題苜蓿烽寄家人 | |
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唐・岑參 |
苜蓿烽邊逢立春,
胡蘆河上涙沾巾。
閨中祇是空思想,
不見沙場愁殺人。
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苜蓿烽 に題して家人に寄す
苜蓿烽 邊 立春に逢 ひ,
胡蘆 河上 涙巾 を沾 す。
閨中 祇 だ是 れ 空しく思想 するも,
沙場 人を愁殺 するを 見ず。
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◎ 私感註釈
※岑参:〔しんじん;Cen2 Shen1○○〕盛唐の詩人。開元三年(715年)〜大暦五年(770年)。南陽の人。安西節度使に仕え、当時西の地の涯までいった。ために、辺塞詩をよくする。蛇足になるが、岑參の「參」字は〔さん;can1〕〔しん;cen1〕〔じん;shen1〕とあるが、彼の名は〔じん;shen1〕。(『中国大百科全書・中国文学 T』(中国大百科全書出版)。
※題苜蓿烽寄家人:(漢土を遠く離れた西方の)苜蓿烽(の烽火(のろし)台の駐屯地)で詩を作って、妻に郵送する。 *これは『岑參集校注』での詩題である。『唐詩選』では『苜蓿烽寄家人』とし、『全唐詩』『萬首唐人絶句』では『題苜蓿峰寄家人』とする。『岑參集校注』陳鐵民 侯忠義校注 上海古籍出版社2004年上海)の186ページの校注では、「詩題《才調集》、《萬首唐人絶句》無「題」字,烽:《才調集》、『全唐詩』明抄本、《萬首唐人絶句》、《全唐詩》作「峯」,誤。苜蓿烽:黄文弼《吐魯番考古記》載《伊吾軍屯田殘籍》中有「苜蓿烽」,按伊吾軍在伊州(治所在今新疆哈密)西北三百里天山北甘露川(見《元和郡縣志》卷四〇),則苜蓿烽:大抵亦當在伊州境内。參見程喜霖《從吐魯番出土文書中所見的唐代烽堠制度之一》(載《敦煌吐魯番文書初探》)。」(詩題は、『才調集』や『万首唐人絶句』では「題」の字が無く、 烽は『才調集』や『全唐詩』の明の抄本や『万首唐人絶句』や『全唐詩』では「峯」とするが、誤りである。 苜蓿烽とは、黄文弼の『吐魯番(トルファン)考古記』に載せられた『伊吾軍屯田残籍』中に「苜蓿烽」とあり、思うに伊吾軍の伊州(治める所は現在の新疆の哈密(ハミ)に在る)の西北三百里の天山の北の甘露川(『元和郡県志』巻四〇にある)であれば、苜蓿烽とは、ほぼこれもまた伊州の地域内になろう。程喜霖の『吐魯番(トルファン)よりの出土文書中に見受けられる唐代烽堠(=物見(ものみ)台。有事の際烽火(のろし)をあげ、危急を知らせるのろし台)制度の一つ』を参照。(『敦煌(とんこう)吐魯番(トルファン)文書初探』に載せられている)。」)とある。 *『唐詩選』の『苜蓿烽寄家人』ではその場合は「苜蓿烽にて家人に寄す」となる。 ・題:…に(ついての)詩を作る。 ・苜蓿烽:〔もくしゅくほう;Mu4xu0 feng1〕伊州(現・新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ))にある烽火(のろし)台の名。なお、苜蓿〔もくしゅく;mu4xu0〕とは、本来の義はウマゴヤシ。豆科の植物の名。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)63−64ページ「唐 隴右道西部」では(伊州、伊吾、伊吾軍、天山、蒲類、蒲類海などはあるが)見あたらない。 ・寄:郵便で詩を送る。手紙を出す。 ・家人:妻。家族。ここでは、妻のことになる。
※苜蓿烽辺逢立春:(漢土を遠く離れた伊州(現・新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ))にある)苜蓿烽(の烽火(のろし)台の駐屯地)で、春の季節が始まる日に逢った(ので、別れてからの月日の経つのが自覚されて)。 ・逢:出くわす。(たまたま)出逢う。 ・立春:春の季節が始まる日。陽暦の二月四日頃に該る。二十四節気の一。
