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【445(よし子)のページ】更新2014.1017 (BGM朗読・音楽)著作日高よし子

  詩歌集第三集夢幻公開ページ                         
       第三部 甥 子 の こ と 
ご感想 yo45@gaia.eonet.ne.jp


詩歌集
 第三集「夢幻」        
(個人発行・書店販売していない)
★著作・装幀・編集・発行・印刷・製本
     日高よし子 
  平成13年2月11日 発行
          ★
(傍線入分が内容掲載済みです)
     ↓   ★
第1部  約束された人生  
第2部  「母」 「父」  
第3部  「甥子」      
第4部  「夢幻歌」俳句・短歌
第5部  「マイメードソング・歌詞楽譜」
          ★
全目次詳細ページへ 
第1部(第2部(第3部)第4部)(第5部)・
m  【目 次】
<頁>  <題名>
81
 第3部甥 子
83 ・甥子一吉 誕生
83 ・甥子の母親(私の妹)のこと
85 甥子雄樹誕生 ・生きる次元
86 私の妹の死去 
   
心の積木♪(歌心の積木へリンク)
88 ・風景の穴
     ・山頂に立って
(歌山頂に立ってへリンク
88 ・中学校入学式
89 
・甥子との短歌6
  ♪最後の五月に
(♪歌へリンク
     ・つつじ ・若 葉 
90 ・五月から六月 ・六 月』
90 ♪紫陽花 ♪(歌へリンク) 
    六月・雨・・ ♪(歌へリンク)
91  ・水溜り ・光の雨 ・朝
91 ・誰かの為…
92 ・夏休み りんご
 ・窓
93 ・丸い鏡 ・百八十度
93 ・自分と出会う
94
 ・紋 様 我流雑言
     ☆
95
 問答集〔伯母ちゃんから一吉&雄樹へ
98 
 ・他人事
99  ・台風の目・ 
100 ・現在が全て色んな人
101 ・人間の強さ・ 
102 ・一つの形  
103 ・白と黒の饅頭  
105 ・金平糖
106 ・死角在るべき姿
107 ・家族(大福餅
108 ・花の色ゴシゴシ
109 ・貧乏神鏡の中
110 ・星の精
111 ・早かれ遅かれ (朗読あり)クリック
113 ・かたちのはじめ森(神)像
114 ・一生懸命
115 ・ぼた餅不動の樹
117 ・形のその後
118 ・黄金の蝶
     第三部「甥子」 了  
  
P81
詩歌集「夢現」第三集【夢幻】
  第三部
    甥 子 
        平成十二年十月編  日高よし子 著

           ・ 誕生             

           ・ 私の(亡)妹のこと     
           
           ・ 問答集
              
        (当掲載分は大分省略しています)


P82                      ☆
 「妹の事」甥子達の母親)を、私の心の中に留めて置くべきか、書き記すべきか悩んだ。
だが何れ、甥子達が自分の生い立ちに思いを馳せた時、その頃私達(私、私の母)が、此の世に存在していなかったら註・私の母は平成17年12月1日死去しました)、憶測の事実、事実ではない事実、(何らかの事実)を聞かされるであろうから、「事実」一部を記す事にした。

 亡妹が生前の若い頃、好きな言葉は「自分に厳しく、人に優しく」だと、言っていた。
好きな花は「すずらん」だと。まさか、妹も、北海道出身の人と結婚する様になるとは、その頃、夢想だにしなかったに違いない。
 人間の「言葉」の予見性。此処にも種子を孕んでいた。………
  現在、甥子は中学三年生と、小学五年生。(註・当事)───────                 
P83           [T]
       
『甥子一吉 誕生』

 「オギャー
昭和六十年七月二十一日夜九時頃、私の妹(平成五年八月二十日死去)の子、長男誕生。
    「せめて、子供だけでもと思うんだけど」、妹の主人の言葉に「子供は又産む事が出来るんやから、母体を優先して!」と私が返答して後、重苦しい空気を突き破る様に、その産聲は病院中に響き渡った。 その日の未明に破水してから、一時は母子共に危険と言われた末の、予定日より二週間早い体重二四五〇g、鉗子分娩に依る出産だった。母子共に快体。但し、赤子は二五〇〇gに満たない為、数日未熟児室に入る。それにしても、我が日高家の血筋を継いだ初めての子故、慶びも一塩だった。妊娠五ヵ月頃から当実家(当時は松原市に居住)へ帰って来た妹の二週間に一度の妊婦検診、やがて、一週間に一度になり、私の仕事の休みの日毎、一緒に付き添って行った、そういう日々も含めて………。 ──────────────────────────────────
<  “この電車 妊婦検診 亡妹に 付き添いし 今日 甥子十五才に”

 
先日の七月二十一日、珠々甥子十五才の誕生日のその日、進学希望校(註・農業高校でしたが結局この高校には進学せず)の体験入学に付き添って行きました。
 その学校の沿線は、生前の妹の妊婦検診に、私も付き添って同乗した近鉄南大阪線で、その頃妹のお腹の中にいた甥子とこうして、同じ方角に向かっていると、甥子と亡妹が入れ替わりだぶり、十五年の月日の誇らしい「存在感」の甥子を、改めて見上げやったのです。

  “遺伝子の 「命」の為に 亡妹も 我も 在りしと 続く線路に”

  “進学校 体験入学 甥子は 産みたて卵 「温かかったー」”   
 ──────────────────────────────────
 やがて、母子共々退院後当実家に居たが(<本中の>一吉のこの写真はその頃に撮ったものです)生後百カ日の祝事「お食初め」を終えた後嫁ぎ先へ帰って行った。 

                    ☆
P83   
 『甥子の母親(私の妹)のこと』
 何故、甥子二人は、貴方の母親(私の妹)が生前の時から、私達〔私の母、私の弟(平成八年九月死去)、私の下の妹(平成四年嫁ぐ)及び、私〕と暮らしていたのか、(但し、一吉は小学校入学する迄)、そういう疑問に答えるべく、私の妹の事を、此処には必要最小限度に於て、記す。
 数ある家族の中でも珍しい、私と妹は生年月日が同じ十月三十一日で、四つ違いの姉妹だった。外で、よく自転車で走り廻った私と違って、妹の美代子はお人形さんごっこの好きな、頬っぺがりんごの様に紅くて可愛い少女だった。因みに家族構成は、両親と、私と一番下の妹とは十二離れていて、その間に、弟、妹(甥子達の母)、弟、妹、妹の六人弟妹だった。(現在生存は、この八人中三人のみ、私、私の母、一番下の妹)
 勿論、一緒に遊んだ事もある。ままごと遊びや、近所の子供達とのちゃんばらごっこや、野球ごっこ等。私は決して優しい姉ではなかった、ぬいぐるみを持って眠ると言う事も好きでなかった様に、妹達と一緒に寝るのも、身体が触れたりするのが嫌で、好きではなかった。それに反して、妹は、優しかった。
 美代子より八つ離れて産まれた、一番下の妹の面倒をよく看ていた。
 私と、私の直ぐ下の弟は体育系が不得手だったに拘らず、美代子は「並」だった。私が高校生の時、スケートに連れて行ってやったら、何時の間にか私より上手に滑れる様になり、後には、一人でもよく行っていた。
 その逆に、音楽の歌唱に於ては、妹は音痴であった様に思う。
 
 本「夢幻」を読み進めば分かる様に、私は、高校も父親の意の学校へ行き、その家庭内の要因、諸々が複合的な要素となった結果、遅刻、不登校、白紙のテスト提出、その他。卒業時、幾人かに「卒業お目出度う!」、それは、よく卒業出来たね、と言う事だっただろう………。
 実際の処、あの頃は退学にでもなればいいと思っていたと思う。
その年の夏に、父は亡くなり、その一年後、美代子は高校入学。
 私を見ていた反動か何故(ゆえ)か、妹は、私と一転して、真面目でガリ勉だった。きちんと予定を立てて、勉強していた。三年間皆勤、優等生として卒業式の総代を務めた。亡くなった妹へ聞き洩らした事の一つに、何故そんなに勉強したの?と言う事がある。
 勉強すると言う事の目的性を、私は、見出だせずにいたから………
(両の足を地に着けている現在は、本「夢幻」全第三部迄を読めば瞭然の様にその目的性を見出だし、知的探求心は旺盛であるが………)
      
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 私達の両親は、昔には珍しく、父の略奪結婚だった。
母には、既に結納まで交わした婚約者がいたのに、それを破談にさせての婚姻だった様だ。戦時中の配給所で知り合ったとの事。
「父の何処に魅かれたん?」私の問いに、「しっかりしてて、引っ張って行ってくれるところ………、それと、その破談した婚約者は従兄で、ある人から血縁者との結婚は尋常でない子供が出来る確立が高いと聞かされて、そんな時に出会ったから………」そう母は言っていた。
P84
 昭和三十九年頃は、未だクーラー等一般家庭には普及していず、オリッピックのあったその年も、暑い、暑い夏であった。その高校三年生の夏休みの時、私は、「アルバイト募集」の喫茶店の貼紙を見て問い合わせ、即「明日から」バイトする事になった。勤務は、家の近くのその貼紙の店ではなく、バスで三つ目の停留所の所だった。それでも、喫茶店のアルバイトは楽しかった。音楽を聴きながら、品物の注文を聞いて、運んで、下げて、それだけで給料が貰える。
 ラテンの「マイアミビーチ・ルンバ」を聴く度、あの頃を思い出す。
 この事は、高卒後の就職の選択肢を拡げたと言えるし、或いは、狭めたとも言えるだろう。
高卒後は、父の言われた会社に就職した。が、程なく辞めた。 その人生を決定された場所、同じ人、同じ顔、同じ事の繰り返し、これがずっと変わらぬ自分の人生と言う閉塞感────
喫茶店等は、確定された場所でも、人の出入りが絶えず変わり、自分が固定される事がない。それが、後々、サービス業関係に私が勤めた所以だ。
 密閉された場所と、風が出入りする、開放された場所────
 子供の頃から、何かに成りたいと思うものも無く、人生の目的意識も無かった故、それは必然的な自我の指向だった。

 四才下の妹は、そんな私をどう思っていたか?
妹は高校卒業後、有名な照明機器の会社に営業事務として就職し、約一年後、電話応対等が苦手と言う理由から退職し、その後、神奈川県の有名な電気メーカーに、キーパンチャーとして再就職し寮生活を送る事となった。
 約二年程位して、仕事に行き詰まりを感じた様で、帰阪して来た。
だが、それからも、キーパンチャーとして勤務していた様に思う。
 妹には、中学時代、初恋の人がいた。同級で、体育クラブの人だと言っていた。その人と、高校卒業後(神奈川県へ行く前)友人と行ったボウリング場で再会し、それから付き合いが始まった様だった。
 一度、自宅に連れて来た事があった。それと、その人が怪我をして、見舞った病院に女の人がいたと、妹が言っていたのが、印象的な記憶となっている。 それは既に、神奈川県から帰っていた真冬の昼間、(生前の)下の弟がいるのも眼中になく、風呂場の戸も閉めないで真っ裸で、頭から何杯も何杯も水を掛けていた。

 普段から自身の事を余り喋らない妹だったから、勿論、その時も聞いても何も言わなかった。
 あの日を境に、妹の精神の繊維は徐々に壊れて行った様だった。
トラックの前に飛び込んだけれど、避けられてしまったと聞いたのは、その頃だったかと、想う。
 昭和五十六年六月に私の上の弟が、白血病で亡くなった。(享年三十三才)家を支えてきた誠実な弟だった。命の女神に見離されていたとしたら、その食物の嗜好にあった事は否めない。(西瓜、苺、トマト、南瓜、玉葱、茄子等)が嫌いであった。八百屋の子乍ら、食べる事が出来る物の方が少かった。

