すのものの「いろいろ」(その159)

病気腎移植>二人の腎臓を移植して交換することはしてないんだろうか?

Aの腎臓をBに移植し、Bの腎臓をAに移植する。 もちろん、こうすることで初めて両者の命が助かる場合もあるだろうが、 そうではなく、健康な腎臓をこうやって移植・交換して、 医者が成功例を2だけ増やしたりしていたらと恐いな、と想像してみたものである。

2006-11-09 (4) 01:57:18 +0900

「秋の日はつるべ落とし」というが昇るときはどうなんだ?

本文ナシ

2006-11-09 (4) 01:56:36 +0900

「シボレテは日本語だ」という説を唱えている人はいないか

「絞れて」だとか、「しびれて」の訛りだ、とか。

2006-11-09 (4) 01:53:06 +0900

ジェダイの復讐>皇帝はルークをレイアを呼ぶおとりに使えたのでは

電撃で殺そうとするのでなく。 そうすればレイアが暗黒面にはいったかも知れない。 その前に、アナキンに殺されずに済んだであろう。

2006-11-09 (4) 01:45:34 +0900

回文>「ナタン、モンタナ」

ナタンは人名、モンタナは地名。

2006-11-09 (4) 01:21:52 +0900

小学校で英語を教えるよりは文語文を、という主張はないのか

私は、 いまの日本の小学校で教えている程度の英語ならわざわざ小学校で教える必要はない、 と考えている。 一方、日本語の文語文を小さいときから教えよ、という主張は聞く。 ただ、そう言っている人には「読書百遍意おのずから通ず」派が多いようで、 それなりにきちんと説明して教えようという考えの人はそれほど多くないようだ。

さっき、ふと、この二つが結びついたものだから。それだけ。

2006-11-08 (3) 18:46:23 +0900

PC-VANのSIG SCIENCE 1番ボード「科学一般」は掲示板として存続している

■ 掲示板 ■ 「掲示板について」のページへ」。

2006-11-07 (2) 19:38:05 +0900

少々、字句を変更し、一部を削除した。

2006-11-09 (4) 01:50:51 +0900

「IIでは完敗だったドゥークー」ってのも意味があいまいだな

前々項で使ってしまったが、どちらが完敗だったのかあいまいだ。

2006-11-07 (2) 01:46:15 +0900

シスの復讐>ドゥークーはアナキンを暗黒面に引き入れようと戦っていた?

前項の続き。 ドゥークーはいったい、何を目的にアナキンと戦っていたのだろうか?

パルパティーン議長とドゥークーは示し合わせていたが、 議長はドゥークーにすべてを打ち明けてはいない。 議長はアナキンにドゥークーを倒すだけの力があれば (ドゥークーを倒させたあとで)弟子にしようと考えているわけだが、 ドゥークーのほうはアナキンを倒すことしか考えておらず、 もしもあぶなくなれば議長が加勢してくれるものと考えていたのであろう。

そうだとすると、 「You have hate. You have anger. But you don't use them.」 と挑発した意味がわからなくなる。 こうすることでアナキンがより強い力を発揮するようになれば、 それだけ倒すことが困難になるからである。

と考えると、やはり、 VIのベイダーがルークを暗黒面に引き入れようとしていたのと同様に、 ドゥークーはアナキンを暗黒面に引き入れようとしていたのだろうか。 議長とドゥークーはそこまで打ち合わせてあったが、 あそこで議長が裏切ってアナキンにドゥークーを殺させた、 と考えることは不可能ではない。

劇場で見たときは単純に 「VIをふまえているんだな」 としか思わなかったっけ。

2006-11-06 (1) 21:07:00 +0900

シスの復讐>ドゥークーの敗因はオビ=ワンの上にすぐに床板を落としたこと?

私は気づいておらず、ネットで読んで教えられたのだが、 IIの最後でヨーダも勝てなかったドゥークーを、 IIIの冒頭でアナキンは簡単に倒してしまうのだった。 (IIでは完敗だったドゥークーを倒した、ということはもちろん理解したが。)

では、逆にドゥークーのほうから見たらどうであろうか。 IIの対ヨーダ戦と同様に、 あぶなくなったらとにかく逃げるのがドゥークーの戦法ではないのだろうか。 そうだとすると、 気絶したオビ=ワンの上にすぐに床板をフォースで落としたのが敗因だったように思える。 そうせずにアナキンと戦い、 力が互角とわかった時点で床板をオビ=ワンの上に落とそうとし、 アナキンがそちらに気を取られている間に逃げればよい。 グリーバスがポッドで脱出したように、船から逃げてしまえばよいのである。

2006-11-06 (1) 20:54:52 +0900

きょうの補筆箇所

2006-11-06 (1) 03:10:09 +0900

except for の意味で「〜を除いて」を使うと実際の「除く」とまぎらわしい

「〜を除いて除いた」となることがあるので。 口語訳の「ヨシュア記」を読んでいて、どこかで感じたのだが、 メモしておかなかったので章節はすぐにはわからない。

2006-11-06 (1) 03:06:37 +0900

手書き風フォントっていまどのくらい進んでいるのかな

とりあえずは、英語のアルファベットだけを考えよう。 昔のタイプライターの手書き風文字というのはアルファベット一文字につき一種類の字体しか用意されていなかった。 ペン習字では、 -at- と -ot- とでは t の"助走"の始まる高さが違うはずだ。 コンピュータ上では、こういったところまでまねできるはずだが、 そのまで進んでいるかな?

2006-11-06 (1) 02:57:37 +0900

SNOOPYのカレンダーがシュルツ氏の字かと思ったら筆記体の活字だった

香林坊大和7階のサンリオ売り場で見た来年のカレンダー。 一瞬、シュルツ氏の手書き文字かと思ったら、 タイプライターの時代によく見かけた、手書き風タイプフェイスだった。

昔、シュルツ氏のあの字体を誰かタイプフェイスにしてくれないかと思ったっけ。

2006-11-06 (1) 02:54:48 +0900

香林坊大和8階の「おめざフェア」で以前サイゼでバイトしていた子を見た

女性。たぶん学生だと思うが、うちの学生かどうかはわかっていない。 向こうも気づいて、あいさつされた。

2006-11-06 (1) 02:53:14 +0900

香林坊大和8階「銀座天一」のウェイトレスさんが大きな声で客を呼んでいた

三連休最終日ということでかなり混んでおり、 ウェイトレスさんに名前を告げて近くで待ち、 名前を呼ばれたら店にはいる、というやり方をしていたので。 この「いろいろ」にも何度か書いた、知り合いのウェイトレスさんである。 以前通っていたころはお世話になったが、あんな大きな声は初めて聞いた。 鈴をころがすような声だった。

2006-11-06 (1) 02:48:50 +0900

公園内のグラウンドの回りの道路を、無意識に左回りに回っていた

日曜日の散歩コースに含めている某緑地。 つきあたりに長円形のグラウンドのようなものがあり、 その回りに散歩道がついている。 そこを一周するのだが、いつも無意識に左回りに回っていることに気がついた。

