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アグネスと彼の兄弟 /
Agnes und seine Brüder

Oskar Roehler

2004 D 115 Min. 劇映画

出演者

Herbert Knaup
(Werner - 長男、自然環境保護系の党のロビイスト)

Moritz Bleibtreu
(Hans-Jörg - 次男、国立図書館の司書)

Martin Weiß
(Agnes - 三男、ダンサー、トランスセクシュエル)

Katja Riemann
(Signe - ヴェルナーの妻)

Tom Schilling
(Ralf - ヴェルナーの長男)

Susan Anbeh
(Desiree - AV女優)

Vadim Glowna
(Günther - ヴェルナー、ハンス・ヨーク、アグネスの父親)

Lee Daniel
(Henry - アグネスの元恋人)

Oliver Korittke
(Rudi - アグネスのパートナー)

Margit Carstensen
(Roxy - アグネスの友達)

Marie Zielcke
(Nadine - 図書館の利用者)

Martin Semmelrogge
(Manni Moneto - AVのカメラマン)

Ralph Herforth
(Heinz - ギュンターの執事)

Til Schweiger
(ナディーンの恋人)

Andreas Kunze
(管理人)

見た時期:2004年10月

ドイツ映画は長い間補助金をもらって制作されていました。商業的な成功はまず望めないような作品が多数できあがっています。観客はそっぽを向いてしまい、ハリウッド映画の方に関心が行ってしまってから何十年。

私もまだ日本にいる時にドイツ映画祭のようなものを友達と見に行ったことがあったのですが、わけが分からない作品、筋は分かってもおもしろ味が無い作品、寒々としていて見ても好感が持てない作品、何かしらのメッセージをこれでも かこれでもかと押しつけられる作品などが並んでいました。日本語の字幕がついているので、ストーリーは分かります。解説のパンフをもらえたりもするので、話には一応ついて行けます。しかしつまらない。本音を言える高校時代からの友達がいて、2人で「つまらなかったね」と言い合い、口直しに食事に行ったのを覚えています。映画好きという点では彼女もかなりなものでしたが。

当時私が東京で感じていたようなことはドイツに住むドイツ人も感じていたようです。もっともこれは西ドイツの話で、私は当時もその後も東ドイツ制作の映画に触れる機会はありませんでした。その後東だ西だという話は消えてしまったのですが、その後作られた映画には2種類あります。

 ・ おもしろい映画
 ・ つまらない映画

そうなのです。おもしろい映画も時たま作られるようになったのです。その後の発展としては

 ・ 補助金無しで商売が成り立つ映画
 ・ 補助金が無いとだめで、金儲けの見込みゼロの映画

補助金無しで1人立ちできる作品というのはまだ少ないのですが、それでもで無いわけではないのです!ドイツ映画も捨てた物ではない!そのほかに補助金は出ているけれど、共感できる作品、 素敵な作品というのもちらほら出るようになりました。そうです、ドイツ映画は現在進歩中なのです。

そういう中でどのカテゴリーに入れたらいいのか迷う作品がアグネスと彼の兄弟です。補助金は色々もらっています。おもしろい映画とは言い難いですが、70年代に作られた作品などに比べると、目的はわりとはっきりしていて、分かりやすいです。興行成績は赤字になるでしょう。好きな映画とは言えません。見た直後は《補助金だってドイツ人が苦労して作ったお金に違いないはず。それだったらもう少し何とかならないか》と思ってしまいました。腹が立ったのです。しかし見終わって時間が経って、《1度見ておくのもいいか》とも思い始めています。

ドイツの監督には補助金を渡しむかつくような映画を作らせると世界チャンピョンという側面があります。ですから「彼1人が悪いんじゃない・・・」とは言えるでしょう。フランスやドイツでは自国の映画を助成するために大金が投じられます。国の産業を守るという意味で趣旨は良いのですが、出来上がった物がつまらない作品になってしまったり、客が嫌な思いをして家路につくような作品ができてしまうという面もあります。

これはドイツだけの問題ではなく、ジャン・レノーがフランスの作品についても似たような発言をしています。フランスの場合はむかつくような作品ではなく、《全編主人公がべらべら喋り続け、結局何も起こらない》っとまあ、ヴィドックドーベルマンと反対の方向を指摘しています。ドイツもフランスも最近いくつかおもしろい作品が出るようになって来ており、 お先真っ暗ではないのですが、未だにその横ではこういう作品が作られています。

