ラミア虐殺
[紹介]
探偵事務所を営む杉崎廉は、北条美夜と名乗る奇妙な女性の依頼を受けて、雪に閉ざされた山奥にある彼女の実家へと同行する。美夜の父親である北条製薬の元社長・北条秋夫は、杉崎自身にとっても因縁浅からぬ人物だった。「殺されるかもしれない」と不穏な言葉を口にしていた美夜だったが、杉崎らは北条家へ到着早々に、美夜の従兄弟・月岡まことの首吊り死体に出くわす。ノイローゼによる自殺かと思われたが、現場には「ツキオカ」と記された謎のカードが。続いて明らかな他殺死体が発見された現場にも同じカードが残される中、電話線が切断された上に雪上車が破壊され、一同は激しい吹雪の中で殺人者のいる屋敷に閉じ込められてしまい……。
[感想]
飛鳥部勝則の長編第八作である本書には、デビュー作『殉教カテリナ車輪』から巻頭に付されてきた自筆の油絵も、また恒例の“あとがき”もなく(*1)、作者自身にとってもこれ以前とは違った特殊な位置づけの作品であることがうかがえます(*2)。実際のところ、カバー裏の紹介文にも“背徳の本格{インモラル・パズラー}”
なる刺激的な――そして少なくとも『殉教カテリナ車輪』など初期の作風とはかけ離れた惹句が添えられた本書は、飛鳥部勝則の最大の問題作といっても過言ではないかもしれません。
上の[紹介]にも書いたように、物語の骨格はベタベタともいえるほどの“吹雪の山荘”もののミステリ……ではあるのですが、どう考えても“吹雪の山荘”ものにはそぐわない「序章」はもちろんのこと、時おり何か引っかかるところのある会話や描写、殺人犯とともに屋敷に閉じ込められてもさほど気にかける様子のない登場人物たち、果ては犯人を突き止められないなら“自分以外のすべてを殺せばいい”
といった乱暴な台詞など、“吹雪の山荘”ものの常道を外れた要素が随所に見受けられ、あたかも読者に“警告”しているようにさえ感じられます。
また、クローズドサークル内で事件が起きているにもかかわらず、登場人物たちが終始バラバラな行動をとり続け、全員が一堂に会する場面がほとんどない(*3)のも独特といえるでしょう。そのせいで半ば必然的に、章ごとに視点人物が変わる多視点での叙述が採用されているのですが、それにより事件と関係なさそうなところに向いている登場人物それぞれの思惑がクローズアップされることになり、ベタな“吹雪の山荘”ものという意匠との間に生じる違和感がますます強まっているのがまた印象的。
一方、主人公・杉崎廉が――北条秋夫との個人的な因縁など重い過去を含めて――ハードボイルド風の探偵として造形されているのも興味深いところで、“吹雪の山荘”ものとしては破格の物語にうまくはまっている感があります。とりわけ物語終盤、ある意味で唖然とさせられるほどの凄まじいクライマックスの中で、依頼人・北条美夜の身を守るために一風変わった戦いを繰り広げる壮絶な場面は、本書の大きな見どころの一つとなっています。
活劇場面のインパクトがあまりにも強烈にすぎるために、すっかり影が薄くなってしまっているのは否めませんが(苦笑)、最後に明らかにされる事件の真相は地味によくできていると思いますし、それを隠蔽する手際もなかなか巧妙だといえるのではないでしょうか。間違っても万人向けとはいえない、どこからどうみても型破りの本格ミステリであることは確かですが、個人的には大いに楽しませてもらいました。
なお、本書と後の長編『黒と愛』とは、物語に直接の関連はないものの、一部の登場人物が共通するなど“姉妹編”というべき関係になっています。作中の時系列では本書の方が先ですが、どちらかといえば『黒と愛』の方を先に読んでから(*4)、本書をニヤニヤしながら読むことをおすすめします。
2010.11.10読了 [飛鳥部勝則]
パニック・パーティ Panic Party
[紹介]
小説家ロジャー・シェリンガムは、思わぬ大金を手にして大金持ちとなった元指導教授ガイ・ピジョンの誘いを受けて、クルーザーで船旅に出ることになった。ガイと彼が招いた様々なゲストを合わせて総勢十五名の男女は、それぞれにクルージングを楽しんでいるようだったが、やがてクルーザーの故障をきっかけに一行は無人島に取り残されることになってしまう。そして最初の夜、ガイが全員を集めて「このなかに殺人犯がいる」と宣言し、さらに翌朝一人が崖から転落して死んでいるのが見つかったことで、一同は深刻な疑心暗鬼に陥っていく。迎えが来るまでの二週間、正体不明の殺人者とともに島にとどまらざるを得ない状況で、シェリンガムはパニックを防ごうと奮闘するが……。
[感想]
