがあるのだと思います。ここでひとときを過ごすことは念仏者としては

感慨深いものがあります。禁制も何もない現代において浄土教が廃れるならここで念仏してきた方々に申し訳

ないように思います。あるいは信仰というものは心密かにする方がエネルギーがわくものなのでしょうか。薄暗い

洞内でしばし時を過ごしました。「発掘歎異抄」の方にもこのことを書きました。お読み下さい。

お知らせ

「こころの回廊」の校正が終わり、今月末に出版されます。連休明けには書店に配布し、このホームページでも

紹介、頒布する予定です。今回は神戸の「みずのわ出版」から出します。よろしくお願いします。

4月30日の中国新聞に紹介記事が載る予定です。

(2007.3.4) 毘沙門天

この写真は広島市安佐南区緑井にある毘沙門堂です。この写真は以前

に撮ったものですが、この2月に大祭が行われました。毎年旧暦の初寅の

日に大祭が行われることになっています。その日が土日に当たるとは限ら

ず、土日でないと勤めのある者には行きにくいのですが、今年は巡り合わ

せがよく、土日に当たりました。二時間おきくらいにご開帳があり、ご本尊

の毘沙門天を拝むことができます。

 このお堂の開基は千年くらい前と言われています。写真の上部に大きな岩が写っていますが、おそらくこの

岩が岩盤(いわくら)として古代より神が宿るものとされたのでしょう。毘沙門天は四天王の一人で多聞天と同じで

す。この堂の近くに多宝塔があるのですが、そちらでは多聞天の名で祀られています。この多宝塔が麓から

よく見え、緑井地域の人々が守り神としてあがめていたことがうかがえます。毘沙門天は北方の守護神ですから

方角的にも合うのでしょう。さらに安佐南区の武田山に甲斐の武田氏が銀山城を築いた時に、そこから見て

北東、即ち鬼門に当たるこの山の毘沙門天を守護神として崇めたために発展したと言われます。しかし武田氏

はやがて毛利に敗れ、毘沙門天も往時の隆盛は失われたそうです。現在は真言宗のお寺で、この本堂と

参道に仁王門と西明寺、多宝塔が残っています。数年前に放火により、本堂と多宝塔が焼失したのですが、

緑井地区の人々の浄財によって復建されました。

 私は日曜日の午前中のご開帳に行ったのですが、ご開帳の前に僧侶により「般若心経」の読経がありました。

この経は私も好きな経ですが、自分が普段唱えることはほとんどありません。耳を澄まして聞いているとある

程度聞き取れます。有名なのは「色即是空、空即是色」ですが、この言葉は大乗仏教共通の空の教えを表して

おり、私もこの言葉はよく頭に浮かびます。全くこの通りだと思っています。真宗ではまずこの経は読みませんが

浄土宗では日用勤行集にこの経が入っています。浄土教も大乗仏教ですから、この経の精神と矛盾しないと

考えられているのでしょう。久しぶりにしみじみと聞くことができました。

(2007.2.4)大宇宙の中の私たち

この題は1月の下旬に広島で行われた国立天文台台長の観山正見氏

の講演会の題です。ある方から案内をいただき聞きに行きました。先生は

広島の出身で、実家は東広島市の浄土真宗のお寺です。この題名もどこか

宗教的なものが感じられます。もちろん講演の中身は現在わかっている

天文学の最前線の話が中心です。しかし時折、仏教的世界観との関連が

話の中に登場し、氏の中では天文学と宗教は矛盾しないものであることが感じられました。

 先生自身も得度されているそうです。その話ぶりや雰囲気から非常に謙虚な方だという印象を持ちました。

そのあとの懇親会にも参加させてもらい、先生とも話す機会を得たのですが、私の質問にも丁寧に答えて

もらいました。先生の話の中で宇宙に働く「見えない力」というものが出てきました。この力を本願力と

関係づけるかのような印象を受けたので、その点をお聞きしたところ、それを暗示した面があることを

認めておられました。私は本願力を一種の引力として語ってきましたので、この「見えない力」とは別の

力ですが、科学の世界と宗教の世界がどこかでつながっているのを感じる人は多いだろうと思います。

そのように感じるのが科学者の中の一つのタイプとしてあるのだと思います。こういう科学者ばかりなら

科学の発達に危惧を感じなくてすむのにと思いました。大変有意義なひとときでした。

 「こころの回廊」の出版の方は動き始めたところです。冬休みの間にほぼ編集を終えました。それを

出版社の方に渡して、あらためて体裁を考えてもらっています。その「こころの回廊」に前書きと後書き

を付け加えたのですが、そこに書いていることをふくらませて、「発掘歎異抄88回」の記事を書きました。

「こころの回廊」を出版するに当たって副題を「本願と出会う旅」としました。その出会いというものが

どのようにして起こるかということです。その逆説性と道という考え方とを述べてみました。すでに

「連載記事」のページにアップしたのでご覧下さい。

(2007.1.1)明けましておめでとうございます。

2007年の年が明けました。猪というのは犬とよく

似ている動物だと思いますが、生物学的にはどうなの

でしょう。豚も近いと聞いたことがありますが、どちらが

近いのでしょうか。犬が人間の生活と密着して現代では

ペットとして飼われているのに対し、猪をペットにしていると

いうのは聞いたことがありません。

 昔、伊豆で猪牧場を見学したことがありますが、その時に

うり坊という猪の子をたくさん見ました。体に縞模様が何本も入ってとても可愛いのです。このイラストはその

うり坊を描いているようで気に入ったものです。自分の年賀状もこのイラストを使わせていただきました。

 子だくさんというイメージにも通じるのでしょう。広島では亥の子祭りというものが秋にあります。収穫祭の一部

ですが、「亥の子、亥の子」と子ども達がかけ声をかけながら、地面を打つ祭りです。このイラストはその祭りを

思わせる楽しい絵です。猪は田畑を荒らすことで駆除され、気の毒な面がありますが、「亥の子」祭りから考え

られるのは田畑の豊穣をもたらす神の扱いのようです。ある宮司さんとこの「亥の子」祭りのことを話していると、

最近は神職があの祭りに呼ばれるのだが、本来は神職が参加しない、全く民間の行事だったのだと言われた

ことがあります。私は収穫祭の一部だと思っていたので意外な気がしました。しかしそれはそれだけより庶民的

で長い伝統があるということなのかもしれません。いわゆる神事ではなく民俗行事に属するものだというのが、

その神職の方が言われたことなのでしょう。私はそれもそれでいいことだと思います。

 こういう人間と動物が一体になった行事があるのは、人間と動物の関係としては望ましいもので、十二支がそ

もそもそうです。人間を生まれ年であの人は猪だ、犬だ、鳥だと言うのは楽しいことです。古人は動物の名をよく

自分の名にとったものです。この類を越えた輪はとても大事なもので、私が12月に書いた『たそかれ』も河童や

犬、人間が輪となるもので、私の考えとぴったり一致していました。これが「一切衆生」というときの仏教の捉え方

であり、浄土教の「同朋」も同じです。同じ命同士ということです。

 今年もこの「同朋」の道をみなさんとともに歩みたいと思います。この春には「こころの回廊」を出版する予定で

す。また日本私学教育研究所の委託研究である「宗教心を育てる国語教育」の論文もかなり進んできました。

研究所の紀要に載るものですが、皆様にも見ていただきたいと思っています。「発掘歎異抄」の連載も続けます。

すでに1月号はアップしました。どうぞご覧ください。今年もよろしくご支援のほど、お願い致します。楽しいお正月

をお過ごしください。

(2006.12.3)浄泉寺、講演会のお知らせ、『たそかれ』について補足

この写真は島根県市木にある浄土真宗浄泉寺です。この寺

は江戸時代に仰誓和上がおられたことで有名です。仰誓は今

も読まれている『妙好人伝』の編者です。『妙好人伝』は多くの

人の手が加わっているのですが、第一編と第二編の原形を

作られたのが仰誓師です。現在はその法統を継ぐ朝枝善照師

が龍谷大学の教授をされ、『妙好人伝』の研究されています。

私も何冊か読ませていただき大変参考になりました。

私が訪れた日は先生の次女の方がおられ、ご丁寧に案内をしてくださいました。本堂にあげていただき、お経を

あげさせてお念仏させていただき感慨深いものがありました。この寺を訪れた目的はもう一つあり、それは

有福の善太郎の友人に磯七同行という人があり、善太郎は市木を通って出羽村の磯七のところに行っていたと

言われており、その磯七同行の寺のことをここでお聞きし、訪ねてみようと思っていました。この寺にも磯七同行

を偲ぶ碑がありましたが、手次寺は別の寺ということでした。その寺の名がわからないとのことだったので、行け

ば何とかなるだろうと、市木から出羽への峠を越えました。途中に「磯七同行の思案石」というものがあり、おそら

く磯七が山仕事の間にそこに座って如来の大悲を思いながら念仏したであろうと思われるところがありました。

峠を越え、それらしい寺を探して車を走らせたところ、二つ目の寺、真清寺がそうでした。境内に磯七同行の記念

碑があり、由来が書かれていました。住職がご不在だったので、息子さんに本堂に上げていただき、ここでも

お念仏させていただきました。このあたり一帯は広島県の県北に近く、行きは浜田自動車道の瑞穂インターで

降り、帰りには一般道で帰ったのですが、広島県の大朝まではすぐでした。広島県の県北は市木の浄泉寺から

布教されたということでしたが、確かにそうだと思いました。現在では教区が異なるのでしょうが、古人の布教活動

を偲ぶにはいい体験でした。

(ここでお知らせです。その1)講演会について

 さてもうじき2006年も終わります。今月は12月16日に16:00から広島市中区幟町8−3にある浄土真宗

正光寺(082−221−1537)で講演をさせていただきます。仏教壮年会にお招きいただきました。題は「妙好

人に聞く 因幡の源左を中心として」というもので、「こころの回廊」に書いた源左の話を中心に、私が考えるこれ

からの浄土教についても、源左の言葉を例にして、合わせて語りたいと思います。一般の方も聴講できます。

 今年の主な仕事は昨年から引き続いての「こころの回廊」の仕事でした。12月25日クリスマスの日に50回を

迎え、連載が終わります。クリスマスの日に終わるのは何か因縁を感じます。また日本私学教育研究所の委託

研究員として「心の国語 宗教心を育てる国語教育」という題の研究もあります。こちらは来年三月までに論文を

提出することになっていて、私の国語教育のまとめをしようと思っています。

 ここ数年を振り返ってみて、今回の「こころの回廊」の連載にも書き、「発掘歎異抄」の連載にも書きましたが、

2004年の夏の四天王寺参詣が一つの転機でした。私はこれまでも書いているように20歳の時に本願との出会

いを経験し、それ以後も念仏を続けながら、20代では「一念多念」、「横超」の研究をし、30代から国語教師とし

て私の考える「本願」の展開を従来の宗教や文化の枠を越えて語ってきました。『心の国語 中学編』にそれが

表れています。続編の『心の国語 高校編』(いずれ刊行の予定)や日本の古代信仰について書いた『日と霊と

火』も枠を広げた取り組みです。また浄土教では『歎異抄を読む』を書きました。『歎異抄を読む』は浄土教で言う

往相を中心に本願に出会う手引きとして書きました。そして2004年に四天王寺に参詣し、聖徳太子像と言われ

る救世観音像を拝んだ時、何とも不思議な気持ちになりました。それから聖徳太子に導かれるようにそれまでに

気付かなかった、また誰も語らなかった浄土教の隠された部分を見せられてきたように思います。本願の偉大さ

と、さらにそれが念仏で実感されるものだけではなく、歴史の中に奔流のように展開していく姿、今まさにその流

れの中にある自分とを見せられてきました。浄土教は過去の宗教ではなく正に今現在進行形であり、『無量寿経』

は今も書き続けられているということです。本当にありがたいことです。私のこれからの活動も「本願の使徒」として

この流れの中で展開していきます。

 さて「発掘歎異抄」の連載は私にとって大事な表現活動の場でしたが、来年雑誌から紙面に変わることになり、

連載は12月の86回で終了となりました。「タクティクス」編集部の皆様、編集長の大場史郎様、長い間お世話に

なりました。なおこの連載は歎異抄の章が十章に進むまで100回をめどにもう少し書くつもりです。このホームペ

ージでの連載という形をとります。あと一年少しでそこまで行きますのでまたまとめて本にしたいと思います。どう

ぞ引き続きよろしくお願いします。

 今後の活動予定は「発掘歎異抄」の連載、日本私学教育研究所の委託研究員として「心の国語 宗教心を育て

る国語教育」研究、「こころの回廊」の刊行、『心の国語 高校編』の刊行といったことをここ二三年で考えていま

す。50歳までには出したかったものを出そうと思います。「発掘歎異抄」の連載が終わってもまた何か浄土教を

中心とした連載を始めると思います。とりあえず、50歳までの計画を立てています。いずれにせよ、自分の生が

本願の歴史的展開の流れの中にあると感じた以上、これで終わりということはありません。本願に生死なしです。

無窮の本願を行じ続けたいと思います。それでは少し早いですが、来年もよろしくお願いします。よいお年をお取

り下さい。

(お知らせその2)『たそかれ』(福音館)について 補足

 12月10日付け中国新聞読書欄に書評を載せています。新聞記事のページをご覧下さい。広島出身の作家で

朽木祥さんの『たそかれ』(福音館)という児童文学です。書評に書いているように「舞台は鎌倉、心は広島」という

べき作品で、ぜひ広島の方には読んでいただきたい作品です。浄土教的なものがあるということで私に役目が

回ったようなのですが、そのことに限らず、多くの点で私と共通するものを感じるのです。短い書評の中ではどう

にも足りないほどでした。朽木さんは意識されていたかどうか知りませんが、例えば河童という存在によく似たも

のとして仏があります。河童には水掻きがありますが、仏にも水掻きがあるのです。仏像が好きな方なら御存知

のはずです。鎌倉はお寺が多いので朽木さんは御存知でそれで鎌倉に河童という組み合わせができたのかもし

れません。仏は此岸と彼岸を結ぶものなので、水を泳ぐのです。河童はそれを親しみやすく表現した要素があり

ます。河童の不知の名も仏教的ですし、この河童は人間を救う存在です。それから60年という数字は私が日本

仏教を考えるのに重視している数字で「こころの回廊」で何度も書いていることです。「こころの回廊」が2005年

の終戦・被爆60年の年に始まったことに私はそれなりの因縁を感じたのです。ここにもそれを感じた人がいるの

に驚きました。また広島生まれの被爆二世としての自分の位置づけがおそらくかなり私と近いのです。これは

同じ立場の人でないとわかりにくいことなのでこれ以上は書きませんが、同じような考え方の人がいるのだという

ことは心強いことです。私の思い過ごしかもしれませんが。まだまだあるのですが、あまり事前の知識がない方が

いいと思いますのでやめておきます。児童文学ですので取り付きやすいと思います。これは私ができないことです。

三世代で読める作品です。ぜひご一読下さい。

(講演会お礼)

