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【445(よし子)のページ】2014.10.17更新  (BGM朗読『素晴らしい日のために』クリック
著作日高よし子

  詩歌集第三集夢幻公開ページ                         
     第二部「母」天の川途上 
ご感想yoshiko@y5.dion.ne.jp


詩歌集
 第三集「夢幻」        
(個人発行・書店販売していない)
★著作・装幀・編集・発行・印刷・製本
日高よし子 
  平成13年2月11日 発行
          ★
(傍線入分が内容掲載済みです)
     ↓   ★
第1部  約束された人生  
第2部  「母」 「父」  
第3部  「甥子」      
第4部  「夢幻歌」俳句・短歌
第5部  「マイメードソング・歌詞楽譜」
          ★
全目次詳細ページへ 
第1部第2部(第3部)第4部)(第5部)・
  (傍線入分が内容掲載済みです)          

<頁>
  <題目> 
        
38 第二部「母」天の川途上           
39 母入院 ・一目散無に            
40 砂浜存在               
41 二つの目晩夏(シーソー)            感情無意識の愛意識
42 溜め池虚音景色無理をしないで
   恩恵祈りそれを愛と言う 
43 悲しみは喜びの為にある   
44 平坦な道幸福神の子 
  
45 デスマスク琥珀白兎の朝 
46 夜の川魂の饗宴母退院  
47 気品日本人言葉ずっと大阪
48 春国なき市        
49 国なきし文化「国」    
50 「蔵」テーマ原風景五重の塔
51 墓参天国への階段     
52 美徳心日本の花      
53 音の宝石花灯 寝屋川まつり
54 寝屋川まつり一年後     
55 鈴虫        
56 耳の壷何処にサボテン  
57 レクイエム三度目寝屋川祭り
58 美感波打ち際の日鳳仙花 
59 対面屈折好敵手文明
60 未明道神美雲の中の音色 
61 赤子素晴らしい日の為に     

《以下の文章に記している母は平成17年12月1日満84才で亡くなりました。》
───────────────────────────
p39   詩歌集 第三集《夢幻》
             第二部    
            『天の川途上』 
               平成12年10月編  日高よし子 著

 以下の文章は、現在は、入院前の状態(左手足、若干の障害があり)に快復して元気な私の母が(平成十年十二月〜平成十一年一月迄)入院していた頃を中心に、綴っている。

         『母 入院』

     “母 入院 全快 祈り 葉は 紅葉 
 昨々年(平成十年)十二月三日、身体に異変があった私の母を、救急車に乗せ(私の妹が同乗)、私は、其の後を自分の車で従いて走り、天の川(地名)を越えて着いた所が、「星ヶ丘厚生年金病院」だった。

     “右折して 一転開く 紅葉道 ”
 それは、初めての出会いの時の、意外性。
晩秋と、初冬の隣り合わせの、そんな時期。
 コンクリートの車道と、無表情な車だけが行き交う無機質さに馴れた眼に、「転回→天開」された。
 その乾き切った眼には、眼前の桜並木の紅葉は、散る前の生命の底力がほとばしり、その露が浮水の様に拡がって、其処等一帯を、しっとり浮かび上がらせていた。別次元の、別世界。きっと、此処は天国に違いないと、思わせる極界だった。

♪“ 色んな事が あったけれど 色んなものに 出会ったけれど
   行き交う車の 無機質な流れ 右折して 一転開く
   桜
 紅葉道 いま その絵に 私も加わる
    ああ 生命が 震いている ああ 生命の翼が開く
    きっと 此処は 天国  ” ♪

 その侭、母は入院。
 足掛け十年前、最初に母が脳梗塞で入院(他病院)し、退院後、リハビリに通っていたのが当病院で、そういう経緯と、又、空ベッドもあったので、今回の入院となった。
 が、何となく、私自身の人生経過地点と、今回の母の入院先の往復路「天の川」を越えて通うと云う事が、折り重なって感慨深いものがある。

 私は、昨々年、自分の人生に見切りを付ける為、本当は十月の予定、先に亡くなった私の家族が、六、七、八、九、十一月である故に、自身の誕生月でもある十月と、秘かに決めて、身辺整理等を進めていたが、一つの心残りに、その機、を逸した。
              ★                    


p39       『一目散』    (平成十年九月十一日)   
“蟻のに 乗っ掛り 人も一目散 細かき事の 蟻目 はらいて”   
  蟻も 一目散  蜘蛛も 一目散                    
  雀も 雲と  一緒に  一目散                      
  何処へ 走って行くの?────人間の目から 逃れる為   
    でも 人間も 晒しものだよ 下から 横から 上から
    君達の目───真実の眼────              
    一目散 子供の頃────垣根の中              
    人間の目なんて 取るに足らないものだよ                   
 ───だから 一目散─────              

   地に 引っ張られて  夕日が落ちる          
   噴水の 飛沫の 一粒 一粒に  蟻達の 透明な 死骸が
   夕日に 映える。                     

   一目散にだけ 生きてる 蟻達
   一目散にだけなれない人間 

   その差の部分を(+)として 認識出来た事              
   そして 認識する事
 
────「死」に於ても─────       
     「人間たる 所以として」                                             ★                  

p39        『無に』

  若し、今、何歳に戻りたいか、と聞かれたら……………
 何歳にも、戻りたくないと、答えるだろう。
  ただ、無に、帰したい と。                 戻る


 p40     『砂 浜』                     
 
   それは殆ど 生理的に と 言える          
   手に こびり着く 「土」の 執着の様な 「嫌悪感」

    それに 比べて 正反対な 
   「砂」の サラッとした 「自由な触感」            
  
  どれ位の「時間」が 横臥わって いるのだろう……
  砂浜────一粒 一粒の 砂の 積み重なり     

      その 一粒 一粒の 間に
      聴こえ 見える 人(うみ)の溜息────

     手で 掴もうとしても 掴めない       
      掬った時だけ 掌の中に           

     でも 一目散に 巣に帰る 鳥の様に       
     砂も 叉 風に乗って 還ってゆく        
     砂の「浜」(うみ)へ            

   ああ 私も 砂になれたら……………        
                         (「夢現」より)                         ★                  

p40         『 赤 』                                         (平成十年九月二二日)  
  血の気が 失せている……………                     
身体の無い 空っぽの 黒い服が 歩いている             
 重たい裾を 引き摺って 引き摺って────          
   血の気が 干いてゆく……………                     
その侭 倒れ込む  白い服を着た 身体が 横臥る          
青い空に曼珠沙華は 赤い花                    
一番 赤い時────きっと─────。            

  “一面の 血の海    真っ赤な 火の群れ               
死の 一瞬の 狂気   曼珠沙華の 赤 ”   
         戻る


p40         『夜』   書画と朗読へ                                             (平成十年十月九日)   
「夜」は 永いから 眠らずにいようか            
 最近 脳裏に 夢の様に よく 現われる                 
昔 二十五年程も 前に 行った                    
信州 上高地の 白樺林                       
──人生 五十二年間に 蒐集出来た 記憶と言う        
   数少ない 風景画の 一つ────             

 今  叉  あの  の 前に 立っている 自分が 居る       
若い頃  健康的な 穂高連峰の 山々や                   
河童橋を流れる 犀川の 快晴さより         
あの林に 惹かれたのは  何だったのか?

────風にも 忘れられたかの様に                
      無言で ひっそり 佇む                        
静寂の中の 荘厳な 香気────             

  きっと 白い装束群の 中に                          
入って 行けば 解るんだろう。               
 もう 眠らずに いようか           
           
「夜」は 永いだろうから 
  「ああ 寝夢度 い」     
      
  “若き日の 快活さは 穂高なり 
 その 叉 憂いは 白樺林   
  
  さらに(皿)に 流れて 犀川の
  橋の 「河童」に
 招ぬかれいたし” 
        
(「上高地への想い」投稿分)                                    ★

p40        『存在』                                         (平成十年十月十五日)   
   或る日 突然 此の部屋の 空間から                
──箪笥や 机や エレクトーンや ベッド─────       
  私だけが 消し去られる…………… なんて事 信じられる?         
  何という「存在」感。                     

   過ぎて往く 時間の長さを 測るより               
    過ぎている 時間の中に 身を置くべし            
                                   戻る


p41      「 二つの目 」
                    (平成十年八月十三日)
  “現在は 中心の はな 「未来」「過去」
     二つの目毎 一進一退”
 
 
   人間の  「二つの目」      「二ヶ処の目」                     
 前方を見る目と     後方を見る目                              ・  ・               


列車がすれ違う    一方が前へ走った分だけ 
   同じレールの上      もう一方は後へ走って行く

 ある角で 人と出会う                            
  前へ歩いた分だけ   その人は 後へ進む─────    
              ・  ・
  一つには 決して 交わる事のない 二つの目          
  前方だけを 見る目   後方だけを 見る目                 
 「現在」の 私は いつも 未来を 歩いているが………
   前方に 「何か」の 足跡が─────                  


p41        「 晩 夏 」
                  (平成十年八月二十三日)
  “ あき(秋)らかに 鈴虫のリーン 晩夏なり ”
    晩夏と言う いち日は 
    朝 晩には 敏感な鈴虫達が 
    空気を震わせて 詞う 秋の愁韻

  昼間には 引かれる綱を 
  入道雲の石に 結わえた様に 動かぬ 夏
 
  そんな一日の 温度の濃淡の 野分の線を 引いて行く
──一本の 清流の如き───涼やかな 鈴虫の音色

    その音色だけに なってしまう前に
    蟻達は あんなに 忙しく走っている
    秋に 追い駆けられているように………………

   朝と昼の 先程 干し物のベランダで 夏の風が              
   私の頬に 囁いて行った 
   「何か 忘れ物はないか と………」    
    「夏の 忘れ物……… 

  “ 秋の虫 玄関入りて 「処暑」と なリーン ”
                  


        * 『シーソー』 *
                      (平成十年七月二十七日)
p41       「 感 情 」

   “「時の芽は」 ただ 茫々と 閉じる迄 ”

  乾杯しよう!
 お前の その 朴突さに 正直さに
  生真面目さに その誠実さに!
   休み無い 潮の流れに ぴったり寄り添って行く
   舟────水を喰う様に 先へ先へと しかし
   何と頼り甲斐のある 裏切らない流れだろう
 
   「時」と「感情」が 握手
                   *

p41       「 無意識の愛 」
                        (「夢弦」より)
 「無意識」の状態の時に、喰い込んで来る「感動」────
その 感動が、濃い程に 「意識」の領域を、薄めてゆく。
無意識に侵された意識は、その存在意義の為に、
今、目の前にあるものの、輪郭を見極めようと、その源流に迄、
思いを走らせる。
 そして、表現した、その「言葉」は、
感動の、忠実な僕しもべ となった時こそ「存在」し得る。

 優れた芸術、私の場合は「音楽」。
その感動の積み重なりが、山の高さとなって、いつか、
最高峰を 見出だす。 そして、高揚された、意識。
 その空気は、清々しく、軽やかで、
此の世の「善」の全てが降り注ぐ。 
 「意識」はもはや、意識ですら、無い。
                   *

p41        「   」
                     (平成十年七月三十一日)
     今 あなたが 大きく 見える
   少し前迄 先へ先へ進む 私に従いて来るだけで
   あんなに 小さくて そのくせ 分別くさくて 
    「本当に 生きてるの?」って  思う事があったけど

