るうでんすの日記
わたしの非日常的日常



わたしの生活のご紹介、です。
ご要望にお応えして、本日分より、さかのぼってお伝えします。



2005 October

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10月31日(月曜日・ハローウィン)

Treat and Trick!!!

おさんぽの前哨戦として、新都心の郵便局まで行きました。
車のドアの開け閉めだけでも、冬そっくりのビル風が吹き込んできました 
{{ (>_<) }}
新都心は埼玉スタジアム2002に似て、閑散としたところであります 
(^^ゞ

待つことしばし・・
そのあいだ、おかあさんは簡易保険の諸手続をしていたのであります。
以前から加入していたものでありますが、民営化に伴い、戸別の集金が廃止になったのが7月のことでありました。
振り込みに変更する書類が“送られて”くるハズだったのであります。
それが、いっきなり!! 督促状が送りつけられてきたのでした .。ooO(゚ペ/)/ひゃ
そこで、本局である新都心まで行ったのでありました。
郵便局は、とぉーーってもていねいなところだそうです 
f(^ー^;

帰宅する前に、オカノ鉱油で車にごはんを食べさせました 
(^・^)
ヨシダくんが、
“直ってよかったっスね〜 
f(^ー^;
かなりシツコイにゃ〜
安いオカノ鉱油でも、灯油が18l\1880とありました。
冬が越せるかどーか 
(・_・、)

車を駐車場に寝かしつけてから、いつものおさんぽにも行けました 
=^_^=
おにーさんは、PTTから持ち帰ったラーメンのギフト集を興味深げに見ていました 
(^^ゞ

カメラのさくら屋で、デジカメの写真をメモリカードから何枚かプリントしてもらいました。
先週の叔母さまたちとの会食のものです。
社長がすぐに取りかかってくれました 
(^・^)

できあがる前に、洋々堂の方へ行くと、中のものをトラックで搬出していました。
無惨なものです。
工事の方が顔見知りだったので、カヨコさんたちの様子をうかがいました。
階上にいるということでしたが、元気でいることだけを確認し、わたしたちはその場を去りました・・

路上にて、チワワづれの老夫妻に会いました。
以前一度見かけた方たちでありました。
“ちょっとお伺いしたいことがある”と、呼び止められました 
ム゚゚?)
わたしのように、肩に乗っておさんぽに出る“躾け方”を問われました。
だっからー!!
おかあさんに躾けられたのではなく、わたしがおかあさんを躾けたんだってばー 
=^_^=
それは、多くの猫がすることではないでしょうか?(失笑)

おかあさんはキッチンで忙しそうでありました。
BGMは、NHKFMのクラッシックにつづき、懐メロ番組となっていきました。
『メモリーグラス』だの、『Goodbye My Love』だの、わたしは初めて聴くよーな 
f(^ー^;
この番組をおかあさんは好きらしいです(失笑)
おにーさんは♪いつものよーに 幕が開き〜 という歌を歌いながら午後の診療を終えると階段を上がってきます 
(^^ゞ

しかし、今夜はレセプト作業準備のため、なかなか上がっては来ませんでした。
わたしが先にいただくほど遅かったのです。
やっと上がって、人間のごはんが始まろうというとき、夜間急診がありました。
カヨコさんでした!!
やっぱり疲れちゃったんだろうな・・

診療のあいだ、おかあさんはテーブルで、檸檬の万年筆でおにーさんの宿題をしていました。
医師会のせんせい方は作文がとてもお上手です f(^ー^;
“だいたいこんなところ”の、当たり障りのないものができたのではないでしょうか 
(^^ゞ

今期初めて土鍋の出された夕食でした。
わたしにとってはデザートタイムだったので、“早く〜早く〜”と急かしてあげました 
(^-^)
人間を躾けるというのは、日々の努力が肝要であります (^^)v


10月30日(日曜日)

すヰーとハードな日曜日でした f(^ー^;
寒い予報はあたっているとはいえませんでした。
フリースのタートルシャツを佩用しているおかあさんは暑そうでした。

愛機は順調です 
\(^^@)/

ファームランドみぬまに行くと後続して、患者さんの方が降車しました。
よく会うにゃ〜 
(^^ゞ
またも、頬に手をやり、おにーさんのポーズからお話が始まりました。
また、洋々堂のことも話題にのぼっていました。
ご常連が次々に来店していました。

お野菜を買い、ハラダ夫人に“ここからだったら”と角上への道順を伺いました。
彼女は裏道ばかりを使うので、おかあさんに遭難させられてしまいそうなので、大きな道での行き方を教えてもらいました。
わたしもヘンだと思っていたのであります。
先週は、運転手が第二産業道路へ出ることばかり優先していたので、大きく旋回していましたから 
(хх,)


東浦和方面では、おかあさんはしばしば遭難するのです。
しかし!予測を大きく外し、おかあさんは真一文字に角上に到着しました 
(^^ゞ
メインの駐車場には、待ちの長蛇の列が見えたので、第二駐車場へと向かい、わたしは車内待機であります。
意外にも、おかあさんは早く戻り、荷物も小ぶりでした。
あんまり人がたくさんいたので、身動きもできなかったもよう 
f(^ー^;

さらに驚いたことには、角上からもうひとつの目的地、UNIQLOへも無駄走りせず到着しました 
(O_O)
地図を見ないままのドライブで行き来できる不思議 
(?_?)

いっしょにお店に入るとびっくり!
レジには10mばかりの列ができていました .
。ooO(゚ペ/)/ひゃ
たまさか駐車場に列のできる同店であります。
待ちがなかったので店内の混雑は予想もしていませんでした。

混雑する店内でマチコさんご注文の品はすぐに見つかったものの各色ありましたので、ケータイにて色の確認をしました。
2枚\2500とあったので、おかあさんの分も買うことになりました 
(^^ゞ
マチコさんはネイビー、おかあさんはサーモンピンクであります。

“ねこちゃんかわいい!”コールもありましたが、ほとんどはご自分の買い物に没頭していました。
あまりの人混みに、わたしたちはロクにお買物もできず、おにーさんのシャツは買えましたが、叔母さまの分は何も買えませんでした 
(・_・、)

帰りにマチコさんのブティックに寄り、ご注文の品を届けました。
パジャマのままお洗濯をするお出かけ前に用いるのだそうです。
てへ、おかあさんも同じだったりして 
(^^ゞ
マチコさんが、車にいたわたしにちょっかいを出そうとしたので、“くかぁっ!”と応酬しました 
(@_@。

おかあさんはこの時、既にエネルギーemptyでありました。
人混みは好きなのに力量が不足なのです。

帰宅し、わたしがおにーさんの寝台にいると、“はいほー!”の声がしました。
欧州視察の旅行からもどったヤリちゃんの、早速の乱入でありました 
f(^ー^;
ミュンヘンから、ハローウィンのチョコレートのおみやげをいただきました。
黒猫で装飾されたものです。

ひさしぶりのこととて、彼女たちは積もる話をしておりました。
ヤリちゃんはミュンヘン、チューリヒ、ローマと巡ったのだそうです。
視察の合間にも、各所の市内観光ができたそうです。
日本人観光客のパワーにも呆れていましたが、三越ってどこにでもあるのですね〜 
(^_^)

“何でこんなに渋滞するんだ?”
“自分だって乗ってる”
のよーなこと、ですけど 
(^^ゞ

おかあさんからは洋々堂の火事のことも、ヤリちゃんのいないあいだのことを様々に語っていました。

ゆうごはんに配された角上のまぐろのお刺身はとろけるようでした 
)^o^(
人間の食卓には、わたしの余りのお刺身と、やはり同所調達の直径10cmはあろうかというホタテの2連串刺しフライもありました。
さすがのおにーさんもおかあさんも食べ切れませんでした 
f(^ー^;


10月29日(土曜日)

変わり身の早いことのたとえどおりの秋の空です f(^ー^;

一連の午前中のごようをすませ、メルチェをすると、ネット接続のコース変更確認をするものがありました。
昨夜、ついに!!業を煮やした(失笑)おかあさんが、ネットから光接続の申し込みをしていました。
でも、今申し込んでも工事はいつのことになるやら(嘆)
もっと早く申し込んでおけばよかったです 
f(^ー^;

おにーさんの昼食が終わると、おかあさんはチノパンツから黒いパンツスーツ(日曜日にも着ていました)に着替えました。
“一応、十七回忌ですから・・”
と、西口のイワサキさんちに叔父上の焼香に出向いておりました。
わたしを同行しなかったのも、彼女としては儀式だったのでしょう。
お線香を上げ、当たり障りのないお話をして帰宅しました。
デイケアに通う叔母上とは、唱歌『故郷』、『里の秋』をいっしょに歌ってきたそうです

♪あーあ かーさんと ただふーたーりー
わたしより、先代のガブリエルさんの最も好んだ歌だそうです 
(^・^)

再び着替え、やっと!! わたしのおさんぽタイムであります =^_^=
おりしも雨滴が2粒3粒と降下し、ショートカットコースとなりました(涙)

アオキ花屋さんでクラッチブーケを求めました。
“本屋さん、タイヘンだったわね〜”
わたしたちが親しいのを知っているとはいえ、同じ駅前のお店なので、ここでも洋々堂のことが話題になっていました。
シャッターの2尺ばかり上がったお店にはブルーシートがかかっていましたし、見上げれば自宅部分にはグリーンのビニールシートで覆われていました。

おうちに帰ると、おかあさんはキッチンであります。
わたしのゆうごはんはQeen's ISETANのローストビーフでありました 
\(^^@)/
こういうメニューは翌日にも繰り越されるのですが、最近のわたしはこれを喜びとしません。
よって、半量はわたしのお皿、残りはサンドウィッチとなっていました。
それでもよろしいのですが、何でマチコさんの差し入れ分になるのか、わたしは全くもってナットクがいきません 
(-.-#)

しかも、マチコさんのところへ行けば、立ち話の長いこと!!
ナイショのお話が多すぎるのです 
(^^ゞ

おかあさんが戻るのをお玄関で待っていたわたしは、即! 大運動会を始めてあげました 
=^_^=
ふふふ、体育1のおかあさんとは違います 
(^^)v
息をきらしたおかあさんは、“食べる子よい子、眠るとよい子”の家訓をつぶやくのでした 
(^^ゞ

診療終了後、今夜はおにーさんは夜間診療所のお当番でしたので、いっしょに送って行きました。
運転席のヘッドレストから浦和の街を観ていると、景観の急激な変化に驚かされます。
古い建物は、叔母さまのところとちがって、破壊され、また新しいマンションが建ち、新しい暮らしの光が灯っています。
・・てなことを、おにーさん作文には書くことでしょう 
(^_-)-☆


10月28日(金曜日)

まったくのシャンプー日和でした。よって、決行!! \(^^@)/
新しいシャンプーは具合がよろしいし、軍歌の斉唱もたからかにて終了しました。
シャンプーの頻度は、2週間では短く、3週間ではちと長い、とタイミングはビミョーであります 
(^・^)
わたしはお風呂が好き 
(*^_^*)

おさんぽタイムには真っ白に仕上がっていました。
でも、最初に行ったのがマチコさんのブティックしきでありました 
(-.-#)
マチコさんが、UNIQLOの“何か”がほしいと云うので、新聞のチラシで確認に行ったのでありますが不在でした。
新しい店員さんがお店番をしていたので、わたしも検分しました。
おかあさんが“よいひとが入った”とは云っていましたが、わたしは一応、威張ってあげました 
=^_^=

HOPビルを経過し、カメラのさくら屋に入りました。
ちょっと聞きたいことがあったのです。
でも、先に社長からら小声で同じことを云われてしまいました 
f(^ー^;
当院で胃の精密検査ができるか、ということだったのですが、専門でんがね 
(^^)v
どーぞ!どーぞ!どなたさんでも安心してご来院くださいな 
(^^ゞ
白衣を佩用しているうちは、院長は至って真っ当です 
m(__)m

わたしたちの方は、デジカメ画像のCD焼きの料金を聞きたかったのでした。
おにーさん一家は、昨日、ケータイの契約変更に行ったところ、何が何だかさっぱり埒があかず(嘆)、その代わりデジカメと専用のプリンタを購入したのだそーです 
(@_@;)
この使用法も埒があかないのですが(失笑)、とりあえず、記憶メディアはCDにすることになりました 
f(^ー^;
わたしたちがしてもよいのですが、@\525だそーです。フム〜 
ヽ(^O^)ゝ

そこで、先にいたお客さんが、“サクラヤのポイントカードは使えるか?”との会話が耳に入りました。
社長が説明してもご理解をいただけないので(失笑)、わたしたちが後を引き取りました。
やっとご理解いただけたところで、彼はポイントカードを消化するために、浦和のさくらやへと向かおうとしました。
“ちょっと待った〜!”
おかあさんの余計なお世話であります (^^ゞ
さくら屋の方が、もっとずーーーーーーっと大きいさくらやよりも、カメラの値引きはよいことをお話し、ポイントカードは別のお買物に使ってもらうことにしました。
さくら屋の客引きをしてしまいました 
f(^ー^;

洋々堂では、シャッターが半分開き、中での作業がされていたようです。
わたしたちは敢えて声をかけませんでした。
タイヘンに決まっているのです。
罹災から1週間が経ちました 
(・_・、)

おかしのまちおかから出たところで、イシハラさんに出くわしました。
“また、何かのコレクションですか?”
(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
(7月25日の日記参照)
“それにしても、車、直ってよかったですよね〜 
(^・^)
わたしたちの借りている駐車場は見張られているようです 
f(^ー^;

