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眞田丸



智囊遠出信州關,
大坂最期去不還。
爾後豫章櫻樹地,
英靈常在眞田山。





真田山三光神社
真田幸村公の像 真田幸村公の像
真田の抜け穴跡 真田の抜け穴跡

                                                 
       眞田丸(さな だ まる)

智囊( ち なう) 遠く()づ  信州の關,
大坂の最期(さいご)に  去りて(かへ)らず。
爾後(じご) 豫章(よしゃう)櫻樹(あうじゅ)の地,
英靈 (とこし)へに()り  眞田山(さなだ やま)

          *****     
  真田丸を調べていて、真田山に至った。真田山(=大阪環状線玉造駅の西250メートル)には陸軍墓地があったことを初めて知り、早速出かけた。駅を下りると、早速「幸村ロード」の紅い旗差し物が続く。(お店に「真田御膳」850円、「幸村丼」500円…とある。新鮮でボリュームもあり、美味しそう)。
  真田山の東北角には真田山三光神社があり、真田幸村の像、大阪城に繋がる(?)抜け穴の跡…があった。そこを豊かな桜と、大きな樟(くすのき)が覆っていた。
そして、その後方(真田山中央)には真田山陸軍墓地が広がっている。

  この詩、史実を要約しているが、史実順ではない。「信州の武将が大阪で活躍し、そして散っていった」と、ここまでは事実である。(しかし、幸村がこの地・大坂城の玉造口外に真田丸を築いて活躍したのは大阪冬の陣のことであり、家康の本陣に突入するものの力尽きて、四天王寺近くの安居神社で討ち取られた…。これは大阪夏の陣のことである)。詩は、冬の陣・夏の陣が合わさっている……。

  この詩、最後を「英靈常在
眞田山」としているが、最初は「英靈常在眞田丸」(/英靈眠處眞田丸)としていた。でも、マイナーな「『…丸』で通じるかな?」と思い、「…山」にした。押韻上も問題無いようだし…。本の「英靈常在眞田丸」がいいか「英靈常在眞田山」がいいか、悩んでいる。

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・智嚢: 智慧袋。知識の豊かな人の喩え。ここでは智謀の将、真田幸村を指す。
・大坂: 現・大阪。大阪方。豊臣方。
・去不還: 燕・荊軻の『易水歌』に「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」とある。
・豫章: クスノキ。忠臣・楠木氏。
・英霊: 戦死者の霊を敬っていう語。すぐれた人の霊魂。すぐ隣に陸軍墓地もある。
・常在: =長在。とこしえにある。
(・真田丸: 即,眞田城郭。戰國武將眞田幸村大阪城外圍的多重護城河南)構築半圓形的獨立防禦子城郭,即眞田丸(=眞田城郭)。)

平成二十八年三月十六日




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