日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20000101
2000年8月
読・観・聴・その他
ニコルソン・ベイカー『中二階』(白水社uブックス)
ロバート・ルイス・スティーヴンソン
田中西二郎訳『ジーキル博士とハイド氏』(新潮文庫)
アリス・ジーン・ウェブスター
谷川俊太郎訳『あしながおじさん』(河出書房新社)
恩田陸『上と外』(1)(幻冬舎文庫)
カジヒデキ『YOU
WILL LOVE ME』(PSCR-5895)
今邑彩『盗まれて』(中公文庫)
麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社ノベルス)
今邑彩『時鐘館の殺人』(中公文庫)
ニコラス・ツェー@新宿HMV
south
『17世紀オランダ美術展
レンブラント、フェルメールとその時代』@国立西洋美術館
ジャン・ロッシイ
青柳瑞穂訳『不幸な出發』(六興出版)
今邑彩『鋏の記憶』(角川書店)(29)
加納朋子『いちばん初めにあった海』(角川文庫)(31)
31(木)
加納朋子『いちばん初めにあった海』(角川文庫)を読み終わる。悪くはないけど、良くもない。文章がまどろっこしいというか思わせぶりに思う。西岡文彦『絵画の読み方』(洋泉社)を読み始めた。フェルメールの『絵画芸術の寓意』が出てきたよ。「読み方」が、ものすごく刺激的でどきどきする。
東京に出張のよしもとさんとお会いしました。初めて会うのに、向こうから近づいてきた人がよしもとさんだって自然とわかる。読んでいる文章から想像する雰囲気は、ほとんどずれることがないので。けど、実際にお会いするよしもとさんは、お子さんがいらっしゃるようには見えなかった。
お互い、「人と会うなら5人以下が理想」と思ってる。一対一の緊張はあるだろうけど、これが複数人いる場だったら、私たちはこれほどたくさんの話をすることができなかっただろうね、と話した。
時間が短めだったので、なごり惜しさも強く、”金沢が東京の隣にあればいいのに”って感じ。”ロンドンが東京の隣にあればいいのに”(c)小椋冬美『リップスティック・グラフィティ』の真似。
30(水)
いくぶん早めに寝たら、真夜中に起きてしまい、あげくのはてに寝坊。
そういえば、おとといだったか、日テレの『ズームイン!朝』で、商店街ドミノ倒しというのを放送してた。たぶん、その前の晩に行ったものを放映していたんだと思う。なんと、最初から最後まで40分くらい。商店街の中を縦横無尽に駆け抜けてくドミノ。出かける準備をしながらで、ちゃんと腰を据えて見られなかったのが、残念。もういちどやってくれないかなあ。
『俺の屍を越えてゆけ』、髪の毛集めは、あと3本! オバケのQ太郎みたい。これ、久しぶりに思い出して歌ってみると、すごく楽しい気分になる。いい歌だ。アメリカのキザなおばけは、なんて名前だっけ。ドロンパだっけ。
29(火)
東京三菱銀行で通帳を作る必要があり、窓口に行ってつくってもらった。通帳なんて久しぶりに作るので、いくらくらい入金すればいいんだろう、と考える。1万じゃ少ないかな、恥ずかしいかな…と思いながらお姉さんの前に座る。金額に書く10000の数がやけに少額に見えて、こころもとない。でもいいや。
通帳は2種類から選べて、カードは4種類から選べた。通帳は、普通のとディズニーのなので迷わずディズニー。カードがこれまたかわいくて、迷ったあげく、ホログラム仕様の101匹わんちゃん。そして、景品をもらって帰る。ずいぶんこじんまりとしてるなあ、と思ってあとで見てみると、ミニーのミニタオル、ミニーのメモ、そしてティッシュ。ミニタオルなんて、あるんだ。
会社で、通帳を作ったと言ったら、いくら入れたの? と聞かれたので、1万、と答えると、えええっおかねもちー、1000円でいいんだよ〜と言われてしまった。ないお金と思えば……。
こういう景品は、やっぱりいろいろ種類があるそうで、嫌な客には重いのをあげたりするらしい。缶入りのサラダ油とか。もらった相手は重いので開けるまでは大喜び。あははー、舌きり雀じゃあるまいし。銀行員時代の妹の話。
今邑彩『鋏の記憶』(角川書店)を読み終わった。連作短編集。印象薄し。
28(月)
ゲームをしていて、何をしなければいけないのかを忘れることが多い。『俺の屍を越えてゆけ』も少しそういう傾向になってた。でも、きょうやっとわかった。髪の毛を7本集めないといけなかったんだ。あと4本。行くべき場所が何箇所もあって、その最後にそれぞれ髪の毛入手のために倒すボスがいて、どこの誰を倒したんだかも忘れそう。ものおぼえ悪い。
