先日、通勤のバスの中で見かけた学生は、 傘を片手で回して巻けるものの、手で軸をつかみ、 指を使って回していた。
その必要はないのだ。 《傘は先を下に向けたまま巻けるはずだ》 に書いたのはあまりわかりやすくなかったかもしれないのでくわしく説明しよう。 柄がJ字型に曲がっている傘の場合である。
にぎった手をゆるめて、親指と人差し指で作った輪に柄が通っているようにする。 その状態で、 その輪が含まれる平面の法線方向が垂直方向の回りを一回りするように手首から先を動かせば、 傘の柄は一回転する。 傘の柄は、その輪の中で最も低い位置にかかるからである。
2006-01-07 (6) 01:22:53 +0900
前項の続き。
I ではクワイ=ガンもオビ=ワンも宇宙船の操縦はしない。 II でオビ=ワンが一人でカミーノへ向かったときは「おやっ」 と思ったような気がするが、だいぶ忘れてしまった。
II と III では、「誰でも宇宙船の操縦ができる」という設定のようである。 II の冒頭ではパドメは護衛に扮し一人乗りのを操縦してコルサントへ着陸する。 そっちがパドメだということはちょっとあとにわかるのだが、 最初に見たときはその時点でさかのぼってパドメが操縦していたと気づくことはなかった。 III では C-3PO までが操縦する。ムスタファー脱出の際。
2006-01-07 (6) 01:13:00 +0900
ハン・ソロが料金を吹っかけるのでルークが 「それだけあれば宇宙船が買える」と言うとハン・ソロが 「操縦できないだろ」と言い返すシーンがあったと思うのだが、 II や III でオビ=ワンは一人乗りのを操縦している。 なぜ宇宙船を買って自分で操縦しなかったのか。 ルークやドロイドたちも乗れるようなのは操縦法がまったく別?
あ、もしかして、その場合は全額を払わないと飛び立てないから、 というだけか? (操縦士をやとえば、着いてから残金を払うことができる。)
2006-01-07 (6) 01:05:12 +0900
きのう、計算機の授業をする建物まで雪が積もっている中を突っ切ったら、 途中でウルトラセブン「零下140度の対決」みたいになってしまった。 っていうのはかなりおおげさで、雪は腹までしかないのだが、 「ポインターを捨てていい」などとキリヤマ隊長のまねをしていたら、 これから自分は整列を教えるのだが、 ポインタなしで、配列の添字だけでやることを二三年前に思いついたんだなあ、 と気がついた。
ワーグナーだったらこれで思いついたと自伝に書くかも。 タイトル行には、そうだったらこう書くな、というものを書いてみた。
2006-01-07 (6) 00:46:50 +0900
きょうは 《NHKフランス語講座>八月 31 日(火)分》 の再放送。
終わりのあいさつが
「それでは、きょうはこのへんで
」だった。
「またあした」がない。
前からなかったのか、今回カットしたのかはわからない。
エンディングは 35 秒。前には「30 秒」と記したが、 有効数字までは考えていなかったので、正確なことはわからない。 だが、35 秒だったらそう書いたと思うので。 もしかして、「またあした」をカットした分?
2006-01-05 (4) 21:08:27 +0900
…はいないだろうな。
「いい予感(いいよかん)」から「伊予柑」のほうが自然か。
2006-01-05 (4) 19:11:32 +0900
ああでもしないと自動車が出せないのはわかるのだが。
2006-01-05 (4) 02:34:37 +0900
・ /|\ +−+−+ マ|パ マ|パ |こんなの。小学校にはいるかはいらないかぐらいの男の子。 そりゃ、パパとママが仲よしなのが一番だよね。
2006-01-05 (4) 02:30:02 +0900
作中でははっきりしないようだ。
知っていれば、 オビ=ワンはウータパウで死んだと思っているだろうから、 ムスタファーでパドメの後ろにオビ=ワンを見たときの反応が違っていたような気がする。
知っていたが、オビ=ワンは生き延びたと思っていた可能性もあるか。
2006-01-05 (4) 00:17:03 +0900
ジェダイ寺院にヨーダと共に“侵入”したことが伝わっていたのかも。
2006-06-19 (1) 21:16:57 +0900
ジェダイ寺院に潜入したヨーダとオビ=ワンは、 殺された若い弟子たちの傷を見てライトセーバーによるものだと知る。 しかし、 その前にジェダイ寺院周辺で彼らがライトセーバーで殺したクローン兵の遺体を帝国軍側が見れば、 ジェダイがまだ生き残っていることがわかるのだった。
2006-01-05 (4) 00:13:27 +0900
Order 66 のあと、 ヨーダとオビ=ワンは警護のクローン兵を全滅させてジェダイ寺院に侵入する。 しかし、数台の droideka(s) に囲まれたら、ジェダイも投降するしかないのだ。
ヨーダは別?
2006-01-05 (4) 00:06:39 +0900
ウータパウで水に落ち、水からあがったところでは分け目がなくなっているが、 そのあと、物かげから様子をうかがうところではきちっと髪を分けている。 腰のベルトには櫛(くし)もはいっているに違いない。:-)
2006-01-04 (3) 23:51:13 +0900
Veda は「ヴェーダ」だが、英語では「ヴェイダ」と発音されるらしい。 Darth Vader の名はここからきている?
2006-01-04 (3) 23:43:13 +0900
一輪車で逃げるグリーバスを追うシーン。 その前は剣を腰につけ、両手で手綱をにぎっていたが、 なぜかあそこで剣を手にとろうとする。 そうした理由がわからない。 手にとらなければ落とさなかったように思えるのだが。
2006-01-04 (3) 23:32:54 +0900
大きくジャンプしたはずみでライトセーバーが腰からはずれ、 落ちそうになったので手でつかもうとした、と考えればいいか。 そんなふうにも見える。そう見るべきなのかもしれぬ。
2006-03-11 (6) 21:54:06 +0900
《NHKラジオ「フランス語講座」>あすから杉山利恵子先生の入門編を再放送》 に書いたように、今年度後期の入門編は 2004 年度前期のシリーズの再放送である。
年末にふと気づいたのだが、 NHKの語学番組は12月31日から1月3日までがお休みなので、 月曜日から木曜日まで放送される入門編はきょう1月4日(水曜日) とあす1月5日(木曜日)だけが半端となる。 何か特別番組が流れるのかなと思って録音してみたら、きょうは 《NHKフランス語講座>八月 30 日(月)分》 の再放送であった。 仏検の聞き取りに挑戦である。
きょうは月曜日でないにもかかわらず、
「みなさまこんにちは
」のあとに「ごきげんいかがですか?
