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醉題馬關旗亭壁 | ||
伊藤博文 |
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論文諸友皆黄土, 識面美人多白頭。 十五年前狂杜牧, 西遊還上舊靑樓。 |
文を論ぜし 諸友は 皆黄土 ,
面を識 る 美人は 多く白頭 。
十五年前 の狂 杜牧 ,
西遊還 た上 る 舊靑樓 。
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◎ 私感註釈
※伊藤博文:政治家。天保十二年(1841年)~明治四十二年(1909年)。長州藩出身。幼名利助。後、俊輔。号は春畝。松下村塾に学び、木戸孝允に従い、尊王攘夷運動に参加。後、討幕運動に従って、維新政府樹立に貢献した。欧州よりの帰国後、華族制度、内閣制度の創設、大日本帝国憲法・皇室典範制定、枢密院設置など、天皇制確立のために努力。明治十八年(1885年)、初代総理大臣・枢密院議長となる。日露戦争後、初代韓国統監となり、併合強化への一歩を踏み出した。明治四十二年(1909年)、満洲視察と日露関係調整のため渡満の際、ハルビン駅頭で韓国人・安重根に暗殺された。詩集に『藤公詩存』(明治四十三年 博文館)がある。
※酔題馬関旗亭壁:酒に酔って、下関の料理屋のかべに詩を書きしるす。 ・題:ある事物につき、詩文を作る。『題…壁』で、「…のかべに詩文を書きしるす」こと。幕末・釋月性に『將東遊題壁』「男兒立志出郷關,學若無成不復還。埋骨何期墳墓地,人間到處有靑山。」があり、清末・譚嗣同に『獄中題壁』「望門投止思張儉,忍死須臾待杜根。我自橫刀向天笑,去留肝膽兩崑崙。」
がある。 ・馬関:山口県の下関のこと。下関の旧称、赤間関(あかまがせき)を赤馬関とも書いたところから謂う。 ・旗亭:居酒屋。料理屋。
※論文諸友皆黄土:尊王攘夷運動について議論し合った友人達は、みな墓の下で。 ・論文:尊王攘夷運動について議論し合ったことを謂う。 ・黄土:〔くゎうど;huang2tu3○●〕墓。めいど。盛唐・杜甫の『閣夜』に「歳暮陰陽催短景,天涯霜雪霽寒宵。五更鼓角聲悲壯,三峽星河影動搖。野哭千家聞戰伐,夷歌幾處起漁樵。臥龍躍馬終黄土,人事音書漫寂寥。」とある。
※識面美人多白頭:顔を知っている美女達は、白髪(しらが)頭となっている者が多い。 ・識面:顔を知っている。 ・白頭:白髪(しらが)頭。中唐・元稹の『行宮』に「寥落古行宮,宮花寂寞紅。白頭宮女在,閒坐説玄宗。」とあり、清・王士禛の『石城橋示倪雁園太史』に「昔作秦淮客,朱樓賦洞簫。白頭故人盡,重上石城橋。」
とある。
※十五年前狂杜牧:十五年前の酔狂(で、多情多恨)な杜牧(=伊藤博文)は。 ・十五年前:この詩は明治二十三年の作なのでその十五年前とは、明治八年頃のことになる。その頃の伊藤博文は、大久保利通の意を承け、大阪会議の斡旋をして、木戸孝允・板垣退助との間を取り持った頃のことか。 ・狂:なみはずれる。常軌を逸する。かるはずみ。また、酒色に溺れる。 ・杜牧:多情多恨の晩唐の詩人。彼の七絶に『遣懷』「落魄江南載酒行,楚腰腸斷掌中輕。十年一覺揚州夢,贏得靑樓薄倖名。」や七絶『贈別二首』其一「娉娉嫋嫋十三餘,荳蔻梢頭二月初。春風十里揚州路,卷上珠簾總不如。」
や七絶『贈別二首』其二「多情卻似總無情,惟覺罇前笑不成。蝋燭有心還惜別,替人垂涙到天明。」
や『歎花』「自是尋春去校遲,不須惆悵怨芳時。狂風落盡深紅色,綠葉成陰子滿枝。」
がある。 ・狂杜牧:多情多恨である作者・伊藤博文のことを謂う。ここは、或いは大沼枕山の「笙歌聲裏桂輪移,地似楊州物物奇。才子襟懷狂杜牧,美人態度醉西施。淸樽須盡終宵興,圓月難逢隔歳期。但使良辰多樂事,靑樓薄倖任他嗤。」に由るか。
※西遊還上旧青楼:西の地方に旅をして、なおまた昔の妓楼に登った。(そして、そこで作ったのがこの詩だ)。 ・西遊:西の地方に旅をする。 ・還:なお。なおまた。 ・上:のぼる。あがる。 ・青楼:青く塗ったたかどの。美女のいる美しいたかどの。遊女屋。=妓楼。(女性のいるたかどのの意で:)中唐・劉禹錫の『雜曲歌辭 浪淘沙』に「鸚鵡洲頭浪颭沙,青樓春望日將斜。銜泥燕子爭歸舍,獨自狂夫不憶家。」とあり、(妓楼の意で:)前出・杜牧の『遣懷』に「落魄江南載酒行,楚腰腸斷掌中輕。十年一覺揚州夢,贏得靑樓薄倖名。」
とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「頭樓」で、平水韻下平十一尤。この作品の平仄は、次の通り。
◎○○●○○●,
●●●○○●○。(韻)
●●○○○●●,
○○○●●○○。(韻)
平成25.6.19 6.20 |
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