すのものの「いろいろ」(その189)

シスの復讐>冒頭の空中戦で、オビ=ワンはアナキンに何度「No」と言う?

たまにはと、日本語吹き替えで DVD を見ていて気がついた。

クローン兵の乗っている機の一つが敵機に後ろにつかれ、 アナキンが助けに行こうとしてオビ=ワンに止められるところ。 英語(原語)ではアナキン機内が映っているところで無線機からのような音質で オビ=ワンの声が「No」と聞こえ、その直後にオビ=ワン機内に画面が切り換わって、 こんどは直接聞こえているような音質で「No」と聞こえる。 私はここを、オビ=ワンが一回だけ言った「No」を、 アナキン機内からと、オビ=ワン機内からと、別々にとらえたものだと思っていた。 (そうだとすると、 オビ=ワンが発言した時刻のほうがアナキンの聞いた時刻より前のはずだから、 映画の中で時間が少し戻ったことになる。 でも、これは演出上そうしたのだと理解していた。)

この二度の「No」が、 日本語吹き替えでは「だめだ」「よせ」と、 別々のことを言ったようになっている。

DVD の英語字幕で No が一つしか出ないことから、 一度だと思い込まされていた可能性もあるな。 (英語字幕は自明な語は省略されていることがある。)

2009-02-28 (6) 22:48:22 +0900

あそこでオビ=ワンが「No, no」と言ったのではセリフに重みがないような気がする。 一度の「No」できっぱりとアナキンを止めたと思いたい。 (オビ=ワンが No をくり返して言うことがないわけではない。 そのあとの R4 との会話の中など。)

2009-03-06 (5) 23:33:16 +0900

ジェダイ聖堂でオビ=ワンが security recordings をみていう 「It can't be.」は確かに二度だが、 そのとき、この字幕はいったん消えることで二度いったことを示しているようだ。

2010-02-02 (2) 00:06:37 +0900

II で、ジオノーシスの砂漠に落下したパドメが、 救助にきたクローン兵に声をかけられ、 no と二度答えるが、字幕は途中で消えない。 だから、字幕が消えなかったからといって、 一度しか言わなかった、とは推論できない。

2010-02-11 (4) 00:20:30 +0900

シスの復讐>オビ=ワンとアナキンは対ドゥークー戦で力を合わせている?

冒頭の議長救出作戦の中、ライトセーバー戦が始まって少したち、 議長がアップになる直前のところ。 ドゥークーが高くかかげた剣を、 オビ=ワンとアナキンは二人とも剣をあげて受け止めている。 そうではなく、一人が剣を受け止め、 もう一人がドゥークーに斬りかかればよいと思うのだが。

2009-02-28 (6) 22:42:41 +0900

シスの復讐>フォースで足場を落とす際ドゥークーは剣を左手に持っていた?

足場というか、上の階の床板。 あれを倒れているオビ=ワンの上にフォースで落とす際、ドゥークーは右手を使うが、 ライトセーバーは持っていない。 左手に持ち替えていたのだろうか? 左手は映っていない。 その次に、 アナキンに下の階に蹴り落されるときには右手にライトセーバーを持っている。

すばやい持ち替えだ。

付) ドゥークーは左手でもフォースを使うことが可能である。 オビ=ワンの首をフォースでつかんだのは左手だった。

2009-02-28 (6) 22:37:22 +0900

II の終盤のライトセーバー戦で、 アナキンをフォースで吹き飛ばす際には、 剣を左手に持ち替え、右手でフォースを使っている。

2010-05-22 (6) 20:49:01 +0900

「を」だけでなく、他の助詞も専用のカナを用意すれば“わかちがき効果”が

現代かなづかいでは「を」の文字は助詞の「を」にしか使わない。 そのため、この文字と前後の文字との間は、必ず別の単語との境目になる。 (「をば」などを連語として扱う場合や、「てにをは」のような語を除く。)

私は、 漢字制限をして『「把握」の「把」はカナで書く』と決めたら、 それでいいと思うのだが、 「よく把握していない」を「よくは握していない」と書くと 「よくは」と「握していない」で切れて見えてしまうので読みづらい、 という批判がある。 漢字語の一部をカナで書く場合はカタカナで書くことにし、 「ハ握」とすれば「よくハ握していない」になるが、 このやり方はあまり普及していない。 (私自身は岩波の「科学の事典」で「メイ王星」のような表記を見慣れて育ったので、 あまり変だと思わないのだが。)

では、助詞の「は」専用のカナをつくったらどうか。 ひらがなが現代のように一音一文字に決まる前に使われていた、 変体仮名を借りてくることも考えられる。

付)歴史的かなづかいの時代に、 「を」を取り違えておかしな読み方になった例って、あるんだろうな。 作れそうだが、きょうはパス。

2009-02-28 (6) 20:21:02 +0900

「いとをかし」を「糸を貸し」と誤解する、ってのを思いついたが、 「糸を貸し」なら漢字で書くのが普通だから、よい例ではない。 それに、古文だし。

2010-05-16 (0) 00:38:12 +0900

「つむぐ」と「つぐむ」のような、アナグラムになっている動詞の組は?

あったら何がおもしろいのかは、よく考えていない。 言い間違いや聞き間違いをしやすいかもしれないな。

2009-02-28 (6) 20:07:57 +0900

英単語 sailor の女性形は?

sailor は「水夫」を意味するから男性だけを指すような気がするが、 辞書をひくと、sail する人ということから、航海者の意味になるのか。 ということは、女性も sailor でいいのだろうか?

actor の女性形が actress, conductor の女性形が conductress というところから考えると sailress とかになるような気もするが、 この語は Google で 5 件のみ。

2009-02-28 (6) 20:04:55 +0900

30日に亡くなった人の二月の月命日はどうする?

本文ナシ

2009-02-27 (5) 23:44:06 +0900

きょうの補筆箇所

2009-02-27 (5) 23:41:38 +0900

日本語の単語で、日本語の音名(ハニホヘトイロ)だけからなるもの

「都井(トイ)」、「鳩井(ハトイ)」、 「糸井(イトイ)」、「二瓶(ニヘイ)」、「仁井(ニイ)」は姓。 「トロイ」は外国の地名。「ロト」は人名。

「埴(ハニ)」、「鳩(ハト)」、「灰(ハイ)」、「二兎(ニト)」、 「補遺(ホイ)」、「幌(ホロ)」、「塀(ヘイ)」、「徒歩(トホ)」、 「問い(トイ)」、「瀞(トロ)」、「糸(イト)」、「色(イロ)」、 「ロハ」、「歩兵(ホヘイ)」。

2009-02-27 (5) 23:30:45 +0900

回文>「板瀬ら張らせたい」(いたせらはらせたい)

「板瀬」は姓のつもり。

2009-02-27 (5) 23:29:34 +0900

「主調低音」とは何か? 音楽用語なのか?

1月27日づけ朝日新聞大阪本社版芸能面「記者風伝」第3部、 吉野正弘その一。 最後の段落に 《「タブーへの挑戦」は吉野の主調低音であったと思われる》 とある。 「主調低音」とは初めて見る語だ。 Google で 616 件。初めの数十件について、 Google の検索結果画面にある引用部分を見てみたが、 音楽用語として使っていると思われるのは二三件。 それも、定義が載っているわけではない。

2009-02-27 (5) 23:19:57 +0900

朝青龍のガッツポーズが問題になったようだが、観客の態度は問題ないのか?