会社を定時に出て、普通に歩いて私鉄にたどりつくと、目の前で行ってしまう電車がある。あと1分、いや30秒、なんとかすれば乗れるんだ。走れば済むことだけど、それはだめ。定時に終わって本当にすぐ会社を出れば、絶対ここの電車に乗れるはずなんだ。いつも今日こそはと思って、出だしであきらめてた。でも今日は違う、なんだかうまくいきそう。気持ちが少しはやるので、足も少し早足。要所要所で自分の時計と駅の時計を見つめながら、大丈夫乗れる! と確信してく。ホームへの階段を駆け上らずに、余裕で乗り込めた。やったーうれしい、ささやかな賭けに勝った気分。
27(日)
『トルコ日記』は、人の目を気にしないで書いた最後の文章。旅をして、その日あったことを、忘れないように自分のためだけに書き記す、本当の日記だった。薄っぺらいノート1冊を持って出かけ、紙が尽きると小学生用のノートを買って引き続き書いてた。汚い字で。ときどき食べたもののイラスト(超下手)を描き、地図を書いて、レシートやバスチケット半券をホチキスでバシバシとめてった。
その時の日記と、ここに書いている文章、その2つの間には、はっきりとわかる違いがあると思ってたのに、読み返しているとそうでもないような気がしてきた。違いが見出せない。気にしないで書いてああなのか、気にして書いてこうなのか。
『ドラゴンクエストVII』を買ってしまった。ドラゴンクエストは、生まれて初めて遊んだゲーム。あまりに面白くて、一日中ドラクエのことばっかり考えてたし、もう終わった人がいれば、ゆきづまった部分のヒントをもらったり。早く家に帰りたいし帰らないと! って状態だったなー。
ちょっとだけ立ち上げてみた。うわあ、すべてが懐かしいよ。使われてる音楽、主人公の名前の入力画面、文字が出る時の音、続きがあるのを示す下向きの三角、なにかを見つけたときに、時々出る「なんと!」という文字、階段ののぼりおりの音。今回は、視点を360度回転させることができるので、逆に難しそう。
『俺の屍を越えてゆけ』が終わったら遊ぶことにします。こちらのほうは、進んでるんだか進んでいないんだか、もう……。迷路が苦手というのが身にしみてわかるよ。
26(土)
『17世紀オランダ美術展
レンブラント、フェルメールとその時代』@国立西洋美術館へ、2
人とともに行ってきました。美術展は、外からだと混んでいるように見えなかったのに、中に入るとちゃんと混んでいた。フェルメールの『恋文』は思ったより小さい。ひとつ、すごく気になるタイトルの絵があった。フェルディナンド・ボルの『教育の寓意』。どうしてそういう題名なんだろう?
その後、高田馬場へ移動。「ティーヌン」で汗をかきながら、トムヤムラーメンやセンミートムヤムを食べ、「カンタベリ」でお茶。ココナツとバナナのケーキを食べたもっちーの、そのケーキへの命名は、あー、なんだっけ、忘れちゃった。見た目は、和光のモツォレラチーズケーキなのに味は。おじいさんフェチにはたまらないマスターと、キムラさんそっくりのウェイターがいた。
隅田川の花火があるせいか、浴衣姿の女の子が多い。浴衣、いいですね。子どもの頃以来、着てないなあ。買っても本当に着る? と考えてみると、なかなか買うふんぎりがつかない。誰に着せてもらうのか、とか、着て歩くのが恥ずかしい(意味がない)、とか。着るなら紺地で古典柄がいいな。
ジャン・ロッシイ 青柳瑞穂訳『不幸な出發』(六興出版)を読み終わった。どちらも、著者が16-18歳頃に書かれたものであり、設定の類似性からも、ついつい、レイモン・ラディゲ 新庄嘉章訳『肉体の悪魔』と比べてしまいました。
設定
『不幸な出發』→14歳の男の子と、28歳の尼僧との恋愛
『肉体の悪魔』→15歳(だったかな…)男の子と、19歳の人妻との恋愛
視点の置き方
『不幸な出發』→基本的に、第三者の視点
『肉体の悪魔』→「僕」の視点
『肉体の悪魔』のほうが、断然、残酷(ほめ言葉)で、硬質で、濃密で、なんといっても、きらめきがあったなあ。でも、『不幸な出發』も、ところどころに、はっとする描写があります。
『不幸な出發』の男の子に全く残酷さがないのが、傍観者としては安心であり、物足りなくもあった。残酷さとは、彼女や自分に向く刃のようなもので、それがあるからこそ、感情の強さを感じたのもあるので。それから、尼僧が恋に落ちるという、かなり危険でタブーなことが、彼女自身の哲学的な理由づけは納得できるにしろ、恋に落ちるまでの葛藤も、落ちてからの葛藤も、それほど強くは感じなかった。なんていうのかなあ、感情の振幅がわりと狭いような感じ。
それにしても、貴重な本を読めて良かったよー。
SMAPの新曲「らいおんハート」のCMを見た。あれは石橋蓮司だよね? きゃあかっこいい〜っ。