2006-11-06 (1) 02:46:04 +0900

金沢神社へ寄ったらおみくじ売り場の巫女さんがひじをついて髪を見ていた

兼六園のすぐそばにある金沢神社。 この巫女さんはアルバイトの大学生か高校生だろう。やる気なさそう。 なぜか急にその光景を歌に詠みたくなり、一分ほどで次ができた。

その後、こっちのほうがいいかなと思ったのが次。 ちょっと先で手帳にメモしたんだけど、 そのとき、第二句と第四句が入れ替わっているだけだったと気がついた。

2006-11-06 (1) 02:39:26 +0900

新明解国語辞典第五版によると、 《神・神社に奉仕し、神楽を舞ったりする未婚の女性》 は「神子」、 《神がかりの状態になって口寄せすることを職業とする女性 (以下略)》は「巫女」、 と書きわけるようである。 辞書によっては書きわけない。 このどちらなのかは、私にはわからない。 単に神社で働いてものを売っているだけ、と考えればどちらでもないわけだ。

2009-07-08 (3) 20:04:45 +0900

最近打ち込んだ着メロ

モーツァルト「クラリネット協奏曲」第三楽章から、嬰ヘ短調の中間主題の部分。 機械的に打ち込んだので、安っぽい楽隊が演奏しているような感じにも聞こえる。

マーラー「交響曲第九番」第三楽章から、冒頭の3小節。

同じくマーラー「交響曲第九番」第三楽章から、第311小節からの9小節。 打ち込みながら思ったんだけど、 低弦はスコア通りに弾いてる? なんか違ってる気も。

あとの二つは、打ち込んだものの削除してしまった。

2006-11-06 (1) 01:38:27 +0900

十月の最終火曜日に香林坊大和へ行った際に気づいたこと二点

8階催事場の物産展は午後6時で終わり、ということは知っていたが、 ちらっとでも見ようと思い、数分前に上りエレベータに乗っていたら、 "そこで召し上がれるコーナーもありますからゆっくりとお過ごしください"、 というようなアナウンスが流れた。 しかし、8階に着いてみると、もうかなり片づけが進んでいるのだった。 だったら、そんなアナウンス流すなよ。

1階の案内所に年内無休という貼り紙があったが、 翌日の水曜日は定休日と知っていたので尋ねたところ、 次の営業日である木曜日以降は年内無休ということらしかった。 そんなのあり? まだあと1時間営業しているんだから、 その間にその貼り紙を見て翌日もきてしまう客が出ると考えるのが普通だろう。

2006-11-06 (1) 01:22:17 +0900

テキストファイルで、「★」を点が丸く囲んでいるように見せるもの

SPAM の中にこんなのがあった。 等幅フォントだと星を点が丸く囲んでいるみたい。

 ,‥,
:★:
 '‥'

2006-11-06 (1) 01:04:12 +0900

フランス人シェフの言う「はまぐり(蛤)」は「甘栗(あまぐり)」にならないか

/h/ がうまく発音できなくて、 「はまぐりを用意して」 と言ったのに日本人スタッフが甘栗を買ってきてしまうとか。

前項後半のシェフの話に関連。

2006-11-05 (0) 22:19:41 +0900

NHKフランス語会話>十月 30 日(月曜日)放送分

NHKフランス語会話>五月 01 日(月曜日)放送分》 も参照。

出張先のホテルで見たのだが、 その前にやっていた「中国語会話」の終わり近くでインタビューしていた若い女性が、 とってもかわいらしかった。 横顔がかわいいのかな。鼻がすっと高くてきれいだな。

冒頭、フランツさんがのみの市で買ったという箱を見せるところ。 楽器の演奏をするだけあって、爪を短く切っている。 ジェニファーさんが隣から手を出したが、 ジェニファーさんは女性によく見かけるように、少々爪を伸ばしている。

この回からは、先生がリラックスした表情になられたようだ。

スキットではあのひげのおっさんが郵便配達士を演じているが、 左利きなのでカバンは左のかたから右の脇の下にかけている。

しかし、スキットを見たあと、 ミカエルさんが話しているほうをちらっと見る先生は目がこわい。 「何よ、この人!」って感じ。 ここ数回、「固まっている」イコール「こわい顔」だと思っていたが、 そうではなかったのだ。

quelle の「元の形」であるところの quel を紹介する際、 発音は全く同じになるためか、字母名を読み上げておられた。 しかし、全くの初学者だと、そう発音するのだと誤解する可能性もあるような。

「ma ville natale」の説明で、natal(e) に 「ville に合わせて、e が付いていることに注意してください」 とのことだったが、ville に付いている e に形を合わせたのはなく、 ville が女性名詞なので女性形にするため e が付いているのである。 初学者が混乱しないかな?

「これ以外の形についてはテキストをご覧ください」ってこの回だけかな?

発音コーナーは v と b だったが、 字母としての v と b の読み方を説明しているのか、 音としての [v] と [b] を説明しているのか、 よくわからなかった。 フランス語におけるこれらの字母については(ほとんど)どちらでもいいのだが。 (subtil のような例があるので全くどちらでもいいわけではない。)

ミカエルさんがフランス語のしくみに進みましょうというところ。 先生は前回までのように固まってはいないのだが、 何かあとの回とは違う、不思議な動きをされる。

男性形 quel の音は「でも音は四つともみんな同じ」ではじめてわかるしくみである。

「Quelle jolie robe!」を一語ずつ発音される際、 先生は手を小さく上下させてリズムをとっておられる。

「買い物などで指をさして «Je prends ça.»」 とおっしゃるところでは先生は実際に指をさす動作をしておられたが、 手前に字幕を出すための半透明のものが出て、よく見えないのだった。

Avec Ananda をもう一度見たあと、 Pause-Café などは飛ばして、 9分ちょっとを残して新規撮り足しの特別企画にはいる。 ミカエルさんフランツさんはあまり変わらないが、 先生とジェニファーさんはかなりその前の部分と感じが違う。 ジェニファーさんは明らかにきれいになっている。 先生は表情が生き生きとしている。

先生の服は、こういう服なんだよね?  胸元から見えているのは下着(ババシャツ)じゃないよね?

話題は食育。 フランス人シェフを中心としたグループが神戸で子どもたちを集めて料理を作る体験教室のようなものをしたときのビデオが流れ、 そこにジェニファーさんの語りがかぶさっている。

シェフのコルビさんが日本語で参加者に語りかけているが、 「じゃあきょうあじめてね」と聞こえるのは「きょう初めてね」であろう。 フランス人だから /h/ が落ちるのか。

コルビさんが調理中にしている腕時計は革ベルトで、 あまり防水性能は高くなさそうだ。ちょっと意外。

あれ? 参加者が胸につけている名札にはぼかしをかけているのかな?  名前を書いた部分の上に透明な何かを貼り、 名前がはっきり写らないようにしているようにも見える。

「Œuf à la neige」と料理名が画面に出た。 œ で始まる語を大文字で始める実例を見たのは初めてかも。 《モンテスキュー「ペルシア人の手紙」を読み終えたが》 で疑問に思っていたもの。

œuf (卵)の前に b がつくと bœuf (牛)になり、 複数形 --- これらは例外的発音となる --- も [ø] と [bø] で相似だったんだ。 料理名の字幕で知った。

ビデオが終わるとスタジオに戻り、四人の会話となるのだが、 ジェニファーさんは斜め前を見ながら話していて、 ときどきちらりちらりとカメラのほうを見る。 斜め前から見た顔が美人なんだな、きっと。

