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日記のフリindex

01.0301.05

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g.http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0104.htm#20010401


2001年4月

その他

橋口譲二『17歳』
田口ランディ・寺門琢己『からだのひみつ』
森村泰昌『美術の解剖学講義』
VHS『八月のクリスマス』
『ブラック・ボード』@テアトル池袋
『デジャ・ヴュ01〜伊集院警部補の憂鬱』@紀伊國屋ホール
田口ランディ『縁切り神社』
枝元なほみ『枝元なほみの料理がピッとうまくなる』

服部まゆみ『時のアラベスク』
劇団フライングステージ『Love Song』@下北沢駅前劇場
三浦和人『会話 correspondence』
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(2)
吉本由美『道草散歩』日本放送出版協会
小野不由美『黄昏の岸 暁の天』講談社


30(月)
池袋まで出て、La Familleでお茶する。シフォンケーキのお店で、ショーケースの中にはいろんな種類が並んでる。チョコ、シナモン、かぼちゃ、やさい、チーズ、紅茶、オレンジなどなど。シナモンとコーヒーを頼んだ。コーヒーはカップ+ポットでおかわりまで付いてきて得した気分。雨の日にシフォンを食べてまったりと。

ほんというと昨日今日と、歩いていても楽しくなくて、どうしてそうなのかはわからない。考えるのは面倒。

1日2日と休みを取って9連休にしたNさんに、「じゃ、9日間会えなくて残念だけど」なんて言われて、そのとおり張り合いのない朝になりそな明日あさって。


29(日)
cafe8で昼食を食べた。ごはんがおいしかったし、落ち着いていて素敵なところだった。手頃な大きさのスプーンとフォークが俄然欲しくなる。探すともなしに探しながら、表参道経由で神宮前のほうへ抜け、Bio ojiyan cafeでお茶してから千駄ヶ谷へ向かっていると雨が降ってきた。傘なんて持ってない。ICLでしばらく雨宿りをして過ごす。松浦弥太郎「トゥディショップ」というコーナーができたようです。「くちぶえサンドイッチ」というフリーペーパーと、しおりにマーガレットのハンコを押して持ち帰りました。雨は止む気配がないので、あきらめて、ちょぼちょぼぬれながら歩きつづけた。

結局、柳宗理のスプーンとフォークをBPQCで買いました。

雨にずっと降られっぱなしなのに、なんとなくだらだら帰りたくなくて、買い物もしたのに楽しい気分がない。傘をさして歩いていたら違ったんだろうか。

Tmiさんより。「オーディオ道場公式サイト」


28(土)
JR御徒町駅で降り、秋葉原を経由して神田方面へ出た。

「かんだ やぶそば」に行く。風情があって上品な雰囲気のところ。待合室は混雑していたけど、わりあい早く席に着け、せいろと天抜きを頼んだ。若草色のお蕎麦。天抜きは、天ぷら蕎麦の蕎麦抜きと言えばいいの? 芝えびのかき揚げの天ぷらが、おつゆにひたったお吸い物というか。おーいーしーいー。

続いて、「神田まつや」へ。ここは、もっと庶民的な雰囲気で、大きなテーブルにどんどん相席を作っていく。平日の陽が高いうちからお酒を飲んで過ごしてみたいところ。そして、それが「贅沢してる」ではなく、「一日の終わりにお疲れさん」といった感じになるところ。社交場なイメージがある。ざると、そばがきを頼んだ。たらい(?)の中で、お湯につかってるそばがきは、木の葉の形をしている。温かいつゆと薬味でいただく。そばがきを食べたのは初めて。むちむちした食感が楽しいな。ちくわぶに通ずるものを感じた。

「近江屋洋菓子店」、甘味の「竹むら」、ホットケーキの有名な「万惣フルーツパーラー」も制覇したいところですが、私の胃袋は宇宙ではないので、またの機会にあきらめました。

靖国通りをまっすぐ歩いて、古書店街へ。が、本屋には全然寄らず。おみやげにしたかった「大丸やき茶房」は、残念ながら閉まってる。さて、ここから茗荷谷で中国茶を飲みに行こうと思う。歩いてゆくか、電車に乗ってしまうか。とりあえず、「李白」でカフェオレを飲みながら地図を見て考えた。大した距離じゃなさそうだし、歩いてしまえ。

水道橋駅を抜けて、後楽園、東京ドームを眺めながら、春日通りをひたすらまっすぐ歩く。茗荷谷駅前の「茶楽」という中国茶のお店に到着。情緒ある雰囲気が素敵。奇古堂の凍頂烏龍茶と、かぼちゃのケーキを頼んだ。一煎目を淹れてもらい、「10〜12煎目まで楽しめますので、ごゆっくりどうぞ」と説明をいただく。出された器が、ものすごく繊細で、相当高級なものなんだろうなあと少し緊張してしまった。それにつけてもお茶はおいしく、香りは甘く、またもや眠くなる……。思うに、烏龍茶を淹れる時のあの手続きで集中し、そのあとちびちびまったりお茶を飲むというその繰り返し、緊張−弛緩ともいうべきものが心地よいリズムになって眠さを誘うのかな〜、なんてね!

