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Balls /
Männer wie wir

Sherry Horman

2004 D 106 Min. 劇映画

出演者

Maximilian Brückner
(Ecki - ケーキ屋の息子、ゴールキーパー)

Lisa Potthoff
(Susanne - ケーキ屋の娘、看護婦、エッキの姉(妹?))

Dietmar Bär
(ケーキ屋、エッキの父親)

Saskia Vester
(ケーキ屋、エッキの母親)

Rolf Zacher
(Karl - 飲み屋のおやじ、元有名選手、トレーナー)

Mariele Millowitsch
(Elke - カールの連れあい)

David Rott
(Sven - 看護人)

Christian Berkel
(Rudolf - サドマゾ・ハーレーダヴィッドソン男1、ヤンの父親)

Charly Hübner
(Horst - サドマゾ・ハーレーダヴィッドソン男2)

Markus John
(Tom - サドマゾ・ハーレーダヴィッドソン男3)

Andreas Schmidt
(Jürgen - FCの応援団)

Hans Löw
(Klaus - 本屋)

Billey Demirtas
(Ercin - ケバップ屋の息子)

Edesson Batista De Jesus
(Ronaldo - ブラジル人選手1)

Edilton Pereira Da Cruz
(Ronaldinho - ブラジル人選手2)

Jochen Stern
(Rudi - エッキの店に嫌がらせを言いに来る客)

Carlo Ljubek
(Udo - ライバル選手)

Felix Vörtler
(ウドの父親)

見た時期:2004年9月

公開はこれから、10月中頃です。

二重に男性の世界を描いているのですが、そういう作品を女性監督が撮ったというところがおもしろいです。これは

 ・ サッカーの世界
 ・ ゲイの世界

の話なのです。

エピソードはパクリっぱなしです。ちょっと考えただけでもすぐ浮かぶのが、ウォーターボーイズ(井上さんのおかげで知っている!)、フル・モンティーKen ParkKissing ジェシカラガーン。コメディー版スポーツ根性物ですから、似てしまうのは仕方ないでしょう。最初失望の連続、やがてやる気を出して・・・という展開です。

次にドイツの(ゲイ)事情。舞台が田舎町だというところが重要です。ベルリンは特殊事情。外国から差別を避けて避難・亡命してくる人がいるぐらいの町で、ヘテロ(ゲイで無い)男女も考え方がリベラル、ゲイの人口密度も高いです。その他のドイツはそこまでオープンではありません。特に田舎は保守的。女性解放運動すら保守的な男性軍からにらまれることがあります。比較的自由なのは大都市。メディア関係者、芸能関係者の多い町ほどリベラルです。ですから主人公エッキーの住んでいる田舎町はかなり保守的。近くにあるドルトムントという工業都市の方がやや楽です。ドルトムントには本当にゲイのサッカーチームがあるという話も聞いたことがあります。

そして問題の頂点はサッカー。サッカーというのは男の中の男がやるスポーツ。女性の入る隙もありません。欧州全体がそういう雰囲気。ですから女性がサッカー・ティームを結成するのすら難業。ですから選手がゲイですと他のメンバーからは軽蔑され、裏切り者扱いを受けます。《あいつらはサッカー場を汚した》などというせりふがトレイナーから出るのも、自然な成り行き。しかしサッカーというスポーツはドイツ国民が大好きな種目で、日本では相撲や野球に相当します。ですからゲイの若者がサッカーをやりたくなるのは当然。ゲイ・ティームが生まれるのは時間の問題でした。

さて、そのほかにも知っておくと役に立つ話として、トルコ人のゲイ青年の話があります。映画ではさらっと取り上げ、父親も容認、応援となっていますが、実はトルコ人がゲイであるということは、ドイツ人よりもっと難業なのです。イスラム教というのは男性の関係を厳しく禁じています。息子がゲイだと知って喜ぶ父親というのは非常に珍しいです。実はトルコには有名なタレントで女性の姿をして踊る人がいるのですが、彼のショーは禁止になったりとかなりの騒ぎになったことがあります。

ゲイにはいろいろなタイプの人がいますが、クリシェーとしてよく知られているのが、女々しいタイプとサドマゾタイプ。実際にはもっといろいろな人がいて、メディアがおもしろおかしく取り上げるようなタイプばかりではありません。しかし話を分かりやすくするために、とりあえずそういうタイプがティームに入っています。しかし主人公のエッキのようにごく普通の若者というケースも山ほどあります。また、ルドルフのように1度へテロの生活を始め、子供まででき、それから自分はゲイだったと気づいて路線変更する人もいます。無論その反対の人もいるはずです。

とまあ、このぐらいの事情を頭に入れてから見ると、いろいろなところで納得しながら笑えます。

Boldrup というドルトムント近郊の田舎町。親子3人でケーキ屋をやっています。息子エッキーは地区のサッカー・ティームのゴールキーパー。ライバル・ティームとの決戦で相手チームの選手が大げさに怪我のふりをし、まんまとしてやられ、負けてしまいます。

