奉和厳鄭公軍城早秋 | |
唐・杜甫 |
秋風嫋嫋動高旌,
玉帳分弓射虜營。
已收滴博雲間戍,
更奪蓬婆雪外城。
******
厳鄭公の『軍城早秋』に 奉和す
秋風 嫋嫋として 高旌を動かし,
玉帳 弓を分かちて 虜營を射る。
已に 滴博 雲間の戍を 收めて,
更に 蓬婆 雪外の城を 奪はん。
****************
◎ 私感註釈
※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)〜770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の生涯を送った。ここで詩を和した厳武は杜甫が成都にいた時の庇護者。彼の詩風は、時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。
※奉和厳鄭公軍城早秋:鄭国公であられる厳武殿のお作りになられた『軍城早秋』の詩に和しさせていただいた。庇護者の厳武の勇武を頌えたもの。 *この詩は『全唐詩』『唐詩選』や『萬首唐人絶句』にあるが、これは『萬首唐人絶句』のもの。『全唐詩』『唐詩選』では、詩題を「奉和嚴大夫軍城早秋」とする。 ・奉和:和したてまつる。 ・奉:…たてまつる。動詞の前に附いて、上長の相手に対しての動作の恭しさを表す敬語。 ・和:韻を合わせて詩を作る。和韻 。また、答えて詩を作る。ここは、前者の意。 ・厳鄭公:厳武のこと。鄭国公に封じられたことによる呼び方。厳武は唐の武将で、字は季鷹。華州の人。肅宗の時、剣南節度使となり、吐蕃(とばん:今のチベット)を破り、礼部尚書となり、後、鄭国公に封じられた。杜甫のよき理解者。 ・軍城早秋:厳武の作った詩の題。「駐屯軍の本拠地の町での初秋」の意。厳武に『軍城早秋』「昨夜秋風入漢關,朔雲邊雪滿西山。更催飛將追驕虜,莫遣沙場匹馬還。」がある。それに和した。異民族との戦いや交渉をうたったものには、唐・王昌齡の『出塞』(『從軍行』)「秦時明月漢時關,萬里長征人未還。但使龍城飛將在,不ヘ胡馬渡陰山。」等や『胡笳曲』「月明星稀霜滿野,氈車夜宿陰山下。漢家自失李將軍,單于公然來牧馬。」等がある。また、漢魏・蔡文姫に『胡笳十八拍』(我生之初尚無爲)第一拍〜第六、『胡笳十八拍』(日暮風悲兮邊聲四起)第七拍〜第十二、『胡笳十八拍』(不謂殘生兮卻得旋歸)第十三拍〜第十八拍と、『悲憤詩』一(漢季失權柄)、『悲憤詩』二(邊荒與華異)、『悲憤詩』三(去去割情戀)、『悲憤詩』七言騒体(嗟薄兮遭世患)、また、宋・辛棄疾は『滿江紅』で「漢水東流,キ洗盡、髭胡膏血。人盡説、君家飛將,舊時英烈。破敵金城雷過耳,談兵玉帳冰生頬。想王カ、結髮賦從戎,傳遺業。」 と詠い、漢の李広の偉業を称える。なお、杜甫はこの詩に和して『奉和嚴大夫軍城早秋』「秋風嫋嫋動高旌,玉帳分弓射虜營。已收滴博雲陷,欲奪蓬婆雪外城。」を作った。 ・軍城:駐屯軍の根拠地である町。 ・早秋:初秋。陰暦七月。
※秋風嫋嫋動高旌:秋の風がそよそよと吹いて、高らかに掲げた立派な(漢民族の将軍の)旗印がはためいており。 ・秋風:秋の風。秋の気配を謂う。「天高く馬肥ゆる秋」のことを謂い、秋には西方異民族が放牧していた馬も、夏草をしっかりと食べた結果、しっかりと体が出来上がり、長途中原侵略に乗り出してくる季節になった情勢をも謂う。 ・嫋嫋:〔でうでう;niao3niao3●●〕風がそよそよと吹くさま。しなやかでゆれるさま。しなやかで美しいさま。枝などがしなやかにまといつくさま。音声が細く長く響くさま。漢・卓文君の『白頭吟』に「淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。願得一心人,白頭不相離。竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。」とあり、楊貴妃『阿那曲』「羅袖動香香不已,紅蕖嫋嫋秋煙裏。輕雲嶺上乍揺風,嫩柳池塘初拂水。」や中唐・白居易の『楊柳枝』其三「依依嫋嫋復青青,勾引清風無限情。白雪花繁空撲地,阪N條弱不勝鶯。」、晩唐・杜牧の『贈別』「娉娉嫋嫋十三餘,豆梢頭二月初。」とある。 ・高旌:(高らかに掲げた)立派な旄(からうし)尾や羽根飾りの附いた旗印。 *「高-」は一種の敬語なので、必ずしも旗が高く掲げられていたかどうかは、ここでは問題としない。 ・高-:敬意を表す接頭語。杜甫は成都で生活や就職を見てもらっている厳武に対して、深く感謝していることは、前出・「奉」や、この「高」、また後出の「玉」など、敬語表現を多用していることからも見て取れる。 ・旌:旄(からうし)尾や羽根飾りの附いた旗印。旗の総称。ここで、「旗」を使わないで「旌」を使うのは韻脚となっているからでもある。
