massangeana 氏の「いろいろ」で、 私が前にここに書いたのについてコメントをいただいた。
#define swap(x, y) { int tmp = x; x = y; y = tmp; }だと
if (x < y) swap(x, y); else ;がコンパイルエラーになるが
#define swap(x, y) do { int tmp = x; x = y; y = tmp; } while (0)としておけば OK, という使い方がむかしあったそうだ。 (記憶に基づいて書いているので氏の例とは細部が異なるかも。)
do { ... } while (0); はグループ化できるのみならずセミコロンで終わっていることがメリット、 ということになろう。
もしもグルーピングの中カッコを閉じたあとにもセミコロンが必要、 と決められていればこのトリックを用いる必要はないわけだ。 タイピング量は増えるが、どちらが“正しい”のだろう。 (構造体の定義のあとなどではセミコロンが必要である。)
2004-10-02 (6) 02:28:38 +0900
秋分を含む月が八月と決めるから、 八月 1 日が秋分という年もあるし、 八月の最後の日が秋分という年もある。 後者は九月 1 日が秋分というのと一日しかずれていないわけだから、そうなる。
2004-10-02 (6) 02:24:52 +0900
ブログは少しずつ書き込むようになったが、自分では持っていない。 会員からの紹介メールがあると参加できるようになるあれ (←名前がでてこない ^^;)も、 しばらく様子をみるということで参加していない。
最近、新しいことを始めようとする意欲が落ちているようだ。
P.-S. 二月ほど前にお誘いのメールくださったかた、 そういう事情で参加は見送ったというメールをすぐにお送りすべきでしたが、 お送りせず、失礼しました。 メールアドレスがわからなくなってしまったのでここに書かせていただきます。 どうもすみません。
2004-10-02 (6) 02:19:12 +0900
拙作タイピング練習プログラムを Macintosh に移植してくださった戸塚直哉さんのサイト。 なんだかさびしい。
2004-10-02 (6) 02:18:57 +0900
旧暦だとそうはゆかないはずだ。
2004-10-01 (5) 20:01:05 +0900
本文ナシ
2004-10-01 (5) 02:15:20 +0900
太陽の動く軌跡を、地球を中心とするある半径の仮想的な球面 --- これを天球と言うんだっけ? --- の上に書いてみる。 これは滑らかな曲線になるだろうから、各点で接線が存在する。 それを接線とするような天球の大円が存在する。 それが地平線であるような点が地上に存在するが、 その地点では、そこに太陽がくる瞬間、 太陽は地平線にあるにもかかわらず太陽の高度の時間による微分はゼロになる。 そのような点が常に地球上のどこかにあることがわかった。
上で考えた大円を接線に代わるものと考え、 平面上の曲線のアナロジーで考えてみる。 きちんと計算していないが、 たいていの場合は曲線はその近くで接線の片側にあるのではあるまいか。 それに対し、 春分の瞬間の前後には曲線は接線の両側にあるような気がする。 y = x³ のグラフと x 軸のような位置関係である。 ちょっと前からまた考えているように、 春分の瞬間には真西から太陽が昇る地点がある。 この瞬間に日の出または日の入りなのはある子午線とその裏にある子午線の上だが、 《中心を保って運動する球の、 ある時刻の表面速度はある軸の回りの回転と同じ》 を合わせて考えると、 片方の子午線上の北緯 x 度より北では真西から太陽が昇りつつあり、 その点より南では真西に太陽が沈みつつある。 その境目の点が問題の点である。
この点の近くでの太陽の動きは y = arctan(x) のグラフのような感じだろう。 ここでは y = 0 を赤道に見立てている。 春分の瞬間の前には太陽は南半球にあるから、 このグラフの上で第三象限から第一象限へと太陽は動く。 x = 0 における接線を思い浮かべて少しいろいろ考えると、 この地点では日の入りのような気がする。 ただし、高度の一次微分はゼロ。 もっと高次の日の入りである。
それ以外の場合、 北半球の夏では太陽が地平線に現れて消えて行く。 北半球の冬では太陽が地平線まで沈みかかってまたあがってゆく。 南半球では --- 南半球でも同じか。
ほんとかな。
2004-10-01 (5) 02:10:46 +0900
先日、 職場内の郵便局でキティちゃんの切手のポスターをじーっと見ていたら知り合いの局員に 「実物を見てみませんか?」と声をかけられた。 実物を見ると、まあ、普通は買わないわけにはゆかないのでパス。
一シートに 10 枚、デザインの違うキティちゃんの切手が並んでいる。 そのうち 3 枚は青を基調としていて、 喪中欠礼のはがきに貼ってもよさそうである。 これで喪中欠礼を出す人も世間にはいるだろうな、 と考えて私はポスターを見ていたのだった。
2004-10-01 (5) 01:33:55 +0900
村上祐子氏のブログを見ていて、 「リス」を漢字で書けば「栗鼠」となることを知った。 「栗」の音は「リツ」だから、音読みすれば「リツソ」になりそうである。 これがリスの語源か? と思って広辞苑を見たら、 「リスは漢字の音読み」と説明されていた。 ただし、漢和辞典によるとこの漢語は「りっそ」と読むらしい。
2004-10-01 (5) 01:23:34 +0900
前払いが原則なので、きのうが後期分の振り込み期限だった。 朝、振込用紙に記入しかけてから、 三月末日に振り込んだ際の受け取りがパソコンラックの上に放置されているのを発見。 一年分まとめて払っていた。
なんてだらしないんだ。>自分
2004-10-01 (5) 01:15:03 +0900
四月から聞いていたNHK「フランス語講座」入門編がきのうで終わった。
きょうが最終回だなあ、と思いつつラジカセの録音ボタンを押した。 もう半年経ったのか、と月日の流れの速いのに驚く。 中学二年生のとき聞いていた 「続基礎英語」はずいぶん長い間だったような気がしたっけ。 (確か八月から聞き始めたので八カ月間しか聞いていない。)
ちょうど三十年前に聞いていた「ドイツ語入門」基礎編の最終回かその近くで 「Ende gut, alles gut」という言い方を覚えたのを思い出した。
2004-10-01 (5) 01:04:07 +0900
いつものあいさつのあとに、 「わたくしたちのフランス語の勉強も、きょうが最終回となりました。 少しさみしいです」。
語句の発音と意味。 empêcher について、ウーエル動詞です、 とおっしゃるかと思ったらはずれ。 autre について、もともと e で終わっている形容詞です、 とおっしゃるかと思ったらまたはずれ。
empêche の訳語は「(それ)は妨げる
」となっているが
「(それは)妨げる」の誤植ではない?