   少し前 私は 大きかった…… 今より あなたより 
   あなたが 大きく 見える
   方角を 変えつつある 私に 背中を向ける
    優しい あなたが………   
   
    私の中の 「シーソー」。             戻る


p42     『 溜め池 』                       (平成十年十月二五日)  
“あきあきの 空 に  溜め息 
     貯め池よ”


  手垢の付いた 時間の中
 「時代」と言う 粘土に 否応なく 捏ねられ 型どりされて 
   それでも 
  息を アップ ダウン させた 後の様な 
  処 々 繕ろびた 穴のある 
 ───無数の石像─────

   その側には 貯め池がありました。
   うたが 聴こえて きますよ

 ♪ 此の池は 人の 溜め息が 積もって 
   出来た 貯め池
   溜め息だけで 生きる人生に どんな 意義がある
   何も 映さぬ 此の池は   溜め息で 出来た
    名無しの 貯め池             ♪

  石像達の 其の辺りには                         
お供え花の様に 名前の無い 四季の花々が               
絶える事なく 咲き匂っています。               
 「いつから此処に 在(い)るんです?」                  
一度 石像に 聴いてみたいと 思っています。         


p42         『虚音』                                          (平成十年十月二五日)  
   ストロー───────を 吹いて ごらん            
  ピューン  ヒューン   と い う             
  秋の風の 様な  「虚音」が 聴こえるでしょう。            

 [この中は狭くって窮屈で窒息しそう]                
  血管に取り残された                       
────────一粒の赤い液──────────────     
     “くうくうと なく虫 空に 存在し”            


 p42        『景 色』                                      
(平成十年九月二十四日)     
 車窓は 流れる                          
美しい 景色(もの)も   そうでないものも         
     
 列車が 走っているのやら                 
      
景色が 走っているのやら                 
     
それは 結局 定かでない                  
   
 ただ 流れているのだけは  間違い無い 
            
 「人」として 生まれ  叶得るなら               
 「美しい景色」の 「刻」に 「停止」 出来る事が          
─────最上 と────。                    
                  ★                

 甥子二人の事────11月になってしまった。            
それから、甥子達には不本意乍ら、冬休みになったら北海道(甥子達の父親の所)へ、行ってしまうように伝えた。
 私の詩歌集「夢現」と「夢弦」を出版社に送付すべく、吟味し易い様に抜粋して、ワープロで仕上げていた。
 その時に、母の異変。─────「此処」で、私の流れは変わった。
私の計画は、ご破算になった。
 目の前の、母の容体が回復する様にと、ただ、それだけの日々になった。
母に異変がなければ、私は現在「存在していない」と、今、生きている自分が、それこそ、宙に浮いた「もの」の様に感じられる。
 母が入院したとき、私は、あの天の川の舟に乗って「或る処」へ運ばれたと、そんな想いにも行き着き、今も、その舟に乗っている様な、気がする。

   “「星ヶ丘」 上り 下りの  天の川           戻る


p42   『無理をしないで』  (平成十年十二月十七日)

  無理をしないで 無理をしないで  だから 無理をしないで!
 平成二年十二月、脳梗塞で入院してから、八年後の、やっぱり十二月
私の母が入院。今日で、丸二週間。
 八年前に、逆戻りした様で「昨日」には戻れない。
「昨日」を取り戻さなくては、 ねェ、母さん。
 八年前と「同じ道」を走っている様でも、甥子の一吉は五才だったのが十三才、雄樹は一才だったのに九才に成って(何れも平成十年当時)
洗濯物の取り込み位は、して呉れる様に成りました。
 そして、私には現在音楽がある。創作の喜びがある。
車中、家事の後、ホッと一息遣く時間、バイオリンの音色が、ソプラノの歌声が、疲労の部分を掬い取って行って呉れる様。──────
 同じ道を歩きながら、でも、此等は八年前には、此の手のなかに無かったものだと、木の葉一枚、一枚の積み重ね、月日の充実感を、噛み沁めるのです。
 八年前の、命題の回答が、目の前に開示されたと、何かそんな風にも思ったりします。
 母さん、頑張ろうね。
私は母さんの、その「善良さ」を誇りに思っています。
子供の時から、私はずっと、母さんを「観て」来たから、
 だから「私が守って上げる」。
母さん、それが、母さんの人生の回答ですよ。
 無理をしないで 無理をしないで  だから─────。


p43      『恩恵』  (平成十年十二月二十六日)

“たゆやかに 自然のなか しぜんに在れば ”

  冬休みの前 学校がある時は 弁当を作ったら
  コーヒーを飲んだら 新聞を読んだら 洗濯物を干したら
  清掃をしたら もう一度 新聞を読んだら
  思索に耽ったら 昼食を食べたら
  エレクトーンを弾いたら 洗濯物を入れたら
  夕食を作ったら 片付けたら お風呂に入ったら 
  寝むっていました。

  現在は コーヒーを飲んで 新聞を覗いて 洗濯物を干して
  清掃をして 母の入院している 病院へ行って(昼食時の)
  帰りに 買物をする日もあって 昼食を作って 食べて
  又、買物をする時もあって 夕食を作って 洗濯物を入れて
  (たまに甥子が入れてくれる事もあって)  夕食時の
  母の病院へ行って 帰って 夕食を食べて 新聞を読んで
  片付けて お風呂に入って 寝ています。

 「同じ一日」時間の緩急───時間の中に自分を漂わせていた時と、
時間と一緒に走っているような現在───変わらないのは、
車中、家中BGMのクラッシック音楽の感動感。

 そして「時間」の減少した分、往復時運転している車から見える「自然美」に、
心を漂わせられる恩恵を、授かっています


p43   「祈り」それを「愛」と云う                             
 (平成十年十二月二二日)
  「愛」とは? 何かに「愛されている」と 感じる時。
 自然の中 木々、雲、雀の声、それ等に 身を 眼を 
 耳を 委ねている たゆやかな刻。
  又 クラッシック音楽を聴いている 感動感の 刻 
 その 幸福感の時に 「愛」を感じる。
  「無償の愛」と 云う言葉─────
 一般的には 肉親のもの等への愛を、一括りにして指すのであろう
 けれど、それは愛というより もっと 親(ちか)しい「祈り」
 一方通行を良しとした「祈り」と云う言葉が、適切。
  それには、「愛」していると云う実感は無い(与えているものには)
 与えられているものが感じる、それが「愛」
  
  それでも それを 「愛」と定義して来たのは、
  いづれ、廻り回って、還元されるものだからと、
  そんな風に、現在 思えます。

   「愛」と「祈り」と どちらを選ぶと聞かれたら
   勿論、「祈り」を 取るでしょう。               戻る

      ───────── *  ─────────
p43   『悲しみは 喜びの為に ある』
                   (平成十一年一月八日)
 “カセットの テープは過去へ ひた走る
         母の身体も 「昨日」へ戻れ”
 

 昨年(平成十年)十二月に、「日常」を失った。それは、母親の、そして 私の。
突然の母の入院────ショツク、悲しかった。
 病院────「明日」と云う日は、ただ「昨日」に戻るため(身体の回復)の日々。 
そういう「失われたもの」の、未来体けいの 集合場所。
 その中で「失った」と、思った中から、一歩 一歩 母の回復の兆しを
見るにつけ「嬉しい!」と、皮膚が浮き上がりそうに感じられる喜び。

 未だ、完全に「昨日」には戻ってない様だけど 、
でも、もう少しやね 母さん。もう直ぐ、退院。
 いつもの「日常」では得られなかったもの。

 深い「悲しみ」に落ちた分 与えられる「喜び」。
それが、私達のように、例えば こういう 現在という 線上で無くても
 いづれは──── 此れが、「世の仕組み」の様な気がして。

p44    『平坦な道』
         (平成十一年一月二十日)

 昨年の十二月三日に 入院した母も快方に向かい、今まで一日二回(土、日 曜は、私の妹が行ってくれるので一回)食事の介助の為、病院へ行っていた私も、昨日から、昼間だけ行く事にした。
 以前には、当然在って、失くした時間、夕食を食べながら「取り戻した」と思った。
「時間」の経過は、一律に変わりないけれど「失くした時間」を、
観る事によって「当然だった時間」が、得難く感じられ、取り戻した「時間」に、以前よりも、包容力を感じるのです。
 入院する前迄、シルバーカーを押して買物をしてくれた母。
此れも、当然にあったもの。
 買物を、私がするようになって、肉類、野菜、魚類、牛乳等まとめ買いをする。両手で抱えて、持ち直して、車迄、時には、家迄運ぶ。
 買物カートがあった事を思い出し(現在は不使用)、入り切らなかったのを、もう片一方の手で持つ。それでも重いけれど、両手で抱えていた時よりも、ましだ、と思える。昭和五十四年、二十年程住んだ家を処分して、
一家離散したが、その時、母親が見付けて購入した家は、小さい新築の家だったが、駅から徒歩三十分位掛かる所だった。(後には、直ぐ下の弟も、弟が亡くなってからは、私も、其処で住む事になったが───) それから、其の家を処分して購入した家は(その頃、私は不動産の会社に勤務していて、社長の厚意でほとんど原価で譲り受けた。)駅徒歩十三分位だった。
 以前の三十分と比べたら、半分は近いと思えた。
 現在の住居はこの八月(平成十一年)で、住んでから十二年が過ぎたが、 香里園駅徒歩八分位だ。もっと、近くなった。

     平坦な道は、平坦な 侭だ。
     そこしか 歩かないものは 
     「平坦な道」だと 云う事も
     知らないだろう。

p44         『幸 福』
                    (平成十年十二月十七日)
   “「幸福」とは 観念ではない。 感動感である。    
    「幸福」という 言葉が 出来た時から
      人間は 幸福で なくなった。     ”

  雲が ゆったり 流れている。
 身体を丸めた寒がり猫の様な雲や、ワンワン吠えている、犬の様な雲。
のっしりと、動かない象の様な雲、彼処には、両耳を双眼鏡にして、四方八方を見回している兎雲が、見えます。
 やがて、一処で動かなくなりました。
其処は、綺麗なお花畑が両側に拡がる、綺麗なアスファルトの道を、
人が一列に規則正しく「前方」へ、前へ、両側に目を呉れる事もなく歩いています。止まる事の無いベルトコンベヤーの様に────
口々に同じ言葉「幸福が欲しい!」何か、そう言っている様です。
 で、今度は百八十度、双眼鏡をずらして見てみると、
此方の道は、お花畑と言える様では無いけれど、色彩りどりの花が咲き、道はアスファルトではないけれど、人、それぞれに立ち止まって、花に触れたり、香りを嗅いだり、後を振り返ったり、虫に話しかけたり、石ころで絵を描いたり、それこそ、あの雲と同じように、ゆったり、のんびり、と「あの人」 「この人」が「見える」様です。
  「今日も、天気が良くて 幸せ!!」
 そんな言葉が、立ち昇って来て、兎雲は、そちらの方へ、降りて行きたくなりました。すると、他の雲達も皆、従いて来て、空は尚一層、
快晴
になりました。

     ─────────・・・・・──────────
p44     『神の子』────「愛の指標」

 久し振りに、前橋汀子の「バッハ無伴奏バイオリンソナタ」を聴いている。或る時期には、毎日の様に聴いた、アーチストの曲。私の全身の隅々に迄、 浸透した曲。「選ばれし人」の曲と、演奏者。
 人間は、神の子であると言う。確かに、そう思える時がある。
不用となった侭の物を、例えば、布団の中身を切り分けて、座布団にしたり、洗濯ハンガーの壊れた箇所を修復したり、等、「再生」させる事が出来た時。「物」は、そうして、叉、誰かの役に立っている事に、存在意義を見出だしている、きっと。そして、その為に人間は、造られたのではないかと、思ったりする。その、私と言う人間も、叉、神の手の内に、あるのでは─────
 「手」は見えないけれど、「良心」と言う、神の手。 
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p45デスマスク」