1月27日づけ朝日新聞スポーツ面記事によると、 初場所で優勝した朝青龍の、勝った瞬間のガッツポーズが問題になったようだ。 相撲は神事であるから単なるスポーツとは異なる、 そういうポーズはとるべきでない、というのであろう。

では、観客の態度はどうであろうか。 1月25日づけ朝日新聞社会面では、 まとまった十数人が「朝青龍」と書かれた紙を持って応援している写真を見た。 これは新しい傾向のように思うが、従来でも、 身を乗り出して対戦を見ようとしたり、 勝負が決まると激しく拍手したりする人はいた。 それは相撲が神事であることに反しないのだろうか。 神事であれば、観客にもそれなりのマナーが要求されると思う。 観客のマナーが普通のスポーツ並みになれば、 力士が普通のスポーツ選手のような態度をとるようになっても不思議はない。 観客のマナーについては、何か言っている人はいないのだろうか。

私は相撲についても神事についてもくわしくないので、 いまの観客のマナーが神事らしくない、と言うだけの知識を持たない。 神事らしくないと言われないのだろうか、と問いを発しているのみである。

付) 別の分野の例だが、 ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」は大きく分類すればオペラだが、 作曲者の意向により、第一幕の終わりでは拍手をしない習慣があった。

2009-02-27 (5) 21:23:41 +0900

2月15日(日曜日)づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「耕論」は、 『「品格」ってなに?』。 そこで、桜井よしこ氏が 《大相撲初場所で朝青龍関が優勝しましたね。 絶対に負けないという気持ちは素晴らしい。 でも、本来の日本の文化の中心には自分の感情を律するということがあります。 感情を爆発させてのガッツポーズは似合いません》 と語っているのを読んだのが頭にあって、本項を書いたような気がする。

この「自分の感情を律する」ということばを借りるなら、 観客も自分の感情を律するべきではなかろうか、 ということになろう。

2009-03-22 (0) 01:41:13 +0900

歩行者は交差点を渡らなければ赤信号でも右折・左折できるのか?

歩道のついた広い道が東西に走り、それと南北方向の細い道とが交わっているとする。 南北の細い道には歩道がない。

     | |
-----+ +-----
-----   -----
   #
   #
-----   -----
-----+ +-----
     | |
そして、その交差点のすぐ近くに、広い道を渡る横断歩道 (図では「#」で示した)がついているとする。 この横断歩道は歩行者用信号機つきで、 それと対になる信号機が、東西方向の広い道についている。 その東西方向の信号機は“自動車専用”と思われていることもあるが、 歩行者もそれに支配される。つまり、それが赤だったら、 この交差点を東西方向に通過してはいけないのである。 これは、前に自動車を運転する知人から聞いて知っていた。

さて、新たに気になったのは、 この道の南側の歩道を西から歩いてきた歩行者がこの交差点を右に、 すなわち南に曲がろうとするとき、 東西方向の信号機が赤だったら進んでよいか、という問題である。 信号機は、一般に、交差点への進入の可・不可を示している。 この歩行者が南に曲がる場合、南北の道には歩道がないので、 右の端、すなわち西側の端を歩くことになる。 それだと交差点にはいらずにこの交差点を通過できる、 と解釈できるような気もするし、 それでも交差点を通過することには変わりがないから信号機が赤の時は通過できない、 という考え方もあるように思うのだ。

付) 南北の道にも歩道がついていて、東西の道の歩道とつながっている場合には、 信号機が赤であっても、歩行者は歩道の上だけを歩いている限り、 止まる必要はないと思う。 これも思うだけであって、あまり自信はない。 曲がる際には交差点を通過するから、やっぱり止まるのかも、とも思うのだ。

2009-02-27 (5) 21:05:52 +0900

「口」の字の書き順が、非漢字圏のクイズ番組の問題に出たりしていないかな

文字の総数が数十程度の文字体系を使って言語を表記している場合、 字形をそれほど気にする必要はない。 それぞれの文字が、 ほかの文字と区別できるように書けていれば、 どんな風に書こうが、勝手なようである。 そして、いわゆる筆順も、人によってまちまちである。 (これは、欧米人が板書しながら講演するのを見ての感想である。)

漢字を使っている国では、字の数が非常に多いので、 微妙に形が違うだけで別の文字になってしまうことがある。 書き順がうるさく指導されるのは、 正しい形の文字を書くためでもある、と私は理解している。

そこで、非漢字圏の人が、 「四角形『□』とそっくりな文字『口』が漢字にはある。 この字を書くときのペンの運び方は、規則で決められている」 と聞いたら、驚くのではあるまいか。 そして、「さて、それは次のどれでしょう?」とクイズにしたら、 どのくらいの人があの書き順を当てることができるだろう?

付) 四角で囲んだ二ケタの数をたくさん書く機会があった。 この場合の四角は漢字ではないので、私は一筆で、 左上から始めて反時計回りに書くようだ。 そんなところから思いついた。

2009-02-27 (5) 20:18:05 +0900

上の「付」に書いたことをきょうもう一度確かめてみたところ、 「左下から始めて」の間違いと判明しました。

2009-02-28 (6) 20:17:54 +0900

サイゼリヤ>テーブル番号の表示を消すのが店員のワイヤレス端末でできたら

サイゼリヤは、客がテーブルでボタンを押すとその番号が表示され、 ウェイター・ウェイトレスがそれを見て注文をとりにくるのだが、 その番号を消すためのボタンは、厨房の入り口についている。 オーダーをとるとき使うのはワイヤレスの端末なので、 厨房まで戻らなくても、その場でオーダーが厨房に伝わる。 あの端末に、番号を消す機能もついていれば楽な気がしたのだが。

2009-02-26 (4) 20:58:45 +0900

お酒を飲んだ人には駐車券はお渡ししません、という張り紙

駐車券とは、駐車料金が無料になる券のことで、 決まった額以上の買い物・飲食などをすると、 レシートを見せることでもらえるらしい。 先日、ある所で “お酒を飲んだ人には駐車券はお渡ししません”という張り紙を見て、 そのときは「なるほど」と納得したのだが、 運転手付きの自動車に乗ってきて、 運転手を駐車場で待たせている人の場合はどうするのだろう?  そのときは運転手を呼んで、運転手にレシートを提示させればいい?

2009-02-26 (4) 20:40:22 +0900

「破格」というのは普通よりずっと安い価格のことを言うのだと思っていた

そうではなく、標準から大きくはずれている、ということだった。 金額に限らない。

2009-02-25 (3) 21:50:45 +0900

ティーバッグに「100℃」と絵文字風に書いてあったがお湯は 100℃で沸騰?

小学校で習ってそう覚えているが、 気圧とか、水道水に含まれている成分とかの影響で、 違う温度で沸騰していることはないのだろうか?

2009-02-25 (3) 21:47:04 +0900

ティーバッグに「100℃」と絵文字風に書いてあったがこれがカ氏だったら

100 * 9 / 5 + 32 = 212 度となり、半端な数値となる。 お湯の沸騰する温度だということが、普通の人にわかるだろうか。

2009-02-25 (3) 21:45:17 +0900

昔は漢字で書かれた駅名を口で言って切符を買ったんだよな……。

運賃表にはふりがなは振ってなかったと思う。

2009-02-25 (3) 20:52:15 +0900

「佐藤栄作」の「藤」は当用漢字外なのでカタカナになる、という話

当用漢字について、誰かが佐藤栄作氏に 「あなたの姓の『藤』という漢字は当用漢字にはいっていないので 漢字では書けなくなる。植物名は原則としてカタカナがきにする」 と告げたという話がある。 それが元で当用漢字担当の役人が別の部署に回されたとか、 人名用漢字には入れたとか、いろいろな説があるようだ。 都市伝説の一種かも知れない。 「佐藤栄作 当用漢字 藤」などで検索してみられたい。

実際には、当用漢字の時代においても、 すでにある固有名詞に使われている漢字には一切の制限がなかったので、 佐藤栄作氏の名前は「佐藤栄作」と書かれるはずだった。 それを「あなたの姓の『藤』という漢字は」と説明することで、 あたかも「佐藤」が「佐トウ」に変えられるようなカン違いをひきおこさせた、 というところが面白い作り話である可能性も。