《問題作》と呼ばれるのが勲章だとすれば、アグネスと彼の兄弟も問題作の片隅に置いてもらえるかも知れません。監督はそれで満足かも知れません。しかしこれほどの人材を投入し、大きなテーマを扱ったのだから、もう少し何とかならないものかというのが感想。ドイツの大スター・オン・パレードで、決して下手ではない人たちが次から次から出て来ます。

ルーラーというのは Die Unberührbare の監督です。Die Unberührbare にも補助金が出たのかは知りませんが、やはり見ていて好感の持てる作品ではありませんでした。理性で好くことがかろうじてできる、しかし感情では好きになれない作品です。ただ、Die Unberührbare には1つボーナスがあります。監督が自分の母親の実話を元にして作ったという点。息子としては1番真実に近い所にいたわけで、実生活がそういうものだったのだとすれば、そのまま描いたのは仕方の無いことでしょう。しかしそういうのは1度きりのボーナスです。

ここからストーリに入ります。推理物ではないので、特にネタばれというのはありません。家族の崩壊のドラマです。

まずは家族構成から。年取った父親ギュンターが大きな家で暮らしています。家の大きさを見ると元大学教授、医者ぐらいのレベルですが、家の中は殺伐としています。女っ気がありません。妻と呼べる人はいない様子で、執事と言われる中年の男がいます。

この男の3人の息子が訪問して来ますが、次男ハンス・ヨークは道中長男と喧嘩になり、車を降りてしまい、家まで来ません。この過程で家族の仲の悪さが描かれます。長男ヴェルナーは環境保護を推進する政党のロビイストで、実在現職の外務大臣と同じファースト・ネームの男と電話で話をしたり、公用車の送り迎えがあったり、大きな家に住んでいたりで、政党内では重要人物の様子。ハンス・ヨークは国立図書館で司書をやっていますが、怠け者で気になるのは女性利用者だけ。トイレでデバガメをやったり、仕事中にアルコールを隠れて飲んだり。上司ににらまれています(撮影はベルリンで1番有名な図書館で行われています)。三男アグネスはのっけから女装で出て来ます。背が高くインパルスの板倉のような凄いガニ股。顔は造作が大き過ぎてちょっと女性とは言い難いですが、本人は女性路線に決めている様子。家族もそれを受け入れた様子。

この青年がアグネスと呼ばれているのでタイトルがアグネスと彼の兄弟となっています。日本語にすると目立ちませんが、欧州の言語ですと目立つタイトルです。英語に直訳すると Agnes and his brothers となり、女性の名前のアグネスの後が his になっているので《あれっ!》と思います。

父親は息子たちに「何か困った事があったら連絡しろ」と人並みの事は言いますが、家には複数のライフルが何気なく置いてあったり、執事との関係が不透明で、普通のおじいさんではありません。家族仲の悪さ、次男や三男のはっきりした問題、成功者に見える長男の家庭の亀裂にこの父親が何かの形で関係がありそうですが、深く追求していません。何となくチョコレートに出て来た看守一家のような雰囲気。

3人の息子はそれぞれ大きな問題を抱えています。問題を問題と見ているのが下の2人。問題を無い事のように考えて毎日忙しく暮らしているのが長男ヴェルナー。しかしヴェルナーの家庭に残っているのは外壁だけで、内側はもう崩れています。

長男夫婦にはもう何年も前から亀裂が入っており、妻ジグネは息子(ギュンターの孫)に接近し過ぎ。ヴェルナーは怒るとその話を持ち出します。息子はおもしろがってヴェルナーが困るような事を次から次からやり、揉め事になると母親が極端に息子をかばいます。

ある日ヴェルナーが大臣と電話で話している間にまた問題が起きます。ヴェルナーはトイレに行きたくなるのですが、携帯でなく、普通の電話機だったので書斎を離れることができません。で、書斎に紙を敷いて大便をするのです。この行為には観客も目が点。緊急の場合ですから仕方ないですが、自宅ですし、大臣に「ちょっと待ってくれ」と言えないんでしょうか。言葉遣いからは《お前》、《俺》の親しい仲なのですけれど。この親しさは嘘なのか!?書斎で絨毯の上に紙を敷いて大便をするシーンを息子(ギュンターの孫)がビデオに撮ってしまいます。そこで一悶着あり、母親もまじえての大喧嘩。その後ヴェルナーは切れてしまいチェーンソーで生垣を破壊し始めます。緑の党の重要人物が必要も無いのに、生垣を破壊です。息子は息子でこの生垣の横で隠れてマリワナの栽培をしていました。それが世間に知れたら、次期環境大臣かと言われるぐらいの父親の地位が危なくなります。父親はそのマリワナもチェーンソーでバッサリ。息子は再び冷たい表情でこれを撮影。まだ若いこの息子も普通の人間の感情は冷凍冷蔵庫にしまってあるかのようです。