  人間が生きて行く、生きて来たと言う事は、結局自分では確かめ様のない、自分自身を頂度、デスマスクを創っていく様に、仕上げて行く。    
 去年の今日の私と、今年の今日の私は、その1年分の、仕上がった経過の「顔」がある。そして、仕上げて行く程に「自分」から、遠くなって行く様な気がする  。粘土を練れば練る程、重ねれば重ねる程、透明に成って行く。     
  その捏ねている手。────この手は、誰だろう?          
  引き出しの奥に 眠っていた 朝顔の種子────誰かの手で、    
 土に戻され、水と陽に培養され、夏の朝一番に花を開かせる。伏目に咲く花であっても、何よりも太陽の愛撫が必要なのだ。そして、朝顔は花になる。        不必要なものは受け止めず、水と共に流して、一番好きな養分だけを吸収して、その季節の土壌に捏ねられてゆく。               
感性のアンテナが、拾い集めて来たもの────そして「私」は、もっと、出来上がって行く。           
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p45 「琥 珀」                          
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人間が、一番まどろんだ後の吐息が、 朝露のカプセルに 収められ         太陽の 磁石に 研がれ  幾世紀もかけて、積み上げ、
    固められた様な──樹液の 化石の 琥珀────  
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                         ★  
 テレビで観た映像では、その透明な琥珀の中で、     
 虫が一匹眠っていましたが、べっ甲飴の様な蜜の甘さに、  
喜んで、溺死した事でしょう。              
 私にとっての、べっ甲飴は、クラッシック音楽。     
                (平成十一年七月十九日)   


 人間────動物と、植物の合体生物。            
動物の、或る部分と、植物の或る部分を持っている事を、誰もが、自身に見る筈。例えば、動物の走る俊敏さ、勇敢さ、例えば、植物の花弁、好きな花とその色。
それは、「私」が、咲いているから。
 どちらの比率が高いかは、その嗜好を見れば、判る。
「愛する」と、言う事は、「愛されている」という事。
花々や、樹々から、水も滴る様な「感動感」を、与えられる。
「愛」は、未来を、指標している。此の場合は、好みと言った方が、適切かも知れない。古代人の、味覚の選択(取り合せ)の、適切さを、現代の科学が、証明している。或る面、「証明」する為に「科学」が、ある様にも思える。
 古代には、「五感」に依る嗜好が、成させたもの。
         ─────────────────         
                  ★
 人間は、鳥(飛行機)にもなった。魚(船)にも成った。全能の様な人間。
人間は素晴らしい?  誰が?
それを、創ったのは、「一部」の人間だ。他の人間は、それに乗っているのが、
素晴らしい? だけ。
 それは、「速さ」。速さが、「速さ」を、追っ駆ける。
合理的な、速さは、何を、もたらしたか?
時間が、余分な、潤いのある、時間が増えたか?10時間掛かっていた区間が、
3時間で行ける様になって、その、余った時間は、ゆとりに成ったか?
 それでなければ、意味が無い。ただ、生き急いでいるだけの様に、思える。
人間の、「生産性の高さ」とは、「時代の速さ」に乗せられて、自己喪失するだけだったのか?
      ───────────────────────      
 {  雲が、今日も、ゆっくり 流れている。
  その流れの下を、逆行して、飛行機が滑って行く 
   私が、運転している車の 視界の中、魂の乱舞の様な          
 落葉樹が 冬の日差しに、眩ゆい

  飛行機も、車も、速くて、速くて、便利だ。
  それに乗りながら、「雲の眼」 雲に なれれば  
    もっと 素晴らしい!  
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  ─────────── * ──────────
p45 『白兎の朝』 

 “望月の 白兎の朝の 元日に 南天の実 て 満天の 朱あか

 
入院後、母の容体も快方に向かい、(平成10年)十二月三十一日より一月三日迄、外泊する事が出来た。 卯年の元旦、日の出前の真っ新らな、真っ白いページに見た満月は、「原子の月」の如く、澄んだ空気に郭明を放っていた。      
    “元旦に 「予言」の様な  満月や”
        ──────────*─────────
p46      夜の川 』

 “天の川 往く灯 還る灯 信号停 転じて 光の 川の 只中”

 「天の川」(地名)の信号停から、その先、大阪方面道は、少し上向きの勾配になっていて、両車線の車の流れが、見通せる。
 人が、夜の中の存在の様に、何れは訪れづる「自身」の、完全な抹殺の予知を見る様な、車の白いヘッドランプ
 今の、その「抹殺」故に、夜の魔物に刃向かい、燃え挑む、        
真っ赤なテールランプ

 ────になると、流れ出す川がある 
 太陽が、居なくなるのを待っていた、盗人の様な、繁栄の象徴の「文明の灯」が、我がもの顔に威張り始める 
 それは、「蛍」火の様な、命火の初めから、順に点って来た灯。
   ゆっくり、 ゆっくり、 と …………

 いつからか、「消費」が走りだした 
夜が、明るく、明るくなって来た。原色の度合いを増して ────
それと共に、その川の流れも、早く成ってゆく 
 「蛍火」等、クラクションで、蹴散らして─────

   「夜」になると、流れ出す川がある 
  木々の緑の眠った後、文明の灯が、燃え栄る 
             ★
 朝、昼、夜、山間の谷間を、水が墜ちてくる 
転がって、躓いて、弾かれて、自分の意志とは関係無しに、拐われて行く 
 朝、昼、上から下へ「地形」をなぞって、川は流れている。
夜、その「地形」の裏側が見える 「黒」の中に、浮かび上がるもの 
 その川の真横、「赤い河」が、這い上がっている あの「頂上」目指して
 行けども、行けども、届かぬ先へ 
 「赤い」宿命にくくられて─────身動き出来ない、狭い谷間を「水」
が、昇って行ゆく
 「白い」流れを、横目で見ながら、朝、昼、そして、夜を 通過して

   「夜」になると、流れ出す川がある
  存在の、本質、「赤い川」と「白い川」。

 ”色んな事が あったけれど 色んなものに 出会ったけれど
  天の川 車の 昼と 夜の 流れ
   暗闇が もたらす 真っ赤な テールランプ

   ヘットライトの 白い行列
  朝が 地上を 照らしている
  ああ 視界に 自分を 見付ける
  きっと 此れが 天国   ”       ♪

──太陽の朝 風の励ましと 木々の従順  自然光の中
   祝福された世界  涯てしなく 視界に広がる世界
   隠し事の無い 全て 確定された世界が はっきり見える

    車の型も 車を運転している人々の 顔も
   そして この開けっ広げな風景の中に 車を走らせている
   「私自身」を 感じる─────
                           戻る
 ────────── * ───────────  
p46 『魂の饗宴

 母の入院先の「潤む様な紅葉」の、その中へ、招かれた様に滑り込んでから、いつか、真冬に───一葉残らず、スッパリと裸木となった、桜木の偽りの
無い、真実の顔がある、悲しみの素顔。  それ故に、美しい!
 私は、あの群れの、木々達の、枝々の聲なき言葉の、癖迄、知っている。

“噴き上げる 泉筋の噴水みず 彫刻は 裸木の 桜 魂の饗宴”

 噴き上げる、幾筋もの噴水の、彫刻の様な、裸木となった桜木の群れ、
 どっしりと構えた、自然の造形美、冬日を背景に、まさしく、魂の饗宴。

 “冬の星スター 黙光 裸木 落葉樹 空 均整美 ただちに みほる”

p46 『母 退院』
                     (平成十一年一月二十九日)
 平成十一年一月二十七日に、入院前の状態と迄はいかないけれど、母は無事、退院する事が出来ました。
 自宅から病院迄、介助の為通っていた私の、張り詰めていた緊張の糸が、柔ら緩んで、ホッと一息、遣いています。
 往復の道路沿いの、あの木々達は、ずーっと以前から、そうであった様に、今日も、素晴らしい音楽を奏でているのだろうか。
  其処は、一端の、演奏会場。
   隠れた処に きっと 森のオーケストラ
   林の一群は 合唱団
   選り優ぐられた 一段と高い位置に                   
  スポットライトを浴びた様な  ソリスト達
   バイオリニスト、ソプラノ、チェリスト、ピアニスト
  そして、向い側には、その演奏に感謝して、腰を折り曲げ      
  お辞儀をした侭の、木々達 
   あの木々は、きっと、私達の化身。
「素晴らしい演奏を、有難う!」の  言の 葉の。
             ♪
♪“色んな事があったけれど 
  色んなものに出会ったけれど

   時代を 見詰めて 変わらぬ姿
  気品ふる 裸木の背中に 太陽の光が 眩しい
  いま 美るわしき 言葉の源流へ
   たゆやかな 悠久の流れ
   ああ 私は 全ての中に 
  きっと 此処は 天国 ”♪      (「天国」巻末に曲)
                          戻る
                 ★
p47    
                 (平成十一年一月十二日)

 “気品とは 一岩の雨 人間に 
         葉捨て切った 木ひ(日)ん なりて”

 冴え切った、冬の張り詰めた空気の中、スラリ慄然と、霊気を漂わせて立ち並ぶ、裸木。───その、桜木の、背上の太陽が眩しい、木が眩しい。
 木の輪郭が陽の光に滲んで、太陽も、裸木も、輝いて見える。
  真さに、「後光が射す」を、見ました。
 その時に、「気品」と言う、言葉の語源の源流に行き着いたと、感、極まりました。────何処かで見た、と思ったのは、昨年(平成十年六月二六日)
の、前橋汀子さんのコンサートの最後、舞台の最前列の処で、一層明るさを増したライトに、照らされた彼女の姿でした。
 それと、同じ、昨年の十月、テレビ放映された「美智子皇后様の子供の頃の読書の思い出」を観た時の、美智子様の印象
 土壌が在って、「場所」があって、それは、一代、二代では醸せない、もっと、遡った、代々の積み重ねの「徳」なるものが、こういう方達を、私達に授からしめて呉れたのだと、改めて、き づ き ました。
────────────── * ────────────        
p47  日本人』
       

“渡来語の 言葉の「音」は 骨組みを 大和の「訓」子 情感 み 言葉”
 私は、俳句、短歌を趣するものとして、この風土が育んで来た、日本と言う国を、こよなく愛す。
 渡来語の、漢字の「音」読みの骨体に、「訓」読みによる情感と言う肉付けをしていった。そして、その変形の「ひらがな」「カタカナ」文字の創字。
 「気品」と言う言葉にしろ、嬰児を「みどりご」と、読んだ様に、人間の要素の部分を、木に感じた古代の日本人の、文明に汚されていない、研ぎ澄まされた感性と、理性が綾なした、創語。
 多彩な、数えれば切りが無い、日本語の素晴らしさ。
それは、日本の四季を持つ、気候と風土に生きた、日本人だからこその熟感と、考察で出来上がった言葉だと言える。
 その積み重ねが、歴史であり、文化である。
咲く場所、土壌に依って、花の種類、色が違う様に、「日本と言う国に咲いた」私達。地球規模の、グローバル化が進む中で、「この花」を枯らす事の無い様にしなければ……………。
 祖先が、幾多の争いや、戦争を経て来た中で、「現在」に生きている私達は「奇跡」の様なものだ。或いは、「選ばれた人」かも知れない。
 その私達は、「日本人」なのだ。
                ★
p47 『ずっと大阪』