帰宅し、おかあさんがキッチン作業に入り、すぐに終了し(叔母さま分といっしょにできてしまうから)、またも! わたしの抗議を無視し(嘆)、マチコさんのところへ差し入れに行こうとした、まさにそのとき! でありました。 
わたしの陣取っていたお玄関のドアが開き、
“こぉーんにっちわーー!”
とマチコさんが乱入してきました! 
.。ooO(゚ペ/)/ひゃ
逃げるわたしを、
“何が『きっ!』だよ!”
と云いながら、マチコさんに抱き上げられてしまいました 
(・_・、)
多分、わたしの血に流れるショーキャットの悲しい性のせいであります。
おかあさんはといへば、わたしにすぐさま救助の手をさしのべるかと思いきや!!
デジカメをば取り出し、のうのうと撮影をするではありませんか!(嘆)(嘆)(嘆)
出来上がった写真は、わたしが大きく口を開いているものだったぞ! 
(`_´) 

マチコさんの本来のご来訪目的は、UNIQLOで“買ってきてほしいもの”でした。
リーバーシブルのフリースベストなのだそうです。
猫と同居すると、たしかにナイロン素材を表面にできるものは必要かも 
f(^ー^;


診療が終了すると、わが社は魔界のやふです(嘆)
ビールに始まり、人間はわたしと同じさんま@\79をウマそうに食しておりました。
わたしが“おいちい”と評価したものなのですから、当然であります 
( ̄^ ̄)
会話はメチャクチャだけど(嘆)

食後、わたしがソファのおにーさんの定位置にいると、TV観戦をしようとしたおにーさんは戸惑いをみせました。
おにーさんはデザートの果物ではモノ足らないのか、おかあさんに“せんべいは?チョコレートは? 
(--)ム!”というように云うたびに、おかあさんが走っていました。
おかあさんに席を移動され、チョコレートで与されました

“そぉんなに舐めないでよ(嘆)”でも、禁断の果実のなんとおいちいこと! =^_^=


10月27日(木曜日・休診日)

夜来の雨は、♪ちゅんちゅん の声で終焉が告げられ、昼からは秋晴れの日となりました (^・^)

雨が止む前、おかあさんは3Fに放置したままの未整理のもののなかから、洋々堂援護物資を物色しておりました。
オソロシイもので、掘れば出てくる出てくる 
f(^ー^;
これでは、カヨコさんにお聞きしなければ、何を持っていいかわかりません。
と、ここで挫折(失笑)

室内には、発掘されたnintendoの初期のころのファミコンを持込まれました。
箱入りのほとんど未使用のものであります。
わたしの登場したころには、すでに箱に封じ込まれたままだったのではないでしょうか? 
(O_O)

晴れたところで、車を出しました。
まず、ホソカワさんの工場へ回復した姿のお披露目に参りました 
(^・^)
ワカモノたちも感心しておりました。
“お気を付けて”と送られるのって、居心地のよろしいものではありません 
(^^ゞ

行った先は、浦和三越であります。
せまーーいけれど浦和にもあるのであります 
f(^ー^;
わたしはまた! 車内で待機でありました。
おかあさんは間もなく戻り、青い包装の袋を手にしておりました。

近くにあったお仏壇屋さんが移転してしまったので、お線香も買えなくなったのです。
でも、ご仏前へのお供えは三越包装の方がよいのかもしれませんけど 
f(^ー^;
またも、わたしの登場する前年に亡くなった叔父さまのお命日なのだそうです 
(-人-)ナームー...

こんな近場のドライブでも、街の景観がすっかり変わるのに気づきます。
“ココハドコ? 
\(・_\)アレ?アレ?アレ?”というように、前方には見たこともないマンションが出現しているのが常なのです。
何やらのNPOが古い建造物の保護を訴えているそうですが、それも“宜なるかな”の感があります。
大宮と浦和の違いであります。
てへ、わたしたちは“古いものが好き“ということになってるからにゃ〜 
=^_^=

外出の時間が少なく、わたしは不満が募りました。
食欲だって、なくなります (-.-#)
おかあさんたちのゆうごはんのあいだにも、不満を強調しました。
そんななか、おにーさんのシャツがほころんでいたことが発覚しました。
すり切れていたので、もう使い物にはなりません。
おにーさんはそのままゴミ箱へポイしましたが、そのまま捨てることはわたしたちにはできず、お洗濯してから、“今までごくろうさま“と一礼し・・結局は捨てることになるでしょう。
おかあさんは伝染したストッキングも洗ってから捨てます。
再利用する手段が簡易なら、リサイクルには賛成したいところですが現実にはポイするだけです 
(^^ゞ


10月26日(水曜日)

曇り空からはやがて雨の落ちる、寒い日となりました。

叔母さまのところへは、いつと別のご用もあったので、おにーさんの昼食の用意をしたところで出発しました(汗)

行ってみれば門前にベビーバギーがあり希有なる患者さんがおりました 
(^^ゞ
わたしはあわてて、“うわーかわいいねこちゃんだー!まっぁ白!”の若いお母さんの声を後に、一直線に定位置へと走りました。 
==;
彼女の足は5本指の靴下だったのは見逃しませんでした 
(^^ゞ

赤ちゃんはBCGか何かの接種の後らしく、また!!おかあさんは経過観察に付き合っていました。
おかあさんの心の中から“ンなことしてるバヤイぢゃなーい! 
∫(TOT)∫(←ムンク)”という叫びがわたしにも届くようでした(失笑)

叔母さまは居室に戻って、外出のために化けていました。
長ーーいお支度が終わると、わたしたちの持って行った、ニシハラ小児科医院掲載のサイトのプリントアウトに見入っていました。
(10月22日の日記参照)
ちょっと得意そうでありました

わたしたちだって、そぉーーんなリッパな建築とあれば、見直してもいるのであります。
いつもは厄介者の扱いをしているのに(失笑)写真映りだけはよろしいのです。

赤ちゃんたちを帰すと、焦りに焦っておかあさんは四角い部屋を丸く掃くという、ショートカットコースにて一連の家事に入りました。
“終了!“の鬨の声は予定だった時間にぴしゃり! 
f(^ー^;
そして、わたしを残してふたりは車で外出していきました 
(-.-#)


大宮の医師会病院脳ドックに行ったのであります。
叔母さまの脳は心配だものにゃ〜 
(^^ゞ
MRとCTの検査には約1時間を要しました。

叔母さまの検査のあいだ、MR室の待合い室で医師会の会報をみつけ、ぱらぱらとめくっていたそうです。
おにーさんの作文の案をパクろうとしていたのはミエミエ 
(^^ゞ
参考になるものはなかったものの、句会のページに、おかあさんの戯作がずらずらと並んでいたそーな 
(^^ゞ
あとはPC雑誌を熟読し、よい時間つぶしとなったそうです。

叔母さまの検査は、全て句会のおもりもしている検査技師さんが手配してくれたそうです。
手間のかかるお医者さんであります 
f(^ー^;
“いつもいつも、いっつもスミマセンね〜
(^^ゞ
おかあさんのお礼のことばはいつもひとこと余計かもしれません。

検査が終わったところで彼は駐車場までお見送りくださったそうです。
叔母さまはネットサイトに掲載されたことを話していたそうです。
技師さんも調子を合わせ、さらにわが車のことにも感心したそぶりであったといいます。

帰宅したところで、かぼちゃのプリンでお茶をしました。
ハロウィンの季節です。
叔母さまには、ハロウィンのマカロニも届けていました。
わたしもとてもおいくいただきました。
季節行事には、党派を超越して参加することにしています (^・^)

と、そこに至っておかあさんは気づくのでありました。
タニイさん(検査技師の方)は、何でわたしが事故をしたこと知ってたみたいぢゃない!!”
たった一度、句会の日に叔母さまを送って行かなかった日があるのです。
おかあさんは電車で大宮へ行った日で、わたしはお留守番をさせられていたのでありました。
その日しかない! 叔母さまが皆さんに宣伝したのは!!
・・“ひとこと多い”DNAかも(失笑)

古いおうちに、年代物の車、しかも“子連れ”ならぬ“ねこ連れ”。
おかあさんは好きでやってるんだけど(失笑)、噂になんてなりたかーない! です 
(・_・、)

叔母さまから『お見舞い』の赤いのし袋を用意してもくれていました。
愛機の退院祝いだそーで、修理代支払い担当のおにーさんにそのまま渡せば、
“ゴチになっちゃいなさい 
( ̄^ ̄)
というので、わたしたちのリンジシュウニュウとなってしまいました 
´_`


10月25日(火曜日・お月給日)

暑いくらいの陽気でした。
おかあさんがキッチンで火を使い続けているから余計です 
(^_^;)

お昼から始まった作業は、わたしのおさんぽで中断してもらうことにしました 
=^_^=

中山道を渡ると向こうからオカノ鉱油の社長のニシ氏がにこにことやって来ました。
“車、直ってよかったね 
(^_^)/ 
ニシ氏は、わが車が駐車場にないことを連日確認し、また戻ってきたことも知っていたようでした。
わが車が駐車場に常駐することになった時にも、彼はすぐに気づいたのでした 
(・_・、)
事故については、聞かれるままに事故の状況を説明するおかあさんでありました 
(^^ゞ

カメラのさくら屋を“おーい!どこ行くんだ”にも挙手で応えるだけで通過し、わたしたちは駅の西口に向かいました。
洋々堂の営業がストップしているので、配達してくれるサンデー毎日をわたしといっしょに調達できるのは、西口のキオスクだけなのです 
(・_・、)
西口にあった本屋さんも沈没してひさしいです。

車で通ったときに、『本』という看板を見かけたのでNTTの裏に行ってみました。
『本』の下には、“買い取ります”の文字がありました 
(-.-#)

再び駅構内から東口に戻ろうとすれば、『市展』開催中の県立美術館帰りとおぼしい婦人の集団に囲まれました 
=^_^=

さらに東口では、
“写真を撮らせてもらっていいですか?”
と、ランドセル少女から求められました。
断る理由とてなく、彼女のケータイでの撮影に応じました。
ケータイには彼女の飼い猫さん、チンチラゴールデンの写真がおさめられていました。
“ですます”調のていねいな少女でありました 
f(^ー^;

洋々堂の前にはおにいさんがいました。
まだ残務整理が果てしなく残っているのです。
ごあいさつにみえる方もひきもきらないようでした。
火事のお見舞いには、“お見舞い”の赤い熨斗袋は使うものではないようですが、わたしは多数見かけてしまいました 
(^+^)

イハラ屋さんで近火見舞いを告げつつ、お豆腐を求めて戻れば、洋々堂の裏が目にとびこんで来ました。
裏側のガラスは全て無い悲惨な姿です。

再びさくら屋を通りかかれば、素通りはできません。
“なーに買ってきたの?”
から油売りは始まるのです 
(^^ゞ

本屋さんのないこと、文房具屋さんもなくなったことを話すと、浦高前の圭文堂は、経営者は変じたものの文房具屋さんとして復活しているそうです。
“あっちの方は方角がわるいから行ってないの 
(^^ゞ
とおかあさんが元の住まいを示唆すれば、たちまち反応して吹き出すのが社長であります。
ったく、こーゆーときには回転が速いヤツです 
(・_・、)

さらに、お店のみんな(客なし(失笑))に、“車が直って、明日は叔母ちゃんちに行くんだ”から始まり、車の修理代(不覚にもきのうホソカワさんのところの領収書を見せてしまったから)を正確に伝え、叔母さま宅の様子から周囲にいたるまで、“あれ?シゲちゃん知らなかったっけ?”という部分まで、伝えるのでした。
記憶力のよいことです。
この頭の良さを他の役に立つことに使えばよいのです 
(`へ´)フンッ。
“オモシロイところだけしか覚えてらんない 
(^凹^)ガハハ
だそーでした。
この街には、個人情報の保護という概念とて皆無(失笑)

帰宅すれば、おにーさんがスタッフミーティングでのケーキを半分食べた形跡のままソファにおりました。
お買物のおかしのまちおかの袋を見て、直!!
“何?
バッカスチョコレートぢゃないか!
おにーさんに出しなさい 
<(`^´)>
威張らなくてもアンタのためのものですよん、袋を透視しなくても 
f(^ー^;

おにーさんを午後の診療に追い出し、おかあさんがキッチンに入ると間もなくマチコさんが乱入してきました 
(@_@;)
マチコさんのブティックしきにはやっとお店番のできる店員さんができたのです 
(^・^)

折しもおかあさんはお刺身を切り分け、わたしの分は火にかけたところでした。
切りかけのお刺身でマチコさんの分も作っている手は休められませんでした。
マチコさんはわたしに近づき、抱き上げたのであります 
.。ooO(゚ペ/)/ひゃ
わたしの困惑のままおかあさんに訴えました。
・・おかあさんは笑いました(嘆)(嘆)(嘆)

マチコさんにより、キッチン作業は中断され、ささやかなお茶の時間となりました。
ダイニングのテーブルに残っていたおにーさんの残りのケーキは、マチコさんの口に入る運命となりました 
(・_・、)
“フォークは食器棚の『ありそうなところ』にあるから、自分でとっといで”に、マチコさんは嗅ぎ当てておりました。
・・でも、おにーさんの残したものです。
しかも、フォークの形跡とてありませんでしたでした 
(^^ゞ 

マチコさんは、“また抱いてやるからな!”と出て行きました。
なんちゅー挨拶!(嘆)

わたしはゆうごはんはおいしくいただきましたし、おにーさんとおかあさんのごはんもいつものように乱脈に終了していました。
角上の寺泊発の塩鮭もイクラのみそ漬けなるものも、イカの沖漬けという塩辛も、
“ウマイね 
(^・^)
と食していました。
塩分は10g以下原則を完璧に違反していました 
(^^ゞ

叔母さまも食には足りていましょう。
洋々堂の人々も、食にはいつもより楽しいかもしれないです。
チームプレーが活きるのが、こんなときでなければいいのに。
 


10月24日(月曜日)

