n の次に母音や y が続いた場合、 アポストロフで区切るのがローマ字としては正しいが、 (いわゆる)ローマ字入力の場合、アポストロフを抜かして、 たとえば「きにょうび」と打って変換しても「きんようび」を変換したのと同じ 「金曜日」が得られる。
それの逆の作用が働いたか。
2009-07-11 (6) 20:54:25 +0900
彼がピアノソナタ「葬送行進曲」で用いた調性である。 主調の変ホ長調から見ると、五度下がって変イ長調、 その同名短調だからそれほどおかしくはない。
2009-07-11 (6) 20:42:37 +0900
ベートーベンにとってハ短調は特別な調性だ。 それとはちょっと違うような気もするのだが。
2009-07-11 (6) 20:32:41 +0900
三本の Es 管のホルンがへ短調の和音を奏するので。
2009-07-11 (6) 20:12:59 +0900
本文ナシ
2009-07-11 (6) 20:11:15 +0900
健太は人名。
2009-07-11 (6) 20:10:28 +0900
本文ナシ
2009-07-11 (6) 20:09:35 +0900
「リアサンダー」は Google で 34 件。 偶然並んだだけもあり、人名らしきも、地名らしきもあり。
2009-07-11 (6) 19:58:14 +0900
漢字かなまじり文で書けば「え、糞なる騎士、大石内蔵助」。 「え」は間投詞。
2009-07-11 (6) 19:48:33 +0900
本文ナシ
2009-07-11 (6) 19:47:41 +0900
漢字かなまじり文で書けば「言えそう? いえ、冥王星」。 「言えそう」は「癒えそう」でもよい。
2009-07-11 (6) 19:43:55 +0900
自虐ネタ漫談のあとに「明るく陽気にいきましょう」の歌がはいる。 一方、天理教は関連ページに「陽気ぐらし」「明るく」が見られる。
何か関係がありそうにも見えるが、 Google で「"天理教" "ぴろき"」は 21 件で、 特に関連があるようには思われない。
2009-07-11 (6) 19:10:08 +0900
「お」と「ほ」は間投詞。 「ô, hirotta, Hattori, hô」(おう、拾った、服部、ほう) のほうが自然か。(タイトル行は文字数の関係もあって、そちらを選んだ。)
2009-07-11 (6) 01:05:29 +0900
これはまともだな。
2009-07-11 (6) 01:01:24 +0900
「なせ」は、万葉集・日本書紀の時代の、親愛の情をもって男性を呼ぶ語。
2009-07-11 (6) 00:59:32 +0900
「ひきたてんこう」→「うたてきんこひ」。
2009-07-11 (6) 00:48:57 +0900
「ひきたてんこう」→「ひこうきたてん」。 「たてん」がそのままなのがいまいち。 でも少し前のよりはましか。
2009-07-11 (6) 00:45:42 +0900
「もしかして:引田天功」は出ない。
二重引用符をはずすと約 64800 件。「もしかして:引田天功」が出るし、 オフィシャルサイトもひっかかる。 キャッシュのほうを見ると、 「このページへのリンクにだけ含まれているキーワード」 にはいっているのだ。
2009-07-10 (5) 23:58:58 +0900
引田天功のオフィシャルサイト 「引田天功のイリュージョンワールド」にこう書いてある。
ファンクラブの皆様だけに まだ公開できないお知らせ
「ファンクラブの皆様だけにはまだ公開できないお知らせ」なのか、 「まだ公開できないお知らせをファンクラブの皆様だけに」なのか、迷う。 これがイリュージョンというものか。 その下にユーザー名とパスワードを要求するリンクボタンがある。
2009-07-10 (5) 23:53:07 +0900
黄門様よりえらい人 --- 将軍とか --- が誘っているところ。
2009-07-10 (5) 23:45:33 +0900
かなで書けば「ひきたてんこう」→「ひきたてうんこ」。 後ろ三文字が巡回的にいれかわっているだけ。
2009-07-10 (5) 23:34:39 +0900
2009-07-10 (5) 02:04:37 +0900
3月21日土曜日づけ大阪本社版 be の b7 面、be between は 「男女共学化の流れをどう思いますか?」。 「もう一度通うなら共学」という見出しもある。
そこの「私もひとこと」に
《好きな子がいて勉強をがんばった(神奈川、50歳男性
》、
《好きな子がいて勉強に集中できなかった(千葉、69歳男性
》
とあるが、好きな子が男性だったのか女性だったのかがわからなければ、
ここでは意味がないではないか? 書かなくても異性に決まっている、
と決めつけているのでは?