※玉帳分弓射虜営:将軍のいる陣営のとばり(の中の将軍は、兵士に)弓矢を分かち与えて、異民族の軍営に対して射撃させた。 ・玉帳:将軍のいる陣営のとばり。また、美しいとばり。ここは、前者の意。 ・分弓:弓矢を分かち与える。(この部分、記憶に頼って書いているが、この時代、武具は自辨だったいうのを読んだことがある。そうすれば、将軍が遠方から距離を取っての攻撃のため、弓矢を部下の将士に分かち与えたということになろう。) ・虜營:異民族の軍営。 ・虜:〔りょ;lu3●〕北方異民族に対する蔑称。南宋・陸游は『識媿』で「幾年羸疾臥家山,牧竪樵夫日往還。至論本求編簡上,忠言乃在里閭間。私憂驕虜心常折,念報明時涕毎潸。寸祿不沽能及此,細聽只益厚吾顏。」、南宋・張元幹は『賀新郎』で「曳杖危樓去。斗垂天、滄波萬頃,月流煙渚。掃盡浮雲風不定,未放扁舟夜渡。宿雁落、寒蘆深處。悵望關河空弔影,正人間、鼻息鳴鼓。誰伴我,醉中舞。 十年一夢揚州路。倚高寒、愁生故國,氣呑驕虜。要斬樓蘭三尺劍,遺恨琵琶舊語。謾暗澀、銅華塵土。喚取謫仙平章看,過溪、尚許垂綸否。風浩蕩,欲飛舉。」と使う。
※已収滴博雲間戍:すでに滴博:(てきはく)にある(吐蕃(チベット)側の)高い所にある国境守備の陣地を手に入れて。 *この聯は対句で構成されている。 ・已:〔い;yi3●〕とっくに。すでに。 ・收:手に入れる。取り入れる。とりこむ。おさめる。 ・滴博:〔てきはく;Di1bo2●●〕山の嶺の名。唐代の吐蕃(チベット)に対する要害の地で、維州(現・四川省北西部)にある。後出の地名の蓬婆との関係では、滴博の方がより漢土中央、中原に近く、蓬婆の方がより吐蕃(チベット)に近いところにあろう。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)65−66ページの「唐 剣南道北部」の維州(現・四川省西部)では、見付けられなかった。 ・雲間:〔うんかん;yun2jian1○○〕雲間(くもま)にあるかのような高い所。「間」を「閨vともする。異体字。 ・戍:〔じゅ;shu4●〕国境のまもり。国境の防衛拠点。国境守備の陣地。ここでは、吐蕃(チベット)側のそれのことになる。
※更奪蓬婆雪外城:その上、さらに雪山の向こう側にある蓬婆(ほうば)の城塞をも奪い取ろう。 *ここを『全唐詩』『唐詩選』では「欲奪蓬婆雪外城」とする。 ・更奪:(滴博にあるとりでだけではなく)さらに(蓬婆の城塞をも)奪い取ろう。ここは「欲奪」ともする。 ・蓬婆:〔ほうば;Peng2po2○○〕大雪山をいう。維州の西100キロメートルのところ。柘州と吐蕃(とばん=チベット)との国境にある。 ・雪外:雪山の向こう側。 ・城:城塞。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「旌營城」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は、次の通り。失粘。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
2010.3.3 3.4 3.5 |
次の詩へ 前の詩へ 抒情詩選メニューへ ************ 詩詞概説 唐詩格律 之一 宋詞格律 詞牌・詞譜 詞韻 唐詩格律 之一 詩韻 詩詞用語解説 詩詞引用原文解説 詩詞民族呼称集 天安門革命詩抄 秋瑾詩詞 碧血の詩編 李U詞 辛棄疾詞 李C照詞 陶淵明集 花間集 婉約詞:香残詞 毛澤東詩詞 碇豐長自作詩詞 漢訳和歌 参考文献(詩詞格律) 参考文献(宋詞) 本ホームページの構成・他 |