青いお空を背景に、おとなりの柿の木には、色づくまで気づかなかった実がたわわに出現しました。
もったいない落果は路面付けばただの汚れとなりはてていました。

おさんぽでは、中山道をいつもの逆に浦和方面に向かいました。
こちらに行くのは、たいていはホソカワ氏の会社です。

ワカモノたちが明るく迎えてくれました 
(^・^)
わたしはカウンターに坐しました。
おかあさんはまず請求書を、次に封筒からお金の束を出しました。
振り込みよりも持込む方が早いのです。
ワカモノといっしょにお札を数え始めたので、わたしは体を背けました。
あ゛ー! 見たくない 
(хх,)

ワカモノたちはわが車がいかように新品の如くなったのであるかご存知ないのでした。
ここに見せに来ずに乗り回していたことに気づきました 
(^^ゞ

ホソカワさんのところでも、ですが、まだ北浦和の街では洋々堂の惨事でもちきりなのでした。
さくら屋の手前で、自転車の社長夫人と話していると、私立小学生・アイちゃんの下校を迎えていたイシイ獣医夫妻も加わりました。
みんな、眉を寄せて話すのでした


駅前まで行っても、わたしたちは洋々堂の建物を見上げないようにしていました。
ところが、まだ続いている消防の検証にたちあうカヨコさんの姿を認め、素通りもできず、
“だいじょーぶ?”
のお伺いをたてに近づきました。
おにいさんも傍らにいました。
どちらのケータイも鳴り続けるなか、わたしたちは長い立ち話をしてしまいました。

ケイコさんのところにいるので、洋々堂一家はとりあえずは食う寝るところに住むところは確保できているようです。
ケイコさんが10人の大所帯となったキッチンを切り盛りしているそうです。
大量の食事につき、おみおつけの分量は計測不能、“こーんや大きなお鍋で”(カヨコさんはたらいのように手を広げました)煮たところ、“余った”って、山古志村のようなことを言っていました。

“着の身着のまま”だったものが、屋上の洗濯室が焼け残ったり、親戚の方からの差し入れで不自由ななかにも、とりあえずは足りているようです。

おにいさんの履いていた靴は新品でなかなか洒落たものでした。
被災時に違和感があったので問えば、数年前のお誕生日のプレゼントにカヨコさんの贈ったものを、“痛い”とやらで放置していたものも屋上への階段に放置していたものが焼け残っていたのだそうです。
“痛いけどガマンして履いてる”のだそうです。

彼の被害には、5機あるPCは全部全壊もありました。
おにいさんは掌をグーからパーに転じてウィンクしました。

冷蔵庫はドアが融け、野菜室は無事で、まるごと1本入っていた大根は無事だったそうです。

そんなことを、“上がってみれば黒こげであきらめがつく”とカヨコさんは笑顔のまま話すのでした。
いっしょに笑いながらも、おかあさんの目からは涙をこぼれおちててしまうのでした。

通りかかる人は野次馬も居、また知り合いは労りの言葉をかけていくのです。

お隣の娘々のフジキさんも検証に立ち会っていました。
割れたガラスにかけられたブルーシートを切なそうに点検し、やはり笑顔を浮かべてくれました。
復旧には大家さんとの話し合いで決まるそうです。

洋々堂も娘々もファンの人が大勢いたことが、一声かけて行く人の多さでわかりました。

カヨコさんはこうも言っていました。
火元ではないので、“加害者ぢゃなくてよかった”と。

わたしは長話のあいだ、肩乗り猫からおんぶ猫、カヨコさん叩き猫と変幻しておりました。
洋々堂のカウンターの向こうにいないカヨコさんはカヨコさんではありません!


おゆうはんは、おにーさんは訪れたおともだちと近くのステーキのお店のこんどうに行っていました。
洋々堂のおにいさんの同級生のお店です。
奥様から“肥るから”と禁じられているお肉を忙々と食して帰ったので、おにーさんもすぐに戻ってきました。
わたしのごはんを終え、おかあさんの食事となったときのことでした。
おにーさんには、禁漁区とてなく、おかあさんが食していたテンペにも参加していました 
(・_・、)
おにーさんは何度も食したことがあるのに、“テンペって何だ?”と、マチコさんと同じことを云っていました。
インドネシアの納豆のようなものでせうか?
マチコさんは語感から、“絵”を連想したようです。
おかあさんの追記では、“帝銀事件かい? 
(^・^)”となるのであります。
テンペラ画家は、その人しか知らないから 
(^^ゞ
 


10月23日(日曜日)

極上の秋晴れでした (^・^)

こんな日というのに、おにーさんは産業医の講習会に行っていました。
叔母さま、従姉のえいちゃんも現地集合でした。
10時開始というのに、10時半にはおにーさんからTel は、
“迎えに来てよ。
で、いっしょにメシ食おうよ 
(^・^)
でありました。
開始30分のあいだの会話はごはんのこと(嘆)
昨夜だって叔母さまとおにーさんのTel は昼食が主題でした 
(^^ゞ

彼等がお勉強(だと、思いたい(^^ゞ)のあいだ、わたしたちは、秋のドライブ・・というより、食料集めをしていました。

まずはファームランドみぬま
わたしはバスケット内とはいえ外気に当たっていました 
=^_^=
バスケットが暖まるくらいの陽気でした。

お買物途中、おかあさんはケータイで従姉のよっこちゃんに、
“天然ものの山芋があるんだけど、買って行っていい?”
とご用聞きし、諾をえれば、“葱も”と追加注文を受け、
“つぎは魚屋さんに向かいます!”
と結んでいました。

ファームランドでも、洋々堂の一件が話題に上っていました 
(・_・、)

つぎは、角上水産であります。
第二産業道路は、みーんな70km/hで走行するらしい、です 
(^^ゞ
今日のテーマはわたしのまぐろのお刺身でありました。

酒屋さんのTOPにも寄り、お買物は終了しました。
わたしはずっと車中待機でありました。
よっこちゃんのおうちでも、です 
(-.-#)

帰宅して、おかあさんはキッチンでお野菜の保存やら下準備を終え、マチコさんのところへおすそわけに行っていました 
(・_・、)
帰りには、先般、バーゲン品の裾上げをお願いしていたパンツスーツを携えていました。
(18日の日記参照)

ほどなく、おにーさんからのTel があり、おかあさんはこのスーツに着替えていました。
“すぐに帰ってくる、と思う 
m(__)m
と出かけたのが午後5時前のことです。
市内のこととて、たかが知れています。
わたしはずーっと、その“すぐ”を待っていました。

8時を過ぎて帰って来たのは、まず、おにーさんでした。
おかあさんの声も階下で聞こえましたが、叔母さまの音声もしていたから、叔母さまを送り届けていたのでしょう。

日曜の夜道のこととて、大宮まで往復してもたいして時間はかかりませんでしたが、わたしはタイヘン不満でありました。
何しろ、わたしより先に人間たちがごはんを食べてしまっていたのですから!(嘆)

てへ、角上のまぐろのお刺身はとてもとてもおいちかったのです 
(^・^)


おかあさんたちは、お酒なしでい中華コースを食していたようです(失笑)

デジカメ写真を見れば、ロイアルパインズホテルの中華のコースを、赤富士を臨む早い時間から始め、つもる話をしつつ、2時間以上もかけて食していた、ということです。
たまさかのこととて、わたしは許します 
(-.-#)

おかあさんの持ち帰った品書きには、“前菜4品“から始まっていましたが、が前菜!
“ドッグパック”という、わたしとしては不名誉なものとして持ち帰ってくれたら、わたしも検分できたのですが、“残念・だと思う”とおかあさんは言っていました 
(^^ゞ

おかあさんはレストランで食材も尋ねてしまう客です。
メニューだってお店の方にお願いして持ち帰ります。

持ち帰ったメニューには、メインデッシュには、干したキノコ、網油のような食材が用いられていたそうです。
おにーさんにも、叔母さまにもえいちゃんにも興味のまないこと、だったそーな 
(^^ゞ

“変わった同級生”ということで、おにーさんとえいちゃんの情報交換はケータイで継続していました。

“ヘンなお医者さん”というオモシロイ種族についても、特命でないと語れないんだろーな〜 
(^^ゞ


10月22日(土曜日)

鬱陶しい雨です。
おうちの中は、お洗濯物が満艦飾です。
でも、洋々堂のことを思えば、そんなことは言ってはいけません 
(-.-#)
街は昨日の火事のことでもちきりです。

雨の止んでいるすきにおさんぽに出れば、まだそこらじゅうに焦げる匂いが残っていました。
焦土のなか、闇市から立ち直ったニホンはほんとーにえらいと思います 
(ロ_ロ)ゞ

駅前まで行くと、いやでも洋々堂が見えます。
窓ガラスが取り払われ、黒くなった室内におかあさんは目をそむけていました。

洋々堂がないのはほんとーにつまらないです。
北浦和には本屋さんも文房具屋さんも、瞬間無くなってしまいました(嘆)

おともだちに会わないのもつまらないことです。
ヤリちゃんはただいま欧州視察旅行につき、乱入はありません 
(・_・、)

夕方、おかあさんがマチコさんのところへ配達!(ですよ、アレは(嘆))に行けば、お客さんのお連れになっているお子さんのお相手までしているのです 
(・_・、)
マチコのところのお売り上げに協力なぞしなくてもいいのに 
(`_´)

ささやかにわたしの周囲のニュースもありました。
ニシハラ小児科医院の患者さん情報より、叔母さま宅がどこぞのホームページに掲載されている、というものでありました。
わたしたちのヒットでは、『都市風景への旅』というところに行き着きました。
写真写りのよい医院であります 
f(^ー^;
(実物はも・ちっと美しくないてす 
(^^ゞ)
“大宮のホームページで見た”というのですが、どこかからリンクされているのかもしれません 
(?_?)

叔母さまは全く知らないことだったので、プリントアウトしたものをFAX送信してさしあげました 
(^^ゞ
わたしたちには好ましいサイトなので、叔母さまにもお許しいただき(失笑)、サイト管理者にその旨と建造年代などを加筆し、メールしました。
ここまでが昨日、一昨日のことであります。

早速に管理者の方から丁寧な返信がまいりました。
“建築学会の意匠部関東地区歴史的建造物データベース”(な、何だそれ? 
(O_O))の委員をなさっている方でありました。
う゛!
おかあさんは権威にヨワイ 
f(^ー^;
しかし、叔母さま宅は建造物として価値のあるものなのかもしれません、『歴史的な』 
(^^ゞ
保っている叔母さままでがありがたーーい人のように思えてきてしまいました 
σ(^◇^;)

このメールのやりとりも、やはりプリントアウトして叔母さまにFAXしました。
叔母さまは何故か鼻高々でありました 
f(^ー^; 


10月21日(金曜日)

たいへんなことが起きました!!!
洋々堂が火事!! だったのであります!!

結論としては、一家5人は怪我ひとつなく無事に避難はてきたものの、3F4Fの自宅部分は全焼、1F2Fの店舗の本は水浸しでした。
午前の6時の出火には、TVでも報じられたそうです。
後で人伝えに聞いたところではNHKではなく4chだったそうです。

たいそうな消防車が出動したそうですが、中山道を行き交ったはずなのに、おかあさんは目も覚ましませんでした(嘆)
初めてこのニュースを聞いたのは、お昼にお買物に出たときの街の声からだったのであります。
その前に、おにーさんの羽毛布団を入れ替えようとカバーをお洗濯し屋上に干しに行ったときに、黒い灰があったのには気づいたのですがまさか火事とは思ってもいないことでした。

早速様子を見に行けば、洋々堂の前にはまだ消防車が連なり、鎮火の後の検証の最中だったといいます。
カヨコさんの姿を認め、一家の無事を確認するも、お手伝いなど何一つできないような黒こげが見えたそうです。
TVでは“北浦和駅前の洋々堂書店から出火”とありましたが、裏の袋小路になった数軒のお店が火元だそうです。
1F2Fには窓はなく、カヨコさんによれば、3Fの自宅部分の明かり取りの窓から火が吹き込んだそうです。
火元から煙突状態で洋々堂に飛び火したのでしょう。
火は急速に勢いを増し、みんなで着の身着のまま避難したそうです。
それ以上はできないことだったのでしょう。

住まいはとりあえずは近所に妹のケイコのお宅となるそうですが、衣食住、どれをとっても不自由に決まっています。

わたしたちは洋々堂の皆さんのことがとても心配で、とりあえず取って返したおかあさんはお見舞いを持ってふたたび洋々堂に走っていました。
おにいさんに渡しているときに、消防隊の中に、先日お見かけした顔があったので、思わず挨拶をしたといいますが、火事におなじみのようでヘンです。
(8月29日の日記参照)

その後、わたしがおさんぽに出たときにも、街はまだきな臭く、街は火災の話でもちきりで、駅前には見物人がおおぜいいました。
わたしは洋々堂には行きませんでした。
おかあさんだって、見物には行きませんでした。
洋々堂でなかったら、見物に行ったかもしれないけど・・・

駅前の交番の前には、消防車が駐まり、消防士さんたちがお仕事を終えて乗りこむところでした。
わたしたちはムカサたばこ屋さんと火事のことを話し、並びのお茶屋さんでおにーさんの申す“ふつーのおせんべい”を調達しているうちにも火事の話題でありました。

おかしのまちおかでもお菓子を買おうとすれば長蛇の列でした。
駅前にはやたらと人が多かったです。

朝の火事のこととて、バスから駅への乗り継ぎの通路にあたったところですから、たいそうなことだったでしょう。
中山道から駅まで通行止めだったそうです。

洋々堂は3月に改装したばかりです。
“30年の一度”のハズが・・・
復興の早いことを祈ります。

火事は全てが灰になるのですから本当におそろしいです。

洋々堂のカヨコさんもおにいさんも、少なくともおかあさんには明るく接してくれたそうです。
それだけが救いでもあります。

洋々堂の火事は天災のようなものです。

戦争は人工的な火災、人災です。
避ける賢さは、人間には持てないのでしょうか?:


10月20日(木曜日・休診日)