2009-07-10 (5) 01:54:09 +0900
4月7日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「新常用漢字表をよむ」 は聖徳大学教授の林史典氏。
印刷字体における1点しんにゅう・2点しんにゅうの混在にかかわらず、 手書きの楷書(かいしょ)字体に関しては、 これまでどおり1点しんにゅうであることを、 学校教育を含めて広く確認しておくことも必要である。
印刷字体と手書き字体が異なる、ということだ。 字数の少ないアルファベットならいざ知らず、 漢字でそれがあるとなると、覚えきれるだろうか? 小学生に、 「教科書をよく見て、そのとおりに書きなさい」 と教えてはいけないことになるのだ。
2009-07-10 (5) 01:46:56 +0900
4月7日火曜日づけ大阪本社版「検証 昭和報道」の「最後の日」の6回目。
病状などを詳細に報じたのに比べ、 国外では大きな論点の昭和天皇の戦争責任に触れる報道は少なかった。
当時のことを知っていれば、 「国外では昭和天皇の戦争責任は大きな論点だった」、 「(国内では)昭和天皇の戦争責任に触れる報道は少なかった」 の意味なのだとわかるが、 何も知らないと、 「国外では『大きな論点の昭和天皇の戦争責任に触れる報道は少なかった』」 とも読めてしまう。
付) タイトル行では次数の関係で一部を省略して引用した。 でも、肝心な部分は伝わると思う。
付) 自分でもあまり賛成しない私案では、 「国外では が大きな論点(であるところ) の昭和天皇の戦争責任に触れる報道は少なかった」、 「国外ではどれが大きな論点(であるところ) の昭和天皇の戦争責任に触れる報道は少なかった」 とする。
2009-07-10 (5) 01:30:34 +0900
4月6日月曜日づけ大阪本社版「ひと」は、
『癒やしのアザラシ型ロボット「パロ」の生みの親
』、柴田崇徳さん。
「道具」ではなくペットのように人の心に働きかけるロボットを、 という思いからパロは生まれた。 動物とのふれあいは心身を癒やす効果があるとされる。 でも、病院や介護施設では衛生面などから本物の動物と一緒、 とはなかなかいかない。
ここの「一緒」は、患者などが「本物の動物と一緒」にいることはむずかしい、 の意味であり、本来の用法である。 ただ、最近の、「同じ」の意味で「一緒」を使う用法を見慣れているので、 このロボットはよくできているが「本物の動物と同じ、とはなかなかいかない」 の意味かと、一瞬、思ってしまった。
《文・増田愛子
》と署名あり。
2009-07-10 (5) 01:19:19 +0900
本文ナシ
2009-07-09 (4) 20:26:48 +0900
本文ナシ
2009-07-09 (4) 20:25:39 +0900
缶には「ノンアルコール」「ALCOHOL FREE」とも書いてある。
《この製品は20歳以上の方の飲用を想定して開発しました
》
とも書いてあった。
あくまでもノンアルコールビールという設定だろうから、
20歳未満の人が飲んでよいものかどうかは、微妙な気がする。
原材料を見ると、いろいろはいっていて、 なんとかしてビールの味を出そうと努力しているようだ。 そう思ったせいか、味はまあまあであった。
ビールに似せることはやめて、 別のものを目指したほうがすっきりした味のものができるかもしれない。
2009-07-09 (4) 20:19:51 +0900
野球中継でよく聞かれる「中押し(なかおし)」は、 試合の中盤で、リードしている側がさらに得点することを言う。 「駄目押し」からの類推だと思っていたが、 囲碁に「中押し(ちゅうおし)」という用語があり、 それの誤読・誤解である、と聞いたことがある。 本当だろうか?
2009-07-09 (4) 20:14:46 +0900
2009-07-09 (4) 02:58:00 +0900
4月4日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b10 面、 be between は「タイムマシンで過去、未来どちらに行く?」。 解答例を見ると、 過去については具体的な事件をあげてその時に行きたいというのが多いが、 未来については何年後とするものが多い。 まあ、当然か。
私は、時間は本当に実数で表せるのかどうか、疑問に思うときがある。 超実数体と対応するかもしれないからである。
2009-07-09 (4) 02:43:51 +0900
4月4日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b9 面、 「やっぱりフジマキに聞け」の兄・藤巻健史氏のほう。
「昔、ミス成蹊大、いま整形ミス」 を自称するテニス仲間のクゼ幸子(ゆきこ)夫人は、 名前のつづりを問われると「昔は幸子の幸は幸福の幸ですと言っていたけど、 今は不幸の幸ですと説明している」そうだ。
『「ゆきこ」の「ゆき」は「フコー」の「コー」』と聞こえるわけだから、 「フコー」を「不行」と誤解され、 「行子」と思われるおそれがあるのではあるまいか。
2009-07-09 (4) 02:31:57 +0900
4月4日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b9 面、 「勝間和代の人生を変えるコトバ」は「Giveの5乗でいこう」。
5乗というのはそれを5つかけ合わせるという意味だが、 乗法をどう定義するかによって結果は変わってくる。 そう思って本文を読んでみた。
この言葉は同僚から聞きました。 よく「世の中はGive&Take。他人に対していいことをすると、 最後は自分に返ってくる」と言われますが、 それを突き詰めて 「自分の得意技を見返りを求めずにGiveしまくる。 すなわち、 Give&Give&Give&Give&Giveくらいの気持ちで徹底的に利他を追及した方がもっとうまくいく」 という発想です。
& は冪等演算子で、1 を真、0 を偽とするとき 1 & 1 は 1 だし、0 & 0 は 0 である。 つまり、同じものをいくつ & でつなげても何も変わらない。 (Give は命令文なので真偽を考えるのはナンセンスかもしれないが、 「私は与える」という命題と考えれば、 一度与えればこの命題は真となり、& で五つつないでも真である。)
筆者が本当に言いたいことは、五回与えよということで、 それは「五乗」ではなく「五倍」なのではあるまいか。
英語で言うなら「Give five times.」だろうか。 あまり自信がないけど。
2009-07-09 (4) 02:19:32 +0900
落ち着いて考えてみたのだが、 なぜ、and を乗法とみなしたのだろう? 普通に eight and five are ... と言えば加法だ。 確かに、論理演算子と思えば積に対応するが……。
2009-07-09 (4) 20:10:09 +0900
4月4日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Satuday の e6 面、 「Do 科学」は「春になると、なぜ眠くなるの」。 読んでみたが、どうも、 まっ暗な部屋で眠り定時に起きる人には説明が当てはまらない。 そういう人にはこの現象は起きないのだろうか?