“大阪で 生まれ 我と甥子 養分の 大阪弁は メディアに喰われ”

   ♪「ずっと大阪」      (巻末に曲)  
一  ずっーと 大阪が ふるさと           
   道路で 石蹴り 紙芝居             
  山の様に 跳ね 川のように 走り         
  坂道は 滑り台                  
   みんな みんな みんな 憶えていますか     

二  ずっーと 大阪が ふるさと           
   自転車 漕いで 梅新へ             
  銀杏 採りに 行った ベッタン ビー玉      
  ちゃんばらごっこ した              
   みんな みんな みんな 元気でいますか     

三  ずっーと 大阪が ふるさと           
   道路で 羽根つき 手毬歌 縄跳び ホッピング  
    原っぱで 穴堀り 草を被せ 落し穴      
    みんな みんな みんな どうしていますか   

四  ずっーと 大阪が ふるさと           
   道路に 長い 夜店の灯 輪投げ 当てもん    
   綿菓子 タコ焼き フライ饅頭 関東炊き     
    あれも これも 遠い 夢の 花火です     
    ────────────────────────────   
 昔は、集落、地域なるものが「国」の様だった頃の言葉────方言。
私と、甥子は、同じ様に大阪生まれなれど、その年令差の(私は五十三才、 甥子は十四才と十才)の如く、テレビ世代の甥子達は、ほとんど大阪弁を使わない。一緒に生活している人間から受ける言葉の影響より、メディアが大と言う、現在の時代の、顕著な傾向だろう。
 この先、何十年後、大阪弁も廃れると思うと、何か、うら哀しく、私達の「存在が無かった」様で、それは、その侭、先祖の嘆きの聲に、想える。
 そして、此れ程迄に、メディアの影響が甚大であるなら、学校教育、家庭教育、第三の教育として、例えば、アニメの中で、礼節を教える様な内容の伴った番組作りを期待したいと思う。
 それが、知らぬ間に、子供達の体内に(言葉と同じ様に)浸透すれば、マイナス効果とばかり言えない、プラスの倍増効果と、成るやも知れない。
 子供達に与える効果の重大さを認識して、メディアの責任性を、再認識して頂きたいと、業界の方々には、切にお願いしたい。  戻る
  ───────────────────────────      
p48 『 春 』     (平成十一年三月十四日) 
   一九九九年の 春が 来た              
    風に跨がった雲雀が 春の風を ついばんで     
    春の歌を 唄っている               
   風と 同じ様に 波路も 変わった          
    船を 乗り換えねば ならない           
    敗戦国 日本を 引き摺った様な 投降した侭の   
    旗印の 無い船から                
    「戦後民主主義」と言う 船から          
   東方の 水平線から 真っ赤な太陽          
   「日の丸」が 昇る                 
    私の 体内にも あるもの             
   何故 青地ではなく 「白地」を 峻別したか     
    純白を                      
   それは 日本人の精神性の 潔白さ!         
    日本人だから 持ち得た その「真白」を      
    いま もう一度 見直さねば────        
   船を 乗り換えねば ならない            
    末尾から 沈没しそうな 船から          
   旗印「日の丸」を 掲げた 船に           
              ★
 メディアの潮流に、淘汰されて行くものの一つが「方言」であるなら、  「時代」そのものの潮流の「方舟」が、やっと、法制化された「日の丸」  「君が代」の、国旗、国歌だったであろう。
 “日本の子 「星条旗」知れど 「日の丸」知らず”

 4年前の、アトランタ五輪の時の表彰時、信じられない事に、我が甥子達は、アメリカの旗は知っているのに、日本の旗を知らなかったのだ。
 戦後教育は、此れ程迄にと 痛感した。
  ──────────────────────────────
p48  にゃこリンの 「国 なき市」             
  にゃこリンは、お散歩する時でも行きしと帰り同じ道を歩くのは嫌いです。 ついこの間の事、現在では珍しく公園で子供達が、私達の子供の頃の様に「ごっこ遊び」をしていました。よく見てみると徳川綱吉の時代の様で一人がお犬様になり、後に2人が従い、他の子供達4人がそれに対して土下座をして「お通し」していました。「此の世は我が世じゃ、犬の権利にはお手とか、お座りの義務とかはないのじゃ、餌を用意しろ!」。にゃこリンには、犬が(正確には犬役の子供が)そう言っている様に聞こえました。其処へ、何時の間にか本物の犬が現われて、その後に立っている従者(の子供)にオシッコを吹っ掛けて走り去りました。                 此処は「国なき市」と言う所での事です。 (平成12年5月31日)    
           (『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン』より)
               ★
p49  「国なきし」                
 今年3月、東京都国立第二小学校で、屋上に日の丸を揚げた事に児童が抗議し、校長先生に土下座を迫った事件があった。真さに国なきし。  
 この事件に関して、東京都教育委員会は、日の丸、君が代に反対する行為、地方公務員法三十五条──職務に専念する義務──違反等で、国立二小の教師
十三人、五小では勤務時間内に、正門で卒業生の保護者に国旗、国歌反対のビラを配布した等の理由により四人の教職員に、戒告、訓告の処分を下しました。
 広島の教職員の「破り年休」にしても、この「日の丸」の国立小学校の教職員にしても(組合活動に教室を専用する等)、反日的傾向の強い学校で、子供達に対して恥ずかしい行為が顕著だ。
 教職員と言う職業を選んだ真意を、今一度自問して頂きたい。

“「恥」と言う 心も 戦死したり 日本 55回目 終戦記念日”

 世界の何処の国々でも、当たり前に自国の旗に敬意を払う中、オリンピックの国旗掲揚の時でも、青年海外協力隊の、その活躍ぶりには敬意を払われながら、国旗に不遜なことを不思議がられる、日本人。
 それは、偏に「教育」の「たまもの」でしょう。
  ──────────────────────────────   
p49  『国を滅ぼす教育』
 最近の、少年層の意識調査なるものを、新聞で見たが、世界八ヵ国中、将来の展望の期待度、叉、親への尊敬度等、日本人は最低であった。
 国を滅ぼすのに、武器は要らず、教育で───と言う言葉がある。
 一時は、文明度の頂点、経済大国と言われた、我が日本国。
もっと、微小な国でも、当たり前に掲げる自国の旗を、我が日本では「非国民」とは言わない迄も、それに似た「不自然さ」を掲げている人には見出だす「国」と、相成った。
この「日の丸」に対するイデオロギーは、何処にその発因があるのだろうか?
   
  { 彼の国の 歴史には 「こういう事が 在りました」      
    あの人は  「あんな人です」

    その時代に「在た分」でも
    あの人を「知っている」分でも ありません。  }

 戦争経験者の「天皇=神=日の丸」と言う、その当時の絶対的価値成るものから、敗戦によって、その転覆感と、不信感から発せられた拒絶感は、戦後生まれの私でも理解出来そうな気は、する。
 ただ、戦争というものが、勝利か、敗戦かと対極な様に、その戦前の裏返しの思想が、戦後の米国草案なる憲法と、相乗効果の体を為し、現在の教育と相交み得た。その第二次世界大戦時の、その時代の潮流から、その戦争を捉え(確かに、江戸期の被教育者であった、明治時代の「神国」の要素として、その節目、節目、荒浪を漕ぎ切る船の如き人物に恵まれた、神ががり的な日露戦争の勝利。が、「神がかり」であったと言う事と、畏れを忘れてしまった、先の大戦時の軍部の慢心と迷走が、木っ葉微塵の敗戦に結着させた遠因である事も、否定出来ない気がする。)全体の流れの中で、日本と言う国を見つめ直し(アジアの植民地時代の終焉の幕開け等)、子供達に、愛国心を喪失させるのでは無く「戦争」と言うものは、「悲惨なもの」であると言う事、(若し、「自分」が、その時代に立ち会っていたら、どう処せたかと、問えば、戦争行為に於て、誰をも裁く事は出来ない。戦争行為とは、どれだけ人間を殺すかで、その人間が、国の力量が、「優秀」とされる愚行の最たるものである。 こうして、テレビを観ている、画面の奥の奥、あの銃を持っているのは、「あなた」だったかも、知れない。「殺られるから」、「殺る」と言う図式が当たり前の時代があった事を思えば、自ずと「平和」の得難さは自明だ)そして、「国」を愛する事を教えるべきである。
 国を愛さない事が、戦争を忌避出来る様な風潮が、我が国に蔓延している。 戦争を放棄しました。それでも、核は益々増え、太平洋近海に、テボドン迄飛んで来た。
 誰かが、いざという時には、守って呉れるでしょう。
 そういう国に、私達は、生きています。     戻る
  ─────────────────────────────    
p49  「文化」──国』  
 音楽文化────近年、クラッシック音楽に心酔し切っている現在、「日本
の文化」に思いを馳せて、たまに、ラジオで聴く邦楽ジャンルの音楽に、馴染めない自分自身に、落胆する。
 若し、日本がずーっと、鎖国の侭であったなら、聴いていた「音楽」。
言葉も習慣であるなら、音楽も叉、習慣の趣向の中から、選り優っていくもの。だが、馴染めない乍らも、三味線や琴の音色に、決して大声を上げる分けでもない、日本人の心の機微や、繊細な気候に、寄り添う床しさを、感じる事が出来る。
 “ 秋雨の 弦を 爪弾く 三味の音 ”

 ただ、それは、クラッシック音楽から受ける感動感には、及ばない。
 日本人でありながら、何故? 西洋の音楽に?
唯一の、万国共通語の「音楽」。それは、人間が「一つの魂=一つの核」から生まれたと言う事の立証。それを、知らしめる為、発展した音楽であると、 自答する。
 そして、良いものは、良いと、認識した上で、それでも、排除された様に隅っこで息遣く、邦楽音楽の聴取の習慣性を、呼び戻したいものだ。
 西暦二千年も過ぎ、これからの情報網の拡充、完備を鑑み、益々の地球上の顔が、平面的に成って行く中で、せめて、日本人と言う、骨格の顔立ちだけは、後世代に引き継いで行きたい。「日本を忘れてほしくない」。そう願う故。       


p50  「原  
 (4年前(平成八年)の「蔵」のテーマに寄せて。)       
 本来、子供と言うものは時代の落し子であると言う事を踏まえて、親達が子供達と真正面から向き合う事を、忘れてはいけない。           
 ふと、現在の子供達が手にしている物を全て捨ててしまったら(失くしてしまったら)、心は「豊かさ」を取り戻すのではと、思ったりする。
 最近、私が手にしたCDから、その何も無かった、私の生まれる前の時代が彷彿と甦る感触を覚えた。                       
 その四年前のNHKTVドラマ「蔵」のテーマ音楽は、日々クラッシック音楽を趣向している私にとって、日本人でありながら、もう一歩深く踏み込めなかった邦楽が、その邦楽器の秦琴に依って、日本の原風景へ誘って呉れた。 

   【「蔵」の中 貫く響き 呻く 生】         
 『「蔵」中の、秦琴の音色に、又 巡り会えて、嬉し。桔梗の花は、咲いても、咲いても、青い(ブルー)な様に、咲いても、咲いても、赤くなる事はない、太陽の明るさを知らない、そんな弦の音。』              