25(金)
筑摩書房から、秋に、「明治の文学」全25巻が刊行される。各巻の編集解説者に惹かれて買いそう。ここでわかります。
アンケートフォームを復活させてみました。
24(木)
吉祥寺で仕事。夏は終わったー。たぶん。そういう気分。
シナボンという、シナモンロールを買って帰った。店名もシナボン。吉祥寺駅を背に、サンロードに入ってわりとすぐの左側。店内はシナモンの香りがぶわーっと充満。せっかくあたたかいのを買って帰ったのに、疲れすぎて食欲なし。
ジェームズ・ボールドウィン 大橋吉之輔訳『ジョヴァンニの部屋』(白水社uブックス)を買った。山田詠美が好きな物語だったと思う。
23(水)
ジャン・ロッシイ 青柳瑞穂訳『不幸な出發』を続けて読んでいる。んー、恋に落ちた瞬間の描写が不可能なわけはないか。でも、二人が落ちた理由は書かれてなかった。状況や状態はわかっても理由はそこにはない。理由なんていらないもんね。訳の不自然さだけ気になる。物語の流れは、幸せには向かってないだろうなあと、どうしたって感じる。
『シャンドライの恋』のDVDが8/25に発売のようだ。
明日の仕事が終われば、私の夏も終わりかな。
22(火)
新500円硬貨を手に入れたのは昨日。夜におつりとしてもらった時には気付かなかったけど、今朝、財布の中をのぞくと黄色っぽい硬貨が。それがそう。
秋山道男編『SUCOBULU上キゲン生活 優良品ガイド』(朝日出版社)を買いました。
それから、久しぶりに「ヴァンテーヌ」も。私にとって、唯一買うことのあるファッション誌。買えば満足、そして、読んでいるとなんとなく落ち込んだりもする。だったら買わなければいいのに。でも好き。
同じ本なのに、本屋で立って眺めてる時と、家に帰ってきて袋から出す時と、実際家で眺めている時と、気分が違ってくることがある。そのギャップが大きい本がたまにあるということ。
ジャン・ロッシイ 青柳瑞穂訳『不幸な出發』を読み始めた。恋に落ちた瞬間の描写について考えた。それってもしかしたら不可能なのかなって。
21(月)
メモ。千趣会とは、もともと、こけし千体趣味の会を意味するものだとか。//劇空間プロ野球のデモを見て、思ったより面白そうだなあと思った。コ*ミが発売を阻止して、なかなか発売されなかったという噂の。//クリスチアナ・ブランド『緑は危険』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の背表紙は、一番上に「HM
57-1」、そして、「ハヤカワ・ミステリ文庫」とありました。
GAKUさんと会う。笹塚の古本屋を3つまわったあと、新宿で食べた。
GAKUさんと話をするようになってすぐのころ、ジャン=バティスト・ロッシ『不幸な出発』(六興出版)="Les Mal Partis"をさがしている、と言ったことがあった。それが、少し前に「じつは、なつめ(さん)がさがしてたものが見つかった」と言われた。「え、まさか!」と言うと、そのまさかで、おまけにそれは、私が入院しているときに見つかったんだという。その話を聞いて興奮しないわけがない。「感謝−感動−感激」の3つでは、まちがいなく、感激だったよ! と、本人に言ったけどここにも書いておこう。そして今日、はじめてそれを目にして、やはり感激。表紙には、ジャン・ロッシイ 青柳瑞穂訳『不幸な出發』とあり、雰囲気のある顔が描かれてる。丁寧に読んでいきます。
ジャン=バティスト・ロッシ Jean-Baptiste Rossi
イコール
セバスチアン・ジャプリゾ Se'bastien Japrisot
です。
『シンデレラの罠』(創元推理文庫)の巻末、厚木淳氏による「ノート」。
「セバスチアン・ジャプリゾは一九三一年生まれで、本名はジャン=バティスト・ロッシJean-Baptiste Rossi、推理小説に手を染める前に、すでに小説「レ・マル・パルティ」(これは英語がシグネット版にある)や、サリンジャーの仏訳などで知られていた青年作家である。推理小説のペンネームは本名の転綴語(アナグラム)で、今後はこの二つを使いわけるとみえる。(p.220)
そして、『殺意の夏』(創元推理文庫)の巻末、「素顔のジャプリゾ」という望月芳郎(訳者)によるジャプリゾ家訪問記の中にはこう書いてあります。
「マルセーユからパリに出て来て、ソルボンヌで勉強し、純文学的な作品(『不幸な出発』)を書きましたが、金がいるので、思い切って推理小説に転向しました」と、彼は率直に『シンデレラの罠』や『寝台車の殺人者』(ともに一九六二)を書いた頃をふりかえった。(pp.408-409)
20(日)