※胡蘆河上涙沾巾:(伊州(現・新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ))の附近を流れる)胡蘆河の畔で、ハンカチを涙で濡らしている。 *前出・『岑參集校注』陳鐵民 侯忠義校注 上海古籍出版社2004年上海)の186ページの校注では、「胡蘆河:當在伊州附近。柴劍虹謂即《大慈恩寺三藏法師傳》卷一所記玉門關附近之「瓠蘆河」(載《胡蘆河》考》,載《新疆師大學報》一九八一年一期)。按,伊州距玉門關九百里,疑非是。」とある。 ・上:ほとり。場所を指す。この用例には、金・完顏亮の『呉山』「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」や盛唐・岑參の『與高適薛據同登慈恩寺浮圖』「塔勢如湧出,孤高聳天宮。登臨出世界,磴道盤虚空。突兀壓~州,崢エ如鬼工。四角礙白日,七層摩蒼穹。下窺指高鳥,俯聽聞驚風。連山若波濤,奔走似朝東。松夾馳道,宮觀何玲瓏。秋色從西來,蒼然滿關中。五陵北原上,萬古濛濛。淨理了可悟,勝因夙所宗。誓將挂冠去,覺道資無窮。」や中唐・白居易の『送春』「三月三十日,春歸日復暮。惆悵問春風,明朝應不住。送春曲江上,拳拳東西顧。但見撲水花,紛紛不知數。人生似行客,兩足無停歩。日日進前程,前程幾多路。兵刃與水火,盡可違之去。唯有老到來,人間無避處。感時良爲已,獨倚池南樹。今日送春心,心如別親故。」や、中唐・張籍の『征婦怨』「九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。」や元・楊維驍フ『西湖竹枝歌』「蘇小門前花滿株,蘇公堤上女當壚。南官北使須到此,江南西湖天下無。」があり、明・高啓の『尋胡隱君』「渡水復渡水,看花還看花。春風江上路,不覺到君家。」がある。現代でも張寒暉の『松花江上』「我的家在東北松花江上,那裡有森林煤鑛,還有那滿山遍野的大豆高粱。我的家在東北松花江上,那裡有我的同胞,還有衰老的爹娘。」がある。 ・胡蘆河:伊州(現・新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ))の附近にあるひょうたん形の川か。なお、ヒョウタンの総称は“胡蘆”〔ころ;hu2lu2〕だが、胴のくびれたヒョウタンは特に“蒲蘆”〔pu2lu2〕という。前出・『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)63−64ページ「唐 隴右道西部」に蒲類〔pu2lei4〕、蒲類海〔pu2lei4hai3〕などがある。 *前出・『岑參集校注』陳鐵民 侯忠義校注 上海古籍出版社2004年上海)の186ページの校注では、「胡蘆河:當在伊州附近。柴劍虹謂即《大慈恩寺三藏法師傳》卷一所記玉門關附近之「瓠蘆河」(載《胡蘆河》考》,載《新疆師大學報》一九八一年一期)。按,伊州距玉門關九百里,疑非是。」とある。 ・沾:〔てん;zhan1○〕うるおす。ぬれる。うるおう。=霑。 ・巾:ハンカチ。
※閨中祇是空思想:女性の部屋で(あなた(=妻))は、ただ思い巡らしているだけにすぎない(が)。 *この句、『才調集』、『萬首唐人絶句』『全唐詩』『唐詩選』等では、「閨中只是空相憶」とする。 ・閨中:〔けいちゅう;gui1zhong1○○〕女性の部屋。転じて、妻女。 ・祇是:=只是。ただ…だけだ。ただ…にすぎない。もっぱら…するだけだ。なお只〔し;zhi3●〕、祇〔し;zhi3●〕、(ただし、「祇園」の「祇」の場合は〔き(ぎ);qi2〕)、なお、別字に 祗〔し;zhi1○〕もあるので注意。 ・空:むなしい。むなしく。 ・思想:考える。思い巡らす。「相憶」ともする。その場合は、「相手(=作者)を思い出す」意。「相-」は、一方が他方に働きかけるさま(=行為や態度)(…していく、…してくる)を表す。前出・『岑參集校注』陳鐵民 侯忠義校注 上海古籍出版社2004年上海)の186ページの校注では、「恩想:《才調集》、《萬首唐人絶句》、《全唐詩》)作『相憶』。」とある。
※不見沙場愁殺人:戦場では、人の気持ちを愁いの極みにさせるのを(あなた=妻)は ・不見:見ない。蛇足になるが、現代語での用法とは異なる。 ・沙場:戦場。戦場として、屡々西北方の荒れ地で展開された事に因る。よく、「すなわら」とするが「沙漠・砂漠」の意ではない。 ・愁殺:気持ちを愁いの極みにさせる。「-殺」は、「忙殺」「笑殺」等の「殺」と同じで、意味を強めるための接尾辞。『古詩源』の古歌に「秋風蕭蕭愁殺人,出亦愁,入亦愁。」とあり、『古詩十九首』の十四に「去者日以疏,來者以已親。出郭門直視,但見丘與墳。古墓犁爲田,松柏摧爲薪。白楊多悲風,蕭蕭愁殺人。思還故里閭,欲歸道無因。」とある。後世、秋瑾は「秋雨秋風愁煞人」とした。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「春巾人」で、平水韻上平十一真。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○○●○,(韻)
○○○●●○○。(韻)
○○●●◎◎●,
●●○◎○●○。(韻)
2011.10.16 10.17 10.19 10.20 |
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