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垢塵不汚玉,
靈鳳不啄羶。
嗚呼陶靖節,
生彼晉宋間。
心實有所守,
口終不能言。
永惟孤竹子,
拂衣首陽山。
夷齊各一身,
窮餓未爲難。
先生有五男,
與之同飢寒。
腸中食不充,
身上衣不完。
連徴竟不起,
斯可謂眞賢。
陶公舊宅を 訪ふ
垢塵 玉を 汚(けが)さず,
靈鳳 羶(なまぐさき)を 啄(ついば)まず。
嗚呼 陶靖節,
彼(か)の 晉宋の間に 生まる。
心は 實に 守る所 有れど,
口は 終(つひ)に 言ふ 能(あた)はず。
永く 孤竹の子を 惟(おも)ひ,
衣を拂ふ 首陽山。
夷齊 各ゝ 一身なれば,
窮餓 未だ 難(かた)きと爲さず。
先生 五男 有りて,
之(こ)れ 與(と) 飢寒を同うす。
腸中 食 充(み)たずして,
身上 衣 完(まった)からず。
連(しきり)に 徴(め)さるるも 竟(つひ)に 起たず,
斯(こ)れ すなはち 眞に賢と 謂(い)ふ可(べ)し。
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◎ 私感註釈
※訪陶公舊宅:陶淵明公の旧居を訪れる。当時白居易は、陶淵明の故郷である柴桑、栗里のある九江郡の司馬に任じられていた。白居易の境涯は、陶潜の生き方に共鳴するところもあって、陶淵明を慕って歌ったものや作風を真似たものも多い。なお、この作品は長く、このページは、その前半になる。後半は、こちら。 別に序文もある。
※垢塵不汚玉:あかやちりなどの穢れは、(高貴な)玉をけがすことはない。優れたものは、劣悪な環境の影響を受けることはない。 ・垢塵:あかとちり。汚れ。 ・不汚玉:(高貴な)玉をけがすことはない。
※靈鳳不啄羶:尊いものは、穢れた事に手出しはしない。 ・靈鳳:霊鳥である鳳凰は、けがれた生臭い肉をついばみはしない。 ・不:意思の否定。 ・啄木:ついばむ。 ・羶:生臭い肉。けがれ。 ・不啄羶:ここでは、俗事に手を染める。俗事に煩わされることをいう。この聯は、隠棲して過ごした陶淵明を頌えるとともにに、白居易自身の生き方の独白でもあろう。
※嗚呼陶靖節:ああ、陶淵明よ。 ・嗚呼:ああ。 ・陶靖節:陶潜(陶淵明)を尊敬してこう呼称している。『昭明文選』や『文章軌範』では、この陶靖節を使う。
※生彼晉宋間:あの激動期の東晉・(劉)宋の建国時期に生きて。 ・生:いきる。うまれる。 ・彼:あの。かの。 ・晉宋間:東晉・(劉)宋の時期。当時は、王権の簒奪と軍閥の相互攻伐という激動の時期であったことをいう。東晉の隆安三年(399年)孫恩のが挙兵して乱を起こし、元興二年(403年)には桓玄が政権を簒奪して楚を建国、しかし、翌年、劉裕に打ち倒され、劉裕は安帝を擁立して東晉を再建した。その相当後、劉裕は禅譲を受けて皇帝に即位、(劉)宋が建国されるという相互攻伐の時代であった。
※心實有所守:心では誠実に守っていることがあっても。いささか心に思っている事があっても。 *忠義の心や本音など、深く期すことがあっても表には出せなかったことを謂う。 ・心:こころで。 ・實:本当に。誠実に。実に。 ・有所:…するところがある。ある程度…がある。 ・守:守る。遵守する。保持する。
※口終不能言:口には、ついに出して言うことはなかった。 ・口:くちに。口で。 ・終:ついに。 ・不能言:声に出してはっきり言うことはできない。明言はできなかった。「心實有所守,口終不能言」は、陶淵明の詩ではよく見られる。著しいのが『飮酒二十首』や『雜詩十二首』などになる。
※永惟孤竹子:いつまでも孤竹君の子を後出の伯夷と叔斉をよく考える。 ・永:ながく。永遠に。 ・惟:おもう。よく考える。 ・孤竹子:孤竹君の子。後出の伯夷と叔斉を指す。
※拂衣首陽山:(伯夷と叔斉)は、怒って袖を振り払って首陽山(に隠棲してしまった)。 ・拂衣:(不愉快な感情や、怒った感情で)衣の袖をふりはらう。奮い立つさま。ここは、前者の意で使われている。 ・首陽山:伯夷と叔齊が周王朝の粟を避け、二人が隠棲し、薇(ゼンマイ)を採って生活し、やがて餓死したその山の名。前出『史記・伯夷列伝』の古註によると、首陽山は、河東蒲阪の華山の北で河曲の中にある。また、首陽山は、隴西の始めにある。また、洛陽の東北の首陽山に(弟の)夷齊の祠がある。偃師県の西北。また、清源県の首陽山で、岐陽の西北にある。……とまだまだ伝えられている。東晉・陶潛の『擬古』九首其八に「少時壯且氏C撫劍獨行遊。誰言行遊近,張掖至幽州。饑食首陽薇,渇飮易水流。不見相知人,惟見古時丘。路邊兩高墳,伯牙與莊周。此士難再得,吾行欲何求。」とあり、後世、現代・蔡希陶は『贈呉ヨ』の挽聯で「書歸天祿閣,人在首陽山。」とし、我が国では、後花園天皇は『賜足利義政』で「殘民爭採首陽薇,處處閉廬關竹扉。詩興吟酸春二月,滿城紅緑爲誰肥。」とし、山田方谷の『詠伯夷叔齊』「剪商計就竟戎衣,宇宙茫茫孰識非。君去中原幾周武,春風吹老首陽薇。」とする。