秋晴れの好日でした。
お窓からは心地よい風が入ってきていました 
(^・^)
外気といえば、それだけ。
わたしは外出しませんでしたから(嘆)

午前中には会計士さんの来訪がありました。
お茶出しをすれば、おかあさんは賞味期限切れのプリンを出し、あわてて引っ込めていました(嘆)

午後からは、月1の清掃業者が入っていました。
おかあさんは、お茶の用意だけして外出してしまいました 
(・_・、)

マチコさんのブティックもののワンピースをおろしていました。
いつにない長いスカートで床をおそうじしているよーでした 
f(^ー^;

おかあさんの不在の時間は長く、早い日暮れのあと、やっと帰宅しました。
大荷物であります。
しかし、内容は羽毛のお布団だったり、プラスチックのケースだったりで重量のあるものではありませんでした 
f(^ー^;

まず、羽毛の肌掛はおにーさんのものがお布団のカバーの中から羽根がこぼれるようになっていたのであります。買い換えざるをえないことでした。
ということで、ビックカメラの大宮店に行っていたのです。
大宮そごうと通路でつながっているビルなので、とーぜんそごうにも出向いていました。
わたしの缶詰はそこのペットショップの包装でありました 
=^_^=

包装だけ見ても、おかあさんは各所を巡っていたようなのであります。
靴まで買っていました! そのままウォーキングっぽい靴を履いておかあさんは帰ってきました 
(O_O)

お買物が好きなのにゃ〜 
(=^..^=)

夜にはおにーさんの医師会での読影のお仕事がありました。
予言どおり、1時間きっかりで帰ってきたので、以降は順調なゆうごはんでした。
わたしにとってはタイヘンなイベントでもあります =^_^=
わたしがよろしく召し上がらないと、人間の食事も始まらないのですから 
(^-^)

食後、ひさびさの『どっちの料理ショー』を観ました。
わたしには松茸もイクラも関心はありません。
おにーさんのように、“何かちょっと”を訴えれば、彼とは別に、おかあさんが別にマロンクリームのお菓子を出してくれました 
(^^)v
おにーさんは、“それ、何?”と覗いたので、少しだけ分けてあげました =^_^=
いただきもののお菓子は、うっかりすると賞味期限が切れるので、わたしたちはいつもG線上のアリアを歌い、すれすれのものを食してるかも 
(^^ゞ


ヤリちゃんは今、欧州への視察旅行とて、独逸の空の下あたりにいるのでしょうか?
金色の月が高々と上れば、外出ままならなかったわたしおかあさんに向かって“月に吼える”です。
ついにおかあさんが“殿! お静まりを!”と懇願しました 
=^_^=


10月19日(水曜日)

やっと見えた晴れ間です (^・^)

おにーさんの中食をすませると、わたしたちは叔母さまのところへ向かいました(汗)
途中、片倉の欅並木は紅葉を前に刈り込み作業をしていました。

“ギリギリセーフ”の時間のハズでしたが、もう門前にはベビーカーがありました(汗)
またも! ポリオワクチンだったです (・_・、)
“わ゛ー!猫ちゃんだ!”の若いお母さんの胸声のなか、わたしは一目散に定位置の縁側まで駆け込みました。セーフ 
(^^)v
しかし、おかあさんは、荷物の搬入もせず、そのまま受付仕事にかかりました。
お゛ー!ヤダ(嘆)

赤ちゃんのお熱を測り、順番に診察場へ導入し、終われば赤ちゃんが指しゃぶりをしないよう見張るのであります。
泣き声がしないと思えば、おかあさんがあわてて嘔吐する赤ちゃんの口にティッシュを運ぶ足音のけたたましいこと!(嘆)
そのまま口をふさがなくてよかったです 
(^^ゞ
猛獣のごときモノでも、お母さんには大切な宝なのでしょう。
たまさか聞こえる、あやし声に感心してしまうこともあります。
アンパンマンのぬいぐるみで、即興劇を演じてくれたりするのですから 
(^・^)

赤ちゃんたちの名前はいつもおかあさんを悩ませます(失笑)
まず読めない(失笑)
男の子か女の子なのかも不明 
(^^ゞ
“一二三”と書いて“ワルツ”、その下の男の子は“四五六”で“タンゴ”だったりするのですから 
f(^ー^;
次は“エイトビート”なのでしょうか? f(^ー^;

赤ちゃんたちは順番に帰り、最終場面、患者さんが@3人×2になったとき、わたしも待合い室に連行されました 
( ・_・;)
わたしは赤ちゃん子供の類を好みとしません!
おかあさんの手から飛び降りたら、着地に失敗し、“ドン”の音で、ちと痛かったのです 
(・_・、)
おかあさんも叔母さまも心配していましたが、なーに、無事にゃ 
(^^)v
叔母さまは、タザワせんせいのところに行くことを心配してくれました。
人間の脳下の名医のところに、わたしが行ってもいい、かも
(^^ゞ

珍なることには、その後も患者さんはつづいたのであります 
f(^ー^;
“お茶の時間にしたいわ〜”の叔母さまの望みの叶うのは、付近にネオンの帳が張られたころでありました。
叔母さまはわたしたちのことを『招き猫』として悪しくも感心しています。

わたしだって、あまりに遅い時間なので、“何かあったのか?”と、ニガテとする叔母さまに問うてしまいました 
(^^ゞ
つづけて、叔母さまの予定は医師会の句会に出向くことでもあったのです(汗)

叔母さまを医師会病院にお送りして帰途につきました。
今回の句会では、叔母さま代行作(失笑)が一席です。俳句の先生からの連絡が既にありました 
(^^ゞ

帰り着けば、当院の閉院の時間でした。
わたしのごはん(大宮の上総屋さんのお肉は、そりゃーおいちいものなのです 
(^u^))をおかあさんが拵えつつ、持ち帰った大量のタッパーを洗っていると、おにーさんが戻って来ました(汗)

そして、突如言うのです。
“今夜ははなの舞に行くぞ”と(嘆)
おかあさんはもうちょっと気の利いた幾軒かのお店、評判のハンガリー料理だの、蕎麦屋だのを提案していましたが、
“今は冒険はしたくはないぞ!”
のおにーさんに屈し、それでも嬉々として出かけて行きました(嘆)
そのあいだに、長く大きな地震がありました。
それでも、彼等(きゃつら)はものともせず、ビールを酌み交わしていたのであります(嘆)
“マ、センセイからどーぞどーぞ 
( ^_^)/□☆□\(^_^ )”といふやふに(嘆)

わたしは高い敷居をまたぐ彼等をお玄関で迎えました 
<(`^´)>

しかし、であります。
おみやげのサンマのお刺身は、不覚にもぺろりと平らげてしまいました 
(^^ゞ

叔母さま宅から帰途についたときにはとてつもなく大きかった月がきらびやかに天上にいました。


10月18日(火曜日)

朝から雨でした。
おうち中に恒常的にお洗濯物が干してあります 
=^_^=

火曜日というと、おかあさんは早くからキッチンにいます 
(・_・、)
声とてなくも、ヒトの血の匂いがしてきました 
ム゚゚?)
その匂いはどんどん広がりました。
お昼休みのおにーさんが入ってきたときには、おかあさんは“ハイルヒットラー 
...《^^)ノの様相でした。
スライサーで指を切っていたんですね〜
以降、いろいろと不自由そうですが、自動書記のキー操作もタイヘンそうです 
f(^ー^;
最も困難なことは、わたしへのごはんでした。
わたしのごはんは、おかあさんの右手中指からいただいていたのだったんですね〜 
=^_^=

血が止まり、コロスキンで保護膜を作り、再び作業を開始すると、薄膜の下からまた!出血し、大根はピンクどころか深紅に染まりました。(←おおげさ(失笑))
作業の続行は断念し、わたしとおさんぽに出ることにしました 
=^_^=

傘をさしてのおさんぽは、わたしの濡れるのをおかあさんは心配します。
わたしはかまわないんだけどにゃ〜 
(^・^)

まず、HOPビルのマツキヨで防水用のバンドエイドを補充しました。
きっと、また切る予定があるのでしょう (^^ゞ

\100 shopでは、ワードの教則本を見てしまいました。
ちょっとよいものでした 
f(^ー^;

お酒屋さんのイハラ屋さんに入ると、ご主人から温泉卵が売り切れていることを告げられました。
毎週わたしたちの買うものを覚えられてしまいました 
(^^ゞ

洋々堂では、おかあさんは真っ先にカヨコさんに右手中指を示し、その不幸を告げていました 
(・_・、)
そして、\100 shopで見たばかりの本のことも告げました。
先日、その類のものを求めるお客さんがいたのでした。
おかあさんのお勧めしたものは、あまりふさわしくなかったかも(失笑)
図書館より、\100shopの方が行きやすいのは、わたしたちもいっしょだけれど 
(^^ゞ

昨日見たNHKの蕎麦打ち指南のテキストがあったので検分しました。
おかあさんもおにーさんも、当然にして実行なぞしないのですけれど 
(^^ゞ
カヨコさんは、道の駅で購った蕎麦粉をそばがきにしようと奮闘したそうです。
“カップ1杯の蕎麦粉と同僚の水を、テフロン加工の鍋で練り上げる”
というレシピで、わが社にはそばがきはできあがります。
わたしも好きなものです 
(^・^)

“水だけでいいの?”
“お鍋って言ったんだから、加熱するに決まってるじゃん!!
火加減は焦がさない程度!”
高島屋でおかあさんの習ったレシピです。
お鍋にへばりついたもので蕎麦湯ができます。
神田藪でいふ『湯桶』です 
(^^ゞ

カヨコさんはわたしたちが立ち読みしている本よりも、おかあさんのコートに興味を示していました。
“似合ってる”としながらも、“やっと普通の格好をしている .
。ooO(゚ペ/)/ひゃ”というように (^^ゞ
カヨコさんには、マチコさんのブティックしきの宣伝をしてあげました。
バーゲン品の(失笑)

帰宅すれば、おかあさんはまた!!キッチンごもりであります(嘆)
取りかかろうとすると、ご町内会理事のヨシオカさんが赤十字の募金の取り立て(失笑)に訪れました。
ねこともだちでもあるので、すっかり猫話に盛り上がっていました。
ヨシオカ宅近傍は、猫話題が豊富のようです。
一度見学に行かないといけないにゃ〜 
=^_^=

完了すれば、また!マチコさんのところへ差し入れに行くのであります(嘆)
しかも、お金も持って!!
マチコさんに勧められるままに、こんどはスーツを買っていたのです。
“お葬式にも着て行かれる”という決め言葉の(失笑)、黒いパンツスーツでした。
丈詰めをお願いしたので、わたしはまだ見ていません。
じっくりと検分して、おにーさんの言葉を借りれば“猫まみれ”にしてあげようっと =^_^=

夕空は茜にかがやき、フェードアウトしていました。


10月17日(月曜日)

終日雨の週明けです。

土日お休みの郵便局が開いたので、おかあさんはお香典を送りに行きました。
新聞掲載で知った訃報だったのです。
ご媒酌人・・迷った末にも出していました 
(・_・、)
同封したお手紙にも苦心しておりました 
(・_・、)

朝、マチコさんのご来診があったそうです。
食べ過ぎだかも (^^ゞ
おすそわけの寺泊のさんまは、本日、わたしもおいちくいただきました 
=^_^=

一方、おにーさんのおなかも調子が悪いんだそーです。
“イカのせい”と申していましたが、“食い過ぎ“の間違いではないでせうか(失笑)
お昼は、お餅を所望され、目を離したスキに、お砂糖をたんまりといれた砂糖醤油に浸していました。
“砂糖だろーな?”
念をおしたのは、以前、おかあさんがお塩の容器を渡したことがあったからです 
(^^ゞ

おひるごはんが終わると、関連病院に出向いていました。
“ケータイがどっか行った!
オレのケータイ呼んでくれ!!”
と騒ぐことも忘れませんでした 
(^^ゞ

数分後、おにーさんは戻って来ました。
日にちを間違えたそーで、
“駅までおさんぽに行った、ってだけ 
ヽ(^O^)ゝ
と、お昼寝に入りました
 (・_・、)

雨が小降りになったところで、わたしもおさんぽに出られました 
=^_^=
おうちのなかは、シチューを煮る熱気で暑いくらいでしたが、おそとは寒いくらいでした。
おかあさんの新しいコートの出番がやっと来ました。
乗り心地のよいものでした 
(^・^)

HOPビル、さくら屋と駅前をうろつき(逍遙とは云わないんだろにゃ〜
(^^ゞ
洋々堂に行きました。
ほどなく、カヨコさんのおともだちと思しき女性が、“NHKでやってるケータイの本”を求めに来ました。
カヨコさんとおかあさんのお得意の本であります(失笑)
“そこのケータイ屋で、選んでもらえばいい!
アノ人たち、ニホン語が通じるんですよー .
。ooO(゚ペ/)/
茶髪が逆立ち、顔にはそり残したヒゲ、ズボンはずり落ち、ポケットからは鎖の出ている人々について、おかあさんは説明しておりました 
(・_・、)

カヨコさんもおかあさんもケータイについては原始人です 
(^^ゞ
穴式住居で発掘される犬より、わたしは今の方がいいです。
貝やららどんぐりを食べていた縄文人より、現代人の方がよいと思うのです。

ケータイは少なくとも電話機としてはライフラインであります。
何かあったときに、警察にも通報できませんから 
(^^ゞ
おかあさんのケータイには、未だに“110”の通信記録が残っています。
8月14日の日記参照 
f(^ー^; )
マチコさんの腹痛にも、よーく理解を示せるのであります 
(^^ゞ

*おにーさん語録より*
(頭痛を訴えたおにーさんに、事後を問えば)
“痛いのは治まった。
頭がかすんで、いつもの状態には戻った”
(嘆)

(食後からの、お茶、梨! の矢継ぎ早のおかあさんへの注文にて、“ムダのない動きをしてると思うんだけどな〜”に対して)
“ムダのない動きというものは、美しいものだ(断)”
美しさまで求めるってか(失笑)
返して曰く。
“それなりの美を求めよ。
限界を自ずから設定してはいけない“

己に問えや(失笑)

最後。
わたしに向かって。
“オレのこと尊敬してなそーだな。
・・だろーな 
(--)ム!