12月16日の正光寺の講演には大変多くの方においでいただきありがとうございました。熱心にきいていただき

よくご理解いただいたようでうれしく思います。源左さんの話をもう少ししたかったのですが、時間が限られてい

ましたので少しもの足りない面もあったかと思います。もしまた機会があればじっくりとお話させていただきたい

と思います。その後の懇親会も参加させていただき、信心の話が尽きず、大変勉強になりました。どうもありが

とうございました。

(2006.11.6)「アジャセ(阿闍世)の救い」

 11月4日に広島のアステールプラザで「アジャセの救い」という題で芹沢俊介と山崎哲の対談を聞きました。

浄土真宗の広島青年僧侶春秋会の主催です。「阿闍世」とは浄土三部経の一つである『観無量寿経』に描かれる

王舎城の悲劇として知られる物語の主人公である王子の名です。この物語は釈尊在世中のインドでの実話が

基になっていると言われ、親鸞も「教行信証」に引用しています。子を殺そうとした親と親を殺してしまう王子の

物語です。最も重い罪の一つである親殺しを扱いながら、しかもそれを犯した者がどのように救われるかという

非常に重いテーマがここにあります。浄土教としてはそのような罪深い者でも救われるという一つの例になりま

す。

 今回の対談は現代において実際に親殺し、子殺しという事件が頻発する時代をどうとらえるかということと、

はたしてそこからどうしていけばいいのかということが話されました。この時代のとらえ方については二人とも

鋭いとらえ方がなされていて、聞いた方もなるほどと納得されたのではないかと思います。基本的には親子関係

に問題があるというのはまず誰でもわかることでしょう。二人とも特に母親のあり方を問題にされていました。

母親に受け止められているという実感がないことがある時期を境に家庭内暴力や親殺しになるということです。

親が子を殺すのはまさに親が子を受け止めていないことの最たるものです。さらにその背景として個人中心の

時代になり、個人中心に生きることが当然であり、そのため特に母親は子どものことより自分のことを優先し、

それを当然と思っている。しかし子どもの側からすれば親から見捨てられてているという気持ちを抱き続ける

ことになるわけです。

 このことは私が「母の国」という形で語ってきたことです。「母の国」は日本の古代信仰の中で生まれた言葉

ですが、普遍性のある言葉だと思っています。ただしそれは血のつながりのある母親に限られることではなく、

我々を産み出しまるごと受け入れてくれる存在であり、我々を根底から支えてくれるものです。現実の母はその

一部ですが、その母親がその意識をもつかどうかは大きなポイントになります。最も望ましいのは母親が宗教心

のある人で、神仏という限りない存在があり、自分がその育ての働きを担っているといことを知っていることで

しょう。おそらく昔はそれは自明のことだったはずです。個人中心の時代とは無意識のうちにあった神仏中心の

時代から個人に移ったということです。結局はこの問題は宗教の問題になっていきます。ただしお二人とも最後

は宗教の問題だろうと言われながら、その点は専門ではないためかはっきりとした提言とはいかなかったようで

す。芹沢さんは「慚愧」という言葉が以前はあまり好きではなかったそうですが、最近は非常に気にかかるように

なってきたということを言われていました。慚愧は宗教心の一つの表れであり、宗教心のない人にとってはよく

わからない言葉だろうと思います。

 私もこの阿闍世の物語は非常に関心があり、確かに現代と浄土教の一つの接点として重要な課題だと思って

います。この物語の中にある親子関係のあり方、罪と救いというテーマは人類にとって永遠のテーマです。親鸞が

「教行信証」に引用した時点では親鸞には親子問題は特になかったと思いますが、その後、晩年になって親鸞は

我が子の善鸞を義絶するという事態に至ります。これは善鸞が関東の人々を惑わしたと言われるために起きた

ことですが、この時親鸞には阿闍世の物語が頭に浮かんだと思うのです。その後善鸞は義絶が解かれることは

なく、浄土教とは別の道に進み、祈祷を主とする自力的な教団を率いたと言われます。善鸞は親鸞に義絶された

ことをどう受け止めたのでしょうか。今回の対談ではこの件については触れられませんでした。

(2006.9.25)「出口のない海」

現在公開中の「出口のない海」を見てきました。原作を読んでいましたので、ストーリーの展開に驚かされることは

ありませんでしたが、原作からかなりの部分が省略されていました。しかし映画としてはこれはこれでかなりの

できだと思います。個人的には「男達の大和」よりはかなり上におきます。昨年の秋に見て多くの人に推薦した

「ALWAYS三丁目の夕日」以来の作品です。いい作品はきまってそうですが、配役がよく、この人しかできない

という感じを起こさせます。今回印象に残ったのは並木の父親を演じる三浦友和です。彼は「ALWAYS三丁目の

夕日」でも妻子を空襲で亡くした医師を好演していましたが、今回も口数が少ない中にも演技以上のものを

感じました。本当に自分の子が特攻に行くとしたらどうかということを感じさせます。それから潜水艦艦長役の

香川照之。これは文句無しの名演だと思います。潜水艦と言えば「ローレライ」を思い出しますが、役所広司の

潜水艦艦長よりいいと思いました。それから並木と同じ大学出身で回天に乗る北を演じた伊勢谷友介もニヒル

な感じをよく出していました。回天の整備士の伊藤が晩年に回天記念館を訪れる場面がありますが、あの老人

役をした人は誰なんでしょう。私は作家の北杜夫に似ているように見えたのですが。短いシーンですが、彼の

表情は印象に残ります。彼がボールを海に向かって投げる場面で終わってもよかったと思います。

 作品としてのハイライトは事故で海中に沈み訓練機の回天の中で並木が遺書をつづる場面です。特に恋人の

美奈子に呼びかける場面は原作でも一編の詩として鑑賞できるすばらしいものでしたが、映画でもそのよさは

充分に生きています。泣ける場面です。このシーンでもそうですが、この映画は美しい映像が多く、どこか詩的な

雰囲気があるのです。それは原作、脚本、監督、すべてがうまくマッチしてうまれたもののように思います。つまり

この映画を作る人の中に美しいものを愛する心があることがはっきり感じられるのです。潜水艦が朝日の海に

浮かぶ場面は戦争を忘れさせる場面ですし、深海の深い青、美奈子が棚田で耕作する場面など幾つもあります。

これは日本映画の良さの一つとしてぜひ引き継いでいきたい要素だと思います。ロケーションは佐々部監督の

出身地の山口県を中心にしていますが、可能な限り実写を活かしたいという気持ちが伝わります。回天基地は

山口県の西岸にセットが作られたそうですが、「四日間の奇蹟」のセットがあった角島に近いところです。この

あたりの海は美しいので選ばれたのがよくわかります。佐々部監督にはこれからも美しいものを描いてほしいと

思います。いい作品をありがとうございました。佐々部監督は原爆を題材にした作品を作っておられるそうです

が、期待しています。

(2006.8.21)「明日の神話」

これは今、東京の日本テレビ前で公開されている、岡本太郎

の「明日の神話」の中央部分です。私が「白骨の太陽」と名付

けている部分です。私はこの夏に、関東に旅行し、富士、箱

根、鎌倉、横浜、東京と巡ってきました。東京での目当ての

一つがこの「明日の神話」を見ることでした。すでに『発掘歎異

抄』の記事に書いていますように、5月に広島でこの壁画の複

製を見ました。その時の感銘を記事に書きました。この夏に

紀要の原稿にあらためてそのことを書きました。書き終えてから、旅行に出たのですが、ぜひ一度本物を見て

おこうと思いました。

 汐留の日本テレビに行くのは初めてでした。この壁画は横30メートル、縦5.5メートルという巨大なものです。

その展示スペースをどうやって確保するのかと思いましたが、テレビ局の前が、地下を掘り下げた広場になって

いてそこに展示されていました。外の風雨が入り込むので、絵の上にひさしがあり、悪天候の場合は公開されな

いということでした。この日は雨が降ったり止んだり、また時には陽が差すという不安定な天気でした。壁画は

公開されていたのですが、どうもぱっと見た印象が、広島で複製を見たのと違うのです。どうしてかそれがよく

わからず、しばらく絵を見ていたのですが、どうやら光の条件が違うのが原因らしいと思いました。広島の会場で

は美術館のフロアでライトを浴びていて、中心の「白骨の太陽」が浮かび上がり輝いて見えたのです。それが

ここでは薄暗く感じるのです。この写真でもそうだろうと思います。それで迫ってくる感じがないのだろうと思いま

した。

 その後、ビルの中を見学して再び絵の前に戻り、30分ほど座って絵を見ていました。すると「白骨の太陽」の

一部が突然輝き始めたのです。驚いたのですが、たまたま日光が差し込んだのだと気付きました。その輝きは

広島で見た、ライトによるものとは比べものにならないほどでした。岡本太郎はこの壁画を屋外においてどう見え

るかを考えながら作ったのではないかと思いました。もちろんこの壁画はホテルのロビーに展示される予定だっ

たので、屋外に展示されることはないはずなのですが、岡本太郎はその本質が、自然児なので、太陽の陽を

浴びることが常に作品製作の時に念頭にあったのだと思います。 陽光を浴びた白骨の輝きは見事でした。

そのことを次号の『発掘歎異抄』に書きましたので、またご覧下さい。

 この作品を広島で展示できないかという話が進んでいるそうです。私もそうあってほしいと思うのですが、今回

見てあらためてその展示場所が難しいのを感じました。場所や展示の仕方で印象がかなり違うのです。また私が

心配しているのは、この作品がどのように受け取られるかということです。これまでも新聞で見てきましたが、

どうもこの作品が本当に理解されていないという印象を受けるのです。私の受け取り方は自分の信仰と結びつい

た独特のものですが、それはこの作品に宿っている「真実」の力がそうさせるのだと思っています。それがあると

き、様々な受け取り方が可能になのだと思います。私が特に心配するのはこの作品が表面的には核兵器による

被爆者と骸骨、特にドクロを描いているので、そのことが悪趣味なグロテスクな印象を与えてしまうのではないかと

いうことです。この作品がホテルのロビーに展示される予定だったのが、ホテルが完成せず、その後引き取り手

がなかったのも作品が理解されなかったことが一つの要因ではないかと思います。せっかく展示されたのに、その

後撤去されるなどということはぜひ避けたいものです。公共スペースだと政治状況の変化の影響も受ける可能性

があるでしょう。

 今朝の中国新聞で信楽峻麿先生が改憲の動きを憂えておられましたが、こういう政治状況では何が起きるか

わかりません。私は信楽先生とは浄土教に対する考え方で違う部分がありますが、先生の憂いはよくわかりま

す。広島でも被爆者が高齢化し、核に対する考え方が変わっていくおそれがあります。私はこの作品のもつ性質

からして、寺とか教会とかの宗教施設に置けないかと思います。大きすぎて難しいでしょうが。どちらにせよ、この

作品が私にとって宗教的作品であることは変わらないでしょう。しっかりとこの時代、そして題名どおりに「明日」に

向かって発言し続けてほしい作品です。この作品は平和の砦になる作品ですが、そうなることは時代としては不幸

な時代になるということにもつながりかねません。それを思うと複雑な気持ちになります。まずはこの作品の力を

そのまま受け取っていただきたいと思います。

祝・早稲田実業優勝

 話は変わりますが、今回東京に行った時に、久しぶりに早稲田大学のキャンパスをおとずれました。私の母方

のいとこの大平章が国際教養学部の教授をしており、最近その著書『ノルベルト・エリアスと21世紀』を贈って

くれました。そのお礼を兼ねて久しぶりに会うことになり、大学の研究室で会いました。その前にキャンパス内や

周囲を歩いたのですが、店はほとんど変わっていました。ちょうど早稲田実業が甲子園で活躍中でした。私が

大学の時は早稲田実業は大学の前にありました。早稲田大学の系属校なので、私も応援していました。

大学の売店に入った時、早稲田実業が活躍中でメガホンが売り切れたという話を聞き、うれしく思いました。

 私も決勝戦を見ましたが、何と引き分け再試合という結果になり、そして今日、ついに初優勝を遂げました。

二日間見続けましたが、まずこういう試合は見られないでしょう。二日間投げ抜いた斎藤投手は本当に見事でし

た。よくあれだけ投げられるものです。駒大苫小牧もすばらしいチームでした。早実OBの王監督もさぞお喜び

でしょう。早く元気になってください。私も元気をもらいました。ありがとうございました。

お知らせ

 中国新聞に連載しています「こころの回廊」の連載が延長されることになりました。当初は10月の頭までの

40回の予定で話をいただいていたのですが、年末まで50回で書くことになりました。40回までで岡山で終わる

予定だったのを、10回分、関西について追加して書きます。場所としては四天王寺、六角堂、知恩院、本願寺

などです。内容は法然と親鸞の関係を中心とした浄土教についてです。法然と女人、四十八願の不思議な構

造、辛酉と浄土教の未来図などについて書きます。ご支援のほどよろしくお願いします。

 また教育部門のページに修道図書館読書新聞に掲載した記事を二つ載せました。『平家物語』について

です。今年度読書新聞の編集を担当することになりましたので、久しぶりの記事です。

(2006.6.3)講演会について

 5月29日の中国新聞に載りましたように6月17日に講演会をします。新聞記事は「新聞掲載記事」のページに

載せています。「こころの回廊−出雲路をゆく」という題です。すでに講演のレジュメを作り、もう少しつめをしよう

と思っているところです。レジュメでは「神話の回廊」という副題を付けました。まずはじめに「神話の復権」と題し

て神話の重要性を語り、例をあげたいと思います。第一の例が、岡本太郎の「明日の神話」です。これについて

はまもなく発行される月刊誌「タクティクス」7月号の記事に詳しいことを書いていますので、発行されたらこの

ホームページにも載せます。ヒロシマ、ナガサキの被爆をテーマとしたものですが、彼が「神話」という題を用いた

意味を私が感じたことに基づいて現代に生まれる神話について語りたいと思います。

 第二の例が浄土教の「法蔵神話」です。岡本太郎の「明日の神話」は事実に基づくものですが、「法蔵神話」は

現代の仏教学では事実とは考えられていません。しかしそれを一種の神話として受け取るとき別の意味が見え

てきます。私はこれを「真実の神話化」と思っています。このレベルになると事実かどうかは問題ではありませ

ん。

 第三の例として出雲神話をとりあげます。これが本題です。まず山陰のもつ力について語り、江の川水系が

広島県内にあり、山陽側と思っている広島の中にも山陰があることを語ります。日本書紀の中には安芸の国

可愛川の上流にスサノオがきたという伝説が「一書」の異説として紹介されています。それから「母の国」と

「根の国」について語ります。「根の国」は連載では特に触れませんでしたが、私なりの解釈を語ります。

最後に「ムスヒとミオヤ」について語ります。私はなぜかカムムスヒのミオヤに非常に惹かれるものがあります。

ここに一つの神道があると思っています。それは浄土教にも通じる母性的なもので、「母の国」にも通じます。

ご都合のよろしい方はおいで下さい。

 またこれとは別に7月1日に安芸高田市八千代の浄土真宗明顕寺で午後7時から講演をします。仏教讃歌の

合唱もあります。こちらの方は「母の国・真宗」と題して講演します。連載でとりあげた妙好人おかると金子みすず

を中心に、女性と真宗について語ります。辛酉と真宗の隠された符合、聖徳太子の導きについても語るつもりで

す。

 また7月16日には、広島市中区大手町の浄土宗西蓮寺(原爆ドーム前)で午前11時より講演をします。題は

「法然上人と親鸞」で、二人の出会いと、その教えが革命的仏教であったことを語る予定です。

お礼

 6月17日のひろしま国際ホテルでの講演には新聞を見て多くの方が来てくださり、熱心に聴講してくださいまし

た。1時間半があっという間で、用意したレジュメをかなりはしょる形になりました。少しは私の考えが伝わりまし

たでしょうか。交流会では初対面の読者の方ともっと話をしたかったのですが、限られた時間の中でもの足りな

い思いを抱かれた方も多いと思います。また多くの方に私の本をお買い求めいただきありがとうございました。

今後ともよろしくお願い致します。

 7月1日に安芸高田市八千代の浄土真宗明顕寺での講演には多くの門徒の方においでいただきありがとう

ございました。「母の国」の地元での講演となりました。長時間おつきあいいただきありがとうございました。

 7月16日には、広島市中区大手町の浄土宗西蓮寺での講演に本堂が一杯になるほどお越しいただきあり

がとうございました。浄土宗の寺では初めての講演でしたが、熱心にお聞きいただきありがとうございました。

(2006.5.6)高千穂

  この連休で九州に行って来ました。最初に訪れたのは宮崎県の

高千穂峡です。私は十数年前に一度訪れたことがあります。当時書いてい

た本の取材を兼ねたものでした。それから時間が経ち、もう一度訪れたく

なり、今回の旅となりました。高千穂への行き方はいろいろあるはずですが

今回私は熊本から阿蘇の南を回る経路で行きました。熊本を9時に出て

高千穂に10時半に着きましたので、この経路は割と早く行けるのではない

かと思います。前回は大分の日田から行ったのですが、阿蘇山の観光を

してから行ったので、着くのが遅くなりました。連休中なので相当混むのを

覚悟して行ったのですが、一つめの駐車場が一杯で、次の駐車場に回され

ました。しかし渓谷の中はそれほど混んでしかたないというほどではありませんでした。遊歩道には人が多くと

も谷の中はボートがいるだけです。ボートの数は決まっているのでそれで水面が埋まることはありません。

 この写真は遊歩道から撮ったもので高千穂のポスターによく使われるところだと思います。この後、ボート

に乗ったのですが、運良く待たされずに乗ることができました。私達がボートから帰ってくるとかなりの待ち客

がいましたのでタイミングがよかったのでしょう。この渓谷は遊歩道から見てもいいし、ボートから見てもいいし

それぞれよさがあります。滝の近くに行けますが、私の子どもに漕がしたところ、操縦が下手で滝に接近して

しまい、水しぶきをあびてしまいました。この後高千穂神社と天の岩戸神社に行ったのですが、これがみそぎ

になってしまいました。

 前回訪れた時が夏で、今回が5月でした。若葉が美しい時でしたが、絵はがきの写真を見ると紅葉の時期は

格別のようです。宮崎県の南の高千穂の峰の雄大さと高千穂峡の繊細な美しさは対照的ですが、両方とも

高千穂の姿だろうと思います。どうして両方とも高千穂の名が付いたのか疑問ですが、これについては私は

古代のある時期日向の国が高千穂の国だったのではないかと思っています。順番から言えば、高千穂の国が

日向になり、国境に当たる部分にその名を残したのではないかと思っています。またいつか訪れたいと思いま

す。

(2006.3.29)大和からのメッセージ

昨年末から上映していた「男達の大和」を2月の上旬に見ました。戦艦大和は

呉で作られましたので、私には特別な感慨があります。呉の旧海軍工廠のすぐ上に

宮原地区というところがあります。ここの公園に大和の碑が建っています。この碑だ

けが大和を偲ぶよすがになっていましたが、最近、港のすぐそばに「大和ミュージアム」が完成し、大和への注目

が一段と集まるようになりました。このミュージアムにも私は行きました。このミュージアムは非常によくできていて

展示内容が充実しています。愛国心や戦意をあおるような内容ではありません。呉の歴史と造船技術の紹介を

し、その技術の上に大和が建造されたことがよくわかります。また大和出撃の経緯もわかります。

 大和の出撃はいろいろな意味で遅きに失したというべきでしょう。何より大鑑巨砲主義自体がすでに時代遅れ

でした。出撃のタイミングも最後の切り札として戦力を温存し、結果的にほとんど戦局に影響しない自滅的なもの

になりました。特攻自体がそうなのですから今さら言ってもしかたありませんが、3000人の人間がよくも特攻と

わかって出撃したものだと思います。

 死ぬために行ったようなものですから、そこを非難するのは簡単ですが、私はミュージアムを見たり、映画を見

て少しこの出撃の意味がわかったような気がしました。それは「沖縄を見捨てない」というメッセージです。持てる

最後の戦力を投入して沖縄を見捨てていないということを示した点は後のことまで考えると大きいものがあると

思います。それは結局メッセージにしかすぎませんでしたが、戦後の沖縄復帰運動はこの大和の出撃がなかった

ら起こったでしょうか。今でも沖縄には米軍基地が存在し、我々は沖縄に痛みを押しつけています。無駄と分か

っても沖縄に向かった若者達の心に応えていないのが現実でしょう。沖縄に痛みを押しつけている限りは、大和

からのメッセージはまだ我々に届いたとはいえないでしょう。

 それにしても米軍機の集中砲火を浴びてのたうちまわる大和の姿は当時の日本そのものであり、また様々な

問題を抱えて苦しむ今の日本の姿のようでもあり、涙を禁じ得ませんでした。私の友人のお父さんはこの大和の

乗組員でしたが、出撃前に病気で船を降りたそうです。我々の父親の世代にはそういう人がいたのです。このお

彼岸には呉に行き、宮原の墓所から呉湾を見下ろしてきました。

(2006.1.1)明けましておめでとうございます。

 元旦の広島はすがすがしい快晴です。おかげで朝日を拝むことができました。

  大晦日には私は昨年11月に広島の福山であったオードリー・ヘプバーン展の

図録を読んでいました。彼女の魅力は表現しがたいものがあります。クリスマスに

テレビでクリスマス記念として映画「ローマの休日」を放送していました。製作から

すでに50年以上過ぎているのですが、いつ見てみてもいい映画です。白黒のこんな

古い作品がテレビの一般チャンネルで休日のゴールデン・アワーに放送されるのは

異例でしょう。彼女がいかに長い間愛され続けてきたかよくわかります。私もDVDを持っ

ているのですが、テレビの吹き替え版を見てしまいました。彼女の輝くような美しさをあらためて味わいました。作

品としては彼女の美しさが際だつのはこの作品や20代での映画「パリの恋人」や「戦争と平和」だろうと思いま

す。しかし年齢を重ねてもそれぞれの時の魅力があります。今回図録を読んでいて、その最後の部分にユニセフ

親善大使とてしての活動が紹介されていました。そこに写る彼女の美しさはもはや年齢とは無関係のものがあり

ます。「ローマの休日」の王女役のように彼女には高貴な気品があります。それは一つにはオランダの貴族の

血を引いていることにもよるでしょう。しかしそれ以上に精神的な高貴さが大きいのだということをこの晩年の

写真は示しています。「尼僧物語」でのシスター・ルーク役はすでにそうした彼女の魅力を示していますが、

晩年のユニセフでの活動は「尼僧物語」の現実化と言っていいかもしれません。

 それらの写真の中で紹介しておきたいものがあります。一つは1988年のベネズエラでの写真です。カラー

写真ですが、赤い服を着た子ども達に囲まれている彼女の輝くような笑顔はすばらしいものです。「原始、女性は

太陽だった」という言葉を思い出します。もう一つはそれとは逆と言っていいもので、彼女が亡くなる前年の1992

年のソマリアでの写真です。このソマリアでの活動は彼女に大きなダメージを与えたに違いないことがこの一連の

写真でよくわかります。彼女の発病に関係したのだと思います。そのソマリアでの写真の中にやせ衰えた子ども

を抱いて、きっとした表情でどこかを見つめている写真があります。展覧会でもこの写真を見たとき、私は思わず

涙ぐんでしまったのですが、今回図録を見てもまた同じ気持ちになりました。彼女自身が戦争中にオランダで過酷な

生活を強いられていますので、子ども達の苦しみは自分のことのように感じたのでしょう。しかしそれ以上に

個人的な体験を越えて、子ども達を追いつめていることへの悲しみ、憤りがここにはあります。それはもはや聖母

のものに見えます。シスター・ルークはマザー・オードリーとなったのだと思います。この眼差しに何かを感じた人

は世界のあり方とともに自分の生き方を考えざるをえないでしょう。年の最後にそういう時間をもてたのは意義

深いことでした。

 今年も私は書くことで少しでも彼女の世界に近づきたいと思います。中国新聞への「こころの回廊」の連載は

年内で7回まできました。山口県分の記事があと1回あり、その後島根県の記事に移ります。島根県の記事は

津和野から始まります。先日書いたようにそのための取材に行ってきました。月刊誌「タクティクス」への記事は

まもなく80回になります。よく続いたものだと思います。出版の方は『心の国語 高校編』を出す予定です。当初は

この春に出したいと思っていたのですが、秋以降にしようと思っています。今年もどうぞご支援よろしくお願いします。

(2005.12.29)津和野

これは島根県津和野町の乙女峠にあるマリア聖堂です。中国新聞に連載

している「こころの回廊」で津和野を取り上げたいと思い、訪れました。津和野

をこれまで私は何度も訪れています。高校生のときに、山口経由で鉄道に

乗り訪れましたが、そのときにもこのマリア聖堂に行きました。遠藤周作の

「沈黙」を読んだころで、日本における切支丹殉教に関心があったのです。

浄土教では切支丹よりも先に弾圧があり、さらに一向一揆により大きな迫害

を受けました。江戸時代では切支丹はどこでも禁制でしたが、真宗も一部の

地域では禁制でした。それでも信者はいたのです。権力は心の中までは及ぶ

ことはできないことがよくわかります。

 津和野において殉教したのは長崎の切支丹です。長崎の切支丹は各地に送られたのですが、津和野は藩の

規模が小さいのにもかかわらず、これを引き受けました。それは当時の神祇政策に津和野藩が関わっていた

ためだと言われています。津和野は藩校の養老館を中心に国学が盛んで、切支丹を説諭すれば改宗すると考え

その手本を示そうとしたようです。その自信が裏目に出て結局は拷問に走り、多くの殉教者を出すことになりまし

た。乙女峠のマリア聖堂はその迫害のさなかに聖母が出現したことに因みます。 私が訪れたとき、すでに紅葉

は盛りを過ぎていましたが、散り残った紅葉が青空に映え、信者達の赤心を示すかのようでした。このことに

ついてはいずれ記事に書く予定です。

 私は明日は卒業生と今年最後の忘年会です。どうぞよいお年をお迎えください。

(2005.11.23)智頭町訪問

鳥取県の山間部に智頭町というところがありあます。現在智頭

急行が通じています。ここにこの11月に行ってきました。ここは

伊福部隆彦先生の故郷なのです。広島からはわりと近いので、いつ

かおとずれようと思いながらも、そのままになっていました。今回は

東京におられる伊福部先生のご子息である、伊福部高史先生に

連絡をとり、伊福部先生の家が代々祭祀されていた神社を教えて

もらい、訪れました。これがその神社である三輪神社です。

名前を聞いてすぐにおわかりと思いますが、大和の大神神社(おおみわ)の分祠です。私は以前に大神神社に

ついて書いたことがあり、何度も訪れた好きな場所です。伊福部先生の家がその神社を継がれていたというのは

私と先生とのつながりが増えた気がして非常にうれしく思いました。

 私が訪れた日は偶然にもお祭りの日で、宮司の小坂さんに会うことができました。伊福部先生が神社を継がな

かったため、現在は親戚にあたる虫神社の小坂宮司がこの神社の祭祀をされています。小坂宮司にはいろいろ

お話を聞かせていただき、また近くの山の中にある伊福部先生の墓を教えていただき、氏子の方の案内で、お

参りさせていただきました。また近くにある伊福部先生の生家を教えてもらい、写真を撮りました。これまた偶然

にもその日にその家に宮司さんのお参りがあるということで、現在の住人の方とお話させていただきました。長年

の宿願を果たした思いでした。このことは今月から連載を始めた中国新聞の連載記事「こころの回廊」でいずれ

取り上げるつもりです。

(お知らせ)