」
があったことになる。
上のリンク先を参照。
月曜日だけこれがあると考えるのではなく、
週の最初の放送にだけこれがある、と考えればよいのだろう。
おととしは一週間、四回にわたっての特別番組だったが、
今回は二回のみ。
「きょうとあすは二回にわたって特別番組をお送りいたします
」
だけが新規録音?
「紫色の
」で「紫」と「色」の間に微妙なポーズがあるのに気づいた。
murasakîro とならないよう注意して発音されたものと思われる。
「黄色い
」は kîroi と聞こえる。
これに切れ目を入れたら不自然だろう。
「緑色の
」
「灰色の
」はその中間ぐらいか。
音は止めないが、改めてあとの i を発音するため音が強まる、といった感じ。
エンディングは約 20 秒。 前は「15 秒ちょっと」だった。 最初の部分を録音し直したために出てきた差であろう。
付) おととし、これにずいぶん時間かけてたんだなあ。
2006-01-04 (3) 21:13:04 +0900
いわゆる一つの「メモリアルホール」の前を通ったら、やっていた。
2006-01-02 (1) 19:06:55 +0900
きょうも、やっていた。
2006-01-04 (3) 21:12:07 +0900
…いないかな。 もしそういう語があるとしたら「増し込み」か。
2006-01-02 (1) 18:53:55 +0900
ここからあとは今夜アップロードする予定。
2006-01-04 (3) 21:11:35 +0900
「『ゆく年くる年』は紅白歌合戦終了後、直ちにお送りいたします」。 なーんちゃって、年が変わっちゃったらどうするんだ。
2006-01-01 (0) 13:14:24 +0900
タイトル行の引用はけさの朝日新聞大阪本社版最終面の Panasonic の広告から。 よく見かける文言だが、 画面をテレビの枠にはめ込んだのか、 画面の回りにテレビの枠をはめ込んだのか。 どちらとも言えるのではないか。
と思ったが、 このメッセージには「はめ込みである」ということだけでなく、 「画面部分はこのテレビに映っているのを写したものではありません」 という意味も込められているのだろう。
2006-01-01 (0) 13:13:40 +0900
8 時 50 分、カシオ DQD-202X のアラームで目を覚ます。 NHKラジオをつける。眠いので内容は頭にはいってこないが、 出演者たちがけたたましく笑っているのだけは聞こえてくる。 セイコー SQ648S, シチズン 8RZ008 の三台をまくらのわきに並べ、 ずれがほとんどないことを確認。 ラジオから「うるう秒」という語が聞こえてきた。
時報が鳴り始める。鳴り始めは 8 時 59 分 58 秒で、 普段と同じように前に三つ鳴ってから 9 時ちょうどの時報がなる。 この時点で、三台とも 1 秒進んでしまったことになる。
9 時 01 分。 毎時 01 分に受信しようとするカシオ DQD-202X が定時の受信を開始。 数分後、受信完了してみると、 これだけがほかの二台よりも 1 秒遅れている状態になった。 実際にはほかの二台が 1 秒進んでいるのだが。
DQD-202X の目覚ましを 9 時 59 分にセットし、また寝る。
9 時 59 分。セイコー SQ648S が定時の受信を開始する時刻である。 うー、まだ眠い。あやうく眠りかかり、 はっと気づいたら、受信完了の瞬間だった。 同じ時刻が二度表示された。そんな気がした。単に気のせいかも。 (前述のカシオのは受信完了時に時刻表示が流れるように変わるので、 修正にあたって時計がどれだけ進み遅れしたかは確認できない。 《電波時計>時刻が修正されるとき、6秒ほど表示が読めなくなるようだ》 参照。)
シチズン 8RZ008 は 《シチズンの電波めざまし時計 8RZ008 を買った》 に書いたような時刻に自動受信する。 午後 1 時 15 分 45 秒からの受信時にはダイニングキッチンで見ていたが完了せず。 午後 2 時台を待つことになった。 いま、午後 2 時 17 分 57 秒が二度表示されて完了。 これで、私の持っている電波時計はすべて、 けさのうるう秒後に受信を済ませたことになる。
付) ん?! ということは、8 時 59 分 60 秒にはふとんの中にいたんだろ? 本項のタイムスタンプはどうなってるんだ? などと聞かないでください。 多くても半年に一度のうるう秒。 いいじゃないですか。少しぐらい作為があったって。:-)
2006-01-01 (0) 08:59:60 +0900
形容詞の比較級と最上級を作る語尾。 「より小さい」「一番小さい」からのネーミングか、などと考えられる。
実はサンスクリットを知らないのは自分だけで、 回りの人はみんな知っていてネーミングなどに生かしているような気がしてきた。
2006-01-01 (0) 01:00:14 +0900
サンスクリットの勉強をしていて、 名詞の活用のところで marudbhyâm の dbh を dhb と誤読してしまった。 この h は前の子音が帯気音であることを示すものだから、 普通の字母との違いをわかりやすく、たとえば marudbhyâm のようにしたらどうかななどと考えてしまったが、 翻字していると思うからこういうことが言いたくなるのであって、 元々こう書いている言語であれば何の文句も出ないだろう。 エスペラントのような人工言語もそうで、ついいろいろ言いたくなる。
(上では â としたが、実際は a の上に横棒 ¯ である。)
2006-01-01 (0) 00:50:22 +0900
それは私です。
2006-01-01 (0) 00:08:23 +0900
ラジオ第一放送のアナウンサ。 実際には「いま年が変わりました。あけましておめでとうございます」 と言ったように思うが、 「年が変わったら『あけましておめでとう』? だったら、 あしたから0時のニュースは 『日付が変わりました。おはようございます』と言え」 と一人でからんでしまった。しらふ。念のため。
2006-01-01 (0) 00:05:16 +0900
車道は雪かきをする自動車がきてかいてゆくが、 雪をどこかへ捨ててくれるとは限らない。 歩道との間に積み上げるだけのことも多く、 バスの乗り降りに苦労することもある。