 弟の葬儀等を終え、外泊の病院へ送る途上の駅で、私の目前、頂度停車の為徐行しながら入って来た電車の前へ妹は飛び込んだ。急止した電車の前輪と、妹の身体の間隔は紙一枚分と言える程、すれすれの処で無傷で済んだ。   珠々囲りにいた人の中に、医療に関わっている様な人がいて、妹の腹部辺りを触り「大丈夫ですよ」と言って呉れた。病院へ帰ったものの、食事を摂らない妹が唯一「食べる」と言ったものが、素麺だった。会社の休み毎、ミニバイクの前篭に作った素麺を運んでやった事、片道二時間掛る電車、バスを乗り継いでの見舞い。又、病院内のレクリェーションの盆踊りに興じる等が効を奏して妹は回復して行った。
 しかし、高槻にあるその病院は、元々、保健所から紹介されたのだが、開放的で、又、退院後のケア迄、親身に家族に諭して呉れた。
 お蔭で妹も、退院後、通院服用をきっちり守って再発する事もなく、パートの仕事にも就いていた。
 そんな頃、この甥子達の父親である人と、妹はお見合いをした。
私とテレビの「見たい」番組の事で口論となり、暫らくして妹は家からそう遠くない所にアパートを見付け移り住んだが、その住居を斡旋して貰った不動産屋さんの紹介だった。
 見合い後、トントン拍子に話は進み、ただ、その男性方の親代わり(男性は北海道出身者)の人が当方へ来た折、男性の友人夫婦の共働きの話を交えつつ妹にも「その様に」と条件の如くだった故、私が「それが条件ならこの話はお断りします」とはっきり言った。「ま、その事は二人でゆっくり話して」で落着となった。
 それから、間もなく私達は、門真から、松原へ引っ越す。
 結納は、ゴールデンウイークの何れかの日だったと思う。
結婚式は、その年の昭和五十九年九月三十日だったと記憶している。
程無く妹は妊娠「新婚旅行沖縄でのハネムーンベビー?」、そんな風に私が冷やかした事が、昨日の様に思い出される………。その五ケ月目の時、実家へ帰って来た。夫の暴力的な言葉に………。私は、直ぐに電話を入れた、若い女の声があった、時措かず妹の主人が出た。あの時、私達、私の選択肢は一つしか無かった。
 五ケ月目と言う事と、母体、そして、その後の妹────妹の事は、よく解る。
それ故、無事の出産を祈るしか無かった………。                      戻る
P85
 二五〇〇gに未満の誕生児だった為、育児の相談等で保健所で指導を仰いだ時に、「出来る限りの囲りの人間の協力体制で取組む様に、育児は大変なものです」。私と、妹の主人は、所員の人からそう諭された。 妹の主人は、日勤、夜勤と変則的勤務体系の仕事だった為、私達は、妹が出産した年の暮、松原の家を処分して、妹達の住まい門真の大和田駅から、ひと駅の処、萱島に居を構えた。
 しかし、妹は体調を崩して入院。甥子は、当方が引き取って、私の母(妹のでもあるが)が全面的に面倒を看る事となった。
 毎日の様に、乳母車を押して公園へ連れて行き、甥子を抱えた侭、滑り台の傾斜に沿って腕を運び、その腕の侭抱えて滑らせ遊ばせていた様だ。それが祟ってか、突然、私の母の右腕が肩から上には上がらなくなってしまった。
 直ぐに、保健所に相談に行ったが、保育所は空が無く、取り敢えず託児所を紹介された。送り迎えは会社の行き、帰り、勿論私がした。(その頃は軽自動車があった)私の母も近くの鍼灸院に通う内、快復。
 妹も、程無く退院。しかし、甥子は双方の負担を避ける為、託児所にその侭世話になる、がその次の年(昭和六十二年)の四月には保育所に入所する事が出来た。そんな折の或る日、全く些細な事からの二人の「離婚話」、私が立ち合って将来の取決めをしたものの、離婚届けは私が預かっていた。
 しかし、妹の主人はさっさと、住居を引き払う手続きをし、仕方なく私は、妹の荷物を置く所を、二人の仲人でもある不動産屋さんに、お世話願った。
 そのアパート代金と、当時の私達の住居の家賃、両方の支払いを考えれば、家を購入した方がと(何れはその積もりでいたが)、急処家を探す事になった。幸い、当時私は不動産会社に勤務していて、業界情報誌で幾件か手頃な、先ず価格、台所を除いて四部屋ある事、の条件の家を見付け、結局、それにプラス駅歩8分だった、現在の此の家に決めた。
 もう直ぐお盆だが、十三年前の盆休みの時に、引っ越しをした。
─────「お盆の引っ越し」、思えば産まれた時からほぼ三十三年間住んで
いた野田阪神界隈、未だ弟妹が生存だった昭和五十四年、その二十年間居た海老江の家を引っ越し、一家離散したのも、そんな巡り会わせの頃だった。
 あれから数度の引っ越しをし、この寝屋川が二番目の故郷と思える程、すっかり根を据ろした。下町育ちの私は、下町の匂いその侭の、この風情が好き。 引っ越しを終えて、大分した頃、妹の主人がひょっこり当家を訪れた。
しかし、妹は離婚のショックからか体調を崩していて、入院。
 やがて、私は勿論だが、妹の主人も見舞う事が効を奏してか、妹も回復し退院。それから暫くして妹の主人が、当家から歩5分位の所に住居を見付け引っ越して来て、妹の再出発の人生が始まった────────。
                        戻る

───────────────────────────────────
P85       
   [U]    
      
 甥子雄樹誕生
 「ピュルルル ピュルルル ………」
平成一年十一月八日夜遅く、それは、電話の音から知らされた。
 妹の二男雄樹誕生。安産だった。「直ぐに産まれたわ」、電話を貰ってから一番下の妹と病院へ行った時の、妹美代子の晴れやかな声。その前日が出産予定日だった妹を、入院中の病院へ見舞い、食堂で一緒にカレーを食べ励ました翌日の事だった。後日、「あのカレーが効いたみたい」とは亡き妹の言葉。
 育児能力からして「子供は一人にしときや」私の言葉に、長男誕生後、ずっと避妊していた妹だったが「一人っ子は可哀相やから」確かに現在の甥子二人を見ていると、それは正解だったと当たり前に思うけれど、以後の代償は余りに大きかったと、言わざるを得ない。
 長男を行かせていた保育所へ(次男出産前及び、出産以降は当家で面倒を看ていた)、次の年の四月から次男も行かせながら、妹は妹なりに頑張っていた、私の母もよく立ち寄っていた様だったが………。
 妹と私の性格の大きな違いは、見えぬ未来の取り越し苦労を「する」か、「しない」その面だろう。 育児雑誌か何かのマニュアルから外れない様にか、例えば、離乳食も未だ少し早いのではと母が言っても、「聞かなかった」とか。
 疲れの蓄積からか、断りもなく保育所へ二男を当所させなくなり、母が訪ねても鍵を開けない、とそんな日々が続いた。
 或る日、私が会社から帰ると、我が家の居間に、ベビーベッドと二男、妹がいた。主人から「実家へ帰れ」と言われたと………。
 やがて、子供だけ置いて、妹は主人の元へ帰り、以後は母が甥子二人の面倒を看る事になる。お風呂(私と、一番下の妹が入れた)以外、保育所の送り迎え、食事、その他が母の負担となった。そして、その年の暮れも近い、平成二年十二月二十日、私の母は脳梗塞で入院した。
  戻る


P85           [V]
        
 「生きる次元」
 母(平成17年12月1日に死去)が入院したその日から、私にとって「
生きる次元」が変わった様な生活内容となった。仕事は休職し、二人の甥子の保育所への用意、送迎、昼夜の母の食事介添えの為の、一日二度の病院通い、買物、料理 他etcの家事。
 此等全てが、その日を境に、降って湧いた様に、全生活となった。
 一息遣く間がないとは、あんな時の事でしょう。振り返って今でも、よく頑張って来たと、思います。
 但、現在と違って、その頃は平成四年に嫁いだ一番下の妹も居て、珠にお風呂に入れてくれたり、平成八年に亡くなった弟も生存で、珠に掃除位はして呉れたので、私の身体ももったと、言えるでしょう。
 入院中、退院後のリハビリに精を出し、母は左手足に若干の障害を残しながらも、生活に支障をきたさない程度に、快復する事が出来た。
 誠に、我が母の精神力には(平成十年に二度目の入院をした時でも、この頃の事は本第二部に詳記)感服する。だが、それにも増して、母の病気の治療に関わって下さった人達、甥子の成長に関わって下さった保育所の方々(さざんか保育所の玄関の桜の木が抜かれてしまった様に、現在その頃の先生方も移動された様で、時の変転を感ぜずにはおれません)、今思えば色んな人々に手を差し延べて頂いて「現在」があると、改めて感じます。
                  戻る
3 P86            [W]
          
 『私の妹の死去』

 その「現在」の約七年前の平成五年八月二十日、甥子の母親である、私の妹の死去。京阪電車香里園駅にて、特急電車に轢かれて────
 事故だったか? 自殺だったか? 妹の主人宛に日付の無い遺書があった。 妹夫婦の仲は、決して良いものではなかった、夫の暴力に別れる、と言っては又帰り、死ぬ一年前には私達に相談なしに、二人で離婚届けを出し、結局又、元に戻した筈だ。
 妹の主人に対して、本当に許せない事がある。
 何度もあった二人の離婚の話に関して、その時の子供の親権に絡んで、妹に著名せよと書いてあったその文面───妹に二人の子供の親権を与える代わりに、「養育費を請求しない」事───これ程、妹の母心に付け込んだ、卑怯な仕打ちがあるだろうか。妹は、仕事を持っていた分でもないのだ。心中でもさせる積もりだったのだろうか?激怒と共に、即座に私がその紙を破棄した。
 二人の子供を保育所に通わせて生活は、決して楽ではなかった筈。
それでも、妹の主人は普通車の新車を購入していた。
 私達は、甥子二人の面倒を看ていたが、その費用は一切受け取っていなかった。私も収入が良かったからそれ位はと思っていた。が、そんなもんだろうか?妹の死後、甥子二人は私の所に居ると言うので、引き続き一緒に生活している。「その時から」養育費を月五万と決めて現在に至っているが、よく遅れたり、こちらが請求の電話をしてと言う具合だ。

 「親」は、子供を持ったら「子供の為」に生きるべきだ。その時から、その義務を負う。
ずっとではない、子供が一人前に成る迄の一時期の間、それは当り前の事。
 親は何れ子供に「裁かれる日」が来る事を、肝に銘じて置くべきだ。
     ──────────────────────────
 二千年の八月、あと三日でお盆の入りです。
妹のあなたが亡くなって、丸七年(八月二十日で)になろうとしています。
 銀河鉄道に乗って、此方に向かってますか?
でも、そんな遠くに逝ったしまった様な気が、未だにしていません。
甥子の雄樹が、貴女そっくりで、貴女と喋ったり、笑ったりしている様な不思議な心合いになる事があり、そのせいかも知れません。
 生前の妹が、否定した生にも生は繋がり、そして「二つの生を育んだ」、
風前の灯が消えなかったのは、消すまいとする「囲いの手」があったからだと、それはその「二つの生」の為だったと、思えてなりません。
 日高という名前は兎も角(それは余り重要とはおもわない)、日高家の遺伝子は引き継がれた。子を持つ縁が無かった私ですが、この「二つの生」に関わり、現在も関わっている、その無償の行いは、自然界からの美感動の喜びに姿を変え、ちゃんと「報酬」を得る事が出来ました。

    “みちとなる 善は行くもの 美はかえるもの”    (了)
       戻る   


P86        『心の積木』
 この「心の積木」と言う歌は、亡妹の二男、甥子雄樹と毎日通所した保育所 の修了式真近に、その思い出を込めて創った歌です。
 その『さざんか保育所修了式の時の「謝辞」』、PTAの中で最年長と言う事もあり、平成八年三月の修了式の時恥ずかし乍ら最後「謝辞」を読み上げました(略)。

       ♪ 『心の積木』 ♪ ♪(
心の積木へリンク
                  (「夢現」収・平成八年一月十日創)
一・共に歩き 通ったあの道 一歩一歩の中で 積んだ心の積木
  歌を唄って 口笛吹いて 見上げた青空の側に 白い雲が
   移ろう日の 季節の途中で 躓きかけたら 思い出して欲しい  
   いつまでも変わらぬ 此の手の温みを

二・雨の降る日 相合傘で 君が持てば屈んで 私の傘で支えた
  眩しい日 空を映して 大地に くっきり 二つの影法師
    何処にでもある ありふれた日々 振り向けば 届かぬ
    遠い 遠い あの道  いつ迄も変わらぬ 保育園の道