あの祖父、あの両親からこの息子という図式です。これがきっかけで次男(ギュンターの孫)がチェーンソーで怪我をし、今度はジグネが切れ、子供を連れて家出。ここでヴェルナーはジグネの家出を実力阻止しようとします。で、セックスを強要。ジグネは「セックスをしたら行かせてくれるのか」と聞き、ヴェルナーは承諾。それを聞いて家に入る手間もかけず、真昼間玄関先の庭に停めてあるオープンカーの中であっという間に終え、母親は子供と共にさっさと出て行きます。これが環境にやさしい政治など数々の理想を唱える党の重要人物の行動として描かれています。この家族はその後息子が一時行方不明になるため多少絆が戻りますが、どうしようもなく内面が荒れた家庭生活だということがたっぷり表現されています。

独身の次男ハンス・ヨーク(ギュンターの息子)は図書館でぴちぴちした若い女の子に囲まれ、気が散って仕事になりません(お断わりしておきますが、この図書館にああいう服装の若い女性は時たましか来ません)。実はこの男、病的なセックス中毒で自助会に通っているのです。ある日女性トイレの壁に穴をあけて女性を覗いているのを通報され、首になってしまいます。自助会の仲間が AV 産業に携わっていたため、援助の手が伸び、ポルノ映画に出演。共演の女優とも仲良くなります。しかし運命は1日ずれていました。

AV の友人を演じているのが有名な俳優マルティン・ゼンメルロッゲ。長い間私生活でひどいアル中でしたが、現在止めようとしているところ。時たまうまく行かず失敗武勇伝もありますが、徐々に自分を取り戻している様子。世間も応援しています。数多くのテレビ、映画に出演している人で、堕落した人間や駄目な人間の役が多かったです。しかし今回は AV のカメラマンとは言え、ちょっとこれまでとは雰囲気が違い、虫けらのような役ではありません。演じる方が変わると見え方も変わって来るのでしょうか。

ハードコア・ポルノ・デビューの前日、前に父親ギュンターを訪ねなかったので、1人でハンス・ヨークは父親を訪ねて行きます。家に入ろうとしたところで、アグネスとギュンターが居間にいるのを目撃。ハンス・ヨークが見たのはアグネスがギュンターにブロー・ジョブをやり、父親がアグネスに小遣いを渡すところ。実際はギュンターがウエディングドレスを借りに来たアグネスにスカーフを渡し、アグネスはスカーフの香水の匂いを嗅いでいたのです。父親はその時大きな伸びをしてリラックスしていました。ところが窓側に大きな花瓶が置いてあったので、アグネスが実際に何をしているのかはハンス・ヨークには見えませんでした。で、見えた光景をすっかり違う風に解釈してしまいました。これで父親を訪ねるきっかけを失い、2人の行動を誤解し、ハンス・ヨークは夜父親が眠っている間に家に入り射殺してしまいます。可愛そうなアグネスのためにやったつもりなのでしょう。

その翌日 AV の仕事を始め、それが意外とうまく行きます。これまで負け犬と呼ばれていたハンス・ヨークは皮肉なことに自分に合った職業を見つけ、共演者デジレーとのデートにも成功し、彼女に事実を打ち明けます。デジレーは一緒に逃げることに同意。それで弟アグネスとの最後の別れのためにカフェに出向きます。

三男アグネスは元既婚者。子供も1人います。その後はルディーと同居していましたが、ここでも人間関係がうまく行っておらず、アパートを追い出されてしまいます。失意の中、あるバーで老女ロキシーと知り合い、同居し始めます。ベルリンではゲイは華やかな生活を送っているような印象が強いですが、惨めな思いをしている人もいるのだと改めて考えさせられます。アグネスのような惨めさだけでなく、高齢になると孤独とも戦わなければなりません。と言うわけでベルリンには最近ゲイ専用の老人ホームもできました。

さて、アグネスは最近医者から具合が良くないと宣告されていました。以前ニューヨークに恋人ヘンリーがいたのですが、別れ、その後彼は1人ドイツに戻りました。ヘンリーは仕事で大成功。それでちょうど今ドイツに来ています。町には彼のポスターが張ってあります。先が長くないと知って死ぬ前にもう1度ヘンリーに会いたいアグネス。父親からウエディング・ドレスを借り、めかし込んでヘンリーのショーに出向きます。再会を喜び2人はロキシーのアパートに取り巻きを連れてやって来ます。アグネスの作るドイツのコーヒーを皆で飲み、ヘンリーはアグネスに自分と一緒に(アメリカに)来るように言いますが、長生きできないことを知っているアグネスは断わります。