交差点近くに積み上げた雪は運転席が低い位置にある乗用車からの視界のさまたげになるようで、 わき道からメインの道に完全に頭を出して停止し、 左右の確認をしている自動車をよく見かける。 メインの道を走る自動車はその自動車をよけて通るので、 完全にセンターラインをオーバーする。
月極駐車場にはいろうとして雪ではいれず、 歩道上に自動車を停めて駐車場の雪かきをする、というのもよく見かける。
ひどいのは、歩道にはみ出して駐車し、 歩行者には歩道のうち斜面になっている部分しか残していない自動車だ。 雪が凍ると斜面は歩けない。歩いているうちにすべって車道に出てしまうからだ。
歩行者専用道はほとんど除雪されない。 積もった雪の上を踏み固めて歩くだけ。 気をつけないと、車止めの棒につまずいてしまう。
又。 雪が降ったあとは地形が一変する、とも言える。 雪かきをすればまた地形が変わる。 うかつに雪かきをして雪の山を築くと、 道路に関する何らかの法律に触れるおそれもあるのではと思うのだが。
(そう言ってかかないやつ>自分)
2005-12-31 (6) 23:24:56 +0900
…しばらく固まってしまったら、店員さんもけげんに思ったらしい。 「あのう、こういうのを買ったときは『また』 って言わないもんじゃないでしょうか」と思わず言ってしまった。
この下(しも)に物語なし。
2005-12-31 (6) 23:22:00 +0900
いまの時刻制度では最も早く日が沈むのは十二月上旬であるから、 実は少し前から日が長くなっているのだ。 日の入りの時刻が遅くなることをもって日が長くなるというなら、の話だが。
(ほかには、 日の出から日の入りまでの時間が長くなることをもっていう、 などが考えられる。)
2005-12-31 (6) 23:09:23 +0900
いまや日記専用機なのだが、 日記ファイルの最新のタイムスタンプは十一月 18 日未明となっている。
Tコードを使うのも四十日ぶりとなるが、よく忘れないものだ。
2005-12-31 (6) 22:39:50 +0900
大きなつづらそのものも手にはいったから得したと考えるか、 過剰包装で重いものを苦労して持ち帰らされた分だけ損したと考えるか。
2005-12-31 (6) 22:35:08 +0900
スケートの種目名の。 「タンホイザー」のあと、30日未明のラジオのニュースで。1時か2時の。
2005-12-31 (6) 22:32:40 +0900
…言っていた。 案内の舩木篤也(ふなき・あつや)氏。
2005-12-31 (6) 22:25:16 +0900
指揮はティーレマン。 ふとんの中で聞いていたら第3幕はかなり眠ってしまい、 夕星の歌もローマ語りもヴェーヌスの再登場も気がつかなかった。 ティーレマンのタンホイザーは「最後の最後」のリタルダンドがたまらないのだが、 そこだけはしっかり聞いた。
かつてクナッパーツブッシュが「指環」を振り続けていたころ、 「神々のたそがれ」 の終幕が近づくと裏方さんたちもみんな彼の音楽に耳を澄ませたという話を読んだことがあるが、 彼にもそうなってほしいものだ。来年からが楽しみである。
30分以上残していたのできょうは何が流れるかと思ったら、 案内の舩木篤也(ふなき・あつや)氏の終わりの言葉になった。 そして、 たぶんワーグナーのものではないピアノ曲が15分ほどあって、 それから「牧歌」。「牧歌」は最後まで流れず。 もしかして、収録時には3時間半の枠かもしれないということだったのか?!
2005-12-31 (6) 22:22:58 +0900
「マイスタージンガー」と「指環」がなかったからできたことか。 「指環」の中では「神々のたそがれ」が4時間では無理だろう。 ことしの「パルジファル」はブーレーズだからはいった、 という見方も。
2005-12-31 (6) 22:21:04 +0900
あす午前9時の直前に久しぶりのうるう秒がはいる。 起きてラジオをつけ、電波時計とにらめっこしてもいいんだけど、 要するに午前9時をすぎると1秒進んだ状態になるだけ。
付) 受信中にうるう秒がはいるとどうなるのかはわからない。 現在市販されている電波時計はうるう秒に対応していないので、 “受信中におかしなことが起きた”と判断するはずだ。 手元のシチズン 8RZ008 は、 直前の受信完了後にリセットしたり手動での時刻・日付合わせをしたりしていない場合、 2分間だけ受信して時刻修正をする。 2分めは57秒で完了するので、問題は1分めにうるう秒がはいった場合だ。 つまり、あすの8時59分00秒ごろに手動で受信を開始したらどうなるか。 もう少し受信を続けるだけのような気がするけど。
2005-12-31 (6) 17:54:36 +0900
前項、前々項を書くにあたっては 「東京地下鉄便利ガイド」(昭文社、2001 年)を参考にした。 地図のページを何度もめくった際に感じたこと。
いま見ている範囲の東あるいは西の範囲もこの本に載っているなら、 それは次または前のページにある。 しかし、北や南の範囲を見るには、何ページかめくらなければならない。 もしも縦にめくると南北に移動できたら便利ではないか?
2005-12-31 (6) 17:47:15 +0900
前項の続き。ついでにまとめてみた。
銀座線「赤坂見附−溜池山王」と千代田線「赤坂−国会議事堂前」も交差するが、 溜池山王と国会議事堂前が乗換駅なので以下には載せない。
付) 半蔵門線「水天宮前」 は箱崎の東京シティエアターミナルへの便を考えてあそこに作ったんだろうけど、 もう少し三越前よりに作って人形町との乗換駅にすべきだったのではあるまいか。 日比谷線「人形町」 に最も近いところではホームの長さよりも近い距離のところを通る(ようだ)。
2005-12-31 (6) 17:08:25 +0900
左端の列にある路線から、一番上の行にある路線への乗換駅である。 この表が対角線に関して対称でないのは、 異なる名称の駅どうしが乗換駅になっている場合があるからである。 地下鉄プロパーの区間のみ。相互乗り入れ区間は含まない。 また、有楽町線(新線)は含めなかった。
銀座線 | 丸ノ内線 | 日比谷線 | 東西線 | 千代田線 | 有楽町線 | 半蔵門線 | 南北線 | 浅草線 | 三田線 | 新宿線 | 大江戸線 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
