その保守性から、中国本土でも伝承者が非常に少ないといわれる希有拳種孫臏拳(そんぴんけん)。
中国山東省青島(チンタオ)に伝承される孫臏拳は、技撃と歩法に大きな特点を持ち、身法において龍腰勁、鞭稍勁を重んじ、また、象鼻拳を併用して相手の穴位をピンポイントで打撃する。孫臏歩と呼ばれる特殊な歩法を用い、その素速い進退動作も全て攻撃によって構成されています。
孫臏拳は大架(96手)、中架(32手)、小架(74手)、四套(108手)、五套(55手) の五つの型(365手)が連関してひとつの套路を構成し、他に十式と呼ばれる基本功(十種類の基本訓練)や、三十二手の対練(組手)などがあります。





開祖孫臏

孫臏拳は、戦国時代の軍略家であり孫子の兵法を編纂した孫臏をその開祖としています。
孫臏は幼くして両親を亡くし、少年期は牛の放牧をして苦しい生活を送ったといわれています。後に龐涓(ほうけん)と共にと鬼谷子より兵法を学びましたが、その後魏国の軍師の地位に就いた龐涓は、自分よりもはるかに優秀な孫臏が他国において自らの敵となることを恐れ、濡れ衣を着せて魏国に軟禁しました。
軟禁状態の孫臏はこの期間武術の技を1日1手書き留め、1年間で作り上げた365手の武術が、現在まで伝承されている孫臏拳といわれています。

孫臏

長袖拳

孫臏拳は袖の長い服を着て、手を振り回すように攻撃したことから、長袖拳という呼び名があります。
一説では、殺意を暗蔵する目的で長袖に拳を覆い隠したといわれ、また別の説では、袖の内側に古銭を縫い付け、暗器として鞭のように振り回し敵を打撃したともいわれています。
三出一主という口訣に代表される、常に拳脚同時に繰り出す攻撃に特徴があります。


孫臏拳の歴史

師祖張景春は清末、山東省荏平縣の人で、綿花商人であった。幼い頃から武術を習い、綿花の商売で各地を巡り、広く武術家との交流を行なった。時はまさに鏢(ひょう)師、鏢護院が切磋琢磨していた時代であったが、張景春は武術家との交流において常に孫臏拳を用いて勝利したことから、張景春の名は冀魯一体に知れ渡った。
張景春の弟子は張金嶺、魏金鳳、楊明斎の僅か3名であったが、現在知られている限り、張金嶺に弟子はなく、魏金鳳にも僅か一名の弟子の名が伝えられているだけであり、この弟子も現在解っているのは程という姓のみで、名前は不明であり、それ以後の伝承の記録も残ってはいない。現在山東省を初め、台湾、アメリカなど世界各国で練習されいる孫臏拳は全て楊明斎からの伝承である。
山東省青島国術館の館長を務めた楊明斎は多くの弟子に孫臏拳を指導し、また、数々の試合で好成績を収めたことから、山東省の稀有拳種としてその名が知れ渡り、現在も山東省青島にはその伝承者が多い。

孫臏拳一代総師 
楊明斎 

世間に孫臏拳の名前が知られるのは、清末近代孫臏拳の師祖張景春からであり、武術の歴史としては新しい。
中国では文化大革命以後、国家遺産としての伝統武の衰退を憂い、 1982年、中国国家体育委員会により、武術遺産控掘整理として、中国各地の伝統武術の発掘と整理が開始され、査拳、蟷螂拳、文聖拳、孫臏拳の四拳種が、山東省四大拳種として指定された。


徐自良老師と孫臏拳譜

趙永昌先生は徐自良先生の賛同と、省体委武術発整導小組の推薦により、〈孫臏拳〉書稿の編集作業を開始。1984年より〈孫臏拳拳械録〉を執筆し、山東省体育資料等で発表。また同時に〈孫臏拳〉書稿の執筆にも着手し、1986年北京で開催された、武術遺産控掘整理表彰大会において好評を博した。

趙永昌老師

1931年5月27日山東省青島市生まれ。幼少より少林拳、太極拳を学ぶ。1965年より徐自良、張文徳の両師に師事し孫臏拳を学び、基本功、大架、中架、小架、四套、五套、奇勢等、全伝を修める。
1990年4月青島保安培訓中心が組織され、訓練官並びに館長を勤め、1995年までに十期、二千二百余名を育成、同年隊を編成し、青島氏柔道比賽に参加、団体の部で優勝、青島市武術散打比賽において二項目で冠軍、一項目で亜軍を獲得。
1990年5月青島市南区武術協会副主席兼秘書長に就任。1991年4月隊を引率して青島市武術比賽に参加、内6名が冠軍を獲得した。
1990年5月7日全国で初めて孫臏拳研究会を設立、会長に任命され孫臏拳の研究、普及に努める。

青島武術協会顧問
青島孫臏武館顧問
中国武術段位七段
国家武術1級教練
青島保安訓練中心訓練館館長
青島市市南武術協会付主席
青島市南孫臏拳研究会会長
国家武術散打裁判員
日本孫臏拳協会総顧問
孫臏拳の使用法を
指導する趙永昌老師

保安培訓中心での指導風景
青島(チンタオ)にて
  趙永昌老師と

国際孫臏拳連盟(台湾)

孫臏拳が台湾に伝わったのは、楊明斎から孫臏拳を学んだ高芳先が国民党の蒋介石と共に、大陸から台湾に渡ったことによる。
その後大陸より孫紹棠先生が訪台して中国文化大学にて教授を行い、国術組の正課として練習されるようになった。
現在台湾精武体育会会長黄連順老師を中心に孫臏拳国際連盟を発足し、世界各国に分会が組織され、天龍武術会(日本孫臏拳協会)も孫臏拳国際連盟の日本分会となっている。

高芳先 先師

台湾にて唐人屏先生
(孫繽拳国際連盟総会
副主席兼中華台北会長)と
擒拿技法を指導中の
蔡明雄先生(台湾台中市)
孫紹棠先生
 中国文化大学
  国術組(台北市)