本書は、『レイトン・コートの謎』に始まる素人探偵ロジャー・シェリンガムを主役としたシリーズの最後の長編にして、シリーズ最大の異色作です。ご承知のように、このシリーズはどの作品をとってもオーソドックスな探偵小説とはいいがたいものではあるのですが、本書は巻頭に掲げられた献辞(*1)でも堂々と宣言されているように、探偵小説からほとんど逸脱してしまったといっても過言ではなく、他の作品とは一線を画しています。
登場人物たちが外界から隔絶された孤島に閉じ込められ、その中で事件が起きるという物語は、今では定番ともいえる“孤島もの”ミステリそのままのようにも思えますが、何せ“孤島もの”の古典であるアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』すら発表されていない時代(*2)の作品だけに、“孤島もの”ミステリとしてはいわば“原始的”なスタイル――容疑者が完全に限定されることによる“犯人不在”という演出や論理的な犯人の特定ではなく、逃げ場のない極限状況下でのサスペンスに重点を置いたものになっています。
そして本書の最大の特徴はやはり、本来は探偵役であるはずのシェリンガムが物語半ばにして推理を放棄せざるを得なくなるという、およそ探偵小説らしからぬ展開(*3)です。手がかりが少なく、殺人なのか事故なのかさえ判然としないところもあって、シェリンガムは“犯人探し”をあきらめ、疑心暗鬼に陥る一行をまとめ上げてパニックを防ぐことに専念するようになっていきます。これまでの作品ではシニカルな態度が目立っていたシェリンガムですが、それとはかなり印象の違う新たな一面(*4)もなかなか魅力的です。
シェリンガムの奮闘の甲斐あって、何とかパニックの瀬戸際で踏みとどまる一行ですが、よくいえば個性豊かな面々が揃っている――悪くいえばてんでバラバラなだけに、心理的に追い詰められて本性がむき出しになっていく中で様々なトラブルが発生し、シェリンガムは次から次へと事態の収拾に追われることになります。この、一歩間違えば爆発するぎりぎりのところで何度も繰り返される緊張と緩和が絶妙で、本書の大きな見どころといえるでしょう。
とはいえ、いつまでもそのまま持ちこたえられるはずもなく、終盤にはついに最大の危機が訪れ……という具合に謎解きからかけ離れた物語でありながら、最後の最後になってぬけぬけと真相が明かされるあたりがバークリーらしいところ。そして、さらりと書かれた結末ににじみ出ている、シェリンガムの心境がまた何ともいえません。正直なところ、謎と解決にそれほど面白味があるわけではありませんが、実に愉快な作品であることは確かです。
というわけで、本書は私の“ゆるい”基準(→拙文「本格ミステリ問答」を参照)に照らしても“本格ミステリ”とはいいがたい作品で、探偵小説研究会・編著「2011本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の海外本格ミステリ・ランキング第5位という結果には、大いに違和感を覚えます。“本格ミステリ”を意識した作品であるのは間違いないでしょうし、投票者のコメントなどを読む限りではそういう観点で評価されているようですが、それは“本格ミステリ・ランキング”とは別物とすべきではないかと思います。
“かつてぼくに対して、「推理」のみを主題とした小説を書いてくれという穏やかな挑戦状を公開したことがあったね。(中略)その代わりに、きみの要望とは正反対と言える本書を進呈しよう。(後略)”と記されています。
*2: アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』が刊行されたのは1939年です。
*3: 野田有さんの指摘のように、本書は後のM.イネス『アララテのアプルビイ』に通じるところがあると思います。
*4: しいていえば『毒入りチョコレート事件』での、〈犯罪研究会〉の会長として発揮されているリーダーシップに、その一端が表れていたといえるかもしれませんが。
2010.11.25読了 [アントニイ・バークリー]
黒い仏
[紹介]
九世紀、天台宗の僧・円載が唐から持ち帰った“秘宝”が、福岡にあり円載が持ち帰った仏像を本尊とする安蘭寺のどこかに隠されているという――ベンチャー企業の社長・大生部暁彦から、円載の秘宝探しの依頼を受けた名探偵・石動戯作と助手のアントニオは、早速福岡へ飛んで住職・星彗の案内で安蘭寺に赴き、本尊である顔のない黒い仏像を拝んだ後、書庫にある漢文で記された古文書の解読に取り組むが……。一方、福岡市内のとあるアパートの一室では住人が絞殺される事件が発生するが、偽名を使っていた被害者の男の身元は不明なまま。しかも現場は指紋が一切ない――犯人はおろか被害者自身の指紋さえまったく見当たらない――ほど徹底的に拭き取られており、捜査に臨む県警捜査一課の中村警部補は頭を抱える……。
[感想]
