最近のわたし

よぐの闘病日記!


↑こんな病院に入院しておりました。

11月1日 朝から軽い倦怠感がある。数日前から咽喉が軽く痛かった為、おそらく風邪のひきはじめだろうと思い、ドリンク剤を飲むとずいぶん楽になる。その日は一日中パソコンで図面書き。17時ごろ出来あがった図面をプリントアウトしようとすると極度の疲労感に襲われる。トイレにいったら楽になったが、真っ黒な墨のような便が出る。
夕食をとった帰り道。自転車で坂を上がるとものすごく疲れた。
11月2日 現場仕事のこの日。出勤する事自体がものすごく苦痛だ。休み休み自転車を走らせ、なんとか会社についたが、たっているのも辛い。やむなく休みにして、近くの内科医院へゆく事にする。会社でまた墨のような便が出る。
医師の診察は「十二指腸潰瘍による出血とそれに伴う貧血」であった。その診断を確定させるために、検便を三日行えとの事。薬をもらって帰ることにする。自転車での帰宅はこれまでに無い疲労を伴った。途中のベンチで座り込み、楽になったらまた自転車を走らせた。血を補給せねばならぬと思い、途中でパンを買う。
11月3日 夜中のトイレ。酷いめまい、目がかすむ。この日幾度黒い便がでたかわからぬ。検便も当然ままならぬ上に、食事もつらい。自分で救急車を呼ぼうと思ったその時、会社の上司から「病院につれてってやる」との有難い電話。家の近くの「西部総合病院」へ。
採血の結果で入院如何を決める、と当直(この日は休日であった)の医師がいったが、その結果は問答無用であったようだ。今年二回目の入院が確定する。点滴をしたままレントゲン室へ。そこでの撮影すらも苦痛であった。この時のわたしにとって横になっている以外に安楽はなかった。
病室にはいってしばらくすると、どういうわけか風邪の症状の自覚がある。しかし、十二指腸からの出血を止める為、水が飲めない。頭痛も酷く、非常に咽喉が渇く、隣で寝ている患者の茶をすする音が恨めしい。夜の検温では37.8℃、確実な風邪であろうと思う。氷枕を借りる。
社長夫妻。叔父・叔母がお見舞いにきてくれる。
夜は寝ているのか寝ていないのか自分でもよくわからない。ただ、苦しい中で青・黄・赤の電線コードが目の前にあるという妙な夢を見た。
ベッドの頭の所に「禁飲食」の札がかかっているのが見える。
11月4日 朝の検温は38.5℃。一向に楽にならぬ。
回診の先生の話では、明日の検査まで水は飲めないとの事、少なくとも明日までの辛抱だが、今のわたしにとっては、とてつもなく長い時間だ。
アミノ酸・ブドウ糖の24時間点滴に加え、鉄分の点滴が始まる。輸血という一種の「臓器移植」をするよりは自分で血を作るという…ある意味わたしの若さに賭けた治療である。
布団をかけていれば暑く、とっていれば寒気がする。あげく布団自体の重さすら疎ましくなってくる。氷枕の存在すら鬱陶しい。終いには寝ている事すら苦痛になってきた、やむなく起き上がるが、楽になろう筈も無い。今自分の意思が体に追従しているという事が辛いという訳のわからぬ感覚…ナースコールを押し「気分が悪い」とだけ伝える。
看護婦は4人ほど来てくれたように思う。実際その時何をされたのかよく覚えていないが、気は落ち着いた。酸素マスクをつけられたのは明確である、その作用であろうか?
「尿器(いわゆるシビン)を使っても一人でトイレに行くのは無理ですから尿道に管を通しますね。」
看護婦にそういわれてから数分後、わたしは地獄を見た。

それからはずいぶん楽になった。頭痛は治まり、「横になっていれば楽」というレベルまで回復した。社長夫妻や叔父さんたちが来てくれるが、昨日に比べればいくらか話す事ができたと思う。
夜の検温は楽になったとはいえ38.8℃。看護婦に「明日検査終われば水飲めるよねー」と聞いた所、「期待しないほうがいいと思う」との答え…
夜はまた三色のコードの夢。しかしいくらか眠れる。
起きた時に「たくさんある”眠れる要因”の中のたった一つが損なわれた為に目が覚めたのだから、それを補完すればまた眠れる」という妄想が頭を支配する。自分でもおかしいと思うのだが、この妄想は一晩離れなかった。