 日本の原風景の、深い山脈のあちら側から、
歩いて来る「足音」。
或いは、山の底から這い上がって来る音楽。
谷底の道の土の性質を、
草鞋の下に嗅ぎ分けながら、一足一足峠を越えて行ったか。    
 60兆個の細胞潜む海に、
蜘蛛の糸の様な、「秦琴」の糸が降りて来て、
唯一、60兆個分の1の細胞が、その「糸」に釣り上げられた
 その山の海の底から飛び出して来たものは何か?        
あの「弦」は宿命的に、「陽」色を持っていません。       
        ・・・・・・・・・・・・・・・
 乾いた風に、竹は哭く。乾いた風に、竹は咽ぶ。            
 乾いた風程、竹はうたう。地の底の噴風が、竹の胴を突き抜け、  
 微かな人の毛穴から侵入して、胸穴を満たす。          
       ・・・・・・・・・・・・・・・
 地の底から涌き上がって上った、蛍の後を追い駆けたのか。     
 その空目指した竹が、それ故、削り捨てなければならなかった、自身の「身」。

ああ、その空洞の中を、地から天へ吹き抜け、嗚咽する風よ、
それ故、生まれた風よ。竹の代弁者よ。
そうでなければ、お前と出会う事もなかった。
もっと、もっと遡った「以前」から、現代へ吹き抜けて来る。  
 天目指す、竹の悲歌(エレジー)。

 4年前にドラマのテーマ音楽として聴き、深く心に残ってから、3年前に聴いた、前橋汀子さんのバイオリンが、それ迄の西洋音楽を淘汰したに拘らず、淘汰されなかった音楽。
 三味線でもない、ギターでもない「秦琴」のこの微妙な音色に惹かれるのは何故だろう?日本人の東洋人の、血が震える。                               

   その当時、その風土を持った故の、悲しみと
  現在、その風土を、持たないゆえの、悲しみが 交錯する。


      (「蔵」の秦琴と尺八に寄せて)      戻る
 ──────────────* ───────────────  
p51   「五重の塔」

  “東寺(当時)から 新幹線くぐり 菩提寺へ”          
 大阪の寝屋川から、一号線を京都方面へ真っ直ぐ、ずっーと走る。
木津川、宇治川を越えて、やがて突き当たりに、東寺の五重の塔が見えて来る。其処を先ず右折して、すぐの信号を左折し、新幹線のガードをくぐり抜けて、ずっと行くと、五条通りの大通りにでる。その信号を右折して清水寺方面に走る。
 五条坂を上がり、突き当たりが、清水の参拝道。
この三年坂の下のお寺が、菩提寺の興正寺。
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墓参7句首
  “墓参坂  ゆく 人 かえる   彼岸”            
  “墓参段 一段  一段と  蝉の聲”               
  “亡妹と 参りし墓に 今は眠る 花入れの水 溢るる悲しみ”    
  “六人の 弟妹(きょうだい)も 四人逝き                           墓は狭きか  此方は広し”        
  “父が逝き 弟妹(きょうだい)四人も 先立ちて                        年経る毎に  ちかしき顔よ”       
  “彼岸なる 彼方より来る 春のいき 木々の末裔 墓石に柔き手”  
  “墓の塵  禊(みそ)ぐ 私が  禊がれて”            
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 元々、日高家の墓は亀岡の近くにあったのだが、交通不便な事もあり、父の十三回忌の年の、昭和五十二年に現在の所に墓を作った。
 五輪塔、長方形、お地蔵さま。三基がびっしりと立っている。       
母が、墓屋に推められる侭、購入、建立した。
 京都と言うことに、別段意味合いがある分ではない。
ただ、私が若い頃よく京都へ行っていたので、其処ならば、後々参ってくれるであろうと、母も、京都へ降り立ったとか。
この強固にして、黙して、語らず、変わらぬ、墓石も、日本の遺物であろう。楓の樹々と葉に囲まれ、緑蔭に、真夏の陽射しも吸収される感がある。
 動かし難い「死」と言うものを見詰めて来た、日本人の永さを、私も見詰める。
 墓参りの後は、珠に、清水寺参道の店で、八ツ橋を買って帰る。
又、珠に、「七味屋」さんの山椒も。どの店も古さが、誇りの老舗。
 誇れる物が遺っている、京都の町。
新幹線がスピードアップする様な時代の速さの中で、その「古さが佇む」域に踏み込むと、時計の秒針と、空気の長針が、やっと噛み合う。

 帰路、東寺の五重の塔の側の信号を右折するので、大概、信号に掛かる。
そして、つくづくと五重の塔を見遣る。その「巨大さ」に圧倒される。  
 海の大きさの様な、「時」の広さというか、佇まいの永さに。
 それは、紛れもなく、私達の先祖が実在していたと言う型の証明の様な千年前の手触感を、見る。
 何世代もの風景を見て来た、五重の塔。
 何世代もの人がを見た、五重の塔。
全て手作業だった、一本一本の材料の木に込めた、職人さん一人一人の思い入れの密度の分が、現在も尚「時間の鎮し」となってビクともしない。

 新幹線も、もっと早く成るだろう。益々、時代は加速される。
この先千年後は予測も付かないけれど、五重の塔は存する。そう信じたい。
 私達は、死後、何も遺せないが、遺せるものがある
日本と言う国の、「五重の塔」を築いた「職人さんを仰ぎ見る」

“新幹線 後にも先にも 五重の塔 早まる速度 「時」の重しに”

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p51  天国への階段」        
────平成11年9月23日────

  “光 キャッチ 天国への階段 京都駅  ”       


 秋分の日の墓参後、真直ぐ帰らず、二年前大改築されてから、一度行ってみたかった京都駅へ、甥子2人と共に行く。               
  “空と雲  生中継の  壁面鏡”

 駅の構内に入った─────幾何学模様の柱、支柱に目を見張る。  
そこは、丁度摺り鉢の底の様な処から、左右に階段が各上方に向かって伸びていた。が、その先には、屋根が無く吹き抜けになっていて、建物の境界の定め様がない。雨の上がった、西方の其の階段を見上げると、空が眩しい。    
 あの先には「何があるのだろう?」と、思わせる心憎い演出。その演出家の思惑通り、階段のエスカレーターに、一歩、足を踏み落とす。        
 そして、「其の先」へ着く。と又階段がある。又、エスカレーターを上がって行く。
又、ある。踊り場と云える部分が広いから、其の先は見えないので、もう終わりかと思っても、未だ「ある」のだ。まるで、天国へ運ばれているような錯覚を覚える。何故なら其のエスカレータは、ただ天に、空に向かって伸びているのだから。
 その踊り場途中、左右には、ギャラリーや、レストランの「扉」がある、「天国」へ行く前に、ちょっと寄り道をと云う気になるかも────

 数本の植樹が見えてきた。やっと、最上階に、着いた。      
西陽の、溢れんばかりの光に、受け留められた ─────        
そんな、幸福感が、充ちた。(未次元の擬似体験のような)       
 五重の塔が、南西下方に、小さく見えていた。            
 空(天)をも、建物に取り込んだ、斬新な未来形の「ステーション京都」。
  時代遅れの、私なので二周年過ぎて行ったけれど、一見に値する。

 “天(そら)に 着く 階段がある ステーション”     戻る
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P52  『 美 徳 心 』
 永い、永い生命のバトンの継承で、現在在る、私と言う「存在」。
肉体も滅した後で、「存在した」と言えるものは、何であるか?
(継ぐ肉体も持たぬと言う自身を顧みて)
 それは、生の本能の様な、日本人の本能。
「文化」を継承して行く事。甥子達に、百人一首のかるた遊びを通して、  日本語の美しい言葉の流れ、リズム性を、無意識にでも習得して呉れればと、かるたを誦み上げながら、万葉人の世に、自分が在る様な気分を味わいつつ、願身するのである。

 この夏の事、信号待ちのカーラジオから、邦楽が流れていた。
吟詠者の、抑揚と、張りのミックスされた声と、琴の伴奏に、日本の山川草木わび、さびの中にいる様な、静淋な「遡った時間」に浸っていた。
 ふと、目を遣ると、道路上にジュースの空缶が捨てられている。
排して、整頓した筈のものから、産まれたもの────          
────「捨てられた」美徳心────

   秋のうみ すみずみすみて 鈴虫音

  “ 秋のリーン 夏の終わりや 冬の前 ”

 夏と冬間の、ささやかな「一刻」に、秋の澄んだ音色を響かせる、鈴虫──れは、夏の「ひ」の後始末、燃え粕の清掃をしているよう……………此の秋の「土」から産まれた鈴虫。八・二五の新聞の気候欄の「秋立ちぬ」に、将来的な、秋季の喪失を懸念している記事が目に留まったが、ヒートアイランドと言われて久しい昨今、此の火は、益々オゾンホールを喰い散らかして行くのだろうか?
 「日本人」の皮膚を包む「日本」と言う国の、粛めやかな此の空気に、忘れていたものを、想い出した様に、ふち、立ち止まる。
 それが、夏のエピローグと、冬のプロローグである事を、否応なく「配達」されて、人は皆「文ふみ」を、書きたくなる。                
その中庸さを感知出来る、それが、日本人だった。………

     ─────────  ♪ ──────────
♪小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた……♪(サトウハチロウ詩)

  「ちいさい秋」を見付けた詩人が、いました。

そういう風に、昔、「秋」を見付けた人がいたのです。
 地球の「東西南北」の様な「春夏秋冬」。

 地球の、極の、北と南の中間に、東西を置いた様に、春を夏に含めても、 秋を冬に含めても、良いものを、その間に、儚い淡さの「春」「秋」という、季名を付けた。 夏の、南から「西」の様な、「秋」。   
ちいさい秋は、さしずめ、方位の、南南西辺りでしょうか?       
 私達も、色んな「ちいさい」ものを、見付けたいですね。
                     (「にゃこリン問答集」より) 


P52    「日本の花」
 “団塊の 世代の暖我(わ)  ただひとつ 芯にあつめて 火鉢の丸さ”

 火鉢が、ただひとつの暖とりだった、私達子供の頃。寝る時は、湯タンポ。そういえば、あの頃は、家の中もだが、外も、現在より、もっともっと、寒かった。登校途上、トントン(焚火)しているのを、よく見かけた。「火に、あたりたいナ」と思いながら通り過ぎた。
 勿論クーラーの無い夏は、現在より、もっと暑く、団扇が身近にあって、皆んな、汗疹をつくっていた。それが当たり前で、身体がそのまんまの季節を、受け止め、受け入れて来た。                   
 国民性と云うものが、風土なら、日本の戦後と共に大きくなって来た、昭和21年生まれの私達世代は、「最後の日本人」の様な気がする。
     ─────────── *  ──────────      
      「日本の花」───(あの時の)
 想するに、私が、地の中の一粒の種子となったのは、敗戦後の何ヵ月後でしょう? 私は、日本人の、その残骸の破片と、黒煙たなびき、異臭を発する、「日本の形相」を、何故、知っているのでしょう?
 何故、日本と言う国に、此処迄、想い入れ深くなるのでしょう?
その頃の両親の見上げた、空々しい空の、それでも青い空の、哀しみ。十分に荒み切った大地に、それでも、垂直に、足を踏み込み────大地を割り、新しい種子を、あの時、確かに植え込んだ、両親のその決意。  新しい「日本の花」の為。                      
 そして、翌年十月種子は芽吹き、その花と成った、私。