『ハサミ男』でメフィスト賞を受賞してデビューした殊能将之の第三長編である本書は、前作『美濃牛』に続いて石動戯作を探偵役としたシリーズの第二弾(*1)にあたります。しかしご存知の方はご存知のように、本書は賛否両論、毀誉褒貶相半ばするミステリ史上屈指の問題作として名高い作品であり、少なくとも“真っ当な本格ミステリ”を期待する向きにはまったくおすすめできないので、これから読もうとする方はくれぐれもご注意ください。
まず、“名探偵”たる石動戯作に依頼されるのが“宝探し”というところからして異色ですが、一方で舞台となる福岡では不可解な殺人事件が起きたことが描かれており、両者がいずれ絡んでくることは見え見え……と思いきや、案に相違して“宝探し”のパートと事件の捜査のパートはなかなか合流する様子を見せることなく、それどころか読者に対しては“怪しげな動き”が示される始末で、序盤からいかにもうさんくさい雰囲気が漂います。そしてそれは物語半ば、“幕間”めいた「第二章 8」における読者への“宣言”(*2)を境に、はっきりした形になって現れてきます。
相当早い段階でお気づきになる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここで“ある要素”が飛び出してくる展開には十分すぎるほどのインパクトがあり、当然ながら読者の目を引きつけます。しかし見逃せないのが、それと同時に浮かび上がってくる――意図的に導入されている――“視点のずれ”で、読者を“探偵”から切り離して俯瞰的な立場に追いやるそれは、本書がミステリにおける“名探偵”という立場を――さらにいえば、いわゆる“後期クイーン問題”(*3)を意識した作品であることを、読者に対して示唆しているものといえるかもしれません。
終盤にはようやく、『黒い仏』=“クロフツ”という語呂合わせで示唆されている(らしい)アリバイ崩しがメインとなっていきますが、その解決は何というか……身も蓋もない表現をすれば、ロジック(手がかりの解釈)に見るべきところはあるもののアリバイトリック自体は比較的陳腐、しかしながらあまりにも大胆すぎる処理によって、よくも悪くも(苦笑)前代未聞・空前絶後のものとなっているのは確かです。加えて前述の“後期クイーン問題”に対しての、実にユニークな“回答”であることは間違いありません(*4)。
まあ正直なところ、特にミステリをあまり読み慣れていない方などは怒り出しそうなものではあるのですが、全編にちりばめられた愉快な小ネタ(*5)なども楽しみながら、肩の力を抜いて読むべき作品といえるのではないでしょうか。バカミス……というよりも無茶なミステリを読みたいという奇特な方におすすめの怪作です。
なお、去る2010年12月4日に本書を課題本として「エアミステリ研究会」の読書会が行われました。当日の様子は「第4回 エアミス研読書会 殊能将之「黒い仏」」にまとめてありますので、興味がおありの方はご覧下さいませ。
*2: これを
“ある意味「読者への挑戦」”ととらえた琉花さんの指摘には、なるほどと思わされました。
*3: 「後期クイーン的問題 - Wikipedia」では、
“探偵に与えられた手がかりが完全で全て揃っている、あるいはその中に偽の手がかりが混ざっていないという保証ができない、つまり、「探偵の知らない情報が存在することを探偵は察知できない」”とされています。
*4: “後期クイーン問題”をテーマとした諸岡卓真『現代本格ミステリの研究』(北海道大学出版会)で本書も取り上げられていますので、興味がおありの方はぜひそちらもお読みください。
*5: プロ野球・ホークスのファンとしては、(一応伏せ字)“ラジオ”の叙述トリック(ここまで)に引っかかってしまったのが不覚(苦笑)。
2010.12.02読了 [殊能将之]
折れた竜骨
[紹介]
十二世紀末、ロンドンから船で三日ほどの北海に浮かぶソロン諸島。不死身の〈呪われたデーン人〉が近くソロンに攻め込んでくることを知った領主ローレント・エイルウィンは、腕の立つ傭兵を集めて戦いに備えようとしていた。そんな中、聖アンブロジウス病院兄弟団の騎士ファルク・フィッツジョンが従士ニコラ・バグとともにソロンを訪れ、彼らが追い続けてきた宿敵にして恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士エドリックが、領主ローレントの命を狙っていることを告げる。だが、警告もむなしく領主ローレントは殺害されてしまい、ローレントの娘アミーナの協力を得て現場を調べたファルクとニコラは、それが暗殺騎士の魔術で操られた〈走狗{ミニオン}〉の仕業であることを明らかにする。雇い入れられた傭兵たちをはじめとする八人の容疑者のうち、一体誰が〈走狗〉なのか? そして〈呪われたデーン人〉の襲来は……?