11月5日 どういうわけかこの日の採血は「もう一度」が2回あり、合計3回も血を採った。
その後、婦長をはじめとする看護婦4人がかりでストレッチャーに乗せられ、構造がよくわからぬ病院の中を気だるい感覚のまま運ばれたのは「内視鏡室」と書いてある部屋だった。
咽喉に麻酔をかける薬は、口に含み、咽喉の所で止めておくのだが、これが非常に難しい。いや、難しいというか、本当に自分のやっている方法で正解なのかどうかが良く分からない。咽喉の奥に入れようとすれば飲み込んでしまうし、かといって飲み込まないようにするなら咽喉の入り口あたりでとめておくのが限界である。そんな懸念はおかまいなく「吐き出して」といわれて咽喉の薬を吐き出した後、さらに薬を2種類飲まされ。巨大なマウスピースとでも形容すべきものを噛まされて、いよいよ胃カメラの登場である。
胃カメラを飲むのは初めてだ。たしか何かの漫画で「オェー」と苦しげにやっていたのを思い出す。まぁ、咽喉に異物を入れるのだから吐き気をもよおすのは当然だろう。
しかし、その苦しさはわたしの想像をはるかに超えていた。食道に到達するまでが一番大変だとの話であるが、わたしは咽喉を通過する管の感覚にとても耐えきれず、2回ほど胃カメラ挿入を中断させた。3回目はなんとか耐えたものの、咽喉に度々あたる感覚は数回にわたり吐き気をもよおさせ、当然それでも感覚は好転しないため、さらなる苦しさがわたしを襲った。わたしの体調が最悪だから余計に苦しいのだそうだが…
十二指腸からの出血は止まっているという良いニュースにもかかわらず。わたしの気分は良くならなかった。もちろん病気だからというのもあるが、内視鏡担当医から「経過を見るために、いずれまた胃カメラやりますよ。」という宣告を受けたからである。

病室が変わった。あとでわかった話だが、そこは一種の「集中治療室」であり、ナースステーションがすぐ目の前にある。一般の患者よりも、より経過観察が重要とされる患者に対しては、この現在わたしがいる部屋をあてがわれるらしい。
現にわたしの向かいの患者は、明日手術という事であり、また隣の患者は尋常じゃない量の痰を吐き出す事も出来ず(理由は知らない)苦しげな寝息を立てている。わたしはといえば、血液検査の結果が非常に思わしくなかったらしく、輸血を緊急で行うという事になった。成人男性なら最低13(単位は知らない)はある血液色素が入院時で7、今朝の採血では3.5まで落ちているという「危険な状態」であるからだそうだ。血液が病院に到着し次第、輸血を行うため左手の栄養剤点滴とは別の輸血用点滴針を右手に刺す。午後から400cc輸血が始まった。
風邪を治す為に「抗生剤入り点滴」と「熱冷ましの為の筋肉注射」を行う。
この日の夜は久しぶりにまともに眠れた。

11月6日 さらに一週間後の内視鏡検査まで「禁飲食」状態は続けるという方針が決まった。水が飲めたなら風邪の治りも早いと思うが、それによって再度出血→出血多量となってしまっては元も子もない。
社長がお見舞いに来てくれる。11月8日に左足の最終となる検査があるのだが、それをキャンセルしておいてくれるそうだ。それと同じに7日に発売されるFF11のキャンセルもお願いしたが、買ってきてくれるとの事。なんと恐れ多い…
午後から400ccの輸血。この頃から気分が格段に良くなってくる。もってきていたバッグの中の坂本龍一を聴いたりもする。検温ではいまだ38℃オーバーだが、寒気がしなくなったのは実に有難い。
自分の体に何かが張りついていると気付く。タバコの箱大の小さな機器からのびた三本のコードは、わたしの右胸・左胸・心臓上部に貼ってある小さな聴診器のようなシールに繋がっている。看護婦に聞いた所、呼吸・脈拍などのデータをナースステーションでモニターしてるとの事。「まるで重病人じゃないか」と言おうとしたが、実際そうなのかもしれず、黙っておく。
楽になってくるとテレビが見たくなり、テレビを借りる事はできないかと尋ねたところ、見るのにプリペイドカードが必要だがテレビの貸し出しは出来るとの答え。さっそく借りるが1000円のカードを買うのに五千円札と一万円札しかない。夕方だった為、経理担当が帰っており、明朝まで両替はできぬとの事。その日はテレビを見ることは出来なかった。
隣の患者さんの詰まった痰を看護婦が時々バキュームで取るのだが、それが非常に苦しそうで嫌だ。「ズズズ…」と吸いこむ音の中にうめき声が聞こえるのは気のせいだろうか?
11月7日 風邪は沈静化しつつある。が、検温の結果は37.8℃。嫌になるが気分が良いのは良い。
9時の経理出勤にあわせて、看護婦に両替&テレビカードを買ってきてもらいテレビを見るも、ワイドショーしかやっておらず、しかも疲れてきたので見るのをやめる。
回診の先生の話では「まだ目が真っ白だからねー」との事である。
経過が順調な為、もといた病室に戻る事になる。そして輸血400cc。一本輸血をやる毎に気分がよくなる実感がある。
11月8日 検温の結果は37.3℃。
食事ができない人間がテレビの料理番組をみるのは辛いと思われるかもしれないが、実際はその逆である。温泉地めぐりと料理を堪能する番組やらが何故か癒しになっている。特に「どっちの料理ショー」は普通に見るより病気になってみたほうが面白い。理由はわからないが…
あとは、「美味しんぼ」と「大岡越前」が何も考えずに見られるので良い。「大岡越前」に登場する榊原伊織医師は実にかっこいい。オペに麻酔使わないのは怖いが…
この日で輸血は終了する。
11月10日 叔父さんから借りた西村京太郎の推理小説が実に良い暇つぶしになっている。西村京太郎は高校以来久しく読んで無い、十津川警部と亀井刑事のコンビは安倍晴明と源博雅のコンビに負けず劣らず素晴らしい。
胸についているモニターがとれる。邪魔なものが一つ減った。あとは点滴と、尿の管である。
11月11日 検温は36.5℃。風邪は治り、ようやく通常に戻った。それにあわせて尿管も取る事になった。取るのは実に楽であり、拍子抜けした。
人によっては、そのあとの尿が出なかったり、血が混じったりもするそうだが、わたしの場合はそんな事もなく、良かった。
11月12日 恐れていた「内視鏡検査の日」がやってきた。この検査の結果が良好なら食事が始められるのだから、早く終わらせたいのだが、前回の体験はあまりに強烈だった。
もっと細いカメラ管はないのかと聞いた所、これでもずいぶん細くなったそうだ。そこでわたしは一つ提案をした。小型CCDカメラのようなものを無線でモニターして、患者はそれを飲み薬のように飲むだけ、そういうのを作れば良い…と。
しかし、内視鏡の先生によると、それはすでにどこぞで開発しているらしい。ただ、カメラの向きを任意で変えられないのが問題だそうだ。まぁ、わかる話ではある。さらに、まだ試作の段階であって、コスト面からも信頼性からも臨床で使うにはまだまだ先になるそうである。
やむなくわたしは、前回の例の如く麻酔薬を咽喉にため、各種飲み薬を飲み、巨大なマウスピースをしてカメラを飲んだ。やはり咽喉を通過するのは苦しい、が、今回は入ってしまえば全然楽で、モゴモゴとだが会話も出来る。胃の中をなにかが動き回っている感覚は嫌な感じだが、苦しく無いだけマシである。ヘリコバクター・ピロリ菌(潰瘍を引き起こす原因菌らしい)の存在の有無を調べるため、胃カメラの管の中へ細い針金をいれて、胃の組織を採取。ピロリ菌検査はまだ先だが、潰瘍本体は治癒に向かって進んでおり、食事はOKだという事であった。