trinquer は英語の drink やドイツ語の trinken と関係あるのだろうか。
santé を聞いて「サンテ・〜」という名前の目薬があったなあ、 と思い出した。 そのあとの部分はカナでどう書いたか思い出せないが、 フランス語で「目の」のつもりだったらしい。 ところで、私はよくフランス語の「目」と「たまご」を間違える。
スキットの中で、十年後に再会するといっているが、 そのときユミは三十六歳。まだまだ若い。
復習2の書き取りはかなりやさしかった。 「『きょうの表現』の中から、毎月ひとつずつ短いものを選んでみました」。 なるほど。 ところで、私は「Moi non plus.」を間違えた。 Moi のあとに「,」を置いてしまったのである。
Paris à travers la littérature のコーナーで先生は 「下水道」を「低高高高高」のアクセントで発音しておられる。 私は「低高低低低」だ。新明解国語辞典第五版もこれを載せている。
「さあ、これで、わたくしたちの勉強はすべて終わりました。 半年にわたる長い間、熱心にお聞きくださってどうもありがとうございました。 たくさんの方々にいろいろな形で支えていただきました。 きのう言えなかったことがきょうは言える、というのはうれしいことですよね。 そのうれしい気持ちを積み重ねてゆくと、知らず知らず、 力がついていきます。 ぜひこれからも楽しくフランス語の勉強を続けてください」。 先生がしみじみとおっしゃったところでミカエルさんが陽気に話し始められた。 そのあと「では、みなさま、ごきげんよう」 とおっしゃった先生の声が「ごき」 のところでふるえているように聞こえたのは僻耳(ひがみみ)か。 その直後にミカエルさんの「アー」という声にならない声に続いて 「Au revoir.」。
エンディングはいつもと違う曲で、1 分 40 秒ほどあった。 rendez-vous とか dans dix ans とか même jour とか même heure とか聞こえる。 この曲を踏まえて、 十年後の同じ日、同じ時間に会おうという話にされたのだろう。
付) きょうも John はセリフがあったが先生もミカエルさんも言及はなし。
付) 半年のあいだ続くストーリーだったわけだが、 話の内容は、極端に走らず、適切だったのではあるまいか。 ちょっと現実離れしているかなと思ったのは、 マリアは二十歳、 ユミは二十六歳だが仲よしで二人で泊りがけの旅行にも行く、 という設定だ。 日本人どうしだったら「世代が違う」という感じだと思うが、 国が違うから、いいのかな。 それにマリアは若いときから女優の仕事をしていると言っていたから、 実際の年齢より大人びているのかも知れない。
春先にもらってきたNHKの小冊子での内容の予告は
《入門編ではフランスで語学研修をしている日本人の女の子の日常をたどりながら、
初級文法と簡単な日常会話習得を目指します
》。
これってユミのことだと思うけど、二十六歳で「女の子」? おそらく、
この文章を書いた人は年齢の設定を知らなかったのだろう。
付) 先生の最後のお話の中の 「たくさんの方々にいろいろな形で支えていただきました」を聞いて、 いろいろなポーズで壁や柱を支えている人々を想像してしまった。 その次の 「きのう言えなかったことがきょうは言える」は、最初、 きのうは度胸がなくて、あるいは状況が違っていて言えなかったが、 かと誤解した。
2004-09-30 (4) 23:59:21 +0900
単に「病・癒えた」と同音、というだけ。
2004-09-30 (4) 20:52:58 +0900
金沢ではいる唯一の AM の民放、MRO ラジオを聞いていると、 広告が取れないのか、自分のところの番組のCMが多い。 たいていは「*曜*時から。聞いてね」のように言うのだが、 どうして終わる時刻を言わないのだろう?
2004-09-30 (4) 02:51:41 +0900
本文ナシ
2004-09-30 (4) 02:50:49 +0900
リング綴じノートを見たら、 《リング綴じノートのリングは右ネジ? 左ネジ?》 を思い出し、 右から左へ書く言語って授業に出て習ったことがないな、 と気がついた。 帳面はどちらから使うんだろう?
2004-09-30 (4) 02:49:54 +0900
本文ナシ
2004-09-30 (4) 02:42:08 +0900
新しいのが出ているとつい買ってしまう。 どうせそのうち使うから、と。
先日買ったのは KOKUYO の「ス-T602B」という型番のもの。
「ツインリングノート」と銘打ってある。
B5, 30 枚。
リングがらせん状だと、開いたときに左右のページの高さがそろわない。
ところが、これは
「左右のページがピッタリ揃う
」
というのが宣伝文句である。それってそんなに大事?
リングノートブックの特徴は、それよりも、 表紙を裏に回すと閉じたときと同じサイズのスペースで筆記ができる、 ということだ。普通のでこれをやると無理に曲げることになろう。 このとき、ツインリングだとずれがないのは確かだ。
表紙には best ruled foolscap suitable for writing を使っているとある。 それなりに良質の紙だとは思うが、これで foolscap なのかな。 生協独自の、あのクリーム色の紙の帳面には及ばない。 もっとも、万年筆で書くのでなければあまり意味がないかもしれないが。
付) 何のために左右がそろってほしいのか、という問題もある。 見開きで使うので行がそろってほしいというのなら、 らせんのリングでとじるノートブックの場合、 紙の表と裏とでずれの分だけ行をずらして印刷しておくことも考えられる。
2004-09-30 (4) 02:41:17 +0900
北緯 90-23.5 度の線上を考える。 夏至の瞬間に地方時で正子である点では太陽が昇りかけてまた沈む。 夏至の瞬間に地方時で正午である点では太陽が沈みかけてまた昇る。 どちらもたぶん。
y = x³ のように太陽が動くことはあるのだろうか?