ミニインタビューとかはなしで、 Canal...Culture のまま終わるのだが、 みんなで「À la semaine prochaine!」と言ったあと フランツさんが「Et bon appétit!」と言ったのはアドリブだろうか。 ほかの三人の笑い声がはいったところで終わる。 とってもいい感じだ。

2006-11-05 (0) 20:52:53 +0900

最近の女性名の「〜か」とか「〜な」って昔の「〜子」と本質的に同じだな

たとえば「ゆうか」「ゆうな」と読ませる名前があるが、 「ゆうこ」なら何十年も前からある。 二モーラからなる"本体"を選び、 それにお決まりの一モーラを続ける、という造語法は変わっていない。 「〜こ」は飽きたから別のに変えただけ、という見方も成り立つのでは。

2006-11-05 (0) 20:42:23 +0900

「総合メディア算盤センター」ってのを考えてみた

「総合メディア基盤センター」に見えないかなと思って。

2006-11-05 (0) 02:52:50 +0900

「算盤」が「そろばん」であるところがおもしろい。 実際にはコンピュータを扱うところなので。

google で「総合メディア碁盤センター」は 0 件》 は前に書いた。

2006-11-05 (0) 20:48:00 +0900

朝日新聞>「かつて家庭教師をしていた娘」とはどういう意味か

けさの大阪本社版 be の e1 面、「愛の旅人」の「ふたり」の中に 「かつて家庭教師をしていた娘、大橋冨美子と」とある。 家庭教師をしていたのは主語である 「貧乏学生の江藤賢一郎」か、それともこの娘か。

「文・穴吹史士」と署名あり。

それまで劣勢だったピンクレディーを上回る人気を獲得した にちょっと関連。

2006-11-04 (6) 23:27:30 +0900

字母vは必ずしも[v]の音ではないが「ヴ」は[v]と決まっているんだろうか

字母vが[v]でなく[b]の音を表わす言語があるが、 「ヴ」は[v]と決まっているのだろうか。

決まっているんだろうな。「ヴ」は日本語だけに使われる文字だから。

2006-11-04 (6) 23:19:52 +0900

ジェダイの復讐>皇帝の手が若すぎるな / 特殊メイクをサボったと見える

最後、ルークに電撃を放つところ。 顔や首には特殊メイクをほどこしているが、 手は役者の手そのまま、といった感じ。

2006-11-04 (6) 23:12:18 +0900

……と思ったが、 ルークが皇帝の手元に置かれた自分のライトセーバーを見るシーンでは、 手にも特殊メイクがなされている。

2006-11-22 (3) 20:44:12 +0900

「19時」と「7時」ってニュアンス違うよな

家に帰った瞬間、何時ごろなのかわからなくなり、 キッチンにあるデジタルの電波時計を見た。 12時制表示しかない機種なので、「7時」何分かを示していた。 それに対し、書斎のは24時制にしてあるから「19時」何分か。 見たときのニュアンスがずいぶん違うな、と感じた。 「7時」というのは、朝の、出かけるしたくをしている時間帯なので、 気持ちが落ち着かない。そのイメージが、午後7時にもあるんだろう。私には。

何時ごろかわからなくなったのは、 早く暗くなる季節になったため。

2006-11-04 (6) 19:27:34 +0900

ヨシュア記24,22「あなたがたみずからその証人である」っていいのかな

ヨハネ8,13でパリサイ人たちがイエスにいう 「あなたは、自分のことをあかししている。 あなたのあかしは真実ではない」が思い浮かぶ。 (引用は「口語訳」によった。)

2006-11-04 (6) 11:17:07 +0900

出会い系SPAMの「職場では同姓ばかりで」って歌舞伎界のことだったりして

実際にはおそらく「同性ばかりで」の誤変換。

2006-11-04 (6) 11:09:19 +0900

「妻が長男と別居」の「〜と別居」の意味

歌舞伎俳優中村獅童・女優竹内結子夫妻の別居を報じたネット上のニュースに、 「竹内は長男を連れて別居」としてあるものと、 「竹内は長男と別居」としてあるものとがあった。 意味しようとしているところは同じで、 後者の「長男と」も「長男を連れて」のつもりなのである。 「〜と別居」は普通はそういう意味にならない。 しかし、この長男は一歳になるかならないかなので、 「連れて」の意味にならざるを得ないのである。

記憶に基いて書いているので、例にあげた文章は不正確かも。 また、ページの URI も覚えていない。

2006-11-04 (6) 10:55:37 +0900

高校必修履修漏れ>正規授業を「補習だった」として70コマで打ち切れないか

2日づけ朝日新聞大阪本社版によると、 70コマを超える補習になる場合、補習70回とレポートでいいことにするらしい。

だったら、正規に授業をしている学校が 「実はこれは補習でした」ということにして70コマで打ち切るのは?

2006-11-04 (6) 01:52:41 +0900

「今夜」って過ぎてしまった時間も指すのかな?

たとえば今が23時だとして、4時間前の、19時ごろに起きたことを 「今夜こんなことがあった」って言うかな? 私自身は言わないのだが。

2006-11-04 (6) 00:53:11 +0900

武士:それ以外=自動車の運転者:歩行者

志ん生の落語のまくらで、 武士は刀を差しているので、 庶民は斬られてしまったあとどうこうしようとしても "のびて"しまっていてどうしようもない、 という説明がなされるのがあったと思う。 "たがや"だったかも。

どうして「死んで」でなく「のびて」なのかは不思議である。 婉曲表現なのかもしれない。それはともかく。

現代で言えば、これは自動車の運転者と歩行者に当たるのではあるまいか。 いくら「道路交通法に従えばこっちが優先だった」と言おうとしても、 はねられてしまえば言うことができない。

2006-11-03 (5) 18:29:32 +0900

外国に行ったときじゃなく日本に戻って驚くことも説明したほうがよいのでは

今年度のNHK教育テレビ「フランス語会話」でいつだったか、 日本とフランスの交通規則の違いを話していたが、 日本からフランスに行ったときに驚くことだけでなく、 フランスから日本に帰ったときに驚くことも説明する必要があるのではあるまいか。

同番組のオープニングでは横断歩道手前できちっと停車する自動車が描かれているが、 日本では道路交通法第三十八条の "横断歩道における歩行者の優先" はほとんど守られていないので、 フランスから日本に帰ってきた旅行者が自動車にはねられるおそれがある。

フランスで放送されている日本語講座では、 こういうこと(=日本では道路交通法が守られていません) も説明されているんだろうか。まあ、来てみればわかることだが。

2006-11-03 (5) 18:09:58 +0900

SPAM って「文面考えてるやつ」と「送ってるやつ」が別々なのかなー。

いまごろまで「納涼〜」っての送ってくるやつがいるし、 添付ファイルとの区切りの印みたいなのが最後についてるやつもいる。

2006-11-01 (3) 22:28:26 +0900

きょうの補筆箇所

2006-10-29 (0) 02:11:35 +0900

回文>「斬新・しんざ」(ざんしんしんざ)

ほくほく線しんざ駅が斬新だ、と。

2006-10-28 (6) 23:32:03 +0900

ドアが開かないすれ違い駅でも「すぐに発車します」とアナウンスする理由

先日の帰京の際、ほくほく線の虫川大杉駅手前でわかった。 立っている人に対しすぐに発車するから注意してください、 という意味のアナウンスがあって。 ずっと停まるかと思って安心しているとあぶないわけだ。 やっとわかった。