今書きましたように、今月から中国新聞に毎週「こころの回廊」という連載を始めました。中国地方を巡る信仰と

文学の旅です。これまでの掲載記事3回分を本日載せました。これから記事の切れ目ことに掲載していきますの

で、どうぞご覧になってください。「新聞掲載記事等」のページです。
 

(2005.9.18)白川郷

この写真は岐阜県の西北端にある白川郷です。展望台から村

を撮ったものです。この夏に訪れたのですが、当日はこの直前まで

小雨が降っていましたので、もやがかかったようになっていますが、

稲田の緑が美しく、それなりに情緒のある風景になっています。

 この展望台にあがる前は、合掌造りの店で食事をし、その後、

合掌造り生活資料館というところに入り、合掌造りの内部を見学し

昔の生活の様子を展示で見せてもらいました。

 詳しいことは来月発行のタクティクス記事に掲載しますが、私の印象とは違うものがいくつかありました。その一

つは合掌造りは大家族が各階に分かれて住んだのだと思っていたのですが、そうではなく、二階から上はかつて

は養蚕に、今は倉庫になっているということです。家によっては人が住む場合もあるのでしょうが、多くは生活場

所ではなかったそうです。また大屋根は雪がたまらないようにするための工夫だと思っていたのですが、実際に

は雪が積もるので雪下ろしをするのだそうです。この傾斜と高さで雪下ろしは大変だと思います。そうしてみると

合掌造りの家に住み続けるのは便利な生活に慣れた人には難しいことだと思います。それを承知でこの建物を

守り続けている白川郷の人々に敬意を表します。

 白川郷を訪れた後、同じく世界遺産に登録されている富山県の五箇山を訪れました。合掌造りの家の数は

こちらが少ないのですが、白川郷での観光客の数に比べればこちらは人があまり多くなく、閑かで落ちつ居て

いて私は気にいりました。現在富山県側からは五箇山と白川郷ともに高速道路が通じているのですが、岐阜県

側からは荘川までしか通じていません。私は高山にも行きたかったので岐阜側から入りましたが、五箇山と

白川郷にだけ行くなら富山側から入った方が行きやすいと思います。

 五箇山には真宗では有名な赤尾の道宗という人がいて、その開基となる寺があります。このことについては

タクティクスの記事に掲載しますので、ご覧下さい。

 この夏には「親鸞と太子」という原稿を書いていました。タクティクスに書いたものをさらにまとめたもので、ある

程度の分量になりました。研究紀要に載せる予定です。

 また昨日は学校の体育祭でした。私は放送班の参与なので一日中本部席のテントの中で放送をする生徒と

いました。下級生にも実況を経験させましたが、実況しにくい競技もあり、大変でした。体育祭そのものは盛り上

がり、進行も滞りなく進み、予定の時間に終了しました。肩の荷が下りほっとしました。次は11月の文化祭です

が、こちらも夏休みから準備中です。

(2005.7.28)林間学校

昨日まで4日間、島根県の三瓶山で行われた中1学年の林間学校に行って

来ました。三瓶山には林間学校の時以外にも何度か行っています。山自体も

魅力がありますが、近くに湯抱温泉というところがあり、そこに斉藤茂吉の

記念館があります。その記念館を見に行ったこともあります。

 今回はそこには行きませんでしたが、三瓶に着いてすぐに耳にしたものが

あります。それはヒグラシの鳴き声でした。以前林間学校で行った時も、

三瓶はヒグラシが多いなと思いましたが、今回初めに着いた場所が、北の原

にある姫のが池というところでした。そこで昼食をとるのですが、昼間なのにヒグラシの鳴き声が聞こえてくるの

です。ヒグラシの声はその名のとおり、夕暮れ時に聞こえるか、少し暗くなってから聞こえるのだと思っていました

から意外でした。

 そのあとキャンプ場に入ったのですが、そこでも鳴いていました。夕暮れ時になるともっとよく鳴きます。テントで

寝た翌朝、まだ暗いうちからまたヒグラシが鳴き始めました。私は以前、『奥の細道』について書いたことがあり、

そこで芭蕉の名句「閑かさや岩にしみいる蝉の声」のセミはヒグラシではないかと書きました。自分の好きな声

であり、またこの句によく合うからです。ただ私が立石寺を訪れた日には夕立のあとだったせいかセミは鳴いて

いませんでした。それで確かめることはできなかったのですが、今回三瓶でヒグラシを聞いてあらためて芭蕉の

詠んだセミはヒグラシではないかと思いました。あの鈴を振るような声はいつ聞いてもいいものです。疲れを忘れ

させてくれる声でした。

   傾けば夕日を惜しむ蝉の声

   かなかなと銀の鈴振る山の朝

(2005.6.19)『四日間の奇蹟』

今月から上映されている『四日間の奇蹟』を見てきました。原作は読ん

でいないのですが、下関市の角島をロケ地にしたというだけでも見たく

なりました。以前記事に下関市の六連島に幕末に住んでいた妙好人の

おかるさんについて書いたことがあります。その六連島を訪れた時に

次の日に訪れたのが、角島です。当時はまだ下関市に編入されては

いませんでしたが、下関の中心部から日本海側を北上し、ちょうど海岸線が西向きから北向きに変わるあたり

に角島があります。ここの海岸はなぜか海の色が違い、日本海とは思えないようなコバルトブルーです。島には

角島大橋という滑走路のように延々と続く橋がかかっています。私はその時に島の先端にある灯台にまで行く

つもりだったのですが、人と車が多くて行くのをあきらめました。

 この映画ではその灯台のすぐ近くに教会のセットを作り、そこを奇蹟の舞台としています。奇蹟は二段階になっ

ており、その第二段階の奇蹟の舞台が教会です。その奇蹟をもたらすきっかけを与えるのが、灯台から星空に

放たれる光と、教会のステンドグラスです。灯台の光がステンドグラスに差し込み、知的障害を持つ少女・千織

に乗り移っている真理子と、彼女が慕い続けたピアニスト敬輔に注がれる時、奇蹟が起きます。敬輔はかつて

海外公演の折り、事件に巻き込まれて父母を失った千織を救った際に左手の指に致命的な傷を負っています。

真理子がこの世を去る前にもう一度あなたのピアノを聴きたいと懇願し、敬輔がためらいながらも『月光』をおも

むろに弾き始めると、かたまっていた彼の指が動き始めるのです。そのピアノの音色は灯台の光とともに療養所

の人々の心に静かにしみわたっていきます。

 灯台から星空に向かって光が放たれるシーンは神秘的なまでの美しさがあります。灯台は実写だと思いますが

背景の星空は実写なのでしょうか。合成なのかもしれませんが、魅力的です。ぜひ見てみたいと思わせます。

星空は数多くの魂のきらめきのように見え、灯台の光は聖なるものから放たれる光のように見えました。教会の

ステンドグラスは人々の信仰であり、この作品では真理子の献身的な愛の象徴のように思えました。ただ作品の

ラストでは灯台の光が差し込んだステンドグラスにカメラがアップで近づくと、そこには「for CHIORI from Papa &

Mama」と書かれているのです。千織を見まもっている、天の父母からの贈り物という意味でしょう。この父母は

事件で亡くなった千織の父母ということでしょうが、私はすべての人にとっての父母という意味で神仏ととっても

いいように思いました。

 真理子役の石田ゆり子と敬輔役の吉岡秀隆は、テレビドラマ『ドクターコトー』でも恋人同士の役でしたので、

この映画を見ていても重なって見えます。また島の療養所を舞台にしているので、どこか『ドクターコトー』を思わ

せます。演技としては石田ゆり子さんの演技が最も心に残りました。心に深い悲しみを抱いた女性の優しさを

これほど自然に醸し出すことができるのは大したものです。彼女の実像に近いのではないかと錯覚してしまいま

す。演じていて自分の身にこんなことが起きたらどうしようかと不安になるのではないでしょうか。また吉岡秀隆

さんのピアノ演奏はご本人のものだそうです。ピアノは弾けないのに猛特訓で映画に出る部分を弾けるようにし

たそうです。四日間どころではない練習だったでしょう。ご苦労様でした。

 佐々部監督は下関市の出身だそうですが、作品を見て、この島を舞台に選んだ理由がよくわかりました。

下関市ではこのセットの教会を三年間保存するそうです。その間にもう一度角島を訪れたいと思いました。いい

作品を見せていただき、ありがとうございました。

(2005.5.28)『銀河鉄道の夜』

学校の演劇鑑賞で劇団わらび座の『銀河鉄道の夜』を見ました。宮沢賢治の

原作をミュージカルにしたものです。ストーリーはほぼ原作に忠実です。私の好き

な作品で、これまでに何度か書いたことがあります。賢治は法華経の信仰者で、

原作ではそのことは作品の終わりに示してあるのですが、劇ではその部分は

カットされていました。あらためて思いましたが、この作品は法華経信仰を勧めるというより、むしろ宗派を越えた

宗教の和合を訴えているように感じられました。場面としてはキリスト教が出てくるので、キリスト教圏の人々が

見れば、キリスト教の信仰に基づく作品と感じるだろうと思いました。海外ではどのように評価されているので

しょうか。キリスト教を思わせる部分というのは、タイタニック号の沈没を題材にしたと思われる部分です。沈み

ゆく舟に乗ることをあきらめて神のそばに行くことを選んだ男女が銀河鉄道の乗客となります。観客はこの部分

で、銀河鉄道が実は死者を乗せる汽車であることを知らされます。そしてカンパネルラとジョバンニがどうしてここ

に乗っているのか考えさせられます。実はカンパネルラは川に落ちて亡くなり、ジョバンニはどこでも行けるという

切符を持っていたためにこの汽車に乗ることができたのです。そのどこへでも行けるという切符が賢治によれば

法華教信仰であり、題目なのでしょうが、これはその人により変わってかまわないもので、宗派を問わず信仰そ

のものでかまわないと思いました。あるいは真善美を愛する心でもいいと思います。この作品はそういう普遍性

を持ていると思います。

 この作品を舞台化するのに、銀河鉄道をどのように表現するのか興味深く思ったのですが、舞台上にレールの

ようなものが敷いてあり、そこを客車が回ります。これはなかなかいい工夫だと思いました。ミュージカルとしての

完成度は例えば劇団四季の舞台に比べれば落ちると言わざるをえません。歌声が不安定でむらがある感じで

す。歌詞を聞き取りづらい点があり、歌でない部分ではセリフが聞き取れたので、無理にミュージカルにしなくても

普通の劇でよかったのではないかという気がしました。もっといい作品にできるような気がしましたが、伝えるべき

点は充分に伝えており、賢治も喜ぶできばえだと思いました。わらび座の皆様どうもありがとうござました。

(2005.4.24)『万華鏡』

これは愛知万博のパビリオンの一つ大地の塔の中で見ることができる万華鏡

です。愛知万博は入場券を購入すると、事前に入館予約がインターネットでできる

ということで、私も挑戦したのですが、3月の時点では予約が殺到したようで、アク

セスするのが非常に難しく、一番人気と言われたトヨタ館や日立館は予約すること

ができませんでした。何とか予約できたものの一つが、大地の塔です。

 大地の塔の外見は黒い三角柱で、昔マンガにあったナゾータワーを思い出しました。その中が世界最大の

万華鏡です。これはその写真です。常に動いていて図柄は変化しています。オイルのようなものが入って動いて

いるようで、何か生き物のようです。外から入ってくる太陽の光を光源としているそうです。夜はライトを使うそうで

す。それにしてもよくこんなものを考えつき、また作ったものだと思いました。大地の塔という名は大阪万博の

太陽の塔を意識したものでしょうが、しくみから言えば、これも一つの太陽の塔でしょう。太陽の光がこの地球に

注ぎ、この大地に様々の生き物を産み出し、自然を創造したのですから、この万華鏡は地球の姿を象徴したも

のと言ってもいいと思います。太陽の塔は固定したものですが、こちらは常に動き変化していますから、固定した

姿を見せない最近の芸術と同様の傾向でしょう。かなりの時間見ていましたが、上を見上げていなければいけな

いので首や頭が疲れてきます。こうして写真を見ると今にも動き始めそうな気がします。

 外国のパビリオンはそれほど混んでいなかったので、割と多くの館に入りましたが、韓国館とロシア館が印象に

残っています。韓国館は外国の人が見れば、日本文化の紹介をしていると思うのではないでしょうか。人の影を

元にして、その場で水墨画の映像が出来上がるという展示がありましたが、これは優れた発想だと感心しまし

た。私は昨年来、聖徳太子関係のものをよく読んでいますが、太子の仏教は高麗から来日した僧の教育の

たまものですし、この時代の日本は多くを朝鮮半島から学んでいます。一衣帯水という言葉を思いました。

 ロシア館は予想以上によく、とくにマンモスの展示は写真撮影が自由なので、必見です。宇宙船も展示されてい

ます。館内に売店があり、私の子がマトリョーシカを買いました。これは入れ子になった人形で、五個くらい入って

います。思った以上に高かったのですが、古きよき素朴なロシアを感じさせてくれます。

 次の万博が日本であるときまで生きているかどうかわかりませんが、楽しい時間を過ごしました。

 前回お知らせしましたが、ブッククラブ回から『スピリチュアル・データブック2005』が発行されました。

すでに全国の書店に並んでいるだろうと思います。依頼を受けてSCLの広告を載せたのですが、本文の方で

も、ダイジ講話録を紹介してもらっていました。いい本ですので、ご覧下さい。

(2005.3.28)『スピリチュアル・データ・ブック』

 SCLの本を置いていただいているブッククラブ回から発行されている「ブッククラブ回ニューズ

レター」という冊子があります。その2005年スプリング号に『素直になる』が紹介されました。「スピ

リチュアル・ライフ」というページです。本を読んでいただいたようで、うまくまとめてあります。この冊

子は30ページほどのものですが、各ページに何冊もの本が紹介されており、季刊とはいえ、これ

         だけの本を読み、まとめていくのは大変だろうと思います。それができるスタッフがいる書店という

のはそうはないと思います。紹介していただいてありがとうございました。

 これに続いて、同じくブッククラブ回から毎年発行されている『スピリチュアル・データ・ブック』の新年度版に

SCLとして広告をださないかという申し出をいただきました。広告の依頼は時々あるのですが、広告料が高い

のと、SCLの本が一般の読者向けとは思えないので、これまで応じたことはありませんでした。しかしこのたびは

お世話になっている書店からの依頼ですので、検討してみました。こちらで版下になるものを制作してそれを

そのまま出す形なら安くできるということなので、できるかどうか試してみました。私が使っている一太郎の

ソフトで、デザイン的なものができるかどうか試したのですが、何とか使えそうなものができました。写真入り

で6冊の本を紹介しています。データを送るのではなく、こちらでプリントアウトしたものを使うので、写真の写り

は今一つになると思います。名のある出版社に混じってSCLが並ぶことになります。なお上の写真は2004年版

の『スピリチュアル・データ・ブック』です。

 以前発行された『スピリチュアル・データ・ブック』を献本でいただいたことがあるのですが、これは「ニューズ

レター」以上にすごい本です。たしかに現在の日本で手に入る精神世界の本はほとんど入っているのではない

でしょうか。私も知らないものが多くあり、大変勉強になりました。4月に新年度版が発行され、全国の書店に

並ぶということですので、一度ご覧になって下さい。ブッククラブ回の通販でももちろん購入できます。

 また大手書店のジュンク堂の広島店と京都店に『素直になる』と『心の国語 中学編』を置いてもらうことに

なりました。京都店は私は行ったことはないのですが、専門的な本がよくそろっているそうです。どうぞご利用

下さい。

(2005.2.20映画「オペラ座の怪人」

映画「オペラの怪人」が公開されましたので、見てきました。家の近くの

映画館で見たのですが、音響がすばらしくこれだけでも映画館で見る(聴く)

価値はあると思います。100人編成のフルオーケストラという宣伝でしたが

それだけのことはあります。「ハウルの動く城」も同じ映画館で見たのです

が、その時も音がいいと思いました。最新のTHXというサウンドなのだそう

ですが、仕組みはよくわかりませんが、音がいいことは確かです。

 以前「劇団四季」の劇場版を見たときに題名の通りオペラ仕立ての作品ですので、本当のオーケストラで聴く

ことができたらさぞすばらしいだろうと思いましたが、映画版は音の点ではその願いをかなり満たしてくれます。

映画版は実写ですので、オペラ座地下の地底湖や怪人の部屋の描写、それからシャンデリアの落下などは舞台

ではできないリアルさや迫力があります。アンドリュー・ロイド・ウエバーが映画版を作りたかったのがよく分かりま

す。ただあらためて思ったのは「劇団四季」の舞台のレベルの高さです。歌唱力に関しては映画版にひけをとら

ないどころかそれ以上かもしれません。配役によるところがかなりありますので、映画版以上の歌を聞かせてくれ

る舞台は今後も充分望めると思います。

 映画版の利点はセットの作りだけでなくアップが可能であるために表情による感情描写をしやす点でしょう。

今回クリスティーヌが怪人とラウルの間で心が揺れるのがその表情を通してよくわかりました。17歳の女優さん

だそうですが、たいしたものです。「ザ・ポイント・オブ・ノーリターン」を怪人とクリスティーヌが歌う場面ではクリス

ティーヌは相手が怪人にすりかわっていることをほぼ承知していて歌っているように見えました。怪人と一緒に

地獄の底までついていく、もう戻れないと歌っているように聞こえました。怪人がラウルを人質にとらなければ、

あるいは彼女の心を独占しようとしなければ彼女はそのまま怪人の側になびいたのではないかという気がしまし

た。

 彼女が言っているようにそもそも彼女と怪人の関係は、彼女が怪人を父が送ってくれた音楽の天使と思って

いたのですから、ほとんど信仰と同じだと思います。恋愛の最高の形が信仰であり、時として男女の愛がそこに

到ることもあるのだと思います。神仏ほど人の心を捉えるものはないと思っています。「ザ・ポイント・オブ・ノーリタ

ーン」は信仰についても言える言葉で、親鸞が法然についていくと言ったのもまさにこの一点を越えたのです。

怪人は天使的な面と悪魔的な面を合わせもった矛盾に満ちた存在ですが、最後にもう一度天使に戻って彼女

を連れ去る、あるいは二人が駆け落ちするというストーリーもあっていいと思いました。アンドリュー・ロイド・ウエ

バーにもう一つの「オペラ座の怪人」を作ってもらいたいと思います。音楽家なのですから貴族の青年が勝つより

音楽に命をかけた怪人を勝たせたかったのが本音ではないでしょうか。そういう思いもあって「ザ・ポイント・オブ・

ノーリターン」が名曲になったのだと思います。私も今回あらためてこの曲が好きになりました。さきほど親鸞の

ことを書きましたが、浄土教には正定聚という言葉があり、往生が定まった人のことを表すのですが、言い換え

ればそれは神仏との関係で「ザ・ポイント・オブ・ノーリターン」を越えた人のことです。ある意味ではもう戻れない

という恐い一線でもあります。恋も信仰も命を懸けるに足る、いや懸けざるをえないものでしょう。

(2005.1.1)明けましておめでとうございます。

 今朝起きてみると、外は一面の銀世界でした。前日の予想で雪が降るかもしれない

とは思っていましたが、本当に雪になりました。広島で元旦から雪というのは久しぶりの

ような気がしますが、一年の始まりにはふさわしいかもしれません。災いの多い昨年でし

たが、新しい年の始まりを告げる酉の声とともに、浄まった世界を見る一年になってほし

いと思います。私も白道を歩み続ける一年でありたいと思っています。

  初雪や白しら明くる世の光   初雪やはしゃぐ子の声年新た

  さてこれから原稿にしていく予定ですが、酉年は真宗には縁が深いと思っています。親鸞の「鸞」という字は

鳳を意味します。この鳥は想像上の鳥ですが、鶏が原型になっていると言われています。親鸞は尊敬した

曇鸞大師からこの名をとったと言われていますが、私は他にも隠された意味があるのではないかと感じていま

す。その一つが親鸞が導きを受けていたと言われる聖徳太子との関係です。太子が斑鳩の宮を建て、後にそれ

が斑鳩寺、法隆寺となりましたが、太子はそこを拠点に飛鳥文化を開いていきます。飛鳥は地名の明日香にか

かる「飛ぶ鳥の」という枕詞からとられた言葉ですが、太子の思いを表す意義深い言葉だと思っています。

この太子由来の斑鳩、飛鳥という鳥が鸞の中に入っていると思っています。

 以前芭蕉について書いた時に、芭蕉の中に住む鳳について書いたことがあります。芭蕉は植物の名ですが、

その葉は非常に大きくて、鳳の羽を思い起こさせます。芭蕉は謙遜して「鳳尾」とも名乗っていますが、本当は

鳳そのものが自分の中に住んでいるのを感じていたのだと思います。諸国放浪も、鳳の飛翔だったのだと

思います。荘子の冒頭に出てくる鳳である大鵬と同じです。

 この鳥が親鸞の中にも住んでいたと思うのです。それは聖徳太子と一体になった鳥だったと思っています。

白楽天が「長恨歌」の中で「天にありては比翼の鳥とならん」と歌っていますが、あのイメージが親鸞と太子との

間にも言えると思っています。親鸞は太子の意を受けてその仕事を受け継いだのだと思います。おそらく

親鸞が京都の六角堂で聖徳太子と出会った時、自分の運命はすべて太子の御手にあることを感じたのだと

思います。

 今年は酉年ですが、終戦の年、1945年も酉年でした。広島に原爆が投下されて60年経ったことになります。

広島では原爆が投下された8月6日を「八六」と呼んでいますが、「八六」と言えば普通の人にとっては、九九で

四十八でしょう。私の中では「八六」は阿弥陀仏の四十八願と結びついているのです。広島の「八六」は新たな

四十八願の始まりであると思っています。四十八願の第一願は「無三悪趣の願」と呼ばれるもので、地獄、

餓鬼、畜生の三悪道がないようにという願です。浄土では当然のことながらすでにそれは成就していますが、

私はこれはまたこの世の平和を願う願であると思っています。浄土が平和の根源であることを知って初めて

この世に真の平和が訪れるのでしょう。

 浄土は言うまでもなく浄土教の表現ですが、それぞれの宗教に似た表現があるはずです。それは神や仏と

言った根源的存在の最も直接的表現、自己表現としてある世界です。その表現はレベルは異なっても根源的

存在を知る者がこの世界においてもできることだと思っています。私の書くこともそういう表現の一部でありたい

と思っています。鶏のようにまだ飛べない鳥ですが、今年も書き続けていきますので、どうぞよろしくお願い致し

ます。

(2004.12.19)御注文お礼

 先月の終わりに中国新聞の洗心欄に『心の国語 中学編』についての紹介記事を載せていただきました。

おかげで非常に多くの方から御注文をいただきました。電話、手紙、メールなどで、これまで私の本を読んで

いただいていた方や、初めての方など対応しきれないほどの注文でした。そのため発送が遅れた方があります

が、なにとぞご容赦下さい。私の写真が載ったせいで、写真を気に入って注文して下さった方もあるようで、

こんな顔でも魅力を感じて下さる方があるのだと妙に感心しました。本の内容がご期待に添えたかどうか

不安ですが、どうか御愛読下さい。新聞の記事については新聞掲載記事のページに載せておきました。

 12月14日に真宗大谷派系の京都光華女子大学の宗教講座で講演をしてきました。大きな講堂でしたが、

ステージに上がって驚いたのは、正面に掲げられていたご本尊です。私は仏像があるだろうと想像していました。

広島に崇徳中高という真宗系の学校がありますが、そこに立派なホールがあり、正面には仏壇があります。

そこで毎日学年を替えて仏参があるのだそうで、私も一度見たことがあります。それと同じような形を想像して

いたのですが、中心に蓮台の上に親鸞聖人の南無阿弥陀仏の六字名号を置き、そこから黄金の光輪が発して

いるものでした。光輪は中心から外への何本もの光の矢と同心円を組み合わせたものでした。そのご本尊の姿

が当日私が話そうとしていた内容とよく合っていたのです。初めて見るスタイルのご本尊と私の話したいことが

一致しているのは不思議なようでもあり、また必然でもあったような気もしました。

 当日のレジュメを浄土教部門のページに載せておきました。実際には前半はこれから「タクティクス」に掲載

する予定の記事の内容を予告編という形で話し、後半がレジュメをはしょりながら進めるという形になりました。

講演の後、私を呼んで下さった、真宗文化研究所の主任教授の方と研究所でお話させていただきました。私が

これまで書いたものをほとんど読んでいて下さったのに驚きました。とても専門の方には評価していただける

内容ではないと思っていましたので、大変心強く思いました。これからも書き続けていこうと思います。今回の

講演をこれからテープ起こしをして冊子にして下さるということなので楽しみにしています。

 講演の準備や進行にかかわって下さった京都光華女子大学の皆様、講演を静聴して下さった学生の皆様、

ありがとうございました。冊子の作成でさらにお手間を取らせることになりますが、よろしくお願いいたします。

 『心の国語 中学編』の注文のお礼を先に書きましたが、『素直になる』の御注文もありがとうございました。

特に東京ではよく出ているようで、青山のブッククラブ回さんからは既に追加注文をいただきました。『素直になる』

までが一応当初のダイジ講話録の予定でしたので、ひとまず出すことができてほっとしています。続編については

まだはっきりしたことは言えませんが、今後出すとすると補遺的な内容になると思います。

 年内はこれで最後になると思いますが、よいお年をお迎え下さい。冬休みは講演で予告した次の記事の準備を

しようと思います。本年はお世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

(2004.11.21)『笑いの大学』

 今月の上旬に今公開されている映画『笑いの大学』を見ました。

どうして見ようという気になったかと言うと、その前に映画『スイング・

ガールズ』を見た時に、予告編があり、妙に気持ちを惹かれたからです。

私自身が特に喜劇が好きというわけではないのですが、検閲官の無理難題

に対して喜劇作家が一生懸命作品を手直しし、その結果より作品がおもしろく

なってしまうというストーリーに惹かれるものを感じたからです。

   映画を見始めて半分ぐらいまで進んだ時でしょうか、自分がこの作品に惹かれた本当の理由がわかったような

気がしました。それは今年刊行した『心の国語』を書いているときの自分と、この喜劇作家とがよく似た立場

だと気付いたからです。国語という教科を通して宗教心をいかに養うことができるかということが私の一つの命題

でした。しかし現代の公教育では神とか仏とかいう言葉はいわば教育禁止用語なのです。その見えない検閲の

網をかいくぐりながら、いかにして実質を伝えるかということをよく考えていました。

 喜劇作家が検閲にめげずによりおもしろい作品を作り出していく姿勢は見上げたものです。検閲官もやがて

その中に巻き込まれていくというストーリーもよくできています。 ラストはどんでん返しと悲劇が二人を待ち受け

るのですが、幸い私は執筆禁止に会うこともなく、今もこうして書き続けています。表現の場があるということは

幸せなことです。

(お知らせ)講演会

 12月14日(火)に京都光華女子大学にて真宗文化研究所の招きで宗教講演会をします。レジュメがほぼ

できたところで、月末には送ろうと思います。演題は「浄土の歌」としました。これまでに書いたものの中から

「妙好人おかる」と松任谷由実の歌を中心に話すつもりです。講演が終わりましたら、このホームページに

レジュメを載せるつもりです。真宗文化研究所の主任教授の方からお話をいただいた時に真宗文化という

言葉を初めて聞きました。宗派を越えた立場で書いているつもりですが、念仏の精神を現代に伝えた

いと思っているのですから、そう呼ばれる資格はあるのでしょう。京都の皆さんにお会いできるのを楽しみに

しています。

(2004.10.17)『イリュージョン』

『絶対無の戯れ』について復刊ドットコムからも連絡を受けました。一応これで復刊したということになるようです。

私としてはPOD版ではな一般書店向けの形がいいと思っていましたので、これで終わりではなく、もっと売れて

森北が一般書として出せるようになってほしいと思います。POD版は1000円ほど高いのですが、これまで手に

入らなかったことを思えばしかたないでしょう。

 もう一つ気になっていたことがあります。それはリチャード・バックの『イリュージョン』です。この本が書店から

消えているのです。集英社のホームページでは絶版とはなっていませんが、実際に購入画面を開くと、在庫なし

になっているのです。復刊ドットコムへの投票がすでにあり、絶版扱いになっているようです。どうしてこういう

ことになったのか理解しがたいものがあります。ロングセラーであったことは確かです。最近うれなくなったのか

外国人作家ですので、契約の問題があったのかよくわかりませんが、売れれば復刊されるはずです。再び

復刊ドットコムへの皆さんの投票をお願いします。

 先月「タクティクス」の著者の集いがありました。編集長の大場さんが開いてくださったもので、非常に楽しい

パーティーになりました。そこで著者の一人、市川一郎さんにお会いして、お互いの本を交換することになり、

市川さんの『ゴーパブリック』(東洋経済新報)という本を送っていただきました。私のしていることとは畑違い

なのですが、企業をやめた若者が自分の研究を活かすために新しい会社を作るというストーリーがなかなか

おもしろく、読み切りました。私は教員をしていますが、気持ちでは独立心を持ち続けているつもりです。

一般書店で手に入る本ですから、よろしければご一読下さい。次回の作品を楽しみにしています。

 7月にお知らせしたダイジ講話録の続編はまもなく完成します。『素直になる』という題にしました。納品が

あり次第、案内します。

追加(お知らせ)