2004-09-30 (4) 02:24:23 +0900
春分の瞬間には、 ある子午線とその裏の子午線の上では日の出または日の入りである。 その点が太陽に近づいていれば日の出、太陽から遠ざかっていれば日の入り。 赤道近くでは明らかに片方の子午線の上で日の出、他方の上で日の入りであり、 太陽にどれだけの速度で近づいているかは場所の連続関数であるから、 二つの子午線の上のどこかではその速度はゼロである。 つまり、太陽が地平線にあるにも関わらず、 おそらく日の出でも日の入りでもないのである。 (「おそらく」と書いたのは、太陽が y = x³ のグラフのように地平線に接しながら昇ったり沈んだりするかもしれないからである。)
北極点の近くのある点では、冬の間まったく太陽が昇らなかったのが、 春分がきて太陽が昇るかと思ったとたんに普通の意味での夜になり、 また太陽が沈んだのではないかと思われる。
南極点の近くのある点 --- いまの点の対蹠点(たいせきてん)にあたる --- ではまったく逆。 夏の間まったく太陽が沈まなかったのが、 春分がきて太陽が沈むかと思ったとたんに普通の意味での昼になり、 また太陽が昇ったのではないかと。
これ以上はちゃんと計算してみるしかないな。
2004-09-30 (4) 02:19:21 +0900
春分の瞬間に、北極点のごく近くで、 北極点を通るある直線は昼と夜との境界となっている。
##| ##| ##・N ##| ##|右から太陽が照らしている。縦線が昼と夜との境界である。
この直前にはこのあたりは夜である。この直後には昼である。 そのことは、 「冬のあいだ北極点の近くでは日が昇らない」 「夏のあいだ北極点の近くでは日が沈まない」 というよく知られた事実からわかる。 だったら、 この瞬間にはこの境界上では日の出であるとしか考えられないではないか?
境界のうち、図で北極点より上の部分では西から日が昇っていることになる。
厳密ではないが。
2004-09-30 (4) 01:55:14 +0900
…とも限らないか。
「彼の席だけ香の物を置き忘れた」など。 NHKフランス語講座で「oublier + de 不定詞」 という言い方を習った際に考えたこと。
2004-09-30 (4) 01:36:13 +0900
冒頭。今週のスキットについて、ミカエルさんは nous retrouvons Yumi, Paolo, Renata, et tous les amis de l'école de langues とおっしゃっておられる。あと Maria と John がいるのだが。 またまた John には言及されず。
きょうのスキットを聞いたあとでは、 ミカエルさんは Paolo を Patric と言い違えてから言い直しておられる。
「語句の発音と意味」。 jugerez の発音はむずかしいな。 最初の母音が [u] になってしまいそう。
スキットの会話が行われている季節はよくわからないが、 十年後の同じ日に会おうと言っていることから、 二月 29 日でないことだけはわかる。 (同じ時間にとも言っているから、 十年後のその日が夏時間開始日であって、 かついまがその際に飛ばされるあの一時間の間、というわけではない、 ともわかるが、そもそもそんな夜中にお別れ会をしているとは思えない。)
aller の tu に対する命令形は va だが、次に y がくると vas-y となる、 との説明があった。 「va-y だと母音が並んでしまいますよね。 フランス語では母音が並ぶのをなるべく避けようとするんでした」。 でも「il va y penser.」はこのままなんだろうな、と思った私。
「きょうのポイント」。 先生は 「C'est プラス 形容詞 プラス de プラス 不定詞」とおっしゃったが、 テキストでは「C'est + 形容詞 + de 不定詞」であって、 最後の「+」は書かれていない。 (練習1では「de」と「不定詞」との間に「+」が書かれている。)
oublieras の発音がよくわからないぞ。 [ublira] でいいはずだが、なんだか e を抜かしたようですごく気になる。 語幹が母音で終わっているからか。
「oublier + de 不定詞」という言い方に関連して、 「動詞のあとに不定詞がくる構文のとき、 何も前置詞が必要のない動詞もあれば、 de あるいは à が必要な動詞もあります。 動詞によって決まっています」との説明があったが、 この「動詞」というのはいまの例で言えば oublier のほうであって、 不定詞ではないのだ。 「不定詞」は動詞の不定詞なんだから動詞とも思えるが、 動詞としての働きはしていないから動詞ではないとも思えるか。
練習2の 3) に関連して、 第 79 課で否定の表現をまとめて学んだときに ne ... personne も出てきたとおっしゃったが、出てきていない。 また、それが rien à personne と二つ一緒に使われることもあるとのことだったが、 もっとたくさんのこともあるのかな? jamais rien à personne とか……。
最後は「それではきょうはこのへんで。またあした」。 三週連続で水曜日は「それ」がついている。 もしもこのシリーズが再放送されたら、 水曜日はずっとこうだったかどうか、誰か確認してください。:-)
エンディングは 35 秒ほど。
付) 木曜日にはきょうのポイントはないので、 接続法はやらずに終わることになる。 応用編のお楽しみ、というわけだ。
付) きょうも三回聞いた。
2004-09-30 (4) 01:01:30 +0900
冒頭、「ユミたちのお別れパーティーが開かれています」とおっしゃったが、 「お別れパーティー」と聞くとあとに残る人が開催するように思うのはわたしだけ?
diplôme を「お免状」と訳された。 「免状」でなく「お免状」と言われるとおけいこごとの 「お免状」のような気がしてしまうのは私だけ? (テキストの訳も 「お免状」。)
条件法現在形が出てきたので、 いままで習っていたのは直説法だったという話があり、 「『直説法』は『直(じか)に説く』と書きます」 という説明があった。 この「いろいろ」に「直接法」と書いてなかったかと急に気になったが、 書いていなかった。よかった。
単純未来形が出てきたときは気がつかなかったが、 donnerai の語尾は -rai だったんだ。-ai だけが語尾かと思っていた。 よって、きょう習った条件法現在形は 「単純未来形の語幹+半過去形の語尾」だと思っていた。
「では、条件法現在形の用法です。この時制は……」とおっしゃったので、 「あれ?」と思った。 「現在形」は時制の一つだが、「条件法」は法であり、 法と時制は独立した概念で、 表などにまとめるとしたら(例えば) 縦に法、横に時制をとってマトリックス状になるものだと思っていたから。 先生のご説明だと、 法という分類がまずあって、時制はそれを細分する、というように感じられる。
「Si elle venait me voir, je serais heureux.」という例文について 「彼女は私に会いに来られないんです」と説明しておられたが、 会いたくなくて、 あるいは会う気がなくて会いに来ないこともあるのでは? 違うかな?
きょうも、スキットの中で 「きょうのポイント」 (条件法現在形)が使われている文章の説明はなかった。
練習3は条件法現在形に言いかえる練習。 その 3) で「2) と同じ pouvoir を使いますね」とおっしゃったが、 問題文ですでに pouvoir が使われているので 「〜を使っていますね」ではないだろうか。
エンディングは 45 秒ほど。
きょうもミカエルさんは John の名を口にされなかった。 きょうの表現をそのまま使って「C'est dommage!」と言おうかな。
きょうも三回聞いた。
2004-09-29 (3) 02:50:54 +0900
自動巻の腕時計をたくさん持っていたら手間が大変だけど、 私みたいに一つだけなら、手に持つか腕にはめるかしてしばらく振れば……、 ちょっとぐらい振っただけじゃだめかな?