昔の普通列車みたいにドアが手で開く場合、 うっかり降りて置いてゆかれる可能性があるわけだが、 そうではないので、なぜだろうとずっと考えていた。

2006-10-28 (6) 23:28:01 +0900

回文>「井戸端会議は『萩井勝たば土井』」

カナで書けば「いどばたかいぎははぎいかたばどい」。 井戸端会議では「萩井(固有名詞)が勝ったら次は土井」の声が強い、 と言っているのである。 なぜ、「勝てば」でなく文語の「勝たば」なのかは謎。

2006-10-28 (6) 23:23:48 +0900

回文>「メモ借り『ゆりかもめ』」(めもかりゆりかもめ)

最後に「と書いた」が省略されている。 「対価とメモ借り『ゆりかもめ』と書いた」(たいかとめもかりゆりかもめとかいた) のほうが長いが意味不明。

2006-10-28 (6) 23:20:31 +0900

「キャッシュバック」って8文字中4文字が小書きだな。多いな。

「キャッシュ」の5文字中3文字のほうが率としては高いが。

2006-10-28 (6) 23:18:11 +0900

「秋晴れ」と「アキバ」を結びつけて考える人っていないかな……。

「アキバ」に動詞形「アキバる」があると思い込み、 その命令形だと思っているとか。

2006-10-28 (6) 23:13:37 +0900

ケータイに貼るとカメラ付に見えるようになるシールってあったんだろうな…

…。

2006-10-28 (6) 23:12:39 +0900

「入棺」と「出棺」は対にならない

「入棺」は遺体を棺に入れること、「出棺」はその棺を家などから出すこと。

2006-10-28 (6) 22:06:09 +0900

ロトのテレビCMで「数字を選ぶだけ」と言っていたが、お金もいるよな

画面には一枚200円であることが出たと思うが。 二三日前、日本シリーズのテレビ中継を見ていて。

2006-10-28 (6) 01:48:48 +0900

「先追ひ」と「後追ひ」は対にならないよな

本文ナシ

2006-10-28 (6) 00:43:11 +0900

NHKフランス語会話>十月 23 日(月曜日)放送分

“基礎編”は 《NHKフランス語会話>四月 24 日(月曜日)放送分》 の再放送になるわけだが、 「1つの目の〜」は直っていた。 しかし、このとき、先生は数秒間こわい顔をして固まっているのだった。 ミカエルさんが先生のほうを見ても知らん顔。

スキットに出てきた薬の箱って、 緑色をしているので頭痛薬じゃなくて胃薬みたい。

フランス語のしくみのところ。 「tu as」などと並べるため「j' ai」と切って書かれているが、 実際には「j'ai」と一語である、ってことはみんなわかってる?

否定文の作り方の説明のところ。 先生はフランス語の文をおっしゃる際、 組んだ手で軽くリズムを取っておられる。

数詞を 1 から 20 までまとめて習った。 《NHKフランス語会話>四月 17 日(月曜日)放送分》 では 1 から 10 まで、 《NHKフランス語会話>四月 24 日(月曜日)放送分》 では 11 から 20 までだったが、 これらを一つにまとめてしまったようである。 画面では、ジェニファーさんが nombres と言ったあと、 口を動かそうとしているところで数詞の表に切り換わってしまう。 「11 から 20 まで」と言っていたのをカットしたのではあるまいか。 1 から 10 までのときは chiffres と言っていたので。 でも、バックに出ている表は 1 から 10 までだった。 このあたりの画面の合成は自由にできるのだろう。

Avec Ananda を見た直後。先生が固まっている。

ミカエルさんの字幕の「歯が1つだけ痛いときも」って変だな。 「1本だけ」だろ。普通。

最後、新作のインタビューからエンディングに飛んだため、 ミニインタビューはなし。

2006-10-27 (5) 21:52:17 +0900

一部の公立高校で必修科目を履修させずに卒業させようとしていた件だが

現在の高校の単位認定の甘さを考えると、 「履修したが何も学ばなかった」と「履修しなかった」 の差はきわめて小さいような気がする。

だからといって「履修させなくてもよかった」と主張するつもりはないが。

2006-10-27 (5) 01:19:18 +0900

きょうの補筆箇所

2006-10-25 (3) 03:04:33 +0900

ZF 集合論で“全く無関係なもの”ってあるんだっけ

a, b, c は集合ではないとして集合 X = {{a, b}, c} を考えることがある。 ZF 集合論では万物は集合である。 a = 0, b = 1, c = 2 としてみると {0, 1} = 2 だから X は {2} に等しくなってしまう。 困る。そうならないように a, b, c をとることはもちろん可能だが、 こんどは {a, {b, c}} で困るかもしれない。 どうやっても困らないような a, b, c の取り方って研究されているんだろうか。 可算個の場合などにも。

数学>冗談>虚数単位 i に空集合を要素としてつけ加えると 3 になる》 にちょっと関係。

2006-10-25 (3) 01:38:18 +0900

(花を)「咲かす」って言い方は口語にはないのかな

あると思っていたので、 辞書にこの形の他動詞として載っていなかったのが意外だった。 「咲く」の未然形に文語の使役の助動詞「す」を続けた形、と説明できるが。 口語の使役の助動詞は「せる」なので、「咲かせる」を使えということか。 「今年はもう一花咲かすよ」なんて言い方はすると思う。

2006-10-24 (2) 19:42:21 +0900

「思ふどち ひとりひとりが 恋ひ死なば たれによそへて」に「喪中欠礼」

「古今和歌集」恋歌三のよみ人しらずの歌 「思ふどち ひとりひとりが 恋ひ死なば たれによそへて 藤衣きん」だが、 喪服として藤衣を着るという習慣はもはやない。

また、 いまの喪服は葬儀などのときごく短期間だけ着るのに対し、 手元の書物だけからははっきりとはわからないが、 当時の喪服は服喪中ずっと着たのではなかったか。 だから、喪服を着ていれば「喪中だ」とわかってしまうわけで、 そこでこの歌が意味をもってくる。 死んだ相手を思うと喪服を着ないでいることはできないが、 着れば「誰の喪中なの?」とまわりから尋ねられてしまい、 それには答えられないのである。

現代においてそれにあたるのは、喪中欠礼ではあるまいか。 おおやけにはできない形で付き合っていた人が亡くなった場合、 翌年は年賀状を出す気になれないだろうが、 喪中欠礼のはがきには誰それの喪中につきと書かねばならない。 (書かない人もいるが。)

「喪中欠礼」も七音なので、 「思ふどち ひとりひとりが 恋ひ死なば たれによそへて 喪中欠礼」 とすれば形式上は短歌になるが、 これではオマージュにも本歌取りにもならず、 単なるパクリだな。

付)あっ、カン違いしていた。藤色の衣じゃないんだ。

付) 現在において、そういう相手が亡くなった場合、 喪服について言えば、 単なる知人・友人のふりをして葬儀に出られるなら出ればよいし、 出られないなら喪服を着て自室にこもり、 葬儀のあいだその人のことを思っていればよいだろう。 私ならそれで満足する。

2006-10-24 (2) 02:04:48 +0900

NHKフランス語会話>十月 17 日(月曜日)放送分

文化コーナー以外については、 《NHKフランス語会話>四月 17 日(月曜日)放送分》 も参照。

父親が子どもを風呂に入れるとき、 髪にシャンプーをつけて頭のてっぺんで立て、 「キューピーだ」と言ってふざける遊びがあるようだが、 フランツさんの髪型を見るとそれが思い出されてならない。

冒頭のフランツさんとジェニファーさんの会話。 ジェニファーさんの日本語字幕はいわゆる女言葉になっているが、 「リエコとミカエルはどこだろうね?」だけ例外。 フランツさんのセリフとカン違いしてつけた?