『素直になる 雨宮第慈(ダンテス・ダイジ)講話録4』が完成しました。11月からの頒布になりますが、この

ホームページでの注文をお受けします。書籍の紹介のページをご覧下さい。書店への納品はしばらく時間

がかかりますが、11月中旬までには終えるつもりです。

(2004.9.25)『絶対無の戯れ』再版

 長らく絶版になっていたダンテス・ダイジの詩集『絶対無の戯れ』が森北出版から再版されました。復刊ドット・コム

への投票をお願いしていましたが、ひとまず目的を達成することができました。ただしPOD版(プリントオンデマンド)

という形で、普通の書店に配本するものではないようです。森北としてもこの形ならリスクが少ないと判断したので

しょう。1冊の注文から受けるということなので、森北出版のホームページから注文できるはずです。私のところに

これまで非常に多くの方からどうしたら手に入れることができるのかという問い合わせをいただいておりました。

閲覧可能な図書館を紹介していましたが、これでどなたでも手にすることが可能になりました。

 もう一つ気になっていたのは伊福部隆彦先生の著作です。これも手に入りにくかったのですが、人生道場の

ホームページが開かれ、そこで何冊か手に入ることがわかりました。特に『無と人間』が手に入るのは朗報です。

先日、人生道場の方から連絡をいただき私のホームページへのリンクの申し出があり、喜んで承諾させていただき

ました。私にとっては伊福部隆彦先生は直接お目にかかれなかったものの、ダイジの師でもあり、またその教えが

私によく合うものでしたので、私淑させていただいておりました。現在、人生道場は隆彦先生のご子息の高史先生

が継いでおられますが、昔お目にかかり、親切にしていただきました。人生道場のご発展を祈念いたします。

 森北出版ホームページ   http://www.morikita.co.jp/

 人世道場のホームページ  http://ques5.cool.ne.jp/jinsei/

(2004.9.4)同窓大会に寄せて

 今月私の勤めている修道中高の同窓大会があり、私が9年前に卒業させた学年が幹事を担当します。同窓

大会誌に寄稿してほしいとの要請があり、以下のような文を書きました。遠方にいて当日参加できない卒業生も

多いと思いますので、ここにも載せました。

同窓大会に寄せて       

                                                        渡辺郁夫

 私は修道でこれまで高三を三回卒業させましたが、いずれも赤バッチでしたから卒業学年が同窓大会を担当

するのも六年ごとになります。諸君が二回目の卒業生に当たります。諸君を担当した六年間、私の年齢は三十

代前半から三十代後半にかけてでした。次に担当した学年では高三時に四十代半ばでした。その時にずいぶ

んと生徒と年齢が離れたように感じました。生徒の考えていることより保護者の考えていることの方がよくわか

るようになりました。たぶん君達と過ごした六年間が自分の教師生活の中で最も幸せな時代だったのだろうと思

います。


 六年間の中では中三時の修学旅行と高三時の体育祭が強く思い出に残っています。修学旅行は九州を回り

ましたが、特に天候に恵まれての西海橋の下をくぐるクルージングと花が咲き乱れる柳川での船下りが印象に

残っています。生徒を引率した旅行は何度もしましたが、計画段階から事前学習、天候を含めた実施段階、事

後学習、発表まで何もかもうまくいったのはあの修学旅行がいちばんだったように思います。


 体育祭はその反対で悪天候のために二度も流れた一週間後、ついに土砂降りの中、一般競技はせずに高

三の仮装行列を行いました。私は放送班の参与を長くしていて体育祭の雨にはずいぶんと悩まされてきていま

すが、よりによって自分が六年間担当した学年の最後の晴れ舞台に雨が当たったのは残念でした。しかし雨の

影響で放送機器の調子が悪く音がとぎれがちの中、諸君は体を張った熱演をしてくれました。教室での雄叫び

を上げてのジュースでの乾杯は忘れられない思い出です。


 もう一つは六年間「東方通信」という教科通信を書き続けたことです。国語教科書の教材から文学、映画、美

術、音楽、旅行のことなどずいぶんといろいろなことを書きました。諸君が卒業した後、一年間だけある学年で

書き続けましたが、校内で書くのはその学年が最後になりました。諸君という読者があって続けられたのだと思

います。通信をよく読んでくれた生徒と高三まで図書館で読書会を続けたのも忘れられない思い出です。今は

形を変えて随筆をある雑誌に連載しています。こちらもいつのまにか六年たちました。


 諸君が在学中から始めた出版は昨年までで五冊になりました。出版のきっかけは諸君の学年でした読書会

のテキストを作成することでした。今年それを装丁を改めて再版しました。二冊目も読書会で話したことを整理し

て書きました。また「東方通信」の中学三年間部分を『心の国語−中学編−』という名でこの秋に出版すること

にしました。続編の「高校編」も出したいと思いますが、来年か再来年になると思います。


 私の近況は私のホームページに載せています。ビッグローブで「渡辺郁夫の世界」で検索すれば出てきます。

出版の案内もそちらでしていますのでご覧下さい。時には顔を見せに来て下さい。諸君の今後のご活躍をお祈

りします。  

(2004.7.22) 明和電機

 6月の下旬に「明和電機事業報告ショー」という催しが広島市現代美術館の主催で広島市内で

開かれました。「明和電機」は御存知の方も多いと思いますが、中小企業のスタイルで芸術活動

を続けています。以前は二人の兄弟で活動していましたが、現在は兄は定年退職し、弟の土佐

信道氏が工員数名を率いて活動しています。私が興味を持ったのは、広島のテレビ局で明和電機

の特集をしたことがあり、その時のことが印象に強く残ったからです。土佐氏は兵庫県生まれですが、

父親の経営していた「明和電機」という会社が倒産し、その時に広島県の呉市に引っ越して、中学、

高校、浪人時代までを広島で暮らしたという人です。 呉の片山中学から呉三津田高校の出身で、浪人

時代は広島市の並木通りに下宿し、現在実家は安浦だそうです。広島育ちと言っていい人です。

そういう人が斬新なアイデアで、十年以上、ナンセンスマシーンという全く役にたたないような変な機械

や楽器を作り続けているのが興味深いのです。

 今回のショーは土佐氏の独演会のような形でしたが、いろいろと創作にまつわる裏話を聞くことが

できました。印象に残ったのはどうしてこんな変なものを作っているのかということの説明に、神様が

この世に変なものをたくさん作ったので、自分もそれに近いことをしているのだという意味のことを言

われたことです。これは私自身の感覚に近いもので、私も最大の創作者は神様で、しかも何とおもし

ろいものをたくさん作ったのだろうと思っているのです。遊びの要素がいっぱいつまった創作だと思っ

ているのです。この世界はナンセンスと言えばナンセンス、おもしろいといえばおもしろい、そういう

世界なのであり、人間もその遊びに加わって一緒に遊べばいいと思っているのです。その感覚のない

人はやたら難しいことをしておもしろくもない仕事ばかりしてくたびれ果てていると思うのです。

 今回のショーはまもなく広島市現代美術館で始まる「明和電機」の展覧会の前座のようなものでし

た。本格的なライブショーも今月末に開かれるので、それにも行こうと思っています。何がでるやら

楽しみです。

 この夏は、二つの本の編集をするつもりです。一つは「東方通信」の名前で、かつて私の勤務している

学校の生徒向けに書いたシリーズをまとめることです。9月には形になるように、現在校正中です。

「心の国語 中学編」という題名にする予定です。でき次第また案内しますので、その際はよろしくお願い

します。もう一冊はダイジ講話録の続編です。暑い日々が続きますがお元気でお暮らし下さい。

(2004.5.23)  野生の馬

 これはある場所で撮った野生の馬の写真です。

どこだかおわかりでしょうか。宮崎県の南端にある

都井岬です。ここを訪れるのは7年ぶりです。以前

訪れた時は鹿児島から宮崎側に回ったのですが、

今回行く前に調べてみると、以前利用した、指宿から

鹿屋側に渡るフェリーがなくなっていることを知り、宮崎市

から、日南海岸を南下し、都井岬まで行きました。かなり

の距離がありますが、このルートは左に果てしなく太平洋が広がり、非常に気持ちのよいルートです。

私がこれまで旅行して走った道の中で五本の指には入るルートだと思います。日南市まではそこそこ

人家があるのですがそこを過ぎるとぐっと人口密度が下がります。都井岬の少し手前では野生の猿の

親子にも会いました。

 都井岬は野生の馬が多く住むことで知られています。美しい灯台があるのですが、灯台のすぐ近くの

斜面にも多くの馬がいて無心に草を食べています。この写真を撮った場所はホテルがあるところで

ホテルの前の広場に何匹かの馬がいて、あるものは寝そべり、またあるものは人が近づいても

このように逃げることなく写真を撮らせてくれます。天気のいい日で、馬たちを眺めていると幸せな

気持ちになりました。

 この写真ではよくわからないかもしれないのですが、ここの馬を見てすぐに気付くのは馬が小ぶり

であることです。以前に見たときもそうだったので驚きはしないのですが、知らないと子馬ばかりなのか

と思ってしまいます。ロバくらいの大きさでしょうか。しかしこれが日本の在来の馬だったようで、サラブ

レットのように足は長くないのですが、とても親近感を感じます。

 『日と霊と火』に書いたように大和朝廷のルーツは伝説通り日向にあると思っているのですが、弥生人

達が乗っていた馬もこのような馬で、このような馬にまたがって英雄達が東征して行ったのかもしれませ

ん。現在の馬は時代的には江戸時代から放牧され、外来種に押されて滅びかけたものを保存運動が

起こり、こうして今に至ったものだそうです。またいつか訪れたいと思いますが、その時もこのように近くで

親しみたいと思います。地元の方、よろしくお願いします。

 余談ですがこの岬のある串間で手に入れた「松露(しょうろ)」という焼酎があります。白さつまいもを原

料としたものですが、芋焼酎としてはくせがなく、かといって淡泊ではなく、ほどよい味加減です。中庸とい

ったらいいのでしょうが。1本目があいてしまって、今2本目を飲んでいますが、なくなったら直接注文して

みようかと思っています。よろしければ一度お試し下さい。

(2004.4.29)「十三番目の冥想」新装版

 書籍の紹介のページに紹介していますように「十三番目の冥想」の

新装版を出しました。初版は同じ装丁で二回刷りましたが、残部が

わずかとなり、今回装丁を新たにして第二版を出しました。私としては

記念碑的な本です。それが皆様の支持を得て第二版を出せたことに

深く感謝します。デザインのイメージは「初転法輪」ということと、帯に

使った「君の命が動く」という言葉からできたものでいい感じになりまし

た。当然制作費はアップしたのですが、内容が初版と同じですので、

値段は据え置きました。

 内容は初版と同じなのですが、若干字句の訂正があります。一つは「伊福部隆彦」先生の「福」が

「服」になっていたのを訂正したことです。これは間違いに気付いておられた方も多いと思います。

もう一つは「救世主入門」の副題を「三歩先を行く精神が心がけるべきこと」としたことです。どこが

変わったかお気づきでしょうか。初版では「精神」となっていたのです。これについてはダイジの

指導を受けた方から指摘があり、直したものです。原稿には「を」となっているものと、「が」となって

いるものがあり、最終的にダイジは「が」としたという指摘です。検討の結果、指摘に従い、「が」

にしました。

 この意味の違いがおわかりでしょうか。「精神を心がける」という方がわかりやすいと思います。

「三歩先を行く精神」とは何かがわかっていない者にとっては、これから本を読んでその精神を理解

してそこに近づこうとするということです。「精神が」とすればすでにその精神を理解していて、それを

心がけるということになります。わかりにくいと思いますが、すでに君はその精神を本当は知っている

のだというメッセージが込められているということです。もう一度原典「救世主入門」を読み直してみて

下さい。

 それから「救世主入門」が入っているリチャード・バックの『イリュージョン』が絶版になっているという

指摘が読者の方からありました。意外に思ったのですが事実のようです。古本ではまだ出回ってい

るようですから探してみてください。復刊ドットコムへの投票では今日現在20票です。「絶対無の戯れ」

と同様にどうぞ投票をお願いします。

(2004.3.25) 白い巨塔

前回『砂の器』について書きましたが、同じく有名な文学作品のドラマ

化されたものとして『白い巨塔』の放送が先週で終了し、今日総集編が

放送されます。私は前半の教授選をめぐるいきさつの部分はそれほど

おもしろいとは思わず、とびとびにしか見ませんでしたが、後半の医療

裁判の部分は非常に興味があり、ほとんど毎回見ました。

 『砂の器』のドラマはかなり原作と変えられていましたが、『白い巨塔』

の方は原作にほぼ忠実です。古い作品なので、現代の先端の医療とギャップがあるのではないかと

思ったのですが、それほど変えてあるとは思いませんでした。財前教授の患者への接し方、説明の

仕方などに重点をおけば問題はなかったのでしょう。それにしても原作はよくあれだけ癌治療の最前線

の問題を描いたものだと思います。よほど取材をしっかりしなければあれだけのものは書けないと思い

ます。医者出身の小説家なら書けるのはわかりますが、文学畑の人があれだけ書くのは大変なことです。

 最終回の視聴率は40%近いものだったそうです。原作がしっかりしていることがこのドラマの成功の

最大の要因でしょうが、私たちが命を預ける医者への関心の高さが何よりも背景にあるでしょう。医者は

患者にとっては神に近い存在であることをこの作品を通じてつくづく思いました。財前はすばらしいメスさ

ばきというまさに神業によって自らの地位を確立するのですが、その力への過信がまた自らの墓穴を掘る

ことになります。高度になればなるほど神と悪魔の紙一重のところに立つのが現代の医者でしょう。財前の

対極として描かれる里見はあくまでも謙虚に医学と患者への奉仕に徹します。宗教で言えば二人は自力と

他力の関係に相当するように思います。番組では主題歌として「アメイジング・グレース」を使っていましたが、

前半の教授選をめぐる部分ではなぜこの曲を使うのかわからなかったのですが、後半部の内容にはよく

合っていると思いました。神の恩寵を語るこの曲を最後に求める立場に立ったのは財前だったのでしょう。

財前がよく口ずさんでいたワーグナーのタンホイザーもいい曲ですが、ワーグナーの音楽がもっている

神と悪魔の両面がこのドラマによく似合っていると思いました。 

(2004.2.20) 砂の器

 松本清張原作の『砂の器』がドラマ化されていて毎週見ていま

す。ちょうど私が高校生のときに映画化されたと思うのですが原作

を読み映画を見ました。原作と映画のストーリーは大筋では同じで

すがいろいろな点で変更が加えられています。今回のテレビドラマ

は時間がたっぷり使えるのでより原作に忠実になるのではないか

と思っていましたが、意外にもそうではなく音楽家和賀英良を全面

に出しその内面を描こうとしているようです。今回原作を読み直してみて原作がベテラン刑事の捜査を

追いながら犯人がわからないように書かれているために和賀英良の内面がほとんど描かれないという

推理小説としてはやむをえない構造的な問題を抱えていたことがよくわかりました。おそらく松本清張

自身も書きたくても書けないというジレンマに陥っていたと思います。映画版を見たときにいちばん印象

に残っているのは巡礼の姿をして各地を放浪する親子の姿です。引き裂かれた親子が、親は療養所で

どこに行ったのかわからない子を思い、子は自身の過去を隠しながら音楽の中で自分の思いを語り、

二人は音楽の中でしか会えないという設定は見事なものだと思います。皮肉にも見えない糸をたどって

二人を結びつけていくのはベテラン刑事の今西です。映画版の刑事役は丹波哲郎でしたが名演でし

た。父親役は映画では加藤嘉でしたが療養所を尋ねて和賀の写真を見せてこの人を知らないかという

今西に年老いた父親がしばしの沈黙の後全身を震わせて知らないと強く否定する場面は日本映画史

に残る名場面だと思います。

 この作品で事件を解く鍵になるのは地名の「亀嵩」と東北弁によく似た出雲弁です。同僚に島根の人

がいるので聞いたところ出雲弁というのはたしかにあるそうでしかも二人とも口をそろえて言ったのは

自民党参議院議員の青木幹事長は出雲弁がよく残っている人で出雲の人が聞けばすぐわかるそうで

す。以前私も亀嵩に行ったことがありますが駅の近くに「砂の器」の石碑が建っていました。松本清張

がこのあたりを舞台として使ったのは父親が中国山地の山間の矢戸の出身で米子で育ち中国山地を

越えて大阪あたりまで放浪した経験の持ち主だったことが関係しているようです。松本清張の母親は広

島の志和の出身だそうで広島弁が抜けなかったそうです。松本清張の両親は広島で出会い清張は下

関と小倉で育っていますが両親の話す言葉と自分のいる土地の言葉が違うという経験をしてきたはず

です。

 今後このドラマがどのように展開していくのか楽しみです。映画版の方もながらく見ていないのでドラ

マが終わったらレンタルで見ようと思います。

(2004.1.1)  初夢  明けましておめでとうございます。

 2004年になりました。大晦日にNHKの「行く年来る年」

を見ながら除夜の鐘を聞き、新年を迎えました。その後寝た

ので今年の初夢はその時に見たものになるのでしょう。朝

目をさまして覚えていたのは何と生長の家を主催しておられ

た故・谷口雅春師の講義を受けたことでした。谷口氏が羽織

袴を着て出てこられました。谷口師はかなり高齢まで生きら

れたと思いますが、私が見た谷口師は初老の感じで60歳前

後のように見えました。重々しい口調ながら張りのある声で

宗教家が一番雰囲気がでるのがこのくらいの年齢かなと思いました。服装は和服でしたが、講義の

内容は自分の哲学と西洋哲学を比較しながら解説するものでアカデミックな雰囲気でした。

 私がこのホームページで書いてきた内容に谷口師が直接関係したことはないと思うのですが、目が

さめて思うに、新年にふさわしい夢だと思いました。谷口師は神道系の方ですから、夢の中で初詣を

すませたようなものです。羽織袴の服装も新年にふさわしいものだと思いました。考えてみると、谷口

師の頭の中では自分の哲学が西洋の人々の批判に耐えられるかどうかということがあったのだと思い

ます。神道系の宗教の中にはそんなことはおかまいなしに日本の人だけにわかればいいいというところ

が多いと思います。私の場合は浄土教を中心としながら、それを世界的に見たらどう見えるだろうという

思いがあります。そういう意味で日本に生まれその伝統的宗教の中で自己形成をしながら世界を見てい

た姿勢は大いに学ぶべき点があると思います。夢の中でお会いできて幸せでした。私も頑張りたいと

思います。



(2003.12.25)本願のクリスマス

 広島市の中心部にあるツリーの写真を入れようかと

思ったのですが、前回呉のイルミネーションを入れたので

今回はぐっと家庭的に我が家のクリスマスケーキの画像

を入れました。私が家に帰った時にはすでにできあがっ

ていましたが、なかなかのできばえです。イチゴがとても

高かったと妻が言っていましたが、立派な形のいいイチゴ

です。クリスマスがありがたいのは家庭のよさを味わえる

ことだと思います。クリスチャンの家庭ならもっと厳粛なものになるのでしょう。私自身は浄土教の中に

キリスト教を含めて考えているのでそれなりの気分があります。言葉の違いにひっかかる人には受け入れ

がたいかもしれませんが、私には本願も神の愛も大した違いはありません。本願が経典の中から生まれた

と思っている人には理解しにくいでしょう。「発掘歎異抄」はそういう垣根を越えたものから書いています。

 この日、帰り道で聞いていたラジオからはクリスマスソングが流れていましたが、それを聞きながらいつも

以上に本願を感じていました。本願力と言いますが、本当にこの力が自分を動かしています。人々がそれ

にめざめればこの世に調和が訪れるでしょう。この世の力で作られるものとは根本的に違います。イラク

の混乱がなかなか収まらず外交官の方が亡くなられ、また自衛隊が派遣されようとしています。非常に

心の痛むことです。現実的には何もできないのかもしれませんが、私が書き続けてきたことは、この世の

争いを根本的になくす道だと思っています。争うから不幸なのではなく、不幸な人が争っているのです。

私にはそう見えます。来年もまた飽きることなくこの道を語り続けようと思います。よいお年をお迎え

下さい。

(2003.11.30) 呉イルミナーレ

 これは呉のポートピアパークで開かれている呉イル

ミナーレの写真です。自分でも撮ったのですがうまくとれ

なかったのでポートピアパークのホームページにある

写真を借りました。中心となる教会を撮ったものですが

実際に写真を撮ると大変な人出で、こんな無人の景色を

撮るのは無理です。先週から開かれ、私は2日目に行

きました。2000年の冬から開かれるようになり、今年が

4年目だそうです。私が行ったのは1年目と今年の2回です。1年目が30万個の電球で始まったそうですが

今年は100万個にスケールアップしたそうです。ただ電飾を付ける範囲が広がっていったようで、中心と

なる教会の部分は変わっていないようでいした。それ以上に驚いたのは出店している店の数で、屋台村

のようなものができていました。そのほか子ども向けの乗り物も臨時に置かれて、明るい内から楽しめる

ようです。

 呉ポートピアは元は阪急グループが作った遊園地でしたが、長引く不況のために閉園しました。その後

無料の公園となり、冬にこのようなイルミネーションのイベントが開かれるようになりました。神戸のルミナ

リエをまねたものでしょうが、なかなか見応えがあります。さらにもとはクリスマスの電飾から始まったもの

でしょうから、中心に大きな教会があるこの公園はいい場所だと思います。どうして教会があるかというと

遊園地の時代にコンセプトがスペイン風の街を見せるということで、その街の中心として作ったからです。

信者がいるわけではなく形だけのものですが、しっかりとした作りになっていて今でも結婚式やコンサート

に利用されています。1階はレストランがあり、いつも営業しています。そして1年に1度、こうしてより本物の

教会らしくなります。中央がトンネルになっているのですがこれを抜けると羽のある天使のイルミネーション

があります。寒い時期に心を暖めてくれる催しです。無料で楽しめるのですが、当然費用がかかるはずで

公園の入り口で募金の要請があり、気持ちだけ協力しました。記念品をもらえたので子どもは喜んでいま

した。クリスマスのころまで続くはずですが、クリスマスには相当混み合うでしょう。よいクリスマスをお迎え

下さい。

(2003.10.20) 柳井

 先週の3連休の時に、山口県の柳井に行きました。広島からは近いところですが、どういうわけか行った

ことがありませんでした。今回職場の企画で日帰り旅行があり、その目的地が柳井と大島だったので、申し込み、

家族で出かけました。広島からは高速と一般道を使って1時間半くらいかかります。日帰りではちょうどいい

くらいの距離でしょう。柳井は古い町並みが残り、また国木田独歩ゆかりの町としても知られています。ちょうど

授業で国木田独歩を取り上げたばかりでした。

 広島には柳井同様に古い町並みが残る町として竹原があります。柳井の町並みは竹原よりやや小振りな感じが

しますが、よく整備されているという印象でした。竹原は以前私が行った時には持ち主がなくなったのか崩れたような

家があり、保存が追いついていない感じがしました。柳井ではそういうところがなく、落ち着いた雰囲気の中にもほどよい

にぎわいがあり、天気もよく散策を楽しむことができました。

 最も時間をかけたのは柳井名物の甘露醤油を作っている蔵元でした。今でも大きな仕込み樽の中で醤油の発酵

が行われていていい香りが漂っています。樽の表面の泡が醤油が生きていることを教えてくれます。初めて見る光景

でした。ここの醤油は一度できた醤油をもう一度仕込むことによって独特の風味をもつ醤油となるのだそうです。

 我が家では私が子どもの頃から直接醤油の蔵元から醤油を買っていました。藏の人が定期的に回って来て、空いた

瓶を新しい醤油の詰まった瓶に交換していきます。いつも醤油の詰まった瓶が倉庫に何本かありました。もちろん

店に行けば大手の醤油メーカーの製品がいつでも買えるのですが、嗜好品というのは変えにくいのでしょう、ずっと

同じ醤油でした。ヤマカという屋号でしたが、広島の人なら御存知かもしれません。私が高校生のころだったと思い

ますが、とうとう廃業になりました。いい味だったので残念でした。その後は同じ広島の川中醤油というところの製品

を使っていますが、なかなかのものです。今回醤油の蔵元を見学していい醤油ができるのは時間と手間がかかるのが

よくわかりました。藏の前で藏の人にお願いして記念写真を撮りました。どういうわけか藏の前を流れている小さな溝に

蟹が何匹もいました。この藏から出る排水が体にいいのではないかと思いました。変なものを使っていたら蟹は寄って

こないでしょう。

 その後町をうろついていたのですが、国木田独歩の記念館に行く時間がなくなってしまいました。団体なので時間の

制約があるのです。しかし、国木田独歩のような文学者を生む町だというのは歩いていてよくわかりました。甘露醤油

の藏が残ったのは製品がいいのはもちろんでしょうが、町の人々が大事に守ってきたからでしょう。町並みも同様です。

国木田独歩は詩人的な文学者ですが、そういう人を育む町です。町を歩いていて甘露醤油を使ったソフトクリームがあり

ました。子どもが食べたいというので注文し、私も少しもらいました。醤油の香りと深みのある甘みがしました。和洋折衷

の明治という時代を感じさせる不思議な味わいでした。またいつかゆっくりと歩いてみたいと思います。

(2003.9.15)『キャッツ』再び

 8月から行われている劇団四季の『キャッツ』広島公演に、8月の末に行ってきました。チケットの売れ行

きがよく延長が決まり、11月24日が千秋楽になりました。おかげで1983年11月11日から始まった

『キャッツ』の日本公演が広島で20周年を迎えることとなりました。広島としても光栄なことだと思います。

イラク戦争が始まった時に書きましたが、『キャッツ』広島公演は平和へのメッセージだと思います。イラク

戦争は大規模な戦闘は終結したものの、ゲリラ戦が続き、アメリカ軍は苦戦しているようです。戦場にいる

兵士がもし「メモリー」を聞いたら何を思い出すでしょうか。故郷の家族でしょうか。きっとかえりたくなるは

ずです。アメリカ軍がしたことはイラクの人にとってのその故郷や家族の破壊です。戦場の兵士がもう戦争

はいやだと思うことが戦争を終わらせる近道でしょう。

 今回の公演を見るに当たり、ある方を通して四季の俳優である飯野おさみさんのことを知りました。飯野

さんは今回の公演では鉄道猫のスキンブルシャンクスを演じておられます。それでスキンブルの出番を

楽しみにしていました。「発掘歎異抄」に書いている連載ではスキンブルのことはそれほどふれていませ

んが、エンターテイメントとして見れば、スキンブルの出る場面は本当に楽しい場面です。特に子どもには

絶対に受ける場面でしょう。曲が楽しいし、猫たちがあっというまに機関車を作り上げてしまうのは見事です。

煙突に見立てたやかんからは蒸気も出ます。今回もこのシーンを楽しみました。飯野さんと、おばさん猫

を演じる服部良子さんは初演時からの出演だということです。舞台で見る限りは若手の俳優とまったく

変わりません。サインもいただきありがとうございました。今後も記録を更新し続けて下さい。

(2003.8.17)富士山

 こうして画像として取り込んでみると、それらしくは見えない

のですが、これは富士山の5合目から頂上を撮ったものです。

長らく東京にいたのに富士山に登ったことがなかったので、今回

登ってみました。私は山は好きなのですが、登るのより見る方が

好きです。登るのは肉体的に大変なのと、神聖なものを踏んで

いいのかという思いがあって、できるだけ近づければいいという

気持ちでこれまで接してきました。

 この日は晴れだったのですが、麓から見る富士山は雲に覆われ、時折頂上が見える程度でした。富士スカイライン

に入って間もなくして車は雲の中に入ってしまい、ライトをつけながら進みました。幸いバスが前にいたのでそれを

目印に進みました。4合目あたりで雲の上に出たようで視界が開け頂上が見えました。ただ頂上だと思うところに

雪がないので本当にこれが頂上なのかと思ったのですが、車で行ける最高点の5合目(2400メートル)まで来て

間違いないのがわかりました。雪がないのが少し物足りない感じですが、時折雲がかかり、またそれが晴れるのを

見るのがおもしろく、1時間近く展望台で過ごしました。展望台から見る下の様子は一面の雲でこれが伊豆あたりまで

見渡せればもっとすばらしかったのでしょうが、夏はこんなものでしょう。

 以前、月山に行った時もそうだったのですが、雲の中に閉じこめられると不安になります。山に慣れた人はそうでも

ないのでしょうが、別の世界に踏み込んだ感じです。月山は擬死体験をする場なのでその方が山にふさわしいので

しょうが、富士山に登る人はどうなのでしょう。日本一高い山に登るのが目的でしょうから擬死体験などと考えたことは

ないでしょう。月山では登る人の半分以上が、白装束でした。月山には東北各地に講があるそうで、かつては富士山も

そうだったのでしょう。死ぬまでに一度は行きたい場所です。

お知らせ

 
東京の、ブッククラブ回、古書大予言、に続き、広島の書店(広文館書店、フタバ図書、紀伊国屋、ジュンク堂)