ほんとうだ。昨日の、ニコくんの描写が全然抜けてる。なんでだろう。
出てきた時に、うわーっ、と思って興奮してげらげら笑ってしまったし、こっちのほうを向いて手を振れば私も一緒に手を振ったりしました。スクリーンでみるまんまで、それが本当に近くで見られたので、あまり現実感なかった。いやになるほど、かっこいい人です。でも、もしかしたら、実際にパフォーマンス(歌やアクションや映画)をしているときのほうが、もっともっと輝いている人なのかも。
なにより感心したのが、握手するときに、そっと触れるだけだということ。握手というものは、手と手を握るから「握手」と言うね。でも、彼との握手は、手の横幅どうし、つまり、人差し指と小指のつけねどうしを、くっ、とつかむようにするだけの握手。「慣れているな」って思った。右手にポスターサイン用のペンを持って、その持ったままで握手をするから、そのペンが、きちんと握手しないための防衛になってる。見事だ、と思った。
冷静なようだけど、ちゃんとどきどきしていたんだよ。でも、握手の瞬間にこんなことを思ってちゃだめかなー。
図書館のリサイクル図書に、ポケミスが出ていたので5冊持って帰った。
#478 エリオット・リード(エリック・アンブラー) 加島祥造訳『恐怖へのはしけ』
#625 ブレッド・ハリデイ 田中小実昌訳『金髪の罠』
#695 カーター・ブラウン 田中小実昌訳『明日は殺人』
#748 カーター・ブラウン 矢野徹訳『キー・クラブ』
#767 カーター・ブラウン 高橋豊訳『この女百万ドル』
19(土)
スケートに行ったらじっくりとマンツーマンだった。一人だと全部見られるので気が抜けない。けど、へらへら笑いながらやってることに変わりはない。駅からスケート場途上の「ティーヌン」は引っ越してしまったので、駅の反対側にある「ティーヌン」までどれくらい距離があるのか歩いてみることにした。ほんの10分ほどで、思ったよりかからなく、メニューが少し違っていた。ランチセットやレディースセットはないが、ごはんものの種類がいくぶん多い。やっぱりセンミートムヤム(トムヤムスープ+細麺)を食べて帰る。
ニコラス・ツェー(謝霆鋒)の新宿HMVでのイベントに向かうため、Mneさんと会う。ただいま爆発売り出し中の彼、とうとう日本でCDデビューとなり、そのアルバム『20 Twenty』(RCCA-2052)のためのイベント。イベントの整理券はすでになくなってたはずなのに、会うと、「少し早めに行ってみたら、アルバム買った人に整理券まだくれるっていうので2枚買っちゃった!」という。どうしよう! 握手してもらえるんだ。いきなり、ニコラス・ツェーが身近に思えてきたよ!
トークショーと握手会の間の時間で、ほんの数メーターのところに、渡辺満里奈を見た。かーわーいー。顔も小さい。その辺にいそうでいて、やっぱりどこかかわいさが違う。
私たちの整理券番号が、384/385。たぶん、全体では500枚くらい配布したんじゃないかと思う。本人の意向で整理券を増やし、かつ、あらかじめサインされたポスターを配布の予定が、握手の際に直接その場で書いて渡すということに。実際、握手するために目の前で見たニコラス・ツェーは、もちろんかっこよかったけど、トークショーの時に少し離れて眺めている時のほうが、実感がわいて見られた。目の前にいる彼は、近すぎてしまって、なんだか逆に顔を覚えてないよ。変だ。
ニコラス・・ツェーの顔は、たとえばこんな(このページの3人目)。初回特典の写真集には、赤ちゃんのときのまで載ってて、なんていうかまあ、やっぱりスターです。
キネカ大森のチラシを配布してたのでもらうと、もうめじろおし。
『新古惑仔之少年激闘篇』がとうとう9/23から。出るのは、ニコラス・ツェー(謝霆鋒)+サム・リー(李燦森)+ダニエル・ウー(呉彦祖)+スー・チー(舒淇)+ン・ジャンユー〈呉鎮宇〉、豪華すぎるほど豪華、楽しみ。
スティーブン・フォン(馮徳倫)の『顧城別戀』は2001年公開予定。
セシリア・チャン(張柏芝)の『星願』は2001年正月第二弾ロードショー@シネマスクエアとうきゅう
『決戦』[アンディ・ラウ(劉徳華)+イーキン・チェン(鄭伊健)]と『烈火戦車2』[イーキン・チェン(鄭伊健)+セシリア・チャン(張柏芝)]は、今年中。
『香港映画祭』(2000/10/28-11-3)では、『東京攻略』[イーキン・チェン(鄭伊健)+セシリア・チャン(張柏芝)+トニー・レオン(梁朝偉)+ケリー・チャン(陳慧琳)]がみられる。
18(金)
どなたかわかりませんが、「どーもくん」のページを教えてくださってどうもありがとうございます。私の知らないところかな?