2009-02-25 (3) 20:43:31 +0900

「藤衣」のふりがなは普通ひらがなだが、「藤」は現代ではフジと書く

別に「藤衣」でなくてもよいのだが、 現代では植物名だから「フジ」とカタカナで書くのが原則の「藤」も、 古典に出てくるときは漢字で書きたいだろう。 そして、ふりがなはひらがなで振られるのが普通だ。 現代語ではカタカナだからカタカナで振るべきだ、という考えはないのだろうか。

2009-02-25 (3) 20:24:27 +0900

NHKラジオ「実践ビジネス英語」に exponetial rate なる語が出てきた

前項で書いた、八月の再放送分で気がついた。元は五月放送分。

「at an exponential rate」という言い方で、「幾何級数的に」と訳されている。 exponential rate の数学上の厳密な定義を知らない人も使う言い方だ、 というような説明がなされていた。 直訳すれば「指数の比率で」「指数関数的に」だろう。 「幾何級数的」は数学的には全く同じ概念で --- ただし、定義域が離散的な感じがする ---、 同じく日本語で、厳密な意味を知らずに使っている人がいる、 という点まで共通している。

なぜ幾何級数というのか、と聞かれると数学教師の私も知らないのだが。

大修館の「ジーニアス英和辞典」は exponential の訳語に 「幾何級数的な」をもあげている。

2009-02-25 (3) 20:07:51 +0900

昨年の八月13−15日のNHK「実践ビジネス英語」は五月の再放送だった

NHKラジオ「実践ビジネス英語」 はカセットテープに録音して半年以上遅れて聞いているが、 いまちょうど昨年の八月13日(水曜日)から15日(金曜日)の週。 この週は、五月の最終週に放送された、 三日間だけで完結する短いレッスンが再放送された。 いわゆる“お盆”にあたる時期なので、 里帰りなどで聞けない聴取者のことを意識したものか。 (先生がたのお休みではあるまい。録音は何カ月か前にするはずだから。)

付)この番組の放送は週に水曜日、木曜日、金曜日の三日間で、 普通は二週間、六回で一つのレッスンをなしている。

2009-02-25 (3) 20:01:05 +0900

同じ数が書かれたものの数を数える際に発生しそうなエラー、「時そば効果」

同じ整数の書かれた紙が何枚もとじられていて、その枚数を数える機会があった。 その際、その整数が仮に「11」だったとすると、 11枚目あたりで、何だか一枚まちがえそうな不安にかられた。 これは絶対に落語「時そば」の影響だ。

2009-02-25 (3) 19:48:35 +0900

きょうの補筆箇所

2009-02-24 (2) 21:43:34 +0900

ふだん必ず持っているもので「先端の細いもの」といったら?

電波時計はたいてい、電池を入れたあとリセットボタンを押せ、となっている。 先日買ったセイコーの SQ675W は、 取扱い説明書によると「先端の細いもの」で押せとある。 つまようじの先などが使えるが、 ふだん必ず持っているもので先の細いものといったら、何があるだろう?

0.5mm 芯のシャープペンシルで、 軸の端から、芯をちょうど包む太さの金属のパイプが出ているものがあるが、 あのパイプは力がかかることを想定せずに作られているだろう。 このリセットボタンは結構強く押さねばならないので、 シャープペンシルを壊しそうだ。

気がついたのは、いまダイバーズウォッチにつけているベルトの、 ベルトの穴にさす金属の棒である。 これがたまたま細いので、これで押すことができる。 (もう一つのスポーツ用ウォッチのベルトのほうはほんの少しだけ太いのでだめ。)

付)この棒の名前は、「腕時計 ベルト 名称」で検索したところ、 「つく棒」「ツク棒」としてあるサイトが見つかった。

付) 手元の SQ648S, SQ640S, SQ679P(いずれもセイコー) のリセットボタンは電池ぶたを開けた中にあり、 電池ぶたの角(かど)が、それを押すのに使える。 電池ぶたは、たいてい、 表面下部のまん中あたりを押し込みながら上にずらし上げるようにしてあけるようにできている。 そのため、形状も基本は同じである。平らで、上の端は奥に向かって曲がっている。 SQ648S, SQ640S は下の端の隅で押せることが見ただけで明らかで、 実際にも押せる。 ところが、SQ679P は下の端の隅では押せない。 でも、上の端の隅が、押せないように見えて、 これでリセットボタンを押すことができる。 ただし、押すときに、ふたを本体にあてがう角度によって成功したり失敗したりする。 SQ675W は、ふたではリセットできないようである。 また、この機種だけはボタン式電池で、 ふたをしないで逆さにすると電池が落ちてしまう。

……なーんて実験しているうちに、全部リセットしてしまった……。

付)私は仕事柄、筆箱かペンケースを持って出かけることが多い。 そこにつまようじを一本入れておくと、何かと便利だということだろう。

2009-02-24 (2) 20:20:36 +0900

きょうの補筆箇所

2009-02-24 (2) 02:07:16 +0900

バス案内係は「武蔵」じゃなくて正式名称の「武蔵ヶ辻」と言うべきだと思う

先日のこと。 金沢駅前で、おそらく近江町市場へ行こうとしている女性たちが、 北鉄バスの案内の人に乗るべきバスを尋ねていた。 「近江町市場? このバスに乗って、『武蔵』で降りて」 と説明していた。 しかし、「武蔵」というバス停は存在しない。「武蔵ヶ辻」なのである。 土地の人は略して「武蔵」と呼ぶが、バスの案内はそれではいけないと思う。

似た例として、 「金沢駅」「金沢大学」バス停は車内の料金表では「金沢駅前」「金沢大学前」 と表示される。 「兼六園下」は、英語のアナウンスでは Kenrokuen である。 これで気持ち悪くないのかな、と思ってしまう。

2009-02-24 (2) 02:00:40 +0900

昔は東京の郵便ポストの差し出し口は「都区内」「地方」だったっけ

22日づけ大阪本社版文化面の、「記者風伝」第3部、「松本得三 その三」。 《編集委員・河谷史夫》と署名あり。

大阪本社編集局次長から論説委員。 定年を前に社を去るが、69年6月、 東京の郵便ポストの差し出し口が 「都区内」「地方」となっているのはどういうことかと、 東京の中央意識を批判する記事を書いた。 「地方」は「他府県」に改められる。 「反中央集権主義者」の面目躍如と言うべきである。

「地方」と書かれていたのは、かろうじて覚えているような気がする。 ただ、ここで問題なのは「地方」の意味を誤解していることだ。 地方は local の意味だから、 都区内のポストにおいては都区内あてこそが「地方」である。 それと、「他府県」としたら北海道がはいらないように思うのだが。 「道府県」とすればよかったものを。

2009-02-24 (2) 01:45:52 +0900

朝日新聞>「新常用漢字表をよむ」の「中」

22日づけ大阪本社版文化面。《編集委員・白石明彦》と署名あり。 《「鷹」の復活 市長が陳情》と見出しにあるのは、 三鷹市のことである。 こうやって、自分のところの関連する漢字をどんどん入れていこうとしたら、 何も制限しないのと同じことになるのではあるまいか。

2009-02-24 (2) 01:45:52 +0900

最後の段落にはこうある。

試案では「鶴」と「亀」も常用漢字になる。 山形県鶴岡市や京都府亀岡市は運がいい。 そして「鷹」はよみがえるだろうか。

固有名詞は、漢字で書くと公に決まれば、 そこに用いられる漢字が常用漢字にはいるかはいらないかに関係なく漢字で書かれるので、 「鶴」と「亀」が常用漢字にはいろうがはいるまいが、 鶴岡市は「鶴岡市」、亀岡市は「亀岡市」と書かれることに違いはない。 三鷹市も同様である。

「運がいい」と書くよりも、 このあたりの誤解を招かないような工夫をすべきなのではあるまいか。

2009-02-24 (2) 21:14:44 +0900

朝日新聞>麻生首相は伊勢神宮正月参拝でどの神に祈ったのか?