へ『最高に生きたい』の配本を終えました。どうぞご利用下さい。

(2003.7.12)敗者復活

 今回は非常に更新が遅れました。例年6月は学校の仕事で忙しいのですが、今年は特に多忙でほとんど

休みがなく、更新する余裕がありませんでした。5月20日に発行しました『最高に生きたい ダンテス・ダイジ

講話録3』に多くの方から御注文をいただきありがとうございました。東京の専門書店からはすでに追加

注文をいただきました。私の方に注文いただいた方には発送する際にできるだけメールの返事をさし上げる

ようにしているのですが、今回は忙しく発送だけになってしまいました。御注文いただいた方にあらためて

お礼申し上げます。よろしければまたご感想をお寄せ下さい。

 『発掘歎異抄』の更新も遅れてしまい、2ヶ月分をまとめて更新しました。原稿だけは何とか書くことができ

ました。できれば原稿を書くだけの生活になればいいといつも思うのですが、そうはいかないでしょう。せめて

原稿を中心に生活が回るようにと思っているのですが、4年間書き続けてきたせいで毎月の締め切りが

いつも頭にあり、そこから他のことを逆算する癖がついたようです。しかし月1本の原稿で頭が一杯なのです

から、原稿料で生活している人の頭の中はどうなっているのだろうと思います。私の同級生にコラムニストの

神足君という人がいて、テレビにもよく出て、雑誌に何本も連載を持っています。昨年彼が私の勤めている

学校に卒業生ということで講演に来てくれ、興味深い話をいろいろ聞かせてくれました。講演の直前は

海外に行っていて原稿の締め切りに間に合わすために大変だったという話をしていました。いつかある

雑誌の連載で彼が吐血したことを書いていましたが、大変なのがよくわかります。

 前回書いたように巌流島に行って武蔵の像を見たのですが、武芸者の生活というのはどんなものだった

のでしょうか。いつも張りつめていなければならず、負けることが絶対に許されない生活でしょう。そういう

生活に人が耐えきれるのか。晩年の武蔵が仕官を求めたのは無理からぬことのように思えます。私など

いつも敗者復活を説いているようなもので、負けることから人生が始まるという考え方です。即ち自我の

敗北と神仏への目覚めが同時にあるという考え方です。この転換を仮に「悪人正機」と呼んでいるのです。

 巌流島の後は「おかる」という妙好人がいた六連島という島を訪れました。『発掘歎異抄』に書きましたので

お読み下さい。花の島としても有名で、船には花の買い出しにきたらしい人が何人も乗っていました。巌流島

と同じく下関にある島なのですが、決闘の島と花の島で、全く対照的です。いつかまた六連島を訪れたいと思

っています。

(2003.5.16)二つの島

 この橋が何かおわかりでしょうか。答えは関門橋です。

ではどこから見たものでしょうか。私は何度も関門橋を

渡り、この橋を見てきましたが、この位置から見るのは

初めてです。これは巌流島から見たものです。関門地区には

何度も行っているのですが、巌流島に行くのは初めてです。

私は何年も前に、熊本の島田美術館に行ったことがあります。

武蔵の書画を収蔵していることで知られている美術館です。

その作品を見てこれは並の禅家のレベルではないなと思いました。今年大河ドラマで「武蔵」が放映されて

いるのでよく見ています。巌流島にはおかげで船の定期便ができて行きやすくなりました。さっそく行った

しだいです。島には武蔵と小次郎の決闘の像ができていました。この決闘の時代から武蔵がどのように

禅の世界に向かっていくのか興味深く思っています。

 この日の午後、下関から20分ほど西の日本海に浮かぶ六連島に渡りました。この島は今は花の島として

有名で私が行ったときも帰りの船は花束をたくさんかかえた客が何人もいました。私の目当ては花よりも

この島にいた幕末の妙好人「お軽さん」のいた島を見て、彼女の通った寺と記念碑を訪れることでした。

今この島が花の島として有名になったのは彼女の遺徳のせいなのではないかと思えてきました。平和な

いい一日でした。このことは「発掘歎異抄」に書く予定です。

お知らせ

『最高に生きたい』が完成しました。またこれに合わせて、『君がどうかい』もカバーを付けた新装版

を出しました。書籍の紹介のページで紹介しています。特約書店には近日中に出したいと思います。

今後ともよろしくご支援下さい。

(2003.4.13)坂のある町
 この写真がどこかおわかりでしょうか。おわかり

なら、かなりの旅行通か、城下町ファンでしょう。

答えは大分県の杵築です。国東半島の付け根、

別府から30分ほど国東半島に走ったところにある

小さな城下町です。大分県は荒城の月で有名な

竹田や天領の日田など魅力的な町がいくつかあり

ます。杵築はそれらに比べるとやや知名度で劣る

かもしれませんが、なかなかいいところです。

私は春休みに大分と福岡に旅行し、ここを訪れました。武家屋敷のような町並みが好きなのですが、杵築

の場合は武家屋敷が残っているだけではなく、石畳の坂道が残っていて、両者の組み合わせでこの町の

魅力が生まれていると言ってもよいと思います。杵築の町は大きく分けて南の台地と北の台地があり、この

写真は北から南を眺めたものです。いったん下った道が再び登っています。私は手前側に駐車して、あ

たりの武家屋敷を見学したあと、この坂を行き、南側の武家屋敷と城下町資料館を見学しました。資料

館の前からは遠浅の海が見えます。この海にはカブトガニも住んでいます。4時間ほどこの町をうろつき

ましたが、天気もよく本当にこころなごむ一日でした。海のむこうで戦争が行われていることなど信じられ

ないような一日でした。

お知らせ

『ダイジ講話録3』はデザインを4通り考えてもらいました。私の気に入ったデザインがあり、ほぼそれに

決まりです。細部を詰めなければなりませんが、月末には決まると思います。題名は『最高に生きたい』

です。講話の中の言葉をとりました。

メールアドレスを表面上隠しました。迷惑メールが多いのです。ホームページを開いたときから必要上

仕方ないと思っていましたが、もう今さら遅いとは思うものの、隠してみました。メールアドレス数万件を

買わないかという広告のメールが来ますが私のメールアドレスもその中に入っているのでしょう。アドレスの

変更も考えなければならないかもしれませんが、このページからはアクセスできるようにします。


(2003.3.21)尾道

 今月の広島はなぜか休日に雨が多かったのですが、3月2日は快晴で、

尾道に出かけました。千光寺公園にある尾道市立美術館で印象派の展覧会

があり、ゴッホの「跳ね橋」が来るというので出かけました。美術館に行く前に

尾道映画資料館に寄りました。酒蔵を改造したような建物で、小津安次郎監督

と新藤兼人監督の展示が中心で、古い映画のポスターが張り巡らされ、それな

りの雰囲気がありました。ただし大林宣彦監督の展示がないのが不思議で、

それを期待した人も多いのではないかと思いました。ぜひ加えてほしいものです。

 その後尾道ラーメンを食べに行ったのですが、インターネットで検索した「朱華園」という店に行きました。

11時過ぎに行ったのですが、すでに店内は満席で、しばらく待ちました。醤油味ですが、こくがあり、また食

べてみたいという気にさせてくれるラーメンです。広島のラーメンは醤油豚骨味が多いので、醤油味は珍しく

思いました。店を出てみるとすでに行列は50メートルは伸びていたと思います。観光客と常連がミックスして

いる感じでした。ここにしかない味であることは確かです。醤油ラーメンが好きな人にはお勧めです。

 午後から尾道市立美術館に行ったのですが、天気がよかったせいかかなりの人出でした。ゴッホの「跳ね橋」

を宣伝していましたが、印象派の主な作家はほとんど来ていたと思います。なかでも目を引いたのはセザンヌ

でした。私はこれまでセザンヌの絵をみるたびにどうも絵がくすんでいるような気がして今ひとつ好きでなかっ

たのですが、いい作品に当たらなかったのかもしれません。今回見た「洋梨のある静物」は魅力的で特に洋梨

の緑にひかれました。みずみずしくてしかも深みのある緑でいい色でした。ゴッホの「跳ね橋」もそれなりによか

たのですが、セザンヌの方が印象に残りました。展覧会というものは行ってみないとわからないものです。

 美術館を出たあと千光寺に寄ったのですが、途中に彼岸桜だと思うのですが、何本か見事に咲いていま

した。メジロだと思うのですが、花に寄っていて、しきりに蜜を吸っていました。ズームレンズで何枚か写真を

撮ったのですがあまり大きく写っていませんでした。それでイラストをかわりに使ったわけです。戦争が迫って

いるのを忘れさせてくれるいい一日でした。

 昨日からイラク攻撃が始まりましたが、これについては「発掘歎異抄」に関係することを書きました。5月号

の「タクティクス」に載るはずです。

 「ダイジ講話録3」はデザインを考えてもらっているところです。帯の文面を示してそこから浮かぶイメージ

でデザインしてほしいと要望しています。今月で「ダイジ講話録2」を出して1年になりますが、予定のほぼ

1.5倍出ています。「十三番目の冥想」と「歎異抄を読む」は在庫が100部を切ってしまいました。今回新しい

講話録の発行と、「十三番目の冥想」と「歎異抄を読む」の増刷と、どちらを優先しようかと思ったのですが、

新しい講話録の発行を望んでおられる皆様の希望を優先させることにしました。これまで購入していただいた

皆様ありがとうございました。

(2003.2.16)シュミレーションゲーム

 昨年は高3生の担任をしていましたので、昨年の今頃は卒業式が終わり、私立大学の入試結果を聞いていた

ころです。今年は1浪の諸君が残っていますので、1月のセンター試験後は受験大学の相談に応じていたりしま

した。先週から私立大学の結果を聞き始め、一人早稲田に受かったと報告してくれました。私の子も中学受験が

終わりほっとしているところです。今日は久しぶりに子どもと遊びに出かけ、広島市の交通科学博物館に行きまし

た。数年前にも行ったのですが、展示には大きな変化はありませんでしたが、シュミレーションゲームが増えて

いるようでした。その中に電車を運転するものがあり、子どもにさせたあと、私もさせてもらいました。広島には

市内電車が走っていて、運転席の様子が客席から見えていつ見ても飽きないのです。自分が運転することは

不可能ですが、シュミレーションゲームはそういう欲求を少しですが満たしてくれます。

 運転席に座っていて、古い話ですが飛行機のシュミレーションゲームに夢中になった男が飛行機をハイジャック

した事件を思い出しました。たしか取り押さえれらて大事には至らなかったはずですが、男の気持ちがわかるような

気がしました。私の父は旧国鉄の出身で、退職後も旅行会社に勤めていました。父は電車の運転はしていません

でしたが、少年時代の私は乗り物や旅行への関心はかなり強かったと思います。もっとも男の子はたいていは

そうかもしれません。家の近くを鉄道が走っていましたので、よくそれを見たものです。ときどき蒸気機関車が

走ることもあり、その迫力たるや圧倒的なものがありました。運転席に座って、ノスタルジックでそれでいて少しこ

わいような変な気持ちを味わいました。もっとやりたかった、できれば本物をという気持ちが残ってしまいます。

 ここ数日アメリカがイラク攻撃をするかどうかに世界の関心が集まっています。ブッシュ大統領には湾岸戦争に

勝った父親のブッシュ元大統領のことがどうしても頭から離れないのだろうと思います。父を越えるためには自分

は父ができなかったフセインの追放をするしかないと思いこんでいるのでしょうか。もう一つ緊張が高まっている

北朝鮮との関係でも似た面があります。こちらは金正日書記の方で、朝鮮戦争に勝った父の金日成主席がブッシュ

大統領以上にのしかかっているのだと思います。本気でもう一度やるとは思いませんが、なんとかして乗り越えた

いという思いが今危険なシュミレーションゲームをさせているような気がします。ファーザーコンプレックスから戦争が

起こるなんてことがあるのでしょうか。でもどこか大人げない感じがします。飛行機を乗っ取った男は本来そこに

座るべきではなかったのですから引きずり出されましたが、ブッシュ氏も金正日氏も操縦席にすで座っているの

です。できればシュミレーションゲームのままで終わってほしいものです。

お知らせ

 ダイジ講話録3を編集中で、校正が進んでいます。今回は装丁を少しよくして一般書店に置けるような本に

したいと思っています。もっとも予算のことがありますので、見積もり次第ではこれまでのような装丁になるかもしれ

ません。この春には出したいと思いますので、もう少しお待ち下さい。

(2003.1.1)明けましておめでとうございます。

 2003年が始まりました。30日に初めて卒業させた学年の

放送班の卒業生とささやかな忘年会をしました。皆さん立派に

なられてうれしい限りです。帰宅したのが深夜の1時頃でしたので

さすがに体に応えて、大晦日の日は休養していました。冬休みに

なって1週間が過ぎましたが、大掃除を分けてしていたせいもあり、

4日ほどは、掃除と整理をしていました。毎年のように、こんな寒い

時期に掃除をしなくても、もっと気候のいい時期にすればいいと思う

のですが、なぜかそういう時期はやる気になりません。原稿の締め

切りと同じです。しかしおかげで家は少しきれいになったような気が

します。きれい好きは日本人の国民性だと言われますが、やはりきれいにしないと新年を迎える気になりません。

外国では大掃除という習慣はあるのでしょうか。あるとすればクリスマスのある国では早くからとりかからないと

いけないでしょうから、大変だと思います。

 さて今年はどんな年になるのでしょうか。平成になってからは不況が続いてきました。はじめのころは今年こそ

景気回復をと思う人が多かったと思いますが、最近は不況慣れというのか、それなりの適応をしていくしかないと

思っている人も多いと思います。地味に生きれば、生活は何とかなりそうです。私の出版活動も何とかとぎれず

ここまで続いてきました。内容からして大当たりをするのは難しいでしょうが、継続することを最低限の目標に、

今年もロンブセラーを目指して、新刊を出したいと思います。

  私は宗教や教育の世界にいる人間なので政治経済のことはよくわからないのですが、しかし基本的なものの

考え方としては通じる部分は多いと思います。むしろ基本にあるそういう考え方を無視して技術的なものにはしること

から問題が生じていると思うのです。『日と霊と火』の中で強調しましたが、「産霊(むすひ)」というすぐれた考え方

が古代信仰にあります。現代の少子化社会は産霊というきわめて素朴でしかもたしかな思想を人々が失った結果

であると思います。自分を生み出したものへの感謝とそして自分もその創造に参与することを喜びとするのは当然

のことです。ところが頭でっかちになるとそれがわからなくなるのです。経済活動ももとは産霊にあると思います。経済

構造が変わり、農業や工業生産から知的生産物にシフトするとしてもやはりすぐれた知的生産物は産霊から生まれる

と思っています。アイデアのもとはそういうものです。プラトンの言うイデアも産霊の一種と言えるでしょう。初詣に行か

れる方はこのことを思いながらお参りしていただきたいと思います。

 私も「発掘歎異抄」を連載しながら、このアイデアはどこからくるのだろうと思います。自分が考えているのですが、

自分の頭からひねりだしているだけではないことをよく感じます。アイデアが浮かぶおかげでここまで書き続けること

ができたのだと思います。今年はどんな展開になっていくのか、何が生まれてくるのか私自身楽しみにしています。

この連載ももうじきまる四年になります。本年もどうか引き続きご支援をよろしくお願いします。

 皆様にとっていい一年でありますように。

(2002.12.14) もう一人の「壁抜け男」

 いつの間にか12月もあと半月というところまで来てしまいました。先日放送班のOB会から新年会

の案内をいただき、テスト前でばたばたしていた私はもうそんな時期になってしまったのかと思いました。

物事はそんなもので、そうしてあっと言う間に終わりの時を迎えるのでしょう。つい先頃私と同年代の

宮様が亡くなられました。今週は私の同級生が亡くなったという連絡を受けました。私と同年代の

人は死のことなど考えたこともないのに、突然その時を迎えるという人が多いのではないでしょうか。

できればある程度年をとり、心の準備をしっかりしてから、その時を迎えるのが望ましいことでしょう。

ただ生死の問題は人生と世界の根幹にかかわるものであり、その認識によって生き方は大きくかわり

ますから、できれば若いうちから取り組んでほしいのです。私はよく仏教関係の講演を聞きますが、

聴講者のほとんどがお年寄りです。それでもまだ聞く人がいるだけいい方なのでしょうが、もっと若い

人に聞いてほしいものです。そう思って「発掘歎異抄」も広い年代の人に読んでもらえるような内容

にしています。今日2003年の新年号をアップしておきましたが、しばらく劇団四季のミュージカル

「キャッツ」について書きます。できれば原作者の詩人エリオットについても書きたいと思っています。

 この原稿を書いていとこともあり、劇団四季のミュージカル「壁抜け男」の広島公演を見ました。

「キャッツ」に比べれば宗教性はほとんどないと言ってよい作品ですが、しかし人間存在の根幹に

かかわる問題を含んでいるので、言及することがあるかもしれません。昔読んだ安部公房の作品

を思い出しました。フランスのミュージカルですが、革命を起こした国らしく、民衆の願望とエネルギー

を壁を抜けられるようになった男が体現しているようでした。しかしアメリカならこれがスーパーマン

になってしまうのでしょうが、そうはならないのがヨーロッパらしさなのでしょう。哀愁の結末を迎えます。

こりもせずいつも夢をみて必ずそれが破れている寅さんのような私には親近感のもてる内容です。

 この劇を見たせいかしばらくしておもしろい夢をみました。寝ているうちに死んでしまう夢です。

そしてあの世らしきところに行くのですが、初めに行ったのは現代の都会の風景のようなところです。

これは浄土じゃないなと思って進んでいくと霧のような壁がありそれを通り抜けると世界が変わります。

するとすこし田舎らしくなり雰囲気が落ち着いてきます。それをくりかえしながら世界が変わっていくのです。

三つか四つ壁を抜けたところでこれならいいなという所に出ました。豊かな自然が広がり、動物たちもいる

のですがみんななかよしです。心が和む風景です。しばらくするともとに戻り始め、夢の中でもとの寝てい

た部屋に戻りました。これなら死ぬのはちっとも怖くはないなと思いました。ただ途中の世界はこの世界と

あまり変わらないようであそこで止まったのでは嫌だなとおもいました。これも一つの「壁抜け男」かもしれ

ません。新年の初夢にはふさわしくない夢かもしれませんが、一年の終わりに見るにはいい夢かもしれま

せん。世知辛い世の中です。せめていい夢を見ましょう。それでは、よいお年を。

 (2002.12.14) もう一人の「壁抜け男」

 いつの間にか12月もあと半月というところまで来てしまいました。先日放送班のOB会から新年会

の案内をいただき、テスト前でばたばたしていた私はもうそんな時期になってしまったのかと思いました。

物事はそんなもので、そうしてあっと言う間に終わりの時を迎えるのでしょう。つい先頃私と同年代の

宮様が亡くなられました。今週は私の同級生が亡くなったという連絡を受けました。私と同年代の

人は死のことなど考えたこともないのに、突然その時を迎えるという人が多いのではないでしょうか。

できればある程度年をとり、心の準備をしっかりしてから、その時を迎えるのが望ましいことでしょう。

ただ生死の問題は人生と世界の根幹にかかわるものであり、その認識によって生き方は大きくかわり

ますから、できれば若いうちから取り組んでほしいのです。私はよく仏教関係の講演を聞きますが、

聴講者のほとんどがお年寄りです。それでもまだ聞く人がいるだけいい方なのでしょうが、もっと若い

人に聞いてほしいものです。そう思って「発掘歎異抄」も広い年代の人に読んでもらえるような内容

