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アレリア王国首都アリテノンは、どこかしこも人で溢れていた。
今日は年に一度の収穫祭。アレリア国行事の中で一番大きいお祭りだ。
通りという通りには露店が立ち並び、今年収穫された野菜や果物が積み重なっている。
しかし、気付く者は気付くだろう。
露店の数が、去年より減っていることに。
野菜と果物、そのほかの品物の数や質が落ちていることに。
そして、街を歩く人の数も去年に比べて明らかに減少していることに。
ここアレリアは、悪政による不況の真っ只中だったのだ。
アリテノンのほぼ中央に位置する公園「恵みの広場」には、大勢の人が集まっている。
その中に、ガライたち家族は埋もれていた。
「本当に一人で行動するのかい?」
「ああ。もう俺だってガキじゃないんだ。ここには何度も来てるんだし、迷子になんかならないさ」
必死に母メリダを説得するガライ。今まで毎年家族と一緒に行動していたのだから、
今年ぐらい一人で行動してみたいというのが彼の要求の内容だ。
だが、彼の要求の本当の理由は別のところにあった。
「でもねぇ…この人混みの中、本当に大丈夫なのかねぇ……」
「だからっ! 大丈夫だってばっ!!」
ガライは焦っていた。あと少しで花火の打ち上げが始まってしまう。
大体彼女の指定した『血塗られた希望』のハシバミとやらがどこにあるのかさえわかっていないのに。
「母さん、もうガライも大きくなったんだから、たまには一人で見回せてあげましょうよ。
待ち合わせの場所さえ決めておけば大丈夫だと思うわ」
弟の気持ちを与してくれたのか、ミナも母の説得に加勢してくれた。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん…しょうがないねぇ。
じゃあ、花火が終わってしばらくしたらここに戻って来るんだよ」
「やったぁ!! ありがと母ちゃん!!!」
嬉しそうに叫ぶなり、ガライは走ってどこかへと行ってしまった。
「ホントに大丈夫かねぇ…少し街中から離れると山賊が出るって聞いてるんだけど」
「いくらガライでもそんなキケンなところには行かないでしょ」
口ではそう言いながらも、ミナは弟の性格をよく知っていた。
あのコが何もしないわけがない。
しかし、ミナはそれを胸の中に押しとどめ、外に出すことは決してなかった。
雑踏の中を、ガライはただひたすら走っていた。
家族には平気な顔を見せたが、実際に一人となるとどうしていいのかわからない。
だが、今回ばかりは家族に頼るわけにもいかなかった。
(『血塗られた希望』のハシバミ…どこにあるんだ?
大体『血塗られた希望』はこの季節じゃあとっくに枯れちまってるはずだ!)
しかし、エルを一人で待たせておくことなど自分には出来ない。
(どうしたらいいんだ……!!)
「どうしたの君?」
突然声をかけられ、ガライははっと立ち止まった。
見ると、そこには若草色のバンダナにマントという服装をした、一人の少年が立っていた。
年は自分より少し上…12、3歳くらいだろうが、何故かとても大人びて見える。
「何か捜しているのかな?」
「…どうして、わかった?」
意外と驚かなかった。この少年なら、それくらい知っていてもおかしくない。そんな気がした。
「目を見ればわかるんだよ。『血塗られた希望』のハシバミなら、
ここから海の方へ少し行ったところに、立入禁止の立て札が立っている。その先だ」
「……どうして、知ってるんだ?」
「言っただろ? 目を見ればわかるんだって。早く行きなよ、花火がはじまっちゃうよ」
「………ああ。教えてくれてありがとう」
それ以上少年のことは考えないようにして、ガライは教えられた方角へと足を急がせた。
バンダナの少年はしばらくガライの後ろ姿をじっと見つめていた。
その眼差しには、不思議な光が宿っている。
「…血塗られた花に魅入られた少女に、その少女に魅入られた少年…………
闇の封印は解かれ、運命の歯車はゆっくりと音を立てて回り出す………………か」
呪文か何かを詠唱するように小さく呟くと、少年は雑踏へとゆっくりと歩きだし、その中へ消えていった。
『キケン、立入禁止』
息を切らせながら走り続けたガライの目に、そんな立て札が飛び込んできた。
さっきの不思議な少年の言った通りなら、この先だ。
人に気付かれないように、ガライはそっと立て札の奥へと足を踏み入れた。
辺り一面枯れ草で覆われており、やはり『血塗られた希望』は見られない。
それでもガライは歩き続けた。エルはこの先で待っているに違いないのだ。
「………!?」
突然ガライは足を止めた。止めてしまったと言った方が正しいだろう。
遥か前方に生えている一本のハシバミの木を中心に、紅い花が円になって広がっていたのだ。
ひょろながい茎と花だけが揺れるそれは、間違いなく『血塗られた希望』だった。
(エル……!)