2009-07-09 (4) 02:14:30 +0900
4月1日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版「検証 昭和報道」の「最後の日」の2回目。
「天皇陛下 崩御」
1989年1月7日の朝日新聞夕刊1面の特大見出しだ。 毎日や読売も同様だった。
毎日新聞だけは、「崩御」にカギカッコをつけて “そう発表された”という意味にすることで社としては 「崩御」を使わない方針を通した、と読んだ記憶があるのだが、 記憶違いかも。
2009-07-09 (4) 02:05:05 +0900
本文ナシ
2009-07-09 (4) 01:55:26 +0900
須坂 Susaka は姓。
2009-07-09 (4) 01:53:28 +0900
「しょざ」と発音する語はありそうだと思っていたが、 いま広辞苑第四版をひいて「初座」を見つけた。 茶会の用語だそうである。
2009-07-08 (3) 21:59:59 +0900
本文ナシ
2009-07-08 (3) 21:24:08 +0900
舌切り雀の話を思い出し、怖いと思いつつも重い箱を選んだ、というような状況。
2009-07-08 (3) 21:18:59 +0900
字面から推測するとそう思い込みそうだが。
2009-07-08 (3) 21:18:16 +0900
須坂 Suzaka は姓。
2009-07-08 (3) 21:16:59 +0900
須坂は姓。
2009-07-08 (3) 21:16:18 +0900
プログレッシブ和英中辞典第2版を見たところ、 状況に応じていろいろに訳すことがわかった。 国語辞典を見ても、いろいろな意味があることがわかる。 一つの訳語がぱっと思い浮かばなくても、当然だったわけだ。
2009-07-08 (3) 21:07:06 +0900
耳が全く聞こえない人は、音というものをいっさい知らずに、 書きことばとしての言語を習得する。 それと同じ --- とは言えないまでも似た体験をほかの人もしてみたら、 というのである。
2009-07-08 (3) 20:54:08 +0900
「おまえ、そんなに油断していて捕まえられたらどうする!?」 と言いたくなるぐらい、人になれている。
2009-07-08 (3) 20:50:38 +0900
アンドロメダ星雲 --- これは Wikipedia によれば昔の呼び名らしい --- が有名なためか、宇宙にのみ関連づけて考えてしまいがちだが、 そもそもはギリシア神話に登場する女性の名である。
2009-07-08 (3) 20:45:35 +0900
少し前の項目を書いていて。
2009-07-08 (3) 20:44:28 +0900
「〆田」と書いて「しめだ」と読む。姓。
2009-07-08 (3) 20:35:27 +0900
旧暦はいまの日本国では正式には制定していないので、 「二十四節気の一つである『処暑』の直前の朔を含む日から七日目」 とでも定義する。
旧暦の理解が深まると書いたのは、 旧暦がよいものであったと思われるように、ではない。 年によって季節とこんなにずれるものなのだ、 ということを理解してもらうためである。
2009-07-08 (3) 20:30:20 +0900
Wikipedia で知ったのだが、 国立天文台のあるページ --- 「国立天文台 七夕」で検索されたい --- に次のように書いてある。
二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間) を含む日かそれよりも前で、 処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が 「伝統的七夕」の日です。
私が上に書いた「処暑」は、天文学的な意味での処暑を含む日、 のつもりであった。 その意味でも使うと思うが、しっかり区別して書くべきであった。 処暑の瞬間よりも朔の瞬間のほうがあとであっても、 それが日本標準時で同じ日に含まれれば、 その日が旧暦の七月一日である。
2009-07-11 (6) 00:24:46 +0900
広辞苑第四版を見ても、「説明書」は載っていない。 「説明」と「書」から類推すると、説明する書籍はみな「説明書」になりそうだが、 大学一年生が使う線型代数の教科書を線型代数の「説明書」とは言わないわな。
2009-07-08 (3) 20:11:54 +0900
確か六月28日の日曜日、ここ金沢市の中心部、兼六園のとなりにある、 金沢神社に掲げられていた歌である。 どの天皇の作かは、みこさんに尋ねてみたが、宮司がいないのでわからない、 との答えであった。
この歌には、“自分は人であって神ではない”という、 正しい神観が述べられているように思う。
ついでに書き添えておくと、「神」は新字体で書かれていた。
2009-07-08 (3) 19:30:21 +0900
本文ナシ
2009-07-08 (3) 19:24:45 +0900
万葉がな風の女性名が増えてきているように思う。 たとえば、タイトル行に書いた「恵梨香」や「沙保里」がそうだ。 おそらく、これらの名前をつけた親(など)はまずオト「えりか」「さおり」を考え、 それから漢字をあてたのだと思う。
これらの名前の、漢字の意味から、 “三題ばなし”を作ったらおもしろいのではないかと思うのだ。 たとえば「恵梨香」の場合、漢字の意味を考えると、 「めぐみ」という和語、 「ナシ」という和語による植物・果物名、 「かおり」という和語が思い浮かぶのは当然だ。 そこで、めぐみ・ナシ・かおりが出てくる三題ばなしを考えてみるのである。 「めぐみ」と「かおり」には宗教的な意味合いもつけられるが、 「ナシ」はどうであろうか。 落語「佃祭り」の下げで言えば「戸隠さまへ納める梨ですよ」となるのだが。
2009-07-08 (3) 19:12:33 +0900
2009-07-08 (3) 03:16:24 +0900
3月31日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、「新常用漢字表をよむ」は 国語施策懇談会に関する記事。 『「しんにゅう」に関心集中』「1点と2点 なぜ統一できないの」。
会場の質問に答える形で進められた討議では、 京都大教授の阿辻哲次さんが問題の背景を次のように説明した。
「しんにゅうは十字路の交差点に人間の足跡が並んでいる形で、 道を進むという意味がある。 中国では昔から1点も2点もありだったが、 清の『康煕(こうき)字典』で2点が採用され、 それを規範とした日本も戦前は2点だった。 ところが、戦後、当用漢字の字体を決めた時に簡略な1点を採用してしまった。 ここに今回の問題の根源がある」
私はこれは違うと思う。 1点を採用しても、混乱を避ける方法はあった。 その時点で「当用漢字以外はいっさい使わない」と決めるか、 「当用漢字以外も、しんにゅうはすべて1点に変える」と決めていれば、 それで済んだことだ。 前者を採用していた場合、2点のしんにゅうは専門家以外の目には触れないから、 新しく常用漢字に入れるときに1点に字体を変えても混乱は起こらない。 後者を採用していた場合は、いうまでもないだろう。
《阿辻さんはよく使われる熟語でさえ部首が統一されていない例として
「飢饉(ききん)」を挙げた
》とあるので、その例で考えよう。
当用漢字の採用後、「飢きん」あるいは「飢キン」などと書く習慣になっていれば、
ほとんどの人は「饉」の字を見ないから、
今回もしもこの文字を常用漢字に入れるとして、
へんを「食」に変えた字体で入れても混乱は起こらない。
あるいは、
当用漢字の採用時点で「饉」の字は表外だが当用漢字にはいった漢字にならって
へんを「食」に変える、としていれば、それでも問題はなかった。
付) もちろん、上に書いた二つだけが解決策ではない。 「当用漢字にはいったものは1点、それ以外は2点で、 そのままずっと使い続ける」と決めていたら --- って現実はそうなったんだけど ---、 それはそれで困らない。 当用漢字にはいっていた文字は1点、それ以外は2点。 あれだけ多数の漢字を覚える労力に比べたら、 一つ一つのしんにゅうのついた漢字について、 それぞれ1点か2点か覚えるぐらい、大したことはない。
付)
阿辻氏の《ここに今回の問題の根源がある
》を、
別のたとえで考えてみよう。
あるところに、へいで囲まれた家があったとする。
その家の玄関は北向きで、門も北側についていた。
あるとき、その家を建て直し、南を玄関にした。
しかし、門はそのままにしておいた。
当然、家の出入りに不自由する。
これを、「家を建て直したことに問題の根源がある」と言えば、
明らかにおかしい。
問題の根源は家の玄関の位置を変えたのに門のそれは変えなかったことにある。
それと同じである。
2009-07-08 (3) 02:17:10 +0900
付)《編集委員・白石明彦
》と署名あり。
付)しんにゅうの起源はこの際どうでもいいわけで、 阿辻氏はほかのことを言ったほうが、 記者はほかのことを書いたほうが、よかったように思う。
付)当用漢字制定時にはそれ以外の漢字にまで手が回らなかったかもしれないが、 その後、新聞社も出版社も、また国も、この問題について考えることなくやってきた、 というのが問題だろう。 朝日新聞は独自の“朝日文字”を作った。 自社だけで使うのではなく、広く議論を巻き起こせばよかったと思う。
付) 常用漢字になる際に加わった漢字についてはこの問題はなかったっけ?