にしています。今日2003年の新年号をアップしておきましたが、しばらく劇団四季のミュージカル

「キャッツ」について書きます。できれば原作者の詩人エリオットについても書きたいと思っています。

 この原稿を書いていとこともあり、劇団四季のミュージカル「壁抜け男」の広島公演を見ました。

「キャッツ」に比べれば宗教性はほとんどないと言ってよい作品ですが、しかし人間存在の根幹に

かかわる問題を含んでいるので、言及することがあるかもしれません。昔読んだ安部公房の作品

を思い出しました。フランスのミュージカルですが、革命を起こした国らしく、民衆の願望とエネルギー

を壁を抜けられるようになった男が体現しているようでした。しかしアメリカならこれがスーパーマン

になってしまうのでしょうが、そうはならないのがヨーロッパらしさなのでしょう。哀愁の結末を迎えます。

こりもせずいつも夢をみて必ずそれが破れている寅さんのような私には親近感のもてる内容です。

 この劇を見たせいかしばらくしておもしろい夢をみました。寝ているうちに死んでしまう夢です。

そしてあの世らしきところに行くのですが、初めに行ったのは現代の都会の風景のようなところです。

これは浄土じゃないなと思って進んでいくと霧のような壁がありそれを通り抜けると世界が変わります。

するとすこし田舎らしくなり雰囲気が落ち着いてきます。それをくりかえしながら世界が変わっていくのです。

三つか四つ壁を抜けたところでこれならいいなという所に出ました。豊かな自然が広がり、動物たちもいる

のですがみんななかよしです。心が和む風景です。しばらくするともとに戻り始め、夢の中でもとの寝てい

た部屋に戻りました。これなら死ぬのはちっとも怖くはないなと思いました。ただ途中の世界はこの世界と

あまり変わらないようであそこで止まったのでは嫌だなとおもいました。これも一つの「壁抜け男」かもしれ

ません。新年の初夢にはふさわしくない夢かもしれませんが、一年の終わりに見るにはいい夢かもしれま

せん。世知辛い世の中です。せめていい夢を見ましょう。それでは、よいお年を。

(2002.11.16) 短くも美しく消え

 前回書いたように11月2,3日に文化祭がありました。校舎が新しくなり、気合いが入った文化祭になった

ような気がします。私は放送班の参与なので、放送班の様子を時々のぞきながら、また家族が文化祭に

やって来たので案内をしながら2日間を過ごしました。子どもが金魚すくいを楽しみにしていたので、生物班

が毎年行っている金魚すくいに連れて行きました。なんと無料なのです。すくえなくても1匹はもらえます。

私の子は2人で7匹もって帰りました。おかげで久しぶりで金魚を飼うことになりました。以前は金魚鉢で

飼ったのですが、今回はプラスチックの水槽で飼うことにしました。見ていると特に酸素が足りないわけでも

なさそうなのに、金魚は水中でいつも口をパクパクさせています。まるで念仏を唱えているようです。

その金魚も紅葉が散るように一匹ずつ消えていき、今は4匹になりました。それで追悼の気持ちを込めて

童謡風の詩を作りました。はかない一生かもしれませんが、「短くも美しく消え」た一生です。これも理想かも

しれません。

  金魚

  (一)

 金魚パクパク
 パクパク金魚

 いつもパクパク
 パクパク金魚

 私もパクパク
 パクパク金魚

 いつも唱えて
 パクパク金魚

  (二)

 金魚パクパク
 パクパク金魚

 いつも唱えて
 パクパク金魚

 いつかいないよ
 パクパク金魚

 唱えて消えた
 パクパク金魚

お知らせ 『絶対無の戯れ』
復刊のために投票のお願い

 読者の方からダイジの『絶対無の戯れ』復刊のために投票をしてほしいとの要望を受け、投票しました。

こういうサイトがあるのを知りませんでした。http://www.fukkan.com/ です。リクエスト検索で、

ダンテス・ダイジを入力して下さい。投票に際して情報の入力を求められますが、私は住所や電話番号は

入力しませんでした。それでも受け付けてもらえます。ご協力お願いします。

(2002.10.20) オープンスクール

 今月は更新が少しおくれました。雑誌「タクティクス」が11日か12日に学校に送られて来て、それから

このホームページを更新しているのですが、先週の連休で受け取るのが16日になりました。昨日は

私は学校のオープンスクールで出勤でした。中学の授業の公開と施設見学、説明会などを組み合わせた

もので、本校として初めての試みでした。私は自分の子の受験の関係で最近いろいろな学校の説明会に

行かせてもらっています。先週は広島市にはじめて開校する中高一貫校の見学と説明会に行きました。

市教委の説明は熱心でしたが、今ひとつ応えるものがありませんでした。まだ開校していないというのが

最大の理由でしょう。商品がないのにセールスマンが熱心に客を口説いているような感じでした。これから

数年して実績をあげれば印象は変わるはずです。ただうらやましいと思ったのはおそらく他校に比べて

人的な部分に相当金をかけそうだなということです。ここは私立がたちうちできないところです。少人数

教育をできることをかなり強調していました。

 私の学校のオープンスクールですが、大変なにぎわいでした。まるで文化祭ではないかと思うほどで、

授業の後はクラブ見学もあり、音楽班などはメインストリートで演奏し、拍手を浴びていました。生徒は

見られることがうれしいようで、見学者が多いことが励みになるようでした。体育館であった説明会は大入りで、

2000人近く入っていたのではないかと思いました。その前の週の市教委の説明会とはかなり違います。

これだけ期待してもらえるのはうれしいことだと思いました。先輩の時代からの日々の教育活動の積み重ね

として現在の本校があるのでしょう。今年の文化祭はこれまでより時期を遅くし、11月2,3日に277年祭と

いう名で行われます。本校は創始以来277年になります。たくさんの方のご来場をお待ちしています。

(2002.9.16)  白秋

 ここ数日秋らしくなりました。昨日は三連休の中日で家族で遊びに

出かけました。私の家から一時間ほど北に車で行ったところにある豊平町

にある公園でボール遊びをしました。ここは広島市からてごろな距離にあ

り、施設も整い、温泉、体育館、野球場、レストランなどがあります。開放感

があり、のんびりできます。途中から雨が降り出したので、遊びはやめて

県北の方へドライブをしてみました。大朝町という県境の町の方へ走って

みました。寒曳山というスキー場があるので、どんなところか見てみようと思ったのですが、行ってみると

かなり傾斜がきつそうで、我々には向いていないようでした。スキー場にはレストランと温泉があり、こちら

は通年営業しているようでした。高速道路の大朝インターが近いので、県外客には便利だろうと思いまし

た。帰りは行きと別の道を通ったのですが、稲の刈り取りをしている農家がありました。県北の方では、

この三連休あたりで刈り取りをするところが多いのでしょう。いよいよ実りの秋です。

 9月1日だったと思いますが、テレビで、北原白秋の特集番組をしていました。「さだまさし」が案内役

で、白秋の故郷の柳川と東京を主な舞台にしたドキュメンタリー仕立ての番組でした。私は白秋が好きで

長い論文も書いたことがありますし、私の書く文章のあちこちで取り上げてきました。さだまさしが白秋の

ファンだということを知らなかったのですが、彼の澄んだ高い歌声は白秋に合っているようでした。この

番組がどうして企画されたのかよくわかりませんが、近年の日本語ブームと関係あるのかもしれません。

白秋の詩歌は声に出して読みたい日本語であり、さらに声に出して歌いたい日本語です。特にその童謡

はいつまでも歌い続けたい名作です。番組の中でさだまさしが、柳川の船下りをしながら、「この道」を

歌いましたが、名唱でした。これからも折りにふれて白秋のことを書きたいと思いました。番組の制作に

当たられたみなさん、さだまさしさん、いい番組をありがとうございました。

お知らせ

 「読者のお便り」のページの「よく寄せられる質問」に「ダイジの行法について」を載せました。

(2002.8.18) 竜宮から太陽の道へ

           (二上山)                       (仁徳陵)

 この夏休みは春休みに続き、関西に行って来ました。海遊館、仁徳天皇陵、住吉大社、大阪城、

唐招提寺、などを見て、また劇団四季の「キャッツ」公演、大阪ドームでの近鉄対ダイエー戦を見ま

した。関西は何度も行っているのですが、いくらでも見るところがあります。海遊館は水族館ですが

最近私はよく水族館に行きます。今回は海遊館と住吉大社が一つのセットになっています。住吉

大社は昔は海に面し、難波江の出入り口に当たるところにあったようです。現在はすっかり陸地に

なっているようですが、想像は充分つきます。海遊館はまさに海に面した場所にあります。海に

面すると言うより、海の中に入っていくイメージで作られているようで、巨大な水槽を巡りながら

上から下へ、海面から底へと下って行きます。住吉大社は表筒男、中筒男、底筒男という海を司る

神を祭っていますが、その名は海の中を三段階に分けているようで、海遊館の作りと一致している

ようです。設計段階でそのことが念頭にあったのではないかと思いました。巨大なジンベイザメが

海遊館の売り物ですが、ウミガメではなく、サメに導かれて竜宮参りをしてきました。

 その日に堺の仁徳天皇陵に行きました。仁徳陵は巨大なので、近くで見ても堀のある城跡ぐらい

にしか見えません。堺市役所の21階の展望室から全景が見えるということなので、そこに行きま

した。写真は展望室から撮ったものです。二上山と仁徳陵が東西の位置関係にあることが知られて

いますが、実際に目の前に見て、仁徳陵は二上山の真西に作ったのだということを実感しました。

春分や、秋分には二上山から出た朝日が瀬戸内海に沈むわけで、その難波江に沈む夕日をおがむよ

うな場所にこの陵は作られたのでしょう。展望室からは明石大橋が見えました。ここから瀬戸内海に

沈む夕日を見たいものです。いろいろ書きたいことはありますが、またにしたいと思います。

 まだまだ厳しい残暑が続きますが、御自愛下さい。

(2002.7.13) 

 昨日は妻の母方の祖父のお葬式でした。10日の夜に病院で亡くなり、翌朝

連絡を受けました。11日が通夜,12日が葬儀でした。家族だけで行う家族葬と

いう形でした。それだけに故人をよく知っている人だけが集まり、落ち着いた言

葉どおりにしめやかなお葬式でした。結婚してからのお付き合いでしたが教員を

されていた方で教科が私と同じ国語でした。そのせいもあってか私と話がよく

あい、楽しくお付き合いさせてもらいました。妻が初孫だったので、結婚も一番早く、ひ孫も私の子がはじめ

でした。お棺の中に妻たち孫が一緒に写った写真が入れてありましたが、この写真は祖父の部屋にいつも

おいてあり、また孫が結婚したり、ひ孫が生まれるたびに新しい写真が置いてありました。その部屋を訪れる

たびに昔話や孫たちの消息を聞いたのですが、伝統的な家族のよさというものをつくずく感じさせてもらいま

た。5人の子と、11人の孫、6人のひ孫、またその配偶者と、一つの点から大きな輪が広がっていくのが、

実感できる家でした。今後の日本の家は子どもの数も少なく、また結婚しない人もおおいので、このような

輪を感じる家は少なくなるでしょう。よくて線が細々と続き、悪ければ点で終わり、というのが今後の日本の

家族なのでしょうか。そうなると家族というより、個人が現れては消えるという感じです。『方丈記』にいう、

「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ現れ、久しくとどまりたるためしなし」という文そのものです。

それが人間の基本とはいえ、波紋の輪が広がっていくのも、もう一つのありかたなのではないかと思える

のです。葬儀ではひ孫たちがにぎやかにしていましたが、一人の死に対して、新たな命が育っていくことは

故人にとっても残された者にとっても心がなぐさむことではないかと思いました。このような命の輪があって

こそ、大往生と呼ばれるように思います。五人の子を育てられた苦労がこうした形で報われているのだと思

いました。家族葬にされた理由はそこにあったのかもしれません。変な言い方かもしれませんが、いいお葬

式でした。

(2002.6.14) 教科書について

 「タクティクス7月号 発掘歎異抄37 根の力」をアップしました。連載の宿命ですが

原稿を書く時期と雑誌に掲載される時期、さらに雑誌の月数との間にずれが生じます。

前回は「球根の春」でしたが、これも書いたときにはそのときのことを書いたのですが、

6月号の内容としては2月くらい前の内容を書いたと思われると思います。プロの文筆家はそこをうまく調整

できるのでしょうが、季節のことがらを扱うのは難しいことです。そう思いながら今日8月号の原稿を書いていた

のですが、また最近経験した自然界に関する出来事を書いてしまいました。浄土教のことを書くのにどうして

自然界のことをとりあげてしまうのかなと自分でも思うのですが、人間が自然の一部である以上、つながって

いるのは当然かもしれません。球根や竹の根と人間を同列に論じるのはおかしいというご意見もあるでしょうが、

どうもそうは思えないのです。なお発掘歎異抄に書く内容として何ヶ月も前から準備している別の内容があるの

ですが、たまたま経験することで書きたくなることがあると、それを優先しています。浄土教に関係する随想だと

思っていただければ幸いです。浄土教を離れてただの随想だと思ってもらってもかまわないのですが、思想が

日常生活の経験と別物ではないことの証になるかもしれません。

 さてこの二週間ほど新しい高校国語教科書の選定をやっていました。高校国語の教科書会社は10社あるので

すが、来年度から始まる新課程の教科書採択をこの時期にやるのです。10社の小説をまず読み比べてそこから

2〜3社にしぼったのですが、全体的に小説がやさしくなっという印象を強くもちました。中学教科書で扱えばいいの

ではないかという教材が、高校国語に多くあります。宮沢賢治の童話、「アンネの日記」、椎名誠の「岳物語」などが

高校国語教科書に入っています。主人公が小中学生以下という作品が多いのです。少しは大人の世界に背伸びさせ

てもいいのではないかと思います。そんな中で印象に残ったのは村上春樹の「鏡」という作品でした。夜警をしていた

主人公が、あるはずのない鏡の中にもう一人の自分を見て恐怖に襲われるという作品です。小中学生の自我の目覚

めや自立をテーマにした作品から見れば、その一歩先を行っています。今後高校国語教科書の定番になる可能性

があると思います。少しでも自分を見る目を養ってほしいものです。

お知らせ

東京青山の「ブッククラブ回」に私の著書・編書4冊を置いていただくことになりました。中野の「大予言」にもこれまで

通り置いていただいています。詳しくは書籍の紹介ページをご覧下さい。

(2002.5.10) 竜宮の門

 連休は1泊で下関に行って来ました。1日目は海響館という新しく

できた水族館に行きました。このところ私はよく水族館に行くので

すが、はじめは子どものつきあいぐらいの気持ちだったのですが、

だんだん好きになってきて、楽しみにしています。水族館は清潔

ですし、何となく海の楽園、竜宮にいるような気持ちになれます。

イルカのショーが行われることが多いのですが、イルカは愛嬌が

あり、人の心をなごませてくれます。無理矢理調教されたというより、人間との交流を楽しんでいる感じがします。

海響館の特色はフグのコレクションですが、食用の魚としてしか見ていなかったフグが、海の愉快な仲間に見え

ます。1日目は天気がよくなかったこともあり、ほとんど1日ここにいました。

 翌日は壇ノ浦に行き、赤間神宮にお参りしました。赤間神宮に来るのは2度目ですが、前回も快晴で、竜宮を

模したと言われる門が非常に美しかったのですが、今回も快晴でご覧のような姿(写真)を見せてくれました。

神社には白木作りのものと、朱色のものがあり、伊勢神宮や出雲大社がそうであるように、本来は白木作り

だったのでしょうが、朱色のものも場合によっては悪くありません。どちらかというと外来のものを感じさせます。

赤間神宮の朱色はなぜかとりわけ美しく感じられます。なぜなのかはよくわかりませんが、他の神社以上に

竜宮を感じさせてくれるせいかも知れません。壇ノ浦は平家滅亡の地として哀史の舞台ですが、入水した貴人が

竜宮に行ったと見なされ、いつしか竜宮への入り口に変わったようです。境内には耳無し芳一の像をまつった

芳一堂もありますが、怪談の舞台と言うより幻想世界への入り口という気がします。ここは幻想世界への関門なの

です。

『日と霊(ひ)と火』出版

 5月1日に洛西書院から出版できました。すでに御注文いただいた方もあり、ありがとうございました。広島では

フタバ図書と広文館の主要店、紀伊国屋書店広島店に並びます。すでに納品しましたので、来週には店頭に並ぶ

予定です。どうぞお知り合い等にご紹介下さい。

(2002.5.12追加)

本日、中国新聞の読書欄で本書の紹介をしていただきました。書籍の紹介と新聞掲載記事のページに載せています。

 (2002.5.16 追加)

 ジュンク堂書店の広島店と京都店で本書を扱っていただくことになり、本日納品しました。まもなく店頭に並ぶと

思います。関西方面の方、どうぞお知り合い等にご紹介下さい。

出版記念会のお知らせ

 『君がどうかい?』と『日と霊(ひ)と火』の出版を記念して、以下のような席を設けることになりました。まだ人数に

余裕がありますので、参加ご希望の方は渡辺のメールに5月17日(金)までにご連絡下さい。

日時 5月19日(日) 18:00より2時間程度の予定です。

場所 「参九亭 基町店」(市内電車立町電停前 朝日会館地下) 

  広島市中区基町13−7 TEL082-221-5858

広島市の中心部で、電車通りに面した朝日会館の地下にある居酒屋です。渡辺の名前で部屋だけを予約してい

ます。出版記念会とは言うものも、少人数のささやかな会で、一杯飲みながら話そうというものです。お気軽にお越

し下さい。

(2002.4.6)  花の吉野

 私の学校は今日が入学式でした。例年なら桜が咲くのが間に合うか

どうかといった時期ですが、今年は3月の下旬から咲き始めてもう満開は

過ぎ、半ば散っています。今年の新入生は桜の散る頃1年生になってし

まいました。しかしおかげで春休み中に花見ができました。1回目は広島の

平和公園で昼に家族で弁当を食べました。2回目は奈良で楽しみました。


   (吉野の下千本桜 2002.4.1)       春休みに大阪と奈良に旅行したのですが、奈良では法隆寺と明日香、さらに
 
いにしえよりの桜の名所、吉野山で満開の桜を満喫しました。広島を出る前に調べた時点では吉野の桜は咲き始めと

いうことだったのでどうかと思ったのですが、法隆寺で満開を過ぎた頃、明日香で満開だったので、大丈夫ではないかと

思って行きました。そうしたところ下千本から吉水神社が満開、中千本、上千本が五分咲きといったところで、充分楽しむ

ことができました。退職するまで吉野の桜は見られないだろうと思っていましたので、今年は幸運でした。吉野の桜は

山桜が中心と聞いていましたが、たしかにその通りでした。染井吉野は木の寿命が50年ほどだそうですが、山桜は

天然の品種なので寿命が長く、木も大きくなるようです。人工的に植えた並木に比べて、山がそのまま花で彩られる

姿は魅力です。吉野の桜は下千本、中千本、上千本、奥千本と下から1ヶ月かかって登ってゆくそうです。今頃は

どこまで登ったでしょうか。ありがたい1日でした。

 登りゆく 春を訪ねて 吉野山

 いにしえに 変わらぬものは 吉野山 みやびの人の 跡を慕いて

お知らせ

今月から『君がどうかい?』を東京中野の「古書大予言」で、『歎異抄を読む』を新たに大阪の樹心堂で扱ってもらっ
ています。
宗教書・精神世界の本の専門店で私の本を扱ってくれる書店を探しています。こころあたりがあれば、教えて下さい。
交渉は私の方でいたします。

(2002.3.18)  饒舌の春?