[感想]
「あとがき」など(*1)によれば、作者がデビュー前にネット上で公開していた作品が原型だという本書は、これまでの主要な作品――日常の青春ミステリとは大きくかけ離れた異色作。ランドル・ギャレット〈ダーシー卿シリーズ〉ばりの魔法が実在するパラレルワールド――架空の中世ヨーロッパを舞台とし、不可解な殺人事件の犯人探しを中心に据えたユニークな“剣と魔法”+本格ミステリとなっています。
“剣と魔法”とはいえ、超現実的要素が前面に出されたいかにもファンタジーらしい世界ではなく、あくまで(架空の)“現実”に軸足を置いた物語には重厚な雰囲気が漂い、さながら歴史小説の味わい(*2)。その中に、“剣”による華々しい戦闘場面や“魔法”による鮮やかな現象が盛り込まれているのはもちろんですが、物語の軸となっているのはやはり“論理”を重んじる“探偵”、騎士ファルク・フィッツジョンを主役とした謎解き――本格ミステリのプロットで、全体が非常に堅実に作りこまれている印象を受けます。
“魔法”に限らず特殊設定が導入されたミステリには、“現実的”なミステリにはない特有の“難しさ”があります。例えば、“現実”の限界が取り払われることによって、いわゆる“何でもあり”、すなわちあらゆる可能性を排除できず推理不能な状態になりかねない(*3)ところがありますし、さらに特殊設定が導入されているという事実そのものが、しばしばミステリとしての仕掛けの所在を露呈してしまうのも問題です。結果として、特にハウダニットについては、“どうせ特殊設定で何とかしたんだろう”
という読者の思考停止を招き、面白味を欠いたものになるおそれが多分にあります(*4)。
しかし本書では、魔法の設定(とりわけ効果の限定)がしっかりしている上に、“探偵”ファルクが“犯人”たる暗殺騎士エドリックの手の内を知り尽くしているという事情もあって、“何でもあり”になることはない――どころか、“犯行に関して魔法がどのように使われたのか”を早い段階で明示してあるのが面白いところで、きっぱりとハウダニットを放棄することで前述のような読者の思考停止を巧妙に回避し、ひたすら“犯人”の魔法に操られた実行犯である〈走狗〉の正体を探っていく、(魔法の存在を前提とした)ロジカルなフーダニットに仕上がっているのが見事です。
事件直後の――これも〈ダーシー卿シリーズ〉さながらの――魔法による“科学捜査”(?)が目を引きますが、捜査の基本は容疑者たちへの地道な聞き取り。しかしそこで容疑者たちの人物像や物語の背景となる“世界”が掘り下げられ、決して退屈させられることはありませんし、不可解な消失事件という新たな謎も用意されています。そして物語終盤、ソロンに姿を現した〈呪われたデーン人〉の軍勢との凄絶な死闘は、一つのクライマックスとして十分な見ごたえがあります。
その戦いが決着を迎えた後、ついに解決のための手がかりがすべて出揃ったことが宣言され、あたかも“読者への挑戦状”を挟んでいるかのように章を変えて、怒涛の“解決篇”が幕を開けます。実をいえば、(一応伏せ字)〈走狗〉の正体はかなり見え見え(ここまで)ではあるものの、謎解きのプロセスそのもの――“どのように謎が解かれるのか”はまさに圧巻。手順自体はオーソドックスな消去法ですが、それぞれの容疑者について工夫が凝らされている“〈走狗〉ではあり得ないことを示す根拠”、そして思わぬところに配置されていた手がかりの数々にうならされます。
そして、最後の最後になって浮かび上がってくるホワイダニットの要素――“ある部分”に関する(特殊設定が導入されたミステリならではともいえる)意外な動機は、本書の最大の見どころといっても過言ではないでしょう。登場人物たちの間に様々な波紋を投げかけた事件の果ての、あくまでも未来に目を向けた結末も実に印象深いものになっています。異色の設定を存分に生かし、細部までよく考え抜かれた傑作です。