茗荷谷から池袋まで、これまた歩くことにする。銭湯に行く人を3人見た。洗面器に詰めて歩いてたので。

結局、今日の電車賃は池袋から御徒町までの片道160円也。歩いたルートを大雑把に言うと、御徒町−秋葉原−神保町−水道橋−茗荷谷−池袋てな感じ。それにしてもよく食べました。いや、食べ過ぎました!


27(金)
電車の中でちょこちょこ読んでいた、小野不由美『黄昏の岸 暁の天』講談社,2001 が終わった。それまでの話を忘れかけてても、気にしないで進む。シビアな内容だけど、あまり起伏はないように思った。

中島義道『哲学の教科書』講談社学術文庫,2001(1995)/『明治の文学 山田美妙』筑摩書房,2001/フレデリック・ドルーシュ『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』東京書籍,1994 を買った。『ヨーロッパの歴史』は、森英俊『世界ミステリ作家事典』国書刊行会と同じ値段です。衝動買い、か…。

連休中の希望。おいしいうどんを食べる、おいしいお茶を飲む、整理整頓をする、お弁当を作って河原でまったりする、長めの散歩をする。


26(木)
吉本由美『道草散歩』日本放送出版協会,1996 を読み終えた。「メンソレータム巡礼」が面白い。メンソレータム好きの著者が、近江兄弟社・近江兄弟学園・建築家ヴォーリズの関係を調べに近江八幡市に出かける話。この本、文庫版出ないかな。文庫本になったこれを片手に近江八幡を歩いてみたいです。

一ヶ月前ほど前、フォームで「この本いいですよ」と教えてくださったOさん、どうもありがとうございました(アドレスわからないので、ここに書いてみる)。


25(水)
電車で立っていて、前の席のおばあさんの眼鏡を見るともなしに見ていたら、レンズの下から1/3あたりで横に線が入ってる。傷? と思ったけど、その瞬間ハタと思い当たった。これが遠近両用眼鏡なのか! 初めて仕組みを知った。

rat ngon store→teibleとはしご。nonには、おじけづいて入れなかった。


24(火)
Nさんに、奥泉光『葦と百合』集英社文庫を貸している。「埼玉の人?」と聞かれたので、「たしか東北の出身ですよ」と答えると、Nさんは「どこかでなにか見た気がする」と言い、数日後、出身高校がNさんと一緒だということを証明する記事をコピーしてくれた。


23(月)
緊張してたというのは口だけだったような気もする。CAFFE@IDEE→ロータスとはしご。CAFFE@IDEEからは、オレンジ色の東京タワーが見えた。そういえば、東京タワーの照明の色って、夏と冬では変えているのだそうですね。夏は涼しく冬暖かく。


22(日)
梅舎茶館@池袋へ行ってみた。中国のお茶が飲めるところ。種類がいろいろで迷ってしまったので、しぶしぶしてないのが飲みたいですと伝えると、碧螺春(ピールーチュン)をすすめてもらった。グラスにお湯を注いで、その上からお茶の葉を入れる。沈んでから葉が開いてゆく様子が見られて楽しい。お茶うけ付。最初の一杯は手順を踏んで見せてくれるので慣れていなくても安心です。定員は12名ほど。お店の人は一人で丁寧に応対してくれるので大変そうだけど、緊張せずに落ち着いてお茶を楽しめます。

それでまたもや眠くなる……。どうして中国茶を飲むと眠くなるんだろう?

