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No.3 月明かりの森の中で

 

 月が大きく輝く夜だった。
ガライはふと目を覚まし、そっとベッドから抜け出した。
窓からは月明かりが差し込み、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
「…エル?」
窓の外にエルがいた。地面にしゃがみ込んでいる。
何かあったのかとガライは急いで…家族たちに悟られないように…家を出た。
「エル、どうしたんだ? こんな時間に」
「!!」
エルがハッとガライを振り向く。かなり驚いたようだ。
「…ごめんなさい、ガライ…」
「何してたんだ?」
「………」
黙って地面を指さすエル。ガライがそこに目をやると、紅い花が一輪月明かりに揺れていた。
「げっ!!!!!!」
ガライの表情が驚愕と嫌悪に歪む。
「ど、どうしてこんなところに、こんな季節に、『血塗られた希望』が咲いてんだ!?」
叫ぶなり、ガライはその花をむしり取ろうとする。それをエルが制した。
「…ガライも、この花が嫌いなんだ」
エルの声は悲しそうだ。
「嫌いも何も、コレが好きってヤツいんのかよ!? 不吉な花なんだぜ!!」
「…どうして、この花って嫌われるの? 何か悪いことしたのかな…?」
エルの素朴な疑問にガライは信じられないといった様子で答えた。
「知らないのかよ? この花は、今から500年前、三英雄様が魔王を退治したときに
 魔王の魔力を封じたと言われる花なんだ! 血の色をしてるのも、魔王の魔力のせいだ。
 こんな邪悪な花、好きになるヤツがおかしいぜ!!」
ガライの言葉が終わったとたん、エルの表情が暗く沈む。
「……私は、好きだよ………? それでも…この花が………」
「なっ…!?」
エルの掌が花を撫でた。
「この花が何か悪いことしちゃったんじゃないでしょ? なのに、どうして嫌うの?
 こんなに綺麗な花なのに、ほかの花と同じように精一杯咲いてるのに…」
月に照らされたエルの横顔は、何かを訴えているようでもあった。
「…三英雄様を尊敬してないワケじゃないし、魔王の行いを恨んでないワケじゃない。
 でも……それじゃこの花があまりにも可哀相だよ…」
声に変化が生じる。どうやら、また泣きだしそうになってしまったらしい。
「エル……」
「……どうしてかな…また、泣きそうになっちゃった…私…ヘンだね」
エルはガライを振り向き、涙を抑えようとするかのように笑った。
…いや、口元が少し笑うような動きを見せたが、すぐに元の位置に戻ってしまった。
「?」
ガライがそんなエルの様子に不思議そうな顔をする。
「あれ…?」
再びエルは笑おうとした。しかし、細めた目はすぐに開き、上に少し上がった口の端はすぐに下がってしまう。
「…そうだった…私、笑えないんだった……」
「えっ!?」
エルの言葉は奈落の底へと落ちていってしまったのかのように暗く響き、すぐに消えてしまい、
ガライの驚きの声はそれに抗うかのようにしばらく夜にこだまし続けた。