銀座線 | 赤坂見附 溜池山王 銀座 | 銀座 上野広小路 上野 | 日本橋 | 表参道 溜池山王 | 赤坂見附 | 渋谷 表参道 青山一丁目 赤坂見附 三越前 | 赤坂見附 溜池山王 | 新橋 日本橋 浅草 | - | - | 青山一丁目 上野広小路 | |
丸ノ内線 | 銀座 国会議事堂前 赤坂見附 | 銀座 霞ヶ関 | 大手町 | 淡路町 大手町 霞ヶ関 国会議事堂前 | 池袋 赤坂見附 | 大手町 赤坂見附 | 後楽園 国会議事堂前 赤坂見附 四ツ谷 | - | 後楽園 大手町 | 淡路町 新宿三丁目 新宿 | 後楽園 本郷三丁目 新宿 中野坂上 | |
日比谷線 | 銀座 仲御徒町 上野 | 霞ヶ関 銀座 | 茅場町 | 霞ヶ関 日比谷 北千住 | 日比谷 | - | - | 東銀座 人形町 | 日比谷 | 秋葉原 | 六本木 仲御徒町 | |
東西線 | 日本橋 | 大手町 | 茅場町 | 大手町 | 飯田橋 | 九段下 大手町 | 飯田橋 | 日本橋 | 大手町 | 九段下 | 飯田橋 門前仲町 | |
千代田線 | 表参道 国会議事堂前 | 国会議事堂前 霞ヶ関 大手町 新御茶ノ水 | 霞ヶ関 日比谷 北千住 | 大手町 | 日比谷 | 表参道 大手町 | 国会議事堂前 | - | 日比谷 大手町 | 新御茶ノ水 | - | |
有楽町線 | 永田町 | 池袋 永田町 | 有楽町 | 飯田橋 | 有楽町 | 永田町 | 飯田橋 市ヶ谷 永田町 | - | 有楽町 | 市ヶ谷 | 飯田橋 月島 | |
半蔵門線 | 渋谷 表参道 青山一丁目 永田町 三越前 | 永田町 大手町 | - | 九段下 大手町 | 表参道 大手町 | 永田町 | 永田町 | 押上 | 神保町 大手町 | 九段下 神保町 住吉 | 青山一丁目 清澄白河 | |
南北線 | 溜池山王 永田町 | 溜池山王 永田町 四ツ谷 後楽園 | - | 飯田橋 | 溜池山王 | 永田町 市ヶ谷 飯田橋 | 永田町 | - | 目黒 白金台 白金高輪 後楽園 | 市ヶ谷 | 麻布十番 飯田橋 後楽園 | |
浅草線 | 浅草 日本橋 新橋 | - | 人形町 東銀座 | 日本橋 | - | - | 押上 | - | 三田 | 東日本橋 | 蔵前 大門 | |
三田線 | - | 大手町 春日 | 日比谷 | 大手町 | 日比谷 大手町 | 日比谷 | 大手町 神保町 | 目黒 白金台 白金高輪 春日 | 三田 | 神保町 | 春日 | |
新宿線 | - | 新宿 新宿三丁目 小川町 | 岩本町 | 九段下 | 小川町 | 市ヶ谷 | 九段下 神保町 住吉 | 市ヶ谷 | 馬喰横山 | 神保町 | 新宿 森下 | |
大江戸線 | 青山一丁目 上野御徒町 | 中野坂上 新宿 本郷三丁目 春日 新宿西口 | 六本木 上野御徒町 | 門前仲町 飯田橋 | - | 月島 飯田橋 | 青山一丁目 清澄白河 | 麻布十番 春日 飯田橋 | 大門 蔵前 | 春日 | 新宿 森下 |
注) 丸ノ内線から大江戸線への乗換駅は4つなのに対し、 大江戸線から丸ノ内線への乗換駅は5つある。 それは、丸ノ内線の新宿駅と大江戸線の新宿駅・新宿西口駅が乗換駅の扱いだからである。
付) 29 日未明に作っていたもの。
2005-12-31 (6) 14:58:32 +0900
当然、1時間半ほど余った。 バイロイトのオーケストラで第一バイオリンを弾いている日本人ゲストとの対話が40分、 そのあとはマタチッチ&N響のCDで「森のささやき」と「神々のたそがれ(抜粋)」。
付)27日はローエングリンだった。
2005-12-29 (4) 03:31:17 +0900
《インド人がしゃぶしゃぶをすると「くかたち」状態にならないか!?》 の焼き直し。 普通、手に火傷するだろうから、食べ放題って言われたって食えるもんじゃない。 もちろん、箸(はし)などは出さないし、持込み禁止。
2005-12-28 (3) 19:10:07 +0900
本文ナシ
2005-12-28 (3) 02:38:47 +0900
子どものころ見た怪獣映画などの常套手段として、 輪転機が回っている画面に「大怪獣***、東京に現わる!」 などと書かれた紙面が浮かびあがることで、 そういう報道がなされたということを表わすのがあった。
あの画面を、 実際に輪転機が回るとその上に紙面が浮かびあがって見えるんだと思ってたやつはいないだろうか?
2005-12-27 (2) 20:21:05 +0900
子どものころ、インド人は食事の際に手づかみで食べる、と読んだ記憶がある。 そのときに使うのは右手だけで、左手は不浄とされるので絶対に使わない、 とあったような気がするのだが、それはさておき。 だとすると、しゃぶしゃぶをするときも手づかみである。 素手で肉をつかんで熱湯に入れ、さっと引き上げる。 これって、日本史の時間にならった「くかたち」じゃん!
……と一瞬思ったのだが、 インド人は牛を神聖視しているからしゃぶしゃぶはしないのであった。
付) 本項は、子どものころ読んだことを元にして書きました。 真実であるかどうかはわかりません。
2005-12-27 (2) 20:20:19 +0900
ちょっとした間違いで、index.html を消すはめになった。 消したことにより http://www5a.biglobe.ne.jp/%7Esunomono/ にアクセスすることでファイルの一覧が見られるようになる。 せっかくだから一応全部のファイル名に目を通してみたら、 ファイル名を大文字で始めた Iro00.. があった。 これは何かの間違いだ。 と考えていたら、思い当たることがあった。
この「いろいろ」は、書くマシンとアップロードするマシンが別になっている。 その間はフロッピーディスクで運ぶ。 あるとき、 書くマシンを止めてからアップロードを開始し、 その途中に何かの間違いを見つけ、 書くマシンをブートする必要があることに気づいたのだが、 Windows を立ち上げると時間がかかるので、 DOS だけを立ち上げてファイルをフロッピーにコピーしたことがあった。 DOS からだと長いファイル名に対応しないので、 アップロードするマシンの側で改名しなければならないのだが、 それを忘れて「mput i*」でアップロードしてしまったことがあったような。 その際の残骸だろう。