2004-09-28 (2) 23:59:12 +0900
…したような気がした。
飲みすぎた。
2004-09-28 (2) 23:25:12 +0900
絶対にやってはいけません。
ふとんに針を、ってのはときどき新聞で見る。
2004-09-28 (2) 23:09:39 +0900
「曽祖父」(「曾祖父」)「曽祖母」(「曾祖母」)のつもりらしい。 こちらは「そうそふ」「そうそぼ」であって「そそふ」「そそぼ」ではないのだが、 そもそも口語ではあまり使わないので間違うのかも。
そう言えば、 NHK「英語会話」を担当しておられた大杉正明先生が「祖父母」を 「そうふぼ」と読んでいたことがあったかと。 再放送時には直っていたような記憶あり。
2004-09-28 (2) 22:14:40 +0900
書きかけだった edlin クローンのラインエディタに、 数年ぶりに手を入れている。
ラインエディタだからといって軽く見てはいけない。 マルチファイルなのである。
(マルチファイルということばは、ある短い期間、きらきら輝いていたっけ。 そのうち、どのエディタもマルチファイルになって、輝きは失われてしまった。 私がこの edlin クローンをマルチファイル化し始めたころは、 もうとっくにその輝きは失われていた。:-))
《自作ラインエディタ、 日本語入力ルーチンもついて一応使えるものに》参照。
さて、マルチファイルだから、当然、バッファが複数ある。 ユーザに見えるもののほかに、コピー時などに裏で使われるものもある。 そこで、 一つのバッファを引数に与えるとそれを複製して新しいバッファを作って返す関数を書くのがよいのか、 あるいは二つのバッファを引数に与えると片方を空にしてから他方をそこへ複写する関数を書くのがよいのか、 少々迷っていた。
結論:両方書けばいいんだ。
どんどん書こう。
2004-09-27 (1) 23:40:10 +0900
《十五パズルが解けるための必要十分条件を置換の符号を表に出さずに説明する》 などでは盤面をうねうねと一筆書きしてそれに沿ってコマを読んでいった。 確かもっと簡単な方法があったと思ったので、同僚に尋ねたら教えてくれた。
空きもコマとみなし、十六個のコマの上で置換が起きると考える。
2004-09-27 (1) 23:29:42 +0900
私は、前者にはかなり違和感がある世代だが、ただ「おかしい」 というのではなく、どこからこの言い方が出てきたのか考えている。
私は、後者には全く違和感がない。 「この積分の値は 2/3 になります」と言われてもほとんど同様。 しかし、これは本来「この積分の値は 2/3 です」と言うべきところだ。 計算して「なる」のではなく、式を書いた時点でそう「である」のだから。
「こちらラーメンです」と言い切らないのと関係あり?
2004-09-27 (1) 23:10:00 +0900
「ディスプレイに何かがぶつかって、(いわゆる)物理的に破壊された!」 と思わせるような壁紙はどうかな、と考え、 割れたガラスの写真を探してみたが、なかなかない。
ふと、「弾痕」を Google のイメージ検索で調べてみたら、 それなりの雰囲気を出しているものがあった。 鉄板に弾痕がいくつもあいているのである。
画面に敷いてみたらなかなかのものだったが、 そのページをよく見たら自爆して沈没したとされる北朝鮮の工作船の写真だとわかり、 何となく気持ちがよくなくて、やめた。
東京のどこかに展示してあるらしく、 そのページの作者が自分で撮ってきた写真らしい。 壁紙サイズではないので、壁紙サイズがほしい人は(未完)
2004-09-27 (1) 23:02:35 +0900
確か前々回の、交通安全週間にからめた話。 裏のおじいさん(だったかな)が反射材をつけて波平を誘いにきて、 連れ立って夜の外出をする。 波平は何もつけていない。 すると、通りかかった自動車が波平に気づくのが遅れ、 波平のごく近くを通り抜けてゆく。 波平は「あぶないなあ」ともらし、 反射材の有効性に気づくのだが、 私はそれよりも、 運転者の注意が反射材をつけた一部の歩行者だけにいってしまう恐ろしさを感じた。
2004-09-27 (1) 22:50:28 +0900
きのう放送された分。 サザエが英会話を習おうとする話はときどきあるのだが、 今回は近所にジェームズちゃんという男の子がいる西洋人が引っ越してきて、 というのがきっかけになっていた。
「ジェームズちゃん」 「ジェームズちゃん」とみんな呼んでいたが、 普通は「ジミー」とかになるんじゃないのか?
2004-09-27 (1) 22:34:08 +0900
本文ナシ
2004-09-27 (1) 22:30:26 +0900
一つ前(=一つ下)の 《NHKフランス語講座> 九月 27 日(月)分》を参照。
2004-09-27 (1) 22:22:42 +0900
きょうはまず一度聞き流し、それからきちんと聞くことに。
今週のスキットにはまた John が登場する。 このことは前もってテキストをちらっと見て知っていた。 今週のスキットを聞く前にミカエルさんが il y a Renata, il y a Maria, il y a Paolo, il y Yumi ... とおっしゃったので「John は!?」と思ったが、 やっぱり John だけは言及されず。 ミカエルさんと John との間に何かあったのか!?