 3月になってから白木蓮や辛夷(こぶし)の花をみるようになりました。白無垢の

花嫁衣装を見るようで好きな花です。沈丁花の強い香りも漂い、この時期はこの

世が浄土に近づく時期です。そう思っていたら先週末に桜が咲いているのを

広島市の中心部で見ました。彼岸桜かと思ったのですが、染井吉野でした。

各地で桜が咲き始めたと言うことですが、三月の中旬でここまでくると喜んでいいのかどうか迷います。

レイチィルカーソンの『沈黙の春』は環境問題を提起した名著で私も授業で教えたことがありますが、これにならって言えば

今年は『饒舌の春』です。本当にこんなに咲いていいのでしょうか。いつか春がなくなってしまうのではないかと少し不安です。

球春到来2

 昨日の日曜は呉市でカープ対ダイエーのオープン戦を見ました。野球は公式戦が始まる前が一番楽しいのではないで

しょうか。結婚は婚約して結婚する前、大学は合格して入る前が一番楽しいと言いますが、野球は公式戦が始まる前

が一番だと思い始めました。何年も優勝していないチームを応援しているからかもしれませんが。夢と希望のオープン戦、

勝てばうれしく、負けてもくやしくない、この不思議。それにしてもいい試合でした。6−1でカープが勝ったのですが、野村の

タイムリー、東出のホームラン、だめ押しが新井の場外ホームラン。ダイエーは小久保のホームランを見ることができました。

呉の二河球場はセンター122メートル、両翼97.5メートルとかなり広い球場です。外野席は地方球場らしく芝生席で、そこに

子どもとシートを敷いて見たのですが、天気も良く、いい試合を見ました。小久保のホームランも大きかったのですが、新井の

ホームランはさらにその上を行き、しかも場外に消えていきました。レフトスタンドの客があっけにとられて、場外ををのぞいて

いるのが愉快でした。ユニホームも変わり新生カープを印象づける一戦でした。今年も「広島精神?・文化研究所」として

応援します。日本シリーズはこの2チームかもしれません。親会社が不振ですがダイエーもがんばってください。

『君がどうかい?』

 さて『君がどうかい? 雨宮第慈講話録2』の発行が近づいたので、案内を先週末に「書籍の紹介」のページに載せました。

早速御注文をいただきありがとうございました。印刷所から納品がありしだい、発送します。

(追記 3月20日予定通り発行しました。御注文いただいた方にはすでに発送いたしました。)

リニューアル2 

   またホームページ開設2周年記念として、リニューアル第2弾、「読者のお便り」コーナーを新設しました。この「SCL便り」の中

に入れようかとも思ったのですが、新しいページにしました。掲示板の新設も考えましたが、他のサイトを見ると、無責任な

言動が多く、荒れることも多いようなので、管理が難しいと思い、このような形にしました。これまでにいただいたお便りから

他の方の参考になるような部分を選ばせていただき、必要に応じて答えをつけました。匿名にし、載せても不都合のない様な

部分をとらせてもらったつもりですが、もし何かありましたらご連絡下さい。今後も皆様のお便りお待ちしています。

(2002.3.6)


  球春到来

 広島はここ2日ほどの雨ですっかり春らしくなりました。2月の最後の日曜日に県北にスキー

に行ったのですが、その次の日曜は広島市民球場で広島カープ対西武ライオンズのオープン

戦があり、観戦しました。行く前は寒いのではないかと思ったのですが、当日はたいへん暖か

く、野球観戦にはちょうどいい日和になりました。当日の目当ては西武の松坂投手を見ることで

した。パリーグの選手を見る機会がほとんどないので、楽しみにしていました。昨年もオープン

戦で松坂を見たのですが、昨年より調子がよさそうでした。球速も私が見ていた中では153キロが最速でしたが、ほとん

ど145キロ以上で、しかも高めの球に威力があり、新ストライクゾーンで有利になっているように見えました。松坂からい

い当たりをしたのは東出くらいでした。金本が松坂から犠牲フライを打ち、カープが先制しましたが、その後エラーが続出

し負けてしまいました。今年もエラーに悩まされそうです。新井、東出の奮起を期待します。7回には今シーズン1号の

ジェット風船を子どもと打ち上げました。勝ち負けより球春の到来が何よりもうれしい一日でした。

      球春を 告げて飛び出す 赤風船


ダイジ講話録2編集完了

 さて、長らくお待たせしたダイジの講話録の続編の一冊目が編集完了し、今印刷所に渡っています。発行予定日は3

月20日としています。今回の題は「君がどうかい? 雨宮第慈(ダンテス・ダイジ)講話録2」です。A5版135ページになり

ました。定価は900円(送料込み1100円)の予定です。早稲田大学仏教青年会にダイジにきてもらった時の質疑応答

が今回の中心です。特に「草木成仏」をめぐるやりとりは興味深いものがあります。ご期待下さい。

      常磐木の 緑変わらず 言の葉も 「君がどうかい?」 耳に響いて


リニューアル

 2000年2月20日にこのホームページを開いてから2年が過ぎました。これを機会にリニューアルしようとソフトを入れ

替えました。はじめIBMのホームページビルダーがよく売れているとのことでしたので試しに使ってみたのですが、これま

でのソフトとフォントが変わり、どうも具合が悪いので、マイクロソフトのフロントページにしました。これまで使っていたの

がフロントページ・エキスプレスでしたので、フォントの問題もなく、うまく移行できました。フロントページ・エキスプレスは

私がコンピューターを買った2年前はインターネットエクスプローラーに付録でついていたのですが今はついていないよう

です。当時はワープロから乗り換えたばかりの初心者で、高いソフトを買ってうまくいかなかったらいやだと思い、ただの

フロントページ・エキスプレスを使ったのですが、おかげで2年間ページも増え、順調にここまできました。リニューアルと

言っても、デザインを統一し見栄えが変わっただけで中身はほとんど同じです。これまで入れていなかったブックマークを

入れましたので、一つのページの中では見易くなったのではないかと思います。ダイジの講話録の続編を出せたのはこ

のページを見てみなさんが「十三番目の冥想」を買って下さり、続編を望んで下さったからです。「十三番目の冥想」はロ

ングセラーになると思います。ベストセラーよりロングセラーを作り、後世に伝えたいと思っていましたのでうれしく思いま

す。今後も続編を出したいと思いますので、よろしくお願いします。 

(2002.2.8)

  2月2日に卒業式がすみました。私としては高3の担任として

 3回目の卒業生です。教員になったときに3回は卒業生を出したい

 と思っていましたので、今回何とかその望みを果たしました。

 寒い体育館での卒業式でしたが、壇上で卒業生を見つめている

 時の感慨は格別のものがあります。3回目となると生徒との

年齢差が25歳以上開き、保護者の中には私と同年代の方も多くなりました。その分だけ、保護者の

方の思いもよくわかるようになったと思います。生徒との年齢差は開く一方ですので、どうしても理解できない

ことは多くなっていくように思います。この辺のかねあいが教師として難しいところでしょう。彼らが社会に

出ていくころはどのような時代になっていくのでしょうか。相変わらず不況が続いているのでしょうか。

6年前に卒業させた生徒は就職するころ不況の最中でした。少しでも状況が好転してほしいものです。

当日教室でもらった花がまだ枯れずに花瓶にあります。花はそのうちしおれるでしょうが、つきあいは

ずっと続けたいものです。

 卒業生とのつながりが強いのが私学の特色ですが、1月に私が参与をしている放送班のOB会が

ありました。参与になって15年が過ぎるのですが、大先輩が多く、伝統を感じさせます。「雨後の月」

という広島の呉の名酒があるのですが、何とその吟醸酒が飲み放題で、ついつい飲み過ぎてしまいまし

た。この蔵元も私の学校のOBだということですが、飲みやすいおいしい酒です。本当に楽しい会でした。

幹事の方お世話になりました。

(2002.1.1)

   謹 賀 新 年                    

     本年もよろしくお願いします。           

     2002年元旦          
                  渡辺郁夫
                  mail hiro-iku@mua.biglobe.ne.jp
                  http://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/

 あけましておめでとうございます。

 広島は現在雨です。初日は拝めない状態です。雑煮を食べてから年賀状を読まさせていただいたところです。

2002年の年が明けました。昨年は21世紀の始まりということで、大晦日の夜は日付が変わるまで起きて

いましたが、今年は大晦日から静かに過ごしました。30日に広島は山間部で雪が降り、私の近くの山も

中腹から上は雪化粧でした。車のタイヤを冬用に替えなければいけないとおもいながらも寒かったのでやめて、

大晦日に暖かかったので、タイヤ交換と車の掃除をしました。夜はなぜか紅白歌合戦を見る気にならず、

第九でも聴こうかとおもって、FMをつけたところ、なぜかベートーベンの5番交響曲をやっていました。

それを聴いてから、妙好人の本を読み、年の最後の冥想・念仏をして、日付が変わらない内に寝床に入りました。

花火の音が聞こえたように思ったのですが、たぶん日付が変わったところで打ち上げられたのだと思います。

  ということで、いたって平和に新年を迎えました。正月は例年通り私の実家と妻の実家で過ごすつもりです。

私の実家は隣なので、まもなくそちらに移ります。子どもはお年玉を楽しみにしているようで、今からとらぬ

狸の皮算用をしています。おもちゃ屋の広告が新聞に入っていましたが、1日から開けているそうです。

ご苦労様です。私は家族元気で新年を迎えられただけで満足です。馬のように早足で駆け抜けることは

難しい歳ですが、一歩ずつ進んで行きたいと思います。

 先ほど「シンネン」と打ったら、「信念」と変換されてしまいました。私がこれまでそう打つことが多かっ

たのでしょうか。今年も相変わらず「信」の喜びを語っていきたいと思います。親鸞の言う「信樂(しんぎょう)」です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

  初夢や花火の音もまどろみに

  「シンネン」と打てばめでたや「信念」に

(2001.12.29)

 今日から連休という方も多いと思います。私は今週はすでに冬休みでしたが、年賀状の準備と宛名書きに

2日、大掃除に3日費やし、気がついてみたら、今年もあと2日になっていました。掃除は1日で終わる予定

だったのが3日もかかってしまいました。ふだんしていないのが一番の原因ですが、やり始めると、予定外の

ところもしてしまうのが、延びた原因です。日本人は神道に清めがあるように、清潔好きと言われますが、

大掃除という習慣は外国にもあるのでしょうか。過去も一緒に洗い流せたらいいのですが。

 今年を振り返ると、大変な一年でした。広島では3月に芸予地震があり、私の周囲には被害を受けた方が

何人もおられます。夏は酷暑でした。私は夏に北陸、東北を旅行したので、広島の暑さが異常だったのが

よくわかりました。9月にはニューヨークの同時多発テロ事件、その後のアフガニスタンでの戦争と続きました。

忘れられない一年です。

 個人的には今年は高校3年生の担任をしていましたので、秋から冬にかけての忙しさは格別でした。

不景気の最中ですので、生徒も保護者も真剣です。広島県内の大学でも、私立は倍率が1倍というところが、

いくつもあり、実質的な全入状態になっているところが多いようです。選ばなければ入りやすいのですが、

将来のことを考えればそうはいかないでしょう。神経を使う進路指導です。

 冬休み直前まで生徒と保護者と面談をしていましたので、今週になって一息ついたのですが、はじめに

書いたように年賀状と掃除で過ぎてしまいました。この冬休みは紀要の校正が100ページと、締め切りのある

原稿を片づける予定でしたが、年明けになりそうです。明日は12年前初めて卒業させた学年の卒業生

と会う予定です。教員となっていつのまにか十数年たってしまいました。現在の高三生で三回目の卒業生

になりますが、よくここまでこれたなと思います。まだ続けるでしょうが、研究の方も怠りなく続けたいと

思います。

 来年は以前から予告していました『日と火と霊』が春までに出る予定です。ダイジの講話録の続編も

来年中には出したいと思います。来年がダイジの没後15年に当たりますので、何とか出したいと思います。

皆様のご支援が頼りですので、よろしくお願いします。

 最近コンピューターウイルスのことをよく聞きますが、先週から今週にかけて、私宛のメール3通にウイルスが

入っていました。幸い、私はプロバイダーの提供してくれる、メールのウイルス駆除サービスに入っていますので、

被害はありませんでした。メールを開くと、このメールはウイルスが入っていたので削除しましたという通知が

書かれていました。差出人はすべて異なっていました。私には書籍の注文などで見知らぬ方からメールが

来ることが多いのですが、私宛にメールを出された方で返事がなくておかしいと思われる方は該当者かも

しれません。私の友人で自分のコンピューターがウイルスに感染しているのを知らずに、人にメールを出して

迷惑をかけたという人がいますが、たいていは自分ではわからないことが多いようです。どうぞお気を付け下さい。

 それではよいお年をおとりください。

(2001.11.15)

 9月からのこの2ヶ月間世界は揺れ動きました。連載している『発掘歎異抄』の12月号にニューヨーク

のテロ事件のことを一部取り上げました。この連載では必ずしも世の中の動きをタイムリーに取り上げる

必要はないと思っています。しかしあまりに衝撃的な事件であり、考えざるをえませんでした。11月号の原稿

を書く時点では、原稿の締切が9月20日だったので、まだ頭が整理できていませんでした。それから1ヶ月たち、

少しまとまってきたので、とりあえず書いてみました。事件の直後から振り返ってみると、はじめはただ衝撃、

驚きであり、やがてそれが憂鬱な重苦しい気分に変わりました。特にふさぎ込んでいたわけではないのですが、

いつも心のどこかに残っている感じです。

 雑誌が11月上旬に発行され、一息ついたと思ったら、今度は再びニューヨークで旅客機が墜落しました。前

回の事件から2ヶ月と1日、時間と場所はほぼ同じ、しかし今回はエンジンの脱落という事故らしいということ

です。このあまりに奇妙な符号は何なのか。ニューヨークのテロ事件以後ロシアとイタリアでも飛行機事故が

あり、乗員全員が亡くなっています。昔から飛行機事故は連続して起きると言われてきましたが、どうしてそ

うなるのか。このような事態を見せつけられると占いとか神秘的なものから人々が逃れられないのがわかるように

思います。何か説明してくれるものがほしく、また自分に災厄がふりかからないようにしたいと思うのは当然です。

仏教でいう因縁も目に見えないつながりを含んでいるようです。高層ビルに突っ込む飛行機の映像を見て、私は

ノストラダムスの「空から恐怖の大王が降ってくる」を思い出したのですが、この事件が世界を大きく変える

のでしょうか。

 アフガニスタンは大国の墓場と言われているそうです。ソ連は侵攻に失敗し、体制が崩壊しました。アメリ

カによる世界一極支配もいずれは終わるでしょうが、それがこの事件をきっかけに早まるのか。その後の世界

の秩序はどうなるのか。我々もこの流れから逃れることはできないのでしょう。

 こういう時代であるからこそ、真の安心が必要になるのだと思います。愛と美の世界が自分の世界だということを

あらためて思うのです。自分が提供できるのはそれだけです。今月の上旬にようやく『奥の細道を読む(二)』

の原稿が完成し、印刷所に渡しました。『日と火と霊』も校正を終わり、最終段階に入ります。実は『日と火と霊』

の後書きを書き終えた日の夜にニューヨークのテロ事件が起きたのです。私が事件を知ったのは翌朝ですが、

何か不思議なものを感じました。私の本には世を変えるような力はありませんが、神仏の働きのお手伝いができれ

ばと思っています。

(2001.9.3)

 前回の更新から2ヶ月以上たってしまいました。夏休み中に更新しようと思いながら、9月になりました。

今年の夏は本当に猛暑でした。7月の下旬に生徒引率で東京に行ったのですが、その初日に、気温38度

を体験しました。街頭はもっと暑かったと思います。東京はその後涼しくなったようですが、広島は盆過ぎまで

36〜37度という毎日でした。盆前に北陸から東北にかけて旅行したのですが、そちらは涼しかったので、

帰ってからの暑さがこたえました。盆に子どもと海水浴に行ったのですが、いつもは水を冷たく感じるのに、

ぬるま湯に入ったような感じでした。

 今回の北陸・東北旅行は「奥の細道」の旅の後半をたどったものです。出羽三山、鶴岡、象潟、新潟、

出雲崎、小松、山中温泉、福井、永平寺などを回ってきました。盆を過ぎてから「奥の細道を読む(二)」

として原稿を書きました。以前に書いた「奥の細道を読む(一)」の続きです。いずれこれも出版したいと

思っています。出羽三山はいつか行こうと思いながらなかなか行くことができませんでした。月山は本当は

頂上まで登りたかったのですが、車で行ける8合目からしばらく登ったところに月山中の宮があり、そこまでで

やめました。涼しいと言うより寒いくらいでした。そのあたり一帯を弥陀が原と呼んでいるのですが、月山は

神仏習合の時代には阿弥陀仏の浄土に見立てられていました。現在は明治初期の神仏分離で、神道色が

強くなっていますが、それでも先祖供養が行われています。月山中の宮には宮の前に、多数の地蔵があり、

また色鮮やかな風車が供えられていました。先祖供養に風車という取り合わせは意外でした。風の音に

先祖の霊の訪れを感じるのでしょうか。湯殿山ではご神体になっているお湯の湧き出す巨岩を見ました。

生きている大地の命が殻を突き破って吹き出しているようで、岡本太郎の芸術を見るようでした。この岩は

一見の価値があると思います。

 一応原稿は書いたのですが、これからチェックし直して、10月くらいまでに完成させるつもりです。

(2001.6.29)

 梅雨の最中ですが、いかがお過ごしでしょうか。本日「濫読のすすめ(25)」として「童謡を聴く時」を、

教育部門のページに入れました。5月に連載した「光る海」で童謡のことをとりあげたのですが、

そこで書ききれなかったことを書きました。何か一つの曲をとりあげようと思っていたのですが、

総論のようになってしまいました。北原白秋の「この道」は本当に名作だと思います。文学と宗教の

違いはあっても、白秋は私の同志だと思っています。芭蕉は少しタイプが違いますが、敬愛しています。

白秋は私の中のある部分を拡大してくれているように思います。私もあんなふうに言葉が操れれば

いいのですが。歌えない詩人の嘆きです。

 今日、研究室で来年度の中学校の教科書採択のために、国語の教科書見本を見ていたのですが、

光村図書の中学二年の国語の教科書に、詩として松任谷由実の「春よ、来い」が載っていました。

この曲は「光る海」で浄土教を感じさせる曲としてとりあげたのですが、まさか教科書に載るとは

思いませんでした。東京書籍の中学二年の国語教科書は、島崎藤村の「椰子の実」を載せています。

これも私の「光る海」でとりあげました。「椰子の実」は古典的名作ですから、教科書に載っても

おかしくありません。「春よ、来い」に浄土教を感じるかどうかは別にして、名作だと思っている人が

いるというのはうれしいことです。彼女を詩人として認めているということでしょう。

 今年は高三の担当なので、毎日のように入試問題を解いています。こういう日々を送っていると、

中学生と楽しく授業をしたくなります。「春よ、来い」を授業で扱えたら楽しいでしょう。

 先日ずっとベストセラーを続けていた『チーズはどこに消えた』を読みました。たしかに売れそうな

内容です。この不景気の中で、失ったものを嘆いてばかりいずに、新しいチーズを求め、自己革新をして

迷路の中で新しいものを見つけだそうということのようです。幸せを追い求めるのが好きな人にはぴったりです。

私もこれにならって『浄土はどこに消えた』を出しましょうか。ただし条件があります。『チーズはどこに消えた』

に満足できなかった人だけが読んでもいいという条件です。『救世主入門』に言う「三歩先を歩く精神」を求める

ということです。ほとんどの人の人生は迷路の中で新しいチーズを追い求める人生なのでしょう。迷路の外に

出ようと言う人は理解されないのでしょう。このゲームに疑問を感じた人にとって浄土は存在するのでしょう。

 『救世主入門』を解説した『十三番目の冥想』はおかげさまでよく売れています。第一刷がまもなくなくな

りそうです。二刷しましたので当分在庫の方は大丈夫ですが、このチーズもこの世では消える時がくるでしょ

う。もちろんそのときは増刷の予定です。

(2001.5.16)

 5月1日から5月10日まで中国新聞文化欄に連載した「光る海」を浄土教部門の新聞掲載記事等のページ

に入れましたので御覧下さい。今回は8回にわたる連載でしたので、多くの人から記事を見たと声をかけて

いただきました。大学院の博士課程の時に親鸞の「横超」について書いたことがあったのですが、そのとき以来

「横超」についてまた書きたいと思っていました。中国新聞から連載の話をいただいたときに、「横超」を「海」

との関係で書くことを考え、今回の記事になりました。一つの宗教哲学でありながら、イメージが大きく関係

していると思っていましたので、童謡や歌を取り入れながら書いてみました。ここ数年古代信仰について考え

たことも助けになりました。

 連休は前半は天気がよくなかったので、広島市内で開かれている「中国文明展」を見に行きました。予想

通りの人出でしたが、いいものがたくさん来ていて、見応えがありました。日本の考古学がいくら頑張っても、

出土品では中国に勝てません。青銅器の大きさや細工の技術は相当なものです。

 連休後半は2泊3日で山陰に行って来ました。今回は寺社は一箇所だけで、島根半島の佐太神社に行き

ました。佐太の大神は加賀の潜戸で生まれたという神です。加賀の潜戸は島根半島における天の岩戸のような

海上の洞窟です。佐太の大神も海の神なのだろうと思います。拝殿の前には地元の人が捧げたと思われる

海草が何本も掛けてありました。

 佐太神社に参った後は宍道湖のほとりにあるイリスの丘という公園に行き、子どもと遊びました。ここで

地発泡酒というのを売っていましたので飲んだのですが、なかなかの味です。ビールより安くてこの味なら

お得です。この公園は湯ノ川温泉の一帯に属していて、公園の中にも温泉があります。

 翌日は大山の麓にある、鳥取花回廊に行きました。中央に花のドームがあり、その周囲に花壇、さらに

屋根付きの回廊がぐるりと一周しています。雨の日でも観光できるようにという配慮なのでしょう。その日は

晴天で、特にチューリップが見事に咲きそろっていました。午後からこの回廊でギネスブックに申請するという

世界一の花輪づくりに参加しました。回廊の中を直径60センチほどのリースを一人が一つもって並ぶという

ものです。申請のためのビデオ撮影を終えた後、そのリースを参加者がもらいました。

 翌日は広島の県北にある備北丘陵公園に寄りました。この公園は何度も来ているのですが、今回は新しく

できた遊具で子どもを遊ばせ、その後アスレチックをほとんど全部回り、一日中いました。

 心配した天気も後半は良くて、楽しい連休になりました。今また次の原稿のことを考えています。

お知らせ

 98年から三年計画で執筆していました『日と霊(ひ)と火』が2000年で執筆完了しました。出版に向けて現在

出版社と交渉中です。ページ数が230ページになりますので、出版費用の方もそれなりにかかりそうです。

おかげさまで『歎異抄を読む』がよく売れて、出版費用をほぼ回収できました。それだけでは足りませんが、

費用の目途がつきしだい、出版したいと思います。これから最終チェックをして夏休みまでに終えたいと思います。

早ければこの秋までに、遅くとも今年度内には出版できるかと思います。

 『日と霊(ひ)と火』は浄土信仰に先立つ日本人の古代信仰を考えたいという動機で書き始めたのですが、

浄土教を理解する上でも大変勉強になりました。私は信仰という大きな枠組みで考えていますので、仏教とか

神道の枠にはこだわらないつもりですが、日本人の信仰や宗教心の中には様々なものが混在していると思い

ます。日本人の信仰を考える手引きにしていただければ幸いだと思っています。

(2001.4.14)

  春休みが終わり新学期が始まりました。また忙しい日々が始まりました。

 春休みには福岡に行って来ました。スペースワールド、福岡ドームでのダイエー戦

 の観戦、海の中道海浜公園、などで遊ぶとととに、宗像大社、香椎宮、博多の萬

 行寺、志賀島などを巡って来ました。宗像大社には付属の博物館があり、沖の島

 での古代からの祭祀の様子を発掘品とともに紹介していました。佐倉の民俗学博

 物館でもそこの発掘品を紹介していましたが、おそらく日本の古代祭祀を発掘

品で知ることができる貴重な存在だと思います。

 宗像大社に祭られる三女神の一人イチキシマヒメは広島の厳島にも祭られる女神です。宇佐神宮に

祭られている正体不明の姫神に宗像大社に祭られている女神が入っているのだと思っています。宗像大社、

宇佐神宮、伊勢神宮の間には深い関係があると思います。宗像大社も香椎宮も桜がよく咲き、きれいでした。

 博多の萬行寺は七里恒順師がおられた寺で、今「発掘歎異抄」に連載している浅原才市の実質的な師に当たる

人です。伊勢の村田静照和上も七里恒順師の弟子です。萬行寺は非常に大きな寺です。立派な山門があり、

境内に入ると本堂の前に七里恒順師の「お念仏しなされや」という言葉が大書された碑が建っています。

ここでも桜が咲きこの碑とよく調和していました。七里師と才市のことは「発掘歎異抄」に書きたいと思います。

お知らせ

 中国新聞の文化欄の「緑地帯」への連載は5月1日からの予定になりました。内容は前に書いたように親鸞

浄土教と海の関係です。連載が終わりましたら、このホームページで紹介したいと思います。

(2001.3.25)

 本日広島は雨です。昨日の午後広島は激しい揺れにみまわれました。私は家でテレビの野球中継を見ていた

のですが、こんなに激しい揺れは初めてでした。昨年の鳥取県西部地震の時は、広島の震度は5でしたが、

それ以上だと思いました。幸いに我が家の被害はグラスが一つ割れただけでした。親戚や知り合いの被害を

心配しましたが、連絡がなかなかつきませんでした。広島市内の友人の家はお寺なのですが、仏像が倒れて

壊れたり、温水器のパイプが破裂して二階が水浸しになるなど、かなりの被害だということでした。私の父の

実家では蔵の壁にひびが入り、庭に地割れができたということで、今朝から父が手伝いに出かけています。

妻の実家が呉なので、被害を心配したのですが、妻の実家には被害がなかったものの、隣家の屋根瓦が落ち、

壁も一部崩れているということです。安芸灘地震の可能性は以前から指摘されていましたが、来るときは、

本当に突然です。その前日はロシアの宇宙ステーション「ミール」が広島県上空を通過するということで、

警戒態勢がとられていたのですが、まさかその次の日にこんな事態になるとは誰も思わなかったでしょう。

家の中では食器棚と本棚とが要注意です。震度6だと被害のおそれがあります。他の地域の方々も十分お気

をつけ下さい。お見舞いの連絡をいただいた方、ありがとうございました。

お知らせ

 中国新聞の文化欄に「緑地帯」というコーナーがあるのですが、四月中旬にそこに八回の連載をする予定です。
すでに原稿を送り、ほぼオーケーということでした。内容は親鸞浄土教と海の関係です。一般向けということなので
童謡や松任谷由実の曲を取り入れて、興味をもってもらえるようにしたつもりです。連載が終わりましたら、この

ホームページで紹介したいと思います。

お知らせ(2001.2.13)