1月22日づけ大阪本社版第2面「ニュースがわからん!」 は「首相、なぜ伊勢神宮に正月参拝?」。 《麻生首相も参拝後、「国民の安寧」「国家の繁栄」を祈ったと言っていたね》 とあるが、どの神に祈ったのかは、誰もたずねなかったのだろうか。 《山崎崇》と署名あり。

付)Wikipedia によると麻生首相は《クリスチャン(カトリック)》 だそうだ。

2009-02-24 (2) 01:34:59 +0900

朝日新聞>「全国体力調査 中2女子の3割 運動週60分未満」のどこが問題?

1月22日づけ大阪本社版第一面 「全国体力調査 中2女子の3割 運動週60分未満」。 それがそんなに問題なら、体育の授業を週に1時間増やせばいいのでは、 と思ったが、体育の授業以外に運動をしないことが問題のようだ。

2009-02-24 (2) 01:31:16 +0900

定額給付金に反対の人は実施されても給付を辞退すべきなのか?

1月21日づけ朝日新聞「声」に載った、 小西昌弘さんの「定額給付金は本音で議論を」。 その後半を引用する。

その給付金に、本紙の世論調査では6割余りが反対し、 賛成は3割にも満たないようです。 私は、反対の方は当然受け取らないものと思っていたら、 大半が受け取るというアンケート結果もあるそうです。 反対であってもお金はもらう人が多いということです。

これは一体どうしたことでしょうか。 反対論が現実無視とは言いませんが、 私は腑に落ちません。 建前だけでなく、本音を踏まえたうえで、 どうあるべきかを議論すべきだと思います。

定額給付金という政策に反対することと、 もし給付金が実施された場合に受け取ることとは、 全く矛盾しないと思うので、この投書者がなぜ「腑に落ちない」のかわからない。

うまい説明のしかたはないだろうか。 本来、投書者のほうに「当然」であることを示す義務があるのだが。

2009-02-24 (2) 01:16:52 +0900

ある問題について、住民投票を行なうかどうかが議論になったとする。 その場合、住民投票に反対だった人も、 住民投票が行なわれると決まれば投票に行くであろう。 この例でどうかな?

2010-05-16 (0) 00:40:55 +0900

朝日新聞>「新常用漢字表をよむ」の「上」

1月21日づけ文化面。《編集委員・白石明彦》と署名がある。

「……目があつても瞳なく、 瞼(まぶた)もなければ眉もない。 鼻があつても頬(ほお)がない。 舌があつても唇がなく、額があつても顎(あご)がない……」

漢字制限に反対した洋画家の林武が、 「当用漢字ないないづくし」という歌(竹内輝芳作)を著書(71年) で紹介している。 当用漢字表で日常的な漢字がもれているのを、痛烈に皮肉ったものだ。

林が試案を見たら、ほんの少し首肯するかもしれない。 「瞳」や「頬」「顎」が入り、岡山の「岡」さえなくて 「これで果(はた)して教育できるのか」と憤った都道府県名も、 すべて常用漢字で書けるから。

ここでは、 当用漢字が発表されたとき、 これらの漢字がないことにどのように対応するつもりだったかを説明する必要があると思うが、 それがない。 「ひとみ」「まぶた」「まゆ」「ほお」「くちびる」「あご」 はかなで書かせるつもりだったはずである。 また、固有名詞に使われる漢字はすべて対象外、という方針をとったはずだ。

その後、「漢字使用の目安」とされた常用漢字表(81年)を経て、 10年秋に内閣告示をめざす新常用漢字表へと、漢字制限を緩和する流れは強まっている。 今回、「怪しい」と「妖(あや)しい」、 「恐れる」と「畏(おそ)れる」、「作る」「造る」と「創(つく)る」 といった使い分けができるようになるのも、その表れだろう。

「使い分けができるようになる」のは両方を知っている人のことであって、 そうでない人は新たに使い分けを覚えなければならない。 また、これらの書き分けは、オトによるコミュニケーションを豊かにはしない。 「この「あやしい」は「妖艶」の「妖しい」ではなく「怪物」の「怪しい」です」 のようにいうなら別だが。

小委員会では、新漢字表の基本的な性格を表現するのに 「広場の言葉」がよく使われている。 みんながわかる漢字の集合。共通して使える漢字の土俵。 そんなニュアンスが伝わる名称を期待したい。

「広場の言葉」なら話し言葉であって、漢字の問題ではないではないか、 という気がするが、それはさておき、 「みんながわかる漢字の集合。共通して使える漢字の土俵」 という言い方で漢字数を増やすことからは、 すでに現在の常用漢字の範囲を越えて漢字が使われ、理解されている、 という了解があるように思われるが、どうなのであろうか。

2009-02-24 (2) 00:49:55 +0900

朝日新聞>天気予報が推奨の服装を言うことと、**指数を言うことと

1月21日づけ大阪本社版「天声人語」。 《だが最近の天気予報は至れり尽くせりだ。 朝、外気を体感しなくても、テレビの女性が代わりに寒さに震えてくれる。 「厚めのコートを」「マフラーも」。 忠告通りの身支度で家を出れば間違いはない ▼インターネットの予報はさらに多彩だ。 洗濯指数に星空指数、紫外線指数。 冬季限定で風邪引き指数、肌荒れ指数。 鍋物指数なるものもある。ありがたいが、 頼りすぎて人間の「お天気感覚」が退化しないかと心配になる》。

「▼」は段落の切れ目だが、その前で言っていることは、 天気予報が、天気、気温、湿度、風向・風速などのデータだけでなく、 何を着ろと推奨することである。 私は、 それらのデータだけからその日の自分にふさわしい服装を選べるようになることは、 義務教育の間に習うべきことだと思っている。 それに対し、 「▼」のあとは、諸データから計算される、 それぞれの数値であろう。 それも一種の数値データである。 鍋物指数が高いからといって「夕食はなべを」などと言われるわけではない。 逆の話だと思うのだが。

方向性は逆だが、データ過多という点では共通する、ということか。

2009-02-24 (2) 00:36:45 +0900

少子化だからといって、いまに電車がガラガラになるとは思えない

1月24日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b3 面、 「丹羽宇一郎の負けてたまるか!」は 「大学生き残り 本丸の教育で勝負せよ」。 最後のほうに 《73年に209万人生まれた子どもが今は約110万人。 いずれ電車も映画館もガラガラになり、必ず座れるようになるだろう》 とある。 「209万人生まれた子どもが今は約110万人」 というのは、209万人生まれて、 36歳の現在までに約99万人が死亡して「今は約110万人」 とも読めるが、そうではなく、「今は一年間に約110万人しか生まれない」、 と読むのだろう。 それはさておき、電車がガラガラになるとは思えない。 客が減れば、鉄道会社は列車の本数を減らす、 一列車あたりの車両数を減らす、などの策をとり、 結局はいまと同じ程度の混雑が続くと私は思う。 東京の下りの私鉄に23時台に乗ってみると、それがよくわかる。 単位時間あたりの電車の本数が少ないので、 ラッシュ時なみの混雑度になっている。

2009-02-24 (2) 00:19:28 +0900

きょうの補筆箇所

2009-02-22 (0) 23:44:28 +0900

田浦有夏は実在するファッションモデルなのか?

