カー短編集vol.1

ジョン・ディクスン・カー

  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. ジョン・ディクスン・カー > 
  3. 短編集vol.1

不可能犯罪捜査課 The Department of Queer Complaints

ネタバレ感想 1940年発表 (宇野利泰訳 創元推理文庫118-01)

[紹介と感想]
 唯一カーター・ディクスン名義で発表された短編集で、奇怪な事件を専門に扱うロンドン警視庁D3課の課長・マーチ大佐を主役とする一連の作品に、歴史ミステリなどを加えたものです。なお、江戸川乱歩編『世界短編傑作集5』に収録された「見知らぬ部屋の犯罪」が割愛されています(→その他短編参照)。
 個人的ベストは、「銀色のカーテン」「新透明人間」

「新透明人間」 The New Invisible Man (マーチ大佐)
 窓越しに向かいの建物を眺めていた男は、テーブルだけが置かれた何もない部屋の中で、手袋がピストルを握って老人を射殺するのを目撃した。果たして透明人間の仕業なのか? しかし、男が慌てて現場に駆けつけてみると、死体は影も形もなかった……。
 中心となるトリックはあまりにも有名ですが、決してそのトリックだけに頼った作品ではありません。副次的な怪現象の解決やプロット自体もよくできていると思います。
 なお、この作品はオットー・ペンズラー編『魔術ミステリ傑作選』にも収録されています。

「空中の足跡」 The Footprint in the Sky (マーチ大佐)
 事件の現場へと続く雪の上に残された女物の靴跡。靴の持ち主は、前日に被害者と口論した娘だった。犯人は明らかと思われたのだが、雪の残る生垣から奇妙な足跡が発見されて……。
 細かい手がかりなどはよく考えられたものですが、何といってもバカトリックのインパクトが強烈です。

「ホット・マネー」 Hot Money (マーチ大佐)
 その別荘の持ち主には、銀行から奪った金を隠しているという疑惑がかかっていた。“金を目撃した”との証言を受けて警察は別荘の捜査に踏み切ったのだが、他の場所へ移す機会はなかったにもかかわらず、金は忽然と消え失せていた……。
 あまりピンとこないトリックで、作品自体の出来もさほどのものとは思えません。

「楽屋の死」 Death in the Dressing-Room (マーチ大佐)
 何かとうさん臭い噂のあるナイト・クラブで、舞台を終えて楽屋に戻った評判のダンサーが刺し殺されてしまった。しかし最大の容疑者には、被害者が退場した後も舞台に残っていたという強固なアリバイがあったのだ……。
 解決に至る手がかりがやや強引に感じられます。

「銀色のカーテン」 The Silver Curtain (マーチ大佐)
 報酬と引き換えに不審な男の頼みを引き受けた若者。降りしきる雨の中、目的の住所を目指していたが、突然行く手に先ほどの男が姿を現し――わずかに目を離した隙に刺殺されてしまった。周囲には誰一人いなかったにもかかわらず……。
 周囲に誰もいない状況での不可能犯罪は鮮やかですし、解決も非常によくできていると思います。

「暁の出来事」 Error at Daybreak (マーチ大佐)
 明け方の浜辺。目撃者が見守るその前で、実業家は突然倒れた――自殺か? それとも姿なき犯人による殺人なのか? だが、肝心の死体が波にさらわれて消失してしまい、事態はさらに混迷を極める……。
 短い中にもめまぐるしい展開が楽しめる作品です。トリックは正直なところ今ひとつですが。

「もう一人の絞刑吏」 The Other Hangman (歴史ミステリ)
 十九世紀の終わり。殺人容疑で逮捕された町のならず者に、死刑の判決が下った。執行の寸前になって、知事からの中止命令が届けられたのだが、命拾いしたはずの死刑囚は監房で殺されていた……。
 本格ミステリというよりも、奇妙な味を感じさせる作品となっています。特にラストの不条理感が何ともいえません。

「二つの死」 New Murders for Old (超自然ミステリ)
 過労で倒れ、周囲の薦めを受けて長い船旅に出ていた男。だが、ようやく帰ってきた彼が手に取った新聞には、自分の死亡を告げる記事が掲載されていた。慌てて邸に戻ってみると……。
 「死んでいた男」『黒い塔の恐怖』収録)の別バージョンですが、個人的にはこちらの方がよくできていると思います。

「目に見えぬ凶器」 Persons or Things Unknown (歴史ミステリ)
 館の主人が語る十六世紀の怪異譚。それは不可解な殺人事件だった――閉ざされた部屋で暗闇の中、刺し殺された男。同じ室内にいた恋敵に疑いがかかるが、室内には凶器は見当たらなかったのだ……。
 凶器消失のトリックは古典的ともいえますが、若干無理が感じられます。結末はなかなか印象的です。