付) 念のため、クリックして表示させ保存して手元のと比べてみた。 そしたら、手元のから綴じタグなどが結構落ちているのを発見。 修正した。それが iro0090.html である。
2005-12-27 (2) 03:31:10 +0900
本項はきのうの未明に書きかけたのだが、いまかなり筆を加えて完成させた。 これからアップロードする。
2005-12-28 (3) 02:41:22 +0900
辻直四郎「サンスクリット文法」の連声のところを読んでいて、
「-e+a->-e '
」
のような書き方を何の抵抗もなく受け入れている自分に気がついた。
これは、
すぐあとの例「te api>te 'pi
」からわかるように、
e で終わる単語の直後に a で始まる単語がくるときは a を落として
「'」をつける、という意味である。
ここでは「>」が矢印の意味で使われている。
unix のリダイレクトについて教える際、 「この不等号は矢印の意味であって大小とは関係ない」 と説明するのだが、 その際(もしかしたら)口がすべって 「これは矢印が使えないコンピュータ関係の人が考え出したこと」 と言ったことがあるかもしれない。
……と心配になったが、この本が出たのは 1974 年だ。もう unix は存在している。 手元のほかの本を見てみたら、 田中美知太郎・松平千秋「ギリシア語入門改訂版」(岩波書店、1962 年) は本文最後の「音韻の変化」の表で使っている。 高津春繁「印歐語比較文法」(岩波全書、1954 年)も。 やっぱり、前からあるんだ。
2005-12-27 (2) 03:09:04 +0900
たとえば des と書かれていたら、 「デス」の「ス」の母音を無声化して読む人が多いのではあるまいか。 これは、 [s] で終わっている外来語をカナでどう写すかという問題と似ているが、 同じではない。
だいたい明らかだが、-t と新日本式の -c だけがちょっと気になる。
2005-12-27 (2) 03:04:33 +0900
きのうから始まった。 きのうは21時からけさの1時までで、出し物は「トリスタンとイゾルデ」だった。 案内は舩木篤也(ふなき・あつや)氏。
オープニングのファンファーレは「哀しき牧笛」だった。 うーん、記憶になかった。初めて聞いたか? 99年以来上演されてこなかった、 と言っていたような気がするので、もしそうなら、そうかもしれない。
「ブランゲーネ」の「ゲ」を鼻濁音で発音していた。やめてほしい。
あらすじが超・あらっぽかった。 あとでわかったのだが、時間が足りなかったのかもしれない。 幕ごとの舞台装置についてごく簡単にふれただけで、 ほとんど解説はなかった。
0時50分をすぎても「愛の死」が始まらなかったので、ちょっとあせった。 (自己犠牲と比べてはるかに短いのだった。 そもそも、あせってどうする>自分)
エンディングは「牧歌」。 やっぱりこれでしょう。 と言っても、きょうはメロディーが出る前に時間切れ。
2005-12-27 (2) 02:55:42 +0900
先ほど、確かきのうの21時にNHKラジオの時報と比べたところ、 一秒ほど遅れていた。 きのうの未明には受信したと思うが、 きのうの午後は職場に持っていっていたので受信していないと思う。 やや遅れすぎの感じ。寒さのせいだろうか?
(もちろん、実用上はほとんど支障なしである。)
2005-12-27 (2) 02:51:59 +0900
有声帯気音なんだろうか。
高津春繁「印欧語比較文法」の別表1には ghanah(最後の h の下にはドット) という語が出ている。「人殺し」という訳語がついているので、たぶん関係ない。
2005-12-25 (0) 02:57:28 +0900
11月7日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《啓蟄や立秋など、もともと中国で生まれた二十四節気は、
日本の気候と微妙にずれている
》とあるが、
立秋は「夏至と秋分の中間点」という天文学的な由来をもつものなのに、
これを「秋が立つ」と理解しようとするところからきた誤解ではあるまいか。
「啓蟄」はそれらとは別の系統の名前である。
そのときに虫たちが地中から出てくるかどうかは場所による。
付) あるいは。 旧暦を使用していたときには「立秋」の日付は年によって大きく変わったが、 その日はほぼ毎年同じ気候になるはずであった。 それを知るための名称にすぎなかったと考える。 毎年かなり暑いのが「立秋」、と正しく覚えるべきなのである。
2005-12-25 (0) 02:45:29 +0900
もしそうなら、二人で交互に譲り合えばよい。 あっという間に一万代になる。 さらに、たとえばあしたの午前 6 時を a, 午後 6 時を b と決めておき、 b から (b-a)/2n だけ前の時刻になったら二人の間で互いに譲位すると決めれば、 b までに“無限・代”となる。 時刻 b にどちらが位についているのかはよくわからない。
2005-12-25 (0) 02:37:07 +0900
18日づけ大阪本社版社会面「越前ガニ 寒波で高騰」。
《歳暮用のカニを仕入れる水産販売業者は
「11月に受けた予約がいまだにさばけない」
と頭を抱える
》とあるが、
普通、「さばく」のは仕入れた商品ではないのだろうか?
2005-12-25 (0) 02:33:36 +0900
18日づけ大阪本社版社会面『京 花街「華」ごよみ』。
《「出身がどこでも、
お座敷では絶対に京言葉
》。
その少しあとに《数字のイントネーションは最難関で
》
とあるのは「数詞のイントネーションは」であろう。
文字にイントネーションは考えられないから。
織井優佳と署名あり。
付) 母語は何ですかと尋ねる場合、 ほとんどバイリンガルの人については数をなに語で数えるかで判断する、 と読んだことがある。
付) 落語のまくらなどで、 吉原では出身地がわからないよう独特の「ありんす」言葉を作った、 と聞くことがある。 それとの対比も興味深い。 江戸言葉はまねしてもばれるけど京言葉はばれない、 ということになるか?