きょうのポイントでは、 きょうの表現で ça が使われていたものをミカエルさんが全部読まれた。 テキストを見て私も確認。 これが 1 分 40 秒。
練習2で「avoir de tes nouvelles は『あなたの消息を得る』 『あなたからの便りを受け取る』という意味です」と先生がおっしゃった。
私は、「消息」にあるのは 「消息を絶つ」「消息筋」のような現代語での用法と「せうそこ」 と書かれたりもする古文での用法だけだと思っていたので、 「消息」を「便り」と言いかえられた先生は古風なかたなのかと思ってしまったが、 岩波国語辞典第三版を見ると、現代語でも「便り・手紙」の意味があるんだ。 「消息を絶つ」もそこからきているのか〜。 (と思ったが、新明解国語辞典第五版はその意味を載せていない。)
エンディングは 30 秒ちょっと。
最後にもう一度、番組全体を通して聞いた。
2004-09-27 (1) 22:22:02 +0900
エンディングは 45 秒ちょっと。
付:これで入門編は追いついたぞ。 あと四回でおしまいかと思うとなんだかさびしい。
2004-09-27 (1) 00:13:24 +0900
Google で while(0) を検索して知った。 break に達すれば do ... while を脱出しその次の文へ移るので goto の代わりになる。
continue としたらループ先頭に戻る……かと思ったら違った。 再評価に戻るから、結局 break と同じように動くのだった。 先頭に戻したければ
while (1) { ... if ( ) { continue; } ... break; }か。
2004-09-26 (0) 22:34:59 +0900
本文ナシ
2004-09-26 (0) 21:58:44 +0900
いろいろ考えていたが、これが一番わかりやすそうだ。
もう一度、仮定を説明しておこう。 地球は完全な球形で、太陽の回りを完全な円軌道を描いて回る。 太陽からの光は地球に平行線としてふりそそぐ。
地球の上で、太陽が真上から照りつける場所の軌跡を考えよう。 春分の瞬間には赤道上の一点であり、時間とともにそこから西へ進む。 ただし、少しずつ赤道から北へずれてゆくはずである。 一日後には同じ経度のところへくるが、そのときの緯度を ε としておこう。 夏至が近づくにつれだんだんと北回帰線に近づき、 夏至をすぎるとこんどは赤道へと戻ってゆく。 赤道上にくるのが秋分の瞬間で、そのあとは南へ移動し、 冬至に南回帰線の上にきて、冬至をすぎると赤道へと戻り、 春分の瞬間で一年たったことになる。
地球上のある一点を考える。 そこで日の出・日の入りが起こるのは、 地球の中心からその地点へ向かう線分に直交する方向から太陽が照らすときである。 よって、 その地点で一年間に日の出・日の入りが何回あるかは、 そこと地球の中心を結ぶ線分をひき、 地球の中心を通る平面でそれと垂直なものを考え、 それと地球の表面との交わりの大円が上で考えた軌跡と何点で交わるかを数えればわかる。
北極点については、この大円は赤道にほかならない。 よって、北極点では日の出・日の入りは年に一度ずつ、 春分と秋分の瞬間である。 北極点から少しずれると大円もずれるが、 ずれがほんの少しであれば、交わりは依然として一つずつである。 具体的には、 緯度にして ε 未満であればよいだろう。 このとき、大円は北緯 ε と南緯 ε の間の範囲しか通らないからである。
だから、北極点のある近傍では日の出は年に一度きりであり、 それは春分の近くに起こる。 春分の瞬間にはある子午線とその裏側の子午線上で日の出または日の入りであるが、 一方の子午線上では真東に、もう一方の子午線上では真西に太陽が見える。 後者の上にあって、上で述べた近傍に含まれる地点では真西から太陽が昇っている。
付) 上の ε をおおざっぱに計算してみよう。 約 90 日かけて太陽は赤道から北回帰線までの 23.5 度を動く。 春分のころは緯度の変化は大きいが、 仮に同じとしてみると一日で約 0.26 度。 緯度 90 度で約 10000 キロメートルだから、 距離になおせば約 29 キロメートルか。 これよりは大きいわけだ。
2004-09-26 (0) 01:46:47 +0900
こう聞かれたら、おとなの何割が正しく答えられるだろう?
《「小学生の*割、天動説信じる」 というネットニュースの見出しについて》に関連して。
2004-09-26 (0) 00:46:35 +0900
前に「江郷詠美」というペンネームを 《εγω ειμιは日本人の名前のような響きだ》 で考えたが、「詠美」はときどき見かけるので「江郷嬰美」というのも考えてみた。 それはともかく、「江戸の江に本郷の郷」と言う説明はどうかな?
2004-09-26 (0) 00:43:37 +0900
むかし聞いていたNHKラジオ「ドイツ語入門」は、 スキット --- とは呼ばなかったと思うが --- に出てくる単語のほかに練習問題に出てくる単語があり、 後者は覚えられればそれにこしたことはないが、 もしも覚えられなくても、 そのあとでスキットに出てきたときに新しい単語扱いになっており、 意味などがテキストに載っていたと思う。
こういうのって、いいと思うな。
余裕のない人は練習問題をやるときだけ頭に入れて忘れてしまってもいいし、 余裕のある人は覚えてしまえば次に出てきたときは復習になる。
最近は新しい外国語を学んでいないので、よくわからない。 いまの「フランス語講座」入門編はどうなっているだろ?
2004-09-25 (6) 23:52:02 +0900
「の」をいくつも重ねた文章は読みにくいと言われる。 さっき、
2004-09-25 (6) 23:50:13 +0900
冒頭で、きょうの表現を日本語に訳して、 「『場合によります』という表現を学びます」 とおっしゃっておられるが、ここではあまり「ばわい」になっていない。 「語句の発音と意味」でも。 でもスキットの意味の解説では「ばわい」。 ゆれがあるようだ。
今週のスキットでジャーナリストを演じている人は、 きょうのスキットの langues の最後の子音を英語の lang のように鼻に抜いて発音しているようにも聞こえる。 テレビの音質のように加工してあるせいもありそうだけど。
今週のスキットのページでは Maria の「Mm...」のあとにカンマがあるが、 きょうのページにはない。
スキットの文章 「J'ai commencé mon métier très jeune,」 の très jeune は、意味はわかるけど、文法的には何だったっけ?