「日本人」
である事の、こだわりの根幹は、「あの時」の継続線上の想念
 ─────────── *  ─────────       
 メダカ が、絶滅の危機にあると言う。
コンクリートの固形体と、空調設備のビッシリの此の時代には、最早、「四季」を知らない人が、居るかも知れない。
 そして、「未来」が目指しているは、その方向であるのだけは、間違いないだろう。いつの時代に在っても、他の生き物達を「枯らせてしまう場」に、 自分達の生きた時代だけは、立ち会いたくないものだ。

 P53★★★★    ★★★★    ★★★★    ★★★★  

  “ 「エジソン」の 蓄音機の様  鈴虫むしの羽根 ”

          「音の宝石」
     飼育器の中の 鈴虫が 羽根を             
     エジソンの 「蓄音機」の様に 開くと         
      オルゴールが 鳴り始める              
     その 一徹な 反響音は                
     夜空の 星と 星の 「和音」のよう……………     
     鈴虫が 羽根を震わせる度  その 和音が      
     あちら こちらで 重なり合い……………       
     だから 秋の夜空は  星々が             
     一層 輝くのでしょう。                

 ────地上の鈴虫は、輝く「音の宝石」です────  

      “ ピカ一の 「音の宝石」 鈴虫よ ”       
★★★★    ★★★★    ★★★★    ★★★★

 (これだけの、感銘感を、人に与えられる、鈴虫の、美しい音色を聴けば、「人間等 如何程のもの」かと、思ってしまう。

 蛍とか、鈴虫とか、人間が見て、美しい生き物達の存在の意味付けが、この鈴虫の透明な音色の内に、きっと、探り当てられると、思います。)        戻る


P53    はなび)────〔鈴虫〕
                       (平成十年八月三十日)
 “鈴虫は ガラスの羽根の 拍子木を
   叩いて招く 「寝屋川まつり」 


   「ルルルリーン・ルルルリーン」
 二学期も間近の、(平成十年)八月三十日「寝屋川まつり」の会場入口辺りでは、鈴虫達が、ガラスの拍子木を叩いて、私達を、招き入れていた。
 中に入って、さっそく、私と、小学三年生(当時)の甥子(私の亡妹の次男)は、出店のイカ焼きを食べたり、ポケモン掬いや、くじ引き等に興じた。側で、盆踊りの音楽が、輪を描いていた。
夕陽が、淡く雲間をかすめて、急に、暮れた。
 
  あの、明る過ぎる空間は、何処だろうか?
 打ち上げ花火を待つ迄の、歌謡ショーの処から反対側に、私の視線は、吸い寄せられていた。─────三次元の世界─────
 鈴虫の音色でくるまれた様に、その灯群れの夜店は、川面に浮かぶ三階層の船が揺れている様に見えた。
 人の流れは、下の一次元から、二階層の二次元へ、まるで、エスカレーターの川の侭に流れている様で、叉、同じく三階層の三次元の人も、その階を、流れている様であった。
 此の辺りから見ていると、「人」は、皆「影」の様に同じ故、三次元から二次元へ、一次元、二次元へと、循環良く「一つの法則」の様に、巡っている。 現在の、私自身が、果たして何次元に在るものやら、「過去」「現在」「未来」────「全ての中に」に在る様な、魂の浮遊を、感じていた。
 その光の看板には、「ベビーカステラ」「綿菓子」「くじ引き」等々、の文字が見える。

 ベビーカステラ ────あの明光が、近づいて来る。
──────ゴトン、ゴトン、ゴトン……………
 時刻を刻む様な、枕木の音を軋らせ、それは、まるで、「銀河鉄道の夜」を超えて、休む事なく走っている列車から順番に抛り出されて、「現在の時代」に降り立った。
  「ルルルリーン」
 深秋の十月、鈴虫が唱っていて呉れたと、思います。
私が産まれた朝────安らかに、眠った侭だったのに、若い産婆さんだったから、私は逆さにお尻を叩かれ、水に浸けられ、可哀相に「生まれた」そうです。でも、目覚めたのは、産婆さんのせいだけではありません。「ルルルリーン」その聲に、惹かれたからだです。
そう思っています。───

 綿菓子──子供の頃の夜店、そう現在みたいに、夜がこんなに明るく無かった頃の、闇の中に、光の連なりが、大きく輪を描いていた。
 そう言えば、小さいけれど、何処よりも美味しい、あんドーナッツ(その頃は、フライ饅頭と言っていた)の店があった。
 舟の船頭さんみたいに、リズムに乗って衣にアンコを丸めて行く、職人さんの、そのリズミカルな姿に、よく見入ったっけ……………     口の中に入れると、美味しさが躍った。─────テレビは、未だ無かったけど、以後、テレビででも観た事は無い。それに、匂い付きだもん。
 あの夜店────何次元かの、華やかなりし頃の夜店───あの明るい灯もだんだん薄れてゆき、あれ以来、あんな美味しいあんドーナッツとも、それっきり…………………。                    
 もう四十年も前の、現在の甥子と、変わらない、十才頃の事。   
 あのおじさん、どうしてるんだろう?あのリズム、今でも思い出せる。
 三段目、左端の階段の処が、仄かに見える。人の流れは、其処から初まり、其処へ、下りて行く様だ。頂度、明るい舞台から闇へ下りる、現前の歌謡ショーの、此の人達の様に。
 そして、待望の打ち上げ花火を観る為、その夜店寄りの、池の方に場所を移動した。その場所からは、人々の輪郭もはっきり見え、「現在の夜店」に、なっていた。

  「ドドーン!」
 夏の終わりの合図の様な、号音と共に、星の無い真っ黒な空を画用紙にして、打ち上げ花火が、色彩を滲ませて行く。
しかし、大きな音の割りには、小振りな花火群であった。……………
 やがて、花火の星灯りもすっかり消え、何もなかったかの様に、すっかり……………。
黒い緞帳が、降りた。
池に目を落とすと、水面には、あの「夜店の灯」が、揺れていた。

  「ルルルリーン」
 今度は、出口だけになってしまった、同じ辺りで、変わらぬ鈴虫達が、「祭り」の終りを、「夏」の終りの幕引きを、地底に、高らかに、響かせていた。 それは、身体全部が、透き徹って行く様な、最上級の「レクイエム」で、あった。
 「花火、綺麗かった…………… 」
帰路の途、鈴虫の音色と合奏する様な聲で、甥子が言った。
 さっきの「夜店の灯」が、鮮やかに蘇る。     
─────四十年後と、ともに……………………
……。

───『ベビーカステラ』の頃から いつか
         『綿菓子』の 雲の夢を 食べ終え     
        
当たり」 か 外れしかない
    『くじ引き』の様な
     それが、『人生』───────  (了)

(以上は平成十年「フェリシモ文学賞」テーマ「つながり」応募・投稿分)
  我 投稿 「ルルルルリーン」は  哀しい音色          
 「花灯」は消えて 「つながり」  ならず 
────────────────────────────
                ★
P54  花灯・「寝屋川まつり」一年後』
                    (平成十一年八月二六日)
 (平成11)年8月21日(土)、午後4時過ぎに、家を出た。
昨年は、宿題を皆目終えてなくて連れて行かなかった、中学二年生の甥子も加わり、下の小学四年生の甥子、私とで「寝屋川まつり」へ、徒歩にて向かった。その道々の、道路沿いの歩道には、夏の勢いと共に、夏草が、コンクリートの「壁」を裂いて、処々に噴生していた。
「元々は、私達の土、だったのに……………」
慎ましやかな、そんな草々の、聲なき聲が、見える。
 整頓された様に、全然、雑草の生えていない歩道もある。──── 人間は、この「美しさ」に、馴れてしまっていると、思った……………
 寂漠とした「美しさ」に──────

   “「江戸の人」 おもいむく 「寝屋川まつり」 ”
 歩き、歩いて、ふと江戸時代の「人」を、思い還しつつ、五時前、やっと、会場の打上緑地に着いた。昨年より早い時間帯だった為、入口辺り、今年は、鈴虫でなく、蝉の、木々の葉を揺する聲が、迎えて呉れた。 会場に入って、早速、甥子二人は、ヨーヨー釣りや、スーパーボール掬い、当てもん(くじ引き)をしたり、クレープやイカ焼き、おでん(関東煮は死語に成りたり)を、私も一緒に食べたりした。
 シルク(絹)を着た様な、黄金色の夕焼けが、奥行のある輝きを「別次元」から放っていた。暮れた空の下、盆踊りの輪は、途切れる事無く、今年も輪を描き、広い会場の中、三つのステージに、一方では、人形劇、もう一方では、ロックバンド、此方では、今年は、「歌謡ショー」ではなく、中国から来た、上海の少女達の、舞踏、歌唱、演奏(筝等)があった。
 「夜店の灯」は、変わりなく、連なっていたが、「三階層の船」は、去年の「寝屋川まつり」が終わった後、「銀河鉄道」を追い駈け、「その夜」の中に戻ってしまっていた。……………
 立っている場所、日のズレ(去年は八月三十日)、風の角度、そんな微妙な「ずれ」が、写真のピンボケの様に、その夜は噛み合わぬ侭、フィナレーの 花火になった。
  “ 五線譜の レーザー光線 花火「音」 ”

 BEET・MUSICに乗って、レーザー光線銃が、池を、木を、夜店を、撃って行く。時には、緑色の光線の五線譜の上を、花火が、弾丸の様な、音符を、落とす。 花火は、去年と同じように、いや、それより小振りで、その夜を、閉じた。
 “ 寄附をして 「愛は地球を救うなり」 
      鈴虫貰い 「寝屋川まつり」”
 会場を入った時、直ぐに、TV「愛は地球を救う」の募金場所が、数ヶ所にあり、募金をしたら小さな箱に入った雄、雌一匹ずつの鈴虫を貰った。   
 家に帰って、飼育器に入れ、茄子やじゃこを与えると、雄が羽根を拡げて、美しい音色を奏で始めた。

  “ 冥界の 共鳴音なり むしの稟 ”    

 今も、目の前で、昨年の「寝屋川まつり」の時の様に、ガラスの拍子木を叩いている。 
 「ルルルルリーン」、 鈴虫だけが、「祭り」の収穫だった。
 去年見た、三次元の「花灯」の「澄明」な灯群れは、鈴虫の透明な音色の 「原光」だった様に、思えて来ます …………………………。
                           
 “ 遥かなり 「自然界」へ 還る道 
     郷愁のすむ 鈴虫(すず)の音色おといろ ”

     
★──────────★★★────────────★  
P55   『 鈴  』    (平成十一年八月二三日)      

    「ルルルリーン」
                       
  扇形の 羽根の舞台を 開いて  今年も 鈴虫が         
  ガラスの拍子木を叩いて 「誰か」を 招いています。          

 「押さないで! 並んで! 並んで!」             
その、美しい音色に魅せられた 蟻達が 数珠繋ぎに 連なっています。
それは、此の、ひと夏の 山の様な  蟻の量でした。          
次から、次へ、蟻が、その鈴虫の音色をバックに、羽根の舞台で   
 ひと舞しては、「幽界」へ旅立って行きます。
 現に 蟻の姿は 其処で「プッツリ」消えて 「透明」に なってしまいます。                      
 その、遍路の列が 途切れる頃…………「清盛塚」 燃え立った
 「夏」と言う 「生き物」も陽炎の様に 幻と 化す事でしょう。                 
  “ 遍路人 何処まで 連なる 鈴虫の稟 ”          
    ─────────────   ────────────── 
P55   『蝉・鈴虫』