2005-12-25 (0) 02:23:19 +0900
前項は名簿を漢字(など) で作ってそれを読み上げて出席をとる場合を想定しているが、 反対に名簿を打ち込む場合。 「**か」とか「**の」 といったカナ三文字からなる女子の名前を万葉がな風に漢字三文字で書くには非常に多くのバリエーションがあり、 それをカナ漢字変換で打ち込むのはむなしい気もする。
たとえば「えりか」の「え」には「恵」「江」「絵」「枝」、 「り」には「理」「利」「梨」「莉」、 「か」には「香」「花」「華」「果」「佳」が、ざっとさがしただけでも考えられる。 これだけでも4×4×5=80通り。
付) 私は、試験、レポート、メールなどには 「大学に氏名として届けてある通りの文字で書きなさい」と言う。 そうでないと、ほんの少しだが、 採点時に採点以外のことに頭を使わなくてはならないから。
2005-12-25 (0) 02:13:35 +0900
24日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の、 明治安田生命保険の「今年の赤ちゃんの名前」。
「読み方の例」として、 たとえば、 男の子の第二位「大翔」には「ひろと」「だいと」「つばさ」の三つが、 女の子の第一位「陽菜」には「ひな」「はるな」「ひなた」の三つが載っている。 こんなに読み方のバリエーションがあり、 かつ、“どう読んだら無難”というのがないと、 もはや漢字で書かれたら読むことが不可能なのではあるまいか。
(「どう読んだら無難」と書いたのは、たとえば 「修」を「しゅう」「おさむ」と読むように、そうである可能性が高く、かつ、 そう読んで違っていても相手はそれほど気を悪くしないだろうという読み方を指している。)
2005-12-25 (0) 02:06:59 +0900
24日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の、 明治安田生命保険の「今年の赤ちゃんの名前」。 集計は文字列として行なうのが優先のようで、 読み方で集計したものは記事の最後におまけのようについている。
2005-12-25 (0) 02:04:25 +0900
24日づけ大阪本社版社会面。
05年生まれの赤ちゃんの名前でいちばん多かったのは、 男の子が「翔」、「大翔」、女の子が「陽菜」――。 明治安田生命保険が22日、毎年恒例の子どもの名前調査結果を発表した。
これでは、この生命保険会社がこれらの名前を
「05年生まれの赤ちゃんの名前でいちばん多かった
」
と発表したように読めないだろうか。
実際には
《11月末までに同社の子ども向け保険などの対象になった赤ちゃん
(男4292人、女4082人)
》を調べたものにすぎない。
この会社と朝日新聞のどちらかが、
「これだけのデータから赤ちゃん全体で最も多い名前が推測できる」
と主張したことになる、と私は思う。
何度か書いているように、センター試験の受験者数と比べてみれば、
これはかなり少ないデータであることがわかる。
男子の一位の名前は 29 人、女子の一位は 28 人だそうだ。
同じことを毎年くり返して書いているようだけど、 どちらに責任があるのかと考えたのは今年が初めてのような気がする。
《昨年生まれた男の子の名の2位「颯太」を「ふうた」と読むのは百姓読み》 など参照。
2005-12-25 (0) 01:49:38 +0900
文章の初めに使う句。私はときどき使うが、本来は「そうだとすると」か。 ローマ字なら da to suru to と四語。
「ですとすると」とは言わないな。
2005-12-25 (0) 01:19:48 +0900
さっき「銀色」を入力しようとして気がついたのだが、 アポストロフか ñ を使わなければならないケースだと認識していなかったので、 ちょっと驚いた。
2005-12-25 (0) 01:16:48 +0900
議事堂から命からがら逃げ出すが、 決して問題にならないほど皇帝が強かったわけではない。 映画の終わり近くでは、 ヨーダもオビ=ワンもアナキンを倒したと確信しているのだから、 「今度は2対1で戦おう」というふうに話が進むのが普通では?
2005-12-24 (6) 23:26:54 +0900
ヨーダは議事堂に上着、それにおそらくライトセーバーを残して去ってゆく。 それは、IV でのオビ=ワンの“最期”と一致しているのだった。
2005-12-24 (6) 23:18:57 +0900
III 全体を通して、アナキンは一本のライトセーバーを使っているように見える。 だとすると、 IV でオビ=ワンがルークに“お父さんの剣だ”と言って渡すのは、 ドゥークーの手首を斬った剣であり、 ウィンドゥの右手を斬った剣であり、 ジェダイになるために修行中の子どもたちを斬った剣であり、 分離主義者たちを斬った剣である。 わかって受け取ると気持ちよくないような気がするのだが。
オビ=ワンも、子どもたちを斬ったことは知っているはず。 剣に呪いがかかるとか、そういうことは考えないのであろう。
2005-12-24 (6) 23:13:03 +0900
二人がテーブルの上で戦うシーン。 DVD の解説音声で、 オビ=ワンがアナキンのライトセーバーをも手にするシーンはカットしたが、 アナキンのライトセーバーを手にするカットは残った、と言っている。 確かに、オビ=ワンがアナキンに首を絞められてピンチになるところで、 アナキンの銀色の柄のライトセーバーを右手ににぎっているカットがある。 (オビ=ワンのは上半分が黒色。)
付) この付近をスローでよく見ると、 アナキンの吹き替えの役者が無意味に出てくるカットがある。 オビ=ワンに二度目の蹴りを食らわせようとしてテーブルの上を走ってくるところがそう。 蹴り返されて宙返りするカットとは別なので、 ヘイデン自身がやれるはずなのに。 特典ディスクの静止画像などをよく見ていれば、 「ああ、あの人か!」と必ずわかるほど、顔つきがはっきり見えている。
付) 二人が剣をぶんぶん回し、フォースでつかみ合って吹っ飛ぶシーンでは、 アナキンの剣の柄の下半分が黒いようであるが、これは単純な間違いであろう。 最後にオビ=ワンが取り上げるアナキンの剣は柄全体が銀色である。
2005-12-24 (6) 22:58:46 +0900
ヨーダ対皇帝の戦いで、皇帝がライトセーバーを抜いた直後。 カメラは角度を変えながらヨーダに迫る。 そのヨーダの右で倒れている衛兵が、なんだか変。 平面的なのかな? 一枚の絵をそこにおいたようにも見える。 カメラが角度を変えるのに、見た目が全く変わらない(ようだ)。
2005-12-24 (6) 22:53:18 +0900
オビ=ワンと共に上着を脱ぐとき、 オビ=ワンのライトセーバーは腰にささっているが、 アナキンのそれはすでに右手にある。 巻き戻してみると、議長に近づくときからすでに右手に持っているのである。
2005-12-24 (6) 21:48:51 +0900
対応しているのかな。 冒頭の議長救出作戦が VI 冒頭のハン・ソロの救出と対応していることには前から気づいていたが。
2005-12-24 (6) 21:43:26 +0900
DVD の解説音声が、スタッフロールのところで12の惑星を作ったと言っている。 全部言えるかな?
IV のタトゥイーン。 V のホス、ダゴバ、ベスピン。 VI のエンドア。
I のナブー、コルサント。 II のカミーノ、ジオノーシス。 III のウータパウ、キャッシーク、ムスタファー。
IV のヤヴィンは星自身はほとんど描かれていないので、 含まれないものと思われる。 45 秒ほど映るオルデラーンも含まれないのであろう。 Order 66 でジェダイたちが殺されるところで四つの惑星が映るのも。 あるいは、ヤヴィン以外の五つを含めて、新三部作で12なのかも。 あ、それじゃおかしいや。タトゥイーンがはいらないから。 まあ、いいか。
2005-12-24 (6) 21:35:58 +0900
最後の、オビ=ワンが赤ん坊のルークを“おじさん” 夫妻に託すシーンは明らかに日の出だろう。 それなのに、 IV でルークが夕日を見ていたシーンと同じ角度のような気がするのだが。
2005-12-24 (6) 21:28:11 +0900
20日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面掲載分。
(二)インドの西部からアラビアにかけての風土は「砂漠」である。 砂漠に住む人間は対抗的戦闘的である。 このような砂漠的な風土から人格神が生まれた。 人格神はもともと部族神であったが、 ユダヤ教やイスラム教などによって他の神を攻撃する絶対的な唯一神になったと和辻はいう。
ワイド版岩波文庫の「風土」を図書館から借りてきた。 第二章「三つの類型」の二「沙漠」の要約であろう。 確かに「対抗的・戦闘的」という言葉はくり返されるのだが、 「攻撃する」という句は見当たらなかった。 (第五章「風土学の歴史的考察」をまだ読んでいないのだが、 そこに書かれているようには思われない。)
付)
《和辻哲郎が、
西田幾多郎とともに近代日本におけるもっともすぐれた哲学者であると考えるのは私一人ではあるまい
》、
《しかし和辻の主著といえばやはり『風土』であろう
》とあるが、
これは哲学書ではない。
2005-12-24 (6) 02:36:32 +0900
22日づけ大阪本社版文化面。
加藤周一氏の、月に一度ぐらいの連載である。
そこに
《ながらえば今このごろやしのばれん うしたべし世ぞ今はこひしき
》
という、百人一首にも選ばれている和歌のパロディー
--- あまりうまいとは思われない --- が載っているが、
なぜ「こひしき」なのに「ながらへば」でないのだろう?