※夷齊各一身:伯夷と叔斉は、それぞれ独身だったので。 ・夷齊:伯夷と叔斉のこと。伯夷と叔斉は、殷末周初の人。『史記・殷本紀』によると、周の武王は(周りの勧めにもかかわらず、一旦は「爾未知天命」と引き上げたものの、)「淫乱不止」「吾聞聖人心有七竅。剖比干,觀其心」等という暴虐・淫乱の殷の紂王を伐とうとして兵を起こした。これに対して、(伯)夷、(叔)齊の兄弟は、ともに「武王載木主,號爲文王,東伐紂。伯夷・叔齊叩馬而諫曰:『父死不葬,爰及干戈,可謂孝乎?以臣弑君,可謂仁乎?』」と、父親の埋葬も終わらない内の挙兵は、不孝者であり、臣下の身で、君主を弑するのは、仁でない、不忠者であると、諫めた。「左右欲兵之。太公曰:『此義人也。』扶而去之。」家来たちが殺そうとしたところを太公に「これは義人である」と、助けてもらったものの、相手にされなかった。「武王已平殷亂,天下宗周,而伯夷、叔齊恥之,義不食周粟,隱於首陽山。」やがて、殷を平らげて、天下は周のものとなった。伯夷と叔齊は、不義にして、新たな王朝の周の粟(禄)を食むのを潔しとせず、これを拒んで、首陽山に隠れ住み、薇(ゼンマイ)を採って生活し、やがて飢えて死んだ。二人が「薇(ゼンマイ)を採って生活し、やがて飢えて死んだ」ことは、『史記・伯夷列傳』に見える。その場合は次の通りやや異なる。「登彼西山兮,采其薇矣。以暴易暴兮,不知其非矣。神農、虞、夏忽焉沒兮,我安適歸矣?于嗟徂兮,命之衰矣!」他。 ・各:それぞれ。おのおの。 ・一身:独身。
※窮餓未爲難:貧乏で餓えてることも、まだ難儀な事とはしない(が)。 ・窮餓:貧乏で餓えている。 ・未爲難:まだ難儀な事とはしない(が)。 ・難:ここは、韻脚なので、平声「難しい」「難儀な」といった形容詞の意になる。
※先生有五男:陶淵明先生には、五人の男の子供がいる。 ・先生:陶淵明を指す。 ・有五男:五人の男の子供がいる。『責子』「白髮被兩鬢,肌膚不復實。雖有五男兒,總不好紙筆。阿舒已二八,懶惰故無匹。阿宣行志學,而不好文術。雍 ・端年十三,不識六與七。通子垂九齡,但覓梨與栗。天運苟如此,且進杯中物。」と「(阿)舒、(阿)宣、雍・端(ふたご)、通(子)」の五人の息子たちを描いている。『昭明文選』の「、祭文」の項では、『自祭文』とともに並んでいる、『與子儼等』では、「告儼俟佚。天地賦命。生必有死。自古賢聖。誰能獨免。」と彼の子の名が出ている。これらとこの詩に出てくる幼名とを比べると、『與子儼等』では「儼俟佚」で、『責子』では「舒宣雍端通」となる。双方を合わせていくと、「舒⇒儼」「宣⇒俟」「雍⇒」「端⇒「佚」「通⇒」となる。
※與之同飢寒:五人の子供らと飢えや寒さといった貧しさを同じうした。 ・與之:五人の子供らと。これらと。 ・同:同じうする。 ・飢寒:飢えや寒さ。貧しさのこと。
※腸中食不充:腹の中は、食べ物がみちることがない。 ・腸中:腹の中。 ・食:食べ物。食べる事。 ・不充:みちることがない。
※身上衣不完:体の上は、着物がきっちりと揃うことがない。 ・身上:体の上。 ・衣:着物。着る事。 ・不完:まっとうすることがない。
※連徴竟不起:何度もお召しがあったが、ついに応じることがなかった。 ・連:しきりに。ひきつづいて。つづけさまに。副詞。 ・徴:召す。呼び出す。取り立てる。 ・竟:ついに。・不起:立たない。皇帝の起用のお召しにもついに応じなかったことをいう。
※斯可謂眞賢:(何度ものお召しにも関わらず、ついに応じなかったことは、)すなわち、真の賢人というべきものである。 ・斯:(すれ)ば、すなわち。すなわち。 *伝統的に「これ」と読み下すことが多いが、「連徴竟不起,斯可謂眞賢。」という句の中で、「連徴竟不起」〔(すれ)ば、すなわち〕「可謂眞賢。」の意になる。 ・可謂:…ということができる。…というべきである。 ・眞賢:真の賢人。
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◎ 構成について
仄起。一韻到底。韻式は、「AAAAAAAA」。 韻脚は「羶間言山難寒完賢」で、平水韻上平十一真(真)、上平十三元(言)、上平十四寒(難)檀上平十五刪(山)、下平一先(賢)で、すべて〔-n〕韻。なお「男」は韻脚ではない。「男」は下平十三覃で〔-im〕韻になり、大きく異なる。次の平仄はこの作品のもの。
●○●○●,
○●●●○。(韻)
○○○●●,
○●●●○。(韻)
○●●●●,
●○●○○。(韻)
●○○●●,
●○●○○。(韻)
○○●●○,
○●●○○。(韻)
○○●●○,
●○○○○。(韻)
○○●●○,
○●○●○。(韻)
○○●●●,
○●○○○。(韻)
2004. 2.13 2.14完 2011.10.12補 |
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