2009-07-09 (4) 01:58:42 +0900
7日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版のまん中の面の、 「地球温暖化対策推進本部」の全面広告。 小学校低学年ぐらいの女の子が、大人の女性が着るようなスーツを着て、 大人の女性がもつようなバッグを肩からかけた写真が、大きく出ている。 ふつう、このくらいの年齢の子は、この時期、もっと薄着をする。 ノースリーブのシャツに短パンとかである。 それなのに、上着を着て、長ズボン。 どうしてこれが「クールビズ」を訴える広告になるのだろう?
私は、 エアコンが効いて寒いから、からだを冷やさないよう、 小さいころから厚着をしましょう、という広告かと思ったほどだ。
2009-07-08 (3) 02:09:57 +0900
4月2日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「記者の視点」
は西部報道センターの高原敦氏。
《全国の病院や特別養護老人ホームなどで、
計208人のインドネシア人が働き始めた
》という話。
日本語も学んだあと着任するのだが、
決められた期間に日本の国家試験に合格しないと帰国させられるという。
《重くのしかかるのが言葉の壁、とりわけ漢字だ。
「褥瘡(じょくそう)」「仙骨(せんこつ)部」といった、
日本人でも難しい専門用語と格闘せねばならない
》。
日本人と日本語で会話ができないと困るだろうが、 みてもらう日本人が「褥瘡(じょくそう)」「仙骨(せんこつ)部」 といったことばを使うとは思えない。 これらの専門用語は日本人看護師などとのコミュニケーションに使うのだろう。 日本人看護師は当然、英語が使えるはずだ。 専門用語は英語で済ませればいいのではあるまいか?
僕ら数学教師が「M を manifold とし、そのうえの vector field が」 などと言って議論するのと同じである。
2009-07-08 (3) 01:53:02 +0900
冬至から数えて105日目》って本当か
4月3日金曜日づけ大阪本社版国際面
「ニュースの単語帳」に、
《■清明節 (Qingmingjie)=清明 二十四節気の一つ。
冬至から数えて105日目
》とある。
1999 年の理科年表で時・分まで見ると、
必ず*日後になるとは思えない。
清明節は実は二十四節気の清明とは別なのか、
あるいはここ数十年は 105 日目になっている、ということか。
記事の終わり近くに「北京」とあるので、中国の話で、 おそらくこの語はシナ語だろう、とわかる。
2009-07-08 (3) 01:46:25 +0900
《今年は4月4日
》とあったのに、
朝日新聞では4月5日づけの第一面、
題字の隣に大きく書かれた日付の下に「清明」とあった。
一瞬、二十四節気の定義が違うのかと思ったが、
もしやと思い、
国立天文台のサイトで調べたところ、
日本標準時で4月5日の0時34分とあった。
中国の標準時では4月4日の23時34分だから、
合っているのだ。
二十四節気の日付が日本と中国とで異なった例である。
2009-07-09 (4) 02:50:49 +0900
変身したときはその身長、その体重だと言っているだけで、 変身するとは一言もいっていない。 ウソはついていないぞ。
2009-07-07 (2) 22:38:56 +0900
スター・ウォーズ旧三部作でも見せていたが、 新三部作「エピソード III」の終盤、 パドメの首をしめる際にも、義手である右手で宙をつかむしぐさをする。 なぜ? 生身の手なら意味があるかも知れないが、 義手を動かす意味はあるのだろうか?