三・心の海染める 紅葉陽 夏の海で見た 同じ色の夕焼け
  風の冷たさ 冷たい程に 強く優しい根の 花を 花を 育てる
   過ぎ行く日の 季節の節目に 散る花の涙 次の花に生きて  
   それだけは 忘れず 永遠の命

   冬が逝くよ 木枯らし引き連れ 
   春の息吹き 肌に 耳に 緩んで   
        ♪
───────────────────────────────────
 平成九年暮、片付けをしていて見付けた、下の甥子の通っていた、保育所との「連絡帳」。 

    “甥子と 共生の日の 「連絡帳」 ほこりて 存在 響 実在感”   
 
 遡って、浮かび上がる一コマ、一コマ、過ぎてしまえば、誇りに埋もれて、忘れてしまった日々。その中で、甥子の境遇に於ての、私自身の「存在感」。きっと、そんな日々があったからこそ「素晴らしい音楽」との、出会いがあったと、報われぬものは無いと、確信した。                                              (夢弦より)                  戻る
──────────────────────────────────
p88   “ 散るや花 春なればこそ 開 く 桜

         『風景の穴』               
                        (平成十年十月一日)
  永遠のアルバムとして、胸に収まっている「さざんか保育所前の桜の木と私達」─────あれっきり、失くしていたのに───時間と言う怪物に食べられて────若しかしたら、失くした侭だったかも知れない。………
  そして、今、根こ削ぎ失った。………
 二年半前、修了(平成八年)した甥子の保育所の前を通ると、その場所には「穴」が、 ぽっかり大きな桜の木の跡の、穴。
 最近、通り掛かる度に、躓きそうになる。
風景の一部だったもの─── 一つ欠けて、私の心の風景には、其処だけ「穴」が開いています。でも、不思議な事に、その穴の部分が、今、一番「存在」しています。
 そして、いつか、その「存在」も薄れ、たまに、「彼処に桜の木が在ったね」と、過去形で思い出される事があっても、結局「現在形」の人が、通り過ぎて行くだけに………………
 確かに、現いまの「さざんか」は、私にとって、「現在形」の保育所です。

“知らざれば 在りし桜木 保育所の 通りて失くし 「友」よ 何処に”

     ─────────────────────         
   そんな風に「現代」はある。 
  私は知っている  あなたは知らない               
  彼処に「桜」の木が 在ったことを            
   そんな風に「歴史」は葬り去られる。                
   ─────────────────────           戻る
  “本質は どこ根 割愛(かつあい) 木の歴史”

P88
 この「山頂に立って」は、その山頂に立った時の見渡す三百六十度の、視界と視点を持つ事で、目の「壁」に囚われない様にとの、願いを込めて創った歌です。
 
    「山頂に立って」山頂に立ってへリンク
                       作詞・曲 日高よし子     
  1.君よ! 道を選ぶなら 山頂に立って                 
    どの道が 一番適して いるか                      
    幾つかの道を 見て その道筋を                   
    辿って 考え 判断する                   

  2.君よ! 道の途中で 自分の知らない              
    事実を 見聞きしたなら                       
    片寄らない 山頂の中心で                    
    受け留め 自分で確かめる                 

  3.君よ! 道に迷ったら 山頂に立って               
    見渡せば 谺が 答える                        
    どの道も 抜けている                      
    行き止まりは ない 何処かに                   
    必ず 道はあるから
                 
    「夢弦」創詞曲より   ♪       戻る
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P88  平成十年四月 甥子一吉 中学校入学式に寄せて』            

  “「入学式」すみ(隅)芽吹来木葉(めぶくきは)    夏みかん ”

 
昨日の雨上りの今日、玄関の鉢植えから、何処はかとなく感じられた土のどよめく様な気配は、あの「揚羽蝶の一部」に成る為に、その「再会」の為に、生命を芽吹こうと決心した夏蜜柑の木の、息吹きでした。
 巡り来た季節は、雨度にこの陽射しが牽引役となって、その新芽の成長を促していく事でしょう。 昨日、中学校の入学式を終えた「成長盛り」の甥っ子一吉の「新芽」。
 一回り大きくなった中学校という、新しい鉢植えの中で「自分らしさ」を失わわず、又、その中から新たな自分を発見し、五月の若葉の「煌き」を内外共に自分のものと体感出来る様に成る事を、願っています。

   “陽射しは 平等に 均等にある ”    (平成十年四月七日)
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P89       ■          ■         ■
 『甥子』との短歌6首

“大地映ゆ 空の鏡か くっきりと 甥子 手を引き 二つ影法師 ”    
                    
“甥子に して上げたい 少女時に して貰った事 して貰えぬ事”                       かわ            
“甥子二人 我をサンドイッチに 戯合う  川のポケット 途々みて未来に”

“中学校 参観科目の 音楽に 「昔の事ぞ 偲ばるる」”


“甥子の 参観日は 小学校  懇談会は 中学校へ ”

“滑やかな 赤子の時から 中学生 分泌顔の 甥子 十四才”

 その上の甥子も十五才、(当時)中学三年生、来年には卒業です。       戻る
   ─────────────── *────────────   
P89   “若葉には 五月は 眩しき 「新世界」”

         『五月 から 六月』    
  
     ♪ 「最後の五月に」(♪歌へリンク) (平成十年五月三十一日)    
   そして 五月は 終ります  
   若葉 五月雨 五月晴れ                       
    ほどよい 雨と   ほどよい 太陽                
    ほどよい 涙と   ほどよい 笑い                 
    ほどよい 眼差し  ほどよい 無関心               

  春の 落ち着きと  夏の 勇み足 
  半袖ウエアと    長袖パジャマ               
    一日に 季節が 二つ                   
   往きかけた 風は 戻り  起ち上がった人は 座る  
   泣きかけた子は 笑い                        
   調べ損ねた 星座を探そう!                 
     雲間から 月は 舟を漕ぎ出し                
     春でも 夏でも 無い                       
  そして 五月は 終ります。
 ♪       (「夢弦」より)   
      戻る


P89    「つ  じ」    (平成十一年五月四日)
 五月は最後だったのに、今、五月に在ます。
「最後」だとか、「完結」とか、そういう言葉は信用しません。
 昨日、昨々日の快晴の裏返しの様に、今日は、雨が降っています。
私の、妹夫婦(甥子の叔母にあたる)に連れられ、二泊三日の琵琶湖旅行から、今日帰って来る甥子二人────最後の日が雨で残念だったね。
 今日の雨は、梅雨の前触れの様な匂いを、含んでいます。
風に乗って来た、出番待ちの、紫陽花香のせいかしら………
 雨を装う紫陽花に、白い花は、あったかしら?
薄紅や、うす紫のその色は、土壌が醸した彩色だとか。
 今年、私の土壌には、白い花が、花粉を結びました。
最近、とみに、辛夷や、シクラメン、カーネーションの、その純潔な白さに、惹かれます。
 そういえば、先日、夜目に一際浮かび上がる、蛍白光の群れの様な、ツツジの花に「此方においで」と、手招きされた様に、思わず、駆け寄ってしまいました。
 それは、雨の中にこそ、潤沢感溢れる紫陽花の様に、
夜にこその、白い焚火が、匂い立っている様でした。


    “ 心 さく 白きつつじは 夜を さく ”          戻る
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P89    
 『若 葉 』  (平成十一年五月十一日)

“立夏 こえ 若葉膨らむ もりもりと ”

樹々が、その生命の全てを解き放ったかの様な、溢れんばかりに眩しい、若葉みち。
新旧の、鮮明な色彩の濃淡のコントラストの、淡調さ!
 「明日」には、濃緑に同調してしまう、生命の階段の際立つ、今だけの、五月。
風の、樹々の中での、含み笑い、大笑い、若葉を背負おんぶしたり、  
若葉の上をトッピングしたり、五月蝿い位の若葉とのペチャクチャ、お喋り。
 いつも、手を繋いでいる様な、五月の風と、若葉。
 いつもの五月なのに、いつも、初々しい。
 いつも、新しい 五月。 いつも、美しい 五月。
   其処へ、行こうと思わなくても、五月は来るのであり、
   其処を、通り過ぎ度くなくても、五月は 往く………

 透明な水の色と、半透明な水の色の、隣り合わせの湖の様な、その濃淡色。 
車で走る、この一帯の、もくもく湧く雲の様な、若葉の満潮は、まるで   
私の為にと思う位、充たされている。                         戻る

   “深(新)呼吸(旧) 生命堪能 萌黄色 ”

      ■         ■         ■ 
P90
      『五月から六月』   (平成十一年六月一日)

   “つゆ 光り 雨に 若葉と 黒髪や”

  五月から 六月へ 暦をめくる
 それだけで 線引きされた様に             
 五月の 若葉の薫りは 遠のき 
 六月の雨と 紫陽花の 香りが 匂い立つ

 ヤッホーと 山彦の様に 生命唸った 五月
 谷底の 水が せせらぐ 六月

  それは 昨日 少し 遠慮がちな 両の手で
  私を 温めてくれた 太陽と 
  繊細な 心遣いの 尾先で 私の頬を 撫でていった 風

  そして 今日が 過ぎて 
「明日」は 尽きぬ繰り言を 繰り返す 雨と
 大地の 憐れみの様な 湿った空気と
 無遠慮な 太陽の押し付けが                    
 此方へ 照準を 合わせています                         戻る

    ■         ■         ■
P90     『六 月』

  “しっとり 六月ごころ しる青葉”

  両手を一杯 拡げた様な 青葉に
   五月の 残り香の様な 風と
   六月の 憂いを忍ばせた 雨の匂いが 妙に絡って
   通りすがりの 私の心に しっとりと 寄り添って呉れます
  梅雨の最中の 雨上り………洗われた街の 清々しさがあります
  そして その 爽快感を唄う 小鳥の聲が
  心の 核芯に注ぎ入る 快さを 感じる 
   私が 在ます

  “新緑も 日々 古びたり 深緑や”

   五月の 真っ新な 風は 「若気の至り」の様に
   辺り構わず 新葉目指して 滑り込んだ。
   六月になって 新緑も 深緑の中に 納り
   少し湿りっ気のある 匂いを嗅ぎ取った 風は
    もう「五月」は 過ぎてしまったことを 冷静に悟る。
   六月の 雨に その持場を 委ねて………                  戻る

    ■         ■         ■          
P90    ♪ 『紫陽花』     (「夢弦」創詞曲)(歌へリンク)    
   六月の雨から生まれた 紫陽花の花                 
   雨の中に佇む その人を 雀躍こおどりしながら              
    その傘に 降り立つ 雨の その人を                
    この季節になると いつも 見かけます              

   六月の 空から 競降る 雨の彩り                 
   紫陽花の花が 開く様に 傘の花が                 
    波打っている 雨の滴り………                  
    この季節になると いつも 見かけます 
         ♪

    ■         ■         ■   
P90   ♪『六月・雨・・・』 (歌へリンク)
                       (巻末に曲)      
  1. もう六月も 終り ひとしきり               
    雨が 昨日が 降り切りました             
    あの日 誰かの 雨の中                   
    あの日 あなたの後ろ姿を 見送った              
   涙が 今日 地面に音を 立てています            

  2. もう六月も 終り 一人きり                    
    雨のトレモロ 聴いていると              
    あの頃 あの季節 通り雨 走り雨                 
   一途な 竹の雨 繊細な 糸の雨 
   つれない 桜雨  露 浴(あ)む 若葉雨                        

  3. もう六月も 終り 人込みに 
    見失った 水玉の傘          
    あの日の 午後の 続きの様に               
   追いつき 寄り添う 恋人達                   
   時の交差点 立ち それぞれの 雨音 聴く  

   もう六月も 終り 
                  ♪ 
                         (平成十二年六月二十九日創)   戻る

     ■         ■         ■ 
P91    
 「水溜り」   (平成十一年六月九日)

    錬り上げた 言葉の その 一言一言の様に       
    寄り添い 重なる 雨の音               
    支流と 支流を 結ぶ 雨の 川の流れ         
   いつの頃か 最初に 沁みた雨と 同じ位に       
   子供の頃の 今は もう すっかり 忘れた      
  ピチャ!と 水溜りに 足を踏み込んだ 感触!         
   そんな事も すっかり 忘れて、            
   甥子達に 水溜まりに 入ったら アカン! と 言った日。
   林の様な  雨の中を 走り過ぎても           
    いつ迄も 流れずに 流されずに           
   私の心の 隅っこに 水溜り となっています。