帰り際、お店の人に「じつは知り合いにそっくりなんですよ〜。男の人なんですけどね、バンドでボーカルやっていて」と言われる。人に似ていると言われたことがあまりないので、ちょっと嬉しい。

昨日の買った本の書き忘れ。よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(2)新書館,2001も買いました。あいかわらずよだれの出そうなお菓子の説明が出てきます。


21(土)
久しぶりに、リブロとジュンク堂に行った。ジュンク堂の棚は高く、1F以外は静かで、図書館にいるような雰囲気。知らず知らずのうちに時間が経ってた。買ったのは、探偵小説研究会『本格ミステリこれがベストだ! 2001』創元推理文庫,2001/天藤真『われら殺人者』創元推理文庫,2001/江國香織『ホテルカクタス』ビリケン出版,2001

トロメールに登録して数日経った。今日届いたメール。

ユメの中でなつめくんに会いに行くニャ

くはーっ、どうしてくれよう? ニックネームを“なつめくん”にして正解だったニャ。


20(金)
携帯電話よりもテレパシーが欲しい。

電話は、「今話さないとだめなこと」を除いては、かけることが(ほとんど)ない。待ち合わせに遅れそうだの、明日会うつもりなのに時間が決まってないだの、手紙やメールでは間に合わなかったりまどろっこしかったりするときに、かける。連絡という用事、その名目があるから電話をかけることができる。かけたくてかけてるのと少し違う。

今ちょうどすごくきれいな夕焼けを見ている、そこからも見えるかな、という内容こそが、私にとってはよっぽど切実な「今話さないとだめなこと」なんだけど、連絡とはいえないし、相手がいま何をしているのかわからないのに電話はかけられないし、なにより相手にとって全然重要でないことを伝えるというのは憚られる。それに、電話している間すら「今」を逃してる。


19(木)
電車の中で見た男の子の髪の色がちょうどよくて、「これくらいの色にしたい」と思った。他の人の髪の色と比べ、男の子の色とどこが違うのか考える。茶色といっても黄色っぽいのも赤っぽいのもあって、あの色がどっち寄りなのかわからないし、明るければいいってものでもないし、そもそも“明るい”という言葉の定義さえ、あまりにも曖昧だ。ともかく、ああいう色がいい。どう説明すれば伝わるんだろう?

結局「前回よりも、ちょっと明るくしたいです」としか伝えられず、ところが出来上がってみれば、わわっ、どうしてわかったんだろうという嬉しい色になっていた。

『音楽誌が書かないJポップ批評12 まるごと一冊、モー娘。超特大号』宝島社,2001/丸谷馨『わが家の食卓がガラリと変わるたべもの発見ガイド』講談社,2001 を買った。


17(火)
カフェへ行き、店員さんから微妙に死角となるところに座る。窓際の席で外だけを眺めるのではなく、窓から少し離れてフレーム込みで外が見える席も余裕があっていいもんだと思った。そしてまた眠くなる。いつか帰り際に、「ここへ来るといつもいい気持ちになって眠くなります」と言ってみたい。


16(月)
三浦和人『会話 correspondence』モール,1998。写真集。以前、個展のお知らせが書かれたポストカードを持っていた。そのポストカードの写真(写真集の裏表紙とp.49)が気に入って、行こう行こうと思いながら行けなかった個展。今度みに行くつもりでいる『SELF AND OTHERS』にその名前が見えたので思い出し、写真集を眺めることにした。冒頭に江國香織からの言葉が添えられている。モノクロの美しさは本であっても感じられ、そのものを見られたならば、色の深みをもっと感じられたと思う。被写体である子どもとの距離は決して親しげではなく、むしろ距離を感じるが、見知らぬ他人との関係はそれが普通だろう。そういった意味でありのままの写真。会話はこれから始まる。


15(日)
近所のスーパーで、ニッカシードル「プルミエ」の試飲販売をしていて買ってしまった。

お酒をずいぶん買ってるわりには飲んでない気がして“在庫調査”してみた。今日買ったほかに、はこだてわいん無添加 セイベル」、白瀧酒造吟醸 上善如水」、丹山酒造「淡麗純米微発泡酒 ジャポン」、ニッカシードル「季節限定 スターキングデリシャス」がある。ためこんでて、いやしいですね。

昨日茶の葉で玉露を飲んだあと、店頭で何もお茶を買わなかった。お店で出していたのは、たぶん100グラム5000円じゃないかと思う。お茶を淹れる技術がないのだから味を再現できるはずもないわけで、身分不相応に高級なものには手を出さず、お店で味わうのが一番いいような気がする。チャレンジするにしても段階があるなあと思ったし。


14(土)
先週同様、銀座のさか田でうどんを食べた。かやくうどんのおつゆは思ってた以上に東京仕様の味で、かなりがっくり。ぶっかけのほうがおいしかった。

松屋銀座の地下にある、茶の葉という日本茶を飲めるところへ寄る。のれんをくぐると中は別世界。シックな内装、落とした照明、大きな鉢の中に活けてある木、水の音、和っていいものだなあと思う。カウンターのみの7席。単品・セット・コースがあり、単品はお茶のみ、セットにはお菓子が付き、コースはお茶3種類のコース。セットの玉露をいただくことにした。