私の解釈はこうだ。 フォースを使って首をしめる際、もし右手が生身の腕だったら、 その手で首をしめるような動作をするのが最も都合がよい。 それは、その動作に意味があるのではなく、 脳が「しめよう」と考えることに意味がある。 そう考えることで、フォースに最大の力を発揮させることができるからである。 一方、 あの世界の義手は非常に精巧にできているので、 脳で考えればそのとおりに動く。 よって、義手があのように動くのである。 まとめれば、 義手でつかむしぐさをするのは、フォースに力を発揮させるためではなく、 脳がフォースに力を発揮させた、その副作用である。
2009-07-07 (2) 19:52:09 +0900
22日の日食にはそれなりの関心を持っている。 調べたところ、何かを通して見るにしても、太陽を見るのは危険そうだ。 そのことを、親戚や知人に知らせようと思うのだが、 「知り合いの人にもこのメールを転送してください」 などと書くとチェーンメールになってまずいよな。
「日食 観測 東京天文台」で Google を検索するのがおすすめ。
付) 専用のめがねのようなものを売っているのを見たが、 万が一割れて肉眼で太陽を見てしまったら、失明の心配がある。 その危険を冒してまで見たいとは思わない。 私は、木もれ日が欠けた太陽の形になる、というのを見てみようと思う。 これなら安心だから。 それにはその前から、木もれ日の形を調べておく必要がありそうだ。
2009-07-06 (1) 20:05:04 +0900
本文ナシ
2009-07-06 (1) 19:52:06 +0900
2009-07-06 (1) 02:07:22 +0900
3月28日土曜日づけ大阪本社版の中のテレビ面、
ライターの島崎今日子氏による「キュー」。
《ホームページ(HP)によれば
》とあるが、
「HP」はあと一度しか出てこない。
段落末の空きスペースを考えると、
二度目を「ホームページ」と書いてもはみ出さない。
むしろ、一度目に「(HP)」をつけたことで、
その段落が一行短くなることを防いだようにも見える。
禁則処理があるから、すぐにはわからないが、
その段落の最後の行は《のなのか。
》である。
2009-07-06 (1) 02:01:25 +0900
3月28日土曜日づけ大阪本社版文化面、「惜別」。
素粒子物理学者だった西島和彦先生の記事中に
《だが指導教官の小平邦彦さんは渡米、とり残された
》
とあっさり書いている。
小平邦彦先生は数学者であり、フィールズ賞をとった人だ、
ということが、読者にわかるだろうか?
その直前の文章には
《東京大物理学科を卒業後、最も難解とされる素粒子理論を専攻する
》
とある。小平邦彦先生のもとで素粒子理論を学んだということ?
2009-07-06 (1) 01:55:29 +0900
3月28日土曜日づけ大阪本社版文化面、
「単眼複眼」は「世界で進む厳罰化 シンポ報告」「背景に格差・二大政党?」。
《国内総生産(GDP)
に占める福祉支出の割合や一人当たりの福祉給付額と拘禁率は反比例した
》
と書かれているが、
これだと「国内総生産(GDP)に占める福祉支出の割合」
と「一人当たりの福祉給付額」は正比例することになってしまう。
そういうことは考えにくい。
負の相関があることを「反比例」と書いているのではあるまいか。
《阿久沢悦子
》と署名あり。
2009-07-06 (1) 01:49:59 +0900
3月28日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面 「16年五輪 わが街自慢 / 4都市アピール合戦」。
「夏冬合わせて7回も五輪に出ているんです」。 東京招致委の河野一郎事務総長は、 橋本聖子・外務副大臣(44)の紹介でそう強調した。 副大臣は「64年東京五輪の年に生まれ、 『聖火』にちなんで聖子と名付けられました」。
日本では「聖火」というが、 英語では the Olympic Flame または the Olympic Torch である。 the sacred fire と言えばあれとは別の、聖なる火、という意味になる。 フランス語では torche olympique または flamme olympique であり、 feu(x) sacré と言えば聖なる火。
何語で話したのかわからないが、 通訳を置いたのだとすると、通訳は一苦労あったかもしれない。
昔、日本人が米国人に向かって「おたくは『米国』、うちは米(が主食)の国、 なかよくしましょう」と言って通訳が困ったという話を思い出した。
2009-07-06 (1) 01:36:26 +0900
3月28日土曜日づけ大阪本社版国際面「世界のジョーシキ」は
《「はい」なら首を横に…!?
》。
短いので、ほぼ全文を引用する。
《〈ブルガリア〉首都ソフィアの歯科医院。
「アレルギーはある?」。
英国人が診療台でうなずいた。
歯科医師は麻酔を注射し、患者は呼吸困難に。
「はい」は首を縦に振り、「いいえ」は横に、が
「世界のジョーシキ」と思ったら、
ブルガリアではまったく逆
》。
《いまは西欧の影響で「はい」でうなずく人も増えた。
誤解や混乱は続きそうだ
》。
何語で会話していたのかが書かれていない。 ブルガリア語でならブルガリア式に、 英語でならイギリス式に、首を振ることになるのではあるまいか。
《関本誠
》と署名あり。
付) 似た問題は、否定疑問文に首を振って答える場合、 英語と日本語の間でも発生する。
付)いま、ブルガリア語でなければ英語だろうと思ったのは、 英国人とあったのと、英語が事実上の国際語になっているからであって、 ほかの言語で話していた可能性を否定するものではない。
付)《「アレルギーはある?」
》の次に句点がくるのは、
朝日新聞のやり方と異なるような気がするが。
2009-07-06 (1) 01:26:05 +0900
3月30日月曜日づけ大阪本社版社会面 「がんの生徒受験 拒否」『長崎日大高「私学の独自性」』。
生徒は結局、別の私立と公立の2校を受験し、いずれも合格した。 両校とも試験の際は生徒の要望を受けて別室を用意した。 私立高は「病気は本人の責任ではない。 最大限できることはやろうと思い、対応した」としている。
《貞国聖子
》と署名あり。
2009-07-06 (1) 01:20:05 +0900