きょうのキーフレーズを紹介するミカエルさんの 「Alors, c'est le début,」に「始めですから」と字幕がついていたが、 「初めですから」では?

スケッチの中でしていた bise だけど、先に右の頬どうしをつけ、 次に左、と決まっているのかな? 相手と逆だとうまくゆかないよな。

スケッチを見たあと、先生が7秒ちょっとの間、こわい顔で固まる。 最初にまばたきをし、終わり近くに軽くうなずくのみ。 ちょっと不気味。

辞書によると、caméraman の複数形は caméramans または caméramen か……。 なるほどね。

s で終わる語が次にくる語とリエゾンする場合には [z] の音になる、 という説明は、この回の発音コーナーでミカエルさんがしていたのだった。 (《NHKフランス語会話>九月 11 日(月曜日)放送分》参照。)

étre の変化を学ぶところ。 フランス語の部分も先生がおっしゃっていたっけ?  のちにはミカエルさんが言うようになったと思うのだが。 なお、字幕は「あなた〔たち〕は」だが先生は 「『あなたは』あるいは『あなたがたは』」 とおっしゃった。 (うちのビデオではカッコの形は不鮮明でよくわからなかった。)

「この étre は不規則な動詞なので、ずいぶん形が変わるんです」 って、逆じゃない? ずいぶん形が変わるから不規則な動詞なんでしょ?

「それでは、この動詞 étre を使って練習をしてみましょう」 とおっしゃるところ。先生は別のカメラを見ておられる。

Avec Ananda をもう一度見るところ。 前には四人のうちの誰かがもう一度見ましょうと言っていたと思うが、 字が出るだけだった。時間の都合で変更したか。

色の名前を言ってみるところ。 観葉植物が写って、葉や茎の色である「緑」をフランス語で言うのだが、 どこかに花がついていて、その色を言うのかと、ちょっと探してしまった。

あれ? Pause-Café がないじゃん!  音楽コーナーの週はないんだっけ? と思ったが、 《NHKフランス語会話>八月 21 日(月曜日)放送分》 のときはあった。四月にはあったっけ?

四月にはあった一から十までの数詞が、なかった。

音楽コーナーのおっさんの投げキッスがなかった。残念。

そのあと、四月に放送されたときのエンディングに続く。 四人が再登場だ。座ったまま手を振ってお別れ、ってのもあったんだっけ?

2006-10-19 (4) 21:02:12 +0900

回文>「気の毒に。肉、どの木?」(きのどくににくどのき)

後半は、酒池肉林を作る際の会話。 《「酒池肉林」と聞くと超・豪華に聞こえるが盆栽ならたいしたことはない》 参照。

前半と後半とで意味が全く違っていると思われるかもしれないが、 間に別の回文を挿入することで全体が自然になることもありえるから、 とにかくメモしておくのである。

2006-10-19 (4) 20:47:21 +0900

回文>「理恵が土佐に里帰り」(りえがとさにさとがえり)

前項の理恵さんは高知の出身、という設定。

「往なせる友里恵が土佐に里帰り、許せない」 (いなせるゆりえがとさにさとがえりゆるせない)とすると長くなるが。

2006-10-19 (4) 19:33:59 +0900

回文>「理恵がさあ、朝帰り。」(りえがさああさがえり)

理恵は人名。 「理恵が『さあ、朝帰り』」も可。

「与田理恵がさあ、朝帰りだよ」(よだりえがさああさがえりだよ) とすると少し長くなる。

2006-10-19 (4) 19:33:30 +0900

きょうの補筆箇所

2006-10-19 (4) 02:37:00 +0900

車内販売員に離れた席で眠っている連れを起こしてもらっている人を見た

特急列車に乗っていたら、前の座席の人が車内販売のコーヒーを買っていた。 そしたら、 販売員が通路を隔てて反対側の窓際の席の人を「お休みのところ……」 と言って起こしていた。 コーヒーはテーブルに置いて渡すことが多いので、 隣の席の人を起こすことはないとは言えない。 その人の足がテーブルの脚に当たりそうな場合などである。 でも、こんな遠くの人を起こすなんて……と思ったら、 前の席の人は海を見るため通路の反対側からこっちに移ってきた年配の男性で、 連れの女性 --- たぶん奥さん --- は元の席に残っていた。 自分のコーヒーを買ったあと奥さんにもコーヒーを、 と思ったのだろう。

ちょっとほのぼのとした。

2006-10-19 (4) 02:20:11 +0900

回文>「つい素朴な疑問。もぎな、久保、そいつ」

かなで書けば 「ついそぼくなぎもんもぎなくぼそいつ」。 後半は、久保君にそれをもげと命じているのである。

2006-10-19 (4) 02:16:23 +0900

回文>「民は見た」(たみはみた)

「民」は一般名詞とも固有名詞とも解釈できる。

なお、 《回文>「権田氏ら『民はみたらし団子』」(ごんだしらたみは…)》 のほうが長い。

2006-10-19 (4) 02:15:11 +0900

回文>「百合子のは残り湯」(ゆりこのはのこりゆ)

本文ナシ

2006-10-19 (4) 02:11:39 +0900

Wikipedia>「幾何学」の項目に載っているギリシア語は変だなー

Wikipedia で「幾何学」を見たら 「幾何学 (きかがく、ギリシャ語γημετρεω、英語geometry)」 とあって、びっくりした。-ωは動詞の語尾ではないか。

古川晴風「ギリシャ語辞典」(大学書林)には載っていない。 似た単語γεωμετρεωなら載っているが、意味は 「土地を測量する、測る;幾何学を研究する」。 やはり動詞である。

γημετρεωを Google で検索すると Web 全体で 52 件。 そのうち 36 件が日本語のページだ。

そのあとの、 「幾何学の古代ギリシアにおいては「γη(ゲー):土地」、 「μετρεω(メトレオ):測定」を意味した」 も変で、μετρεωは「測る」という動詞である。

2006-10-15 (0) 01:44:43 +0900

メールで、 Wikipedia のこの項目の更新履歴について教えてくださった方がありました。 私は見方がわからないので調べていないのですが、 一人のかたがこのように“修正”されたものだそうです。 それが広まっていってしまうというのは困ったものです。