しばらく待つと、干菓子とともに玉露が運ばれてきた。甘くとろっとした玉露のあまりのおいしさに思わず顔がにやけてしまう。お湯をもらって3杯目まで楽しんできた。少し前の桜の時期には、店内の木を桜にし、添えられるお菓子は桜餅、それも職人さんを呼んで作ってもらい、できたてのものを供していたとのことです。次回のできたて和菓子は七夕あたりだそうです。

空也のもなかは売り切れてた。当たり前かも。

小野不由美『黄昏の岸暁の天』講談社文庫,2001……小野不由美はX文庫で揃えてたけど、待てずについ。でも話を忘れてしまってる。
成田美名子『NATURAL』(9)(10)白泉社……続きを読まないと落ち着かない。
魯迅『野草』岩波文庫……『故事新編』岩波文庫を探しているのが見つからなくて、なんとなく『野草』を開いたら、「棗」という文字にぶつかったので。こういう文章です。

「わが家の裏庭から塀越しに二本の木が見える。一本は棗、もう一本も棗である。」(p.10)

13(金)
初めて行ったときから、週に一度行くことに決めたカフェがある。先週行きそびれ、別に義務のようにしなくてもいいかと思いつつも、やっぱり今日行きたくなって寄った。今までで一番混んでいて、いつも座っていた席は埋まっている。業界ぽい感じのグループと、1人でまったりの人数が半々くらい。ここもだんだん静かに過ごすことはできなくなるのかなあという予感がする。キャラメルミルクのアイスを頼み、本を読みながら過ごす。

騒がしい人がいても、どうにもここは居心地が良くて離れがたい。だんだん眠くなってきて、10秒くらいうたたねしてしまった。帰りしな、2人の「ありがとうございます」プラス笑顔を見たとたん、ああやっぱり来て良かった、また来よう、と全部クリアになった。

新宿伊勢丹の京都物産展で、イノダコーヒを飲む。昔、京都に行ったときに飲んだことはあったのかどうか? 全然覚えがない。砂糖とミルクがあらかじめ入っているコーヒー。それほど甘ったるいわけではなかった。「アラビアの真珠」を買った。

日本酒の試飲を4種類し(ちょっと気分がほうっとした)、丹山酒造の「淡麗純米微発泡酒 ジャポン」というのを買った。

劇団フライングステージ『Love Song』@下北沢駅前劇場をみに行った。「ゲイの劇団」だそうですが、劇団員全員がゲイというわけではないそうです。男同士の恋愛を描いていましたが、そういえば男同士だったなあと今思い出すくらい。観客の男女比が男性のほうが多いと思ったし、ゲイなのかなあと思われる人も多い。というのも、劇の中で出てくるちょっとしたエピソードや用語などに敏感に反応しているので、ああそうなのかなあと。登場人物の中におこげ的豪傑女が出てくる(しかし、もちろん男性が演じている)。現実、ゲイの人たちにとってこういう女性はどう映るんだろう、と興味深かった。暖かい笑いと力強い拍手は、熱演のせいだけじゃなくて、そういうキャラクターそのものに対する好意も含まれているんだろうか、と。

月がとても低くて黄色くてぼんやりしていた。


12(木)
憂鬱な気分になるのは春のせいだと思います。それで神楽坂のカフェFloor!へ行く。坂からすこし外れた住宅街の中にある日本家屋。二階建ての一軒屋。緑のドアをあけるとあまりに普通な玄関、真正面に階段がある。すべてが普通の家だ。二階へ上がって席に座り、カーテンのない窓の外にも、普通の家々が見える。

ワインのような日本酒と、料理を3種類お願いする。お米からどうしてこんなに甘い果物のような味が出てくるんだろう、富久娘、すばらしすぎる。750mlくらい1人でいけそうです。2人で1つずつ頼んだ生湯葉のあんかけごはんで食事を締めくくる。具沢山でお腹が落ち着く。

置いてあるお茶は中国茶と日本茶、そしてデザートも和のもの。三笠というのもあって、「なんですか?」とたずねると、「どら焼きです」だって。結局、友達はキンモクセイウーロン、私は在来(日本茶)、デザートにはそれぞれ大福を選んだ。大福は豆大福と蓬大福が1つずつの2つ。手作りだとわかるあたたかさと、やわらかさ。「はあああっ」と幸せな気分で別腹を満たしてゆくのでした。

眼鏡をはずした目で眺める月は3/4の形に見えてこころもとない。輝きからいって明日は天気だというのはわかった。


11(水)
髪や耳にチクチクささる雑誌にいらいらしっぱなしの電車内。喧嘩売りシミュレーションをして気を紛らす。

1.「勘弁してもらえませんか」と冷静に言う。2.手でパッと払いのけ「うざったい」と一言。2.をやりたいのはやまやまだけど、喧嘩は、まずは静かにしたてに始めるほうがいいし、周りの視線もあるし、あと○分電車から降りられないし、現実的には1.だな、反撃されたらどう答えよう。そんなふうにして気を紛らせ、我慢を重ねた。