失意の中、いつもの通り試合の後仲間と集まってあれこれやっている時に、エッキーはメンバーの1人に愛の告白。彼はゲイの傾向があったのです。告白された方はびっくり。サッカーなどという男らしいスポーツでゲイはタブー。即座に拒否の態勢。運悪く他のティームメートに見られてしまい、彼はティームから放り出されてしまいます。町中の笑い者、軽蔑され、親からも家の恥だと言われてしまいます。お母さんはゲイだということより息子だという方を優先して考えてくれるのですが、町には居づらくなります。《ゲイだってサッカーはやるのだ》という決心を固め、とりあえずは姉(妹?)スザンネの住むドルトムントへ緊急避難。

スザンネはわりとすんなり受け入れてくれ、とにかく住む所は確保。エッキは4週間後に田舎のティームと対戦すべく、ゲイのサッカー選手を探し始めます。この辺はブルース・ブラザーズフル・モンティーウォーターボーイズのミックスです。有名チームの応援団がたむろする酒場に行って選手募集のチラシを配っていたら、ゲイだと分かって追い出されたり、ゲイバーに姉と一緒に入ろうとしたら、女はだめと言われ、ようやく入れたエッキはゲイ男に犯されそうになったり、失敗の連続です。

ゲイだということがタブーでヘテロの男性の前では名乗り出られない男、太り過ぎで体重を減らしたいハーレー・ダヴィッドソン男、スザンネと付き合いたいためにゲイのふりをするヘテロ男、ベッカムにあこがれているトルコ人青年などが集まって来ます。残りのメンバーはオーディション形式。その結果ぎりぎりの頭数はそろいます。交代メンバーなどという贅沢は無し。

荒れ果てたフィールドが近くにある酒場を見つけ、そこでかつては有名選手だったというアル中男カールと知り合います。フィールドと控え室を使わせてもらうことで話がつきます。カールはゲイは大嫌い。その上トレーニング方法も知らず、子供のお遊びのような練習をやっているティームを皮肉っぽい目で見ています。しかし控え室に行くと、荒れ果てて汚れていたロッカールームはピカピカ。ゲイの男性は非常にきれい好きなのです。

ゲイの男性の私生活も楽ではありません。以前はヘテロで小学生ぐらいの息子がいるルドルフ。子供に会いたくて、離婚した妻に内緒で約束。これは妻にも仲間のトムとホルストにも内緒。それがばれてしまいます。この役を演じているのが、es[エス] で38番を演じていたクリスチャン・ベルケル。es[エス] の頃と比べると3年間でかなり太っています。ですからサッカーをやって贅肉を落としたいという希望は本音かも知れません。ベルケル演じるところのルドルフは父親の悲しさをコメディーの中で上手に演じています。皮の上下に身を固め、サドマゾ・クラブに出入りするハーレー・ダヴィッドソン男の別な顔というのがいかにもクリシェー的ですが、そこをしっかり分かって徹底的に父子涙の物語を演じています。

もう1人俳優であっと驚く変身をして見せたのは、アンドレアス・シュミット。彼は Pigs will fly で恐ろしい家庭内暴力男を演じた人です。今度はゲイだと仲間に言えないサッカー・ティームの応援団。Pigs will fly でも、ゲイだということを抑圧しているのかも知れないというニュアンスのちらりと見え隠れする演技でしたが、あちらはシリアス・ドラマで怖い演技。こちらはコメディーで、顔の筋肉も緩んだ楽しい演技。この人はそのぐらいできるとは思っていました。トム・クルーズの従兄弟のウィリアム・マポザーがイン・ザ・ベッドルームでこれに似た怖さを出していましたが、マポザーのドイツ版と言ってもいいぐらいの気合を入れたり抜いたりできる役者です。

こういった演技のしっかりした役者に脇を固めてもらって、主人公たちはウォーターボーイズのように生き生き、のびのびの演技。新人が多いですが、きれいにアンサンブルが決まっています。

補助金をもらっての作品で、経済的には自立した作品ではありません。ドイツの批評でも、力不足を指摘されており、テレビ向きと言われています。私もそう思いますが、ウォーターボーイズが受けたことを考えると、その程度のレベルにはたどり着いています。何しろ楽しく笑えます。女性監督として有名なドリスデュリエに比べ、私はすっきり笑えたので、エンターテイメントとしてはこちらの方にやや高い点をつけます。パクリが多いという点では負けているかも知れません。デュリエに比べ、女流監督だという面が前面に出ておらず、ただの監督というスタンス。女ということを女流監督が前に出すべきかは、個人の考え方に左右されますが、男だ女だという見方が必要無い、この職業には誰でも就けるという時代が来ればいいなと私は思っています。

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