八卦掌(はっけしょう)は少林拳、太極拳、形意拳と並び中国四大流派のひとつに数えられます。
清朝後期(19世紀前半)紫禁城の宦官であった董海川(とうかいせん)の創始と言われ、中国武術の中でも成立時期の新しい門派の1つです。
八卦掌は竜身といわれるたくみな全身のくねりと軽妙な独特の歩法、速やかな方向転換に特徴があります。戦うときは専ら五指を開いた掌によって敵の攻撃をかわして倒すため、八卦拳といわず八卦掌という名がついています。
円転する体裁きは日本の合気道とも非常によく似ており、一説では大東流を学んだ植芝盛平が満州開拓のため中国に渡った時期、八卦掌の動きを見たことが後に合気道の技を考案するきっかけとなったとも言われています。
董海川は多くの弟子に八卦掌を教授していますが、それぞれの弟子がそれまでに学んだ武術を基礎にして、各人の特質に合わせた教授を行ったため、現在では様々な体系の八卦掌が伝承されています。
その中でも二大門派と言われるのが尹福(董海川の開門弟子)の伝えた尹派八卦掌と、程廷華の伝えた程派八卦掌です。

天龍武術会ではこの程派八卦掌の八大掌(単換掌、双換掌、上下換掌、青龍探爪、白蛇吐信、大鵬展翅、 白猿献桃、八仙過海)を指導しています。八大掌の他に、六十四種類の攻防(約束組手)を二人で組んで行う八卦六十四散手があり、また、八卦双剣、子母鴛鴦鉞(えんおうえつ)、八卦双頭槍、鶏爪鋭などの武器法があります。



八卦掌創始 董海川

清朝、粛親王の宮中で司茶役(お茶の係)を務めていた董海川(1813?~1882)は、粛親王に見出され、護院の長を務めるようになりました。
董海川は河北省文安県二十五里朱家塢村の生まれで、名を 海、のちに海川と改めています。
幼い時から武術を好み、性質は豪快で任侠心に富み、義を重んじ、各派の拳法や武器法を学びましたが、良師を求め、各地を旅して歩いたときに、安徽省九華山で華澄霞と出会い転掌(八卦掌)を授かったといわれます。董海川はその技を「游身八卦連環掌」と名付け北京に行って教え、のちに粛王府につかえて親王はじめ王府の人々にその武術を教えました。
武名が高く慕っ て入門する者が多く、程廷華、梁振圃、馬維斯、劉鳳春、宗永祥、宗長栄、尹福など著名な弟子を多く輩出しています。形意拳の李存義、張占魁も董海川門下として八卦掌を学んでいます。


二代、三代八卦掌名家


尹福
程廷華
梁振圃

張占魁
裴錫栄先生
李子鳴先生

北京八卦掌研究会会長李子鳴先生(第三代伝人)
より頂いた八卦掌五代伝人証書と印