その後ハンス・ヨークとアグネスはカフェで落ち合います。アグネスは父親がハンス・ヨークに殺されたことは知りません。ハンス・ヨークは外国に逃亡するので会うのはこれが最後と覚悟。アグネスは間もなく死ぬのでこれが最後と覚悟。しかしお互いそれは言いません。楽しい話だけにしようと、ハンス・ヨークの新しい恋人を紹介。それを心から喜んでいる様子のアグネス。ここは家族の絆がほんのわずか良い方向に向かうシーンです。この時のアグネスの表情でマルティン・ヴァイスはかなり実力を見せています。この人は新人俳優。

その後ヴェルナーの家族は半分ばらばらのまま。ハンス・ヨークは恋人と陸路バグダッドへ。アグネスはロキシーに見守られながら死にます。

アグネスがエイズでもないのになぜ死ぬのか不思議に思っていましたが、監督の話ですと、トランスセクシュエルの手術はずさん、かつてのもぐりの堕胎医のように荒っぽいことが多く、アグネスの場合も失敗なのだそうです。それは映画では直接語られませんが、カフェでハンス・ヨークと別れる時、アグネスは下半身から出血しています。私たちはちょうど監督に出くわしたのでその辺の事情を聞く事ができました。

・・・とまあ、えげつないシーンもあり、ヴェルナーの家族が出る所は醜い喧嘩のシーンの連続。有名な雑誌も《一体監督はこんな作品を作って何を言いたかったのか》と、最大級の批判を出し、評価は親指が下向き(=最低)。

私が暫くして考え直したのは次の理由によります。監督はドイツの68年世代と呼ばれるジェネレーションに真っ向から挑戦しています。戦後復興の時代を担った親と対立し、日本が70年安保と言っている頃ドイツではその世代の保守的な親に反対し、当時大学生ぐらいの世代が新しい世代を作りました。フリーセックス、マリワナ、ヒッピーなどの世代で、そこから自然環境保護を唱える政党も誕生。その中心人物と思われる大臣とヴェルナーが親しそうに電話で話しているという設定 になっています。

しかしこの世代の人たちは親としての役目は自ら放棄しています。その結果この世代の親から生まれた子供たちはアイデンティティーの深刻な問題を抱えています。何でも許されてしまう安易な世代、しかし何が正しいか分からない世代を68年の人たちが作ってしまったのです。1番良く言われるのが自由放任主義。「自分は子供を自由にさせている」と誇りを持って言う人が多いのですが、子供を見ると苦しんでいるのです。しかし親は子供が苦しんでいることに目をそ むけて、相変わらず自分自身の自由を謳歌して来ました。

ヴェルナーの家族がその辺の問題を具体的に示していますが、監督は崩壊している、あるいは元から何も築かれなかった家族を描写するだけで、《この家族を通して何が言いたいのか》が観客にさっぱり伝わって来ないのです。映画評論家はその辺を突いたのかも知れません。3兄弟が誰も幸福でないというのは良く伝わりますが、《なぜこうなったのか》、あるいは《どうすれば良かったのか》までは言及していません。それが監督が何が言いたいのか分からない原因でしょう。私がちょっと考え直したのは、これまでのドイツではこの世代を批判するのが難しかったからです。時たま新聞などに真っ向から対立する意見を出す人がいますが、非常にまれです。希望を言わせてもらえば、《批判の後何か提案をするべきではないか》です。批判が第1歩、提案が第2歩、実行が第3歩と考えるべきなのかも知れません。とすれば第1歩が始まったところなのかも知れません。

ここでふと思い出すのが Pigs will flyガラスの舞い。両作品とも崩壊した家族を描いています。 Pigs will fly は家庭内暴力、ガラスの舞いは父親が確信を持ったナチで、妻をひどく扱ったため、妻が子供に暴力を振るうという作品です。見ていてため息が出るような、エンターテイメントとは全く逆の作品です。しかし両作品とも最後に何かしらの方向を示しています。ハリウッド式のハッピーエンドはドイツの作品には滅多にありません。難しい現実を夢のような結末で壊してしまう愚行はやりません。安易な解決も出しません。

