huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye



 水調歌頭
            
                    南宋 陳亮

               送章德茂大卿使虜

不見南師久,
漫説北羣空。
當場隻手,
畢竟還我萬夫雄。
自笑堂堂漢使,
得似洋洋河水,
依舊只流東。
且復穹廬拜,
會向藁街逢。


堯之都,
舜之壤,
禹之封。
於中應有,
一個半個恥臣戎。
萬里如許,
千古英靈安在,
幾時通?
胡運何須問,
赫日自當中。


    **********************


      水調歌頭
           
章德茂大卿の虜(えびす)に使ひするを送る

南師を 見ざること 久しく,
(みだ)りに説(い)ふなかれ  北羣は 空しと。
場に當たりては  隻手にてし,
畢竟 還
(な)ほ  我が萬夫の雄。
自ら笑ふ  堂堂たる漢使,
洋洋たる河水の,
舊に依って  只だ東に流るるに 似るを得んや。
(しば)し復(ま)た  穹廬を 拜せんも,
(かなら)ずや  藁街において 逢はん。


堯の都,
舜の壤
(つち)
禹の封
(くに)
中に於ては  應
(まさ)に 有るべし,
一個半個の  戎
(えびす)に臣(つか)へるを 恥づるを。
萬里 腥
(なまぐさ)きこと  許(かく)の如く,
千古の英靈  安
(いづく)にか在る,
たるは  幾
(いづれ)の時にか 通ぜん?
胡運  何ぞ問ふを須
(もち)ゐん,
赫日  自ら當に中にあるべし。



             ******************
私感訳注:

※陳亮:南宋の豪放な作風の詞人。辛棄疾の友人でもある。

※水調歌頭:詞牌の一。詞の形式名。平声韻一韻到底。詳しくは「構成について」を参照。

※送章德茂大卿使虜:章德茂閣下が北方異民族に使いするのを見送って。 ・章德茂:章森。南宋の高官。金の世宗・完顔雍(完顔が姓・部族名)の万寿節の祝賀のために派遣された。その時の詞。 ・大卿:高官の敬称。ここでは、章徳茂が試戸部尚書の大官として金に赴いたその官職に対する敬称。 ・使虜:異民族に使いにいくこと。虜は、北方異民族に対する蔑称。ここでは、金に使いする事を指す。

※不見南師久:南宋の軍隊を見なくなって久しいものだが。 ・不見:みえない。いない。 ・南師:南宋の軍隊。 ・久:ひさしい。ながい。

※漫説北羣空:(冀)北の馬の群は大したことがない、と言ってはならない。 *南宋軍には人材がない、と言ってはならない。或いは、北方の金の軍馬は大したものではない、と言ってはならない。 ・漫説:…言わない。言うなかれ。謾説(欺き言う。)とする本もある。前者の方がよく意味が通る。 ・北羣空:冀北(=良馬の産地。河北省)の馬の群は、大したことがない。つまり、いい人材がない、ということ。韓愈の「送温處士赴河陽序」に「…而馬
。…無良馬也。」からきている。ここは南師と対になるところなので、「南師」は南宋のことなので「北群」は北方の金国のことと想いたいが、両用にとれる。北方の金、また、北は冀北からきており、軍馬の意。対になるように使っただけである。詞の意味は、「南宋には人材がない」また、「北方の金の軍馬は大したものではない」。

※當場隻手:その場にあたって単独で処理にあたるのは。 ・當場:場に当たって。事を処理するに当たって。 ・隻手:独力で。第一義的には、「片手」「、一本の手」だが、ここは、やはり、独力で、が相応しい。秋瑾の『寶刀歌』にも「我欲隻手援祖國」がある。

※畢竟還我萬夫雄:さすがに、やはり我が国の男の中の男である。 ・畢竟:(白話)さすがに。日本語と共通の意味としては、また、つまり、結局。所詮、がある。ここは、いい意味の方で使われており、さすがに。 ・還:(白話)やはり。 ・萬夫雄:多くの立派な男の中の第一人者。男の中の男。

※自笑堂堂漢使:堂堂たる漢の使節(南宋側の使節)よ、自分で笑え。 ・自笑:みずから わらう。 ・堂堂:いかめしく立派なさま。 ・漢使:漢の使節。ここでは、漢民族の南宋側の使節をいう。

※得似洋洋河水:どうして水が(変わることなく)豊かで満ちているさまに似通わせられないのか。 ・得似:ここはややこしい。前の句の自笑の意味を追求していくと、どうしてもここは、反語のように読まざるを得ない。中国の本でも、どれもが苦労している。似ることを得る。→どうして似通わせられないのか。豈能像。李白の『清平調』三首之二に「一枝紅艷露凝香,雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似可憐飛燕倚新粧。」とある。 ・洋洋:水が豊かで満ちているさま。