2005-12-24 (6) 02:29:10 +0900
男子優先などの場合に起こるらしい。
- 男0 -+- 女2 -+- 女3 | +- 男1 -+- 女4が継承後
-+- 女2 -+- 女3 | +- 男0 -+- 女1と変わるような場合を指しているのであろうか?
2005-12-24 (6) 02:21:24 +0900
22日づけ大阪本社版「政治・総合」面、皇室典範改正Q&Aの第3回。
《天皇の長男が、継承順位1位の「皇太子」だ。
次いで天皇の孫を[sic]、さらに皇太子の兄弟やその孫。
それでも継ぐ人がいないときは「傍系」にあたる、
天皇の兄弟やその孫が継ぐんだ
》
とあるのは、「継承順位1位」を普通とは違う意味で使っている。
普通は、いま天皇が亡くなったとしたらこの人が継ぐ、
という人を「継承順位1位」であると言う。
皇太子がいれば皇太子が「継承順位1位」だが、
いなければ別の人が「継承順位1位」である可能性がある。
おそらく、皇室典範第二条「皇位は、
左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子 二 皇長孫
……」
とあるのを誤読しているものと思われる。
《会議でも、直系優先と男子優先のどちらが良いか検討したんだ。
男子優先の場合、直系に男子がいないと傍系が直系に優先する。
そうすると、天皇の系統が頻繁に移動してしまうんだ
》。
現行では男子がいなければそこには子孫がいないとみなされる。
だから、必然的に系統が移動する。
それと比べられると、説得力を欠くと思う。
《継承順位も変わりやすい
》。
これは、
継承に伴って継承順位が逆転する二人の皇族がある場合がある、
の意味であろう。
「変わりやすい」なら簡単な例を示してほしいと思う。
その直後に《「安定性」を重視して直系優先を選んだ
》とあるのは、
こういったことを「安定性」という言葉で呼ぶ、といいたいのだろう。
《会議は直系優先を決めた後、
(1)「第1子優先」(2)「兄弟姉妹間で男子優先」――の2案に絞り込んだ。
仮に第1子が女の子の場合、
「男子優先」なら弟が生まれれば皇太子が入れ替わる。
「第1子優先」なら生まれた時に皇太子が決まる。
幼いときから、将来の天皇としての養育の方針を決めることができる。
だから、会議は「第1子優先」の方が安定していると判断したんだ
》。
天皇の長子が女子の場合も「皇太子」と呼ぶのかどうかはよくわからない。
そう呼ぶとあとから生まれた弟に皇太子を譲るケースが起こるからまずい、
というならそう呼ばなければ済むだけのことではあるまいか。
現行の皇室典範のもとで、
天皇に弟がいるが男子がなかなか生まれない、
という状況では「皇太子」は置かれないままの継承もありえるが、
別に問題はなかろう。
また、天皇の長男に男子が生まれるより前に次男に男子が生まれた場合、
次男の男子は「将来の天皇」になる可能性がその時点では高いが、
長男に男子が生まれればその可能性はぐっと下がる。
それと同じだと言われると説得力を欠くと思う。
(この例については
《女性天皇を視野に入れた皇位継承順位改定案を読む》
の追記に書いた。)
また、図では (2) 案について系図で例を述べ
《第1子(女子)は皇太子の地位を失い、
第2子(男子)が皇太子に
》と説明している。
「女子は皇太子にならない」と決めるか、 「女子が皇太子になった場合、 弟が生まれたらその地位を譲る」とすれば問題あるまい。 全体としてこの筆者は「皇太子」の地位にこだわりすぎ、と感じたのだが。
それと、サブタイトル
《順位はなぜ「第1子優先」? / 「安定性」が決め手に
》
には問題があると思う。
これでは「安定性」が「第1子優先」
を選んだ際の決め手になったようにとられるだろう。
実際には、「安定性」は上にも引用した
《直系優先と男子優先のどちらが良いか検討した
》
というところで、前者を選ぶために持ち出された概念である。
直系優先と第1子優先とは全く別物である。
(《女性天皇を視野に入れた皇位継承順位改定案を読む》
参照。そこの 1 と 2 が直系優先に、4 が男子優先にあたる。
前者のうち 1 が第1子優先、2 が「兄弟姉妹間で男子優先」である。)
付)
ただし、上の引用部分にも
《会議は「第1子優先」の方が安定していると判断した
》とはある。
付) 私はどれかの案を支持する、というわけではない。 ただ、論理的な議論がなされてないと気持ちが悪い、というだけである。
2005-12-24 (6) 01:21:49 +0900
19日づけ朝日新聞大阪本社版の、高橋書店の全面広告、 「2005年、身近な人の名言・格言発表!」。
「黛まどか賞」は「お茶わんを割るのは洗う人だけ」。 その下にあるのはおそらく応募者自身による解説であろう。
伊藤千恵子(51)会社員
近所に住む息子の同級生のお母さんが話してくれた言葉です。 彼女が茶碗を割ってしまい、それを同居している姑さんに謝ると 「お茶碗を割るのは洗ってくれる人だけ。 洗わない人は割ることもないのだから、 謝ることないのよ」と言ってくれたそうです。
駐留軍が“誤って” 民間施設にミサイルを打ち込んだ場合とかにこれを持ち出してきたら、 と考えていたのだが、「この命題は偽だ」とやっと気がついた。 お茶わんで遊んでいても割ることはあるのだから。
何でこんなに時間がかかるんだ。>自分
2005-12-24 (6) 01:11:33 +0900
このことは、 「茶碗を洗っていた、茶碗を割った」 と 「茶碗を割ったなら茶碗を洗っていた」 が混同されやすい、ということではあるまいか。 「茶碗を割った」を P, 「茶碗を洗っていた」を Q と記号化すると、 前者は Q & P, 後者は P => Q と表せる。
《背理法を理解できない人の中に「ならば」が理解できていない人がいるようだ》 に関連。付) 念のため付け加えておきますが、 偽なる命題を持ち出して相手を慰めることが一概に悪いとは私は思っていません。
2006-06-21 (3) 00:53:53 +0900
本だなにあった 菅沼晃「サンスクリット講読 インド思想篇」(平河出版社、1986 年) 巻末の語彙集を見た。 スター・ウォーズ新三部作のヒロイン Padmé と関係あるのかな?