2006-10-29 (0) 02:07:07 +0900

きょうの補筆箇所

2006-10-15 (0) 01:42:27 +0900

夏目漱石「虞美人草」の一ページ目に「恐ろしい頑固な山だなあ」とある

「恐ろしく頑固な〜」ではなくて。 20年ぐらい前に、 「すごいおいしい」という言い方がはやりだしたような気がしたものだが、 漱石の時代にもあったのか。

2006-10-14 (6) 22:16:57 +0900

paste の意の「貼り付け」と crucifixion の意の「磔」は同じ語だったか

学生実習のプリントを作っていて、ふと。 どちらも和語としては同じはずだが、漢字が違うせいで、 いままで全く気がついていなかった。

2006-10-14 (6) 22:01:25 +0900

回文>「否、エリアはありえない」(いなえりあはありえない)

本文ナシ

2006-10-14 (6) 22:00:15 +0900

小学校の夏休みを旧暦で決めることにしたら、閏七月のある年は長くていいな

閏八月もか。

2006-10-14 (6) 20:05:56 +0900

小学校の夏休みを旧暦で決めることにしたら、まだ夏休みだよな

もしそうなったら八月末まで夏休みとはしないだろうから、 これはナンセンスなのだが。

2006-10-14 (6) 20:04:59 +0900

旧暦の八月は秋だから暑くないとか言っているのを読んだことがあるが

きょうは旧暦でいえば八月23日。 まだ暑い。室温22度ぐらいだが、シャツ一枚に短パンでも暑いぞ。

ことしは閏七月があったため、 旧暦の八月は新暦の八月より七週と三日も遅れている。 それでも暑いのは私が異常なのかも。

2006-10-14 (6) 19:33:54 +0900

ジェットコースターの「浮く感じ」は最後尾のほうが先頭よりも強い?

8日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Sunday の第 1 面、 Wonder in life はジェットコースターの話題。

岩手大教育学部の八木一正教授(理科教育)によると、 乗客はコースの谷底では下向きに押しつけられ、 頂上では体がふわっと浮く。 先頭と最後尾では、押しつけられる力も「体が浮く感じ」も、 その大きさが違うという。

「浮く感じ」は、遠心力が上向きに働いて発生する。 遠心力は、速ければ速いほど大きくなる。 頂上を通るときの速度は、最後尾のほうが先頭より速い。 最後尾が頂上を通る時、 前の車両が下降して速度を上げているからだ。 だから、「浮く感じ」は最後尾のほうが大きくなる。

ほんとかな?

第 2 面には谷底の場合の説明と、 頂上の場合の図が載っている。 図には、正規分布曲線のような、対称な曲線がコースとして描かれている。 頂上を通過する前後で、 コースター全体の運動エネルギーと位置エネルギーの和は一定とみなしてよいだろう。 先頭が頂上にかかるときと最後尾が頂上を通るときとで、 重心の高さは、コースの対称性により、同じである。 そうだとすると、速度は同じになると思うのだが。 つまり、 「最後尾が頂上を通る時、前の車両が下降して速度を上げている」と言うなら、 「先頭が頂上を通る時、 後ろの車両は上昇しきっていないので速度を落としていない」、 とでもいうようなことになるのでは。

谷底の説明も、理解できない。

谷底に差し掛かったとき、先頭は後続も加速中だから、 とてもスピードが速くなる。 ところが最後尾は、前の車両が上り坂に入って減速するから、 先頭ほどの速度では谷底を通過しない。 このため「押しつけられる感じ」は先頭のほうが最後尾より大きくなる。

加速中であることと速度が大きいこととは直接関係しない。 速度の微分が正であるからといって、速度が大きいとは言えないはずだ。

あるいは、 もしもそのコースターが反対向きにも走れるとしたら、 その動きは、 コースターの動きを動画として撮影し、逆回しにしたものと等しい、 というところから説明することもできるか。

2006-10-14 (6) 03:07:39 +0900

よく考えてみたら、 力は、コースと垂直な方向だけでなく、コースに接する方向にも働くのだった。 (いま考えている付近では、 コースは地面に垂直な一つの平面に含まれているものとする。)

頂上を通る瞬間を考える。 先頭に乗っていると、そのときコースター全体は坂を上りきっていないから、 減速している最中である。 人間のからだはコースターから力を受けて減速するわけだから、 乗っている人は後ろ向きの力を受ける。 最後尾に乗っていれば、コースターは加速中だから、前向きの力を受ける。

谷底を通る瞬間には、逆に、 先頭に乗っていると前向きの力を、 最後尾に乗っていると後ろ向きの力を受ける。

この違いではあるまいか。

2006-10-14 (6) 21:57:15 +0900

11月12日づけの2面に 《……説明がよく分からないという声を頂きました。 そこで今週は「ぶらりネット」をお休みし、 改めて「最後尾の快感」について説明します》というのが載った。

それによると、コースターの重心が頂点を越えたとき、 最後尾はまだ上りきっていないから、上りなのに加速が始まる。 そのずれが快感の原因だ、というのである。

全然話が違うじゃないの。 説明している人も全く別。 ただし、前の説明が間違いだったとは書いてない。 もどかしい。

2006-12-11 (1) 01:59:24 +0900

新たなる希望>閉まるドアの向こうでベイダーが持っていた剣は誰の剣?

オビ=ワンがフォースと一体化した直後、 閉まるドアの向こうにベイダーが見えるが、 その手にあるライトセーバーは彼自身のものなのだろうか、 それともオビ=ワンの? 最近出た DVD には新旧両版が収まっているのだが、 新では赤なのでベイダーのものであることが明らか。 一方、旧では白いのでオビ=ワンのものである可能性もある。 そうだとすると、 ベイダーは20年前にそのライトセーバーで手足を切断されたわけで、 どんな気持ちがするだろうかと、ふと。

2006-10-14 (6) 01:25:02 +0900

さまよえるオランダ人>上陸するといつもカレンダーが同じかと一瞬カン違い

七年に一度だけ上陸が許されるから。

付) たとえば月曜日にあたる一月1日のみ上陸可とすると どんな年に上陸できるかを知りたいかたは 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する?》 を参照。

2006-10-13 (5) 20:05:05 +0900

鉛筆はどのくらいの長さまで使えるか?

手元にあるいろいろな状態の鉛筆の長さからまとめてみた。 (一本の鉛筆をずっと使っていって調べたものではない。)

*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
未使用175mm
ホルダなしで普通に使える限界100mm
ホルダをつけて軸をにぎって使える限界37mm
鉛筆削りで削れる限界25mm
本当の限界10mm

上から4つめは、つけたホルダをにぎって書くことになる。 5つめは、小刀で削って使う場合の限界。 短くなるにつれ、先端の角度が大きくなるように削らざるを得なくなる。

これから見ると、ホルダをつけずに持ちにくくなったら捨てる、 というのでは半分以上を捨てることになる。 ホルダをつけた場合、 軸をにぎって書くのとホルダをにぎって書くののどちらが書きやすいかは人によるだろうが、 3つめ、あるいは4つめの段階まで使って捨てるのが適当かと思われる。 最後の状態まで使うと「やった!」という感じはあるが、仕事の効率は落ちる。

2006-10-13 (5) 02:09:58 +0900

上に書いた鉛筆削りとは、穴に鉛筆を差し込んで回すタイプのもののことである。

2006-10-14 (6) 21:54:41 +0900

歯科医院で言われて注意してみたら意外と口を開けていることが多かった

口で呼吸していると歯に汚れがつきやすいんだそうだ。 「あの人、口開けっぱなしで歩いてる」 と思われるほどは開けていないつもりだったが、 注意してみると、ダダの着ぐるみの呼吸用スリットぐらい口を開け、 口で呼吸していることが多かったようだ。

口を閉じるよう気をつけ、鼻で呼吸するようにしている。 ピアスの穴が、 ピアスをしないでいるとふさがってしまうという話を思い出した直後だったので、 口も開けないとふさがってしまうかと一瞬思ったが、 口は食事のときに開けるから心配ないのだった。

2006-10-13 (5) 00:54:41 +0900

ジェダイの復讐>最後、あれで帝国軍兵士は全滅してしまったのか?