                                            戻る
P91    『光の雨』                
    頂度 それは  光………                               
              の………
              雨………かしら と 思った

    朝に 見る 線香花火の ように
    或いは 漁火の ように
      風が 綾なす 竪琴の ような

      オレンジ色の 紋様
        風の 走るままに 変わる
      暫し 見惚れる………

  丸く白い蛍光灯の    其の真下の       扇風機 
  中心の 豆電球────横の位置に 

      その前に 私の ベッドがある            
     ベッドの 左脇の 目線の位置に

  ガラスが割れたので アルミ枠に セロファンを貼った
     一枚の「絵」が 掛かっている
      その セロファンの 波目の  光の雨────

    振り向けば それが 舞台裏
     美しくもない それらの「もの」
    立ち上がって 蛍光灯の 「紐を引く」
    消えた………                             戻る
    ─────────────    ────────────
P91     『朝』          (平成十年七月二十一日)

   「朝」  天井の下の 壁掛けの 扇風機が
        ゆっくり 首を 回している
        なんども なんども 
       まるで 夜の海の 灯台の 灯の様に

  「の瞑想」  何も無い 有るけれど 無い
          何かに 躓く  風が 快い………

  「朝」  鮮明な 囲りの物 人間達
      「有る」けれど 「無い」もの達が
       天井の 下の 一角に………              戻る
      ──────────  ──────────

P91     『誰かの為………』 (平成十年八月五日)

 “コーヒーに ミルクとシュガー アイスのみ         
         動植物の 人は 掻き混ぜ”     
                              
 草を食し 豊穣な ミルクと 肉の身を 供給する 牛    
陽と水と わずかな 堆肥で 其の実を 供給する 植物群  
 動植物 其れ等を 食する 我々は          
 「誰かの為に 何を供給しているだろう?」

P92           ☆
        
 『夏休み』
平成十年八月二日〜八月十四日迄、甥子二人は父親の居る北海道へ) 

  
    甥子 人 がいない 今日から 暫らくは
     時間を 
時間 得した様な
     余白を ページ 見付けた様な
     部屋は 人分  拡がり
  マイナス(−)人分 静かさを
  プラス (+)2人分の 日常の対比の中に 得る
             ☆
 ” 広々と 泳ぐ空間夏休み 暫し 甥子は 北海道へ ”

 “ からから と  布団の笑い 甥子 からだ ”

 “ 丸十日 甥子不在の 「スヌーピー」 遊んで貰えず けれど 伸 々 ”

 “ 塵ひとつ 立たぬ部屋に 「スヌーピー」 ”

丸  いものは 噛みやすく   
 のあるもの 噛みにくく  
    飲込み難し  
                
丸 い言葉 と 三角 言葉   
 点 三人で 三角形      
 ・ が一つの 丸い日は     
         
まぁるい こころで おもいます。

   (平成十年八月四日)

  “静かさが コーヒーに溶け 角砂糖 ”

  “甥子帰り 家 ひと揺れて 鞘(さや)に波 ”

                      (平成十年八月十四日)
      戻る


P92 
りんご

 もう 晩秋 
 白い テーブルの 上には
  蜜柑 林檎 柿
             
  ナイフで 皮を剥く 
‥‥‥血が滴る‥‥‥私の手?     

 いま 晩秋
 

 皮を剥いた みかん りんご かき                                                 
 裸ん坊にになって          
 白いお皿の上に           
 三個並んだ中──────
 
  青白い皮膚が みるみる顔色を  変えて行く りんご          

 純真な 少女の 羞じらいの頬
 そして 剥き出しの 怒りの相───そんなに 正直で────
  疲れ切った 鉄の 錆び色  
 無表情の 柿 みかん そして  
 赤茶けた りんご────白いお皿の上       

  やがて  冬 ………   
      (平成十年十一月十五日)       戻る               
   

 
P92     
 『窓』       (「夢弦」より)
     朝 目覚める
   立ち上がって 両手で 思いっ切り  窓を 開ける
     潮騒を 聴くだろうか?
   私の 心臓の 浪
     風が 渡って 来る  今朝の 風は
   西風 南風?  それとも 北風 東風?

     その「方角」から 最初に 発せられた 言葉を
   風の 連鎖の 波が 携えて
     「開いている扉」に 置いてゆく………
   今日の 風は………  「東」風………?              戻る
   ─────────────── *────────────   
P93 
 『丸い鏡』          

    鏡の中にいる 心地だったのに        
   何時の間にか 其処から 転がり出て 鏡の外に 居た
    そして その鏡を 丸い鏡を 手に持って 
   見ると言うより 鏡が 身体に 汲っ着いて その身体に 
   より本当の 太陽を 空を 風を 其処に 浸透させていました

    人が 鏡を 見る様になるのは 何時からでしょう?

   丸い鏡が 角を出す様に 知らぬ間に それは          
   角のある 四角形に 変わって行く
   でも それは 封じ込まれた 「丸い鏡」だけが 知っている事

    四角形に 映る姿は 誰?     
   直線を引く為の 尖った ギスギス 凡そ
   柔らかみとは 縁の無い 鉛筆の様な「人」

    何処かで 角を ぶつけたかしら?
   雪山が 太陽の暖みと 衝突して ドサッと 雪を落とす様に………
   力みで 盛り上がっていた人の 両肩が
   それに 気付いて 肩の力を 解くように………
   厚着だった人が 其処と 気付かずに
    一歩一歩 歩む その山の道を 登るたび
    一枚一枚 衣服を 脱ぎ捨てる様に………
   余分な 角の部分が 溶けて 元の 丸い鏡を 見出だす日

    丸い鏡が 云っている 様です
    「鏡の中に 四角形の「体」だけを 見るか
     その中の 「丸い心」を見るか………」
     「鏡さん」は 正直です。          (「夢弦」より)
    戻る

  ────────────*──────────
P93    『シーソーのように』
 
  地の平面の 或る部分に 乗っかる
  それが心の 「哀」の重さの分だとすると
  反対側の 「喜」の方が その分上がる
   頂度 シーソーの様に
 
 それは 表面「哀」にしても 「喜」にしても  その時の
  「心の分」だけ 反対の作用が 見えないけれど ある
   地を掘れば その分 「山」になるように              
  山が崩れれば それは 「地」に戻るように              
  それは地球上の 営み                     

   人間は 哀しみを知った分 より繊細に それに比例して       
    「喜」を 感じられるのであり                 
   「喜」にある時は もう 哀しみの準備をしている様なもの        
    もう「失くす」しかないから                   
  それも 又 その「知った分」程の………。  (「夢弦」より)  
    ────────── * ────────────     
P93    
 『百八十度』               
 
鏡の海から 「今日」も 偶然の落し子の如きものが 転がり出る

  沸騰したケットルの様に 窒息しそうに 
  警(けたたま)しいの叫び聲を上げて─────                   

   いつも「海」を見ていました                   
  やがて 立ち上がって そして確かな足取りで 歩き始めました    
   海とは 百八十度 逆の方向へ────              
   遠くの方に 誰か見えます 歯磨きをしています         
   あ、何か 書き物をしています  食事をしています        
   でも 皆んな 左手で 歯ブラシを ペンを 箸を 持っています    
  見渡せば 何と 左利きの人が 大半   
  私も含めて 私の知っている人は 右利きの人が多いので 吃驚

  あ、あの子 学校へ行く方角は 確か 右側の筈なのに
 左側へ行ってる  あ、あの人も 確か左側へ いつも行くのに 右側へ 進んでいる       でも 真直ぐ行く人や 上下跳び跳ねる子は 何時もと同じ   

   夢の中で 誰かに 言われました
 「あなた いつから 左利きになったの?」
  そんな馬鹿な!「教えて貰った」手の 「右手」で持ってる積もりのに
  私も 他の人も 左手で箸を持っている
   そんな 馬鹿な!
  私は 箸を放り出して 真直ぐ 駆け出した
   海が 見えて来た
  向うからも 誰か 駆けて来る
 「あ、あなたは………」─────目が覚める
  朝に なっていた
     ────────── * ──────────
P93    
「自分と出会う」
 ───「人」であること。 自分と出会うこと。──────

   
 “人間の 「善」を 信ずる 匂い立つ
         若葉の 如き 赤子 思えば”

 春の訪来の口火を切る如く、大きく包み込む様な優しさで、枝を一杯に
拡げた桜の花の艶姿を味わったのも束の間、もう葉桜となり、若葉の季節の
先陣の旗を幡めかせています。
 其処、此処では目に付く木々の、新鮮な芽の輝きに行き交う。
 地球の生命の胎動を目の辺りに見、その新しき乳葉の穢れなき眩しさに、
人が生まれ来し赤子の頃に、等しく美しかりし「その時」に思いを馳せる。

 人は、裸ん坊で「オギャー」と泣いて産まれて来る。
海辺で、引いては返す、その波の波打際に何時間居ても、倦きず心地よいのは何故だろう?海辺で育った分でもないのに………
 先ず、海から陸へ抛り出された魚の様に「環境」に対する拒絶反応────
「哀しみ」を持って生まれた。
 悲しい音楽に、呼び起こされる感動は、その頃の自分を見出だすから?
  「哀しく」生まれた時の「美しさ」。       (「夢弦」より)          戻る
  ─────────────────────────────    
P94      「紋 様」              
                (平成十一年四月二十八日)     
 朝が明ける  空を見上げる                   
   青い空の 絨毯を 白い服を着た「誰か」が 駈けて来る

    時には、思索に更ける 山羊の様に 歩を緩め         
    時には 転がる りすの様に 軽ろやかに           
    時には、窺う 兎の様に 慎重に               
    そして 俊敏な チーターの 様に              
    「今日を」を 駆け抜けて 行く               
     傍らには 振り返る事を知らぬ 川の流れが         
     歩調を 合わせる様に                   
     ゆっくり 軽ろやかに 慎重に 急激に           
     川音を 刻んでいる                    
  見上げる空の 一日は 長くて 広い               
  数限りない 生きものがいて 広がる心              
    今日の 雲の紋様が 一生の 紋様に             
    成り得る「」 がある………                
  その「紋様」こそ 決して 停止しない              
  雲と 川の 流れなのでしょう。                 

  夜 空は 暮れました。                     

─────────────────────────────────
P94   
 『我流雑言』(がりゅうぞうげん)

     “甥子が 呼べば 「ヒトカゲ」 返事する
          未来形 人 とも ロボット”

 「ヒトカゲ」とは、TVアニメ「ポケモン」のキャラクター名であるが、そのオモチャの中に、スイッチを入れて置くと、人間の声に反応して「ヒトカゲ」と返事する物である。私の甥子が「ヒトカゲ」と呼ぶ姿に、未来形の人間のロボットとの関わりを超想させる。

 第三の波と言われて久しい、情報の洪水の中で、それに溺れて限りなくロボット化して行く人間。実際に産業界で実用化されているロボットにしろ、現実社会に登場する迄は研究段階があるのであり、現在どれだけ進展しているか、知り得ない。
 人間の心の領域───これからの人間の知求は、無限の宇宙の神秘と、「人間の宇宙の神秘」である「心」の探求しかないだろう。───その心の素となる遺伝子の設計図「ヒトゲノム」も解読されたとか────

 以前の新聞で、蜘蛛の糸の数種の文様の網目を見たが、そういう肉眼では見れない超ミクロの拡大望遠鏡に依る写真────若し、人間の脳をその様な顕微鏡か、物質的な物の波長で観測する事が出来る研究をしているとすれば、人は「他人の心」の領域に迄侵入し得るだろう。
 「思う事」それは、脳の中で言葉として作用しているであろうから、そのその言葉の一語一語の脳の作用を観察して行けば、考えている事も、言語で喋る事も、心で思う事も、日本人なら日本語で同じ「音」の作用をするだろうから解明出来る? そして、逆も又、真なり?
 それから、目と耳の「バーチャルリアリティ」(仮想空間現実)の分野。
通信衛星が飛び交う現在、未来に於いて、その境目を判断する多角度からの物の見方と言うのも必要になってくるかも知れない。
 振り返れば、昔本当にSFだった世界(但し宇宙人は未見だが)が現に現実に成っているではないか。(宇宙旅行も夢ではない等)
 クローン人の可能性然り。