2005-12-23 (5) 18:49:52 +0900
Arthur A. Macdonell の A Sanskrit Grammar for Students (third edition, reprint) が本だなにあったので索引を見ていたら pada (or middle) endings などとあった。
でも全然違うかも。
2005-12-23 (5) 18:39:06 +0900
ここ一二日はいらなくなったので大雪のせいかと思っていた。
気象が変われば受信状況も変わるから。
「日本標準時グループ」にアクセスしてみたら
「60kHz標準電波 / 停波中 / 復旧見込み未定 / 更新:Fri, 23 Dec 2005 09:53:21 +0900
」
とあった。
よりくわしいページによると、
21 日の 11 時 21 分 34 秒から停まっているらしい。
きょうの夕方までには復旧の見込み、とも。
ついでに東局(福島局)も見てみたら、
22 日の 13 時 27 分 55 秒から 14 時 20 分 12 秒まで停まっていたそうだ。
約一時間。
その間は両局とも停まっていたわけだ。
2005-12-23 (5) 15:39:03 +0900
付)雷のため電波を出したり停めたりしていたそうで、 昨夜の 20 時 34 分から送信を再開した、とホームページには出ている。
2005-12-24 (6) 01:07:33 +0900
ほとんど使わなくなっているメールアドレスがあるので、 そこにきた SPAM メールに対し 「不要の方は ...@..... まで」と書かれたアドレスにメールを送り返す実験を、 この一カ月ほどしてみた。 最初は本文をすべて引用していたが、 それだと Bcc が SPAM フィルターにひっかかって手元につくまでに時間がかかるので、 途中からは本文は空にした。 不要なメールアドレスで実験したのは、 「ご利用ありがとうございます」 のようなメールを送り返してきて勝手に話を進めるやつがいるかと思ったから。
結論。 そういうことはなかった。 SPAM メールの数は一時的には減ったような気もするが、増えたり減ったりである。 返事を送る手間に見合うかというと、それは考え方次第。 私はもうやめる。
付) 試してみる場合、 メーラにこちらの名前を相手に知らせないようなアカウントを登録し、 それを使うほうが無難だろう。 どうせ見てないとは思うが。
2005-12-23 (5) 02:50:29 +0900
2005-12-23 (5) 02:47:53 +0900
これ、“辞書”に載ってるのか?
2005-12-23 (5) 02:43:13 +0900
きのう最終回だった「ブラザービート」。 長男の結婚披露宴で、花嫁の弟に酒をすすめかかるが「未成年だったね」 とジュースに変えるシーンがあった。 特別の機会だし、両親もついている。 実際には99%、酒を口にするだろうと思うが、 最近のドラマはそうはゆかないわけか。 前にも三男だけビール以外のものを飲んでいるシーンがあったっけ。
付) 最終回だけあって、兄弟ケンカが派手。セットを壊していた。:-)
2005-12-23 (5) 02:38:04 +0900
高津春繁「ギリシア・ローマ神話辞典」(岩波書店、1960 年)の帯の、
「本辞典の特色」の一つに
「多くの神話伝説・英雄物語は読物として読んでも興味が深い
」とある。
2005-12-22 (4) 02:23:45 +0900
前項に書いたようなわけで高津春繁「ギリシア・ローマ神話辞典」
(岩波書店、1960 年)を出してながめていたら、帯を少々傷めてしまった。
それで気にして見ていて気づいたのだが、「本辞典の特色」の一つとして、
「本文には新型のギリシア活字を新鋳し使用した
」とある。
これが、
田中美知太郎・松平千秋「ギリシア語入門 改訂版」(岩波書店、1962 年)
に使われたものであろう。
付)「ギリシア活字」ていう言い方でいいのかな?
付)この活字は読みやすくて好きなのだが、 最近の岩波の本のギリシア文字の活字はこれではない。 《大貫隆「新約聖書ギリシア語入門」(岩波書店, 2004 年)を買った》 参照。
2005-12-22 (4) 02:09:13 +0900
高津春繁著。1954 年に岩波全書の一冊として出版されたものだが、 奥付は 2005 年になっている。 (この岩波全書セレクション全般に渡って、そうなっているらしい。)
すでにうちに一冊あった岩波全書のと比べてみると、 いくつかの点で、ごくわずかだが変わっている。
©高津久美子 2005」とある。 奥様だろうか。 (「ギリシア・ローマ神話辞典」(岩波書店、1960 年)の序文に 「
巻末索引作製の面倒な仕事は荊妻久美子が引きうけてくれた」 とあった。)
なお、「高津春繁」とあれば反射的に「こうづ……」と読むが、 このお名前は最初「たかつ……」と読んでしまった。 そういうものか。
2005-12-22 (4) 01:52:21 +0900
辻直四郎「サンスクリット文法」(岩波全書、1974 年)の「まえがき」に
《インドの文法家は Skt. の細部にわたって規定しているが、
必ずしも常に実際の使用例によって支持されていない
》とある。
現代の作家の誰かが揶揄するように書いていたのを思い出した。 江戸時代の作家の書いたものについて、 文法の間違いを指摘するという無意味なことをしたやつがいる、と。 でも、日本語の文語文について、 サンスクリットの文法家に匹敵するだけの権威のある文法家はいるのだろうか? いるなら、その人の書いた文法書に沿って文語文を再学習してみたい。 いないなら、いまから誰かが規範化をしても遅くないと思う。 当然、ある時代の言葉を基準にする必要が生じる。 平安時代がそれに選ばれることは確実だと思うが。
付)たとえば聖書の文語訳を行なう際にはそういったものが必要になるはずである。
付) 読解の役に立つ文法書はあるだろう。 ここで言っているのは、書く際の規範になるような文法書である。
付)同書 293 ページの
《理論上 1. sg. pf. は夢または酩酊中の事柄を語るときに限られる
》
などが(意味はまだよくわからないが)興味深かったので、この項目を書いた。
2005-12-22 (4) 01:31:01 +0900