彼の頭痛の心配はないようです 
(^^ゞ


10月16日(日曜日)

雨雲のたれこめた一日でした。

すヰーとな朝を過ごし、午後には愛機のごきげんうかがいをしました 
(^_^)
軍歌テープもなつかしいにゃ〜 
=^_^=

まずファームランドみぬまから、であります。
小雨が止まないので、わたしは車内待機をしていました。

ハラダ氏のおみやげに、彼のお好物、各種カップ麺をお持ちしたせいか、おかあさんの油売りの時間は長く、コーヒーまでごちそうになっていました 
(・_・、)

次は、角上
先週も同じことをしています。

第二産業道路で併走したもみじマーク(枯れ葉マークぢゃない(失笑))は、60km/hで走行し、わが車と並んで駐車場に入りました 
f(^ー^;

ここでもわたしは車内待機であります 
(・_・、)
こちらも長時間でありました。
おかあさんは、きっと、目からしヨダレを垂らし、お皿にして物色していたのでしょう 
(^u^)
でも、叔母さまのところへは、お刺身を用意するには早すぎます。
わが社分としては白イカ、塩辛だの塩鮭なぞを持ち帰りました。

車にもごはんを食べさせようと、オカノ鉱油に向かう途中、北浦和の駅前の交差点で、信号待ちをしいるおおぜいの人々が同時に空を見上げました 
(?_?)
スーパーマンかと、わたしたちも上を見ました。
信号機が大きく揺れています .
。ooO(゚ペ/)/ひゃ
天変地異のようなので、おかあさんはあわててラヂオに切り替えました。
やはり!!
地震だったのであります。
わたしはとっくにバスケットに入って避難準備をしていました 
(^^)v

オカノ鉱油で聞けば、たいそうな揺れだったそうです。
“震度4なんてものぢゃーなかった”と皆口々に言っていました。
車に乗っていて気づかなくてよかったです。コワイだけですから f
(^ー^;

しかし、オカノ鉱油のヨシダくんはじめ、みーんなして、わたしたちの車を“ニタ〜〜”と見るばかりです。
フンだ!
おにーさん車ではなく、わが車に戻ったことを冷やかしているのであります 
(^^ゞ

帰宅すると、揺れはたいそうなものだったらしく、冷蔵庫の上からは氷かき器、棚からはペコちゃんの自動車が落下していました。
お仏壇ではパパさんの写真が倒れていました(汗)
わたしのお水も大きく波立ったようです。
また、院長室では空の花瓶と立てかけたリトグラフの額が倒れていました。

最大の被害は、TVの上から落下したファイルでした。
そんなところにおかあさんはためこむからであります 
(_ _ )/ハンセイ

神のお告げかもしれないので、おかあさんは“整理する“と言っていました。
言うばかりです 
(^^ゞ
おかたづけをしていると、ヤリちゃんが乱入して中断するですから(失笑)
ヤリちゃんが来るのはひさしぶりであります。
わたしがソファを占領していたので、ヤリちゃんは遠慮がちに座っていました (^^)v

お茶の用意をする間もなく、同窓会旅行から戻ったマチコさんから“おみやげ取りに来て”コールがかかったので、おかあさんは馳せ参じていました。
角上と同じ、寺泊の漁港からのさんまと甘エビをいただきました。
ヤリちゃんと分けていました 
(・_・、)

そのわずかな間に、叔母さまからのコールが留守電に入りました。
ヤリちゃんが代行して出るのも奇異なので、ヤリちゃんが帰ったあとでおかあさんからTel していました(汗)
叔母さまの地震被害はわが社よりも寡少のようです 
(^^ゞ

ヤリちゃんは今週、急遽欧州への視察旅行に出張するそうです。
おかあさんが座を外したあいだにも、旅行に不足の品のメモを書いていました。
コンタクトの洗浄液、とか(失笑)
ごほうび旅行なのですから、もっと楽しそうにすればいいのに(失笑)

角上で調達した白イカは、イカとしておかあさんの生涯で出会った最高の素直さだったといいます。
いつも皮と格闘していますから(失笑)
あの手からイカそうめんができていました 
(^_^)
これはおにーさんもおかあさんもおいしそうでした。

それに先じるわたしの食事は、合鴨だったのですが、体がうけつけませんでした 
(-.-#)
代用食のCIAOのささみは、平らげ、健啖をおかあさんに示せました 
(^_^)


10月15日(土曜日)

夜には降りだしましたが、晴れ間がかろうじてつづきました。
土曜日に雨が降ると、おかあさんは困るのです。
神事のごとくお洗濯をしているから、です 
(^^ゞ

午後になると、わが社の前を赤い人々が襲来しました。
浦和レッズの試合が駒場であることをやっと知り、フラッグが揚がりました 
(^^ゞ

わたしがおにーさんの寝室にいると、おかあさんがわたしをおさんぽに誘おうと探しに来ました。
“来てねーよ”
寝台に仰向いたまま、おにいさんは答えていました。
“いるぢゃない!”
おにーさんはわたしに気づかなかったのであります。
“猫みたいなヤツだなー 
(^・^)
くす、似ているとは思います 
=^_^=

HOPビルの赤ちゃんがきたのお店で、またも! 5本指ソックスの補充をしていると、“写真を撮ってもよいか?“という申し出がありました。
ていねいなことではありますが、わたし(“たち”ではないと思う、多分(失笑))を撮ってどーしよーというのでしょうか 
(^^ゞ
“呪いなどに使うのでなければ”と限定し、撮影に応じました 
=^_^=

ムカサたばこ屋さんには、奥さんの傍らに当院の患者さんなるおともだちがいました。
おかあさんのことを、“目から上がそっくり”と、おにーさんと似ていることを言っていました。
その下は、おにーさんはヒゲに覆われているからにゃ〜 
(・_・、)

洋々堂では、おにいさんもカヨコさんも、発売日の雑誌と格闘していました。
わたしはしばらくカウンターにも乗れませんでした (・_・、)
ガマンしているうちに混乱は去り、わたしは飛び移りました 
=^_^=

あれはお料理の本だったのでしょうか?
おかあさんの手にした本には、お弁当がキャラクターの形で作るレシピ集がありました。
MiffyやBettyさんならカワユイものですが、ネズミ男の顔がお弁当のふたを開けたら飛び出すというのも・・・
おかあさんは買うか買わぬか真剣に悩んでいました 
(^・^)

アオキ花屋さんでブーケを買って、わたしと親しみ、帰宅しました。

さくら屋では、アルバムを買いました。
おかあさんは写真の整理を始めました。
わたしのものは1冊必要であります。
その他については、分類のしようがないようです 
(^^ゞ
“時間”を軸にしか、写真が整理できないのです。
これを『超整理法』といいます 
(^^ゞ
なんとかアルバムはできあがりました。
わたしの写真のかわいらしいことといったら 
=^_^=

しかし、おかあさんはこんなことをしていてはいけなかったのです。
インフルエンザワクチンが月曜日から開始されることを“聞いてないよーー
(・_・、)”だったのですから(嘆)
あわててホームページの更新と、パンフの作成をしていました 
σ(^◇^;)

終わればまた! 朝鮮ドラマであります(嘆)
洋々堂でストーリーの本をみれば上、中、下と3冊もありました 
f(^ー^;
ここで、『下』を変換したら“(!_+)”と出ました。使えます 
(^・^)


10月14日(金曜日)

たいそうきもちのよい日です =^_^=

世が世なら、午後2時には募集広告の営業とチラシの検討をしているところでした(汗)
そのかわり、PC内の写真の整理と、バックアップを取っていました。
バックアップは時間がかかるので、PCひとりにお任せして、写真のCDを持ってさくら屋に行くことにしました 
(^・^)

さくら屋に行く前には、HOPビル内を見物しました。
5Fまで行くと、中国人たちが日本語のお勉強をしていました。
“暑い”の中国語“焼”のraのおかあさんの発音に、中国の民たちは吹き出すのでありました 
(・_・、)
おフランス語の発音はかろうじてできる(ハズの(^^ゞ)おかあさんは中国語は遠い世界です(失笑)
猫も、赤ちゃんといっしょで、万国共通の言葉ではないみたいですけど 
(^^ゞ 


赤ちゃんがきた
のお店では、わたしたちのごく近傍でのみ流行の5本指ソックスを補充しました 
(^・^)
ふにゅふにゅのクッションもたいそうきもちのよいものだったので、クッションとはみなせない恐竜型のものを選びました 
(^・^)
小児科で使ってもよいし、おにーさんが使ってもよいし〜 
)^o^(

さくら屋では、今日に限ってお客さんであります。
強調しつつ、現像をお願いしました 
<(`^´)>エッヘン。 
CDに落としたものはその総数、90枚以上もありました 
(^_^;)

おかしのまちおか
に吸い込まれ、洋々堂に向かいました。
2日もごぶさたでした。
まず、
『猫の手帖』であります 
=^_^=
長寿ねこさんの特集でありました。
最高齢は28才!!!
15才のわたしなんざ若輩のやふです 
(=^u^=)ニャウ
長寿の秘訣というのは、あるようでない、ものです。
わたしの場合、先代・先々代が短命につき、最初からおかあさんは気をつかってくれました。
それまで、アレルギーで食べられなかったハズの鯖も、わたしの登場を機に試食すれば蕁麻疹など出ない体質になっていたことを発見するのも、わたしのおかげと謂へませう 
<(`^´)>エッヘン。
わたしの存在はわが社の食生活には甚大な影響を保つことになっています 
=^_^=

カヨコさんとおかあさんは
ステラで土曜日の朝鮮ドラマの予習をしていました(嘆)
カヨコさんも“見たくはなかったんだけど”習慣で見てしまっているそうです(嘆)

このとき、やっと!! おかあさんは気づきました。
先刻カヨコさんに披露していた恐竜がわたしの背中に乗せられていることに!!
わたしはガマンしていたわけでもないのです

さくら屋でのぐじぐじ弄られる忍耐にも、わたしには楽しい遊びなのですから 
=^_^=

猫特集のFIGAROも見てみましたが、当院ぽくないので待合い室には置かないことにしました 
(^^ゞ

洋々堂を出ると、カメラのさくら屋ではプリントが完成していました。
他に客はいないのか心配になりましたが(失笑)、その場でざっと見ました。
さくら屋のみなさんにお見せしたいものは、
当院前に駐まった消防車の写真と、おにーさんの幾葉かであります。
()
手ぬぐいでの変身写真はウケていました 
(^^ゞ
でも、院外不出だにゃ〜 
ヽ(^O^)ゝ
8月18日の写真です)

休診日翌日のことでもありましたが、予想以上に患者さんの多い日でありました(汗)
加えて、診療終了後にはおにーさんには医師会の二重読影のお仕事がありました(汗)
残業を取り戻すかのごとき食事も遅い時間でした。こーゆー食生活は好ましくはないです 
(^^ゞ


10月13日(木曜日・休診日)

すばらしい秋空でした。

おかあさんは一連の休診日のおそうじをすませると、お昼からおでかけしていました(嘆)

秋の夕暮れは早く、おかあさんが高い敷居をまたいだときにはぽっかりと日は落ち、宵の明星か赤々と上がっていました。

デジカメを見れば、おかあさんは富士見市の難波城公園というところに行っていたのであります。

古い民家の画像がつづきました。
なかには、おかあさんが機を織っているものもありました。
おかあさんは日に、いっくら努力しても木綿の地でも20cmも織れないのではないでしょうか?
織姫にはほどとおいものです 
(^^ゞ

明治初期の民家の再生のビデオも見学したそうです。
古い工法を再現できる人は、そうはいないことでしょう。
きっと各地でひっぱりだこなのでしょう。
今、残しておかないと、取り返しのつかないことになるのではないでしょうか?

しかし! であります。
わたしはお留守番をしていたのがたいへん不満でした。
途中からは、おにーさんのお昼寝につきあっていたのですから 
(-.-#)

ゆうごはんは、だいすきな上総屋のお肉だけどわざと半分残し、食後のお茶の時間にはしっかりとソファでおにーさんの所望する羊羹などに手出しをしてあげました 
=^_^=
おにーさんには、お野菜ばっかりのお食事を出すと、必ずデザートを要求するのです 
(^・^)
“昨日だってプリンを食べたでしょ (・_・、)
おにーちゃんのマネしたらダメよ 
(・_・、)
おかあさんの不満なぞ聞く耳は持ちません 
<(`^´)>

TVではニートの番組を放映していました。
ニートって、“昼間は寝ていて、夜になるとお母さんのこしらえた食事を食べ、ゲームしてマンガ見て、で案外おしゃれ”と、おにーさんが解説してくれました。
って、猫のような生活です 
=^_^=
“言っとくけど、オレはニートぢゃないからね!”
おにーさんはわたしたちに念を押していました 
(^^ゞ

別件ニュースでは、株主が会社を支配しているようです。
企業理念なぞなんのその!
お金は力!ところです。
全てを“かっさらう”力の前で、働きたい意欲について、ワカモノに説くことの非力さよ 
;.;
匠の技を学ぼうとしないワカモノの非力さよ ;.;

おにーさんは“トヨタの株いくらだ?”と言い出しました 
(^^ゞ
おかあさんは、Faxで届く『稀少情報』を示し、
“コレはどーですかい?”
と山師の表情を作っておりました 
f(^ー^; 


10月12日(水曜日)

ひさしぶりの秋晴れです (^・^)

水曜日は大宮の叔母さまが待っています。
その前に階下ではおにーさんが、階上ではおかあさんが、スケジュールの調整にTel にと、頭だの首だの、いろんなところを捻っていました(汗)
・・ところが、なんとか解決をしていたのでありました。

いつも綱渡り f(^ー^;

そんなこんなで、わたしたちが叔母さま宅に到着したのは滑り込みセーフの時間ではありました。
ところが、ポリオワクチンの赤ちゃんたちは、すでに3人が入っていたのでありました。
荷物の搬入もせずに、ドクターにはその直前の混乱も語れず(失笑)、おかあさんは受付仕事にとりかかっておりました(汗)
“○○ちゃん、お熱測ってくださーい”
“エラー出ました”

“お指をしやぶらせないでくださーい”
“ぎゃお゛ー!ん!”