「笑えないって……どういうこと?」
「そのままだよ…笑顔を作れないの。どんなに嬉しくても、笑いたくても……」
暗い表情だ。しかし、なんとか涙だけは抑え切っているらしい。
「どうして……」
つられるように、ガライの顔まで闇に陰っていくようだ。
「多分……ずっと笑ってなかったから…笑う機会なんかなかったから…かな?」
そんなことってあるんだ。そう口に出しそうになったが、ガライは慌てて言葉を呑み込んだ。
そんな質問より、そんな状況に追い込まれてしまったエルの方が大切なハズだ。
「…大丈夫だよ、エル!」
わざと明るく笑いかけた。少しでも元気になってもらいたかったからだ。
「だったら、思いっきり楽しいことして! 思いっきり笑いたいって思えば!
 きっと治るよ!! だって、俺と同じように口も目もあるんだからっ!!!」
…思いっきりわざとらしいや。言った後自嘲気味にそう心の中で呟いた。
「…そうだと…いいね」
エルがまた笑おうとした。しかし、やはりムダに終わった。
「…そろそろ戻ろう。母ちゃんに見つかるとヤバいからさ」
ガライに腕を引かれ、渋々と立ち上がるエル。その視線は『血塗られた希望』に注がれている。
「…ねぇ、ガライ」
「ん?」
「……この花、ミナさんやメリダさんに見つかったらどうなるのかな?」
「………多分、むしり取られるな」
「…そんなの、ダメ…!」
小さく叫ぶなり、エルは突然『血塗られた希望』の根元を掘り返しはじめた。
月明かりの中、彼女の白い手がだんだん黒く染まっていった。
「エルっ!?」
「そんなのダメ! どこか安全なところに移す!!」
エルの瞳も声も、痛いほど真剣だった。
そんなエルの様子をガライはただ見つめて…見守っていた。
ざっざっと土の掘り起こされる音だけが響き、エルの白く頼りない手だけが土に汚れてゆく。
 そして、エルの手は一つの、小さな球根を掘り出した。
「…遠くに、埋めてくる。見つからないように……」
そう呟くと、エルは闇の森へ走り出そうとする。
しかし、次の瞬間、腕をガライにしっかりと掴まれてしまった。
「こんな時間、ミッドヘヴンの森にいくなんか自殺行為だ。昼はおとなしいけど、夜は魔物の世界だから」
「じゃあ、…これどうすればいいの!?」
腕に大切に抱えた『血塗られた希望』をそっとガライに見せる。
「貸せよ」
エルのか細く傷だらけの腕から、一輪の花が消えた。
「ガライ…?」
「一晩くらい俺が持っててもバレないだろ」
「……ありがとう…ガライ…」
エルの口元が少し上に上がる。しかし次の刹那、虚しく元の位置に戻ってしまった。
 
 大切に持った紅い花を見つめながら、ガライは自分の行動を信じられずにいた。
どうして、自分がこの花を大切に持っているんだ?
この花は、不吉な花じゃなかったのか?
 それを、どうして俺は………………?
しかし、そう思い花を捨てようとする度、エルのあのけなげな様子がふと浮かびあがる。
「この花が何か悪いことしちゃったんじゃないでしょ? なのに、どうして嫌うの?
 こんなに綺麗な花なのに、ほかの花と同じように精一杯咲いてるのに…」
エルのその言葉が、どうもひっかかっていた。
 もしかしたら、この花はエルと同じなのかもしれない。
何も悪いことをしていないのに、皆から忌み嫌われ、さっきの自分のようにむしり取ろうとしたり、
群生していたら焼き払われることだってあるという。
そんな花を、自分と重ねあわせ、球根を掘り出してまで助けようとする……。
 もし、自分が同じ立場だったら、同じことをしただろうか。
少し考えたが、答えは出なかった。