    “ 突然に 潮騒の中 蝉 唸り ” 
             「 夏 」
                            
       夏 「盛り」の響き
 

少し 離れた所から 聴こえる────



    “ 車道こえ 蝉の 迫りて 遠ざかり ”   

 枚方への国道途上、先月の賑々しい「暑い暑い」と言う、木々の代声の様な蝉の聲も、切り取られた空間の様に、すっかり、姿を消していました。
 今、秋の夜長、飼育器から聴こえてくる鈴虫の聲は、美しく、切々と、
哀しい哀しい」と、やはり、木の聲のようです。

 『あんな風に、啼いていた、私達も………
 私が、受けとめた様に 「誰か」も 受け留めて呉れたか ──
  それは、大地や、木や、空か、
  ならば、きっと、憶えていてくれます、ね。』

 “ 暑い 暑い 人生の夏は かく 過ぎぬ ”                   戻る
P56──────── * ─────────── ♪
 ♪ ♪          ♪♪ ♪♪           ♪♪ ♪ ♪  
         (平成十一年九月二十日)       
   “ さり気なく 咲き流して コスモスは ”        

   秋に咲く 秋桜の花  さらり すべて 受け流し 
   葉脈を 滑り落ちた 朝露の 冷たさに  思わず 
   空を 見上げ 渡る 鳥を 見送ります
    少し早足になった 風の音を 聴いてご覧
    野を分けて 走る 風を 見てご覧
    いま 私は あの雲の 分かれ目に いる

   骨壷の 温みが 膝に 三年前の 秋の日に        ♪ ♪ 
   道の 野辺に 秋桜 揺れて さようならと        ♪ ♪  
  手を振って そんな風に 人は 季節を 残してゆく    ♪       
  少し早足になった 風の音を 聴いてご覧
    野を分けて走る 風を 見てご覧
     弟の顔 あの雲の中に 見る

   秋に鳴る オルゴール チリン ルリン 鈴虫は
   羽根を 震わせ 夜空の 星々 触れ合って
   輝き 和音の様に 音の宝石箱
    少し早足になった 風の音を 聴いてご覧          ♪ ♪  
  野を分けて走る 風を 見てご覧              ♪ ♪   
  いま 私は あの星の中に いる     (巻末に楽譜)   
     ♪ ♪♪♪♪          ♪♪♪♪♪        


P56  『耳の「壷」』 

    ルリーン チリーン           
  あの音は 毎朝 毎晩 
  鈴虫が 槌音を 響かせながら 

  練り 作り上げた 
  ガラスの 壷の中に 落ちる    
 
  朝露 夜露の 音です……………           
 
  その壷 私 鈴虫から 貰ったのです。
    ─────────────────────────
P56   『ルーン』    (平成十一年九月二八日) 
 
 八月二十一日の「寝屋川まつり」で貰って以降、毎朝、毎晩
「ルリーン、ルリーン」と思い切り、羽根を打ち鳴らし唱っていた
鈴虫も、この四〜五日前から、すっかり鳴声も、その羽根が薄く
なったのかと思える程に、叉、細い糸が、ぷつんと途切れてしまいそうに、
か細くなりました。                       
 それでも、全身を震わせ、今にも消えそうなローソクの様に、切々と、
その音色は、なを澄んで、一粒、一粒の、蛍音が転がって、
私の体の中に潜り込んでくる様です。                    
 一日、一日、深まる秋。                      
生き物、全ての嘆きの聲の様に「ルーン、ルーン」           
 いまを、啼き続けています。                  

“ うすめくは 鈴虫の音  幽か なを澄んで ”  

  ──────────────────────────
P56       『何処に』                
     “海に還らむ  うみにかえるとや          
     空に還らむ  そらにかえるとや          
     土に還らむ  つちにかえるとや          
       我 いづれ  人 いづれ  
      何処に 還らむ
      いずこに かえるとや” 

  向かい風の中の コスモスの様に               
  足下に 踏み潰けられている 秋草の様に           
  終(秋)末の 拐って行く風の中  残り一匹になった     
  鈴虫が よろけるように なを 踏ん張って 聲を震わせている 
 
 その 音色の度に 私の身体の中の 黄葉の一枚が
 神微な 風の掌の中で  千切れてしまいそうです。

 今日、飼育器を這い上がろうとしたので、自由にしてやりました 
 ああいう風にしたのを、今迄、見た事が無いので「その時」を、 
 感じたのかと、此方も、決心が付きました。          

 “ 鈴虫を 放つ 今日を 命日とせむ ” 

──────────────────────────          戻る
P56・・・ 『サボテン』   (平成十一年九月二一日) ・・・
                                           
 “ サボテンは 真面目に咲いても サボッテンか ”      

 サボテンは アンテナが 一杯。                  
或る日、一番敏感なサボテンの一粒が、微妙な「伝波」を嗅ぎ分け、 一、二、三で、その茎から飛び降りようとしたら、風が手助けをするか の様に、ひと吹き流れ、簡単に着地する事が出来ました。      

 「ピ、ピ、ピッ」と、感じる方向に転がって、転がって行くと、
「ルルルリーン」「ルルルリーン」と、微かに、聴こえて来ます。    
 近付く程に、だんだん大きくなって、まるでドームの中の、反響音の様です。
辿り着くと、本当に、其処は氷の中のドームでした。      
 
 地も空も、透明な氷が張り詰めてあって、それが、反射し合って、
 キラキラ輝いて、目も眩むばかりです。                   
 鈴虫の姿は見えないけれど、あの音が「ルリーン、ルルルリーン」と  
星の様な、その氷の破片が落ちる度、響き渡ります。         
 見ると、サボテンの針が、溶けてなくなっていました。………

 次の年、何処かの草叢の下から、鈴虫が、還って来ました。
   「ルリーン、ルルルリーン」              
  ・・・                               ・・・ 
★★★─────────★★──────────★★★─
P57    『レクイエム』   (平成十一年十月三十日)    

 “ 星の「精」 レクイエム なりやまず ”
 一粒の露から、生き物が生まれ、それが、何年間、何十年間の大きさで
 あったにしろ、「今、消え失せる露」。                  

 何千年の樹を、守る人がいる。                   
現在、放映中のTV「あすか」の中で、三百年間続いた老舗の暖簾を、絶やすまいとするシーンがあるが、その心を呼び戻させたのは、代々伝わって来た、「家業」の「記録書」。 国単位で振り返る、歴史、文化。
 その時代、時代の継承者としての、自身の、役割、使命感。
人が、「存在」と言う事に、敏感な限り「美しきもの」は、引き継がれてゆく。その歴史を、見据えて来た、鈴虫が亡くなりました。
 私の「音の宝石」をなくしました。澄明な音の記憶を遺して、鈴虫は「永遠の夜」へ旅立ちました。鈴虫の、音色を思い出せば、真さに、「星から来て、星へ還る」と言う事が、実感出来ます。
 人間の生きてきた厚み、何百年、何千年、もっと遡れば、生き物の何億年、それが覆い隠してしまったもの──────

 私の場合、宝石は、自然美、音楽ですが、万が一、物の宝石類に、本当に魅惑された人が居たとして、それは、きっと、その「輝き」故でしょう。
 その「輝き」だった頃が、人間にもあった。 
「美」と言うものは、生きものの、原点。
 それにしても、年々、深く加美されてゆくのは、どういう事でしょう?
  私が現在、手にして、「輝いているもの」            

「その輝き」は、掌に決してのる事はなく、なんの「重さ」も、ありません。  
★★★────────★★──────────★★★─
  “ 晩夏から 仲秋なりて 鈴虫の音色は
        フォルテから ピアニシモふる
 ”

 “ 静寂さ なくことのなし 鈴虫は ”


P57  「三度目の寝屋川まつり 
 ───平成十二年八月二十日────    

 毎年、「寝屋川まつり」が催される打上治水緑地を、先日車で通過した。
あの各舞台、盆踊り、華々しい夜店の花灯、そして、夥しい人の群れ───
 その水と緑の側を通り過ぎ乍ら、去年、一昨年の「喧騒の絵巻物」が、
拡げられては、畳まれ、拡げられては、畳まれした。

 本来の「自然」の姿に────結局、「人間」は此の舞台の上で、その時代の中の、己の役回りを演じ切って、その聴衆だった「自然」が、最後を看取る───そんな想いが「通過」して行きました。………

 そして、現在、その「人の群れ」の中に在る………
三度目の「寝屋川まつり」も、甥子二人と共に行った。
 今回は、フリーマーケットがあり、私は申し込みそびれたが、五時前という事もあって空きスペースを見付け、急処車迄クラフト壁掛を取って返り、約一時間程、其処で出店した。
 その後、長い長い夜店の連なりの中、ベビーカステラを頬張り乍ら、甥子と歩いた。
金魚すくい」一回三百円。たまにするもんやなぁ。
  私が子供の頃、夜店は1,6,3,8(いちろくさんぱち)の日にあって、そのたんび金魚すくいしとった。一ヵ月に十六日として、今やったら、子供の小遣いだけではでけへんやろ。「夜店」も希少価値になったから、値打ちも上がったんやなァ────
  “我が家に 泳ぎ着きたり 金魚達”
 先月の、町内会の盆踊りの時の金魚すくいで貰った金魚があるから、甥子は「金魚いらん」───ああ高。
 私には、懐かしい、甥子には、珍しい「うなぎ釣り」もあった。
「うなぎ」と言えば、大分前「うなぎ」と言う映画がテレビでも放映されて観た事を思い出した。
 “「うなぎ」観る せめて UFOを 待てれば”
 今の気持ちは、 “水槽の うなぎ じっと 待つ夢を 高く 飛び出し UFOとなる”
 
 その後は、お好焼きを買って、手品、漫才を見乍ら舌鼓を打った。
  “暮れ染めき 「寝屋川まつり」 藍色の空”

 
二年前の、最高の夢幻夜、その一年後、そして、今年と………
  “悲しみの海  底まで 沈めば そこはなし”
 悲しみの、深さも、感激の、高さも、最低、最高だったと気付いた時には、
もう、そこには、その「居場所」はない。
 今回は、歌謡ショーも、花火も見ずに、帰路の途についた………
  “鈴虫も 「寝屋川まつり」 おとなしや     
        収穫は ただ 藍色の空”
                   (平成十二年八月二十四日)                  戻る
─────────── ** ──────────── 
P58  『美 感 』   (平成十年十一月九日)

 “夢であれ 現つであれ 鳳仙花 「美し」人間 透かし 水槽” 
 家の前に駐めている、私の車のシートカバーは、白いテーブルクロス、若しくは、花装紙を拡げた様に見える。その、助手席の処に、車の側の鉢植えの 鳳仙花が、光の対射さながら、刺繍された様に、車の窓に浮かび上がっている。
白地に、赤い花─────水槽の花を見ている様で、美しい。きっと、
実際の花模様の、レースより、美しいに違いない。

 台所で、洗い物をしている、目線と、その位置にある、たまたまの巡り合わせ、「実際が」ではなく、「美しい」が、素晴らしい!
 どちらにしても、全て、幻想に違いないのだから……………。

