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著作日高よし子
詩歌集第三集夢幻公開ページ
第二部「母」天の川途上
ご感想yoshiko@y5.dion.ne.jp
詩歌集 第三集「夢幻」 (個人発行・書店販売していない) ★著作・装幀・編集・発行・印刷・製本 日高よし子 平成13年2月11日 発行 ★ (傍線入分が内容掲載済みです) ↓ ★ 第1部 約束された人生 第2部 「母」・ 「父」 第3部 「甥子」 第4部 「夢幻歌」俳句・短歌 第5部 「マイメードソング・歌詞楽譜」 ★ ●全目次詳細ページへ 第1部・(第2部)(第3部)(第4部)(第5部)・ |
(傍線入分が内容掲載済みです) <頁> <題目> 38 第二部「母」天の川途上 39 母入院 ・一目散・無に 40 砂浜・赤・夜・存在 41 二つの目・晩夏・(シーソー) 感情・無意識の愛・意識 42 溜め池・虚音・景色・無理をしないで 恩恵・祈りそれを愛と言う 43 悲しみは喜びの為にある 44 平坦な道・幸福・神の子 45 デスマスク・琥珀・白兎の朝 46 夜の川・魂の饗宴・母退院 47 気品・日本人言葉・ずっと大阪 48 春・国なき市 49 国なきし・文化「国」 50 「蔵」テーマ原風景・五重の塔 51 墓参・天国への階段 52 美徳心・日本の花 53 音の宝石・花灯 寝屋川まつり 54 寝屋川まつり一年後 55 鈴虫・蝉・秋 56 耳の壷・何処に・サボテン 57 レクイエム・三度目寝屋川祭り 58 美感・波打ち際の日・鳳仙花 59 対面・屈折・好敵手・花・文明 60 未明道・神美・雲の中の音色 61 赤子・素晴らしい日の為に |
《以下の文章に記している母は平成17年12月1日満84才で亡くなりました。》 p39 『一目散』 (平成十年九月十一日) p40 『砂 浜』 それに 比べて 正反対な p40 『夜』 書画と朗読へ (平成十年十月九日) p40 『存在』 (平成十年十月十五日) p41 「 二つの目 」 列車がすれ違う 一方が前へ走った分だけ 同じレールの上 もう一方は後へ走って行く ある角で 人と出会う p41 「 晩 夏 」 * 『シーソー』 * p41 「 無意識の愛 」 p41 「 意 識 」 ![]() p42 『 溜め池 』 (平成十年十月二五日) 石像達の 其の辺りには p42 『虚音』 (平成十年十月二五日) p42 『景 色』 p42 『無理をしないで』 (平成十年十二月十七日) p43 『恩恵』 (平成十年十二月二十六日) “たゆやかに 自然のなか しぜんに在れば ” 冬休みの前 学校がある時は 弁当を作ったら コーヒーを飲んだら 新聞を読んだら 洗濯物を干したら 清掃をしたら もう一度 新聞を読んだら 思索に耽ったら 昼食を食べたら エレクトーンを弾いたら 洗濯物を入れたら 夕食を作ったら 片付けたら お風呂に入ったら 寝むっていました。 現在は コーヒーを飲んで 新聞を覗いて 洗濯物を干して 清掃をして 母の入院している 病院へ行って(昼食時の) 帰りに 買物をする日もあって 昼食を作って 食べて 又、買物をする時もあって 夕食を作って 洗濯物を入れて (たまに甥子が入れてくれる事もあって) 夕食時の 母の病院へ行って 帰って 夕食を食べて 新聞を読んで 片付けて お風呂に入って 寝ています。 「同じ一日」時間の緩急───時間の中に自分を漂わせていた時と、 時間と一緒に走っているような現在───変わらないのは、 車中、家中BGMのクラッシック音楽の感動感。 そして「時間」の減少した分、往復時運転している車から見える「自然美」に、 心を漂わせられる恩恵を、授かっています。 p43 「祈り」それを「愛」と云う』