文系向けの講義の準備のため、 高校の「数学II」の教科書を何種類か見ていた。 いまは、「数学II」の微分では 1, x, x2, x3 の一次結合しか扱わないことになっている。 よって、枠囲みの公式としては次のように書くのが一例である。
n = 1, 2, 3 のとき (xn)' = n xn-1
しかし、次のように書いている教科書があった。
n = 1, 2, 3 のとき
(xn)' = n xn-1
こうすることで、ぱっと見たとき n に制限がないように見せるのが著者たちのねらいだったのではあるまいか。 私はうまいと思った。
2009-07-05 (0) 23:37:13 +0900
きょう、もう一度よく見たら、五冊のうち四冊までがそうなっていた。 そっちのほうが主流ということか。
2009-07-06 (1) 20:00:12 +0900
渋谷―表参道―外苑前―青山一丁目は銀座線と半蔵門線が並んで走っているが、 半蔵門線には外苑前駅はない。 通ってはいるが通過しているという扱いだと、 たとえば九段下から外苑前に行くとき、 青山一丁目で乗り換えなければならない。 通っていないという扱いだと、表参道まで行って戻ることが可能となる。
2009-07-05 (0) 00:31:36 +0900
副都心線になる前の「新線」と呼ばれていた時代の小竹向原―池袋と、 有楽町線の千川駅、要町駅についても、同じ疑問が生じる。 小竹向原から池袋まで並んで走り、池袋の近くで少々離れる。 新線にも千川駅、要町駅はできていたが、それらの駅は使われておらず、 当然、通過していた。この場合、常識で考えて 「新線は千川駅、要町駅を通っている」となると思う。
2009-08-01 (6) 00:56:17 +0900
くわしい方から、銀座線の渋谷―赤坂見附と、 半蔵門線の渋谷―永田町は同一路線の扱いなので、これはできない、 とメールで教えていただきました。 東京メトロに問い合わせたと言っておられました。 半蔵門線経由の定期券でも外苑前で途中下車できる、 というのは読んだことがあるので、それとも合って、納得です。
2009-08-09 (0) 00:44:49 +0900
一方で、だったら東京メトロはもっとはっきりアピールすればいいのに、とも思う。 駅に貼ってある、模造紙一枚ぐらいの大きさの運賃説明の紙には、 千代田線の北千住―綾瀬の運賃の計算法は書いてあったが、 この件については何も書いてなかったように思う。
路線図を工夫し、半蔵門線は外苑前を通っているが停まらない、 という表現にできないだろうか。あるいは、 半蔵門線は表参道の次が青山一丁目であるわけだが、 ここで駅番号を一つ飛ばす。(これには別の誤解を産むという弊害もあろうが。)
東京メトロは、現実的に考えているのだろうか。 表参道も青山一丁目も改札を通らずに乗り換えができるから、 戻ってきた乗客がいても運賃でトラブルになることはない。 よって、細かいことは書かずにおこう、と考えているのではあるまいか。
なお、 《東京メトロで霞ケ関から虎ノ門まで行くのに赤坂見附で乗り換えてもよい?》 の付を参照。 溜池山王―赤坂見附と国会議事堂前―赤坂見附は、 溜池山王と国会議事堂とが乗り換え駅だが、同一区間ではないという扱いなのだ。
2009-08-09 (0) 00:47:09 +0900
3月28日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e3 面、 「食べテツの女」または「食ベテツの女」。
(食ベテツ評論家・荷宮和子) ◇この欄は今回で終わります が、5月と10月に「食べテツの女 スペシャル」をお届けします。
編集部でつけたと思われる肩書き「食ベテツ評論家」の「ベ」はカタカナ、 同じく編集部が書いたと思われる「食べテツの女スペシャル」の「べ」はひらがな。
2009-07-05 (0) 00:19:29 +0900
4月18日土曜日づけ be on Saturday の b2 面では
《食べテツ評論家・ライターの荷宮和子さんは
》と、ひらがなにしている。
《冨田悦央
》と署名あり。
2009-07-21 (2) 01:10:49 +0900
どうして「シュウ」と読んだり「キュウ」と読んだりするんだろう、 と不思議に思っていた。
2009-07-04 (6) 21:04:38 +0900
栄太は人名。 いまの普通のローマ字では Eita と書かれるだろうが、 発音どおり Êta のように書く流儀もありえる。 そして、長音は母音字を重ねて書く流儀もありえるので、 Eeta というつづりもありえるのである。
2009-07-04 (6) 21:02:24 +0900
「石和温泉」の石和は市ではないようだ。
2009-07-04 (6) 20:58:29 +0900
Monday, Tuesday などの -day に「何?」の what をつけて whatday としたりしない。
2009-07-04 (6) 20:56:42 +0900
変格としたのは、普通 kayôbi とするところを kayoobi としたため。
長音を、母音字を重ねて示すやり方も考えられるが。
2009-07-04 (6) 20:54:44 +0900
それだけ。
2009-07-04 (6) 20:54:02 +0900
静は女性名。
2009-07-04 (6) 20:52:49 +0900
本文ナシ
2009-07-04 (6) 20:51:12 +0900
伊丹は姓。
混交ローマ字と書いたのは、jô で「ジョー」と、 ji で「ジ」と読ませるのはヘボン式、 ti を「チ」と読ませるのは日本式・訓令式だからである。
2009-07-04 (6) 20:48:22 +0900
今週のNHK「ラジオ英会話」に出てきた文章。 スキットの中では「アラビア語(の単語)を何か教えてください」の意味だった。 しかし、「アラビア語で何かを教えてください」の意味にもなるよな。
2009-07-04 (6) 20:46:17 +0900
#2 のころは呪文が効かないだけで、 AC は 10 だった。
2009-07-04 (6) 19:25:41 +0900
MS-DOS の時代は、プロンプトが出て止まればブート完了だった。 Windows になってから、ブートが完了したのかどうかわからず、困ることがある。 「さあ、どうぞ」ってウィンドウが出て止まるようにしておけばいいのか!?