2.をやった女性を知っています。憧れます。

服部まゆみ『時のアラベスク』角川文庫,1990(1987) を読み終わった。美しくて残酷で憂鬱な物語。関係者同士をつなぐ糸は愛ではない。多くは憂鬱が支配している。人が死んではガックリ、人が憂鬱な気分になっているのを読んではガックリ、気付くと私もメランコリー。昇から届いた手紙の一文「そして僕も別の資格に於いて----チーを普通の女のように愛した貴方が大嫌いです。」にしたたかやられ、しばし止まってしまった。読み終えると春美の存在が稀有に思える。すばらしきかなメランコリー。こういう雰囲気は大好きです。


10(火)
4つめのチューリップも赤い。

田口ランディ『縁切り神社』幻冬舎文庫,2001 枝元なほみ『枝元なほみの料理がピッとうまくなる』筑摩書房,2001 を読み終わる。

田口ランディ『縁切り神社』は短編集で、あれよあれよという間に終わってしまうほど読みやすかった。著者の感覚が変わっているのかな、いや変わってはないと思うんだけど、いきなりひょいっと振り向かれるような軽い意外性がある。よく泣いてさみしがりやだけど強くてカラッとしてる、そんな相反するものが同居してる感じの文章。

枝元なほみ『枝元なほみの料理がピッとうまくなる』。気楽さがよい。後半は「料理の人」になるまでが書かれている。伊藤比呂美とのFAX交換集、『なにたべた?』マガジンハウス,1999 でも言及されていた、阿部なをさんとの交流について触れられている。すごく好きで尊敬してたようです。

Nさんは、加納朋子『ななつのこ』を気に入ったそうです。「毒がなさすぎますか?」と聞いたら「いや、僕にはちょうどいいよ」。

奥泉光『鳥類学者のファンタジア』集英社,2001 を買った。「すばる」に連載してた「フォギー」と題名が全然違うので、最初は同じものだと思わなかった。


8(日)
起きたら、チューリップの2つめ、3つめが咲いていた。薄い黄色と、赤いの。

招待券をもらったので、『デジャ・ヴュ01〜伊集院警部補の憂鬱』@紀伊國屋ホールをみにいった。元・光GENJIの佐藤アツヒロが主役で、彼と吉野公佳を除いてはベテランさん、脇をがっちり固めてるなあという印象。声の通りかたが全然違う。それでも、佐藤アツヒロは好演してると思ったし、芝居自体楽しめるものでした。脚本なのかアドリブなのかがあまりにも微妙な部分があって、それがとっても面白い。メタな遊び方も、もともとの鴻上尚史の原作にあったものなのかはわからないけど好き。秋田健太郎役の河原雅彦という人が素敵でした。長塚圭史(長塚京三の息子)のスマートさも印象に残る。

池袋の新文芸座での4/10〜23 気になる日本映画達〈1991〜2000〉 の内容に惹かれた。時間が合えば、『ひみつの花園』『スリ』『HYSTERIC』あたりをみたい。上映スケジュールゲスト

昼間に開ききっていたチューリップが夜になると閉じているのがつつましくてかわいらしい。


7(土)
午前中は、銀座で999.9の眼鏡を見て、さか田でうどんを食べ、銀座三越に寄った。

999.9で見たすごく気に入ったフレームは、\35,000.-。眼鏡はフレームだけで済まないところが悩ましい。これにレンズ代を考えると今の私には無理がある。いまかけている眼鏡があるのだし、どうしても必要なものではないので、あきらめる。

さか田のうどんは、うどんにうるさい人間を連れて行ったら感激してた。久しぶりにちゃんとしたうどんを食べたと言って、「しばらくはうどん効果が続いているから……」とわけのわからないことをつぶやいていたよ。ぶっかけの冷を食べて、本当においしいと思った。噛み切れないくらいの弾力とつやのある麺。

銀座三越に寄ると、山野草と器を組み合わせた企画展のようなものをやっていた(千駄ヶ谷の「SHIZEN」というお店と、青山「うつわ楓」というお店の共同?)。和の雰囲気が素敵で、ぐるっと一周しているうちにすーっと伸びた茎がきれいでかわいらしい山野草があったので買いました。綿のような花をつけるんだそうです。姫ワタスゲというもの。

