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パニッシャー /
The Punisher

Jonathan Hensleigh

2004 USA 124 Min. 劇映画

出演者

Thomas Jane
(Frank Castle - 囮捜査官)

Samantha Mathis
(Maria Castle - フランクの妻)

Marcus Johns
(Will Castle - フランクの息子)

Bonnie Johnson
(Betty Castle - フランクの母親)

Roy Scheider
(Frank Castle - フランクの父親)

John Travolta
(Howard Saint - 事業家、マネーロンダリングのボス)

Laura Harring
(Livia Saint - ハワードの妻)

James Carpinello
(Bobby Saint - ハワードの息子、銃撃で死ぬ)

James Carpinello
(John Saint - ハワードの息子、ボビーの双子の兄弟)

Will Patton
(Quentin Glass - ハワードの手下)

Tom Nowicki
(Lincoln - ハワードの手下)

John Pinette
(Bumpo - アパートの隣人)

Ben Foster
(Dave - アパートの隣人)

Rebecca Romijn-Stamos
(Joan - アパートの隣人)

Mark Collie
(Harry Heck - C&Wの殺し屋)

Kevin Nash (ロシア人の殺し屋)

見た時期:2004年6月

ストーリーの説明あり

マンガの映画化。知らずに映画館に行ったので、最初はやや戸惑いました。冒頭にマンガが出たので、ああ、あの有名な会社のマンガなのだなと認識しましたが、始まってみると、B級の中ぐらいの出来。パナマの仕立て屋のピアス・ブロスナンという感じの男が出て来ます。有能な FBI 囮捜査官フランク・キャッスル。武器密輸を捜査中です。まだ若いですが、家庭を考えて、これが最後の仕事ということになっています。それを無事終えて引退。一路家族の元へ。

仕事の関係上これまで引越しばかり続けていたキャッスル家はこれを機に家族仲良く暮らそうということになり、親子3代が常夏の地に集まってパーティー。ところがそこを襲われ、家族は皆殺し、フランクも取り敢えずは殺されます。死ぬ前の父親の様子からすると、父親も以前は危ない仕事についていたような感じが漂います。演じているのがかの有名なロイ・シェーダー。カリブ海地方で引退生活を送っていたイアン・フレミングを思い起こさせます。フランク・シニアの私生活はフレミングとは違い、家庭的。フランク・ジュニアの妻も彼の職業を知った上で結婚しており、危険はある程度承知。フランクの引退を機に静かに暮らせるという期待で胸を膨らませていたので、いやが上にもフランクの悲劇が盛り上がってしまいます。

主人公が冒頭の20分で死んでしまっては後が続かないので、瀕死の重傷を負って助かります。ここからは職業意識、モラルは投げ出し、復讐の鬼と化します。ですからタイトルは、《罰する人》でもいいですが、《処刑人》としてもいいですし、《復讐鬼》でもいいわけです。ただ、これは螺旋階段か、DNA の見取り図みたいなもので、フランクには復讐する理由がありますが、対するハワードにも復讐する理由があり、どろどろ。フランクが「あれは任務だったんだ、公私行動してもらっては困る」と言えば、トラボルタのハワードも「うちの息子は会社の職務中に殉職したんだ」と言いかねません。結局どちらも復讐の鬼と化して、死人を増やして回っているだけで、双方の理屈が噛み合う兆しは見えて来ません。単純な見方をすれば、こういう職業を選んだリスクが前に出てしまった物語です。さて、世間は彼が死んだと思っています。怪我はこっそり知り合いに手当てをしてもらい、取り敢えず両足で立てるぐらいに回復。ホームレスのような出で立ちで旅立ちます。

このあたりまでは冒頭ブロスナンの名を挙げたように、やや現実的な作り。ブロスナンはパナマの仕立て屋では悪役でしたが、服装、態度などは非常に現実的になっていて、英国の諜報機関などに務めていても、皆が皆ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドのようなぱりっとした出で立ちで、正義の名の元に大きな口は利けないという、現実路線の演技をしていました。フランクも超人でなく、撃たれれば怪我をする、家族を皆殺しにされれば落胆するという、普通の人間に描かれています。主演のジェーンも筋肉マン・ハルクではなく、普通の、それどころか最近のボディー・ビルディングをしている若い俳優よりもずっと普通の出で立ちでした。

調子が狂ってしまうのは旅立ちのあたりから。ホームレス風の出で立ちがもう変に思えますが、この後はファン・ダム路線に近くなります。ファン・ダムという人はせっかく白人が東洋の武術を使ってスクリーンに登場するというコースを発見したのに、どういうわけかその後こけて、大スターと呼べる域に達することができませんでした。これと言って大失敗したわけでもなく、スキャンダルがあるわけでもないのですが、白人のブルース・リーにもなれず、タランティーノ路線にも乗っておらず、中途半端なままです。ジェーンもちょっとそのような中途半端な演技になって行きます。

