査拳 Chaquan

拳諺に曰く、「南拳、北腿、山東査、直隶戳」。山東省の査拳は、河北省の戳脚と共に北腿を代表する拳種であり、また、中国北方の回族(イスラム教徒)の間に最も広く伝承されてきた武術のひとつです。
南派拳術がどっしりと構え手技を多用するのに対し、北派少林拳は蹴り技が多く、大きくダイナミックで素早い動作に特徴があります。 査拳には査拳十路、滑拳四路、炮拳三路、洪拳四路、三路飛脚などの套路があり、他に六路短拳対打、四路査拳対打等の組手型や、各種武器法及び武器の対練(組手)があります。
このクラスでは柔軟性を養う基礎練習に充分時間をかけ、突き、蹴りを中心とした基本動作を修得した後、各種套路、武器法等の練習を行います。


査拳の歴史

明朝末年中国東南の沿岸にたびたび侵攻した倭寇に対し、明朝は明帝の命により広く天下に兵を募り、戚继光を将軍とする抗倭保国の軍隊を組織して東征した。
新彊回族の査密尓(尚義)は抗倭軍に参加するため国を出たが、途中山東冠県まで来たとき病を患い、しばらくこの地に留まって療養した。当地の人々の手厚い看護により査密尓の病もほどなく癒えたが、彼は人々の恩情に答えるためこの地において身につけた武芸を教授した。この後人々は査密尓の伝えた武術を“査拳”と呼んで伝承し、山東、河南、河北の各省で盛んに行われるようになった。
またある説では、唐朝安史之乱で負傷した将軍滑宗岐が張尹庄の人々の看護によって回復し、報恩のため当地で武術を伝授した。のちに師兄である査元義(尚義)に依頼し、ともに冠県で拳を教授したといわれている。この時滑宗岐が教授した拳を大架拳、査元義が教授した拳を小架拳と呼んだが、後に滑拳、査拳と呼ばれるようになり、査拳門では現在でも査・滑の両拳を併せて修練している。
現在査拳は蟷螂拳、文聖拳、孫臏拳と並んで山東省四大拳種として指定され、中国を代表する武術のひとつに数えられるようになった。


査拳六路対打

査拳三路飛脚

査拳朴刀破槍

少林羅漢十八手

インドから中国に渡来した達磨大師による禅の発祥の地であり、少林武術の発祥の地としてもよく知られている中国河南省嵩山少林寺。少林羅漢十八手はこの少林武術の中でも最も知られた武術のひとつです。
嵩山少林寺に伝わる《少林寺拳譜》によれば、遠く隋の時代、少林武僧が十八羅漢の銅像からひとつの拳法を創始し、十八羅漢手と名付けたとあります。この拳はその後中国各地で練習されるようになり、しだいに変化し多くの特色ある武術を生み出しました。少林羅漢十八手はその中でも特に優れた套路といわれています。
少林羅漢十八手には十八の技法があり、拳路は往復するだけの簡単な構成で二十四の動作を行います。 短い套路(型)の中にも六種の拳法、二種の掌法、一種の肘法、四種の腿法、五種の拿法があり、それぞれに異なる用法が存在し、攻防を兼ね備え、上下の動作を合わせ持ち、技法は変化に富んで、学びやすく且つ大変奥の深い拳種です。
少林羅漢十八手はひとりで行う動作を修得した後、その形をそのまま対練(約束組手)として応用でき、武術に必要な基本を身につける上で大変優れた套路です。


少林羅漢十八手

武当山と武当武術 Wudang Wushu

中国湖北省にある武当山は元末明初の道士張三豊が開いた道教の聖地であり、張三豊の伝えた武術は武当武術と呼ばれ、嵩山少林寺の少林拳と並んで中華武術の二大流派として世界的に有名です。


玄武拳 Xianwuquan

玄武拳には両儀拳という名もある。道に曰く “陰陽合して太極となり、分かれて両儀となる” この拳はあるときは速くまたあるときはゆっくり動き、剛柔、快慢が千変万化し陰陽を兼ね備えた特徴を持つ。ゆえに “両儀” という。 この拳は太極、形意、八卦、六合拳の主要な手法からなり、筋骨を強化し、全身を練り、気血を養うと共に、制敵護身の法として用いることもできる。剛柔虚実を相い備え、巧、変、詐の手法があり、摛拿封閉、点打薄弱、披斬円截の各技法を含む。遠ければ腿法を用い、近ければ手法、靠法、膝、肘の法をもって攻撃する。養生、技撃、気功を集約した套路である。 その風格はあたかも龍が進むようであり、また、身を沈めたときは虎が座するようである。稲妻が閃くように発し、実戦では常に后発して先を制する、太極門の秘伝長拳である。



玄武拳