 “映車(写)窓 シートのレースに 鳳仙花
    光解きて 我がバースディに(10月31日)”
─────────────────────────
P58 「 波打ち際の 日 」 (バースディ前当日)  
  (平成十年十月三十日 から 十月三十一日)           
 今日 十月三十日は  未だ 「海」 だった  
   波打ち際の日 五十二年前の事
 明日 十月三十一日は    「陸」 だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    
去年の 十月三十一日の朝 飛来した51羽の 
      白鳥は 
今日 十月三十日 51羽の
     カラス
となって
永遠の夜 へ 飛び去りました。    (平成十年十月三十日)    ─────────────────────────     
P58◇◇◇                        ◇◇◇ 
     『鳳仙花・T』            

     今朝 鳳仙花の朱の あまりの可憐さに 
      そっと 手を触れた積もりなのに 
      「今 真っ只中」の 花弁を 
       落としてしまいました。
     あれは 私の「意志」でしょうか?
     それとも……………

     秋の風が 私の頬を 刺して 行きました 
     一枚の 花弁びらが                    
     胸にわだかまって 散りません─────        
   ◇◇◇                        ◇◇◇

     『鳳仙花・U
                   (平成十一年七月二二日)
   “忘れたね あかし去年の 鳳仙花 ”

 去年の、その鳳仙花が、先日、色彩気のない、我が家の鉢植え群の中で 赤い灯を、点しました。
 来年と言う「今年」には、無頓着な「家人」を当てにせず、ちゃんと種蒔きをして、それも、去年の六倍分の数の茎を、後続に控えさせています。
 梅雨明けした今日、これからの真夏日を、去年の可憐な、一鉢の「来訪者」が置いていった六鉢分の「子供」が、夏を謳歌する如く、赤々と、玄関を、彩ってくれる事でしょう。
  “鳳仙花 バッタに すかれて はげっそり ”
 その鳳仙花、一時は、葉姿もパリッと瑞々しかったのに、少し前から、居ついたバッタのお蔭で、今は、葉が削がれて、げっそりと、見るも無残な姿です。甥子が、そのバッタを、裏の広場に「引越し」させて呉れました。

 野原の中なら、人間が関わる事もなかっただろうけれど…………
人間を、幽玄の世界に誘う、「天虫」の様な、特別な、蛍、鈴虫や、蝶々と、その他、諸々の、ゴキブリ、蚊、蠅、等の「害虫」と。
 その「区別」も、人間が、しているのだけれど……………。
                     (平成十一年十月九日)

   ─────────── * ───────────
P59     対 面  

   手垢に塗れた 時間の中
 一輪の花の 「美しさ」に 出会う事
 それが、手垢にまみれた 事象であっても
              
  昔 本を読んでいて 例えば 左側の道を 歩いている   

 もっと昔 例えば 右側の道で 手毬や 自転車や
 チャンバラごっこしたり、身体全部を
 ゴム鞠にして遊んだ頃
        
   其れを、頂度()、()の様に
   その頃と反対側の場所から対面させて
   体感する事(人間の「知」覚と「感」覚)
   それこそ、52年生きて来た自身の
   時間の蓄積の中の、唯一の存在感
   と思えます。          (平成十年十月十五日)


P59  「 屈 折 」        
















 昨昼、風気味で  寝ていて 夢を見ました。           
私がエレクトーンを弾いていて、
「或る人」と合奏出来そうな処で、
目が覚めました。                    
  夢迄、屈折して しまいます。 
       (平成十年十月十五日)
  ──────────────────────────
P59 好敵手「M」「Y」 SELF)     
                (平成十年九月二十五日)
問、「喜び」と「悲しみ」は どちらが「強い」か?──
答、 M─── 悲しみ。
   ─── 喜び。

問─その所以は?─────
答、 M─── どんな「喜び」にある時も、「悲しみ」が来れば、
          それに、奪われてしまうから。

   Y───さらさらと流れる、時間の冷たい感触に留まって、
         記憶出来ているのは「喜び」の方だから。
── 暗い夜 程 朝は 明るい──── 「好敵手」。              戻る
  ─────────────────────────────
P59    『花』          (平成十年十月二六日)     

   開く 花 と  蕾で散る 花 の差って  あれですね     
 
   昨日  亡黒沢明監督 追悼 TV番組「まあだだよ」
   主人公が 大きなビアカップの ビールを               
   一気に 飲み干す シーンに 勢い というか  
   目標に対する 完遂精神に        
   見ている 私の方が 息が止まりそうでした。        
─────────────────────────
    文化の日 のまる 歴史に 「天長節」 ”

   “ 俳句 菊  日本晴れなり 「文化の日」 ”

──────────────────────────
P59    『文 明』   (平成十年十一月三日)
    文明は 後に 戻れない                       
  人間が 爆弾を 創った日から                 
  自身も 其れに 見交われる 可能性を孕む               
   文明は 想造力の 産物                      
 「第三の波」に 対処する 想像力を 働かせる事が          
 これからの 各自の 自衛手段に なるだろう            

  「知らなければ 良かった」………………               
 いつか きっと そう想う日が 来るであろう。           

  “「ディスカバリー」 万葉仮名から ひらがなへ              
  「時代のページ」 人類の宿題 ”


P60    『未明道』     (平成十年八月十九日)

  “刻々と 巡回 時間ときの エレベーター
      其処が 0階 午前四時”


  様々な色彩を着た  様々な人が  様々な車が          
  走り 抜けた 道路                     

    いつもの道かも 知れない                         
    時々の道かも 知れない。                          
    今日だけの道かも 知れない。                 
 
 そんな 思い 想い の 重 の おもい が           
 
 流れて 行った……………                
 
  波が ひと洗いして行った 砂浜のように                
  塵一つ見えない 未明の道路─────             

   やがて 叉 この中から                  
 「人」が 一人 二人 現れ  
 十人  百人   十台  百台 ……………                
  「大地が 草花を 産み出す 代わりに」              
  コンクリートの地面から 限りなく生まれる物達              

  人っ気の無い 物っ気の無い               
  昼間の喧騒とは 対照的な 
  此の 未明の静寂には
  全ての物の 「最初の以前まえ」が                   
  限りなく 大きく 横臥っている様です。          

 白い ページの 「刻」の上を 今日も 走って行く……………。              
 “未明道 初めての「死」 おくの「生」 
    バージンロード 処女航海” 
  


P60             (平成十一年八月四日)
                      
 「年経る事」が、素晴らしい!のは、「美」を深く『深美=「神」美』 に、感じられると言う事です。                    
 観念的に見るのではなく、「耳を澄まして見る」と言う事を、識るからでしょう。「美」は、一定ではありません。                

 たとえば、二十年前、十年前、つい一年前の、去年と同じ「花」を見ても、その「美しさ」の度合いが、今年は、より、美しく感じられます。   
 活き遣く花の、「現在いま」を、同じ様に、共有している様な、波奮つ生
の、押し寄せて来るのが、感じられます。               
 (その代わり、萎えた花を見た時は、私の「活きた細胞」が、奪われる様な気がしますが………)                      
 それは、或る軌道上に乗っかった星が、一年、一年その先の「極星」に近く程に得る、煌びやかさのよう……………               
(但し、想像上だけで、私が見える範囲からは(見えない)、星を美しいと、思った事はありません。)                            
 それより、海面でくり拡げられる、キラ、キラ踊る、太陽光の「星」の乱
舞を、美しいと、感じます。
 そして、いま、想えるのは、あの美しいと思った「星」は、私自身の細胞の煌めきだと、考えられる事です。                   
 去年より、今年が、「年経る事」が、素晴らしいのは、私の身体の中で、その「星」の占める割合が、より増えたと、言う事でしょう。
   ───────────── * ───────────   
 P60    雲の中の音色             

 それは 昔 母が 布団に 縫い付けている 白いシーツの      
 その 一針 一針の目を 側で 見ていた 少女の私が
 「時」の中に 抱かれて 雲の中に いる様な………

 その進む針が 最後には 元の最初の処に 戻る様に        
 進んでいると 思っているのは 還って 行ってるんですネ  

 その 一針 一針 縫う様な ヴァイオリンの 弓が
 その 縫い目の音色で その 方向へ 誘ってくれます

  それは クライスラーが 窓辺から 駿馬の様に
  駆け抜けた 時の中の
  ウィーンに想いを 馳せている 眼差しとも 
  プルーストの 「ココアの味」とも  合致するものでしょうか。                      (夢弦より) 
──────────────────────────
P61    「赤 子」                
  赤子の 様に 無防備に 全て 委ねて          
  太陽に 海に 大地に 樹に 自身が 全て覆い尽くされたと
  感じた時の 自身の 「」 の中にこそ 
  その 「存在感」が極立つ!                       

 そして 此等を 表現 している 「芸術」クラッシック音楽を   
 聴いた時の 感動感にも それを 見出だす。                 
 ───────── *  ────────      

  “病院の エレベーターで あいし 赤子                     
 全て 見透す 仏の 眼(まなこ) ” 
     
                ★
 人間の生死に関わる大舞台である、母の入院先だった病院の
 エレベーターで、その「赤子」と同乗した。                 
 研磨された鏡
の前に、自分が立った様な気がした。          
 その見覚えのある顔は、「仏像の顔」だと思った。          
 人間が彫造した仏像の、核心に迫る像(かたち)の
  実像(モデル)を真ん前に、見た。                     

  生後何ヵ月か、未だ光の洗礼を受けていないと思われる       
 「赤子の眼(まなこ)」──────               
  私にも 「その時」が あった、全ての人にも。             

   あの「赤子」は 私だ。───その 未だ 何物も 
   映さぬ「眼」には、全てを 見透すものがある。            

    白い良心と言う、水の上の、汚点の数────            
 私の「眼」に映る「赤子」───良心の塊。            

 あの赤子の時からの、五十二年間(平成十年当時)、     
 人は 何の為に 生まれてきたのだろう?、と思ってしまう………

  だが、対面した事で、対面出来た事が
  「存在」の 解答と、なった。                                            (平成十年十二月二十一日)   


P61 『素晴らしい日の為に』                  
 昔は 何処にでもあった 「日めくり」カレンダー     

 人は 産まれた時 どっさりと その各自の「寿命分」の
 「日めくり」カレンダーを 抱えて 生まれる        

 昨日で 私は 19108枚の 落葉となった「日」を 捨てた。    

 だが 捨てた積もりでも 穴凹ぼこに囚われた 何枚かの ページ
 そして 捨てたくない 押し花の様な 幾枚かの ページ

 その日が 終わらぬ内に クシャクシャに 破り捨てた 頁   
 次の日になっても 何日いつ迄も めくらずに置きたかった 頁

 めくったのに 気付かず 叉 めくって 進んでしまった 頁
 ネジ巻きを 忘れられた柱時計の様に 同じ日の侭の ページ

  捨て度い日も 捨て度くない日も          
 
 叉 それ以外の日も すべて 

 それが 土に還る落葉のように
 自身の 瑞々しい緑葉の為

 木の根の 養分となって より新たなページの         
 カレンダーの芯に 循環して行きます。            

  そして いつか その 白い真綿の様な カレンダーの 肌触わりに
 「年経る事は 素晴らしい!」
と  実感出来るのです。                    

“「日」めくりて 落ち葉(養)分に 桃の花 ” 
 
  
                      (平成11年2月24日) 


    詩歌集夢現  第三集 「夢 幻」  
     第二部 『天の川途上・「母」』  (了)                戻る
第5部 「マイメードソング・歌詞楽譜」
第4部 夢幻歌ヘ

第3部 甥子へ

第2部 父・瓦解へ

第1部  約束された人生
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