※依舊只流東:ここの意味は、「立派な使節は、どうして河の水が昔通りに(正しい向きの)東を指すように流れるのを、見習えないわけがない」と見るか、「立派な使節は、河の水が相も変わらず惰性で、東を指すように流れている(そのように夷狄のところへ行く)」と見るか。諷刺があると見るか、ないと見るかで変わってくる。 ・流東:東に流れる。中国の川の流れは常に東に向かって流れる。恰も永遠の真理の如く。 ・依舊:昔ながらに。昔と変わることなく。

※且復穹廬拜:しばしの間はまた、(西・北方異民族の円形の)テントでの拝礼(異民族に臣従する作法)をするとしても(やがては)。 ・且復:しばし また。且は短い時間の間のこと。 ・穹廬:(きゅうろ:qiong2lu2)詩詞では匈奴の円形のテント。実際は、モンゴルの包(パオ)。北方異民族の象徴として使っている。「穹廬拜」は、異民族に臣従する事を言う。穹廬拜:上記の「穹廬を 拜せん」という読み方だと「拜穹廬」とあるときの読み方だが、ここは平仄の関係からこうしたとも謂えるし、胡銓の「欲屈萬乘之尊,
穹廬」からきたも思える。漢魏・蔡文姫の『胡笳十八拍』の第十五拍「十五拍兮節調促,氣填胸兮誰識曲。穹廬兮偶殊俗。願得歸來兮天從欲,再還漢國兮歡心足。心有懷兮愁轉深,日月無私兮曾不照臨。子母分離兮意難任,同天隔越兮如商參,生死不相知兮何處尋。」 や、六朝の斛律金の北朝齊民歌『敕勒歌』に「敕勒川,陰山下。天似穹廬,籠蓋四野。天蒼蒼,野茫茫,風吹草低見牛羊。」 とある。

※會向藁街逢:(漢代、漢に帰順した異民族が住んでいた長安の)藁街(こうがい)で逢おう。 *次に逢うときは漢へ帰順した時である、の意。 ・會向:かならずや…にて。會は、かならずや、きっと。向は、…において、…で。≒於。ここは、むかって、の意味はない。 ・藁街:〔かうがい;gao3jie1●○〕漢代の長安の街の名。当時の異民族(蛮夷)の使節はここに住んだ。「且復穹廬拜」と「會向藁街逢」は対になっており、「且復穹廬拜」が異民族に臣属する事をいうのに対し、文字だけを追って「會向藁街逢」を読めば、(中華優位の下の)正常な外交関係を指していよう。ただし、この「會向藁街逢」が、もしも「漢書・陳湯傳」の「(叛逆した單于を斬り)
宜懸頭藁街蠻夷邸間,以示萬里,明犯彊漢者,雖遠必誅。」を踏まえているとすれば、「必ずや蛮夷に、目に物を見せてやる」という、強烈な意味になる。

※堯之都,舜之壤,禹之封:失われた漢民族の故地、中原のこと。中原を熱く歌い上げた、民族の叫びである。堯舜の後代は、炎黄子孫でもある漢民族を謂い、禹域とは中華の地、中国を謂う。 ・堯之都:堯の都。堯は、中国古代の聖天子。ここでは、漢民族の中原、中華を指す。・舜之壤:舜の土地。舜は、中国古代の聖天子。やはり、漢民族の中原、中華を指す。 ・禹之封:禹の封土、領土。禹域。禹は、中国古代の帝。治水に励み、中国の建設に力を注いだ。ここも、漢民族の中原、中華を指す。

※於中應有:その中には当然いるはずだ。 ・於中:その中で。 ・應有:まさにあるべし。当然いるはずだ。ここは、現代語の、あるべきである、は不適切。

※一個半個恥臣戎:一人やそこらは、(西方の)えびすに臣従することを恥じる(者が)。 ・一個半個:(白話)一人や半人は。ひとりやそこら。何人かは。少数を云う。一個は一個人(ひとり)のこと。個は人や多くの物の量詞(助数詞)で、特に強い意味はない。個人(こじん)の意味はない。「一個半個」は、中国語の言葉のリズムからきているのであって、半個の人がいるわけではない。一個両個(ひとりふたり)の謂い。 ・恥臣戎:(西方の)えびすに臣従することを恥じる。異民族に臣属することを恥辱とする。 ・臣:動詞として、臣属する。仕える。臣下になる、として使われている。えびす、異民族を表すのに蛮夷戎狄また、胡虜と、更にそれを表す固有名詞と、貶義の強烈な漢字がたくさんあるが、戎になったのは、押韻の関係で決まった。蛮・夷・戎・狄は中華(中央)から見ての方角で、使い分ける。南蛮・東夷・西戎・北狄。胡・虜は北方。また周辺異民族を概括して使う場合がある。当時の世界観がよく分かる文字である。貶義の語彙なので、現在は、あまり使われない。外国製を表す「胡-」の替わりに「西-」や「洋-」が使われている。

