天 無く 髮 無し 楚歌の時,
辨慶 頭を 剃(まろむ)るも 人 奇とする莫し。
君 既(すで)に 我が大地に生れたれば,
應(まさ)に知るべし 謝罪 辯明の辭を。
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今の日本は、天天道歉 夜夜謝罪。(今の)我が神州大地(祖国日本)に生まれた限り、それなりの弁はいると思うよ…(だって、「謝罪会見」では「謝罪のことば」というのが新たな風習になってきてしまっているし…。今の時代、「自己批判」が流行なのかな?
それとも、「自己批判」しなければいけないことをしてしまう」というのが流行なのかな?)
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・既…: |
「…であるからには」。ここでは「すでに」の意は無いものの、読み下しの方法が見つからないため、こうした。 |
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(以下、前頁に同じ) |
・和尚打傘: |
(お坊さんが傘をさす):歇後語(語句の前半だけを言うしゃれ)の一で、「和尚打傘,無髮無天」のこと。(「無髮無天」(髪の毛が無く、(傘をさすと)空が見えない)⇒「無法無天」(むちゃくちゃをやる)。この両者のかけことばで、本当に言うところは隠された「むちゃくちゃをやる」の意。蛇足になるが、このことば「和尚打傘」は、文化大革命の時に、毛沢東がエドガースノーに対して、自分の前半生をふり返って語った言葉でもある。西側(世界)へは「破れ傘を持った孤独な修行僧」と訳された曰く附きの言葉である。 |
・無髮: |
(髪の毛がない)⇔「無法」(無法なことをする):「法」と「髮」の発音は、整理される前の現代語(北方方言系)ではほぼ同じ(fa3)と(fa4)。(普通話ではやや異なるが)。“髮”(fa4)、に対して、“法”(fa3)法律の法、“法”(fa4)「法國」の法と、台湾の放送では、両者の“法”を区別して発音している。 |
・無天: |
傘をさすと空が見えない)⇔(天理に悖(もと)る)。 |