映画のページ

ピーマン

しあわせな孤独 /
Elsker dig for evigt /
Open Hearts

Susanne Bier

2003 DK 114 Min. 劇映画

出演者

Sonja Richter
(Cæcilie - ヨアヒムの婚約者、コック)

Mads Mikkelsen
(Niels - マリーの夫、医師)

Paprika Steen
(Marie - ニールスの妻、主婦、事故を起こす)

Nikolaj Lie Kaas
(Joachim - セシリアの婚約者、事故の被害者)

Stine Bjerregaard
(Stine - ニールスとマリーの長女、反抗期)

見た時期:2002年12月

ストーリーの説明あり

なぜ Elsker dig for evigtOpen Hearts になってしまうのかは分かりません。デンマーク語はからきしだめなのですが、アイスランド語から演繹すると、「あなたを(dig)永遠に(for evigt)愛している(elsker)」という感じです。アイスランド語を習っても全然使う機会がなかったのですが、最近スウェーデンやデンマークの映画を見る機会が増え、タイトルを理解する時役に立ってしまいます。先生はきっとそんなつもりではなかったのでしょうが。デンマークの方、間違っていたらごめんなさい。

正真正銘デンマーク映画ですが、監督と主演女優の名前はまるでドイツ人のようです。

助演女優の名前はまるで北ドイツの方言のようです。パプリカというのはセルビア語でピーマンのことなのですが、ごくたまにこれを女性の名前にする人がいるようです。これまでに一般人1人、有名人1人の例を聞いたがあります。今回は有名人の方。正式のドイツ語でもピーマンをパプリカと言います。

Steen はまるで北ドイツの人が「石」と言う時の発音のようです。皆さんアインシュタインとかルビンシュタインとかフランケンシュタインという名前をご存知でしょう。あれ、1個の石、ルビーの石、フランスの石といった意味。「フランスの石」などと暴言を吐くとフランス人からもドイツ人からもクレームがつくでしょうが、フランスというのは「フランク人の国」というところから来た名前。フランク人というのはゲルマン人です。羽振りが良かったのは500年頃から1000年になるちょっと前ぐらいまでで、現在のドイツ、フランス、イタリアはフランク王国の領地内。ドイツには今もフランケンという地方がありますし、フランスという国名にも関連しています。ついでながらドイツ人は今でもフランスのことを Frankreich、「フランケンの帝国」と呼んでいます。

ま、話を元に戻してステーン。北ドイツの人が「石」と言う時は「シュタイン」ではなくて「ステーン」になってしまいます。ドーバー海峡を越えると「ストーン」。デンマークは北ドイツのちょっと先。ハンブルクより北に行くと、戦争の頃まではデンマーク語も話していたドイツの地域などというのもあります。このあたり文化、言語の境があいまいです。

さて、話を映画の方に持って行きましょう。ドグマ映画というと癖があって、好きな人と嫌いな人に分かれると思います。私は偶然見る機会が何度もあり、結構見ている方です。驚いたことにすでに29本できているそうです。そして今回は29本目を見ました。幸せになるためのイタリア語講座でもご紹介したように、デンマークの監督が数人集まって、地味な映画を作るための規則を作り、規則通りに作った作品に番号をつけています。もっぱらデンマークの映画中心ですが、たまに外国の監督の作品もドグマ映画だと認められています。

後記: 2003年1月中旬の時点で30本を越えました。参加国も増えています。

今回は女性の監督。出演者の1人はドグマ設立の頃からのメンバー、パプリカ・ステーン。名前がおもしろいので覚えていました。上でも説明したように日本語に訳すと「石ピーマン」さんです。

そのピーマンさんが疲れているのに夜8時、コペンハーゲンから飛んで来てくれました。私は彼女のドグマ映画を4本見ていたのですが、後で直接話していたら「自分はドグマではその4本しか出ていない」と言い、私はそれを全部見ていたので感謝されてしまいました。私に取っては彼女はデンマークを代表する大スター。ドイツで言えばハンネローレ  エルスナーぐらいの価値です。ところが非常に気さくな人で、映画館のロビーに立っていて、その辺の人とおしゃべりしています。気取った所など全然無い人です。

ドグマでよく重要な役をやっていたので、ちゃんとした演劇学校を出た有名なスターなのだろうと思っていたのですが、本人の話によると、ドグマの仲間に当たるトーマス・ヴィンターベルクとは演劇学校で知り合い、その後彼が監督をする段になって話が進み、彼女も出る事になっただけなのだそうです。そしてまだ経験の浅かった彼女は演技をドグマの映画に出ながら学んだと言っていました。演劇学校では成績もそれほど良くなく、入学が許されたのも22歳ぐらいになってから、学校に入るために5年もあれこれ画策し、入ってみたら4年で追い出された(卒業)とユーモアを交えて言っていました。

監督の中ではトーマス・ヴィンターベルクとウマが合うようで、ラース・フォン・トゥリアは気難しい監督だと言っています。彼は俳優をヒッチコックのように扱い、しょっちゅう気まぐれにあれこれ注文をつけるようです。という話を聞くと、ダンサー・イン・ザ・ダークで石頭のビヨルクと大喧嘩になったのもうなずけます。しかし女優としてステーンはわがままを通せるとも言っていました。今回の映画でも実は彼女は看護婦の役をやることになっていたのだそうですが、「嫌」の一言で、役は主人公の奥さんに代わりました。この2つの役の女優さんなら入れ替えても大丈夫そうです。どちらも重要で、負担を背負った女性の役です。ドグマ映画を作る時は監督と俳優がよく話し合いをするため、役が次第に変わって行くこともあるのだそうです。