病室に戻ると、丁度回診の為に主治医の先生がきておられた。「飯食べてOKっていわれましたよ。」と報告すると、水もOKとの許可も頂いた。早速歩いて自動販売機まで行き(入院して初めての自立歩行である)ミネラルウォーターを買う。すでに水を飲まない環境になれていたし、あまり急に飲むのもよくはあるまいと思い。少しだけ飲むのとどまったが、やはり嬉しかった。
飲み薬もOKとなり、そして食事も昼から始まった。
茶碗と汁碗、それぞれ蓋がしてあるから取ってみると…しばらく動きが止まってしまった。茶碗のほうには、障子の糊とでもいうべきシロモノが入っており、汁碗のほうには、リンゴの匂いのするなにかしらの液体が入っていた。
社長が以前「素晴らしい食事が出るから期待しておけ」と冗談交じりに言っておられたが、実際見てみると「はて、どーしたものやら」的気分である。食べない事には体力もつくまい…と考えたわたしは、飯の匂いのする障子の糊(重湯)を一気のみし、リンゴ果汁を寒天で溶き暖めたとでもいう物も一気のみした。「ご飯が食べられたときは感動モノだよ」という話はきいたが、それよりもこの流動食が2日続くことに絶望した。
溜息をつきたい気分になっている所に看護婦が来て「無理して全部食べなくてもいいですからね。」というと、わたしの冴えない顔と空になった食器を見て笑った。わたしも笑うしかなかった。

11月13日 まだいくらかふらつくが、歩けるので病院の玄関から友人たちに携帯メールをおくる。同室の渡部さんがタバコを吸いにきていたので言葉を交わす。

この日から1日4本の点滴が2本になった。夕方から点滴が外れるわけである。「病院前のコンビニ行って良い?」と看護婦に聞いた所、あまり良い顔をしなかったが、不許可とも言われなかった。黙認と解釈したわたしはさっそくコンビニへ。新聞を買って帰る。

親父が田舎から見舞いに来てくれる。

11月14日 ユーキがペプシと晴明神社の「水鏡守護」を見舞いに持ってきてくれる。ペプシは丁重にお引き取りいただいた。お得意の冗談である。談話室にある漫画「チンギス・ハーン/横山光輝著」が、いたく気に入ったらしく、明日も来るといっていた。

この日からご飯が、お粥30%・重湯70%に変わる。が、大して変わっていない印象だ。しかしおかずは様変わりした。煮物が中心だが、野菜と鶏肉の煮物や煮魚もでてくるのは非常に嬉しい。

11月18日 あまりに退屈になってきたので、主治医の先生に外出許可を頂き、すでに1日1本になっていた点滴をおわらせて、外出する。
会社によってFF11を取り、本屋で「HEAT(11)」「Anne Freaks(4)」「八雲立つ(19)」を買う。家に寄ってGNOにアクセスし、ハリー・ポッター4巻を持っていく事に決めた。
11月22日 晴れて退院である。仲良くなっていた同室の渡部さんが「俺より先に退院するとは許さん」と悲しげな表情なのが印象だった。

 

 

 

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