(混乱はつづく(汗))

なんとか終了したのは2時間後であります。

あとから来た3才くらいの兄妹の患者さんに、おかあさんは、今まで赤ちゃんがいっぱいだったことを話すと、
“何匹くらい?”
と聞かれていました。
こどもたちのお母さんは訂正していましたが、おかあさんは“合ってる 
(^・^)”と云っていました (^^ゞ


叔母さまが何かの拍子に、
“あなたにはかんしゃしてるのよ〜”
と発音していましたが、“感謝”の聞き違いにちがいありません。
“うちのこにかぎって”、ンなことを云うはずがない! です(断)

お茶の時間には、とおっーーーてもおいちいプリンをいただきました。
デパートの北海道物産展のものだそうです。
“ねこが食べたからおいしい、ってお礼を云うの?”
叔母さまは聞いていましたが、違うんかい? 
=^_^=

おかあさんたちは、お茶とともに、医師会の句会の冊子を見ていました。
あいかわらず、標語のようなものもあります(失笑)
無記名ではありますが、石っころの中には叔母さま作のものもありました 
f(^ー^;

叔母さまはおのどが痛いのだそーです。
ガンの疑いだそーですの(失笑)
ケフラール(抗生剤)を“とりあえず”飲んでいるのだそうです。
そこで、ガンに効きそうですので短いドライブにお誘いしました 
(^^ゞ

乗車するまえのおかあさんの一句。
そぞろ寒 安全運転 身の締まる
ヽ(^O^)ゝ
叔母さまが乗ると、わたしはアブナイので、バスケットに入ります。
まだアブナイので、バスケットのドアも自ら閉めました 
(-.-#) 

早い夕方の時間でした。
大宮公園を一回りするうちにも、空は茜になり、また雲が墨色になっていきました。
対向車のにスモールランプの点灯した最初の1台を見たときが、わが車の点灯のときです。
パパさんのそう教わっているので、おかあさんは着実に守っています。

叔母さまのおうちに着いたときには、周囲はネオン街になっていました。
彼女を降ろして帰宅しました。

帰りがけにも、叔母さまは、おろしたてのおかあさんコートを見ては、“土曜日に貸せ”なぞと云っていました。
ご自分のものを出すのがめんどうくさいだけなのです。
その日には、熊谷で吟行があるそうです。
石っころでも何でも作るがいいや 
(^^ゞ
 


10月11日(火曜日)

連休明けはみーんなが忙しいのです(汗)
おかあさんはお買物をすませて昼からキッチンごもりです 
(・_・、)
おかげて、叔母さまの栄養は良好です 
(^・^)

一段落したところで、わたしのおさんぽです 
=^_^=
いつ降りだしてもおかしくないようなお天気でしたがなんとかもちこたえ 
(^_^;)
定常のコースを消化しないと、わたしたちの存命にうたがいがもたれます(失笑)

(あれ? おかあさんの乗り心地がいつもよりいいや 
?(・_。)?(。_・)? )と思っていると、新しい靴なのでありました =^_^=
昨日の靴です。
佩用しているミニスカだって、UNIQLOとPINKYのコラボものです。年を考えないこと(失笑)

HOPビルの見学も欠かせません。
中国マッサージの朱鷺のお店では、中国人たちの日本語のお勉強がつづいています。
先生は日本人の社長さんです。
“みぃーにゃん”と読めるローマ字を示し、わたしたちに意味を問いました。
発音からして『美猫』と察しましたが、『美人』でありました 
(^^ゞ
おかあさんは覚えなくてもよさそーな単語です 
(^・^)

カメラのさくら屋とおかしのまちおかに引っかかり、イハラ屋さんでお豆腐などを求め、やっと洋々堂に行きました。
まちおかに出始めたラミーとバッカスのチョコは、わたしたちには秋の季語です。
お豆腐だって冷や奴から湯豆腐になります。

火曜日はしばしばおにいさんがお店番をしています 
(#^.^#)
わたしは“本屋さんにいる猫”とも云われます 
=^_^=
おかあさんは徳大寺有恒御大の新刊本を手にし、購買を迷っていました。
・・運転に自信がないにゃ 
(^^ゞ

カヨコさんと連休のことを語り合ってもいました。
わたしたちは車の帰ってきたこと、お祓いに行ったことなどであります。
カヨコさんは駒込方面に出張っていたそーな。
定休日につき買えなかったといふ、“サラダせんべいのあいだにあんこの入ったもの”というのは、一体何なのでせう 
(?_?)
イチゴミルク味の魚肉ソーセージのよーなものでせうか?
“そして、子供すやがて気づくのだ”という見出しの雑誌の記事を立ち読みしたことがありました。
気になる見出しであります。
最後まで読めば、子供が何に気づくかといへば、“イチゴミルクを食べた方がおいしい”ということでした 
f(^ー^;

帰宅すれば、おかあさんはまたキッチン(嘆)
完了すれば、マチコさんのところへおすそわけに向かうのであります(嘆)(嘆)
仕方ないので、わたしはおにーさんのベッドで休息しておりました。
この場所はおかあさんには好もしくないところのようです 
=^_^=

空のタッパーではなく、薄手のコートを手に戻ってまいりました。
マチコさんのおすすめのものは、定価4万だかのものが“今だけセール”で\5000だったそーな 
(^^ゞ
きっとあした、叔母さまに見せびらかすことでせう 
(^^ゞ  

新しいお釜も栗ごはんに活躍していました。
わたしのいただいた、とってもおいちいお刺身は人間の食卓にもあがっていました。
敢えて“日本船”捕獲のものと書かれたまぐろでした。
“るうちゃまがこんなに食べたから、きっとおいしいのよ 
(^・^)”とおかあさんが解説を加えていました =^_^=

古いお釜は、明日の不燃物の日に出されていましたが、産廃業者さんは持って行ってくれるでしょうか?
ゴミの捨て方もなかなかムズカシイのです 
(^^ゞ


10月10日(月曜日・体育の日)

晴れることになっている日ですが、終日雨でした。
この秋、初めての寒さを感じました。
おかあさんはミニスカで寒がっていましたし、わたしはソファを愛用していました。
誰が横に座そうが席は譲れません 
=^_^=

朝はすヰーとに過ごし、午後からお出かけしました。
愛機のごきげんを取るためでもあります 
f(^ー^;)
年はとっても、わが愛機はなかなかいい走りぶりでありました 
(*^_^*)
BMB改 
(^・^)

まず、郊外の安売り靴屋さんに行きました。
Hanesのサンダルがよほど気に入ったのでしょう。同じお店でした。
9月11日の日記参照)

物色していると、知った顔に出会いました。
別の場所にいると、一瞬分かりませんでした、元町Cityの\100 shopの店員さんでした。
高校生の息子さんといっしょにいました。
・・人の年というのはワカラナイものであります 
^_^;

今回はWilsonのパンプスを買いました。
“ほんとうにブランドなの?“という値段でありました 
(^^ゞ

おかあさんは次には、どこに行こうか迷っていましたが、東川口の角上に行きました。
少し長く走りたかったから、であります。
思いつくままですね〜 
(^^ゞ

こちらはお魚屋さんなので、わたしの入店は叶いません 
(・_・、)
(6月5日の日記参照)
夏のあいだには、わたしの車内待機はできないので、ひさしぶりでした。
日曜日には駐車場が満タンになるお店のようです。
第二、第三の駐車場があります。
わたしのいたのは第二でありました。
人の行き来と車の出入りのはげしいところでした。
家族連れがたのしそうに食物を購うということは、なんと当たり前だけど、幸福の原点ではありますまいか。

待つことしばし・・
\(~o~)/

おかあさんはお魚やらおでんやらを携えて戻ってきました。
鮭のトバは『鮭とばイチロー』というネーミングでした 
(^^ゞ
わたしのごはんはここで調達してもよかったのですが、朝からのお約束ではケンタッキー・フライド・チキンということでした。
ケンタッキー・フライド・チキンという言葉には、わたしはいたく反応いたします 
=^_^=
第二産業道路はすいすいと走り、東浦和のお店で求めました。
このときも、わたしは車内待機であります。
おかあさんが車に戻ると、車内はすごーーーくよい匂いが充満しました 
(^・^)

おうちに戻ってから、おかあさんは栗を茹でていました。
たくさんあったので、お料理用に皮をむいていました。
が、栗の粉ができていました(嘆)
骨折り損のくたびれもうけとはこゆーことでありましょう 
ヾ(´▽`;)ゝエヘヘ

さらに事件は加算されました。
ごはんを炊こうとすれば、炊飯器が稼働しません。
おかあさんは、土曜日のことを喚起し、近くのシバデンに走りました(汗)
(土曜日の日記参照)
丁度、ダイゴーさんの会場から搬入・移送していた忙しい時間でありました。
バーゲンの余った商品がわが社のお釜となりました (^^ゞ
いつも綱渡りみたいです。・・・それは運命か宿命(失笑)
シバデンも創業60周年。北朝鮮と同い年なのですね〜 
(^^ゞ

いつもキッチンにばかりいるおかあさん(嘆)でありますが、本日のゆうごはんの食卓には、わたしばかりではなく、人間のものにもKFCの袋、容器は入れ替えたものの角上のおでんが並んでいました (^^ゞ
KFCといへば、わせたしにはたいそうなイベント的ごちそうです 
=^_^=
余りの皮はおかあさんが食しておりれました。

ゆうごはんのあと、ソファで天気予報を観ていました。
おにーさんは、
“寒いか心配か?”
と問うていましたが、猫が天気予報やニュースを見るのはあたりまえのことです 
=^_^=


10月9日(日曜日)

一日雨もようでした。
薄陽でも日中見ればわが愛機は新品のように光っていました。
ちと、はずかしいくらいに 
(^^ゞ

退院したところで、まずは、神さまへご報告であります。
その前に、道行き上、ファームランドみぬまにおじゃましました。

“どーだい
( ̄^ ̄)
ハラダ氏に愛機を披露しました 
(^・^)
こんなに古いものを直してつかうのは、とてもわたしたちらしいことです。

ハラダ氏のワゴン車も10年モノといいます。
観音開きのドアを開けると、テーブルをはさんでリビングルーム!!
運転する気にならないにゃ〜 
(^^ゞ

食料を確保したところで、大宮の氷川さまに行きました。
叔母さまをおさそいしてもよかったのですが、朝はカソリック教会、昼は神社というのもなじまないのでやめました 
f(^ー^;
氷川さまの手前にある教会は、開催されていたバザーもお開きになっていました。

氷川さまでのお祓いは、申し込めば30分間隔で本殿に案内されます。
待つあいだ、わたしもいっしょに境内を散策しました。
おみくじを引けば『大吉』であります 
(^^)v

わたしたちのように交通安全祈願のものもありますし、お宮参り、気の早い七五三のこどももいました。
ぬかるみの中を、3才児5才児におとなしくしていろという方がムリというものです 
(^^ゞ
おかあさんも、3歳のころのことを“昨日のように”覚えているといいます。
同じ氷川さまでは、鯉が泳ぎ、亀さんが岩の上で甲羅干しのする池は“今もおなじ”です。
やはり、同じように、おじいちゃんに連れられた女の子が鯉を見ていました。
おかあさんのように、帯のぎざぎざが気に入って、爪でひっかいてはしかられてはいませんでした 
(^^ゞ

お祓いのあいだは、わたしは車内待機していました。
やがておかあさんが戻り、つづいて神主さんもやってきました。
車に一礼して、幣帛が振られ、お祓いはおわりました。

『幣』という言葉が一瞬出なかったおかあさんは、玉串奉奠のできない若いお父さんと同格 
(・_・、)

お祓いがすむと、おかあさんはどっと疲れたようです。
憑依しやすい体質(失笑)

それでも、大回りして車を試し乗りしました。
以前より調子が良くなっているかもしれません 
(^・^)
紫電改ではなくも改 
(^^ゞ

帰宅してから、氷川さまでいただいたステッカーを助手席に更新しました。
紺色のメタリックなものです。
リアに貼るのはハズカシイです 
(^^ゞ
以前のものが賞味期限が切れていたのかもしれません 
f(^ー^;
車用と護身用のお札も車とお財布に入りました。
叔母さまは、教会でのご祈祷も推奨しています。
法恩寺さんのステッカーも貼ってあるのですから、神さま同士がけんかをしそうであります 
(^^ゞ


10月8日(土曜日・寒露)

ときおり雨の、じっとりとした日でした。
土曜日の大洗濯は、室内を出たり入ったりしていました 
f(^ー^;

わたしの家事手伝いも多忙であります。
新製品のワックスコートシートなどが試されれば、うかうかサイドボードの下での待機もままなりません 
(-.-#)
“ひゃっ!ゴメン
(m_m)”ではすまされないやい!! (`_´)

間もなく、わたしを追い回すワイパーのすべりが悪くなってきました 
(?_?)
よく見れば、1シートは6畳かぎりりの有功とありました。
高くつくもののようです(失笑)

お口直しのおさんぽには、傘を携行しましたが、不要でありました。
日頃のおこないがちがいます 
=^_^=

HOPビル経由でカメラのさくら屋に行けば、易から“浦和駅で人身事故”の報が流れていました。
ホームには人があふれていました。
その後、どーなったのかは不明であります 
(^^ゞ