どこで最初に見たのか忘れてしまったが、 「田浦有夏」というファッションモデルも使っているという痩身法の広告を見た。 この名前を Google で検索してみると全部で 111 件。 ほとんどすべて、痩身法に関するページである。 (残りは“そんなファッションモデルはいないぜ”などと書いているページ。)

実在して実際にファッションモデルとしての活動もしているなら、 別名でしているとしか考えられないだろう。 もしそうなら、この名前を広告に使う意味がなくなるが。

2009-02-22 (0) 23:37:29 +0900

新たなる希望>なぜベイダーは自分がオビ=ワンより強いと確信している?

ベイダーは、いまでは自分のほうがオビ=ワンよりも強いと信じているようだが、 III のアナキンと IV のベイダーを比べたら、 III のアナキンのほうが格段に強いと思う。 だから、ベイダーはオビ=ワンが III のときより格段に弱くなっていると見抜いていたことになるが、そうかな?

2009-02-22 (0) 22:00:48 +0900

シスの復讐>なぜ消防船はいきなり敵の戦艦に対し消火活動を始めたのか?

コルサントへの不時着の最中、 fire ship(s) が水をかけ始めるが、 議長とジェダイたちが乗っていると知っていたのだろうか?  のんびりしたテレビ作品などだと、 救出直後、成功を共和国軍に知らせるシーンがはいるのだろうが、 ここでは省略、ということか。

2009-02-22 (0) 21:36:03 +0900

シスの復讐>グリーバスはなぜジェダイにあんな簡単な手錠を使った?

II で、オビ=ワンがジオノーシスでつかまり、 宙に浮かされたまま、ドゥークーと会話するシーンがあった。 あれだと、さすがのオビ=ワンも何もできない。 ドゥークーは、なぜ、グリーバスにあの装置を用意しておかせなかったのか。

2009-02-22 (0) 21:32:34 +0900

シスの復讐>オビ=ワンたちは議長を救出後どうやって脱出する計画だった?

一人乗りのジェダイ・ファイター二機で侵入したわけだから、 仮に無事救出できたとしても議長を載せるスペースがない。 戦艦ごと乗っ取るつもりだったのだろうか。

2009-02-22 (0) 21:30:48 +0900

シスの復讐>ドゥークーはオビ=ワン、アナキン二人の剣を同時に受け止める

議長救出作戦の中で。 アナキンとオビ=ワンでドゥークーをはさみうちにしようとし、 オビ=ワンがフォースで首をつかまれるシーン。 ドゥークーはオビ=ワンの剣を自分の剣で受け止めるが、 カメラが切り換わると、同時にアナキンの剣も受け止めていたことがわかる。

2009-02-22 (0) 21:19:06 +0900

シスの復讐>冒頭、敵戦艦内で、アナキン機は自動的にコクピットが閉まる

敵艦にアナキン機とオビ=ワン機だけが侵入し、 オビ=ワンは機が停止する前に飛び出して攻撃に移るが、 アナキンは落ち着いて出てくる。 二人とも、コクピットは開けたまま雑魚ドロイドとの戦闘にはいるが、 見ていると、アナキン機だけは、自動的にコクピットが閉まる。 そのとき R2-D2 は機を離れているので、彼が閉めているのではない。 そののちの強そうなドロイド二体と R2-D2 が戦うシーンでも、 オビ=ワン機のコクピットは開いたままだ。 バズ・ドロイドにやられたため、自動で閉じる機能が失われた、 と考えればよいのだろう。

2009-02-22 (0) 21:10:58 +0900

西暦と明治以降の元号との換算にはゾロ目の数が現われる

25 だけはゾロ目でないが、5×5 が 25 なので、 ゾロ目と関連づけて覚えやすい。

2009-02-22 (0) 21:02:09 +0900

朝日新聞>創刊 130 年で、創刊号の複製が折り込みではいってきた

「朝日新聞」という題名からして右から左への横書きである。 その下には、同じく右から左へ 「明治十二年一月二十五日 土曜日 第一号」 (「号」は実際には「號」)とある。 本当にこの日は土曜日だったんだろうかと、考えてみた。 コンピュータの前に座れば自作のカレンダープログラムですぐに曜日はわかるが、 夕食後、食卓で見たので 「28 年ごとにカレンダーは元に戻る」という規則を元に計算した。 現在から先の数十年分なら、携帯電話にカレンダーがはいっているので、 それを見るつもりである。 この年は 1879 年で、それに 28 を足していって 1907 年、1935 年、1963 年、1991 年、2019 年。 2019 年のカレンダーを見ると、1月25日は金曜日だ。おかしい。

……と少し考えてしまったが、「1900 年が平年だった」ことを忘れていた。 だから一日ずれるんだ。 一日ずれることはわかっても、どっちへずれるかはややむずかしい。 1900 年2月29日がなかった分だけ、 カレンダーの日付を現在のほうへ引き寄せると考えれば、 曜日はあとへずれて、土曜日となり、合っている。

三段組の、下段まん中よりちょっとあとに、 《兵庫縣下武庫郡灘今津村の千足利右衛門氏は此度支那人より六百トン積の汽船を……》 とある。「支那」は現代では差別的であるとして使わない表現だが、 「原文の歴史的なんとか性をなんとかし云々」というような断り書きはない。 フォントが現代とは違い、また写真複写のせいか文字がつぶれて読みにくいので、 細かく読む人はいないと考えたのだろうか。

Google で「千足利右衛門」を検索すると 6 件。 そのうちの一件はこの創刊号の引用だった。 読み方は、ふりがながつぶれていて見にくいが、「ちあしりゑもん」のようだ。 武庫郡は「むここほり」、灘今津村は「なだいまつむら」か。

2009-02-22 (0) 20:13:28 +0900

下段右から2行目に《芝居で面白ひ評判記が》とある。 「面白ひ」は歴史的かなづかいではない。

2009-02-24 (2) 00:15:57 +0900

きょうの補筆箇所

2009-02-21 (6) 03:19:52 +0900

セイコー電波時計 SQ675W を買った

今月初めの東京出張の際に、新宿西口のヨドバシカメラで買った。

リセットすると、JPW(日本・九州局)または JPE(日本・福島局) のどちらかを受信し始める。 どちらになるかの規則は、まだわからない。

いままでに買ったセイコーの電波時計と比べると、 操作時にほとんど確認音を出さない。受信完了音も出さない。

基本的性能は、セイコーの SQ648S と似ている。 日本の東西両局、米国、ドイツ、イギリスの電波を受信でき、 曜日表示が英独仏伊西から選べるなど。 どちらも、 受信マークは、縦長の「▲」と、その右上の、同心円の四分の一の扇形である。 ただし、SQ648S は「▲」と扇形が共に点滅し、 扇形の大きさは電波の強さを表すのに対し、 SQ675W では扇形部分のみが広がっては消え、広がっては消える。 そして、扇形の大きさは、 電波を正しく受信しているときはパルスの長さに関係しているようだ。 秒の末尾が 9 のときには扇が小さいので。 パソコンのそばなどの、ノイズを拾いやすいところでは、 毎秒、扇が最大まで広がる。 これを見て受信できていると思ってはいけないようだ。 一方、電波がこないときは扇形は全く現われない。 (その場合は JPW あるいは JPE の文字が点滅するので受信しようとしていることはわかる。)

曜日表示では、下の表のように、スペイン語の金曜日 VIEI にもアクセント記号がつくようになった。 また、 《セイコーの電波時計 SQ648S の、曜日表示における「J」の字体の謎》 に書いた 《フランス語の「JEU」とスペイン語の「JUE」とで、J の字体が違っている》 という現象が解決されている。(フランス語のほうに統一された。)
E NDEUFRAITAESP
SUNSONDIMDOMDOM
MONMONLUNLUNLUN
TUEDIEMARMARMAR
WEDMITMERMERMÍE
THUDONJEUGIOJUE
FRIFREVENVENVÍE
SATSAMSAMSABSAB