2009-07-04 (6) 19:21:57 +0900
本文ナシ
2009-07-04 (6) 19:21:25 +0900
前項で述べた原則に従えば、そうなるほうが合理的な気もする。 「キャ」は特殊音ではないが。
2009-07-04 (6) 19:18:46 +0900
たとえば 「ツァ」は「ツ」([tsu]) の子音 [ts] に「ア」([a]) で [tsa] になり、 「デュ」は「デ」([de]) の子音 [d] に「ユ」( [ju]) で [dju] になる。
前から考えていたが、単独では書いていなかったようなので。
注)「ヵ」「ヶ」「ッ」はこの目的では使われない。
2009-07-04 (6) 19:10:00 +0900
本文ナシ
2009-07-04 (6) 19:07:41 +0900
SOYJOY は商品名。 (宣伝するつもりで書いているのではありません。)
論理演算子に関連する実習のプリントを作っていて。
2009-07-04 (6) 19:04:41 +0900
INT_MAX と INT_MIN, それに UINT_MAX は定義されているが。
2009-07-04 (6) 18:59:29 +0900
2009-07-01 (3) 02:47:10 +0900
本文ナシ
2009-07-01 (3) 02:45:53 +0900
3月23日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版「あしたを考える」は
「応用倫理学者加藤尚武さんに聞く」と題して「公共の場の禁煙 進まぬ関西」。
非常にもっともな意見だと思って読んだが、ただ一箇所。
《かつてはたばこは「迷惑」として扱われていました。
「臭いからやめてほしい」「あなたの香水だって臭い」という議論ですね
》。
確かにこういう議論を読んだことがあるが、
たばこは煙を出すのに対し、香水は煙を出さない。
その煙が問題だったのだ。
自説を述べる際、 反対者の意見としてわざと馬鹿馬鹿しいものを取り上げる論者がいるが、 ほかの部分を読むと、この人はそうではない。 そうではないだけに、どうしてこんな議論を持ち出したのだろう、 と不思議に思う。
2009-07-01 (3) 00:41:40 +0900
3月23日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面下の岩波書店の
「ゲド戦記」の広告。《待望の少年文庫化
》とあるが、
全6巻で 4830 円とやや高い。
岩波文庫に入れたら、もっと安くなるのではなかろうか。
岩波文庫は、 私が中学生のころは帯の色でジャンルが分けられていた。 緑が現代日本文学、赤が外国文学で、これらから読み始め、 黄の日本古典、青の哲学・自然科学など、白の社会科学などを、 早く大きくなって読めるようになりたいと思ったものだった。 いまも色の区別はあるようだが、新しい色は加わっていないと思う。 「少年向け」というような分類で、新しい色を決め、 少し大きめの文字で岩波文庫に入れたら、 少年たちにとってはよい“文庫入門”となろうし、 大人も文庫本サイズだからと買いやすいような気がする。
2009-07-01 (3) 00:27:24 +0900
元歌は第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の
《行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある
》。
最近は、捨ててはいけない。リサイクルだ。
2009-06-30 (2) 21:47:35 +0900
流水で洗う、できれば石けんも使う、という意味だろうが、 文字どおりとれば「できれば石けんで手を洗う」という意味になってしまう。 ふつう、石けんだけでは手は洗えない。
2009-06-30 (2) 21:46:04 +0900
通商連合の宇宙ステーションを攻撃する際、 R2-D2 の意思をディスプレイ上の文字で読み取っているから。
2009-06-30 (2) 20:11:40 +0900
……とか、そういう話は聞かないな。
2009-06-30 (2) 20:10:46 +0900
たったいまやっていたニュース。 単に被爆者といえば米国が広島と長崎で使用した原子爆弾による被爆者を指すだろう。 だから、おそらく広島か長崎で被爆した人で、 現在は韓国籍の人のことだろうとすぐに理解したが、 みんなそれでわかるだろうか。
そのほかに、原子爆弾の実験などで被爆した人がいることも忘れてはならないが。
2009-06-29 (1) 21:04:43 +0900
2009-06-29 (1) 02:27:04 +0900
原材料名は「麦芽・ホップ」。
330ml で税別 100 円とは安い。
ただし、0.03% ほどアルコールが残っているそうだ。
《ごく微量ではありますがアルコール分が含まれておりますことご留意願います
》
と缶に印刷してある。「〜こと『を』ご留意〜」でないのがちょっと変わっている。
2009-06-29 (1) 02:20:20 +0900
24日水曜日づけ大阪本社版社会面「悲劇の沖縄戦 首相誤認発言」。
麻生首相が、太田実少将を「大将」をつけて呼んだこと、
「鉄の暴風」を「鉄の嵐」と言ったことを、
《そのわりには発言に事実誤認もあった
》としているが、
例の、漢字の読み間違いとは考えられないだろうか。
私は、幼稚園のとき、 紙しばいの題名の「山賊」「海賊」「盗賊」のどれかをどれかと間違えて読んで、 先生や友たちに笑われたことを記憶している。 「賊」の字が読めたとは思えないので、 そこはひらがなで書いてあったのかもしれない。 自分の読んだ本でこれらのどれかを知っていて、 紙しばいの題名もそれだと勝手に思ったのであろう。 「大将」「中将」「少将」のうちで、もっとも多く聞かれるのは 「大将」であろう。男性への親しみを込めた呼びかけにも用いられるからである。 首相はこの三つのうち「大将」しか知らなかったため、 「少将」とあった資料を見て「これは『たいしょう』と読むのだ」 と思い込んだ、とも考えられるのではないか。
「鉄の嵐」のほうは、 「暴風」を「あらし」と読むと誤解していたと考えれば説明がつく。
2009-06-29 (1) 02:08:50 +0900
この「誰に」は英語などの関係代名詞の直訳である。 関係代名詞と疑問代名詞が異なる言語もあるそうだが、 ここでは西洋語にならってこうしておく。
ほかの例。「これはきのう彼がどれを買った本です」。
《AがBにCを紹介したいと思っているとき、「紹介したい人」とは誰のこと?》 に書いた例なら、 「誰が紹介したい人」「誰を紹介したい人」「誰に紹介したい人」となる。
日本語と西洋語とでは語順などが違うから、これが疑問代名詞とまぎれないか、 との検討は必要になる。
2009-06-29 (1) 01:31:22 +0900
もしも、 「これは、私がきのう に会った少年です」という言い方・書き方が許されれば、 「会った」と「少年」とが「に会った」の意味でつながる、ということがわかる。 「ところの」を入れて 「これは、私がきのう に会ったところの少年です」としてもよい。
ほかの例。「これは彼がきのう を買った本です」。