(平成十年十二月二二日) 「愛」とは? 何かに「愛されている」と 感じる時。 自然の中 木々、雲、雀の声、それ等に 身を 眼を 耳を 委ねている たゆやかな刻。 又 クラッシック音楽を聴いている 感動感の 刻 その 幸福感の時に 「愛」を感じる。 「無償の愛」と 云う言葉───── 一般的には 肉親のもの等への愛を、一括りにして指すのであろう けれど、それは愛というより もっと 親(ちか)しい「祈り」 一方通行を良しとした「祈り」と云う言葉が、適切。 それには、「愛」していると云う実感は無い(与えているものには) 与えられているものが感じる、それが「愛」。 それでも それを 「愛」と定義して来たのは、 いづれ、廻り回って、還元されるものだからと、 そんな風に、現在 思えます。 「愛」と「祈り」と どちらを選ぶと聞かれたら 勿論、「祈り」を 取るでしょう。 戻る ───────── * ───────── p43 『悲しみは 喜びの為に ある』 (平成十一年一月八日) “カセットの テープは過去へ ひた走る 母の身体も 「昨日」へ戻れ” 昨年(平成十年)十二月に、「日常」を失った。それは、母親の、そして 私の。 突然の母の入院────ショツク、悲しかった。 病院────「明日」と云う日は、ただ「昨日」に戻るため(身体の回復)の日々。 そういう「失われたもの」の、未来体けいの 集合場所。 その中で「失った」と、思った中から、一歩 一歩 母の回復の兆しを 見るにつけ「嬉しい!」と、皮膚が浮き上がりそうに感じられる喜び。 未だ、完全に「昨日」には戻ってない様だけど 、 でも、もう少しやね 母さん。もう直ぐ、退院。 いつもの「日常」では得られなかったもの。 深い「悲しみ」に落ちた分 与えられる「喜び」。 それが、私達のように、例えば こういう 現在という 線上で無くても いづれは──── 此れが、「世の仕組み」の様な気がして。 p44 『平坦な道』 (平成十一年一月二十日) 昨年の十二月三日に 入院した母も快方に向かい、今まで一日二回(土、日 曜は、私の妹が行ってくれるので一回)食事の介助の為、病院へ行っていた私も、昨日から、昼間だけ行く事にした。 以前には、当然在って、失くした時間、夕食を食べながら「取り戻した」と思った。 「時間」の経過は、一律に変わりないけれど「失くした時間」を、 観る事によって「当然だった時間」が、得難く感じられ、取り戻した「時間」に、以前よりも、包容力を感じるのです。 入院する前迄、シルバーカーを押して買物をしてくれた母。 此れも、当然にあったもの。 買物を、私がするようになって、肉類、野菜、魚類、牛乳等まとめ買いをする。両手で抱えて、持ち直して、車迄、時には、家迄運ぶ。 買物カートがあった事を思い出し(現在は不使用)、入り切らなかったのを、もう片一方の手で持つ。それでも重いけれど、両手で抱えていた時よりも、ましだ、と思える。昭和五十四年、二十年程住んだ家を処分して、 一家離散したが、その時、母親が見付けて購入した家は、小さい新築の家だったが、駅から徒歩三十分位掛かる所だった。(後には、直ぐ下の弟も、弟が亡くなってからは、私も、其処で住む事になったが───) それから、其の家を処分して購入した家は(その頃、私は不動産の会社に勤務していて、社長の厚意でほとんど原価で譲り受けた。)駅徒歩十三分位だった。 以前の三十分と比べたら、半分は近いと思えた。 現在の住居はこの八月(平成十一年)で、住んでから十二年が過ぎたが、 香里園駅徒歩八分位だ。もっと、近くなった。 平坦な道は、平坦な 侭だ。 そこしか 歩かないものは 「平坦な道」だと 云う事も 知らないだろう。 p44 『幸 福』 (平成十年十二月十七日) “「幸福」とは 観念ではない。 感動感である。 「幸福」という 言葉が 出来た時から 人間は 幸福で なくなった。 ” 雲が ゆったり 流れている。 身体を丸めた寒がり猫の様な雲や、ワンワン吠えている、犬の様な雲。 のっしりと、動かない象の様な雲、彼処には、両耳を双眼鏡にして、四方八方を見回している兎雲が、見えます。 やがて、一処で動かなくなりました。 其処は、綺麗なお花畑が両側に拡がる、綺麗なアスファルトの道を、 人が一列に規則正しく「前方」へ、前へ、両側に目を呉れる事もなく歩いています。止まる事の無いベルトコンベヤーの様に──── 口々に同じ言葉「幸福が欲しい!」何か、そう言っている様です。 で、今度は百八十度、双眼鏡をずらして見てみると、 此方の道は、お花畑と言える様では無いけれど、色彩りどりの花が咲き、道はアスファルトではないけれど、人、それぞれに立ち止まって、花に触れたり、香りを嗅いだり、後を振り返ったり、虫に話しかけたり、石ころで絵を描いたり、それこそ、あの雲と同じように、ゆったり、のんびり、と「あの人」 「この人」が「見える」様です。 「今日も、天気が良くて 幸せ!!」 そんな言葉が、立ち昇って来て、兎雲は、そちらの方へ、降りて行きたくなりました。すると、他の雲達も皆、従いて来て、空は尚一層、 快晴になりました。 ─────────・・・・・────────── p44 『神の子』─────「愛の指標」 久し振りに、前橋汀子の「バッハ無伴奏バイオリンソナタ」を聴いている。或る時期には、毎日の様に聴いた、アーチストの曲。私の全身の隅々に迄、 浸透した曲。「選ばれし人」の曲と、演奏者。 人間は、神の子であると言う。確かに、そう思える時がある。 不用となった侭の物を、例えば、布団の中身を切り分けて、座布団にしたり、洗濯ハンガーの壊れた箇所を修復したり、等、「再生」させる事が出来た時。「物」は、そうして、叉、誰かの役に立っている事に、存在意義を見出だしている、きっと。そして、その為に人間は、造られたのではないかと、思ったりする。その、私と言う人間も、叉、神の手の内に、あるのでは───── 「手」は見えないけれど、「良心」と言う、神の手。 戻る |
p45「デスマスク」
人間が生きて行く、生きて来たと言う事は、結局自分では確かめ様のない、自分自身を頂度、デスマスクを創っていく様に、仕上げて行く。 人間────動物と、植物の合体生物。 “天の川 往く灯 還る灯 信号停 転じて 光の 川の 只中” 車の型も 車を運転している人々の 顔も 噴き上げる、幾筋もの噴水の、彫刻の様な、裸木となった桜木の群れ、 p50 ◆「原 風 景」◆
乾いた風に、竹は哭く。乾いた風に、竹は咽ぶ。 乾いた風程、竹はうたう。地の底の噴風が、竹の胴を突き抜け、 微かな人の毛穴から侵入して、胸穴を満たす。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 地の底から涌き上がって上った、蛍の後を追い駆けたのか。 その空目指した竹が、それ故、削り捨てなければならなかった、自身の「身」。 ああ、その空洞の中を、地から天へ吹き抜け、嗚咽する風よ、 それ故、生まれた風よ。竹の代弁者よ。 そうでなければ、お前と出会う事もなかった。 もっと、もっと遡った「以前」から、現代へ吹き抜けて来る。 天目指す、竹の悲歌(エレジー)。 4年前にドラマのテーマ音楽として聴き、深く心に残ってから、3年前に聴いた、前橋汀子さんのバイオリンが、それ迄の西洋音楽を淘汰したに拘らず、淘汰されなかった音楽。 三味線でもない、ギターでもない「秦琴」のこの微妙な音色に惹かれるのは何故だろう?日本人の東洋人の、血が震える。 その当時、その風土を持った故の、悲しみと 現在、その風土を、持たないゆえの、悲しみが 交錯する。 (「蔵」の秦琴と尺八に寄せて) 戻る ──────────────* ─────────────── p51 「五重の塔」 “東寺(当時)から 新幹線くぐり 菩提寺へ” 大阪の寝屋川から、一号線を京都方面へ真っ直ぐ、ずっーと走る。 木津川、宇治川を越えて、やがて突き当たりに、東寺の五重の塔が見えて来る。其処を先ず右折して、すぐの信号を左折し、新幹線のガードをくぐり抜けて、ずっと行くと、五条通りの大通りにでる。その信号を右折して清水寺方面に走る。 五条坂を上がり、突き当たりが、清水の参拝道。 この三年坂の下のお寺が、菩提寺の興正寺。 ───────────────*───────────── 『墓参7句首』 “墓参坂 ゆく 人 かえる 人 彼岸” “墓参段 一段 一段と 蝉の聲” “亡妹と 参りし墓に 今は眠る 花入れの水 溢るる悲しみ” “六人の 弟妹(きょうだい)も 四人逝き 墓は狭きか 此方は広し” “父が逝き 弟妹(きょうだい)四人も 先立ちて 年経ふる毎に 親ちかしき顔よ” “彼岸なる 彼方より来る 春のいき 木々の末裔 墓石に柔き手” “墓の塵 禊(みそ)ぐ 私が 禊がれて” ──────────────*────────────── 元々、日高家の墓は亀岡の近くにあったのだが、交通不便な事もあり、父の十三回忌の年の、昭和五十二年に現在の所に墓を作った。 五輪塔、長方形、お地蔵さま。三基がびっしりと立っている。 母が、墓屋に推められる侭、購入、建立した。 京都と言うことに、別段意味合いがある分ではない。 ただ、私が若い頃よく京都へ行っていたので、其処ならば、後々参ってくれるであろうと、母も、京都へ降り立ったとか。 この強固にして、黙して、語らず、変わらぬ、墓石も、日本の遺物であろう。楓の樹々と葉に囲まれ、緑蔭に、真夏の陽射しも吸収される感がある。 動かし難い「死」と言うものを見詰めて来た、日本人の永さを、私も見詰める。 