きょうも、 「きょうのポイント」がきょうのスキットのどこで使われているかの説明がなかった。 すぐにわかるけど。
最後は「それではきょうはこのへんで。またあした」。 先週の水曜日と同じく、「それ」がついている。 《NHKフランス語講座> 九月 15 日(水)分》参照。 月曜日の最初のあいさつ、 木曜日の最後のあいさつはほかの日と違いがあって当然だと思っていたが、 これは意外。
エンディングは 15 秒ちょっと。
きょうも番組全体を二度聞いてしまった! 本当にしっかり聞こうと思ったら、
2004-09-25 (6) 23:44:14 +0900
テキストでは「時制の一致」だが、 放送中に先生は(確か)「時制の照応」という用語も紹介された。 必ずしも同じ時制を使うわけではないから、そのほうが正確かも。 でも、すでに定着している用語だから、無理に変えることもない。
2004-09-26 (0) 23:38:25 +0900
「尻に敷いて使うもんさ」、って言うのはどうかな。
《「畳と女房は……」のあとにくる 「新しいほうがいい」以外のものを考える》 で自分に出しておいた宿題の答えの一つ。
2004-09-25 (6) 23:32:20 +0900
本文ナシ
2004-09-25 (6) 23:27:28 +0900
本文ナシ
2004-09-25 (6) 23:25:35 +0900
C 言語でプログラムを書いていて、 関数の中のある部分だけにローカルな変数を使いたいことがある。
{ int i; for (i = 0; i < N; i++) { .... } }のような場合だ。 i のような短い名前の変数に大事なデータを入れておくことはありそうもないから、 ずっと前に定義しておいた i を使っても大丈夫だとは思うが、 場合によっては気になる。
しかし、この部分全体を囲んでいる中カッコの置き方は、 私が採用しているものと違う。そこで
/* ここにコメントを書く */ { int i; for (i = 0; i < N; i++) { .... } }というのも考えたけど、なんか変。
少し考えて、ついに思いついたのが
do { int i; for (i = 0; i < N; i++) { .... } } while (0);である。
2004-09-25 (6) 19:54:24 +0900
24日づけ朝日新聞大阪本社版に、(仮称)片山学園中学校の全面広告が載っていた。
学校法人片山学園理事長片山浄見氏の文章の冒頭に
《私が塾を開いたのは一人の自閉症の子どもさんとの出会いがきっかけでした。
今から30年も前のことです。
3年間の指導の後、彼は自閉症を克服し、
今は立派な社会人として活躍しています
》
とある。
これって、この人が自閉症を治したという意味かいな。
学習指導要領に基づく正規の授業時間数に加え、 補習や発展的学習も行ない、 これらを合わせると週36限の学習時間となります。 これは公立学校における授業(28限)の約1.3倍に相当する時間です。 5教科のみならず、体育や音楽、美術などすべての授業において質、 量とも充実したものとします。 特に英・数・理は週あたり各10限(夜間含む)を実施します。 夜間特別授業は寮と育英センターで行い、より確かな実力を身に付けます。
(「行ない」「行い」の使い分けも原文どおり。)
「〜限」というのは「〜時間目」の意味だと思っていたが、それはさておき。 36時間のうち英・数・ 理を各10時間ずつやったらあと6時間しか残らないではないか、 と思ったが、そうではないようだ。 夜間特別授業を含めると週に何時間になるの授業があるのだろう?
URI は http://www.katayamagakuen.jp/ である。 新聞広告と同じ、あるいはそれよりくわしい文章が読めるようだ。 ac.jp ドメインでないのはまだ開校されていないからだろうか。
2004-09-25 (6) 02:48:47 +0900
書きかけだった edlin クローンのラインエディタに、 数年ぶりに手を入れている。
その1. copy コマンドは四つの数をパラメータに持つ。 何行目から何行目までを、何行目の前に、何回コピーするか、である。 この順に指定し、例えば 10,15,3,2c のように入力する。 c が copy コマンドの指定である。
いくつかのパラメータは省略可能で、特に最後の回数は省略されることが多い。 省略時は 1 回とみなされる。
で、上の例の場合は 10,15,3c を二回くり返せばいいとカン違いしていた。 二度めには、行がずれているので、違う結果となる。
その2. では、パラメータをずらせばいいのではと安易に考え、
from += (to - from + 1); to += (to - from + 1);とした。一行目で from の値が変わるので失敗である。 気づくのにずいぶん時間がかかった。^^;
2004-09-25 (6) 02:00:32 +0900
《太陽が真西から昇ることはあるのか? --- どうやらありそうだ》 に書いたような理想的な円運動をしていると仮定しての話。
もしこれが簡単に言えれば、真西から太陽が昇ることがあるのを言うのは簡単だ。 春分の瞬間、ある子午線とその裏側の子午線の上では日の出または日の入りである。 北極の近くではこれから昼が続くのだから、 その近傍の中では日の出でしかありえない。 その近傍と二つの子午線の交点のうちどちらかでは真西から太陽が昇っている。
2004-09-25 (6) 01:40:55 +0900
きょう二缶めのヱビスビールを開けつつ。
2004-09-25 (6) 01:38:06 +0900
後者は、歌手がコンサートで着て、お客がどっと沸いた衣装、というような意味。
2004-09-25 (6) 01:28:09 +0900
ある質点が空間内を運動している。 位置が時間の滑らかな関数 x(t) だとすると、 ある時点での速度は x'(t) である。 よって、その時点の速度だけを考えるなら、 直線運動をしていたと思ってもよい。
次に、円板が中心を保って運動しているとする。 この場合、回転運動しかありえない。 角度を時間の関数として、と考えるまでもなく、 その周の点の、ある時刻での速度の向きは違うが、速さは同一である。 この場合も、周の点のその時刻での速度だけを考えるなら、 等速で回転していたと思ってよい。
では、球体が中心を保って運動している場合はどうか? ある時刻での表面の各点の速度は、 中心を通るある軸の回りの回転と思ってよいだろうか? この場合、この運動は実数から SO(3) への滑らかな写像だと思える。 それを A(t) と書くと、各点 x の時刻 t での位置は A(t)x であり、 速度は A'(t)x となる。 tA(t)A(t) = E(単位行列)だから、 tA'(t)A(t) + tA(t)A'(t) = O(零行列)である。 tA(t)A'(t) = t(tA'(t)A(t)) なので、 tA'(t)A(t) が歪対称行列となる。 いま考えている時刻を t = 0 とし、A(0) = E (単位行列)だったとしよう。 すると tA'(0) そのものが歪対称行列となる。 これを
0 -a -b a 0 -c b c 0と書くと、t(c -b a) が固有値 0 に属する固有ベクトルとなる。 だから、速度 0 の点が表面上にあることになる。 (このことは球面のオイラー標数が 0 であることからもわかるが。)
その方向を z 軸にとると、行列 tA'(0) は
0 -a 0 a 0 0 0 0 0と書ける。 これは A(t) が
cos(at) -sin(at) 0 sin(at) cos(at) 0 0 0 1であった場合の A'(0) である。
だから、予想通りだった。
付: 《太陽が真西から昇ることはあるのか? --- どうやらありそうだ》に関連する。 どう関連するかは、そこに書き足した。
2004-09-25 (6) 00:52:37 +0900
付: 球面の接ベクトル場で線形なものはこれでつきる。 実際、 (1, 0, 0), (0, 1, 0), (0, 0, 1) でのベクトルが球面に接していることから、 行列で書くと対角成分は 0 になる。そこで
0 a' b' a 0 c' b c 0とおくと、 (1/21/2, 1/21/2, 0) でのベクトルが球面に接していることから a' = -a などがわかる。
2004-09-25 (6) 23:19:45 +0900
「春・夏・秋・冬」に「暑い・暖かい・涼しい・寒い」を対応させよ、 と言われたらたいていの人はタイトル行に書いたようにするだろう。 でもなぜ?