と思ったんですが、知ってるところと同じでした。残念。→2000/3/31
お茶したあと花屋さんで、\800でチューリップの球根のつかみどり袋入れ放題というのをやっていた。10種類ある。懐かしくって買うことにした。袋にかなり入れることができて、数えてみたら16個。9月から11月頃に植えてくださいとのこと。まだまだ先だ……じゃない、もうあと少しで9月だー。
今邑彩『時鐘館の殺人』(中公文庫)を読み終わる。短編が6つ。「生ける屍の殺人」と「隣の殺人」は、会話や妄想(?)中で推理が展開していく。本格っぽいテイストなんだけど……、という趣向。「黒白の反転」の残酷さは、過ぎた時間を思うとさらに深く感じる。残酷にもいろいろあるけど、こういう残酷を物語で読むのは好き。「あの子はだあれ」は、ミステリというより幻想的な物語。「恋人よ」は、「こんなのぜったい嘘だよ!」って思ってるけど、「もしかして本当にそうだったらどうしよう。どうやって解決つけるんかしら」と、先を急いで読んでしまった。これもすごくいい。「時鐘館の殺人」は、問題篇−解決篇という構成。文体も今まで読んだものとかなり違っていて新鮮でいい。そのせいで、物語自体がカラッとしている。問題篇−解決篇だけでも充分面白いのに、最後まで読むともっと面白いことがわかって感嘆する。すげー。
17(木)
窓の近くで音がする。虫がじたばたしてるような音だけど姿は見えない。やっぱり気になり窓を開けると、ひっくりかえった虫がいた。苦しそうにジージーいってるので元にもどしてあげようと思い、なにか棒のようなもの……と考えて、ハタキを持ってきた。ふさふさのほうを持って柄のほうを使うようにし、ひっくり返しを試みる。なんだかもう、元に戻ったのかよくわからないような足のつきかた(構造)をしてるので、じっと足を観察してはひっくり返しにまた挑む。そのうち、見事起き上がった、と思ったら同時に勢いよく飛び立っていきました。うーこわ。飛ぶ音は蜂っぽかったけど、結局なんの虫だったんだろう。
急に、明日休みを取ることにした。残りは来週に取ろう。ふと、母にお茶でもおごろうかと思い立ち、早速電話。「明日、休みとったんだけど、お茶でもおごろうか。電車代も出してあげるから出ておいでよ」と言うと、「えっ、なんなの、どうしちゃったのいったい!」とやたら驚く。そんなん……、いままで一緒に出かけた時には「おごるからお茶しよう」くらい言ってるのに。そのたびに、「もったいないからいいわ。高いのに」と断られてばかりで、なんて張り合いのない親なんだろうと思ってた。一緒に出かけたり、旅行したりする母娘がうらやましかった。
まあ確かに、出かけた時に「おごるからお茶しよう」と言われるのと、電話がかかってきて「お茶おごるわ」と言われるのじゃ、違うかもね。「出かけてて疲れたからお茶でもしよう」の「お茶」を”副”とするなら、「お茶おごるから出かけよう」じゃ、「お茶」が”主”だ。おまけにそれが、電話をした目的そのものだものね。だからなのか、切ったのにまたかかってきて、「ねえどうして。なんでよ。なにかあったの?」と再び食い下がる。一緒にお茶くらいしたいのよ、なんて言うのは恥ずかしいし、本当に何でもないので、「別になんでもないよ。コーヒーと紅茶どっちがいい?」と話を微妙にずらすと、「私はコーヒーだわねー」と言うので、「じゃ、おいしいところ連れてってあげるから」とそのままひっぱり、「そおう、わるいわねー、楽しみにしてるわ」とやっと納得したもよう。まったくもう、なんてしちめんどくさいんかしら。
16(水)
つ〜か〜れ〜た〜。おやすみなさい。
で、おしまいのつもりだったのに、ご飯を食べたら少し回復した。
昨日読み終わった麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社ノベルス)。きちんきちんと詰めて書いてある印象、たとえば、ある形のいれものに積み木を隙間のないようにピタッと嵌め込んだような。「へんな宗教にはまったあげく奥さんに逃げられた亭主がつくりあげた仮想家族(?)だったんだー」という身も蓋もない言い方できるのに、そうは見えない物語につくりこんでるのがすごい。読み終わったあと、ときどき出てきた見知らぬ人たちは、イコール誰だったのか読み直すのも面白いと思う。
どんな一日であったとしても、一日は一日分きっちり平等で、ちゃんと閉じてゆくんだなあ。
15(火)
社食には、A定食(\300)、B定食(\200)のほか、カレーライス(\200)や麺類(\130)、単品で小鉢(\40)などもある。ショーケースを見ると、今日のB定食は「ざる蕎麦+天ぷら+おにぎり」。決めた!と、誰もいないカウンターに寄ると、中にいたおにいさんやおばさんの視線が集まる、そんな中、「すみませーん、Bくださーい!」と叫んだら、「Bは隣でーす」。定食であっても、麺は麺類のカウンターだったんでした。はりきりすぎちゃったよ。