墓参りの後は、珠に、清水寺参道の店で、八ツ橋を買って帰る。 又、珠に、「七味屋」さんの山椒も。どの店も古さが、誇りの老舗。 誇れる物が遺っている、京都の町。 新幹線がスピードアップする様な時代の速さの中で、その「古さが佇む」域に踏み込むと、時計の秒針と、空気の長針が、やっと噛み合う。 帰路、東寺の五重の塔の側の信号を右折するので、大概、信号に掛かる。 そして、つくづくと五重の塔を見遣る。その「巨大さ」に圧倒される。 海の大きさの様な、「時」の広さというか、佇まいの永さに。 それは、紛れもなく、私達の先祖が実在していたと言う型の証明の様な千年前の手触感を、見る。 何世代もの風景を見て来た、五重の塔。 何世代もの人がを見た、五重の塔。 全て手作業だった、一本一本の材料の木に込めた、職人さん一人一人の思い入れの密度の分が、現在も尚「時間の鎮し」となってビクともしない。 新幹線も、もっと早く成るだろう。益々、時代は加速される。 この先千年後は予測も付かないけれど、五重の塔は存する。そう信じたい。 私達は、死後、何も遺せないが、遺せるものがある。 日本と言う国の、「五重の塔」を築いた「職人さんを仰ぎ見る」。 “新幹線 後にも先にも 五重の塔 早まる速度 「時」の重しに” ────────────────────────────────── p51 「天国への階段」 ────平成11年9月23日──── “光 キャッチ 天国への階段 京都駅 ” 秋分の日の墓参後、真直ぐ帰らず、二年前大改築されてから、一度行ってみたかった京都駅へ、甥子2人と共に行く。 “空と雲 生中継の 壁面鏡” 駅の構内に入った─────幾何学模様の柱、支柱に目を見張る。 そこは、丁度摺り鉢の底の様な処から、左右に階段が各上方に向かって伸びていた。が、その先には、屋根が無く吹き抜けになっていて、建物の境界の定め様がない。雨の上がった、西方の其の階段を見上げると、空が眩しい。 あの先には「何があるのだろう?」と、思わせる心憎い演出。その演出家の思惑通り、階段のエスカレーターに、一歩、足を踏み落とす。 そして、「其の先」へ着く。と又階段がある。又、エスカレーターを上がって行く。 又、ある。踊り場と云える部分が広いから、其の先は見えないので、もう終わりかと思っても、未だ「ある」のだ。まるで、天国へ運ばれているような錯覚を覚える。何故なら其のエスカレータは、ただ天に、空に向かって伸びているのだから。 その踊り場途中、左右には、ギャラリーや、レストランの「扉」がある、「天国」へ行く前に、ちょっと寄り道をと云う気になるかも──── 数本の植樹が見えてきた。やっと、最上階に、着いた。 西陽の、溢れんばかりの光に、受け留められた ───── そんな、幸福感が、充ちた。(未次元の擬似体験のような) 五重の塔が、南西下方に、小さく見えていた。 空(天)をも、建物に取り込んだ、斬新な未来形の「ステーション京都」。 時代遅れの、私なので二周年過ぎて行ったけれど、一見に値する。 “天(そら)に 着く 階段がある ステーション” 戻る |
P52 『 美 徳 心 』 P52 「日本の花」 (これだけの、感銘感を、人に与えられる、鈴虫の、美しい音色を聴けば、「人間等 如何程のもの」かと、思ってしまう。 蛍とか、鈴虫とか、人間が見て、美しい生き物達の存在の意味付けが、この鈴虫の透明な音色の内に、きっと、探り当てられると、思います。) 戻る P53 『花 灯』(はなび)────〔鈴虫〕 P56 『耳の「壷」』 ルリーン チリーン |
────────────────────────── 向かい風の中の コスモスの様に 今日、飼育器を這い上がろうとしたので、自由にしてやりました ──────────────────────────
戻る P57 「三度目の寝屋川まつり」 一枚の 花弁びらが 胸にわだかまって 散りません───── ◇◇◇ ◇◇◇ 『鳳仙花・U』 ─────────── * ─────────── P59 「 屈 折 」 Y───さらさらと流れる、時間の冷たい感触に留まって、 P60 『未明道』 (平成十年八月十九日) P60 『 神 美 』 (平成十一年八月四日) その進む針が 最後には 元の最初の処に 戻る様に だが、対面した事で、対面出来た事が、 P61 『素晴らしい日の為に』 捨て度い日も 捨て度くない日も 詩歌集夢現 第三集 「夢 幻」 |