*2: 東京創元社の特設サイト「折れた竜骨 米澤穂信 | 東京創元社」で、登場人物や舞台背景などを確認しながら読むのもおすすめです。
*3: それを避けるためには特殊設定のルールをしっかりと構築し、読者に説明しておく必要がありますが、その説明が往々にして煩雑なものになりがちなのも難しいところです。
*4: 私見では、ラリイ・ニーヴン「腕」(『不完全な死体』収録)(または別訳の「アーム」(アイザック・アシモフ他編『SF九つの犯罪』収録))が典型例。個人的に好きな作品ではあるのですが、謎解きに難があるのは否めません。
2010.12.09読了 [米澤穂信]
琅邪の虎
[紹介]
行方のわからなくなった子供を探して山に入った求盗・希仁と徐福塾の面々の前に現れたのは、虎に喰われて妖怪に成り果てたという顔のない女。妖怪は、子供を返す代わりに自分を喰らった虎を退治してほしいと頼んでくるが、その虎は人の姿をした人虎となって琅邪の町に紛れ込み、災いをもたらすというのだ。その警告通り、神木の下の連続殺人、消えた死体、人間の足が生えた虎、果ては始皇帝の観光台崩壊と、奇々怪々な事件が相次ぐ。虎を遣わした古代王の祟りかとも噂される中、懸命に人虎を探し出そうとする希仁と徐福塾の面々だったが……琅邪の町を大きく揺るがす虎騒動の結末は?
[感想]
デビュー作『琅邪の鬼』に続く、痛快な歴史伝奇ミステリのシリーズ第二弾。序盤から数々の奇怪な謎が次々と提示され、それらがやがて大きな事件に発展し、クライマックスの活劇を経て、最後に一気に解決になだれ込むという前作同様のフォーマットで、前作を楽しんだ方には安心しておすすめできる内容となっています(未読の方はもちろん前作から)。
前作での“鬼”に対して、本書の“お題”となっているのは中国らしく“虎”。霞流一作品のような意味での“虎尽くし”というわけではありませんが、“五百年生きた虎は人を喰らって人虎となる”という故事や“琅邪山の虎は古代王の遣い”という言い伝えがうまく使われているのが目を引きます。特に前者によって、序盤から琅邪の町では人々の間に紛れ込んだ人虎探しの大騒ぎが勃発し、悲劇とも喜劇ともつかない様々な人間模様が繰り広げられていくのが見どころの一つでしょう。
その中にあって、主要な登場人物の魅力は健在。前作に引き続いての登場となる求盗(警官の役割)の希仁や徐福塾の面々は、それぞれの役どころがよりはっきりしてきた感があります(*1)し、いかにも武人らしく豪放磊落な林直将軍や、記憶力に秀でた求盗・陽武、さらには随所で活躍をみせる犬の呉多など味のある新キャラも加わり、明確な主役の存在しない群像劇としての面白さがさらに強く打ち出されているように思われます。
ミステリとしては前作と同様、一つ一つの謎がやや小粒に感じられるのは否めませんが、その中では“人間の足が生えた虎”の謎が秀逸。一見すると取ってつけたような強引すぎる“見立て”とも受け取れますが、そこに隠された真相には――若干気になるところもないではないですが――なるほどと思わされる説得力が備わっています。そして、個々の謎とそれに関わる人物たちが複雑な絡み合いをみせる構図がすべて白日の下にさらされる解決は、少々煩雑に感じられる部分はあるものの、やはり圧巻といわざるを得ません。
また、結末に至って――さらにいえば(一応伏せ字)最後の謎解きと絡めて(ここまで)――前作のラストで示された“ある真相”が再びクローズアップされ、シリーズとしての流れが強調されているのもうまいところで、今後に予定されている大きな展開に期待が高まります(*2)。そして最後に“アレ”が出てくるしゃれた幕引きもまたお見事です。
*2: 作者のブログ「丸山天寿生存日記 琅邪の虎」によれば、
“私の「琅邪シリーズ」と銘打たれている作品は、本当は「邪馬台国シリーズ」とも言うべき大きな構想の序章なのだ。”とのこと。
2010.12.16読了 [丸山天寿]