明日と来週には体力仕事が待っている。でも、楽しみもちりばめておいてるから、乗り切るぞー。
麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社ノベルス)を読み終わった。家でも本を読み続けるほどに面白かった。でも、どこがどういうふうに面白いのかを説明するのが難しいなあ。えーと。
14(月)
駅への道を歩いていると人が少ないなあと思うのに、電車に乗ってみるとあまり空いている感じがしない。行きも帰りも。会社近くなんて、いつもと全然変わらないし。
夏休みかあ。今の会社は、7月、8月の間に4日取れる。前のところは、決まった夏休みはなかった。だから、8月に休む人はあまりいなく、逆に、お盆に出てきて普段できない書類の整理をしてたりする。電話がない分、結構はかどる。
時間が経ったことを感じるのは、定期的にすることをしてるとき/したあとだ。例えば、髪を切ること。電話で予約をしなきゃと思うと、なぜか、すでに髪を切り、「1ヶ月経ったんだなー」と思いながら、あの道を歩いている自分のうしろ姿が頭に浮かぶ。実際、髪を切った後にも、ちゃんとそう思う。定期を買う時にも「(半年分買うので)こんな先か!」と変な気分。季節がまるっきり反対で北半球と南半球みたいだものなあ。
秋元麻巳子『二人暮しのお取り寄せ』(角川書店)。「またどこかの余裕のあるばーさんがお気に入りの高級食材の本でも出したんかしら」と思いつつ、中身をぱらぱら、やっぱり私には縁がなさすぎる世界だと思った。だから買わずに、鈴木るみこ 編『スマイルフード』(マガジンハウス)にした。けど、『二人暮しのお取り寄せ』の著者、秋元麻巳子は、ばーさんではなく、秋元康の奥さん=元おニャン子クラブの高井麻巳子だったなんて。
内田百ケンのお気に入りだったという大手饅頭。だけど、ジモティのおすすめどおり、藤戸饅頭のほうがおいしいと思った。
麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社ノベルス)を読み始めた。
13(日)
おとといと昨日は書かなかったけど、明日からは書くと思います。あ、今日分も書きません。
10(木)
ここ最近、「あれ、きょう、雨降るの?」とか、「用意がいいね」と何度か言われる。そのたび、「違うんです、これ日傘なんです」と示す。黒いから、日傘に見えないみたい。
昨日、恩田陸『上と外』(1)(幻冬舎文庫)を読み終えた。さらっとしてて、力が抜けているね。物足りないほどに。長丁場になるから? 関係ないか。
そしてやはり昨日、カジヒデキ『YOU WILL LOVE ME』(PSCR-5895)を買って帰り、いやな仕事を全て済ませて、冷たい飲み物を用意し、ステレオの前に座って、待ってましたとばかりに聴いた。でも、良くわからなかった。全曲あわせて一つのようだった。それは、それぞれが違ったパーツを担当して一つになってるんじゃなくて、一枚の布のようにつながっていて、どこをとっても均一な感じという意味で。あまりほめていない。夏は感じなくて、そういえば立秋過ぎたしな。なんだか全然残ってない。一回しか聴いてないからかな。しょぼん。
行きの電車で今邑彩『盗まれて』(中公文庫)を読み始め、家に帰ってきてから読み終える。手紙と電話が絡んでくる短編集。あっけなさと余韻が、いい具合にちりばめられている。「ひとひらの殺意」の最終場面。発されたセリフに、なすすべもなく立ち尽くした人。そんな描写をする著者をすごいと思った。非合理と合理を行き来した挙句の結末がいい「ゴースト・ライター」も好き。この一行で終わって! と願った、本当にその一行でピタッと終わったんだもの。「茉莉花」と「時効」は、同じアイテムで終わるけど、読み終えた気分は全然違う。
麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社ノベルス)と、「ふらんす 夏休み号」(白水社)を買った。カレル・チャペック紅茶店からお茶が届く。包みを開けるのは中身がわかってても楽しい。ゲームは、ひと休み。夜は眠い。
8(火)
アリス・ジーン・ウェブスター 谷川俊太郎訳『あしながおじさん』(河出書房新社)も読み終わった。物語は、彼女の手紙だけで構成されているけれど、相手側の動きはちゃんとわかるというのは素晴らしい。そして、その手紙の内容も素晴らしい。確かに、惚れる、かもしれない。
「あしながおじさん=ジャーヴィーぼっちゃん」のやりかたって、ちょっといけすかない。好きな女の子に悪い虫がつかないようにという、その手段がなんだかうざった〜。「正体明かさず、権威を振りかざして(ないんだけどさ…)なによ」みたいに感じてしまった。そのくせ、ちゃんと対等な立場に立とうと奮闘してるジュディを「いい子ぶりやがって」とも思う私はいったい何様なんだ?