後記: ファンダムはその後年を取って行く元アクション・スターという立場を逆手に取り、とんでもなくおもしろい作品を作りました。すると今度は他の年を取って行くアクション・スターが大挙して、年寄りギャグ満載のパロディー・アクションを制作。ファンダムにも声をかけたようですが、首領のスタローンは振られてしまいます。ところがその続編にはファンダムも登場するという噂があります。

ジェーンの場合監督の方針の犠牲になった感があります。前半は映画全体を見ると割に現実的な路線で、私はこれがマンガだとは感じませんでした。ちょっとインパクトの弱いスリラー、復讐劇だろうという感じ。B級だったらこのぐらいでもまあ、合格点ぐらいあげてもいいかというセン。ところが家族が死んで復讐を誓ったあたりからマンガ路線に変更。ジェーンの筋肉が目立つシーンが増えます。あまりプロットをきっちり詰めず、説明は省いてどんどん復讐の準備を進めて行きます。その間にどういうわけか同じ人物なのに印象が変わります。マーベル・フレーバーが増えます。始めはやや間伸びした男という感じですが、復讐に取りかかるあたりからはその長めの顔が、マンガの絵のようにきりりとし始めます。その分人間的な表情が消え、パターン化します。これが演出なのか、あるいは暫くスタジオで働いているうちに自然にそうなったのかは分かりません。

前半の路線を貫くか、後半の路線を前半にも使うと統一が取れて、評価がもう少し上がったかと思います。アラは大きく目立ちませんが、途中でコース変更になったように思えました。監督はこれがデビューだとかで、ま、最初の作品なら仕方ないかとも思います。センチメンタルな作りももう少し引き締めて、徹底的にセンチにやるか、徹底的に排除して非情路線にするかのどちらかにすれば良かったと思います。シンボルマークの髑髏がついたTシャツが出て来るので、こういう風にやるのなら冒頭の現実路線を止めた方が良かったと思います。そうすると最後の火事のシーンがもっと生きたかも知れません。

筋の続きをたどりましょう。なぜフランクの家族パーティーが襲撃されたか。 − 彼が FBI の最後の仕事で捕まえようとした男の1人が死んでしまうのですが、それがトラボルタの息子だったからです。トラボルタが悪役の主演をやる時は恐い。フェイス/オフしかり、ソードフィッシュしかり。徹底しています。彼は執着するタイプなのです。彼が執着している美人の妻が、息子を亡くした怒りで「フランク1人でなく、家族全員を殺ってくれ」と言うので、夫のトラボルタは「やってやろうじゃないの」と決心。それをトラボルタに忠実な部下がきっちり実行。それであの襲撃となったのです。

ちなみにここに連れて来た女優はぴったりのキャスティングですが、彼女が出せるねっちりした面があまり出ていません。また、彼女は高級娼婦とか、大金持ちのギャングの妻の役にも合う女優ですが、トラボルタ演じるハワードほどの富豪の妻だったら、もう少し上品な服装にしたら良かったと思います。作品自体はあまりいい出来ではありませんでしたが、彼女が主演の1人だったマルホランド・ドライブでは彼女のシーンだけは個性がきれいに出ていました。彼女は一時ドイツの伯爵の夫人だったことのある人で、ご主人だった人はビスマルク。また、全米初のラテン系のミス・アメリカだったり、その他女優以外の面でも活動しています。悪役でも上品な面が出せる人です。

さて、おとしまいの方ですが、今度は1人生き残ってしまったフランクの番。「やってくれたじゃないか、今度は俺がお前の大切な物を奪ってやるぞ」となるわけです。フランクは妻の分、息子の分、両親の分と、知り合いの分、そして引退後の静かな生活が奪われた分、と恨みを二乗、三乗、四乗、五乗していますから、こちらも同じぐらい徹底しています。手始めにトラボルタが執着しているお金。彼は表の事業の他に私設銀行を持っていて、キューバ系の麻薬の収益金をお洗濯するランドリーの仕事を裏でやっていました。フランクはその裏銀行家としての信用を落とすような事をします。高層ビルの上から預かった現金を町にばら撒いてしまいます。次も現金を狙い、移送中に燃やしてしまいます。

こういう事件では被害者トラボルタは当局に訴え出るわけにはいかず、金を預けたギャングたちからはせっつかれ、お尻に火がつき始めます。で、彼の方も必死でフランクを追います。フランクは町の貧乏長屋に身を隠していました。隣人3人には間もなく彼の正体がばれますが、3人は彼を当局へ売る気は無く、そのまま暮らしています。トラボルタの舎弟の者に居所を気づかれ、襲われますが、フランクがどこに隠れたかは言いません。

フランクはどうせトラボルタ一家を滅ぼすつもりではいましたが、隣人が拷問までされたので、カッカ。いよいよ最後の詰めです。トラボルタの本拠にはフランクのスパイが1人入っていて、まずは奥方を片づけます。一石二鳥を狙い、ゲイの舎弟 No.1 と浮気はしない奥方を不倫カップルに見せかけ、トラボルタが自分で2人を片づけるように仕向けます。次に息子が爆死。そして最後に本人も。