しかし Pigs will fly では、同じ親から育った2人の兄弟を出し、1人はまだ自分の身に何が起こり、そのため現在の自分がどうなっているかまだ本人が理解していない、もう1人はそれを乗り越え現在は自分なりの静けさと幸せを手にしているという風にしてあります。これは本人に選択の余地があるのだという暗示かも知れませんし、とことんまで苦しんだらいつか道が見つかるという暗示かも知れません。あるいは助かるチャンスは五分五分だと言っているのかも知れません。巾を持たせた結末ですが、観客を苦しみの中に放り出して終わるのではありません。ガラスの舞いアグネスと彼の兄弟では目立たない役を演じていたロキシーが主演の1人で、醜い母親を壮絶に演じています。ドイツ人はここまでやるかという凄い演技が好きで、この女性もガラスの舞いの時はかなりえぐい演技です。しかし結末は、この醜い女性がドナーを必要としている息子を救うために命をかけて腹違いの息子を探し出すという風になります。崩壊した家庭のかけらを継ぎ合わせるような終わり方でハッピーエンドとは言えませんが、ある種の満足感を残します。

ルーラー監督は世代を批判しているようですが、悪い所を挙げて批判しっぱなしでは、その前の世代をぶっ潰して、その先に道を作らなかった人たちと同じ穴の狢になってしまいます。間違った路線に乗ると親子3代が次々不毛の人間関係に突入してしまう、68年世代と言われる人たちの政治+ライフスタイルへ批判の目を向けた後、《じゃどうすれば良いのか》、そこまで言及しないと無責任に思えます。聞くところによると実際には170分撮ったそうです。それを115 分に編集しています。バッサリやられた部分には父親とのいきさつが多かったそうです。ダイレクターズ・カットでも作ってくれると話が分かりやすくなるのかも知れません。

権威に対する反抗というのも68年世代のモットーで、空威張りの権威ですと壊してもかまわないかも知れません。しかし中にはイチロー選手のように何も言わず黙々と働いているその事が権威になっているという姿勢もあるのです。区別もせずぶっ潰してしまい、壊した後にそれに見合う代わりの物を提案しておらず、何も作り上げていないというのはまずい。糸の切れた風船状態を作ってしまったのです。そのつけが今回って来ているところですが、負債を作った本人たちは年金生活に入ってしまい、迷惑した下の世代が今あたふたしているのです。そしてまだドイツには国民の背骨になるような哲学者は現われていません。

私がこの監督の趣旨を理解しながらも賛成できないのはその点。Pigs will fly が方法の模索をし、《これならうまく行くかも知れない》という1つの提案をしているのに対し、アグネスと彼の兄弟はただ運命に流されるだけです。Die Unberührbare もそうでした。不毛を強調するだけの作品だったら補助金など出したくないと誰も思わないんでしょうか。補助金で作るのだったら国民が何かの役に立てられるような作品にしないのだろうかとつい思ってしまいます。それでしたら補助金無しに作った恐ろしくばかげた作品でも、映画館へ来て2時間アハハと大声で笑える方がいいです。笑うのは薬以上に健康にいいそうです。

アグネスと彼の兄弟は話の中心が家族、パートナーの争いですから、最初から見ていて嫌気が差し、監督の本当のテーマに目が行くまでに時間がかかりました。映画館にいる間に、良好な関係を築けない人、ドイツの歴史上の特定の世代の問題を描いているのだとは分かるのですが、喧嘩シーンの醜さに圧倒され、頭が暫く麻痺してしまいます。2人以上の人間が集まると争い、なじり合いです。虫眼鏡を取り出し、細かい所を良く見てみると登場人物の間にはチラッとやさしい感情もよぎるのです。しかし、それを発見するには虫眼鏡か顕微鏡が必要です。

見ている間嫌な感じを持ったドイツ作品としては上の Pigs will fly が挙げられます。この作品は印象に残り、その後も時々思い出します。主演のアンドレアスシュミットが真に迫った演技をしたため、私はすっかり怖くなってしまいました。しかし見終わって何ヶ月も経つとシュミットの鬼気迫る怖い顔を忘れ、徐々にラストの意味が分かって来ます。

それに比べ ルーラー監督作品は、Die Unberührbare の方も英語のタイトル No Place to Go が示す通り、行き先が無いのです。この監督には個人的な過去の歴史があります。親子問題に取り組むのは自然の成り 行きでしょう。Die Unberührbare 公開の時にも映画館に来たのですが、その時に比べ今回(も来ていた)はシニカルさが増したように思えます。Die Unberührbare を作って自分の歴史の一章を閉じ、新しい章を始めるのかと思っていたのですが、闇の方を向いてしまったのか、とこの日は思いました。

出演しているのは1人でも主演で映画1本撮れるような人たち。演技も人に見せられないような無様な演技をする人は入っていません。新人も実力が見え隠れします。大ベテランもいます。普通に払ったらギャラだけで予算が吹っ飛んでしまうでしょう。そういう意味では贅沢な作品です。

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