社長はいつものネクタイ姿ではなくポロシャツでありました。
『写真班』の腕章で、幼稚園をかけもちのごようすでした。
繁盛のに季節のようです 
f(^ー^; 

洋々堂にはカヨコさんがいました。
“おひさ!”です。
まず、ビッグコミックを確保し立ち読みのひとつもしよーとすれば、
“おなか出てきた。
おなかまになった! なった!”
と、カヨコさんはおかあさんのスカートを指していうのです。
“このスカートとブラウスの組み合わせはぁ”という、おかあさんの言い訳なぞ聞きません 
(^^ゞ

ラピタの立ち読みは許されませんでした。
『あのマボロシの万年筆『檸檬』がミニサイズで復活』というおまけがついていたので封印されていたのです。
昨日も気になるものでした。
そっと取り出した禁断の果実には、“1999年、丸善が創業130年を記念し”、今は亡き京都の丸善を舞台にした『檸檬』にちなんだ万年筆の復刻とあれば・・おかあさんはおまけ欲しさに買いました(嘆)
うれしそうでした 
(^^ゞ

並びのマルマンさんで二束単位のくるみも買いました。
@280g×2!! .
。ooO(゚ペ/)/ひゃ
そんなに買ってどーしよーといふのでせう

シバタ電器屋さんの創業60周年記念のバーゲンをダイゴーさんの今は亡き手芸売り場にのぞき、それだけで出ました 
f(^ー^;

帰宅すると、ほどなくホソカワ氏からTel がありました。
彼とおかあさんがいっしょに車を迎えに行き、帰りはおかあさんが運転するという提案でありました。
“わたしといっしょではイヤ?”
と何度もおっしゃってたけど 
(^^ゞ 

19:30
ブロンブロンブロン!!
あのなつかしいわが車の轟音が閉院後の車寄せにとどろきました。
わが車は、何度目かの『改』となっていました 
(*^_^*)
さぞやのご請求にはオソロシイものがあります 
^_^;

ホソカワ氏の工場にはわが車と同式のものも入院していたそうです。
こちらも本国からの部品待ちなのだそうです(汗)
どんな方が乗っているのでしょう 
^_^;


10月7日(金曜日)

すばらしい秋晴れの朝でした。
そこで、シャンプータイム決行!!
軍歌の斉唱もたからかにして真っ白ねこさんは完成しました 
=^_^=
“かわいいわね〜”に充分に値する美貌であります 
(--)(__)
おさんぽのときには、いつもそー声をかけられます 
(^^ゞ

まず、HOPビルの赤ちゃんがきたのお店で、5本指のソックスを求めました。
水曜日に、若いお母さんたちが足袋または5本指のソックスを佩用し、おかあさんにも勧めたからであります。
サルも若い♀から流行は始まる 
(-.-#)
ムカサたばこ屋さんの若い方のヨメもお母さんになっていました。
赤ちゃんデビューを見ました。
まだ3ヶ月の赤子はニコニコしていました 
(・;・)

カメラのさくら屋では、とぉってもひさしぶりにシンゴくんを見かけました。
すっかり大人になっていたので驚きました。
社長は子息の成長を、“社会人だからな”と、やや目を細めたようすでした。
あの! 扁桃炎でいつも来ていたシンゴくんが・・
(^^ゞ

洋々堂ではおにいさんが待っていてくれました 
(^^)v
おかあさんはビッグコミックオリジナルを真っ先に確保しました。

・・5日の発売日のこと、です。
叔母さま宅からの帰路、調達できるはずのものでした。
雨だったのでお店の前に車を着けようと、中山道から平和通りを経由したところ、駅前の交番でおまわりさんの止められたのでありました。
歩行者専用の時間帯だったのであります。
免許証の提示を求められました。
 .
。ooO(゚ペ/)/ひゃ
おかあさんには点数の残量がない!!
放免されたので、あわててその場を去ったのでありました 
(^^ゞ

“なつかしいクイズ”の立ち読みをしました。
おかあさんの気になっていたことの記載がありました。
ローンレンジャーの連れのインディアンはトント、馬はシルバー、あいさつは“キモサベ” 
(._.) φ メモメモ
昔の子供は、音楽の時間にウイリアムテル序曲を習うと、
“すいよー! シルバー!”
と声があがり、曲がおわると、片手を上げて、
“キモサベ”
と云ったもの、なのだそーです。
何かのきっかけで思い出したものが、全編つながらないというのは、老化(失笑)
老いというのは、いつも試験の前夜のやふなものなのでせうか?(嘆)

一方、おにーさんはうらやましいです。
給食は“金の茶碗に竹の箸”と、事実とは異なっても記憶に矛盾はないのですから。
彼の通った塾は1クラスだったそうです。
後続しておかあさんが通ったころは2クラスだったそうです。
“で、おにーちゃんはなにぐみだった?”
おかあさんが問えば、
“Bぐみ・・あれ? オカシイな〜”
となるのですから 
f(^ー^;

むかしのTV番組が気になったら、ネット検索が向いています。
なつかしがってばかりいるのもヘンだけど(失笑)
“キモサベ”の意味は諸説あるそうです。

そして、道を調べるなら地図! であります。
自宅内にロードマップがあるのも不思議なことでありますが(失笑)
ゆっくりと見てみました。
しばしば連れて行かれる越生の位置が、わたしはともかくおかあさんもおにーさんも知らなかったようです 
ヾ(´▽`;)ゝエヘヘ
そして、おかあさんは昨日どこにいたのかを地図で確認していました(嘆)
ホソカワ氏からは、“ことによると明日あたり”わが車が退院かもしれないとの、心強い(失笑)連絡が入りました。
車が戻っても、地図を読ま(め?)ないままかも 
(^^ゞ

ゆうごはんのアジの白焼きをおいしくいただきました。
同じ素材で人間は、酢〆アジとなっていました。
おかあさんが三枚に下ろすと、ずいぶんと少量になります(嘆)

そんなお食事を終えたころ、Tel にておにーさんは要請された往診に向かいました。
お医者さんは呼ばれたら行きます。お仕事ですから(汗)
おかあさんと、おにーさんの帰りを待っていました。
待っているあいだにおにーさんの明日の昼食を用意する、というように 
^_^;
おにーさんは日付の替わる頃に就寝となるのです。
サラリーマンなら当たり前ですけど(汗)


10月6日(木曜日・休診日・)

わずかに晴れ間のある日でした。
しかし、わたしはお留守番 (・_・、)

おかあさんは“遠足”と称しておでかけをしていました。
午後、医師会のおしごとを終えたおにーさんもお昼寝していましたし、別室(もちろん!!)お昼寝から醒めても戻っては来ません(嘆)
日もとっぷりと暮れてひさしいころ、実際にはバリアフリーの敷居を高そうに跨いでおりました。

すぐにおゆうはんの支度にかかり、時計の針どおりの生活に戻れたのは、準備のよろしいことであります 
( ̄^ ̄)
ごはんは必要だけれど、わたしはパンのみにて生きているのではないことは忘れてほしくないことであります 
<(`^´)>
よって、デザートのときには、いっしょにモンブランをいただきました。
栗の季節の好物であります 
(*^_^*)

おかあさんは“脚、くたびれちゃった”と申しています。
そんな“遠足”の記念写真はとデジカメの記録を見れば、遠景に新宿のビル群、さいたま新都心のビル群を写したものがありました。
ふむ、展望台にいた、と。
おかあさんの説明が貧弱なのは、自力で行けないところ、ということです(嘆)

気になる一葉は、鴨汁蕎麦!!
おかあさんはわたしに見せながら、“ごめんね
m(__)m”と加えました。
“成り行き上”と弁解しながら、越生の梅林の梅の里で食したのだそーです(嘆)
そのお店って、ずっと前、わたしの入店を拒否し、おかあさんとヤリちゃんとだけで入ったお店であります 
(`へ´)フンッ。
つまり、越生方面に出張っていた、と 
(・_・、)

越生には、わたしたちはお墓参りでしか行ったことがありません。
あとはできる範囲の寄り道のみです。
そもそも先代からそんなふうなお墓参りを伝承していたのですから、わたしの行動範囲も縮小の一途を辿った、ということです。
お墓参りの楽しみといへば、ママさんご存命中には川越まで戻り、吉寅での遅い昼食がありました。
パパさんがしばしば連れて行ってくれたというだけで、パパさんを偲んで牛めしを食するのですから、お墓参りらしくないのですけれども 
(^^ゞ
わたしの入店も快諾していだいたものです。
牛めし定食も、デザートのお芋のプリンもなつかしい!!
・・また、いつか、おかあさんが連れて行ってくれるといいにゃ〜 
(^u^)

おかあさんが“地図の読める女”または、それ以下でも“地図を確認するおんな”に進化してくれると、わたしはうれしいです。
また、おかあさんを引きずり出してくれるおともだちにも、わたしは非難しつつも(失笑)感謝します。
“新しいことをしてみよう”と思わないといけないです。
わたしの声を聞くがいい! “にゅーにゅーにゅー”でしょうが 
=^_^=


10月5日(水曜日)

小雨降る“うすら寒”な日でした。

叔母さまのお宅へは、おにーさんの車で(嘆)同乗して行きました。

そのまえに、おかあさんはおにーさんをロイアルパインズホテルまで送って行きました。
おにーさんは、今週のロータリークラブのパネリストの番だったので、出席を余儀なくされていたのでした。
テーマは『メタボリックシンドローム』 
(^^ゞ
(9月27日の日記参照)
ご自分の車なのに、“悪いね〜”と、おにーさんは運転席に載ろうとしません。
運転手付きの身分になるには、何十年早いのではないでせうか 
f(^ー^;

一旦帰り、わたしと荷物を搬入して、叔母さま宅に向かいました。

工事中だった、元ティファニーという喫茶店が目印の生命保険のビルが今週末の開店を告げていました。
若乃花のちゃんこ屋さんも入るよーな、こじゃれた店ばかりであります。
叔母さまとおかあさんは、Dinner Barに入りたがっていけど、浮くぞ〜 
ヘ(∧∧;ゞ
ニシハラ小児科医院の道順を説明するのに、“天女の前“ではなく、“若乃花のお店の先”となりました 
^_^;
さて、本日のイベントはポリオワクチンであります。
早めに到着したので時間の余裕もありましたし、気候不順にて、体調を崩した赤ちゃんが多発したので、予定よりも人数も少なかったのです 
(^・^)
しかし、定刻となれば、待合い室の騒ぎは、自宅部分にいたわたしのところにも轟いてまいりました。
ごきげんのよい子は、はいはいでガラスに突進し、おかあさんの“ごめん! 
(m_m)”の声もしました。
ムンズ! 赤ちゃんのシャツをつかんだもよう(失笑)
また、雄叫びも聞こえてきました。

君子としては虎穴に入りたくなかったのですが、最終場面でわたしもおかあさんにだっこされて登場してみました。
若いおかあさんたちのウケがよかったので、心地よかったです 
=^_^=
でも、今の赤ちゃんの名前を字からでは解読できません。
アンナにアリスに、ジョーにライト(嘆)
ライトは“頼和”。読めません
ココアちゃんがいらしったこともあります。動物病院みたい 
(^^ゞ

この過酷な作業は、量的に、叔母さまはご自分3、おかあさん7の評でありました 
f(^ー^;
おかあさんのお仕事は補助看と事務員、どちらも無資格でできる“だれにでもできる簡単なお仕事”です(失笑)

その後、叔母さまは手書きでレセプト作業、おかあさんは叔母さまのライフラインの確保をしていました。
かんたんに言うと家事(失笑)

お茶の時間にはIKARIのわらびもちが出ました。
甘いけれど、乳糖の甘さがほしいであります 
(・_・、)

“で、『うすら寒』よっ!”
叔母さまは、まだ句会の宿題をしていなかったようです ^_^;
(9月28日の日記参照)
・・人使いの荒いこと 
^_^;^_^;

“例えば、同じ風景でも”と、おかあさんは反古の紙の裏に書き付けました。
おかあさんなら、
参道の 風は鈍色 うすら寒
叔母さまなら、
緑青の 氷川の杜や うすら寒
どちらも、“OK!”だそーでした 
(^^ゞ
そーゆーことではなく、おかあさんは叔母さまと自分の言葉遣いについて云いたかったんだと思うけど 
(^^ゞ

帰宅すれば、わたしだってホッとします。
診療を終えたおにーさんといっしょです。
“お茶!”
“めし!”
直裁には申しませんが(失笑)おかあさんには忙しい方がよろしいかと 
=^_^=
 


10月4日(火曜日)

涼しくなりました。

院長室ではレセプト作業続行中につき、わたしは気が気ではありません (-.-#)
お昼からにして既に始まっているキッチン作業を中断してのわたしのおさんぽも彼女たちのお茶の時間を気にしながらであります 
(-.-#)

HOPビルのエスカレーターはわたしの好きなところです 
=^_^=
階段が動くことを最初に知ったのもここでありました。
・・あれから10年。いろいろなお店ができては消えていったものです 
(・_・、)

エスカレーターを下っているとすでに検分していた赤ちゃんがきたのお店にいかにもおかあさんの好きそーなスカートがありました。
また! おかあさんはサイダさんのお世話になっていました 
ヽ(^O^)ゝ
おにーさんには“裾がぼろぼろ”に見えるものらしい、です。

イハラ屋さんで叔母さま用のおとうふなぞを求め、洋々堂に入るとおにいさんがお店番をしていました 
(=^0^=)
おかあさんはカヨコさんに収穫物を見せられなくて残念そうでした(失笑)
週刊アスキーを立ち読みしていると、おにいさんがご自作のPCについて語っておりました。
びょえ゛ー!!
テラの単位ももので6局録画ができるのだそうです。
・・・いったいいつ観るのでせう 
f(^ー^;