 2月11日に広島市安佐南区浄玄寺にて講演を行いました。その要旨を浄土教部門のページに入れ
ましたので御覧下さい。本願寺派安芸教区沼田組仏教壮年会の研修会ということで呼んでいただき、
お話しさせていただきました。演題は「二十一世紀の歎異抄」で、二十世紀から二十一世紀にかけての、
「歎異抄」の受容と時代背景、「歎異抄」がこの時代においてもつ意味を話しました。内容が少しが難しかった
かもしれませんが、大変熱心に聞いていただき、みなさんの熱気が伝わってきました。それにつられて後半は
私も話に熱が入ったように思います。その後の懇親会でも親しくお話しさせてもらいました。
 お世話いただいた沼田組の皆様、講演を聴いていただいた皆様、まことにありがとうございました。
この講演の参考資料として教育部門に載せている「濫読のすすめ 24」の「二十世紀の歎異抄」と「記事の紹介」
のページに載せている「発掘歎異抄20 角のある人」を出しましたので、合わせて御覧下さい。

お知らせ(2001.2.6)

渡辺郁夫の講演のお知らせ 
2月11日(日)13:30〜16:00 広島市安佐南区東原1−14−9 浄玄寺(рO82−874−1371)にて
         演題予定「二十一世紀の歎異抄」 (会費1000円)
2月6日の中国新聞洗心欄に案内が出ています。
この講演の元になる原稿が教育部門に載せている「濫読のすすめ 24」の「二十世紀の歎異抄」です。
下に書いた鬼束ちひろについても時間があれば話すかもしれません。

2月6日の中国新聞の同じ欄にシンガーソングライター鬼束ちひろの曲「月光」についてのコメントが
載っています。
記事の全文とそのコメントのもとになった原稿を浄土教部門のページに載せていますので御覧下さい。

(2001.1.2)

  謹賀新年  謹賀新世紀

  あけましておめでとうございます。

     本年もよろしくお願いいたします。

 
         2001年 元旦     渡辺郁夫

 

 大晦日にこのコーナーのお便りを書いて、せっかくだから世紀の変わり目を経験しようと思い、そのまま

起きていました。テレビでなかなか見たいものがなく捜していましたら、BSフジで京都の五山送り火を中継

していました。99年の夏に京都に旅行に行って初めてお盆の五山送り火を見て感激しました。今回は世紀の

変わり目ということで特別に行われたのだそうです。また京都市役所の前で、京都の幾つかの火祭りの火と

比叡山の不滅の法灯を合体させる儀式が行われるのを中継で見ていました。私はここ数年「日と火と霊」

という論文を書いていて、大晦日にその三年目の原稿の校正を終えたばかりでした。一応予定のところまで

書いたので今年は出版の予定です。京都の洛西書院にお願いしようと思っています。

 そういう経緯がありましたので、興味深く見ていました。そうすると中継の声が聞き覚えのある声なのです。

なんと大晦日のこのコーナーで書いたように先日お会いした福井謙二アナウンサーの中継でした。さすがに

修道高校放送班が誇る先輩です。世紀の変わり目にふさわしい立派な、厳粛な中継でした。「事々無碍」の

ことを書いたばかりでしたが、空間を隔ててもあらゆるものが通じ合っているような不思議な感じでした。

こうして福井謙二アナウンサーのカウントダウンで新世紀を迎えることができました。福井アナウンサー

寒い中をご苦労様でした。いただいたサインを大事にします。

 元日は私の実家で過ごし、(といっても同じ敷地の隣の建物です)父、母や弟家族と酒を酌み交わしました。

五人の孫に囲まれて、父や母も幸せな新世紀だと思います。夜にこのコーナーを打とうと思っていたのですが、

酔ってしまってやめました。

 今日、二日は例年通り妻の実家に来て過ごしています。お昼にお節料理を食べて一段落したところで

恒例のビンゴゲームをしました。なんと私が初めにゴールし、そごうの福袋を手にしました。そごうは会社再建中

ですが、それだけに頑張っていたようでした。21世紀記念のペアの腕時計や、ネックレス、ネクタイ、セーター、

毛布、バッグと数万円分はあるように思いました。そごうさんご苦労様でした。つぶれないでくださいね。

 というわけで大晦日から縁起良く新世紀を迎えられました。今年は2月11日に講演の予定があります。

雑誌「タクティクス」連載中の「発掘歎異抄」が三年目に入りました。まだ「歎異抄」の第三章までしか進ん

でないので、連載は長期になるかもしれません。編集部からは初めまず半年ということだったのですが、

書いている内に止まらなくなってしまってここまできました。連鎖反応のように次が湧いてきますので、まだ

大丈夫です。学校の方は三度目の高校三年生の担任です。公私(というより二つの公のつもりです)ともに

忙しくなりそうです。健康に気を付けて一年を過ごしたいと思います。

 年賀状、年賀メールをくださった方々、ありがとうございました。明日以降お返事したいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

 

 新世紀新春雑詠

    ゆくもよし きたるもよしと 大文字 (京都 大文字送り火)

    業の火を ここに尽くして 大文字 ( 〃 )

    燃え尽きて 不滅を語る 大文字 ( 〃 )

 

    明けゆくは ひとのこころか 2001 (新世紀 元旦)

    呼ぶ声の 宙(そら)に向かいて 2001 (2001年宇宙への旅)

    くにはどこ 聞かれて答う 星の名を  (宇宙時代)

    ここかしこ 十方無碍の 光湧く (尽十方無碍光宇宙如来)

    ひとのよも かみとめあわん 二十一 (人類適齢期の人代神代)

 

    ちちとはは 笑みてしわ寄る ぢぢとばば (正月の宴)

    業の火を くぐりてここに 孫を抱く (戦争体験者の父と母も21世紀)

    ぢぢ無碍は このことなりし 孫を抱く (父)

 

    新世紀 鯉はアライ(大砲・新井)で 日本一 (初夢 広島精神?文化研究所 カープ部門)

    新球場 憧夢(ドーム できれば開閉式で晴れた日には鯉幟)となりて コージ(山本浩二)中 ( 〃 )

    

                       2001年1月2日   渡辺郁夫

(2000.12.31)

 いよいよ二十世紀も終わりです。二十世紀最後の日をどうやって過ごそうと思いながら、さきほど年越しそばを

夕食に食べ、今日ももうあと数時間になってしまいました。

 今日はいつもどおりに起きて、まず、二日前からしている紀要の校正を済ませました。そのあと一時間ほど念仏

を含む冥想をしました。冥想は平日は夜になりますが、日曜日は午前中に冥想するのが普通です。夜は念仏の

声を出しにくいのですが、昼間は出せます。午後からは、久しぶりにベートーベンの第九交響曲をかけながら、

次の原稿のことを考えていました。2001年2月発行の読書新聞の原稿で、このホームページの教育部門に

載せている「濫読のすすめ」の24回目になる原稿です。特集が「二十一世紀に遺したい本」になっているので、

それに関係するものを書こうと思っていました。「十三番目の冥想」にしようかとも思ったのですが、手前味噌

になるので、結局「歎異抄」にしました。

 ご存知かと思いますが、「歎異抄」はその奥書にあるように、蓮如によって一種の禁書の扱いを受けたために、

本願寺の学僧以外にはほとんど知られない幻の名著でした。明治時代になって真宗大谷派の清沢満之らに

よって紹介されました。清沢満之は大谷派の宗教哲学者で、宗門改革を進めようとしたために宗門を除名に

なったこともある人です。調べてみると、1900年(明治33年)に東京の清沢のもとに「浩々洞」と呼ばれた

同志が集まり、翌年1901年から「精神界」という雑誌を発行します。このころの清沢が愛読したのが「歎異抄」

です。清沢は惜しくも1903年に41歳で亡くなりますが、この「精神界」から明烏敏、曽我量深、金子大栄といった

「歎異抄」の語り手が輩出します。「歎異抄」が一般に知られるようになったのは、ここからであり、それ故に、

「歎異抄」は二十世紀の古典といっていいものです。

 二十世紀は戦争の世紀と呼ばれましたが、「歎異抄」の提起した人間と悪の問題は、二十世紀の人々の

心を強く捕らえました。最近では山折哲雄氏の「悪と往生」(中公新書)が出され、オウム事件、神戸の小学生

殺害事件などをとりあげながら、この問題を考えています。二十一世紀の人々がこの問題から解放されるか

というとそうは簡単にいかないでしょう。

 ただし、悪の問題だけが「歎異抄」の中心ではありません。私に言わせれば「歎異抄」は念仏という純粋冥想

の書です。念仏に限らず、純粋冥想がいかなるものかを解き明かしたものです。この点はなかなか理解され

ないようで、一般の関心は悪の問題に向きがちのようです。純粋冥想という点において、「歎異抄」と「十三番目

の冥想」は一致します。私の中では両者は一体です。「十三番目の冥想」もこれから千年、二千年と読み継が

れる書物のつもりです。みなさんによって今その歴史が作られています。

 二十世紀が戦争の世紀であったと言いましたが、真の平和が訪れるには純粋冥想というものが理解される

必要があります。前回の便りで奈良の大仏のことを書きましたが、華厳の「事々無碍」はいい言葉です。これが

全てのものが調和する姿です。荘子の「斉物(万物斉同)」も同様です。キリスト教なら神と人の間の垂直的な

愛が「理事無碍」にあたり、人と人の間の水平的な愛が「事々無碍」にあたると言ってもいいかもしれません。

音楽や美術の中にもそれはあります。特に美術の場合この世のものを描きますから、「事々無碍」を体得しな

ければ真のものは描けないと思います。芭蕉の俳句はまさに「事々無碍」です。「閑かさや岩にしみいる蝉の声」

の「しみいる」は「事々無碍」そのものです。宗派や分野は関係ありません。こういった精神を理解することが

純粋冥想なのであり、それをもつものが精神文化なのです。

 結局四時ごろから読書新聞の原稿を書いてしまいました。字数の制限があるためここに書いたことの何割しか

書いていません。もっと書きたくなってこうしてパソコンに向かってしまいました。さきほどからテレビでは小澤

征爾のバッハを演奏しています。神への愛を歌い上げています。「事々無碍」にキリスト教が入ったのもこの

演奏を聴きながら打っているせいかもしれません。即興として御理解下さい。

 それでは今年は、今世紀は、これで失礼します。年明け、一月中旬には「タクティス」連載の「発掘歎異抄」の

2001年2月号が出ます。連載が三年目になります。また御覧になってください。よいお年を。よい新世紀を。

 

    ゆくものは かくのごとしや おおみそか

           世紀のはざまの岸辺に立ちて

 

お知らせ(2000.12.31)

 先日、本校出身のフジテレビアナウンサー福井謙二氏の取材がありました。福井氏は本校在学中
放送班で活躍されました。放送室で校内放送に出演していただきました。私は放送班の参与をして
いますので立ち会い、お話しさせてもらいました。非常に親しみやすい方で後輩達とも楽しいおしゃべり
をしていただきました。2001年1月3日朝の6:00から7:30までフジテレビ系の「アナウンサー
の里帰り」という番組で放送されるそうです。

 広島の仏教書専門店として29年の長きに渡り親しまれた胡町の「菩提樹」がこの年末をもって閉店
されました。私の著書を置いていただき、店主の三戸口博三様、まことにありがとうございました。
 これで広島の仏教書専門店は洗心書房だけになりました。時代によるものなのか、非常に寂しい
気がします。他の地方のこのような専門店はどのような状況なのでしょうか。

 相変わらず、青少年の犯罪が続き、人心の荒廃が止まらないようです。神仏の世界そのものは決して
滅びることはありませんからその点は安心なのですが、この世に於いては衰退するように見える時期も
あります。「いやし」がはやっていますが、本当のいやしや安らぎは現象を越えた神仏の世界にしかありません。
どのような状況であろうとも、あらゆる表現を使って、真の世界を語っていきたいと思います。自受用三昧と
他受用三昧、すなわち真実を分かち合うことを目指したいと思います。

(2000.11.22)

    (薬師寺東塔)

 11月3日から5日まで奈良に行って来ました。一日目は午前中に

 平城宮跡と薬師寺を回り、午後から東大寺に行きました。平城宮跡

 に行くのは初めてで、復元された朱雀門を間近に見ました。薬師寺は

 何度か行きましたが、前回行ったときにはけばけばしく見えた復元さ

 れた建物の朱色がかなり落ち着いて見え、昔から残っている東塔

 (写真)と、調和してきたように思いました。それにしてもよく東塔は残った 

 ものだと思います。興福寺の塔に比べれば小ぶりですが、気品のある

 美しい塔だと思います。

  東大寺に行くのも久しぶりでした。子供に大仏を見せようと思ったの

 ですが、こちらも初めて見たときの感動がよみがえったように思いました。

偶像崇拝と言ってしまえばそれまでですが、奈良時代の人々に仏の世界を伝えるには十分すぎるほどの

効果があったのだろうと思います。華厳経の「理事無碍」や「事事無碍」の高度な哲学とは関係なくても、

十方に満ちる光の存在を人々が感じてくれればいいのでしょう。そのまま奈良国立博物館で開催中の

正倉院展を見るつもりでしたが、長蛇の列だったので、次の日に回しました。

 翌日は朝一番で並びましたが、30分かかって入館しました。入り口にあった螺鈿の琵琶が一番の見物で

あったようです。正倉院展は十数年ぶりですが、あいかわらずの人気です。よくこれだけ続けてきて、まだ

見せる物があるものだと感心しました。

 午後からは生駒信貴山スカイラインを走り、信貴山の朝護孫寺に行きました。「信貴山縁起絵巻」の公開

は終わっていましたが、複製が展示してあり、なかなかよくできているので結構楽しめました。

 翌日は早めに奈良を出て岡山に立ち寄り、閑谷学校に行きました。池田家によって建てられた庶民の

ための学校ですが、立派な講堂が今も残っています。備前焼の瓦が美しく、落ち着いた閑かな学舎です。

 こうして三日間の旅を終えました。京都・奈良の旅は何度もしていますが、まだ行っていないところもあり、

またかつて行ったところでも、時を隔てていくと、また別の趣もあります。子供の修学旅行のつもりで、いろいろ

見せてやろうと思っています。

      満ち満ちる大千世界のみ仏の

           み手の広さよ衆生を包む (東大寺)

 

お知らせ(2000.10.27)

「タクティクス」連載中の「発掘歎異抄」(16)「流行を越えて」を「記事の紹介」のページに、
濫読のすすめ(23)「最後のストライク」を「教育部門」のページに載せました。

10月26日に広島市の本願寺広島別院で「現代と宗教」の題で講演を行いました。
講演に用いたレジュメを「浄土教部門」に載せました。
16時から18時の予定でしたが、「一 時代認識」の部分が長引いてしまい、休憩もとれず、
「二 自己認識」の部分はほとんど話せず、申し訳ないことをしました。
長時間聴講してくださった方々、主催者の「一味の会」の方々、まことにありがとうございました。

「タクティクス」12月号の原稿を編集部に送りましたが、自力と他力のたとえに個人年金と公的年金
を用いたのですが、その原稿を書いた次の日にある保険会社が破綻しました。私もそうですが、私の周辺には
その会社に保険をかけていた人が多くいました。ついに自分の足元まで波が押し寄せてきた感じです。
諸行無常の世の中です。こんなことでうろたえていてはいけないのでしょう。

 

お知らせ(2000.9.16)

 「タクティクス」連載中の「発掘歎異抄」(15)「塵労の中で」を記事の紹介のページに載せました。
御覧下さい。11月号の原稿を書いて編集部に送りましたが、月に一度のことでもいつも気になります。
「歎異抄」第三章の悪人正機の説明が長く続いて先に進みませんが、どうしてもここに力が入ります。

 『十三番目の冥想』の奥付にあるダイジの私家版についての問い合わせをよく受けますので、総合冥想部門
のページに簡単な紹介を載せました。講話録については今後続編を出したいと思っています。

 東京中野の古書大予言に私の『歎異抄を読む』を置いてもらうことになりました。まもなく店頭に並ぶと思います。
ダイジのもとで学んだこと、特に愛の教えが根底にあります。
 私はダイジからは、冥想法としては、ヨーガ、念仏、禅などを学びましたが、結局は愛に戻ります。バクティ・
ヨーガや念仏が似合っているのだと思います。
 『十三番目の冥想』でのダイジは愛を前面に出していて、愛の覚者の趣があります。『十三番目の冥想』の中で
ダイジがイエスとマグダラのマリアの出会いを述べている部分がありますが、目の前にイエスがいて語っている
ような気がしました。
 寄せられる感想の中で『十三番目の冥想』でのダイジと他の著作から受ける印象が違うという声をよく聞き
ます。ごもっともだと思います。会話体と文章体の違いもあると思います。それとともに内容や相手によっ
てダイジが波動を変えていたことも影響していると思います。おそらく、禅の方からダイジに接近した人は
もっと厳しい印象を受けたと思います。超能力願望でダイジに接した人も手厳しい目にあっていると思います。
ダイジを恐れた(畏れた)人も多いでしょう。十一面観音や千手観音のように相手や局面、内容によって変わる
のです。『十三番目の冥想』を出した目的の一つには、ここに出てくるようなダイジを知ってもらいたいということも
あります。

 今月から古書大予言に『十三番目の冥想』を置いてもらっていますが、早くも売り切れたそうで、追加注文
がきました。お買いあげ下さった方々にお礼申し上げます。

(2000.9.2)            

   残暑お見舞い申し上げます。

   ここ二日ほど台風の影響で風の強かった広島ですが、午後から晴れて

  きました。また暑さが戻りそうです。私の方は授業再開となり、忙しくなり

  ます。9月は文化祭、体育祭と続きます。私のクラスは今映画(ビデオ)を

  作っていますが、はたしてどうなることでしょうか。

   夏休みに信州旅行をしてきました。上高地、乗鞍、美ヶ原、霧ヶ峰、諏訪  

  などを回りました。私自身は信州は四度目ですが、上高地は初めてです。

  (上諏訪大社本宮御柱)   上高地は現在通年自家用車乗り入れ禁止ですが、もっともなことだと思います。

河童橋や大正池周辺を散策しましたが、澄み切った空気をいっぱいに吸い込んできました。涼しいと言うより、

冷たいという感じでした。山と緑と水と空気が一つになっているのが分かります。

 今回の旅行の目的の一つは、諏訪大社の四つの宮をすべて回ることでした。

 諏訪大社に行くのは二度目で、一度は大学院の時代に宗教学を専攻していた友人と真冬に行きました。お

み渡りをするという諏訪湖と、諏訪大社を見ようと言うことで行きました。諏訪湖は全面氷結し、氷の上で

ワカサギ釣りもさせてもらいました。真冬の諏訪大社の巫女さんの白い姿が雪の精のようでした。

 今回は上諏訪大社の前宮と本宮、下諏訪大社の春宮と秋宮をそれぞれ日を変えてじっくり見ました。いず

れも立派な御柱が四隅に立っています。巨木は日本古来の重要な信仰の対象であることがよくわかります。

大国主神の子のタケミナカタが諏訪に逃れてまつられたと言われますが、今年発見された出雲大社の巨大柱

根と諏訪大社の御柱は結びついているように思います。古代の出雲大社の高さは十六丈(48メートル)と言わ

れていますから、諏訪大社の御柱の三倍ほどの高さだったことになります。柱に対する信仰は神への信仰その

ものだったのでしょう。

 上諏諏訪温泉の宿で話を聞いて知ったのですが、最近の諏訪湖は冬に結氷しなくなったそうです。御柱祭は

七年ごとに続いていますが、神が渡ると言われた湖が凍らなくなったのは、由々しきことです。渡りの神事

は二社制の神社にとっては二つをつなぐ生命線です。温暖化の影響なのでしょうか。またいつか全面氷結し

た神々しい諏訪湖を見たいと思います。勤めている内は無理でしょうが、できれば御柱祭も見たいものです。

       雪残す穂高の岳の奥深く

            真澄の空の閑けきを見る   (上高地にて)

                                    2000.9.2    渡辺郁夫

 お知らせ(2000.9.2)

 伊福部隆彦先生の本は国会図書館に三十数冊あるそうです。地方の図書館にも貸し出しがあるそうで、館内閲覧なら可能だそうです。広島の読者の方から教えていただきました。その方は今広島で順に読んでおられるそうです。

 『十三番目の冥想』の取り扱い書店が9月から増えました。紀伊国屋広島店と東京中野の「古書大予言」です。
紀伊国屋広島店の宗教書のコーナーはなかなか充実しています。『十三番目の冥想』は和尚ラジニーシの本
の近くに平積みしてくれるそうです。
「古書大予言」は読者の方から教えていただいた精神世界の本の専門店です。聞きましたところダンテス・
ダイジの本はよく出るそうです。今絶版になっている『絶対無の戯れ』も時々手にはいるそうですので、ほ
しい方は連絡されたらよいと思います。詳しくは「書籍の紹介」のページを御覧ください。
 また都市部の書店で、宗教書の充実している書店や宗教書の専門店で、私の本を置いてくれそうな所がありま
したらご連絡ください。

 (2000.8.4.)
                     
 暑中御見舞い申し上げます。
 

   暑さ厳しき折、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

  広島は本日晴れ、最高気温34度の予想です。

  もうすぐ8月6日の原爆記念日です。

  被爆から55年の歳月がたちました。


 私の勤務している学校も多くの犠牲者を出し、校舎も倒壊しました。戦後復興しましたが、校舎の耐用年数が

50年を過ぎようとして、現在建て替え中です。昨日から中学校舎の取り壊しが本格的に始まりました。取り壊し

前に、ある学年が思い出の校舎に自由に絵をかきました。今朝取り壊しを見ていましたら、生徒が教室の壁に

描いた原爆ドームの絵が見えました。なかなかの力作ですが、今日中にはなくなってしまうのでしょう。

私の原爆に対する思いを書いた文章「心の被爆者」を先日このホームページに載せました。平和部門のページに

あります。私自身は被爆者ではありませんが、原爆を一つの出発点にしていることがご理解いただけると思いま

す。

  このホームページを開いてからまもなく半年になります。パソコンを仕事の都合で買うことになり、そのときに

一ヶ月でホームページを開こうと思いました。本を読んだり、周りの人に聞いたりで、何とかこぎつけました。

初めは1ページだけのささやかなものでしたが、徐々に内容を増やし、今週一応当初予定していた内容まで

載せることができました。書籍のご注文や、読後の感想もお寄せいただきありがたく思っています。本日この便り

の欄を作りましたが、この欄を通して、近況報告やお知らせをしていきたいと思います。また、皆様からのお便りも

紹介していきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

         学舎の崩れんとして蝉の声
                                   2000年8月4日    渡辺郁夫

 お知らせ (2000.8.4)  

 伊福部隆彦先生の紹介を東洋文化部門に載せました。私が在京中に住んでいたところが練馬区の
石神井台4丁目で、伊福部先生のお宅が5丁目でした。私の住まいから石神井公園に行く途中に先生の
お宅があり、人生道場という看板が掛かっていました。石神井公園は先生の散歩コースだったそうで、
私もよく散歩しました。伊福部先生をとりあげたページがありましたら、お知らせください。また伊福部先生の
本で入手可能なものがありましたら教えてください。 

 『歎異抄を読む』の在庫整理を先日行いました。おかげさまでよく出て、残部が百数十部になりました。もっと
刷っておけばよかったかなと思っています。なくなる前に幾つかの図書館に献本しておきました。『十三番目
の冥想』もすでに幾つかの図書館に献本しました。

 このホームページのリンク先でよいところがありましたら、教えてください。中国新聞の方から「親鸞庵」を
教えていただき、リンクさせてもらいました。分量のある立派なページです。一度御覧になってください。

 送金に郵便振替口座を用意しました。振替手数料は当方で負担しますので、一般の通販よりはお得だと思いま
す。一般の通販は、私も利用することがありますが、宅配便の代金引換を用いるようで、送料手数料が高くなるよ
うです。

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