huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye

                                          




赤間彩虹 



赤間白浪老青松,
千載帝魂波底宮。
今日酹來壇浦上,
篷窗看得霎時虹。


(写真:準備中)
                           
                                                
        赤間の彩虹

赤間(あかま)白浪(はくらう)  (らう)青松(せいしょう)
千載の帝魂(ていこん)は  波底( は てい)の宮。
今日 (そそぎいの)(きた)る  壇ノ浦(だんのうら)(ほとり)
篷窗(ほうさう) ()()たり  霎時(せふ じ )の虹を。

            *****     

終末(12/3土〜12/4日)、長崎に行った。門司、
壇ノ浦遊覧⇒長崎市(泊)⇒グラバー園、大浦天主堂⇒柳川⇒佐賀諸富・筑後川昇開橋・徐福伝説の地⇒門司と廻った。

  この詩は、「遊覧船から外を見ると、しぶきが上がり、そこに虹が架かっていた」という情景の詩。
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・赤間: 赤間神宮のある山口県下関市側の海。赤間神宮は安徳天皇を祀る。関門海峡に臨むところ。
・彩虹: にじ。
・帝魂: 安徳天皇の魂。八歳の幼帝で、平家一門とともに入水崩御。
・波底宮: 波の下にある都。『源平盛衰記』での二位の尼の辞世「今ぞ知る 御裳川(みもすそがは)の流れには 波の下にも 都ありとは」二位の尼の辞世で、安徳天皇に対して「波の下にも 都ありとは」(「波の底にも都のさぶらふぞ」)と言上したいうことばに基づく辞世の今ぞ知る 御裳濯河(みもすそがは)の流れには 浪の下にも 都ありとは」(『源平盛衰記・巻第四十三』(『新定 源平盛衰記』(考定:水原一・新人物往来社 1991年)第六巻33ページ)を謂う。『平家物語・先帝身投』には『あの波の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都のさぶらふ。それへ倶しまゐらせさぶらふぞ』と、さまざまに慰めまゐらせしかば、やまばと色(→■■■■)の御衣に鬢づら結はせたまひて、御涙におぼれ、小さう美しき御手を合はせ、まづ東に向かはせたまひて、伊勢大神宮、正八幡宮に、御暇申させおはしまし、その後西に向かはせたまひて、おん念仏ありしかば、二位殿やがて抱きまゐらせて、『波の底にも都のさぶらふぞ』と慰めまゐらせて、千尋の底にぞ沈みたまふ。」とある。
・酹: (死者を弔(とむら)うため)酒を地面に注ぐ。注ぎ祈る。
・壇浦: 源平合戦最後の地で、平家滅亡の地。
・篷窗: 舟の窓。
・霎時: しばし。

  

平成二十八年十二月三日




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