 百年と言わず、もっと近い未来、心の中迄が喋っている様に解ったとして、人間の未来に何があるだろう?(一部の者だけが持つとしたら「武器」にも成り得るだろう)
 若し、何百年後にそういう世界に成ったとして「心を持たない、人間ロボット」が、私達の生きた此の世界に在った
「感動」の類いを、書物等を通じて知った時に「滑稽」に思うか、「郷愁」を感じるか?
                                   (「夢弦」より・少し加筆)
   ピカッ ピカチュウ  いい加減 ドラエモン
        夢チュウ 熱チュウ 人間の あ   
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詩歌集第三集夢幻第3部『甥子』
 問 答 集
(抜粋)
 
伯母ちゃんから 一吉&雄樹  著作日高よし子
(平成11年9月から平成12年11月

p98
一吉&雄樹へ     平成十一年九月二十六日

一・下の 句 を入れなさい。                   
Y─天つ風 雲の通い路 吹きとじよ 《乙女のすがたしばしとどめん》
K─田子の浦に打ち出でてみれば白妙の 《ふじのたかねに雪はふりつつ》  

二・ “苦(九)難月 台風 地震 天に地に ”   よし子
     二人も句作りなさい。     
Y────運動会 頑張ったのに 四位だよ      
K────雄樹のね 運動会を 見ていたよ     

三・過去 の時代で、会ってみたい人は? その理由は
Y────シュルツさん スヌーピーのことを聞く            
K────コナン・ドイル トリックを聞く             

四・今日 の出来事
Y────運動会四位、台風の目で二位。            
K────雄樹の運動会を見た。

五・      『他人事?』    
 四年前の阪神大震災の時は、阪神圏の地震だった事もあって、その揺れも哀しすぎる空の青さも、共有する事が出来たけれど、最近の、トルコ、ギリシャ 台湾の大地震、つい最近の、日本列島を通過して行く台風の被害状況────地球って、広いなと思ってしまう。 
 ひとつの空の下、同じ、「地」の上に在っても、其れ等の距離間には、微々とも動じる事がない。  
 活字や映像で見る、其の惨禍は、当事者にしか絶対、解り得ない。
ただ、血の流した痛みは解らなくても、「若し、自分がそうなったら、どうするだろう?」とは、考える事は出来る。
 そして、「その刻に」 暗転に沈む前に、「なを、悔やむことが無い」か?と、今なら ゆっくり 思いを巡らせることも出来る。
 それが、せめてもの、教訓。
後は、大自然の猛威に対して、亡くなって人達に対して、【祈る】しかない

<上の文を読んで、どう思いましたか?>

 Y────他人ごとではない       
 K────地震は恐ろしい。              
                以上です。 ヨシリーン より 
───────────────────────────
p99
一吉&雄樹へ     平成十一年九月二十七日

一・下の句を入れなさい。           
Y─みかきもり衛士のあかく夜はもえ 《昼はきえつつものをこそおもえ》 
K─忘らるる身をばおもわずちかいてし 《人の生命のおしくもあるかな》 
                             ちん
二・“「台風の目」は かった  太陽沈 ”(運動会に) よし子
  二人も一句作りなさい。          
Y────休みだよ 英語(塾)はあるけど 休みだよ
K────テレビ見て 敵に負けたよ ミクロマン

三・過去の時代で、「良かった」と思うことは? その理由は?
Y────ドラえもんがつくられた 今でもやってるから         
K────万博 たのしかったから。            

四・今日の出来事
Y────math                     
K────三時間目から六時間目まで体育大会の練習

五・『運動会・台風の目』 
      “皆んな頑張った! 誰かが一位 誰かビリ”
   昨日の運動会、雄ちゃんもよく頑張っていたネ。
  伯母ちゃんも、思わず自分の子供の頃の、運動会の事を思い出しながら、応援していました。伯母ちゃんも駆けっこは、苦手だった。でも、障害物競走で、3位(6人中)に成った事があって、とても嬉しかった事 等────
 昨日の、最後の方の種目の、6年生の組体操を観ていて、今日一緒に観戦している、現在中学2年生の甥子の2年前の組体操の、ピラミッドを思い出した。大きな楠の木に、音頭をとられながら、運動場を駆ける、あの小学生の体操服を着た一吉を、カメラのアングルの中で、必死に追い駆けた。      
 現在、下の4年生の雄樹も、直ぐに、あの「体操服」を着替えてしまうようになるんやね。
「自分だけを」見ていたら、一年毎に増えていく年齢は別として、自分が年をとっていると云う実感はないけれど、回りの人間、身近な甥子の成長を見るにつけ、改めて、月日の変転を感じます。鈴虫の音色のような、「台風の目」のような、100%そのまんまの「少年の日」こそ、素晴らしい! いつか、皆んなが、想う事───────それを、忘れないで!

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
Y────たとえ四位でも頑張ったらとっても良い。
K────オペラグラスで雄樹を見たら、体操服が目立った。
         以上です。      ヨシリーン (日高よし子)より 
───────────────────────────
p100
 一吉&雄樹へ    平成十一年九月三十日  
一・下の 句 を入れなさい。 
Y─人はいざ心も知らずふるさとは 《はなぞむかしのかににおいける》
K─山里は冬ぞ寂しさまさりける  《人目も草も枯れぬと思えば》  
      とう  せい                      
二・ “優(透)等(聲)生  耳の羽根もつ 鈴虫は”  よし子    
   二人も句作りなさい。
Y────倶楽部でね スライム作り うれしいな  
K────明日から いよいよだよね スヌーピー

三・ 現在、一番関心がある事は? その理由は
Y────なし    K────ペットロボット 楽しそうだから    

四・今日 の出来事
Y────倶楽部での スライム作り   K────体育大会の練習

五・     『現在いまがすべて』

  “いつも、「現在」が全て 「昨日」の「現在」
            「現在」の  「明日」” 
 その、人間の真価は、絶えず「現在」の中にしかない。
 どんなに過去が立派でも、現在の「生き方」でそれ等は、一瞬の内に水泡と帰す。
花の無い、どんなにつまらない道でも、その一歩一歩の積み重ねの内に一輪のコスモスの花を、それだからこそ一輪の花が咲いているのを、「見付けた時の喜び」が、得られる。
それを、見付けることが出来たら、もう「人生に勝利」したと、断定して間違いないでしょう。その時から、「美界」の道を、迷いの無い「明日」を、歩いていけるのです。               私は子供の頃、珠算を習っていた。毎日、毎日、真面目に通ったお蔭で
暗算が、身についた。若い頃、本を読んだ。だから、自分で書いて編集し拙本をも、編むことが出来た。 5年前から、全く、いちから自分流で初めた、エレクトーン(本当は、雄ちやんの為に、買ったのに)一音、一音難しかったけれど、ずっと続けたから、作曲も、出来るようになって、三十曲位、歌も創った。 今では、自分で、自分の弾く音色に、うっとり、することもあります。
何ひとつ、やってきた事で無駄なことなんか、ない。
 物や、お金では、絶対得られない「人間」にだけ、与えられたもの
それは、「美しいものに、感動する、心、幸福感」「美界」の森は、広く、深く、安らかです。 そして、いつも、「現在いまがすべて」
 
 二人が、「人生の勝利者」に、なれることを祈っています。

Y────人生の勝利者になれるかな                  
K────雄樹エレクトーンしろ。                   
                  以上です。   ヨシリーンより  
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p100
 一吉&雄樹へ      平成十一年十月二日

一・ 上の 句 を入れなさい。             
Y 君が為春の野に出て若菜摘む [我がころもでに雪は降りつつ]
K 君がため惜しからざりし命さえ [ながくもがなとおもいけるかな]

  “十月や 今年も あと 四分の一に”   よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
Y 兄ちゃんが ドイドを一つ 買いました。
K 雄樹はね メダロット 好きそうですよ。

三・【今日の出来事】
Y 兄ちゃんの ドイド作りを 見た。
K 体育大会の練習。

四・ホームページが(インターネット)オープンです。感想を?
Y この事が、ホームページにオープンして嬉しい。
K ちょっと不安がある。

五・[TODAY FOUND] 『色んな人』
         
 猫のにゃこリンの一匹が、お散歩。どうして、にゃこリンかと言うと、鳴き声の末尾が、鈴虫の様に『にゃー「リーン」』と、か細く跳ねて聴こえるからです。街角の一つ目の角、太った年配の男の人が、人々を前に、何やら大きな声でがなっています。「わしは、何処何処に××円、何処何処に○○円寄付した、だから選挙の時には、自分を!」、なんか、そんな事を言っている。

 次の二つ目の角、其処では───女の人三人の喋り声。
その中の、やはり太った人の声が、凄く大きい。「どこどこの子供はどじ、だ」とか「だれだれは口紅の色が濃い」やら、「誰誰はお喋りだから気を付けなさいよ」ですって。

 その次三つ目の角はバスの停留所で、やはり、女の人二人が話をしています。髪の長い、瞳の清がしい人が「あの人は誠実な方ですね」「あの人も優しい人ですね」「その人も気が強いと言われますが、自己主張の出来る素晴らしいい方ですね」と、そんな風に相手の人に、語っていました。

 四つ目の角、夕日の沈むその方角に向かって、年配の人が、手を合わせて
「今日も一日有難う御座いました」と、深々とお辞儀をしていました。
 それを見たら、にゃこリンは「ニャーリーン」と、唱ってみたくなりました。 

〈上の文を読んでどう思いましたか?〉
Y[猫と鈴虫の関係は声でなく、動物という関係だ。]
K[四つ目の角の人は、素晴らしい生き方をしている。]
            以上です。 ヨシリーン (日高よし子)より 
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p101
 一吉&雄樹へ 問 題    平成十一年十月三日
<一・下の句を入れなさい。>
Y─小倉山 峰の紅葉は 心あらば [いまひとたびのみゆきまたなん]
K─かささぎの渡せる橋におく霜の [しろきをみればよぞふけるにける]

  “ 心 あり いっぱい光る  星 袋   ” よし子
<二・二人も一句作りなさい。>
Y───兄ちゃんの ゲームを見たよ 楽しいな。
K───プテラスの ぜんまい巻いて 歩かせた。  

<三・今日の出来事>
Y───小四を買って買い物についていった。
K───30分ゲームをした。 

<四・十月になって、もう3日ですが何か感じますか?>       
Y───暑さと涼しさのバランスがとれてる。              
K───少し涼しくなった。    

<五・TODAY FOUND> 『人間の強さ』 
 今は秋、の少し前の夏、にゃこリンのお買い物途中の道で、子供たちが棒を持って蟻塚をほじくっていました。大わらわで、逃げる蟻や、死んでしまった蟻たち。─────最近、地球のあちらこちらで地震があるけれど、蟻達にしたら、そんな大災難に遇った、と言う事でしょう。    あの死んだ 蟻達は、「おばあさん」や「おじいさん」「赤ちゃん」や  「小さい子供達」かも知れませんね。私は、猫科の生きものですが、人間の「強さ」、本当の強さとは、そういう弱いものに対して、優しく出来る、それが「人間」の強さと、思えるですが。
  動物の世界こそ、弱肉強食─────力と力の、対、強さ。      
人間の、精神の強さ───自分自身に克つこと────それは優しさ。   
  全ての生きものを慈しむ心。弱いものには、より優しく。          
自分を、動物界に滯めるか。人間界に、引き上げるか。       
あの、棒を持っている、子供たちは、人間の顔をした「カマキリ」に、見えました。   

<上の文を読んで、どう思いましたか?>         
Y────人間の強さは、人を守る為にある。              
K────人間の強さは、弱いものに優しくするということ。      
          以上です。                ヨシリーンより  
──────────────────────────
p102
  一吉&雄樹へ 問 題   平成十一年十月七日 

<一・上の句を入れなさい。>
K[わすらるるみおばおもわずちかいてし]人のいのちの惜しくもあるかな
Y[あさじふのおののしのはらしのぶれど] あまりてなどか人のこひしき

   “ ヨーイドン  電車が 後  そうリレー” よし子
<二・二人も一句作りなさい。>         
Y───“明日はね 秋の遠足 うれしいな”
K─── 鈴虫が 動かないよね 飼育器

<三・今日の出来事>
K───技術で蛍光器具を習った
Y───遠足のお菓子を買いにいった。

<四・今一番、やりたい事は? その理由?> 
K───ポケモンで四天王に勝つ  雄樹よりレベルを上げる
Y───ゾイドを全て手に入れる。 兄に勝つため

<五・TODAY FOUND>   
          『一つの形』               
“運動会  競きょう PTA  ドリブル走 年令トップわ  順位ビリ” 