 次の日の早朝、ガライはエルを連れて森の奥へと入っていった。
周囲の様子を常に気にかけながら、昨夜掘り出した『血塗られた希望』をしっかりと胸に抱えて。
「ここまで来りゃ、人には見つからないな」
ずいぶん奥まで入ってきた。それはこの森をよく知らないエルにも感じられた。
「いいの…? こんなに奥まで入ってきちゃって……」
「そうでもしなきゃ、また見つかってむしり取られちまうぜ」
「……」
自分を気遣ってくれているのだろう。エルはそう思って黙ってガライの後をついていった。
その足が突然動かなくなる。
「!?」
足元に目をやると、植物のツタが意志を持つかのように自分の足に絡みついている。
そして、その先にはがさがさ蠢く不気味な茂み。
「どうした、エル……!!」
ガライの瞳にその茂みが映るや否や、ガライは腰から護身用の剣を抜き放っていた。
「魔物だっ!!」
「ま、まもの……!!」
エルの顔が青くなる。どうやら魔物を身近で見るのははじめてらしい。
 魔物はガライにもそのツタを伸ばしてきた。
しかし、ガライは剣で素早くそのツタを払い切る。けっこう腕前はいいようだ。
そして、エルの足を絡めるツタも素早く切り払い、エルに「逃げろ!」と叫んだ。
しかし、エルは動かない。
「エルっ!?」
無言のまま、エルはふところから何かを取り出した。そして、何を考えてか突然茂みに向かって走り出す。
「たぁっ!!」
ざっと音がした。葉がざぁっと舞い散り、中から魔物の本体があらわになる。
よく見ると、エルの右手には短剣が握られていた。
「エル……?」
「やあぁっ!!」
踊るように魔物に切りかかるエル。かなり熟練しているようにも見える。
その証拠に、ツタの魔物は一分とかからずにエルによってめった切りにされてしまった。
「……ふうっ…」
大きく息をつき、手の甲で額を拭うエルに、ガライが驚いた様子で話しかけた。
「すごいな…あの魔物をたったこれだけで倒しちまうなんて」
「…いつか城から逃げ出すとき、何かで身を守れるようにならないとって思って…修行したんだ」
短剣を鞘に納めながらエルが答える。口元が引きつっているところを見ると、笑おうとしているらしい。
「こんなことでも役に立つんだね…こっそり頑張っててよかった」
そう言った後、エルの表情がふっと真剣になる。
「…頑張れば、笑えるようになる……よね」
「もちろん!」
ガライは笑った。今度は作り笑いではなく、心からの本当の笑顔だった。
「………」
不意にエルの瞳からぽろりと涙が落ちる。
「…私、嬉しいと、笑う代わりに涙が出るみたいなんだ…」
声も泣いているように聞こえる。しかし、今までのような悲痛な響きはしなかった。
「エル…」
「……早く『血塗られた希望』をどこかに植えちゃおう。また魔物に襲われるかもしれないから…」
エルの言葉に、ガライははっと手の球根を思い出した。少し萎れてきているようにも見える。
「ゴメン、忘れてたよ。……そうだ、ここまで来たんだし、どうせなら…」

 ガライの話だと、森の奥深くに『血塗られた希望』の群生地があるという。
しかし、今は開花時期ではなく、見つかる可能性は低いとガライは事前に念を押していた。
「これが咲いてるんだから、きっと他のも咲いてるよ」
…エルの言葉の通り、群生地は花で真っ赤に染まっていた。
「うわぁ…すごい………」
「みんなここには絶対に近付かない。なんせ、この花は嫌われモンだからな…
 …俺も、ここに来たのは場所を教えてもらったときと、今の2回だけだし」
ガライの言葉を聞きながら、エルは花畑へゆっくりと歩み寄った。
「…もう大丈夫。ここなら、絶対に殺されないからね…」
花畑の傍の土を掘り起こし、球根をそっと大地に植える。
気のせいか、花が少し元気になったように見えた。
「…ありがとう、ガライ」
エルが立ち上がる。その声は少し泣いているようだ。
「どうして?」
「私のワガママ聞いて、わざわざ群生地まで案内してくれたんだもん…
 嫌いな花を守ってくれてまで………ホントに、ごめんね」
「…そんなことないよ」
「?」
「……俺、なんか…その花、好きになれそうな気がしてきたんだ」
「えっ!?」
もじもじしながら斜め下を向くガライの顔が、少し赤くなっていることにエルは気付いているのだろうか。
「…ホント?」
「…多分、な」
「……………うっ…うわぁ………!!!」
「!?」
「っ嬉しい……のに、どうして…っ…泣いちゃう…だろ……っく………」
「……いいんだよ、泣いて。嬉しいんなら、それでもいいじゃん」
「……うわあぁぁぁぁぁ!!!!!」
エルはガライの胸にしがみついてきた。迷子の子供が母親を見つけたときのように泣きじゃくっている。
それをそっと抱き包みながら、どうしてこんなことになったのだろう。ガライはそんなことを考えていた。
 普通なら、こんなことしない。出会って間もない得体のしれない少女のために、
今まで忌み嫌っていた花を守るために、危険を冒してまで森の奥深くまで来るなんて。
 今までの自分からは、全く想像できなかった。
 それなのに、どうして……?
「………そろそろ戻ろう。母ちゃんや姉ちゃんに知られたら後がこわいからな」
疑問を振り払うようにエルに語りかけた。いくら悩んでも答えなんか出ないことがわかっていたからだ。
「…うん」
ガライを見上げたエルの瞳は、『血塗られた希望』のように真っ赤に腫れ上がっていた。

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