古松林裏聽蝉鳴, 先生先生先生聲。 聲聲似把先生笑, 莫笑先生老遠行。 三十年來舊遊地, 白首重來幾先生。 |
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無題
古松林裏 蝉鳴を 聽く:
先生 先生 先生(センセイ センセイ センセイ)の聲。
聲聲 先生を把(と)りて 笑ふに 似たり,
笑ふ莫(なか)れ 先生の老いて遠行するを。
三十年來 舊遊の地,
白首 重ねて來(きた)るは 幾(いく)先生ぞ。
◎ 私感註釈 *****************
※大窪詩仏:江戸後期の漢詩人。明和四年(1767年)〜天保八年(1837年)。字は天民。通称は柳太郎。詩仏は号。常陸の人。市河寛斎の江湖詩社に加わって詩を学ぶ。江戸の四詩家の一人で宋代の清新な詩風を広めた。
※古松林裏聽蝉鳴:古さびた松林の茂みの中からセミの鳴き声が聽こえる。 ・古松:古さびた松。年数のたった松。老松。 ・林裏:木の茂みの中。 ・聽:きこえる。 ・蝉鳴:セミの鳴き声。
※先生先生先生聲:(蝉の鳴き方が)センセイ センセイ センセイ…という声(に聞こえる)。 ・先生先生先生聲:センセイセンセイセンセイという(鳴き)声。
※聲聲似把先生笑:どの声もどの声も、「先生(=作者)」を嗤っているかのようだ。 ・聲聲:どの声も、どの声も。白居易の『琵琶行』に「轉軸撥絃三兩聲,未成曲調先有情。絃絃掩抑聲聲思,似訴平生不得志。低眉信手續續彈,説盡心中無限事。」 がある。 ・似把(+名詞):(名詞)を以て…するかのようだ。…で…するかのようだ。「似」は、如くのようである。似る。「把」…で。…を以て。姚合の『惜別』「似把剪刀裁別恨,兩人分得一般愁。」「似把天河撲」「似把白丁辱」と使う。 ・先生:「先生」である作者。 ・笑:わらう。嗤う。
※莫笑先生老遠行:お笑いくださるな、先生(作者)が年老いて、遠くまで旅をすることを。 *前後の詩句の流れからすれば、「莫笑」以降の「先生老遠行」は自嘲の部分になる。 ・莫笑:お笑いくださるな。 ・莫(+動詞):(…する)なかれ。禁止、否定の辞。 ・先生:作者自身の自称でもある。 ・老:年老いて。また、しょっちゅう。 ・遠行:遠くまで旅をする。遠方へ行くこと。遠征。なお、この作品の意とは関係がないが、死ぬこと、遠逝の意がある。
※三十年來舊遊地:三十年以前に、嘗て、旅行したことがある地に。 ・三十年來:三十年このかた。三十年以来。 ・舊遊:嘗て、旅行したことがある(ところ)。曽て過ごしたことがある(ところ)。曾遊。李Uの『柳枝詞』に「風情漸老見春羞,到處消魂感舊遊。多謝長條似相識,強垂煙穗拂人頭。」とある。 ・舊遊地:ここでは、紀州を指すか。不明。
※白首重來幾先生:白髪頭の老人は(この先)どれほど重ねて来る(ことができようか)。頼山陽の『遂奉遊芳埜』「侍輿下阪歩遲遲,鶯語花香帶別離。母已七旬兒半百,此山重到定何時。」や中唐・白居易の『遊趙村杏花』「趙村紅杏毎年開,十五年來看幾迴。七十三人難再到,今春來是別花來。」と雰囲気が似ている。 ・幾:どれほど。いくら。 ・白首:白髪頭(しらがあたま)。老齢の人のこと。 ・重來:かさねて来る。 ・幾:どれほど。いくら。 ・幾先生:この作品を狂詩と見れば、どれほど生き延び(られ)るか。どれほど先のことになるのか。
◎ 構成について
韻式は「AAAA」。韻脚は「鳴聲行生」で、平水韻下平八庚。次の平仄は、この作品のもの。
●○○●◎○○,(韻)
○○○○○○○。(韻)
○○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
○●○○●○●,
●●○○●○○。(韻)
平成17.5.29完 平成28.3.13補 |
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