本文ナシ

2006-10-13 (5) 00:53:13 +0900

ジェダイの復讐>最後、ルークは帝国軍機でエンドアに降りたのか?

そのように思えるが、 味方に帝国軍兵士が逃げてきたと誤解され攻撃される可能性はなかったのか?

2006-10-13 (5) 00:51:55 +0900

ジェダイの復讐>新デス・スターからの脱出時、よく船が残っていたな

兵士たちが争うように逃げ出していたように見えたが。

2006-10-13 (5) 00:50:07 +0900

NHKフランス語会話>十月 09 日(月曜日)放送分

文化コーナー以外の部分については 《NHKフランス語会話>四月 10 日(月曜日)放送分》 も参照。

最初にスケッチを見たあと、 ミカエルさんが一つめのキーフレーズうんぬんと言ってまたビデオに戻る間。 先生が固まっていて全く動かない! まばたきすらしない! しかも、 結構こわい顔してる! 数回見てしまった。

フランス語のしくみのところ。 定冠詞 le, la について、 「どちらの場合でも、母音で始まっているときには」とおっしゃったが、 「母音で始まる」の主語が次にくる名詞であることがはっきり述べられていない。 また、「母音」と言う前に少し口ごもっておられるし、 口を左右に引いて [b] とは違う音を出そうとされているようである。

このあと、ミカエルさんがビデオを見ようと言うところでも、 先生は固まっている。ほんのちょっとうなずく分だけ、 前より不気味とも言える。 もちろん、ここもまばたきなし。

「男性単数形が元々 e で終わっている形容詞は」とおっしゃるところで、 《*e[ウー]》と追加の字幕が出る。 確か、四月には出なかったはず。 字母名をやっていないので、何のことだかわからない視聴者がいると考えたのだろう。 先生は「ウーエル動詞」と日本語式におっしゃることがあるけれど、 でも、字幕に「ウー」と書くのにはやや抵抗があるなー。 本当の初心者はここでさらっと言われても理解できないだろうから、 この部分はカットしてしまうか、 rapide のような例を出して e を点滅させてみせるとか、 そういうやり方のほうが気持ちがよかったような。

なお、ここのところ、何度も見ているうちに、 先生の親指が動いていることに気がついた。 ちょっとお行儀が悪いー。

Ananda がアフリカンダンスの教室の扉を開けるところ。 扉のポスター、四月にも貼ってあったかな。 あったんだろうな。

Pause-Café で Carte Musées Monuments を買うときの言い方をならったが、 いまは Paris Museum Pass にかわっているとの字幕が出た。 これ、英語じゃないの。男性名詞? 女性名詞?

Canal Culture のコーナーが6分ほどある。 先生の髪型が変わった! 前髪は分けるんじゃなくて、 ぼさぼさっと垂らして、少女のような感じ。 とっても快活で、前半で固まっていた人と同じ人とは思えないほどだ。

少し、飲み食いのシーンが長くないか? とはいえ、 途中で感想をフランス語で語り合っているから、 語学番組としてむだに長いわけではない。

先生も、しっかりワインを飲んでおられた。ちょっと意外。 でも、顔の下半分からのどにかけて、力がはいって、 緊張しておられるようにも見える。 お酒を飲むのは初めてなので緊張している……なんてはずはないわな。

先生の“締め”のおことば。 いつもより、息を吸いこむ音が大きく、歯がはっきりと見えるような。 これってワインのせい? 15秒ほどの間に5回もだ。 しかも、3回目と4回目の間にはせりふがない。 すなわち、息を吸って、また息を吸っている。 その間でカメラが切り換わるので、編集がうまくなかっただけかもしれないが。

この Canal Culture の最後に“また来週”があって、 最後のミニインタビューにとぶ。

2006-10-12 (4) 23:03:14 +0900

プロ野球>優勝記念セール「優勝決定の翌日から3日間開催」で紛れはないか

金沢・武蔵ヶ辻の百貨店「めいてつエムザ」(旧・名鉄丸越)の、 「中日ドラゴンズ セ・リーグ 優勝記念セール」 のお買い得クーポン券のついたちらしがはいってきた。 そこに「優勝決定の翌日から3日間開催」とあるが、 これで紛れはないだろうか。 降雨や濃霧で試合が中断し、延長戦にもつれ込み、 決着がついたのは0時を回っていたとなると、 優勝決定の瞬間は試合開始日の翌日になる。

さらに、引き分けでも優勝が決まる状況でホームチームの試合の場合、 延長最終回の表の敵の攻撃が終わって同点だったら、 その時点で優勝とみなすのだろうか。 そのあと、裏の攻撃の途中で日付が変わった場合、ますます紛らわしくなってくる。 《プロ野球パ・リーグ>西武の優勝はどの時点? --- 没収試合の可能性は?》 参照。

「優勝が決定した試合の開始時点の翌日から3日間」とする? ただ、 ライバルチームが負けるなどして優勝が決まる場合、 「優勝が決定した試合」が unique に決まるか、という問題も。 でも、それは大丈夫か。

提訴試合のときは?

2006-10-11 (3) 20:29:51 +0900

金沢・浅野川の「七つ橋渡り」と Königsberg の橋渡り

4日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面「ちょっこり考えまいか」は金子健樹氏の 「伝承と健康法 / 秋だ、歩こう、七つ橋渡り」。 浅野川の七つの橋を、 《彼岸の中日の深夜0時に》始めて、 《誰にも口をきかず、念じながら》、 《同じ道や橋を二度と通らない》で渡るんだそうだ。 何かのご利益があるらしい。

当然、Königsberg の橋渡りが思い浮かぶ。

2006-10-11 (3) 02:23:36 +0900

朝日新聞>この「仏陀」のふりがな「ぶっだ」は主催者がそう振ったもの?

4日づけ大阪本社版「こころ」面の、龍谷大宗教部公開講演会のお知らせの、 《「仏教童話とわたし〜仏陀の精神を今に伝える」》の「仏陀」のふりがなが、 「ぶつだ」ではなく「ぶっだ」に見える。

2006-10-11 (3) 02:19:11 +0900

朝日新聞>《ノーベル委員会のペール・ベストベリィ委員長》のリィ

4日づけ大阪本社版文化総合面「ノーベル文学賞 上」に 《ノーベル委員会のペール・ベストベリィ委員長》とあるが、 この「リィ」は普通の特殊音表記には使われない。 この書き方が日本で定着している人なのだろうか?