帰宅すれば、3時のお茶の時間であります。
往診かに帰っていたおにーさんにもドリップコーヒーがふるまわれ、院長室にも配されたところで、いちょうせんせいは呼ばれました。
所在不明のレセプトが出現するという事件発生! (汗)
レセプト・プロさんたとはスゴイ!
何百枚かのペーパーをサックを付けた指でめくって調べるのに、秒の単位なのであります 
\(●o○;)ノ

おかあさんには何のお役にもたちそうもないので、またキッチンにこもり 
(・_・、)

完成をみれば、一部マチコさんのところへおすそわけに行ったのをわたしは見逃しませんでした 
(`_´)
院長室をお廊下がわから監視していたわたしは、やがてたまりかねて、“早くーー!!”のコールをかけました。
室内へも、おかあさんへも、であります。
院長室では、返答するおかあさんの声は聞こえても、わたしの声は聞こえません。

作業が終了すると、わたしにも入室の許可がおりました。
カエサルがカエサルの地に戻るのに許可!! 
(`へ´)フンッ。

“よくおはなしができるんです〜 
(^・^)
“わたしたちにも慣れてくださったみたい 
(^・^)
と、彼女たちはだんだんわかってきたようです 
=^_^=

お話の展開から、今夜のわたしのディッシュが披露されました。
(MENU参照)
人間のごはんは、わが社では、わたしのメニューより決定されます。
“ピーターラビットのお皿、ですかぁー”。
“ねこがWedgwoodの皿を使ってわるいか?”と、C級サラリーマン講座の口調になってしまいました 
^_^;

“おせわさまでごじゃいました 
m(__)m
来月もおねがいいたちまちゅ 
m(__)m
おかあさんの代返に、
“ほんとうにそうおっしゃっているみたい 
(^・^)
代返はほぼただしいものの、本心は・・(^x^)

作業後の院長室の点検怠りなくすませました。

叔母さまもレセプトをほぼ終えたようです。
この時期、叔母さまはご機嫌が悪くなりますが、無事のやふです 
^_^;
明日はおにーさん車でわたしも叔母さま宅へ同行するようです。
ポリオワクチンの予約票を何部もコピーしていたから、明日もまた赤ちゃん相手(嘆)
小児はニガテです 
=^_^=


10月3日(月曜日)

下り坂の陽気です。

朝から院長室が占拠されていたので、わたしは気がかりでりませんでした。
月初というと、レセプト作業に使われるのです。
報酬の請求業務だから、歓迎しないといけないのですけれど 
(-.-#)
おかあさんのことをお茶出しに取られるものおもしろくありません。
おさんぽだって、その時間におされるのです。

おさんぽでは、新しい言葉をおぼえました。
『行かず後家』または『行けず後家』、『出戻り』というのは知っていましたが、『はんでもどり』って、わたしには“ハンデもどり”に聞こえました 
(^^ゞ
発明したのは朱鷺の社長さんです 
f(^ー^;

カメラのさくら屋では、ネクタイずるずる、ズボンはおしりでとまっているワカモノが証明書写真の撮影を終えたところでした。
(一体どんなものを撮ったんだろ?)と彼が仕上がりを待つあいだ、わたしは撮影室にある社長のデスクで遊んでいました。
デスクマットは、ニコンの古い機種、社長説では30年くらい前のものだそうです。
手応えのある体裁は、\100shopに到底かなわないデキのものです。
こーゆーの、いいな〜 
(*^。^*)

ワカモノの帰ったところで、いかなる写真なのか問うてみました。
・・ネクタイむすんでいたそーです 
f(^ー^;

また、キャミソール、カーディガン、意図的とはいえ穴のあいたジーンズの、服装だけはそっくりな♀のワカモノとすれちがったときのことです。
ひとりはキレイに見えました。
このちがいは何なのでせう 
f(^ー^;

洋々堂では赤ちゃんがきたのお店で買ったばかりのハイソックスをカヨコさんに見せました。
“脚の疲れない”ことを謳ったものです。
たしか、こんなものをカヨコさんは買ったのだったか探していたのだかしたものです。
おかあさんが試着してカヨコさんにお勧めしようとしたものが、いつのまにかカヨコさんが試着していました 
(?_?)
おかあさんの分は帰りに補充しました 
^_^;
赤ちゃんがきたのお店は小さいお店だけれど、サイダさんの仕入れの手腕の冴えたところ 
(*^。^*)

カヨコさんは昨日、銀座で!! 『四月の雪』の再鑑賞をしたそうです。
“よかったわーーん 
(^・^)
と上機嫌でありました(嘆)

3時のお茶には、いただいたばかりのティーバッグトレーが使われていました。
わたしの主治医のナガサワせんせいのハワイのおみやげです。
おにーさんには、パンツのように聞こえるようです(嘆)
レセプト・プロさんたちは、“まあ! すてき!”と反応していました 
(^・^)

夕方、本日分の作業の終了が告げられると、わたしもごあいさつに行きました。
もー! 気になって気になってしかたのなかったことであります。
わたしの話題がふられるのも気をよくします 
=^_^=
“まあ!
お手々もそろえておすわりできるのね〜”
当たり前だい! のところですが、天気予報の芸も披露してあげました。
“猫が耳の裏まで顔を洗うと雨”というものです。
わたしの場合、予報は毎日雨であります。
“ほぉらね 
(^^ゞ
と、おかあさんが解説しておりました。

レセプトの時期といえば叔母さまのごきげんの良いことはありません。
“『ハルとナツ』ってつまらないわ゛ー”
くらいにごきげんは悪化はしていませんでした (^^ゞ
彼女の世代、女学校では農作業、女子医専へは浮浪児の住み着く省線で通った身には、戦中戦後を思い返したくないのかもしれません。
でも、良きこと悪しきこと、聞きたいです。
おかあさんからは、赤羽の駅でやみ米の撤収があったことは聞きますが、彼女のイマジネーションのフィルターがかかっています。
小津安二郎の映画も、原節子のおかあさんのマネ“おっとぅさま(ん゛)”のフィルターで“今度の戦争では”という映画をわたしはビデオを観ます。

ふつうのひとのふつえの言葉で原体験を残せるには、年内間がない、と思います。

大西巨人御大を見よ!
市立図書館にいるときには、別の意味で目をひく存在かもしれないけど
 (^^

図書館のあるところは、昔は『北浦和劇場』という映画館だったそうです。
おかあさんなぞ、『ピノキヲ』を観たといふ。
やがておとなの映画館になり、銀幕界の全盛はTVにより終演も迎えた、と・・

街のうつろいは、生活史 
(−人−)


10月2日(日曜日)

とても暑い日でした。
朝方、おかあさんが悪夢にうなされていたやに見えました。
暑さのせいだったかもしれないし、昨夜の朝鮮ドラマか、木曜日の映画(9月30日の日記参照)のせいかもしれません 
f(^ー^;
または、寝しなに読んでいた、叔母さまからおしつけられたカリスマ神父さまという方の著わした説教集!! のせいかもしれません(失笑)

おかあさんの作ってくれたサンドウィッチとマスカルボーネチーズですヰーとな朝を過ごせばたちまちお昼であります(汗)

まずはファームランドみぬまに向かいました。
市営の球場とテニスコートのある一角を過ぎようとすると、中学生くんたちが群れをなしていました。
朝のさんざめきはこのせいだったのでしょう。
ちょうどおかあさんの悪夢の時間にも重なっています 
(^^ゞ
試合が終わった順に帰るのでしょう。
わたしは車の乗降に、“ねこだ!”コールにびっくりしてしまいました 
( ・_・;) 
さいたま市になってから、市立中学の守備範囲も広くなり、生徒さんも遠くから遠征するようになったので、この数! となるのです。

見沼田圃に入れば、川沿いには彼岸花が連なっていました。
何度来たかしれないのに、気づくことがありませんでした 
(・_・、)

ファームランドではまず新米を求めました。
ニホンジン、まずお米ね 
(*^。^*)
・・あれ? 中国人が伝染してしまったかも 
(^^ゞ

ホームセンターでは、わたしのお砂を調達しました。
ここのオリジナルブランドはわたしの好むところであります 
=^_^=
わたしは気に入らないお砂には、おかあさんにそう伝えます。
お砂を周囲にまきちらかせば、おかあさんならずとも気づこうものでしょうけど
 =^_^=

酒屋さんに寄り、人間のガソリンを調達し、オカノ鉱油では車にごはんを与えました。
ハイオク@137/lと高くなったものであります。
でも、オカノはセルフ店よりも安いと思います。
“こっちの車(おにーさん車)に慣れましたかぁ〜 
(^・^)
ヨシダくんは、イヤな言い方をするにゃ〜 
(^^ゞ
おにーさん車は、おかあさんが運転すると、8km/lも走ります。
・・おにーさんは5km (^^ゞ

車中、数週来、山下達郎の番組を聴いています。
日曜喫茶室とともに、以前はよく聴いたものでもあります。
なつかしいものもあり、古さが新鮮なものもあります。
“『そのてにのるか』とは思いましたが、『ソノリテ』にはノリました”
というリクエストはがきに感心しました。
リクエストはがきというものにも 
(^^ゞ
わたしは車内では軍歌が聴きたいのであります 
(ロ_ロ)ゞ

夕方は読書し、夜はTVの時間でありました。
ペ以前、おかあさんのアイドルのトヨエツというものには、ずいぶんとわたしはメーワクしたことを思い出しました 
(-.-#)
室内に貼られたポスターの人が、わたしの“ホントーのおとうさん”と吹き込まれるのです。
毎度変わるのですからわたしは何度往生したことでせう(嘆)

・・“おとうさん”というものをわたしは知りません。
おいしいものなのかしらん 
(?_?)


10月1日(土曜日・衣替え)

10月というのに暑い日で、衣替えどころではありませでした f(^ー^;
わたしだって換毛の準備に励んでいるのににゃ〜 
=^_^=
でも、おさんぽのときの“暑いですね〜”が、わたしのゴージャスな被毛に対して“暑っくるしい”のニュアンスがなくなりました (^^ゞ


まず、中山道わたったところにある仏具屋さんに行きました。
『店舗移転につき閉店セール』のポスターがあったのです。
改築のの際にしたように、適当なる仏具を新調したかったのですが、少なくとも大正12年以前のわがお仏壇には似合いのものはありませんでした。
30%OFFに惹かれてはいけないようです (^^ゞ
最近の仏具には、ペットのお位牌もありました。・・お祓い!! 
(-人-)..

HOPビルの
朱鷺では、また日本語レッスンに参加してしまいました 
(^_^)
“おとうさん”、“おかあさん”、“おじさん”と呼び名がつづいています。
わたしのに場合はおかあさんの“お子様” 
(*^。^*)
日中辞典にも、この言葉は載っていました。
必ずしも辞書に載っている言葉ばかりを話しているというものでもありません。
おかあさんなぞは殆どスラングのみで生きているのではないでしょうか 
ヘ(∧∧;ゞ

“あおむけにねてください”などと書かれた単語カードがありました。
マッサージのお商売用語から最初に覚えないといけないようです 
f(^ー^;

おかあさんから習ったにせよ(失笑)、わたしがニホン語を能くすることに、大方の人同様、朱鷺の社長も懐疑的であります 
(-.-#)
“でも、何を考えているんだろ〜ね〜”
わたしの顔をのぞきこんで彼は云いました。
“日経株価が上がった、というようなニュースを見ているよーです 
(--)(__)
というようにおかあさんは代返しておりました。
“では、
靖國モンダイは?”
と社長がわたしに訊きました。
こほん。
靖國神社愛好家のわたしには、中国人を前に見解は述べられません 
(^_^;)

カメラのさくら屋では、カウンターにわたしを残して、おかあさんはお隣のコンビニにケータイの料金を振り込みに行きました。
ウワサには万の単位の料金を払う輩がいるとは聞いていましたが、まさか!! こんなに至近にいるとは知りませんでした(嘆)
“身に覚えがある”と本人が言うもなさけなかったです 
(・_・、)

洋々堂では、カヨコさんとまた!! 『四月の雨』で盛り上がるのです(嘆)
DIMEという雑誌の\100shopの記事を立ち読みしました。
お持ち帰りは、朝日新聞刊の『築地完全ガイド』 (*^。^*)
ツケ払いの待合い室用にするか迷いましたが、自宅用としました。

夕方、週末恒例のヤリちゃんの乱入がありました。
おかあさんはPCの前、わたしはその横のサボテン型爪研ぎのふもとでおかあさんを監視しているときでした。
お玄関から入ればすぐにリビング、その先にわたしたちの居室があります。
見晴らせる間取りです。
ヤリちゃんはまず、わたしのお仕事ぶりにおどろいていました。

“くす”った立ち上がったおかあさんであります。
リビングのサイドボードをヤリちゃんに示しました。
“びょえ゛ー!”
ヤリちゃんの第一声でありました。
『四月の雪』の写真集があるのですから、トーゼンといへばトーゼンであります。

“え゛?え゛? え゛?”
ヤリちゃんの嘆声は30回はありました。
“しやら(おかあさんのニックネーム)、ほんとー゛ー゛ー゛に行ったの?”
ただでさえ出ている目をさらに飛び出させるヤリちゃんこそがただしいのてず。
にっこりとうなづくおかあさんこそ、“魔がさしている”のです。・・と、わたしは思いたい(嘆)
“すてきだったわ゛〜”
(嘆)

おにーさんも診療後にこの一派に加わり、朝鮮ぐるいのおかあさんも魚河岸の本で盛り上がっておりました。 
(^^ゞ


この会も散会し、わたしのゆうごはんの時間でありました。
“るうちゃん、ごはんよ〜”の声にわたしは網戸ごしにベランダから応えました。
“(網戸が)開いていたのかしら?”
“開いてたから、オレ、閉めた・・”
わたしはベランダの探索を愉しんでおりました 
=^_^=
ただし、何時からかは、ないしょです
(^+^)
(↑自動書記、かなり苦しい記述 
(^^ゞ

 

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