作品中有名人 No.1 はトラボルタで、お気に入りの悪役をやっていますが、そこにいるだけで悪そうに見えると思ったのか、演技はちょっと控えめ。有り体に言えば手抜き。この人はやる気になったら徹底的に悪い男になれますが、マンガは子供も見るかもしれないので、押さえたのでしょうか。ちなみにこの作品は欧州の何か国かで16歳、ほかは18歳以上となっています。セックス・シーンはゼロなので、暴力が嫌われたのかも知れません。18歳未満を禁止するほど暴力が出るかと言うと・・・他の映画の方が凄いです。拷問のシーンも1つは主人公のおちょくりで、実際には拷問される人間を傷つけません。もう1つはちょっと痛そうなシーンですが、拷問前と拷問後のシーンが出るだけで、他は自分で想像して下さいという趣向。最後は無事病院に入院できます。1つ問題になりそうなのは、襲って来た殺し屋が逆襲されるシーン。これはちょっと熱そう。ドイツはしかしセックスには甘く、暴力には辛い国なので、順当かとも言えます。あるいはドイツ版はカットしてあるのかも知れません。ファンタですとノーカットですが、普通の映画館ですと、2時間の枠に合わせたいとか、全く別な理由でカットもあり得ますし。そしていざカットとなると、やはり暴力シーンが1番先に候補に上がるでしょう。

私は特定の映画の特定のシーンが暴力的だからと言って、それがすぐ子供に影響するという考え方は持っていません。実際実験報告があり、自分が身近にそういう事を知っている子供は暴力映画を食い入るように見、そういう事と無関係に暮らしている子供は、目の前のテレビで暴力ビデオをやっていても、無視しておもちゃで遊び続けるという報告があるのです。しかし子供が暴力映画を見た上、まだ人が死ぬというのがどういう事か理解する年齢に達していないと、先日のような不幸な事件になってしまう場合があると思います。ですから、低年齢の子供にわざわざ暴力を見せて宣伝する必要はないと考えています。それは法的な規制などでなく、本来は大人が子供がテレビを見る時間やビデオを見る機会を調整すれば済むことです。私の時代にはまだ親の言う事にある程度権威があったのかも知れません。私は長い間《夜8時までの番組は見てかまわない、それ以降は寝る》などという規則に縛られていました。しかし《あと数年すればその先も見られるのだ》と分かっていたので、別に不満にも思わず、8時過ぎになると眠っていました。映画館も《親同伴でしか行けない》ようになっていましたが、《あと暫くの我慢だぞ》と思って、それ以上無理は言いませんでした。実際現在では年に恐ろしい数見ることができ、心から楽しんでいます。待った甲斐があったと言えます。現代の子供を止めるのは難しいのかも知れませんが、子供に待つことを教えるのは悪い考えではないと思います。絶対に行けないのではなく、今はだめ、今は別な事を覚える時期なのだ、年が来たら自分で判断していいという理屈は子供にも理解できるのではないかと思うのですが。そう考える私がもう時代遅れなのかも知れません。

話を元に戻して、ゲイの舎弟 No.1 も、最初映画がまだ現実路線の段階では、なかなか貫禄があってクールです。ところが後半マンガ路線に入ってからは軽くなってしまいます。ウィル・パットンは前半のシーンは渋い味を出していますので惜しい。前半は他の悪役俳優も皆印象に残る表情を出しています。このあたりは監督の能力を評価しても良いかも知れません。

以前作られた映画では残酷シーンが多いそうですが、このリメイクではそれほど過激ではありません。リメイクでは視覚で残酷なシーンはあまり出さず、向こうでドンと音がした − あれは息子が爆死したのだという風で、肉の切れ端になって死んで行く息子を撮影したりはしません。奥方も「キャーっ」と叫んで、あとは列車が映るので、私たちは、奥方が轢死したのだと想像するという仕掛けになっています(電車が通っても死なない運の良い人もいるのですが・・・)(ただトラボルタが奥方に言う憎まれ口にはカチンと来ます)。トラボルタが死ぬシーンは人形かスタントマンが映りますが、燃えているのは洋服だけだろうというのは丸分かり。

殺し屋にはちょっと個性があります。最初の男はデスペラードのようにギター・ケースを抱えて現われます。で、マシン・ガンでも取り出すのかと思うと、おもむろにギターを取り出し、ジョニー・キャッシュ風に歌い出します。しかしそれでもこの男は殺し屋。後でちゃんと襲って来ます。このシーンはどこかのパクリみたいに見えます。2人目は本職がレスラーという大男。やり返してもやり返してもやり返してもやり返しても全然へこたれずに襲って来るのが恐いです。 こういったシーンがあるので、やはり全体はマンガチックです。ですから、私の結論も「漫画路線で通せ」です。

隣の女性と結ばれるわけではなく、復讐が終わるとまた旅に出るので、続編が作れそうな様子ですが、見終わって、あまり続編が見たいという気はしませんでした。

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