「編集委員・由里幸子」と署名あり。

2006-10-11 (3) 02:14:59 +0900

朝日新聞>《「女児の隣になった子がかわいそう」と発言し

3日づけ大阪本社版社会面「北海道・小6自殺 いじめ記した遺書」。

この記事で「女児」が 「その女児」の意味で使われているのは最近の流行だから驚かないが、 《席替えで、男子児童が「女児の隣になった子がかわいそう」と発言し》 とあるのは気になった。カギカッコで囲まれた直接話法だからである。

付) 《昨年9月、自分の教室で首をつり、 意識不明のまま今年1月に死亡した6年生の女子児童(当時12)》 の「当時」は死亡当時だろうか?

2006-10-11 (3) 02:07:59 +0900

「共食(きょうしょく)」って語があるのか……。「共食い」とは違うんだな

3日づけ朝日新聞大阪本社版の、「食育・食文化シンポジウム」の報告の面の、 石毛直道氏の基調講演で見た語。

付)「供食」はまた別。

2006-10-11 (3) 02:04:18 +0900

首相のナショナリズムの説明中の「祖先」とは

3日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面、 「ナショナリズムとは 首相「祖先、地域への帰属」」に 《首相は 「自分が生まれ育ち、慣れ親しんだ自然や祖先、家族、 地域のコミュニティーへの帰属意識だ」と説明》とあるのだが、 生きている父母、祖父母なども祖先に含まれるのだろうか。

私個人の語感ではすでに死んだ人だけを指すので、 実在する「自然」や「家族」「地域」と並べられることに抵抗がある。

2006-10-11 (3) 01:51:08 +0900

NHKフランス語会話>十月 02 日(月曜日)放送分

この回は、家では留守録をしかけ、出張先のホテルで見た。 画面はホテルのパソコンディスプレイで、 音声は持っていったヘッドホンステレオで。 「月曜日はアルコールは飲まず、しらふでこの番組を見る」 と少し前から決めているのだが、 出張先で外食のときは許してもらうことにした(と一人で勝手に決めているだけ)。

直前の「中国語会話」。 イケメンのあのお兄さんも箸の持ち方が変だなー。

きょうから今年度の後半で、基礎編(って言っていいのかな)は再放送。 というわけで、 《NHKフランス語会話>四月 03 日(月曜日)放送分》 も参照のこと。 オープニングは全く同じ --- かと思ったら、 「後半は…」と二行からなる字幕がはいった。 暗唱する詩が四月とは違うことを説明しているのだ。

先生は9月号テキストに 《ただ、最初のころの硬い表情の私をまた見られてしまうと考えると、 Oh là là! なのですけれど》 (《NHKフランス語会話>八月 21 日(月曜日)放送分(速報)》参照) と書いておられたが、 それほど硬くはない。 と思ったら、ジェニファーさんにきょうのキーフレーズはと聞かれたところで、 カメラが切り換わったことに気づいておられなかったのか、 三秒ほどかたまっていた。お人形さんみたい。 そのあとも何度か。ミカエルさんが隣でしゃべっているときとか。

四月にこの回を見たときには、 スケッチに出るのはあの4人と気づいていなかったので、 画面の外から「S'il vous plaît!」と呼ぶ男性が誰なのか、 気にとめることもなかった。 あの声を演じていたのは誰なのだろう?

「この mademoiselle は未婚の女性に対してつける敬称です」 とおっしゃったが、 「未婚の女性に対して言う際に Bonjour! のあとにつける敬称」の意味? mademoiselle の主な用法は 「未婚の女性の姓の前につける敬称」と 「未婚女性への敬称」でしょ? 「対してつける」の意味がよくわからん。

monsieur のつづりについて、「mon と書いてありますが」 とおっしゃるところでまず先生の右手の人差し指が、 次に左手の人差し指が、ぴくっと動く。

発音コーナー。ミカエルさんは「Oui.」としか言っていないのに字幕は 「では 練習しましょう」。

[r] の発音について、舌の位置は説明されたが、どこを震わせて発音するんだ?

ここで大きめに写る背景の電光掲示板。 電球ごと左へ流れているぞ! 普通は電球は動かず、点灯箇所だけが移動する。 これ全体がCGだったのか!?

発音が終わって、もう一度スケッチをとおっしゃるところでは、 先生の髪がきれいに分けられていた。別人みたい。

フランス語のしくみに進もうとミカエルさんが言うところ。 先生の顔に力がはいっている。ちょっと硬い。

フランス語のしくみのところ。 先生の右目にかかっている髪の毛が、先生のまばたきにシンクロして動くー。

そのあと、練習になるところでも、先生の髪型が一瞬にして整う。

「Une, omelette ではなく Une omelette と一気に発音してください」の 「Une, omelette」「Une omelette」に合わせて二度、 左右に軽く首を振る先生の動作がかわいらしい。 オムレツを食べるたびに思い出してしまいそうだ。 しかも、向かって左、右の順に振っておられる。 視聴者のことを考えておられるのだと思う。

Pause-Café のコーナーの始まる前。 先生とミカエルさんがフランス語で話している声がかすかにはいっている。 そうだったっけ?

先生、「水道のお水」って言ってる。丁寧語。

四月には、Pause-Café のあと画面がなかなか切り替わらず、 先生が口を開きかかるところまで放送されたが、それはなかった。

四月にはこの次の 「街角で見つけたフランス語」はアルファベだったが、今回は色の名。 花屋さんの花が写って、その色を言ってみるのだが、 これを「街角で見つけたフランス語」って呼ぶのはなんだか変だよなー。

Canal Culture は新作。 先生の服もはっきり変わる。 それと、先生、すっきり小顔になって若返ったような。 (こっちのほうがあとから撮ったんだと思うけど。)

始まるまで、先生はきちっと座っておられるのに、 ミカエルさんはリラックスして鼻をこすったりしている。 サマーソルトキックを決めたあとのジャッキーみたい。 (←バーチャファイター3ネタ。古い。)

「では、よろしくお願いします」「Allons-y.」のあと、 先生は明らかにうなずきながら「うん」と言ってる!

ミカエルさんが詩を読むバックに、 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第一巻の、ハ長調の前奏曲が流れる。 その前にミカエルさんが誰かがこの詩に曲をつけたと言っていたので、 ああ、この曲を伴奏にメロディーをつけたあれ! と思ってしまったぞ。

et はその前の単語とリエゾンすることはあるんだな。知らなかった。

Canal Culture からすぐに最後のミニインタビューへととんでしまう。 四人で手を振ったりするのはなし。 また、先生の「Avec Ananda に登場いただいた〜」との説明がないから、 ぼんやり見ていると「これ、誰だったっけ?」となりかねない。

エンディングテーマに乗せての出演者の名前の出方も変わったけど、 長くなったのかな?

付) 前回の、前半の最終回はテープの先頭にはいっており、 次に一回分あって、その次に九月 04 日分が録画されている。 どちらもしばらくとっておきたいが、間はちょうど 25 分しかなく、 留守録の際は時計のずれの分を考慮して前後1分は長く録画させるので、 どちらかを消さねばならない。 ちょっと考えたが、前回の最後はインタビューで終わってしまい、 先生は登場されなかった。 よって、そこから録画することにした。

前半最終回の先生の姿はすべて録画してあるわけで、 見比べると興味深い。 初回には、 フランス語の単語を発音してものどにすじがはっきりとは出ないこともわかった。 途中から、 よりはっきりした発音のため、しっかり発音するようになられたのだと思う。

2006-10-10 (2) 02:59:00 +0900


すのもの Sunomono