待ち合わせて、『ブラック・ボード』@テアトル池袋をみた。極限状態において教育を与えようとする黒板を背負った教師に、冒頭からすでに押し付けがましさを感じる。そういう状態での教育の必要性はあまりにも遠く弱い。私だったら、いま目の前のパンと水がほしいと思う。しかし、教育を与える代償に食べ物を望む教師らもまた極限状態なのだ。無償に与える教育ではなかった、ということにひっかかったんだろうか。そしてまた、極限状態をみている私は実はとても冷静で、「ああ、大変な状況だということを描きたいんだ」と一歩引いたみかたをしていた。どんな極限状態が描かれていても、それを本当に理解することはできないとは思っているけれど、その大変さも伝わってこない画面なのは、どうしてなんだろう。

というわけで、印象から早いところ消えてしまいそうな映画でした。

さて、キネカ大森&テアトル池袋の「サポーター」な私ですが、サポーター通信vol.3によりますと、「サポーターが選ぶ2000年ベスト発表」は、1位『グリーン・デスティニー』感想)、2位『美少年の恋』感想1,2,3)、3位『ガラスの城』感想)、『風雲』『ひとめ惚れ』、6位『 初恋のきた道』『鎗火』感想)、『シュリ』だったそうです。“『鎗火』見逃した方、何度でも観たい方は秋まで待って下さい。”とのコメントがあって、「何度でも観たい」私は興奮した。秋まで待つ待つ!

ご飯を食べてから珈琲を飲みに行く。通された禁煙席は男性4人グループの隣で、騒がしい感じはしないもののなんとなく気づまり。席が空いたばかりのほうへ行こうとすると、男の店員さんに「やっぱりいやですよね」と、ぼそっと言われた。メニューを眺めながら「桜のチーズケーキだって」と友達に言うと、「おいしいですよ。さっぱりしてて。……と言っておかないと」と、その店員さんは、またもクールにつぶやいた。おすましさん。


6(金)
森村泰昌『美術の解剖学講義』ちくま学芸文庫,2001(1996) を読み終わる。カルティエ=ブレッソンの写真を分析した「写真論」がめっぽう面白い。

『八月のクリスマス』をみた。秘めることの美学なのだろう。だからだろうか、ヨーロッパでは全く理解されなかったという。私も、それは美学だと認めるし、美しいと思わなくはないけど、「いやだ」という感情が先にたつ。

窓から眺める彼女の姿を、フォーカスのぼけた指がなぞる(なでる)シーンが素晴らしく美しい。

確認したいこと。彼女宛の手紙は出されず、彼女の写真とともに箱の中に封印されていた。それが彼女の写真が最後、ウィンドウに飾られているのを彼女がみつけてほほえむ。手紙の内容がナレーションでかぶる

これを、彼女への手紙は結局出されないままで、彼女の写真は、彼自身が死ぬ前に飾ったものだと解釈したんだけど、いいのかな。


5(木)
neival@恵比寿で友達とお茶してきた。いままでで一番深く話したと思う。彼女とは、ゆっくりゆっくり近くなっていってる気がするなあ。

ちょっと時間が経った感じの一口チョコを、口に入れたらすぐにがりがり噛んで食べてた。噛んでも噛んでもとけてゆかず、なーんでこんなに固いんだろうと5つ食べたあと、物足りないので6つめを口に入れる。噛まずにそのままにしていたら表面がゆるんでチョコの味がしてきた。チョコってこうやって食べるべきだったのか。おいしい。

帰りの電車で親子が斜め前に立っていた。新入社員の娘とその母らしい。「高いヒールは疲れるから、もっとぺったんこの靴がいるかしらね?」とか、明日からお弁当がどーのとか、社会人にもなった娘のためにそんなことまで気を回すのか? といった会話をしてる。私の隣の席が空いたところで、その母が「疲れたわー」と言って座る。電車は降りられるのか不安になるほどのギュウギュウ混み。次の停車駅で私は席を立って降りようとした。そしたらさー、もう一度言うけどギューギューだよ、前に立ってる人にすみませんって言いながら降りるところをだよ、先に座ってた隣の母は、私が立った席へすかさず移動しようとし、「○○ちゃん」と言って娘を座らせようとしたよ。

こっぱずかしい。親バカもたいがいにせい。

Tmiさんが貸してくれた成田美名子『NATURAL』白泉社をなんとなく読み始めたら止まらなくなってしまい8巻まで。ウワー、8巻で終わりじゃないんだ! 先が気になるー。