※萬里腥如許:果てしない広がりの羊肉の生臭さ(北方異民族による支配)は、かくばかりであり。 ・萬里:果てしない広がりの形容。金による被占領地を指す。 ・腥:羊肉の生臭さ。北方異民族による支配の比喩。は、羊肉の臭い。羊肉臭い。=羶。 ・如許:(白話)かくのごとく。かくばかり。こんなにも。ここは安在と対になっているところだが、読み下しでは、あまり合わない。

※千古英靈安在:大昔からの(護国の)すぐれた人の霊魂はどこへ行ったのか。 ・千古:大昔。とこしえに。ここでは、大昔からの。 ・英靈:英霊。すぐれた人の霊魂。 ・安在:いずくにか ある。どこにいるのか。李白の『襄陽歌』に「落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今
安在,江水東流猿夜聲。」とある。
岳飛の『滿江紅』「登黄鶴樓有感」「遙望中原,荒煙外,許多城郭。想當年,花遮柳護,鳳樓龍閣。萬歳山前珠翠繞,蓬壺殿裏笙歌作。到而今、鐵騎滿郊畿,風塵惡!   
安在?膏鋒鍔。民安在?填溝壑。歎江山如故,千村寥落。何日請纓提鋭旅,一鞭直渡淸河洛。却歸來、再續漢陽遊,騎黄鶴」に影響

※磅幾時通:盛り上がる民族の意気を貫き通そう。 ・磅:(白話)気勢が盛んである。 ・通:つらぬく。かよう。筋道を通す。ここは、磅たる民族の意気をいつ、貫き通せるのか、という意味になる。

※胡運何須問:えびすの運命は、尋ねるまでのこともない。 ・胡運:えびすの運命。 ・問:(古・現代語)たずねる。(ようすを)うかがう。 ・何須問:なんぞ 問ふを 須(もち)ゐん。尋ねなくてもかまわない。気にしなくてもいい。問う必要がない。 なんぞ 須(すべか)らく 問ふべき。とも無理をすれば読めなくもないが、そうなると、どうして聞く必要があろうか、という意味になる。どちらに読んでも同じだが、不須(何須)の読みの慣習と日本語の雰囲気が異なることなど考慮すべきだろう。

※赫日自當中:赤く輝く太陽が天の真ん中で輝いているではないか。 ・赫日:赫は、赤い、かがやく。赫日は、胡運(えびすの辿る運命)の対で、赤くかがやく太陽、つまり、南宋の輝く前途、南宋の栄光の道、ということ。 ・當中:(白話)真ん中に。まさに 中にあるべし、と読んだ方が対になる。





◎ 構成について
          双調 九十五字。平韻  一韻到底。 

    ○●,
    ●●○○。(韻)
    ●,
    ●●○○。(韻)
    ●,
    ●○○●,
    ●●○○。(韻)
    ○●,
    ●●○○。(韻)


    
    ●,
    ●○○。(韻)
    ●,
    ●●○○,
    ●,
    ●○○●,
    ●●○○。(韻)
    ○●,
    ●●○○。(韻)

となる。
 脚韻は、平韻一韻到底。韻式は「AAAA AAAA」
韻脚は「空雄東逢 封戎通中」で、第一部平声。

諸詞人の水調歌頭は、対句を多用して構成している。次の同じ色の所は対になっている。

不見南師久,
謾説北羣空。

當場隻手,
畢竟還我萬夫雄。
自笑堂堂漢使,
得似洋洋河水,

依舊只流東。
且復穹廬拜,
會向藁街逢。


堯之都,
舜之壤,
禹之封。
於中應有,
一個半個恥臣戎。
萬里腥如許,
千古英靈安在

幾時通?
胡運何須問,
赫日自當中。
 
2000. 9.17
      9.18
      9.19
      9.20
      9.23(土)完
     11. 9補
     11.10
     12.19
2001. 8.28
     11.12
2007.10.14 

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