王事寧將成敗論, 唯知順逆是忠臣。 斯公一死兒孫在, 護得南朝五十春。 |
大楠公 大楠公首塚のある郷里 河内・観心寺 平成十六年三月二十八日 |
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楠公 湊川 戰死の圖
王事 寧(なん)ぞ 成敗(せいはい)を將(もっ)て論ぜん,
唯(た)だ 順逆を 知る 是(こ)れ 忠臣。
斯の公 一死すれど 兒孫 在りて,
護り得たり 南朝 五十春。
◎ 私感註釈 *****************
※大槻磐渓:享和元年(1801年)〜明治十一年(1878年)幕末・明治期の儒学者、蘭学者、砲術家。 江戸の人、仙台藩藩儒、藩医。字は士広で、通称は平次。盤渓は号になる。号の盤渓は、父・大槻玄沢の号に磐水依る。江戸昌平黌に学び、頼山陽に称讃を受けた。ペリー来航時には開国論を建議、戊辰戦争の際は徹底抗戦を主張、奥羽列藩同盟の盟主に仙台藩がなることに努める。
※楠公湊川戰死圖:楠木正成公が湊川にて自刃して戦死する絵に寄せて。 ・楠公:楠木正成(くすのきまさしげ)のこと。大楠公。左衛門尉。楠木河内守正成。南北朝時代の武将。河内観心寺の土豪で、延元元年、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐に参加。河内・赤坂城、千早城に拠って戦う。建武中興後、河内、和泉の守護となったが、後、挙兵した足利尊氏と戦い、建武三年(1336年)摂津湊川で敗死した。 ・湊川:兵庫県神戸市を流れる川。旧湊川で、建武三年五月、楠正成と足利尊氏が戦った湊川の戦いの古戦場。九州から東上した足利軍と、戦ったが、敗れて弟・正秀とともに自刃した。現在は湊川神社をその地に遺す。ここを詠ったものに菅茶山の『「宿生田』「千歳恩讐兩不存,風雲長爲弔忠魂。客窗一夜聽松籟,月暗楠公墓畔村。」や、頼山陽の『南遊往反數望金剛山想楠河州公之事慨然有作』「山勢自東來,如鳥開雙翼。遙夾大江流,相望列黛色。南者金剛山,插天最岐嶷。尾抵海垠,蜿蜒劃南域。隱與城郭似,擁護天王國。想見豫章公,孤壘扞群賊。合圍百萬兵,陣雲繞麓K。臣豈不自惜,受託由面敕。灑泣誓吾旅,爲君鏖鬼。果然七尺躯,自有回天力。宕叡連武庫,隔江對正北。公死實在彼,在公盡臣職。所惜壞長城,寧支大厦仄。」等本サイトでも多い。
※王事寧將成敗論:天子の行う征伐に従事することは、成功するか失敗するかという観点を以て論じるべきではない。天子の行う征伐に従事することは、どうして、成功するか失敗するかということを以て論じては、よいことなのだろうか。 ・王事:天子(王)や帝(王)室に関する事。臣下の天子に対する労役や勤務。勤皇に努める事。尊皇の事。また、天子の行う仕事で、外交、征伐。ここでは、前者の意。帝室のために一身の力を尽くすこと。 ・寧:〔ねい;ning4●〕どうして…か。なんぞ。いづくんぞ。反語。蛇足になるが、「ねんごろに」の意では〔ねい;ning2○〕になる。 ・將:…を以て。ここの用法は介詞(前置詞)で、後に名詞句が来る。古漢語の「以」、現代語の「把」に近い働きをする。 ・成敗:〔せいはい;cheng2bai4○●〕成功と失敗。成功するか失敗するかということ。勝敗。「せいはい」と読む。 ・論:〔ろん;lun2○〕意見を戦わす。議論する。言い争う。また、物事の道理を述べる。論ずる。ここは、動詞の用法。なお、名詞の「論」は〔ろん;lun4●〕。
※唯知順逆是忠臣:ただ道理に従うかどうかが分かっていれば、忠実な臣下である。 ・唯知:ただ…だけは分かっている。 ・順逆:道理に従うことと逆らうこと。恭順と反逆。順序が正しいことと逆であること。正しいこととよこしまなこと。正と邪。ここでは、順逆の道理、忠順のことをいう。後世、明智光秀の辞世とされる「順逆無二門,大道徹心源。五十五年夢,覺來歸一元。」にほぼ同じ。 ・是:…は…である。これ。〔A是B:AはBである〕として、述部を明示する働きがある。 ・忠臣:忠実な臣下。
※斯公一死兒孫在:この方(楠木正成公)が亡くなってからも、子孫はいた(ので)。 ・斯公:この方。楠公。楠木正成公のことになる。斯道、斯文、斯人など、比較的良い意味に使われるようだが…。 ・一死:ひとたび死ぬ。死ぬ。 ・兒孫:こどもと孫。子孫。ここでは、楠木一族のことになり、楠木正成の弟では楠木正季(まさすゑ)になるが、湊川で正成と倶に刺しちがえて死んだので、ここでの数に入らない。正成の長男の楠木正行(まさつら)は、弟・正時(正成の次男)と倶に、楠木勢を率いて北朝軍と戦い、四条畷の戦いで、弟と刺しちがえて死ぬ。ここでは彼等・長男、次男を指していよう。楠木正儀(まさのり)は、微妙なところか。
※護得南朝五十春:南朝の五十年間を護(まも)りつづけられたのである。 ・護得:護(まも)った結果…だ。護(まも)れた。 ・−得:動詞の後に置き、能力や結果を表す。 ・南朝:吉野朝。延元元年(1336年)〜元中九年(1392年)まで吉野や賀名生(あのう)等、近畿南部に置かれた大覚寺統の朝廷。後亀山天皇の時、北朝の後小松天皇に神器を渡して譲位、北朝と合一して消滅した。南北朝時代の南朝側。 ・五十春:五十年間。五十回の春。後醍醐天皇に始まり、後村上、長慶、後亀山天皇の四代、五十七年間を指す。
『日本外史』楠公の最期 『國史略』楠公の自刃 「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑のある生田・湊川神社
(伊勢丘人先生:撮影、提供)『前賢故實』 楠木正成 楠木氏の家紋
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「論臣春」で、平水韻上平十一真。次の平仄は、この作品のもの。
○●●○○●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
○○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成17. 3.26 3.27完 平成18.12. 7補 |
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