ジュディは、「あしながおじさん=ジャーヴィーぼっちゃん」だってのを最後の最後まで知らなかったというのは、読者が彼女の手紙を読んで判断したことで、本当かどうかわからない。それを知ってて終盤の手紙を書いたんだったら、読者はよほどびっくりなのにな! だけど、国語の成績が優秀、将来は作家を目指す(実際、雑誌に採用されたりもしてる)という彼女、ありえない話じゃありません。どっちにしろ想像、だったら、いろいろ考えてしまえ。
なんかこう……、もやもやして読み終える。
買った本。
今邑彩『盗まれて』(中公文庫)
今邑彩『時鐘館の殺人』(同上)
恩田陸『上と外』(1)(幻冬舎文庫)
串間努 編『子どもの頃の「大疑問」』(大和書房)……子どもの頃の、あやふやな記憶がハッキリするかも。当たり前だけど、全然知らないことも出てる。
鈴木るみこ 編『スマイルフード』(マガジンハウス)……全国のおいしいお気に入りがいろいろ載っててくやしい。
枝元なほみ『枝元なほみのたれ・ソース・ドレッシング』(新星出版社)
1冊買い忘れた。
7(月)
少し前、ロバート・ルイス・スティーヴンソン 田中西二郎訳『ジーキル博士とハイド氏』(新潮文庫)を読み終えた。これ、薄っぺらいから軽くていいし、あらすじだけ知ってただけなので。
「ハイド氏=ジーキル博士」という謎は最後のほうでわかる構成だけど、説明しやすいあらすじは、(どうせみんな知ってるだろうけど一応隠す)「自分の抑えていた部分というか隠して過ごしてた部分が前面に出てくる薬の調合に成功してしまったジーキル博士は、それを飲んでは、もう一人の自分、「ハイド氏」として、はちゃめちゃな行動をし、薬を飲んでは元に戻るという生活を送るようになっていた。けれど、戻るに必要な薬の量もだんだん増えてしまい、眠っている間にハイド氏になっているという状態になっていく」。
残念ながら、あらすじを知ってると全然面白くなかったよー。「ハイド氏=ジーキル博士」という驚きを奪われただけで、これほど面白くなく感じるのか〜。あーあ、何も知らずに読めてたら。
ただ、「ハイド氏になる/戻る」薬の調合に成功したのは、その時使ってた原材料に「不純物」が混じっていたからこそ、というのがすごい。いまや、その原材料を手に入れたくても、純粋なものしか手に入らないという逃げ場のなさ。博士が望んでいるのは、不純物の入った原材料だなんて、皮肉で素敵。
そして今読んでいるのは、アリス・ジーン・ウェブスター 谷川俊太郎訳『あしながおじさん』(河出書房新社)。これも読んだことなくって、あらすじだけ知ってたもの。面白いけど、もやもやっとしますね。純粋な気持ちで読むほかに、いやらしく(?)読むこともできるなあ、と。そのハザマで揺れながら読んでおります。どんぶらこー。ジュディの手紙が素晴らしいのは、谷川俊太郎訳だからってわけじゃないんだろうなあ、たぶん。
5(土)
スケートへ行く途中、ティーヌン移転のお知らせの張り紙を見た。スケートが終わってから食べるのを楽しみにしていたところなのに、なんと赤坂へ。あーあ。
スピンする前、バックでサークルを描き(助走のようなもの)、その回転と反対側に回転をし始める。その回転し始める足の踏み込み方がどうにも難しくって、頭ではわかってるのに身体が言うことを聞かないという繰り返しだった。それが今日、ここだーっというエッジの入り方をして、なんとも気持ちが良かった。その先の動作も、いつもは次は……と頭で考えてから身体が、というルートをたどるのに、その時ばかりは、勝手に身体が動いていた。収まるべきところに、収まった感じ。一つの動きがピタッとはまると、その次の動作も、そうなるべくしてそうなってしまうとか、そうせずにはいられないようになり、全てがきれいに流れてゆく。身体で覚えるってこういうことなんだ、と、まさに実感した。
お茶の水に移動して、書泉や三省堂をちょろっとみて、久しぶりに茶房「李白」へ。ここは店主が焼き物好き。焼き物好きにはたまらないお店でもあるらしく、あちこちの置物や机の上の灰皿がわりのお皿もかなりなものなんだろうなあと思う。良くわかんないけど。常連さんであるらしき人に、「いいものが入ったんですよ」というふうに、壷を見せたりしてた。20万円とか(!)
テープデッキの調子が悪く、テープ自体の劣化もそろそろこわいので、真剣にMD/MP3プレイヤーの購入を考えることにした。MP3は、値段のわりになんだかそそられなく、欲しいという気持ちが起きない。ポータブルMDを見ると、録音・再生兼用よりも、再生専用の軽さにどうしても惹かれる。しょうがないので、MDデッキ+ポータブルMD再生専用という組み合わせで買うことにした。夏に眼鏡を買おうと思ってたのをやめ、8月は 授業料がないんだし、と皮算用。
MDデッキは視聴したらさっさと決められたのに、ポータブルMDは、説明を聞いて悩み、視聴して絞り、最終的にはデザインとこだわりで決定。初志貫徹?