春は寒い冬の次にやってくるから、というなら、 「暖かいというのは単に現在の気温を言うのではなく前からの変化を言っているのか?」 となりそうだ。
「暖かくなった」と言えばその前は明らかに「寒かった」か。
2004-09-24 (5) 23:38:42 +0900
訓令式では「近々」は tikazika だが、 このつづりを見ると「ちかじか」と書いてあるように思えていやだ、 という人もいる。 こういう場合のみ部分的に日本式を復活させて tikadika としたら、 という意見もある。 (ローマ字で現代かなづかいを入力するなら tikadika でなければならない。)
「ヘボン式ローマ字はカタカナ英語の裏返し」 というのが私の持論なのであまり考えたことがなかったが、 ヘボン式はここをどう解決しているかというと、 shimijimi, chikajika のように全く違うつづりになるから気にならないのだった。
ス、ツとズは sukizuki, tsukizuki のようになる。 こっちはやや気になるか。
2004-09-24 (5) 23:35:57 +0900
日本語の母音は単純なので aiueo をアイウエオに当てるしかないと思うが、 英語しか知らない人がヘボン式の kaji (火事)を見ると 「ケイジャイ」などと読んでしまうので、 「火事のときにはこう叫んでください」というパンフレットには kahjee とか書いてあると読んだ記憶あり。
英語で CaCi (C は子音字)というつづりがあったら a はエイ、i はアイと読まれるのが普通だろう。 magi がその例。
2004-09-24 (5) 19:43:14 +0900
ヘボン式ローマ字の子音字は、 「英語は読み書きできるが日本語は知らない人」 が英語式に読めばそれなりの近似音が出るようにできている。
ここで英語と日本語を入れかえると 『「日本語は読み書きできるが英語は知らない人」 が日本語式に読めばそれなりの近似音が出るようにできている』 となるが、これは何かと考えてみればカタカナ英語である。
補) 日本語を母語としない人が日本語を本格的に学習する際、 どんなふうに発音を学ぶのか知らないが、 ヘボン式ローマ字を使うなら、 shi を英語の ship のように発音しないように、 という注意も当然あるはずだ。 (「本格的に」と書いたのは、 二週間ほど滞在するので簡単なあいさつだけでも、 というのならそこまでは要求されないと思うから。)
2004-09-24 (5) 19:38:07 +0900
もしそうなら「土人」を含んでいるな、と思っただけ。
2004-09-24 (5) 19:28:50 +0900
カナだけで書く際にはよく見られる。 カタカナで「ソゥ シマショゥ」とか。
急に思い出したので書いておこう。
2004-09-24 (5) 00:59:15 +0900
《Windows XP Service Pack 2 を電話回線経由で落としたら五時間かかった》の苦労はなんだったんだ。 定期購読している生協書籍部で受け取りの際、 表紙を見て思わずうめき声をあげてしまった。
2004-09-24 (5) 00:55:00 +0900
きょうも、 「きょうのポイント」の大過去形がスキットのどこに出ていたかの指摘がなかった。 確認するために二度聞いてしまった。
エンディングは 40 秒強。
2004-09-24 (5) 00:47:21 +0900
きょうのポイントの二点 --- 「de + 形容詞複数形」と「男性単数形が2つある形容詞」 --- がスキットのどこで出てきたかの説明がなかった。 確認するために二度聞いてしまった。
練習3の説明で「どれも名詞の前に置かれる形容詞です」の「どれも」を 「低高高」のアクセントでおっしゃっておられた。
その練習3は下線のついた名詞に与えられた形容詞をつける問題。 4) は「Il y a des hôtels dans ce quartier.」に nouveau をつけるのだが、 1) から 3) まではすべて名詞が母音で始まる男性単数名詞で、 その前に「男性単数第二形」の形容詞をつける。 そこでうっかりここも nouvels とかしたくなるのがひっかけ。 さらに、その前の不定冠詞 des が de に変わるという、 もう一つのきょうのポイントがまたまたひっかけになっている。
(「ひっかけ」と書いたけど、 初級文法はとっくの昔に勉強したんだから、 こんなの間違えてちゃだめだよな。>自分)
エンディングは 15 秒強。
付) きょうのポイントの二点がどこに出てきたかと書いたが、 後者の男性単数第二形は実は出てきていない。 je me suis donné de nouveaux objectifs の objectifs がもし単数だったら、 練習3の 1) でやったように un nouvel objectif となるところだったのだが。
2004-09-23 (4) 21:16:20 +0900
2006 年の冬季オリンピック大会で見られるかもしれない光景。
2004-09-23 (4) 20:46:46 +0900
……思うほどだった。 日本海に面した県に行ったことがなかったもので。 いま南半球についてここでいろいろ想像しているのと似ているかも。
2004-09-23 (4) 20:46:26 +0900
しかし、「坊さんかんざし買うを見た」 がおもしろいのは髪の毛がないから使いみちがないのに、ということだと思っていた。
2004-09-23 (4) 20:40:06 +0900
行ったのは今からもう二十年以上前だ。 大学院生で、シンポジウムを聞きに高知へ行った際に見たのだが、 ほんとうにここまでこられるとは思ってもいなかったので、 ずいぶん感動した。
以後はよく旅行しているが、 それまではあまり故郷から遠くへ行ったことがなかったもので。
2004-09-23 (4) 18:37:58 +0900
いままで、ずっと前者だと思っていたが、最近は女性車掌も見かけるからなあ。 今晩、勤務で向こうへ行って、 そしてあしたかあさってに結婚式を挙げる、というわけである。
フォークソングの歌詞の話。
車内販売の売り子の可能性もあるか。
でも、その花嫁は切符を持っていなかった。なぜか、というクイズにもなるな。
2004-09-23 (4) 18:35:01 +0900
本文ナシ
2004-09-23 (4) 18:29:50 +0900
「とついで」と「どついて」が、濁点の位置の違いだけなのがおもしろい。 こういう組はほかにもあるだろうか?