《AがBにCを紹介したいと思っているとき、「紹介したい人」とは誰のこと?》 に書いた例なら、 「 が紹介したい人」「 を紹介したい人」「 に紹介したい人」となる。
2009-06-29 (1) 01:24:15 +0900
タイトル行の「関係代名詞文」とは、 「英語などの西洋語なら関係代名詞を用いるような文」 という意味で、ここだけのつもりで、使った。
さて、 「これは、私がきのう会った少年です」は 「これは少年です」と「私がきのう会った」の組み合わせである。
英語で関係代名詞を省略せずに言えば 「This is the boy whom I met yesterday.」となり、 whom I met yesterday の whom から、 先行詞の the boy は副文の目的語に当たることが明らかである。
それに対し、日本語では、 「これが、私がきのう会ったところの少年です」と、 「ところの」を挿入したところで、 やはり「会った」と「少年」との関係ははっきりしない。 日本語のこのような構文では、 「先行詞は副文の動詞の何かである」ということしかわからない、 というのがいまの私の結論である。
2009-06-29 (1) 01:15:36 +0900
国島は姓。
2009-06-29 (1) 01:13:20 +0900
小学校時代、最初にそっちを覚えたからな。
2009-06-29 (1) 01:11:17 +0900
私は後者で覚えてしまい、前者の言い方を聞いて、 間違えて覚えてしまったかと思っていた。
2009-06-29 (1) 01:09:56 +0900
「江」を ye としたので、「変わりローマ字」とした。 同業者に、姓のうちのこの漢字に当たる部分を ye とつづっている人がいる。
2009-06-29 (1) 01:07:32 +0900
ここでは魚の器官の一つとしてのエラと考えたが、 「江良」「恵良」という人名もあるようである。
2009-06-29 (1) 01:05:51 +0900
二児と、それに愛人と。
2009-06-29 (1) 01:04:40 +0900
敵軍に矢を射かけ、陣形を崩すのである。
2009-06-29 (1) 01:02:23 +0900
小泉は姓。
2009-06-29 (1) 01:00:59 +0900
江本も五月女も元プロ野球の投手。
五月女豊は、私はホエールズ時代しか知らなかったが、 いま Wikipedia で調べたところによると、 1973 年にドラフト1位で阪神タイガースに入団、1975 年までいたのだった。 一方、江本孟紀が阪神にきたのは 1976 年だから、 同時に同一チームにいたことはないようである。
2009-06-29 (1) 00:43:22 +0900
使徒に棄教を迫って拷問を行なっているとして。
2009-06-29 (1) 00:37:09 +0900
漢字かなまじり文で書けば「江本落ちそう、『死と乙女』」。 江本は姓。プロ野球にこの名前の選手がいたので、 落ちるのは二軍、とでも考えてほしい。 「死と少女」はシューベルトの作品名で、全体としての意味は不明である。
「Emoto --- otome」だけですでに回文で、 その中に「otisô, Si to」がはいっている。
2009-06-29 (1) 00:33:08 +0900
意味がちょっと変だが。
2009-06-29 (1) 00:32:06 +0900
礼拝に必要なものを用意しているところ。
2009-06-29 (1) 00:30:25 +0900
痛がりつつも、その薬をもらって「ありがたい」と言った、と。 アンフォルタスがクンドリーからバルザムをもらった際、 などが想像されるか。
2009-06-29 (1) 00:28:44 +0900
いまるは人名。
2009-06-29 (1) 00:27:17 +0900
誰かがプレゼントか何かを用意しているのを、 自分へのものとカン違いした人のせりふ。
「ボーイ」は英語の boy だが、 完全に日本語にはいったと考え、bôi とする。
2009-06-29 (1) 00:23:16 +0900
前項を書くため、独和辞典をひいて知った。 発音は [e:is] と e をのばす。e または E 単独ならのばすから、 考えてみれば当然か。 すると、日本で eis をエイスと読んでドイツ式音名と呼んでいるのは、 “ドイツ語風”ぐらいか。
2009-06-29 (1) 00:20:06 +0900
Eis は氷、eis とすれば音名の嬰ホ。 いま独和辞典をひいて知ったが、 eis には嬰ホ短調、Eis には嬰ホ長調という意味もあるようだ。 nennen は名づける、の意味。 これ全体で Google を検索すると 1 件ひっかかる。
ドイツ語として正しいかどうかは自信がない。
2009-06-29 (1) 00:13:27 +0900
「制圧部隊」というのはあると思うが、 「威圧部隊」は Google で実質的には 3 件のようだ。
2009-06-29 (1) 00:07:22 +0900
本文ナシ
2009-06-29 (1) 00:05:55 +0900
イタチとレースでも行なっている、と考えてほしい。
2009-06-29 (1) 00:04:36 +0900
本文ナシ
2009-06-29 (1) 00:03:14 +0900
本文ナシ
2009-06-29 (1) 00:01:52 +0900
本文ナシ
2009-06-29 (1) 00:00:32 +0900
香林坊大和の文房具売り場で見かけた、STAEDTLER の製品である。 「12色色えんぴつ」「えんぴつ (HB)」「字消し」「鉛筆削り」に 「ナップザック」がついて税込み 1050 円。
色えんぴつは、完全にのりづけされた箱にはいっていた。 切りやすいようミシン目がはいっているところを切って開けると、 削ってない色えんぴつが見える。 おお、これは色えんぴつなのに削ってないのか?! と思ったら、 反対側が削ってあった。箱の写真とは逆向きにはいっているのだ。 色の名前はどこにも書いていない。色番号らしきものも書かれていない。
えんぴつは、STAEDTLER の普及品クラスだろう。 字消しはたぶんプラスチック製、黄色。むき出しのまま。
鉛筆削りは「色えんぴつ用」といろいろな西洋語で書いてある。 まだ試していない。
ナップザックはぺらぺらだけど、いちおう、ナップザックになっている。 それがたたんで入れられていたビニール袋には独英仏西語で、 子どもが遊ばないように、との注意書きが書いてある。
しかし、これに注意書きをつけるなら、 全体がはいっていたプラスティックの入れ物にも注意書きをつけるべきだ。 押しつぶすと
_______ (_______) 半角文字によるキャラ絵 ___ (___) 全角文字によるキャラ絵型になる筒状のものを、横から見ると
() 半角文字によるキャラ絵 () 全角文字によるキャラ絵となるようになるようふくらませて、
_____ )_____( 半角文字によるキャラ絵 ___ )_( 全角文字によるキャラ絵型になるよう、両端を折り曲げただけのパッケージ。 この四隅が、尖っていて非常に危険なのだ。 このまま買い物バッグに入れて帰ってきたが、 あとで、この隅でバッグに穴が開いていないか、気になって調べてしまった。
2009-06-28 (0) 23:25:55 +0900