「めくら頭巾」 Blind Man's Hood (超自然ミステリ)
 クリスマスの夜、訪ねた友人一家は不在だった。家の中から姿を現した得体の知れない女性は、一家が外出している理由を語り始める。それは十九世紀、夫の帰りを待つ夫人が無惨な死を遂げた事件に端を発していた……。
 “超自然ミステリ”ではありますが、読後最も印象に残るのは人間の心の闇です。
2002.02.01再読了 (2002.02.28改稿)

妖魔の森の家 The Third Bullet & other stories

ネタバレ感想 (宇野利泰訳 創元推理文庫118-02)

[紹介と感想]
 次の『パリから来た紳士』とともに、カー名義で発表された三冊の短編集(『Dr. Fell, Detective and Other Stories』・『The Third Bullet』・『The Men Who Explained Miracles』)をもとにして、日本独自に編纂されたものです。
 個人的ベストは「妖魔の森の家」。この作品はカーの全短編の中でもベストだと思います。

「妖魔の森の家」 The House in Goblin Wood (H.M)
 20年前に“妖精にさらわれた”娘・ヴィッキーは、同じ場所で、同じように姿を消してしまった。H.Mらも交えたピクニックの最中に、密室状況のバンガローから忽然と消え失せてしまったのだ。さらに、捜索をあきらめて帰宅したH.Mのもとに、ヴィッキーからの電話が……。
 細部まで巧妙に計算されている上に、読後も何ともいえない余韻を残す、文句のつけようのない傑作です。
 なお、巻末の解説ではネタを明かしながら細かく説明されていますので、くれぐれも先に読まないようご注意ください。

「軽率だった夜盗」 The Incautious Burglar (フェル博士)
 周囲の心配をよそに、高価な名画を不用心な状態に放置し、警報装置も取り外してしまった邸の主人。果たして真夜中に盗賊が忍び込んだのだが、家人が駆けつけた時には、盗賊はなぜか刺し殺されていた。そしてその覆面の下には、邸の主人の顔が……。
 魅力的な謎が登場するこの作品は、ディクスン名義の長編(つまり、フェル博士ではなくH.Mが登場する)『メッキの神像』の原型になっています。この作品の方が全体的にすっきりしていて、解決場面も鮮やかです。長編の方にはまた別の魅力もあるのですが、ミステリとしての出来はこの作品の方が上でしょう。

「ある密室」 The Locked Room (フェル博士)
 自室で凶漢に襲われ、頭を殴られた男。隣室にいた二人の秘書が扉を破って部屋に入ったときには、金庫の中身はことごとく奪われ、室内はもぬけの殻だった。だが、犯人が窓から逃走することはできないはずだった……。
 トリックはなかなか意表を突いたものですが、やや納得しがたい部分もあります。
 なお、この作品はH.S.サンテッスン編『密室殺人傑作選』にも収録されています。

「赤いカツラの手がかり」 The Clue of the Red Wig (ミステリ)
 独自の美容法で婦人たちに絶大な人気を誇る女性が、下着姿の死体となって深夜の公園で発見された。その傍らには、彼女が自分で脱いできちんと畳んだとおぼしき衣服と、赤いカツラ、それに黒眼鏡が残されていた……。
 奇妙な状況の死体、二転三転する展開、そしてユニークな手がかり。なかなかよくできた作品だと思います。主役である女性記者のキャラクターがやや鼻につくのが難点ですが。

「第三の銃弾」 The Third Bullet (マーキス大佐)
 銃を手にしてモートレイク元判事の部屋に押し入ったホワイト青年を追って、ペイジ警部らが踏み込んだ時には、すでに判事は射殺されていた。だが、ホワイトが一発だけ発射した銃弾は部屋の壁の中から発見された。また、部屋の中には第二の銃も発見されたのだが、判事の死体から摘出された銃弾は第三の銃から発射されたものだった。そして、犯人が現場から脱出する経路はまったくなかったのだ……。
 本書に収録されているのは一部を削った簡約版で、新たに刊行された『第三の銃弾[完全版]』と比べると物足りなく感じられます。もちろん謎解きに必要不可欠な最低限の部分は残されているのですが、できれば[完全版]の方を読んでいただきたいところです。
 事件の方は非常に不可能性の高いもので、“動機も機会も最大の容疑者には犯行は不可能だった”という逆説的な状況がユニークです。トリックはやや複雑ですが、なかなかよくできています。
1999.11.15読了
2002.02.08再読了 (2002.02.28改稿)

パリから来た紳士 The Gentleman from Paris & other stories

ネタバレ感想 (宇野利泰訳 創元推理文庫118-03)