観客が質問をしてもいいことになり、いくつか質問が出ましたが、中の1人がドグマ映画ファンらしく「今回の映画には規則違反があるのではないか」と聞きました。ステーンの答「あるけれど、そんな事は気にしない」 − 「規則というのは破るためにある」とある英国の先生が言っていたのを思い出しながら私は内心拍手喝采。そう来なくちゃ。

ドグマのルールは10ほどあるのですが、重箱の隅をつつくような見方をすればどの作品からもアラが出て来ます。要は原則というのを作り、なるべくそれに近い作り方をして、観客の目を監督、脚本家、俳優の能力の方に向けさせ、特殊効果や雷のような大きな音でごまかすのは止めようという事です。マトリックスのような映画はそのジャンルで最高におもしろいですし、アイス・エイジのようなアニメも愛すべきスクラットなどが出て来て楽しいです。それぞれその方面の極限に挑戦しています。ドグマの人たちは演技力や演出の方で頂点を極めたいのでしょう。ドイツには几帳面過ぎて規則に振り回される人もいるので、パプリカ嬢の答が気に入りました。きつ〜い規則を作って、ちょっといんちきするのは見逃そうというわけです。

さて、この日上映された映画について少し触れましょう。

婚約したばかりの若いカップルのセシリアとヨアヒムが駐車場で「いってらっしゃい」などといちゃいちゃ挨拶しているところに、パプリカさん演じるマリーの車が飛び込んで来て、ヨアヒムが轢かれてしまいます。重症。

轢いたのは主婦マリー。ご主人のニールスは被害者が収容された病院で働いている医師。事故とはいえ、反省している加害者ですが、家では普通の生活が続きます。一方婚約者2人は壊滅的な打撃を受けます。ヨアヒムは下半身不随。頭だけ自由になります。セシリアは彼の元にとどまろうとしますが、事の重大さを悟ったヨアヒムは彼女との交際を一切断わります。内心孤独、悲しみに襲われ、我が身の不運を呪っていますが、健康なセシリアを自分の世話のために縛り付けることが不可能だと悟っています。不随ということが分かってから、セシリアだけでなく周囲につらく当たります。世話をしてくれる看護婦にすらひどい事を言います。絶望しかかっているセシリアを加害者の夫ニールスが時々慰めます。それが行き過ぎて不倫に発展。そのため加害者の家族も崩壊に向かいます。

それだけの話ですが、途中ユーモアと悲劇を混ぜて、単純なストーリーを現実的に語っています。主演はセシリアとニールス。この映画で夫役のマズ・ニッケルセンは「デンマークで1番セクシーな男性」と言われるようになったそうですが、この人全然セクシーでも何でもなく、不精髭生やした普通のおっさん。その普通ぶりが良いです。セシリア役のソニア・リヒターはステーンの話ですとこれがデビューでまだ全然映画の経験がないのだそうです。雑誌の記事には舞台出身だとありました。姿は弱々しくワイノナ・ライダーとよく似ています。演技は映画が初めてだとしてもかなり堂に入っています。北欧の映画に出る人は皆わざとらしさがなく、自然な演技です。

後記: ニコライ・リー・カースを見たのはラース・フォン・トゥリアのイディオッツが初めてでしたが、その後 Old men in new cars でも見ました。これは2003年のファンタ参加作品。主役級です。これで済むかと思ったら今年(2004年)のファンタではマズ・ニッケルセンと共演で堂々の主演。話は年が経つにつれおかしく傾いて行き、2004年にはとんでもない事になっています。

監督が描こうとしたのは「ごく普通の幸せな、多少退屈な当たり前の生活というのは、普段気付かないけれど、何の保証もなく、いつ何が原因で崩れるか分からない、いったん崩れ始めたらドミノ効果でその辺の物を全部巻き込んでしまう」という事だそうです。これが載っていた記事に書き忘れただろうと思われる事があります。思いがけない幸せも何が原因で転がり込むか分からないという事。

Små ulykker に比べると笑えるシーンは少ないですが、 それでもドライなユーモアがあちらこちらに出て来ます。前半8歳の男の子がニールスに「僕きっとゲイだよ」と言います。ニールスは顔色も変えず「ゲイかどうかまだ分からないよ。12歳ぐらいまで待ってごらん」とやさしく返事します。 また別なシーンでは反抗盛りの娘スティナが父親ニールスをののしったので、ニールスは妻のマリーに「聞いたかい、スティナが何て言ったか」と言います。すると妻は「この子が私をののしる時は東ドイツのレズビアンと言うのよ」と答えます。 これを聞いた時最初何の事か分かりませんでした。私はちょっと鈍いのですが、映画が終わって数日して、これは「この世で最低の女だ」と言っているのだと判明した次第。 交通事故でヨアヒムが頭以外全身不随になったと分かった時も「セックスはだめなのか」「だめだろうな」などという会話が恐ろしくドライなトーンで飛び出します。デンマーク人に感情が無いのではなく、イギリス人などよりもっとドライな話し方をするということです。ヨアヒムの人生に起きた一大悲劇大不幸とそれを話題にする人のドライさの落差があまり大きいので、観客は思わず笑ってしまいます。

この種の笑いはしかし日本人にも無縁ではありません。ちょっと前 Monday という映画を見たのですが、あの乗りは最近のデンマークの乗りと通ずるものがあります。日本の監督も捨てたものではありません。

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