4(水)
田口ランディ・寺門琢己『からだのひみつ』メディアファクトリー,2000 を読み終わる。二人の対談がおさめられている。私がからだを動かすのではなく、からだが私を動かしているのだと思ったほうが、精神的にも楽になれる気がした。そうだよねえ、精神だけで生きてるんじゃないんだし。臓器が感情をつかさどる話も面白いし、頭痛持ちは弱い部分が頭というわけじゃないのだ、というのも説明を聞いているとなるほどと思えてくる。

なんでだか『東京マリーゴールド』が少し気になる。小澤征爾の息子、小沢健二の従兄弟が相手役だって。それは理由ではない。

「ERIO アジアで元気 美・肌・健・食」日本放送出版協会,2001 /枝元なほみ『枝元なほみの料理がピッとうまくなる』筑摩書房,2001 を買った。疲れているとき、ぼーっとしたいときは、料理本を眺めてると楽になる。

昨日気付かされたことがあって、少し考えている。人に何か言われて考えるなんて、めっずらしーい。私は、人と比べて考えてないと思う。考えたとしても、時期がとても遅い。5年から10年くらい遅れてるんじゃないかしらん。決めなくてもいいようなことをずーっと保留状態にして過ごすのは楽。楽だけど、ときどきギリッと締めたくなったりもする。


3(火)
日本酒、お刺身、煮魚。まったり日本料理をごちそうになり、あいかわらずのマイペースだなあと言われ、別れ際に握手をして帰ってきた。

いきなりの雨。いまさっきの大きな地震。


2(月)
明日、前の会社での上司、指導員の先輩と食事をすることになった。指導員の先輩から電話が入り、「メール読んだ?」と言われて、古いアドレスのほうをずっとチェックしていないのに気付く。そんなこんなで、明日3人で会うことが急に決まったという次第。

上司は今まで一緒に仕事した人たちの中でいちばん尊敬できる人。幸か不幸か、今後もそれは不変と言い切れる。メールには、「今まで実現できなかった罪滅ぼしで、何でもおごるよ。」なんて書いてあって、口調を当てはめて読むと、ちょっとばかりときめいてしまうのでした。ははは。

以前から読んでいたページのうち3つがずっと更新されなくて、それで充分さみしいのに、そのうち1つは終わってしまった。さみしい。代替がきくものではないから。

ああ、1つが更新されてるのをいま知った。良かった。04/02/01 23:46:01


1(日)
チューリップが咲いた。最初のは黄色。

晴れたので花見をすることに決めた。サンドイッチとおにぎりを作る。サンドイッチのほうがやっぱり面倒です。

お昼近く川に行くと、もうシートを広げた人たちでいっぱい。人を避けて、川ぎりぎりの川原に座って食べることにした。花は自分の後方にあるから正しくは全然花見ではないね。ゆっくり流れる川を眺めながら過ごす。お弁当を持ってくるのが案外楽しかったので、もっと暖かくなればまたやってみたい。

家族、サークルの仲間、カップル、いろんな集まりを土手の上から眺めるのが実は一番面白い。桜の写真を撮っている人を勝手にモデルにして写真を撮るのが面白いように。先に新聞紙を敷いてからその上にビニールシートを敷くのを見て慣れてるって思ったり、「吟遊会花見会場」と立て札&ロープで場所取りしてるところが律儀に空白地帯だったり、椅子に座って二人して眠っているカップルのテーブルの上にはワイン、お座敷の宴会のように横長のちゃんとしたテーブルをコの字に並べてるおじさんグループ、バーベキューのいい匂い。

向かい合って眠るカップルが印象に残ったのは、向かい合ってる距離、つまり身体は離れているのに、その距離をもろともせずに眠っているということに。たとえば電車で隣り合って座っているカップルが二人とも眠ってるのとは違う。隣で眠られたら、眠ってるってことを自分のすぐ近くに感じられるから、こっちも「安心して」眠りそうだし、そもそも隣り合っている二人の距離はゼロで入り込める余地がもともとない。また、同じく電車で、通路をはさんで別々に座ってた場合に眠ってしまう、というのは、二人がカップルであるというのが傍から見たらすぐにわからないし、二人もその場で共有の場を持とうとも思ってないだろう。

でも、今日のように、公の場で(川原で花見)、二人の空間を確保しつつ(二人だけのテーブル)、距離は離れて眠る(向かい合って、身体は離れて)ってところがいいなあと思うのです。二人の距離は離れているのに、その離れた空間に他人は絶対入り込めないと感じられるところがいい。

どういうふうに眠りに入ったのだろう。どっちが先に。その時間差が知りたい。結局は同じペースに酔えたからあんなふうに眠っているような気がする。酔いのペースが同じっていいですね。