「ポケモンスタンプラリー」、やろうかなあ。
4(金)
そして、多分そのころ、私は永井さんのIXYのデジカメの小ささに目を丸くしてたと思います。
もっちー、たにぐちさんと、浜松町の足裏マッサージへ行った。足を洗い、左足からスタート。ぐわーっ、しょっぱなから痛い。痛さを感じるたび、「それどこ(が悪い)ですか」と聞いて、なるほどーと納得したり、考えたり。痛さを感じたところは、頭、のど、「目-首-肩-腰-坐骨神経」のライン全部、腸。言われたことは、冷え症、もうちょっと睡眠時間を取るように、疲れが取れてない、などなど。マッサージ中に、白湯を500ml飲む。
終わったら、「汗たくさんかきましたね!」と言われたので、そういえば背中が……、と思ったら、なんと背面全て汗をかきまくってた。椅子に座ってたところが汗だらけ。Tシャツもスカートも色が変わってて、おねしょしたみたい!これじゃ外歩けないよ!とあせる。電車に乗って移動してく間にだんだん乾いてきたけど(夏万歳)、でも、食事する店に着いたら、Tシャツを着替えてしまった。
着替えがなんであるかっていうと、ちょっと力仕事があったので汗をかくだろうと見越して持ってた。だけど、そちらじゃなくて、マッサージ後に着替えることになるとは。
ほよほよと心地よくだるくって眠い。足がぽかぽか温かい。前、気功を習ってた時も、終わると眠くってだるくって、夜はぐっすり眠れたので、きっと今夜は熟睡だと思う。いつも熟睡してるけど。
キムラさんも合流して、食事はおいしいインドカレー。バターが効いてるのがたまらない。ラッシーの塩味は、トルコのアイランと同じ味。懐かしい味。カレーを着替えたTシャツにこぼしてしまうし、ナプキンをしいた膝の上にも落としてしまう。なんだか今日は、マッサージ効果か、ぼーっとしてる。
もっちーのサイト改造計画について喧喧諤諤。掲示板に女性の書き込みがぜひに欲しいそうです。ちなみに私が書き込んでいないのは、ある理由(信念)によりますが、状況次第ではいつでも出ていきたいところ。っていうか、「なつめが書き込みしないってことは、もっちー好かれてないんじゃないの」などという無記名フォームをもっちーに送ったの誰だよ。”ばかに見えるぜ”
3(木)
ニコルソン・ベイカー『中二階』(白水社uブックス)を読み終わる。「ミシン目!たたえよ、その名を!」。ほんとにねー、ミシン目ってどうやって作られてるんだろう?
枝分かれした思考に、(注)も加わり、(注)はページを飛び越えて本文より長い。本文のどこまで読んでから(注)へ移ろう、と考えたり、(注)を読み終わったはいいけど、どこに戻るんだっけ?と一瞬わからなくなったり。「脚注!たたえよ、その名を!」
2(水)
永井さんと、ホッピー神山について語る。「PINK」まではわかったんですが、他に何してたっけ?
情報お待ちしています。
ニコルソン・ベイカー『中二階』(白水社uブックス)を読んでいる。すっごい短い時間の中、頭の中で思ったことが、こと細かに描写されていってる。家系図のように枝分かれしてく思考。幹はどれだっ?本文の枝分かれじゃ足りなくて、見開き半分以上が(注)なんてことも。変な小説〜(ほめことば)。でも、人の頭の中って、きっとこんなふう。
ゲームで煮詰まりそう。家に帰るとゲームしちゃってて、その日に起きたことを思い出すのが難しくなってしまってる。うすまってしまうというか。
1(火)
昨日の匿名コメントは、実は匿名じゃなかったことがわかりました。10行くらい下に名前が書いてあるんです!って本人から、あせりまくりメールが来て気付いた。
昨日の日記は、「そういうものいいするんだったら、名前くらい書けば」と一度書いたのをやめた。
こういうのって、その、”ワタシはキミのことわかってるんだよ”っていう感じが頭に来る。やっぱり、マニアメールは来ないほうがいいです。懲りた。
あーだめだ、ゲームのことで頭がいっぱいで面白く書こうなんて無理。差出人のほうがそういうのは得意だと思う。
31(月)
ティッシュ配りの人を避けている。なのに今日、肩からかけていた布バッグに、するりと入れられてしまった。いったいなんなの?
それはないでしょーよー。私のバッグは私のもの。勝手に出し入れされたくない。物を盗られたのと同じくらい頭に来た。
ところで。
>なつめさん、本当は本好きじゃないでしょう。
という、匿名さんによる一行コメントが来ました。
「本当は」って言われてもなあ……。「本が好き」と書いたことないと思うんですけどね〜。「本が好き」と書いているくせに「本当は」と思われるんだったら、「内緒ですけど実はそうなんです、どこでわかりました?」と言えるんですけど、自分でわかっているので、「うん、そのとおりです」って言うしかないや。
逆に、「本を読むことが好きなのかもしれない、と錯覚」したり、「本が好きじゃないんだなあ」とは、良く思います。そのあたりのことは、1999/05/24と、1999/08/08に。
はい、PSのゲーム『俺の屍を越えてゆけ』を始めました。