 
カズリン、昨日の運動会頑張ったね。組体操では、しっかり土台になって、皆で支え合っていたね。「ひとつのもの」「一つの形」を造り上げるという事は、誰か一人が抜けても、完全な形にはならない。それは何事にも当てはまる。 究極、個人の「完成」に於ても。             毎日の練習で積み上げた、昨日の「形」。今の、気持ちは、どうですか? 
 伯母ちゃんのヨシリンは、カズリンを、必死に目で、カメラで、追い駆けていたけれど、私のPTA走の時、カズリンは次種目の待機場所にいて見れなかったそうやね。 カズリンにこそ、見てほしかったのに。残念です。   
 この「目」の光は、私と、平成五年に亡くなった、あなたがた二人のママの、「星」の光です。 星の光を、いつも、信じて!  兎に角も、昨日はお疲れ様。                    

<上の文を読んで、どう思いましたか?>      
K───いろいろと大変だった。
Y───心が一つにまとまれば成功する。
        以上です。            ヨシリーンより  
───────────────────────────────
p103
 一吉&雄樹へ 問 題   平成十一年十月十日

<一・上の句を入れなさい。>
K[あまのはらふりさけみればかすがなる]三笠の山に いでし月かも   
Y[やえむぐらしげれる宿のさみしきに]人こそみえね秋はきにけり

  “「赤と黒」  ジュリアンソレルの  青い空”  よし子
<二・二人も一句作りなさい。>         
K───さびしいな 一匹だけの 鈴虫だ
Y───共和国 ゾイドのデータ いれました。

<三・今日の出来事>
K───ゲームのヨッシーアイランドをする。
Y───【予定】ビーストウォーズで遊ぶ。

<四・お菓子は何が好きですか?? その理由?>
K───クッキー  色々種類があるから。
Y───チョコレート あまいから

<五・TODAY FOUND>  『白と黒の饅頭』
                     
 にゃこリンは、食べる物は、物凄く好きな物もない代わりに、物凄く嫌いな物もありません。
でも、人間が生きているという事は、絶えず、どちらかを選択しなければならない。
いつも、目の前に、「白」い饅頭か、「黒」い饅頭があって、絶えずどちらかを選択して、食べている。 すると、その先に、各々、道が伸びている。 又、その先にも、白と黒の饅頭がある。ずっと、その様に食べ尽くしていって、最後に、どちらの饅頭を、手の掌に乗せる事が出来たか、と言うことです。人間界には、神と悪魔とか、天国と地獄とかの、言葉が有るでしょう。    
 「どちらが、好きですか?」と、いうことでしょう。 二人は、どちらの、饅頭が、好きですか。?         
<上の文を読んで、どう思いましたか?>
K───人はかならず選択をしなければならない。
Y───かならず一つを選ばなければいけない
     以上です。          ヨシリーン(日高よし子)
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p105
一吉&雄樹へ     平成十一年十月十六日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[ゆらのとにわたる舟人かじをたえ] 行方も知れぬこいのみちかな
K[これやこのいくもかえるもわかれては] しるもしらぬも逢うさかの関

    “収穫わ 一年こゆる 実をみたり”  よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“もらったよ 昨日カードを 十枚ね”
K“鈴虫の 元気がないよ 今日はね ”

三・二人の今年の収穫は? その理由は
Y[デジモンカード 欲しかったから]
K[ゾイド プテラス 欲しかったやつを買ったから。]

四・今日の出来事
Y[働、冷める 【習った】]
K[石けん水を作った]

五・[TODAY FOUND] 『金平糖』     
                         
    “金平糖  噛めば ピカッ 星の音” 
   そこの家の人に、聞いてみようかしら? 星の降った音が、聞こえませんでしたか、と。   その掃き浄められた家の前には、金平糖のような淡橙色の星の花が「星座」を、創っていました。ふと、子供の頃、両手の中に赤や白や黄色や緑色の金平糖の星の山を、溢れても、溢れても、積んでいた事を思い出しました。   
  つるッ、つるッで、ピカッ、ピカッの一粒一粒の、金平糖の輝き。
 年齢と共に、金平糖の色は変わっても、「一日」という形の、一粒の「星」を、毎日毎日、一粒、一粒、食べて行って、そして、食べ尽くした時、本当に「星」になって、いってしまう…。       今日の分の、金平糖を、現在いま食べている。─────       

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
Y[最初にあったものは消えていってしまう。]
K[金平糖を食べたくなった。]
                 以上です。   ヨシリーン より 
───────────────────────────
p106
 一吉&雄樹へ     平成十一年十月十七日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[このたびはぬさもとりあえずたむけ山]紅葉の錦かみのまにまに   
 K[あきのたのかりほのいおのとまをあらみ]我が衣手は露に濡れつつ

  “澄弦に 身投げしている 音の湖うみ”   よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“公園に 行ったら友達 いたんだよ ”
K“ボール落ち 雄樹拾いに 行く姿   ”

三・兄弟、お互い相手の長所は?  その理由は
Y[字を教えてくれた わからんかったから。]
K[ワープロの機能を教えてもらった。まだ知らなかったから。]

四・今日の出来事
Y[ビックリマン2000チョコをゲットした]            
K[公園でラジコンで遊んだ。]                    

五・[TODAY FOUND]  『死 角』
    “いくつある 若しも あの時 「たら」の「筈」”     
 ユウリン、今日の買物行く道路途上、横断歩道の側に車が駐車していたでしょう。ヨシリンが、未だ免許を取って間もない頃、ああいう風にトラックがあって、私はその横を徐行もせずに走り抜けたの。その時に、女子学生が、丁度身体は行きかけて、上着が、横断旗(昔は備え付けられていた)に引っ掛かって引き止められている状態が、視界に、飛び込んできた。
私は目と、心臓が一旦停止したのでは、と思う程、吃驚した。   
 「助かった」!、 あの女子学生も、私も。そう、思ったよ。         
旗が無かったら私は正面に、女学生を轢いていたと、思う。     
その時に、若しかしたら神様が「存在」するのでは、と目には見えないものに、感謝した。     今から、三十年以上も前の事だけれど、未だに「忘れられないこと」。  

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
      
 Y[危なかった。]         
 K[ひかなくてよかったと思う。]                 
             以上です。   ヨシリーン (日高よし子)より
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p106
一吉&雄樹へ
      平成十一年十月二一日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[逢いみてのちの心にくらぶれば ]昔はものをおもわざりけり
K[鵲のわたせる橋におくしもの]白きを見れば夜ぞ更けにける

  “寒さめて さくら黄葉  ちらりほら” よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“スヌーピー 最近みてない マンガをね”
K“新しい ポケモンだよね チコリータ”

三・柿が旬ですが果物は何が好き? 理由は
Y[梨 水分が多くて美味しいから]
K[柿 とても甘いから]

四・今日の出来事
Y[ポケモンを見た]
K[理科で回路図を習った。]

五・[TODAY FOUND] 『在るべき姿』
 
 やがて、もう少しで一年、経とうとしている。             
去年、“車道 折れ 一転開く 紅葉道゛  の其処には、やおら、桜並木の葉が黄葉し始めている。 二〜三ヵ月に1度は母も一緒に、毎月、私が、母の投薬を貰いに通う病院の玄関前へ、道路を右折する為対向車の通過を待っていて、今日、色づき初めた葉を見るにつけ、その「最初の日」母の入院した日が鮮やかに蘇る。 眞さに、潤む紅葉から始まった、去年十二月からのこの約一年、今年一月末に母も退院してほぼ快復したけれど、あの時期同室の皆さんはその後、如何なものかと思いを馳せる。                        
 魂の乱舞の如き裸木の頃、他人行儀に艶やかな花舞の頃、眩い緑光の頃、 時の重さを着ている様な夏葉の頃、ゆっくり秋を味わう間もなく逝ってしまいそうな、昨今。             木々の変容────それを、当たり前の時の営みとして、一年の最終楽章を奏で始めた。人間にも、その「在るべき姿」として、全て受け入れ、全て受け流し、「核」が枯れない限り「美」は、甦ると。                
 古木の神秘/美の神秘/感動感の神秘=『生命の神秘』    


 
<上の文を読んで、どう思いましたか?>      
Y[いい文だ] 
K[生命の神秘がとてもよく分かる。]
                以上です。   ヨシリーン より 
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p107
一吉&雄樹へ     平成十一年十月二十二日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[逢うことのたえてなければなかなかに] 人をも身をも恨みざらまし
K[花のいろはうつりにけないたずらに] 我が身よにふるながめせしまに

 “ワープロで 同窓会の 案内状 我も器械の 一部となりて” よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“宿題を 今やってます いそがしい”
K“よれよれの 老犬だよね スヌーピー(註:ぬいぐるみ)”

三・秋は何色と思う? その理由は
Y[オレンジ 紅葉の色だから。]
K[赤色 茶色よりきれいだから。]                  

四・今日の出来事
Y[理科で車体が完成した。]
K[美術の時間で絵本の色づけをした。]

五・[TODAY FOUND] 『家族(大福餅)

 大福餅がテーブルに四つあったので、四人家族の一人が「四人家族の大福餅の一つ」を、食べました。家族が「家族」を創るんや、にゃーん。お魚も、肉も、その「家族分」になって、買われて行く。大福餅と云えば、にゃこリンが、未だもっと「人間」に近い頃、そう、もう 三十年も前に住んでいた家で、本物の「猫」を飼っていたの。その頃、私はお饅頭が好きで、その猫にも上げて、よく一緒に食べていたの。そのせいかどうか、その猫は、高い所には登るんだけど、一人(?)では、よう降りなくて  「にゃーごー」「にゃーごー」と、家人を呼ぶ様に啼いて、よく私が梯子を掛けて降ろしてやった。まあ年を取ると、そういう事も無くなったけれど。
  晩年(?)か細い聲で「にゃーン」と、鳴いたのを最後にその猫が居なくなった。大分経って別棟の物置を片付けた時、人目に付かない一番奥の奥の、 物の下で「永久に泣かぬ姿」で、横たわっていた。  猫は排便等をした後、必ずその上に砂を掛けるけれど、猫らしい「最後の姿」だった。「逢うは別れの始め」とは、よく言ったもの。
「いつの時」も変わらないのは、別れの悲しみと、出会いの喜び。           
 現在、我が家の、+もう一匹の家族、鈴虫も一匹だけになってしまい、そんな事を思い出していたら「秋」という色にも修飾されて、凄く哀しくなってきた。 
 にゃこリーン、リーン。                    

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
      
 Y[猫がかわいそうだ。]   
 K[猫は死ぬとき静かに死んでいく。]                                    以上です。   ヨシリーンより
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p108
 一吉&雄樹へ     平成十一年十月二十四日
一・上の 句 を入れなさい。        
Y[このたびはぬさもとりあえずたむけ山]紅葉の錦神のまにまに
K[田子の浦に打ち出でてみれば白妙の]富士の高峯に雪は降りつつ

  “木の「緑」 わかく背景 いま全景 ”   よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y───プラモをね 今日も見たんだ 楽しいな
K───弟が 横で遊んで いるんだよ

三・ 「大人」をどう思う?  その理由は
Y───ありがとう。おもちゃを買ってくれたから。
K───偉い、色々な事を知っているから。。

四・今日の出来事
Y[買物についていってプラモのお店の中のプラモを見た。]
K[ラジコンで雄樹を追いかけた。]

五.[TODAY FOUND] 『花の色』 
                      

    “なによりも 花もちにあう 子なりや”
 今日も買物途中、ユーリンに話した「色」の事。
全ての、生命の源を辿れば、太陽からの光に行き着くけれど、地球と言う、 土壌に芽生えた一粒の「種子」から、色んな生きものが誕生した。   
 光合成に依って、その酸素を供給しているのが樹木(二人とも、よく知っていることだけれど)。山川草木の中に生まれた人間の知慧の結晶の様な、花の色を物に加工して行った、技術。
 「花になりたい」と、思ったのだろうか?
 現代の人間が、宇宙船の「★」になっている様に。
 ユーリンの好きな色が、ピカチュウの黄色、カズリンの好きな色が、ヒトカゲのオレンジ色。
好きな服の色、絵の具好きな色にしても、元は自然の中の「花」の色。それを、忘れたらあかんでエ。 数え切れない花の中、何気なく選ぶ好きな色、好きな花、それは、自分自身を手に採っているのでしょう。     