12時制・24時制の切り換えを行なうボタンが、裏側、外側に、ついている。 いままでのセイコーの電波時計では電池ぶたをはずしたところについており、 12時制・24時制を切り換えると時計の時刻を手作業で合わせ直したとみなされ、 受信完了マークが消えてしまったが、そうでなくなったのは進歩だと言えよう。 また、電池ぶたが頻繁に開け閉めすることでゆるくなるのも避けられる。 なお、このボタンはくぼんだ位置にあるので、 うっかり押されることのないようになっている。 温度表示のセ氏・カ氏の切り換え、日付表示の「月/日」「日/月」の切り換え、 曜日表示の言語の切り換えのボタンもその近くにならんでいる。

表面の「WAVE/SET」と書かれたボタンを短く押すと強制受信が始まる。 長く押すと時刻合わせモードにはいるが、 これは横のスライド式スイッチを SET から LOCK の側に動かしておけば阻止できる。 持ち運ぶときはそうしておくべきだろう。

メインの時刻のほかに、ローカル時刻を表示させることができる。 それは、 表面の DOWN または UP キーを押して都市名を選ぶことで行なう。 これは、上述のスライド式スイッチの位置に関係なく、常にできる。 一度押すと都市名とローカル時刻の点滅が始まり、 それ以降 DOWN または UP を押すと都市名が切り換わってゆく。 ただし、ここで問題がある。 点滅している間に、裏面の DST ボタンを押すと、 夏時間のオン・オフが切り換わってしまう。 ローカル時刻とメイン時刻が同じ都市のそれだとすると、 メイン時刻の夏時間もオン・オフが切り換わってしまうのである。 この時計で、 スライド式スイッチを LOCK にしておいてもメインの時刻が変わってしまう、 唯一のケースだろう。 「メイン表示とローカル表示が同じ都市の場合、 スライド式スイッチを LOCK から SET に変えないと夏時間のオン・オフはできない」 としておいたほうが安全だったのではあるまいか。

アラームは、ローカル時刻の表示部に表示される。

12時制にした場合に表示される AM/PM の文字が、 ローカル時刻の表示部 --- それはアラーム時刻の表示部でもある --- では極めて小さい。高さ 0.7 ミリメートルぐらいではあるまいか。 これでは、困ると思う。 ローカル時刻は、現在いる場所とは違う場所の時刻であることもあるだろう。 常識で午前・午後が判断できる、メイン時刻とは性質が異なるのである。 アラームについても同様で、いまと違う時刻にセットするのだから、 午前・午後がはっきり読めないと困る。 だから、この時計は24時制にして使うほうが安全なようである。 (メインの時刻の表示部の AM/PM の文字の高さでも約 1.0 ミリメートルである。)

24時制にした場合の、「時」の十位の「2」は、横幅が狭い。 《セイコー電波時計 SQ679P を買った》 に書いた SQ679P よりもはっきりと違いがわかる。 まん中の横の画の長さで、3.2mm と 2.8mm ぐらいである。

2009-02-20 (5) 22:53:08 +0900

ローカル時刻一覧表。説明書の表に、時差をつけ加えたもの。 時差は実際にローカル時刻表示にして調べた。 (メインの時刻を UTC で 0 時にして調べれば、計算がいらなくて簡単。)
HNLHonolulu-1000
ANCAnchorage-0900
SFOSan Francisco-0800
DENDenver-0700
CHIChicago-0600
NYCNew York-0500
CCSCaracas-0400
RIORio De Janeiro-0300
FENFernando Noronha-0200
RAIPraia-0100
LONLondon+0000
PARParis+0100
CAICairo+0200
MOWMoscow+0300
THRTehran+0330
AUHAbu Dhabi+0400
KBLKabul+0430
KHIKarachi+0500
DELNew Delhi+0530
DACDhaka+0600
RGNYangon+0630
BKKBangkok+0700
HKGHong Kong+0800
TYOTokyo+0900
ADLAdelaide+0930
SYDSydney+1000
NOUNoumea+1100
WLGWellington+1200
RWKRawaki+1300
ないタイムゾーンもある。 (キリバスの +1400 など。)

自動電波受信をするのは、メインの表示が 2 時、6 時、10 時、14 時、18 時、22 時になったとき、 すなわち、ちょうど 4 時間おきである。 ただし、電波を受信できるはずのないタイムゾーンに合わせているときは受信しない。 夏時間表示になっているときは、 夏時間が上の時刻になったときに受信を始める。

夏時間に自動的に対応するのかどうかは不明である。 いまの私の環境では調べようがないので。 TKO を選び夏時間にし、 その状態で受信させたが、夏時間マークは消えなかった。 現在の福島局・九州局の電波の出し方では、 二つのビットが予備ビットとされており、 それらを夏時間情報として意味を持たせるときはこれこれのようにする、 と決まっている。それなのに夏時間マークが消えなかったということは、 夏時間に自動的には対応しないということか?

2009-02-21 (6) 20:46:14 +0900

受信マークが消える条件は不明である。 似た機種の SQ648S は、午前2時の自動受信に失敗すると消えるが、 そうではないようだ。 SQ640S(《セイコーの電波めざまし時計 SQ640S を買った》参照) のように、決まった時間の間、 まったく自動受信が成功しないと消すのではあるまいか、 というのがいまのところの仮説である。

また、SQ675W は、自動受信をしないように設定すると、 前面の「WAVE/SET」ボタンを押しても受信しない。 この点は SQ648S と同じである。 (SQ640S は受信する。)

2009-03-08 (0) 01:56:53 +0900

上にははっきり書かなかったが、受信成功後、 そのままにしておいたら受信成功マークが消えていた、という現象が起きたのである。

米国が夏時間にはいると聞いたので、 アラスカ、サンフランシスコ、デンバー、シカゴ、ニューヨークを夏時間にした。 ローカルタイムをそれらの都市に合わせ、裏の DST ボタンを押すのである。 リセットすると、これらの情報もクリアされてしまうので、 やり直しとなる。 また、これらの都市と同じ時間帯だが夏時間を実施しない国の場合、 どの都市を代わりに見るかが変わってくる。 たとえば、 コロンビアは夏時間実施中でないときのニューヨークと同じタイムゾーンだが、 米国が夏時間実施中はシカゴで見なければならない。 同じような意味で、ロンドンのほかに UTC もほしかったところ。 (各タイムゾーンにつき一都市のみ、 という方針で作られているからしかたないのだが。)

2009-03-09 (1) 02:04:52 +0900

ネクタイの締め方を忘れて、あせったこと

職場関係のお通夜に行った際、 黒いネクタイは現地で締めればいいやと考え、ポケットに入れて行った。 お寺の門の外で締めようとしたが、締め方を忘れている。 父から教わった簡単な締め方も、 のちにどこかで見て覚えたより正式な締め方も、である。 あせればあせるほど、うまくゆかない。

しかたなく、受付の人に事情を話してそのまま中にはいり、 仲間のいる、暖かなところで落ち着いて試したら、結べた。

おもわず、 「すのものはウィンザーノットを思い出した!」と叫びそうになった。 名前もその瞬間に思い出したのだ。 しかし、いまネットで調べてみたら、 ウィンザーノットよりももう一周多く回しているみたい。

2009-02-19 (4) 00:45:11 +0900

lim(f(x)/g(x)) と lim{(lim f(x))/g(x)} は等しいとは限らない

f(x) = g(x) = x とおき、lim は x を 0 に近づけるものとする。 lim(f(x)/g(x)) は 1 だが lim{(lim f(x))/g(x)} は 0 であり、 等しくない。

2009-02-19 (4) 00:14:54 +0900

回文>「知多支部の野武士たち」(ちたしぶののぶしたち)

本文ナシ

2009-02-19 (4) 00:07:37 +0900

回文>「立命館壊滅裡」(りつめいかんかいめつり)