(この加筆には、「とついで」でも検索できるようにする、 という目的もある。)
2009-05-24 (0) 22:19:14 +0900
フォークソングで、花嫁が乗って嫁いでゆくのは後者である。
2004-09-23 (4) 18:27:32 +0900
タイトル行で、「/yo:gisja/」「/yogisja/」と、y と j とを混用していたので、 改めた。ヤ行と拗音とで、使い分けようなどと考えていたわけではない。 同じでよいのだが、使う文字には、y と j と、両方の流儀がある。
2009-05-27 (3) 00:26:02 +0900
……と考えてみた。単なるナンセンス。
それ以前に、時差もあるか。
2004-09-23 (4) 18:20:11 +0900
例えば
◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆ ----------------------- ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆とか
◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ----------------------- ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇とか。グラフィックを使えばもっと本物に似せることができるはず。
注)この例の時刻はこの項目のタイムスタンプである。
2004-09-23 (4) 13:05:26 +0900
かなりの割合の小学生が太陽が地球の回りを回っていると誤解している、 という調査が報道された。
最初に見たのはインターネットのニュースだったが、 見出しが「小学生の*割、天動説信じる」のようなものだったので一瞬ぎくっとした。 しかし、その内容は上の通り。 字数を減らすため「天動説」としたのだろうが、 やはり違うと思う。天動説は地動説に対する名称であり、 これらの用語の使用はそれらが対立していたガリレイの時代あたりを想像させるので、 「天動説信じる」と言われると fundamentalist かと思ってしまうのだ。
2004-09-22 (3) 11:45:29 +0900
きのう、寝る前に気がついた。
最近、呪われているような気がする。
2004-09-22 (3) 02:00:48 +0900
きのう番組の途中で聞いた滑稽な曲が、きのうときょうのエンディング。
2004-09-22 (3) 01:46:05 +0900
i-mode とか NTT-DOCOMO とかがインタビューに出てきた。 もちろんフランス語式発音で。 歌子先生は会社名はおっしゃっておられなかったが、 「i モード」は口にされた。 いいのかな? NHKで。
2004-09-22 (3) 01:20:21 +0900
敬老の日が彼岸の入り口みたいだ。
《移動祝日になった敬老の日は秋のお彼岸の中の一日になることがある》 参照。
2004-09-21 (2) 19:34:35 +0900
土曜日。 起きたら、ふとんの上でお気に入りの革しおりが折れ曲がっているのを発見。 少々落ち込んだ。
回想シーン。 金曜の夜、床の上でヘブル語の教科書を読んだ。 しおりはこれにはさんであったもの。 明かりを消そうとして、手にしおりを持っているのに気づいたが、 そのまま消して、暗闇の中で適当なページにはさめばよい。 と考えたものの、そのまま眠ってしまったらしい。 回想シーン終わり。
はっきり折り目はついてしまったが、 しおりとして使う分には問題がないことに気づく。
2004-09-21 (2) 01:41:52 +0900
金曜日の晩、風呂場で、プラスチック製の洗面器の底を踏み抜いてしまった。 足を洗っていて、洗面器をもう少し手前に引こうとしたら、 ベリッと抜けてしまったのである。 確かに、足を入れたまま引くのは賢くはない。 しかし、あのくらいで底が抜けるとは。 かなり古くなっていたからな。 確か無印良品で十年以上前に買ったもの。
土曜日に無印良品で新しいのを買ってきた。税込みで 420 円。 断面が直線的なのが少々気になったが、それしかなかったので。 使ってみると、持ち上げにくい。 縁が少し下にさがっているのは持ちやすさもあるのだった。
それと、表面が妙につるつるしている --- と思ったが、 これが本来の姿で、いままでのは汚れがついていたようだ。
2004-09-21 (2) 01:37:28 +0900
冒頭のあいさつは昨日分と同じだったので書き取りは省略。
en tout cas が出てきたが、これが英語経由で日本語にはいったのが「アンツーカー」 だと気づいている人はどのくらいいるだろう?
Ça fait un mois que ... などの que 以下の文の時制がよくわからない。
肯定文のときはわかるのだが、
que je ne l'ai pas vue のときなぜ複合過去なのか? 「会わなくなった」
という過去の一瞬から計って一カ月、と考えるのだろうか? 先生の説明は
「彼女には会わなくなったわけですから
que のあとは複合過去形の文になっています」。
訳文は「〜してから…(期間)になる
」となっているが、
これだと que j'habite ici などのときに合わないのでは?
このテキストを読んで私が理解した範囲では、
fête についてのミカエルさんの説明の中で une heure de matin とおっしゃっておられた。 夜中の1時をこう言うのだ。まだ朝ではないけれど。
最後のあいさつは「それでは今週はこのへんで。また来週」。
エンディングは 55 秒ほど。
月曜日のスキットでセリフのあった John は火曜日・水曜日とセリフがなく、 きょうのスキットでまたセリフがあったが、 先生もミカエルさんも John の名前に言及されなかった。
2004-09-21 (2) 01:02:46 +0900
最後にもう一度聞き直していて、 フランスのパーティーではよく踊る、 という説明が気になった。 日本の宴会でも踊ることがあるが、 それは少数の人が踊って他の人はそれを見るだけ、 あるいは手拍子で加わるだけである。 それに対し、フランスでは参加者みんなで踊るのであろう。 聴いてる人、わかったかな。
それと、も一つ。 最後のミカエルさんのあいさつのあとに笑い声がはいっているような。
2005-03-21 (1) 21:12:03 +0900
冒頭のあいさつは昨日分と同じだったので書き取りは省略。
練習3はきょうのポイントで出てきた関係代名詞 où で二つの文章をつなぐものだったが、すべて場所に関連するもので、 時間に関連するものはなかった。
最後は「それではきょうはこのへんで。またあした」。 月曜日と比べると「それ」が最初についている。
エンディングは 50 秒ちょっと。かなり長かった。
2004-09-20 (1) 23:51:33 +0900
頂点のうち一つを除いたものの上にコマを置く。 許される操作は空いている頂点に隣(=辺でつながっている)のコマを移すことのみ。 これでコマたちの上に実現できる置換を決定せよ。
普通の十五パズルについて最近考えていた方法によれば、
2004-09-20 (1) 22:55:22 +0900
つまり、この放送局からの放送はの意味だと思うやつ。
2004-09-20 (1) 22:35:48 +0900
マルコ 14,36 など。
2004-09-20 (1) 22:05:21 +0900