 <上の文を読んで、どう思いましたか?>      
 Y───花はとっても大事。
 K───好きな色は、人によって違う。  以上です。 ヨシリーン より
───────────────────────────
p108   
 一吉&雄樹へ    平成十一年十月二十六日

一・上の 句 を入れなさい。
Y[きみがためおしからざりし命さえ] ながくもがなと思いけるかな
K[きみがため春ののにでて若菜つむ] わが衣手に雪は降りつつ  

  “「大ミス」わ 同窓会の 案内状 ”  よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“Pikatchiを 手に入れたんだよ とうとうね”
K“ヒトカゲや 早く出てこい アニメでね”

三・印象に残っている偉人は?  その理由は?
Y[ベートーベン 色んな曲を作ったから。]
K[シートン  動物のことをたくさん書いたから。]

四・今日の出来事
Y[Pikatchiがようやく届いた。]
K[明日のスクールフェスティバルの準備。]

5.[TODAY FOUND] 『ゴシゴシ』                 
 
  産まれてくる事  生きていく事は 美しい?                 
     とんでもない!                      
 ゴシゴシ! バスタボを  毎日 「同じ処」を ゴシゴシ!      
 掃き浄めんと 磨かんと その部分は                  
 垢や埃が はっきり 眼に映る。                  
 毎日 「ゴシゴシ」 刺激を与える                

  いつかしら 誰かが 私を ゴシゴシ 磨いてくれている        
  「ピカッ」「ピカッ」に。                     
   現に この世は「美しい!」                    
  花や 音楽 自然!  磨いた鏡に 輝いている。      
 
<上の文を読んで、どう思いましたか?>      
 Y[この世は美しいものがたくさんある。]
 K[花や音楽や自然は全て美しい。]
          以上です。      ヨシリーン (日高よし子)より
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p109
一吉&雄樹へ      平成十一年十月二十七日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつ] 末の松山浪こさじとわ
K[ちはやぶる神代もきかず竜田川   ] から紅いに水くくるとわ  

 “神無月  神在月(かみありづき)の 出雲なり”  よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
Y“兄ちゃんや どうだったんだ フェステバル”
K“朝からね 楽しかったよ 今日わね    ”

三・「神さま」を信じますか?  その理由は?
Y[信じる いてほしいから。]
K[信じる いるかもしれないから。]

四・今日の出来事
Y[ペーパークラフトをもらった。]
K[ペーパークラフトをあげた。]

五.[TODAY FOUND]  「貧乏神?」

  今日は、ちょっと趣向を変えて。                
 十/二六(火)付、産経新聞の「ショート・ショート」に載っていた 
 「貧乏神と、しくじり神に好かれた男の話」。              
 
  貧乏神に、背中に乗っかられ、どんどんお金が減っていき、     
  しくじり神に乗っかられて、失敗ばかりする男の話。     

 それで、両方の神に「どうせなら一緒に乗っかってくれ」と頼んだ。  
  そして、貧乏神の上に、しくじり神が乗っかり────────。   
 
  さぁ、それからこの男は、どうなったと思う?           
 Y[ ?        ]
 K[大金持ちになった。 ]    {正解です。}
               以上です。   ヨシリーン )より  
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p109
一吉&雄樹へ      平成十一年十月二十八日
一・上の 句 を入れなさい。        
Y[天つ風雲の通いじふきとじよ] 乙女の姿しばしとどめん
K[天の原ふりさけみればかすがなる] 三笠の山にいでし月かも  

  “鈴虫の音 だんだん秋も うすらめく ”   よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
Y“ポケモンを 録音できたよ うれしいな”
K“ヘラクロス 新たにゲット サトシだよ     ”

三・鏡を見るのは好きですか?  その理由は?
Y[好き 自分のすがたを見たいから。]
K[好き 傷口などが見れるから。]

四・今日の出来事
Y[ポケモンを録音した。]
K[体育でドッチボールをした。]

五・[TODAY FOUND] 鏡の中
 
 
  其処から先へ入っては「鏡の中」へ入っては、いけませんよ。
   もう、帰って来れない───────決して。          
  
  「その中」の、「内蔵」の肝臓が赤く、心臓が青く 
  空が白くて 地面が黒くて、花がピンクや、黄色であったにしろ。       
   「元」には、戻れないんです。                
  「入ってしまったら────」。 還りたい 還りたいと     
  皆んな念って、永い、永い 「旅」を続けるんです。       
  ────でも、実際、今がそのどちら側と云う事も、       
      実の処、私にも分からないんですが─────。     
 ─────────────────────────

<上の文を読んで、どう思いましたか?>      
 Y[鏡のなかはこわい。]
 K[鏡のなかに出口はない。]
                  以上です。   ヨシリーン より 
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p110
一吉&雄樹へ      平成十一年十月三十日

の 句 を入れなさい。        
Y[わすらるるみおば思わずちかいてし] 人の命の惜しくもあるかな
K[おくやまに紅葉ふみわけなくしかの] 聲聴くときぞ秋は悲しき  

  “静寂さ なくことのなし 鈴虫は ”   よし子

二.二人も一句 作りなさい。     
Y[一冊の 本を読んで みましょうか]
K[鈴虫の 幼虫たち 生まれてね]

三.鈴虫を色で例えたら何色?  その理由は?
Y[オレンジ 紅葉の色だから。] 
K[銀色   鈴の色だから。]

四.今日の出来事
Y[ガンダムで遊んだ。]
K[ゲームでポケモンをした。]

五.[TODAY FOUND] 『星の精』

     “星の「精」 レクイエム なりやまず ”      
 一粒の露から生き物が生まれ、それが、何年間、何十年間の大きさであったにしろ、「今、消え失せる」露。 何千年の樹を、守る人がいる。      
 今放映中のTV「あすか」の中で、三百年間続いた老舗の暖簾を、絶やすまい とするシーンがあるが、その心を呼び戻させたのは、代々伝わる「家業」の「記録書」。国単位で振り返る歴史、文化。 その時代、時代の継承者としての、自身の役割、使命感。          
人が、「存在」という事に、敏感な限り「美しきもの」は、引き継がれてゆく

 その歴史をずっと見据えてきた鈴虫が亡くなりました。 
  「宝石」をなくしたね。皆にとっても、きっと宝石やったね? 
澄明な音の記憶を遺して、鈴虫は「永遠の夜」へ旅立ちました。    
 鈴虫の音色を思い出せば、正に「星から来て、星へ還る」と云う事が実感できるでしょう。
人間の生きてきた厚味。何年、何百年もっと遡れば生物の何億年、それが覆い蔽してしまったもの。私の場合、宝石は、音、音楽ですが、 万が一、物の宝石類に魅惑された人が居たとして、それは、きっと、その「輝き」故でしょう。その「輝き」だった頃が、人間にもあった。         「美」と云うものは、生き物の原点。              
 それにしても、年々、深く加美されてゆくのは、どういうことでしよう?
   自分が、今、手にして「輝いているもの」。          
  二人にとって、それは何ですか?                

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
     
Y[輝きは消えるときもある。]
K[生き物の命は宝石の様にきれい。]
                 以上です。   ヨシリーン より 
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p111
一吉&雄樹へ      平成十一年十一月三日

一・上の 句 を入れなさい。        
Y[人はいさ心も知らずふるさとは] 花ぞ昔の香ににほひける
K[やまざとはふゆぞさみしさまさりける] 人目も草も枯れぬと思えば   

 “ 文化の日 のまる歴史に 天長節 ”   よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
Y“ビーダマン ますます増えて うれしいな”
K“メダロット プラモを買って 遊びます”

三・日本の「文化」で素晴らしいと思うものは?  その理由は?
Y[日本の旗 かっこいいから。]
K[ていねいなあいさつ。 すごく気持ちいいから。]

四・今日の出来事
Y[小遣いでビーダマンを買った。]
K[メダロットのプラモを買った。]

五・[TODAY FOUND]
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            『早かれ 遅かれ』 (朗読あり)クリック                  
  早かれ 遅かれ  
 朝になるか 昼になるか              
  清掃は せねばならぬように                   
 遅かれ 早かれ   人 生きもの 皆 生きるように           
  皆 死ぬように 失せる                      

  早かれ 遅かれ 
 するべき事は せねばならないし         
 遅かれ早かれ  悟らねばならない                   
 「明日」に 悔やみたくないなら                    
 「今日」 死ぬしかない                      
 「今日」を 止めたいなら  同じように                 
 
 それが 出来ぬのなら                        
  「遅かれ 早かれ」  
                  
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  上の文を読んで、どう思いましたか?>       
Y[遅くても早くても死んでいく。]
K[早くても遅くても人は死ぬ。]
                   以上です。  ヨシリーン より 
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p113
一吉&雄樹へ      平成十一年十一月十二日
一・上の 句 を入れなさい。        
Y[みかの原わきてながるるいずみ川]いつみきとてか恋しかるらん
K[つくばねのみねよりおつるみなのがわ]恋ぞつもりて淵となりぬる 

  “「汗」捨てる  麦茶も残り 立冬や(11/8)” よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
Y“コレクション ますます増えたよ デジモンの”
K“六時から メダロットがね やるんだよ”

三・雄ちゃん11/8で「美しい十代」の十才になったけど、感想は?  
  一ちゃんも思い出して?
Y[とってもうれしい。]
K[どんどん難しいプラモに挑戦した。]

四・今日の出来事
Y[友達のデジモンカードと俺のカードとを4枚交換してもらった。]
K[メダロット六時から見る。]  

五・TODAY FOUND   『かたちのはじめ』         

未だ 人間が「出来る」前         

 
 此処は まぁるい黄色い月と
 三角の 緑の山が くっきり見える
  「青い海の上」

 兎は砂に描いて「月」の丸い形
 狸は土に描いて「山」の三角形   
 ●蟹は土を丸めてやはり丸い形
 ▲蟻は土を積んでやはり三角形

狐は思案中、で、丸い円の
上に乗った三角形をじっと
見ていて、もう一つの三角形の一辺と、
くっつけて円の中に置き
四角形を見付けて描きました。    

 ずーっと後 
兎猿蟹 狸狐蟻 

 丸いお家に
 三角お屋根
 丸いテーブル
 を囲んでいる
 皆が見えます。

 〈上の文を読ん、どう思いましたか?>      
Y[形はいろんな物にある。]
K[色々な動物が形を見つけている。]
        以上です。         ヨシリーン より     
─────────────────────────────
p113
一吉&雄樹へ      平成十一年十一月十四日

1.
の 句 を入れなさい。        
Y[おぐら山みねの紅葉葉心あらば]いまひとたびの御幸待たなん
K[おくやまに紅葉ふみわけなくしかの ]こえ聴くときぞ秋はかなしき

  “黄葉(鷹庸)な  秋を 堪能  ユリノキに”   よし子

2.二人も一句 作りなさい。     
Y“眠いけど 頑張り勝つぜ 兄ちゃんに”        
K“プリン食べ 食べおわるころ 弟が”

3.「木」の イメージは ?  その理由は
Y[ずっと頑張って生きている そう見えた。]
K[元気 種から枯れるまでずっとあるから。]

4.今日の出来事
Y[兄ちゃんとバトルドームをした。] 
K[雄樹とバトルドームをした。]

5.TODAY FOUND  『森(神)像』             
 昨日、芋掘りが出来なくて、たまたま入った大阪市大理学部附属「植物園」だったけれど、どうでしたか?  “森像の 樹の 年輪ど 肉迫す”  

■深い簾の様な葉に、思わず「お邪魔します」と言って、くぐって入ってしまう、赤松の真直ぐに伸びた樹の前に立てば、姿勢を正さずには、いられない。■ユリノキの、小川のせせらぎの様な黄葉の風琴に耳を預け、葉のドームの中に入ると、大らかに守られているような・・・…
■肉迫して来る様な、羅列したエノキの木群れ、「魂気」の塊の様な、土が培養した樹。
■楠の木のあの年輪。「時計」等無い時代からの「地球体」の「時間の証人」。■         ■処々で見かけた蜘蛛の「光る糸」の文様芸術。
■自然を具象化した漢字。「木」と言う文字は、地面の下で、根を支え合ってあるように見えるけれど、それは、目には見えない「人間の心」のよう。冷たい風雨の時にも、見えないところで踏張ってるから、倒れない。何かの要因で、斜木となった木なら尚更、土にかじり着き、しがみ着いている事でしょう。その型の在り様は、結極「みえないところ」の、その形と言う事です。
 日々の頑張った達成感。日輪の年輪。その積み重ねがいつか、内的には自分を、外的には他の人をも、感銘を与え得る事になると思います。   

  森閑とした空間の中、太陽の位置だけが時間の尺度の停止した様な、時空の拡がりの中、一葉、新たな土への「旅」に飛び立った目の前の「木の葉」が、時間の「動悸」を、再び打ち始めました。あの森林浴は、目には見えないけれど、二人の「年輪」の一部に成った事と思っています。  感想を?