内容はフィクションです。 立命館関係の方が気分を害されましたら、おわびします。

2009-02-19 (4) 00:05:27 +0900

「人手不足」を「ひと+でぶ+そく」と解釈している人はいないか

本文ナシ

2009-02-19 (4) 00:04:34 +0900

戦前に「大逆罪がないならば**を殺すと思う」と書いたらどうなっただろう

「大逆罪がないならば『**を殺すと思う』」と解釈すれば、 大逆罪はあるのだから、『**を殺すと思う』かどうかにかかわらず全体は真。 よって、『**を殺すと思う』の真偽はわからない。

「『大逆罪がないならば**を殺す』と思う」だと、 『大逆罪がないならば**を殺す』と考えたことは確かだが、 大逆罪はあるのだから、『**を殺す』と考えたかどうかはわからない。 ただ、こう考えたことで、結局は『**を殺す』と考えたではないか、 とみなされるように思う。 現在、もしも「死刑がなかったらあいつを殺したい」 と言えば物騒に思われるのと同じである。

ここで大逆罪を例にあげたのは、 犯行を行なった場合はもちろん、 「その意志を抱いた事が明らかになっただけでも既遂犯と同じ処罰対象とみなされた」 (Wikipedia による)からである。 実際には、 どっちに解釈されても、おそらく、死刑になっただろうと思われる。 (刑は死刑しかない。)

2009-02-18 (3) 23:48:41 +0900

回文>「人間宣言に」(にんげんせんげんに)

本文ナシ

2009-02-18 (3) 23:47:47 +0900

シスの復讐>ヨーダとオビ=ワンが双子を連れ、侍女と共に隠れるという案は

最後で、オーガナ上院議員、ヨーダ、 オビ=ワンが別々になろうと決意する理由がわからない。 ルークとレイアの二人には、 フォースの訓練を積んで皇帝を倒すという重大な期待がかかっている。 私がヨーダなら、オビ=ワンと双子、 それにパドメの侍女数人を連れて辺境の星に隠れ、 二人が幼いころからフォースの特訓をするだろう。

(侍女を連れて行くのは、女性の力が必要になる局面があるだろう、との考えから。 パドメの侍女は、彼女のためなら命をも惜しまなかった。 必ずついてきてくれると思う。)

2009-02-18 (3) 23:38:17 +0900

シスの復讐>ヨーダは対皇帝戦で何かの能力を失ったわけではないんだよなあ

III の最後でダゴバへ逃げ、そこで一生を終えるわけだが、 なぜ再度の戦いを挑まなかったのかが、よくわからない。 もしもルークがやられた場合、 最後の最後の望みであるレイアを訓練する使命が残っていたから、 という考えもあろうが、VI で老衰死してしまうので、 意味がなかったことになる。 III の皇帝との戦いで何かの能力を失った、 というようなことなら納得するのだが。

2009-02-18 (3) 23:35:42 +0900

シスの復讐>ウェッジが死なない理由が「オビ=ワンの甥だから」だったら

スター・ウォーズ旧三部作で、ウェッジは「その他おおぜい」の一人だった。 三作とも、「その他おおぜい」の一人として出撃し、 米国映画でよくあるように、 ほかの「その他おおぜい」は敵にやられてしまい、主人公だけが残る中で、 (たぶん)ただ一人、「その他おおぜい」の中で生き残る。 その理由が III で明らかになるのか!? と、III を見る前に 《日曜日に録画した「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」を見た》 で考えたが、明らかにならなかった。

見る前に考えたのか、見てから考えたのか忘れたが、 「ウェッジはオビ=ワンの甥で、弱いながらもフォースの持ち主なので」 というような説明をしたら楽屋落ちになるな、と思ったのだった。 (ウェッジを演じたデニス・ローソンの甥が、 新三部作でオビ=ワンを演じたユアン・マクレガー。)

2009-02-18 (3) 21:26:36 +0900

「サバイバル」とカナで書くと意味・語源がわかりにくいと言う人はいないか

原綴で survival と書けばラテン語の sur- と vivo が語源とわかって意味もはっきりするが、 カタカナで「サバイバル」と書くとそれがわからないから意味もよくわからない、 と言っている人はいないだろうか。

「瓦礫」を「がれき」と書くと語源がわからないのでよくない、と言う人はいるが。

付) 英語の survive に当たるラテン語は supervivo だったのか……。

2009-02-18 (3) 21:09:56 +0900

付)survivo という単語があると勝手に思い込んでいたのである。

2009-02-20 (5) 20:25:17 +0900

「人気違いすぎ」は Google で約 9 件

このフレーズは差別用語として避けられる語を含んでいるので、 どのくらい使われているか調べてみた。 そういうことを考えているかもと思われるのは 「あの人気違いすぎた」の 1 件のみ。 この言い方には気がつかなかった。

2009-02-18 (3) 21:00:36 +0900

曜日表示つき腕時計をして日曜日に通夜・葬儀に出るときはどうする?

日本では、通夜・葬儀などの席に出るときは、 赤いものは身につけて行かないのが普通だろう。 では、曜日表示つきの腕時計をして、 日曜日に通夜または葬儀に出る際はどうするのだろう? 普通は、 赤い文字で「SUN」とか「日」と表示される。

先日、実際にそういう機会があり、そのときは時計を月曜日にずらして行った。 普通のクォーツだから変更は簡単だったが、 現在では、日付表示のみであるのに内部ではうるう年からの年数と月も覚えており、 自動的に大の月・小の月を判別するような時計もある。 年・月・日は電池交換の際にお店で合わせてもらうようになっており、 ユーザーが自分では調整できない・しないようになっている。 そういう時計で曜日がついている場合、どうするのだろう?

そういう時計はしてゆかない、というのが一つの解答だが。

2009-02-18 (3) 20:52:48 +0900

秋津さんと三上さんが結婚し「秋津三上ご両家」(「あきつみかみ」と同音)

前項を書くため Wikipedia で「現人神」を調べたら、 「現御神」「現神」「明神」と書いて 「あきつみかみ」と読む語も同じ意味だとあって。

2009-02-15 (0) 01:10:17 +0900

旧憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は天皇は神と言っている?

Wikipedia で「現人神(あらひとがみ)」を見てみたら、 根拠を大日本帝国憲法第3条としている。 神聖であっても神とは限らない、と私は思うのだが。 「神聖」を「かみ・ひじり」と読むなら別だが。

2009-02-15 (0) 00:58:41 +0900

二月3日ごろのNHK「ラジオ英会話」で「縮約形」という説明があったが…

…ふつう「省略形」と呼ばれるもののような気がした。 具体的な例は忘れてしまったが、 文章の主語と動詞を省略し、そのあとの部分だけをいうようなものを指していた。

私は、縮約形と聞いて、 フランス語で à + le が必ず au になる、 というような現象を思い浮かべたので、 これで「縮約形」を間違って覚えると、フランス語学習の際に困るのでは、 と一瞬思ったのだが、 英語でも、I am が I'm になったり、 it is が it's になったりするのを縮約形と言うのであった。 (フランス語の à + le が au になるのは「必ず縮約形になる」 と説明するのだった。)

その後も「ラジオ英会話」は聞いているが、 縮約形という語は出てこなくなったような。

2009-02-15 (0) 00:40:03 +0900

職場でご不幸があって、大和百貨店で御霊前の袋を買う

デパートで御霊前の袋を買ったら「またお越しください」と言われたので…》 のときと同じ売り場だが、別の、若い店員さん。 「ありがとうございました」とだけ言われた。正しい。