気が済んだので隣駅まで歩いて散歩をしてから帰った。ビデオを返して、aiko「初恋」(PCCA-01525)を買い、北海道物産展で、はこだてわいん「無添加 マスカット」を買ってしまった。スターバックスでスターバックスラテを買って飲む。天気のいい日はなるべく外にいたくなる。寒くなるまで帰りたくない。

橋口譲二『17歳』角川書店,1998『十七歳の地図』文藝春秋,1988 の新装版)を、眺め、読み終わる。全国の17歳の男女の写真と共通のインタビューというごくシンプルな内容。自分の年齢を思ったときに、職業的にいろんな○歳がいるだろうと想像はついても、17歳という年齢ではもっとその幅が狭いと思ってた。それはただの先入観、職業(身分)も環境もいろんな17歳がいて、“旅の途中”という表現に胸が突かれた。インタビューの答えはどのように回答してもらっているんだろう。会話を文章におこしたんだろうと思う反面、あまりに対象を近くに感じられる文章が続くので、相手に記入してもらったものをそのまま載せているんじゃないかとも思えてしまう。会話を文章におこしたにしても、発話までの間だとか、言いよどみとか、そういう微妙なニュアンスさえ伝わってくるような気がして、読んでいてとても響いてくる。

これで、その後の彼らを追った『17歳の軌跡』文藝春秋,2000 を手に取ることができます。


31(土)
花見をしようと思っておにぎり材料とサンドイッチ材料を買っていたのに起きたら雨。らしくないことを思うとこうなる。料理は下手ですが、おにぎりを三角ににぎるのは我ながら上手だと思う。妹のデートのとき母に作らされたことがある。ちなみにサンドイッチを作ったことがない。なんか技術がいりそうで。

マフラーと手袋を持って出かけた。雨から雪へ雪から雨へと繰り返されてる。音と落ちる速度でわかる。

池袋イルムス館8Fのピスタチオカフェで昼食。小林カツ代プロデュースのお店らしい。メインにサラダと飲物のつくセットって、大抵、サラダが「菜っ葉」って感じのものだけど、ここのは、ひじきのサラダ+ポテトサラダというちゃんとしたものでちょっと感動。メインのキーマカレーは、スパイスが効いていておいしい。かなり大きめのお皿で満腹になる。

同じく池袋の、メトロポリタンプラザB1にある眼鏡屋、lunetterieに行ってみた。ショップで加工・検眼をしないぶん、レンズがものすごく安い。現在使用中のと同じ度数か眼科の処方箋で作ってくれるというもの。

南池袋公園の近くにある、中国茶のお店は5:30から貸し切りになっていたのであきらめ、同じく公園近くのカフェへ。しかーし、ここは目の前にある予備校のたまり場とみた。

TSUTAYA2軒分の更新をして、特典として借りられる2本に『八月のクリスマス』『シベリア超特急』を選んだ。かなり迷った。

『シベリア超特急』。どうして? が頻繁に起きる。水野晴郎の頭の中では一貫性があるんだろうけど、他人である私には飛びすぎててわかんない。戦争は良くないってことをすっごく言いたかったんだなあというのは良くわかった。というか、それを「感じさせる」んじゃなくて、「わからないやつにもわからせちゃう」つーか、「これがテーマなのだ」的ラストがすごい。ただしその“壮大な”テーマとちゃちい画面構成の落差がのけぞるほど大きくて、いったいこれは笑いながらみていいものかどうか、とまどう(テーマがテーマだからさ)。映画館ではどうみられたのだろうか??? 非常に気になる。ビデオ借りてきて、ウワー、どうしよう、どうしたらいいの! とわいわい言いながらみるのはかなり楽しいと思う。今日の気温のように寒い映画だった。でも嫌いになれないのはなぜ。『シベリア超特急2』は、ビデオになったら借りてきてみる。


30(金)
阿部嘉昭『日本映画が存在する』青土社,2000 をとうとう読み終えることができた。1ヶ月以上かかったのかな。ところどころ難しい単語・熟語が使われる。それでしか表現できないから使っているのだろうが、読む側としては辞書を引いてまで綿密に解読すべきものとも思わなかったので、そのまま流していった。論じられている映画をほとんど見ていないにも関わらず面白く読めたのは、役者の描写の仕方が魅力的だったというのがあると思う。顔や肉体の描写を感覚的かつ分析的に行っている。未見の映像を描写した文章を読み、映像ではどういったものであるのかとても興味を持った。映像の文章化を読むのは確認作業めいて感じられるのに、(未見の)映像を描写した文章を読んで映像をみるというのは、先入観ぽいくせに発見できそうな余地があって楽しみ。


29(木)
楽しいのに長い一日というのもあるんだなあ。翌日との落差におびえて眠る。


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