Y[(上の方の答え)芋掘りの代わりでもいろんな植物がわかった。いい日だった。] 
K[入ってよかったと思う。 とてもいい気持ちになった。]
         以上です。   ヨシリーン より 
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p114
一吉&雄樹へ      平成十一年十一月十九日

1.
の 句 を入れなさい。        
Y[きみがためおしからざりし命さえ]ながくもがなとおもひけ るかな
K[きみがため春の野にでて若菜積む]我が衣手に雪は降りつつ

  “「おお寒い」  出入 玄関  風 来訪”   よし子

2.二人も一句 作りなさい。
Y“楽しいな デジモンカード 面白い”
K“メダロット サブマシンガン 壊れたよ”

3.「風の音」を聴いた事がありますか?    
Y[ある。]       
K[ある。ひゅーひゅー。]

4.今日の出来事
Y[メダロットとドンキーコング]
K[メタビーのサブマシンガン壊された]

5.TODAY FOUND 『一生懸命美しい』
 今朝の、産経新聞の「朝の詩」に、{先生は 私達に 一生懸命は かっこ悪く見えるけど 本当はかっこいいって 教えてくれました。}と言う件りがあって、少なからずショックを受けた。
 何故、「一生懸命が恰好悪く」見えるのか?
十四才の女子の詩だけれど、誰にその様に教えてもらったの?って聞きたいね。私の年代では、それを「美しい」と思いこそすれ、そんなに風に思った事はない。
 一生懸命奏でる人の音楽の感動感に、身を浸す事が出来て、尚更に。
この十四才の女子の言葉を、大人は重く受け止めなければならないと思う。 
 「日本の中学生」だけの、ほんの一部の子供の言葉だろうか?     
良きにつけ、悪しきにつけ、戦後日本の復興は、その日本人の「一生懸命」の真面目さが成せた業わざ。どの地点辺りから、こう云う意識を持つ様になったのか? 
 教育、親との関わり。子供は、大人と社会の鏡でしかない。    
 「一生懸命」の産んだ子供達が、「現代」?           
      
      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
      兎さんが、山から落葉や木の実等を一杯拾って来て、抱えて帰り
     一ヶ所に積んで又、山へ行きました。其処へ、これ幸いとばかり
     に狐が来て、それらをゴッソリ持ち去りました。       

      山から帰った兎さんは、「折角、一生懸命集めたのに」と嘆き
     ながらも、気を取り直して、又、山へ、もっと深い山へ、
     向かって行きました。                      
      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

一生懸命をどう思いますか?>
Y[頑張っている。]
K[二つのお話はどちらともがんばりがわかる。]
               以上です。  ヨシリーン より    
────────────────────────────
p115
 一吉&雄樹へ    平成十一年十一月二六日

一・ 上の 句 を入れなさい。                      
K[ありあけのつれなくみえし別れより]あかつきばかりうきものはなし
Y[今来んといいしばかりに長月の]有明けの月を待ちいでつるかな

  “ここそこ葉  秋の天幕  黄色きいろあか ”   よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
K“プラモがね 歩行しないよ 止まります”
Y“新しい カードが一杯 嬉しいな”

三・今迄、一番美味しいと思った物は?  その理由は?
K[カニ  赤くて美味しいから。]
Y[カレー 温かいから。]   

四・今日の出来事
K[プラモの調節。]   
Y[新デジモンカード ゲット]       

五.TODAY FOUND 「ぼた餅」

  “「今日」つくる 「あの日」のぼた餅 味 遥か ”     
 十一月二十三日、「七才の女の子」に促されて、ぼた餅を作りました。
そう、その「女の子」と一緒に。「上手に作れると良いけど……………」 そう言いながら、小豆を茹がいて、煮て、砂糖を混ぜて、アンコを作って置き、餅米に、少しお米を混ぜて炊飯した後、冷まし、その餅生地に、アンコを丸めて包み、きな粉で、お化粧して、出来上がり。         それを、「新嘗祭」の此の日、先ず、神棚、仏壇にお供えし、(食物に対する感謝の意)お下がりを、甥子二人、私、私の母、共々で食べた。  そして、その「女の子」も一緒に。          皆は、「美味しい!」と言って呉れた。  
が、「違うよ」と、「女の子」は言った。「この味と、違う」 ────
 確かに、そうやね、「違うわ」。  「女の子」と、握手は出来なかった。 「さよなら」すーっと、「女の子は」いなくなった……。───あなたになりたかったのに───        
 炊飯の水が、少し多かったかな、お米を、もう少し、多くすれば良かったかなと、思う…………… 
あれから四十六年」───由しんば、あの時と同じぼた餅が、現在、目の前にあったとしても、
四十六年の歳月は取り除く事は出来ないと、諦観と失望だけのぼた餅の味に、
口中が一杯になりました。  ──────     
 
 上の文を読んでどう思いますか?>        
K[美味しかった]       
Y[楽しかった]                            
       以上です。   ヨシリーン より 
───────────────────────────
p115
一吉&雄樹へ     平成十一年十一月三十日

一・上の 句 を入れなさい。        
K[わたの原八十島かけて漕ぎい出んと]人には告げよ天の釣り舟
Y[小倉山 峰の紅葉葉心あらば]いま一度の御幸待たなん   

  “霜月の 今日が最後の 紅葉や”   よし子
二・二人も一句 作りなさい。     
K“スヌーピー お座りしてた 漫画でね”
Y“理科室で 実験したよ 楽しいな”

三・紅葉と黄葉とどちらが好き?  その理由は?
K[紅葉、天麩羅が美味しいから。]
Y[紅葉、綺麗だから。]   

四・今日の出来事
K[技術で、ラジオ受信に付いて習った。]  
Y[理科室でアルコールランプを使った実験をした。]

五・TODAY FOUND 『不動の樹』
 {星ケ丘厚生年金病院前の一角。}                 
────黄葉同士の声が聴こえそう─────
 「黄葉さん、私より先に黄葉したから、先に紅くなって、散って行くのですか?」「そんな事分からない、風の吹き様で緑葉さんの方が、先になるかも知れないし、明日、両方とも散ってしまうかも知れない。」  「早く、紅葉にならなくては、ネ」
─────そんな、声を聴いた様な気がしてから、一ヵ月後の、今日────
  紅葉を通り過ぎて、茶褐色や、ほぼ、散ってしまった 樹が、目に付くばかり………。
走らせる車の窓から、部分的に拾う景色の様に、ひと月ひと月の「部分」の木々の、変容の彩り。
 「今年は良い時期を見逃した、ネ」と、何処からか聞こえて来ました。 
 でも、私の母の投薬のを貰っての帰路の道には、処々、未だ紅葉の膨らみを持った樹も。
ピタッと風の止まった様な不動のその樹は、まるで、造花の様に、紅く、風景に貼り付いていた。いつか散っても、又、同じ様に開花させ、同じ花を、同じように────「不動の樹」ならばこそ─────    

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
      
K[秋から冬になって来た。]
Y[樹は何度も繰り返して花を咲かせている。]
             以上です。 ヨシリーン (日高よし子)より 
───────────────────────────
p117
 一吉&雄樹へ     平成十一年十二月八日

一・上の 句 を入れなさい。        
K[田子の浦に打ち出でてみれば白妙の]富士の高嶺に雪は降りつつ  
Y[朝ぼらけ有明けの月と見るまでに]吉野の里に降れる白雪    

   “落葉の 「死体」重なり 風もなく”   よし子

二・二人も一句 作りなさい。     
K[プライド 高いんだよね スヌーピー]
Y[デジモンの カードたくさん 嬉しいな]              

三・兎と亀、どちらが好き?  その理由は?            兎猿蟹 
K“兎”              
Y“亀”         

四・ 今日の出来事                        狸狐蟻
K[ポケモンの 金銀でたよ 楽しみだ]                
Y[宿題を終わらせて、ポケモンのブースター買いに行った]       

五・TODAY FOUND かたちのはじめその後

 かたちのはじめの、ずーっと、ずーっと後、その三角形のお屋根の四角い家から、人間の子供が出て来ました。ある広場で、数人の子供が集まって、棒切れで何かを描いています。
側を、蟻が通り過ぎて行きました。
 「四角形」を描いては、「円」だ、「円」だと言って一杯描いています。 
 今度は、「四角形」だと言って、一杯「円形」を描いています。
蟻は、其処を通り過ぎて、川に行き止まりました。川の向う側には、白いものが見えます。
兎の姿の様です。兎の側で、其処の子供達が、やはり棒切れで同じ様に、円形を描いたり、
四角形を描いたりしています。
 此方の方では、現在 私達が 認識している 円形を「円」と言い、四角形を「四角」と言い合っています。或る日、兎は、大人の人に舟に乗せられ向う岸へ渡る事になりました。そういえば、蟻を見掛けた様に思います。
 着いた此方でも、子供達が彼方と同じ様な事をしていて、けれど、形の名前だけが違っている様でした。兎は、やがて、兎が沢山いる「部屋」に入れられました。子供達の声が聞こえてきます。太陽を月、岩を砂、空を海………
白を黒、青を赤、「今日は、空が赤いね」と、いう具合に。………
 私を見て、「真っ黒な兎」ですって────でも、その子供達の瞳は澄んでいて、白眼の処等「青み」がかっているほど。或る時、彼方側の子供が、此方側へ来て、此方の子供と、その「形」の「言葉」の事で、一悶着あり、結局、多数決で数の多かった、彼方側の『円は「円」』で「丸く」収まりした。

<上の文を読んで、どう思いましたか?>
      
K[人には、それぞれの意見がある。] 
Y[形は決まった名前がある。]
    以上です。   ヨシリーン (日高よし子)より 
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p118    『黄金の蝶───オオカバマダラ』         
                                 
 去年(平成十一年)の九月NHKTV「地球に乾杯」、「黄金色の蝶の旅」で、
オオガマダラと言う蝶が北米から四千qのメキシコ迄、越冬の為飛翔して行く其の神秘の旅を
追っていたが、太陽光を吸収する地磁場への感知能力の確かさ、エネルギーを消耗させない様に
上昇気流に乗って行く事が出来る能力。雨、逆風の時は「樹」を宿にし、尚も「気流」に乗る事が
出来たものだけが、メキシコの生息樹オヤメールに辿り着ける。   

 現地の人が「蝶の神殿」と言う、其の山間の谷間の一処は、急に「蝶の国」へ紛れ込んだ様な
別世界となる。  オヤメールの樹に、無数のオオガマダラの群れが羽根を休める時、  
まるで折紙の千羽鶴の様に、一糸乱れず、動かず、重なり合って「オオガマダラの樹」になる。  朝、陽が射すと黄金色の落葉の様に、雪の様に、樹を離れ、其処等一帯を遊舞し始める・・・・。                         
─────蝶に惹かれた人が、誘われて乗る事が出来た「上昇気流」のその先から覗けた、
        蝶の秘境─────               

 此の先、二人が「何か」の「上昇気流」の機を逃さず、時流を泳ぎ切り
、無事「蝶の楽園」へ辿り着いて呉れる事を願っています。 
     

     
 “黄金蝶 上昇気流 秋を実る”            

一吉&雄樹へ (二千年十一月)   伯母 日高よし子 

詩歌集第三集夢幻 第3部『甥子』問答集 了。


第1部  約束された人生ヘ  
第2部  「母」 「父」ヘ  
第3部  「甥子」ヘ
第4部  「夢幻歌」俳句・短歌ヘ
第5部  「マイメードソング・歌詞楽譜」
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