2009-02-15 (0) 00:37:01 +0900

2040年2月29日生まれの人は満60歳の誕生日がないことになる

2100年は平年なので。

還暦は干支が生まれたときのそれに戻ったことをいうので、 新年とともに迎えるものだが、 最近では満60歳の誕生日をもって還暦を迎えたということが多い。

一般に2月29日生まれの人は四年に一度しか誕生日がこないのだが、 2100年のような年にもこないので、そこは八年に一度となる。 2008年2月29日生まれの子は満92歳の誕生日もないことになるが、 92歳の誕生日は特別な意味はないから、それほど問題にはなるまい。 それに対し、2040年2月29日生まれの場合は、 特別な意味をもつ満60歳の誕生日がないので、ちょっと困るのでは、 と考えたのだ。 著名な学者が満60歳を迎えると、弟子たちが 「**教授の満60歳の誕生日に捧ぐ」 というようなサブタイトルをつけた論文を献呈する習慣がある。 そのときはどうする? 私は生きていないから関係ないが。

2009-02-14 (6) 22:06:02 +0900

ある方にメールで指摘されたので、補っておく。

一般に、人は誕生日の前日に年をとることになっている。 2月29日が誕生日の人は、平年には誕生日がないが、 その場合は2月末日、すなわち2月28日に年をとるよう、法律で定められている。 だから、平年に誕生日がなくても、全く困ることはない。

ただ、「**歳の誕生日に捧ぐ」と書いた場合、 その誕生日がないと、やや奇異な感じがするのではあるまいか。 そして、私が属している学問分野の現在の慣習として、 献呈論文の中では、「60歳の誕生日に捧ぐ」という論文が圧倒的に多い。 普通の2月29日に生まれた人の場合は60歳になる年もうるう年となり、 2月29日があるので問題ないが、 2040年2月29日生まれの場合はどうなるだろう、 と考えたのが本項である。

付)実は、1944年生まれのある先生の、 60歳の誕生日に捧げようと書き始めた論文が、まだ書けていない。 共著者と相談のうえ、じゃあ65歳の誕生日にしようということになったのだが、 そのとき私は「2月29日生まれじゃありませんよね?」 と共著者に確認したのだった。

2009-02-21 (6) 02:51:10 +0900

「365日24時間」を見ると2月29日生まれの人は疎外感を覚えないか

「常に、絶え間なく」は、英語では「週七日24時間」だったと思うが、 日本語では「365日24時間」ということが多い。 これを見ると、 2月29日生まれの人が疎外された感じを受けないかと心配になるのだが。

2009-02-14 (6) 21:34:20 +0900

日本国憲法はなぜ新字なんだ?

Wikipedia によると当用漢字の告示が 1946 年 11 月 16 日。 日本国憲法は 1946 年 11 月 3 日公布、1947 年 5 月 3 日施行。 Wikipedia によると、原本は正字らしい。 が、岩波の基本六法には新字で収録されている。 かなづかいはもちろん歴史的かなづかい。 現代かなづかいも 1946 年 11 月だが、 こちらの変更は採り入れられず、現在に至っているわけだ。

旧憲法は「大日本帝國憲法」と正字で収録されている。

2009-02-14 (6) 18:58:15 +0900

「下総(しもうさ)」は /simo:sa/ であって /simousa/ ではないらしい

ずいぶん昔に、massangeana 氏から教わってびっくりした話。 子どものころから(当時)国鉄の下総中山駅を毎年お正月に利用していた。 おそらく「しもうさなかやま」というひらがなしか読めないころからである。 これを見て、/simousanakajama/ と発音していた。 しかし、この発音は正しくない。 「しもうさ」は歴史的かなづかいの「しもふさ」が変化したものだから、 「シモーサ」と発音するのが正しい、というのが、 massangeana 氏から教わった話である。

書いたと思ったが、書いていなかった。 と思ったら、 《「催し」が「モヨーシ」か「モヨオシ」かはアクセント辞典を見ればいい》 で少しだけふれていた。

新明解古語辞典第二版は見出し語に発音を添えている。 「下総(しもふさ)」の発音は「シモオサ」とある。 また、Wikipedia で「下総中山駅」を見ると、 ローマ字つづりは Shimôsa-Nakayama となっている。 (ˆ は実際には横棒。)

2009-02-13 (5) 20:04:49 +0900

私は「おぞうに」は /ozo:ni/ と発音するようだ / 耳から覚えた単語だろう

割と幼いころから字が読めたので、 いわゆる spelling pronunciation になっている語がいくつかある。 前に書いた 《「強羅」を「ご+うら」だと思っていた話》 や 《私は折り紙の「さんぼう」を sambou と発音しているようだ》 がそうだ。

「おぞうに」は /ozo:ni/ と長母音に発音するので、 字から覚えた語ではなさそうだ。

2009-02-13 (5) 20:00:07 +0900

母が買ってくれた傘が“おちょこ”になったことは、一度も……しかなかった

きょうの金沢は、二月というのに気温が19℃ほどまで上がり --- これは Yahoo! の天気のサイトによる ---、 強い風が吹いた。 フェーン現象かと思ったが、そうとは言われていないようだ。 春一番らしい。

私が小学生だったころ、うちは決して裕福ではなかったが、 母は、私が学校で必要になるものは、それなりの品質のものを用意してくれた。 傘(かさ)もその一つだ。 西洋風の傘は、開くと布が球面の一部のような形になる。 そして、まん中が一番高くなる。 しかし、さしているうちに強い風が吹くと、 骨が弱い傘の場合、骨が裏返って、まん中が一番低い形になることがある。 それを、当時、小学校では傘がおちょこになると言っていた。 当時、うちでは誰もお酒を飲まなかったので、 “ちょこ”が何かを私が知っていたとは思えないが。

では、母が用意してくれた傘が一度もおちょこにならなかったかというとそうではなく、 大学の専門課程に進んでから、 その学科のあった建物と、隣の高層の建物との間を歩いていたとき、そうなった。 いままでの人生で一度だけの経験である。

大風が吹いたので、ふと、思い出した。

2009-02-13 (5) 19:18:20 +0900

「小学生のとき母が買ってくれた傘がおちょこになったことは一度もなかった」 というような一文が、どこかにはいるべきだった。

2009-02-20 (5) 20:27:45 +0900

地下で鉄道が交差するときは立体交差とは呼ばないのだろうか

地下鉄丸ノ内線の中野坂上で、方南町へ向かう支線が分岐する。 中野坂上駅には三本の線路があり、 まん中が方南町方面、両側は新中野方面の上り・下り (正しくはA線・B線か)である。 そして、平面的に交差することなく、方南町方面へ分岐してゆくので、 立体交差になっているはずである。 しかし、地下で鉄道が交差するときはあまり立体交差と言わないような気がする。

ほかに、上越新幹線とほくほく線は、 地図で見るとトンネル内で交差しているように見えるが、 あまり立体交差と呼ばれているのを聞かない。 地下鉄東西線と副都心線もそうである。

2009-02-13 (5) 01:27:00 +0900

越後湯沢―ガーラ湯沢は新幹線が在来線に乗り入れるんだからミニ新幹線?

いや、それは元々在来線が走っていたところを走る場合に限るんだろう。

2009-02-13 (5) 01:25:45 +0900

野球のヤクルトスワローズが「ヤ軍」と呼ばれることはないな

米国大リーグのチーム名を短く言う「*軍」は、 愛称のほうの一文字目をとるんだったかな?

2009-02-13 (5) 01:24:39 +0900

回文>「もしくは、串も」「もしくは、櫛も」(もしくはくしも)

本文ナシ

2009-02-13 (5) 01:23:07 +0900

回文>「竹橋、化けた」(たけばしばけた)

本文ナシ

2009-02-13 (5) 01:21:59 +0900

回文>「否だ、まだない」「稲田、まだない」「いなだ、まだない」

最後の「いなだ」は、ブリのある時期の名前。

2009-02-13 (5) 01:18:45 +0900


すのもの Sunomono