[紹介と感想]
 詳細については『妖魔の森の家』参照。
 個人的ベストは、「奇蹟を解く男」「パリから来た紳士」

「パリから来た紳士」 The Gentleman from Paris (歴史ミステリ)
 1849年、アメリカ。病に伏していた老婆は、遺言状の隠し場所を誰にも告げることができずに逝ってしまった。パリから老婆を訪ねてきた男は苦境に立たされ、酒場で出会った謎の男・パーリー氏に相談する。彼が解き明かした真相は……。
 遺言状の隠し場所とその手がかりはよくできていますが、さらにもう一つの真相にも驚かされます。見事な作品です。

「見えぬ手の殺人」 Invisible Hands (フェル博士)
 女王のように振る舞っていた女性が、早朝の砂浜で絞殺されてしまった。犯人は取り巻きの中にいるのか? だが、死体の周囲に残されていたのは被害者の足跡だけ。誰も彼女に近づくことはできないはずだった……。
 「暁の出来事」『不可能犯罪捜査課』収録)によく似た状況ですが、もちろん真相は違っています。伏線や手がかりがかなり微妙ですが、その割にあっさりと証拠が出てきてしまうところが若干気になります。最後の一文が非常に印象的です。

「ことわざ殺人事件」 The Proverbial Murder (フェル博士)
 亡命してきたドイツ人科学者に生じたスパイ疑惑。直ちに彼の家が警察の厳重な監視下におかれたが、その鼻先で、どこからともなく発射されたライフルの銃弾が、科学者の命を奪ってしまった。容疑はライフルの持ち主に向けられたのだが……。
 トリックの核となるアイデアはややありがちですが、その使い方がお見事です。また、手がかりもよくできています。ただ、フェル博士の口にすることわざの一部がピンとこないのが残念です。

「とりちがえた問題」 The Wrong Problem (フェル博士)
 フェル博士とハドリー警視が湖で出会った男は、三十年もの間解決できない問題を抱えているという。そして、おもむろに過去の不可解な殺人事件を語り始めたのだ。事件の真相を即座に見抜いたフェル博士に対して、男は……。
 事件の真相もさることながら、ラストに登場する何ともいえないダークで不条理な世界が印象的です。

「外交官的な、あまりにも外交官的な」 Strictly, Diplomatic (ミステリ)
 保養地で芽生えた恋の相手は、忽然と姿を消してしまった。忘れ物を取りに戻った彼女は、並木道の途中で消え失せてしまったのだ。そして、唯一の出口のそばにいた外交官は、彼女はそこを通らなかったと証言した……。
 消失トリックはややありがちにも感じられますが、全体的にみるとよくできた作品だと思います。

「ウィリアム・ウィルソンの職業」 William Wilson's Racket (マーチ大佐)
 ある若手国会議員が突然奇妙な言動を見せ始めた。それはどうも“ウィリアム・アンド・ウィルヘルミナ・ウィルソン商会”という謎の業者と関係があるらしい。やがて彼は、その事務所の中から消失してしまったのだ。ただ衣服だけを残して……。
 真相や手がかりもよくできていますが、何より登場人物それぞれに味があります。

「空部屋」 The Empty Flat (マーチ大佐)
 夜中にアパートに響き渡るラジオの騒音。どうも、不吉な噂のある空部屋から聞こえてくるらしい。迷惑したアパートの住人が空部屋の中に入り込み、ラジオを消してその場は収まったのだが、翌朝、部屋の中から死体が発見されたのだ……。
 学問上の論争から始まる冒頭は、長編『連続殺人事件』に通じるものがあります。真相はややインパクトに欠けますが、雰囲気は十分です。

「黒いキャビネット」 The Black Cabinet (歴史ミステリ)
 父と母の恨みを背負って、皇帝ナポレオンの暗殺をたくらむ若い娘。そしてその前に現れた、“ルコック探偵”を名乗る謎の男。彼は娘の計画に気づきながら密告しようともせず、ただその実行を思いとどまらせようとする。そして……。
 ある意味で「パリから来た紳士」とよく似た作品ですが、謎が一つ少ない分、ミステリとしてはやや物足りなく感じられます。よくできた物語ではあるのですが。

「奇蹟を解く男」 All in a Maze (H.M)
 誰もいないはずの回廊で聞こえてくる死のささやき声。密閉されたはずの部屋でひそかに開かれていたガス栓。命を狙われる若い娘に救いを求められた〈奇蹟担当局〉のH.M卿は、次々に命を狙われる女性を救うことができるのか……?
 “H.M最後の長編”になり損ねた中編です。とはいえ、決して出来が悪いわけではなく、細かい手がかりの配置などは絶妙です。物語の基本骨格はスリリングなラジオドラマ「ささやく影」からとられたものですが、この作品ではH.Mの登場もあってどこかユーモラスな雰囲気も漂っています。
2002.02.08再読了 (2002.02.28改稿)