弾かれたように走り出していた。もはや目にはハシバミの木しか映っていなかった。
「エルっ!!」
ハシバミの下に人の姿を認め、ガライは大声で叫んだ。
「!!」
その人物がガライの方を向く。
少し青白い顔に驚きと喜びを半分ずつ浮かべたそれは、間違いなくエルだった。
「ガライ……っ!!」
遥か遠くから届いた声にエルは立ち上がって答えた。
「エル!!」
額に大粒の汗を滲ませながら走ってきたガライは、エルの側まで近寄るとニッと笑った。
「よかった、間に合ったな」
「………ワガママ、聞いてくれたんだ………………」
「?」
それと対照的に、エルの瞳には大粒の涙が滲んでいた。
「お、おい、泣くなよ!!」
「…っく……違うの…嬉しいから、泣いてるの………
私、まだ笑えないから…こうしないと、嬉しいって言えないから…………」
確かに、その言葉には悲しみなどの感情は含まれていない。
「ごめんね…あれから笑えるように頑張ったんだけど……ムリだった」
涙を袖で拭い、エルはあの奇妙な表情をした。久しぶりに見るが、全く変わっていない。
変わったところといったら、服の間から見える肌についた、生々しい傷あと……。
「エル! その傷………!?」
「……また、いじめられちゃった」
それでも無理して笑おうとする仕草は、とても健気で、儚そうだった。
「………でも、いいんだ。私、決めたの」
そっとハシバミの下から歩み出て、うっすらと暗くなった空を見上げるエル。
「この国を出て…世界を旅するんだ」
夢を見ているような声だったが、決意ははっきりと聞き取れた。
「…花火見終わったら、街道を通って、気付かれないうちに、港町ポポカまで行って…海を渡るんだ。
そうでもしないと、私………もう、耐えられないかも……」
だんだん声が泣き声に変わっていく。
「エル…もしかして、伝えたいことって………?」
「そ…今度こそ私、この国を出る。ロンレストでもファーガルバードでも、どこでもいい。
この大陸を離れて………………………自由に、なりたい…」
きらりと涙が光った。昇りかけた月によるものか、沈みかけた太陽によるものかははっきりとしなかったが。
「だから…最後に、ガライに会いたかった。会えて………よかった………………」
とうとう言葉が途切れた。エルは空を見上げたまましゃくり上げはじめてしまったのだ。
そんなエルを、ガライはただ見つめている。何かを考えているようだ。
「…最後じゃない」
「!?」
エルがはっとガライを振り向く。
「俺、エルに言われた通りにしただろ? だから、今度はエルが俺の言った通りにしてくれないか?」
「………?」
少し恥ずかしそうに斜め下を向きながら、ガライは口を開いた。
「母ちゃんの話だと、ふきょうってやつのせいで収穫祭は今年を最後に、数年間お休みらしいんだ。
次にあるのは…早くても、5年後だって。だから………次の収穫祭の日に、また…会ってくれないか?」
「……………………」
エルの瞳が大きく見開かれる。驚いてるのだろうか。
「………どうなんだ、エル?」
少しの静寂の後、エルは奇妙な顔をしながら嬉しそうに答えた。
「…うん、わかった!! 約束するよ!!! 絶対、次の収穫祭の日に、ここに来る!!!!
それまでに……絶対、笑えるようになるからっ!!!!!」
そんなことまで言ってないよと言いたげにガライは苦笑いを一瞬浮かべたが、
それはすぐに晴れ晴れとした笑顔に変わった。
「ありがとう!!! 絶対だからな、忘れるんじゃねぇぞ!!!!!」
「うん!!!!!」
そんなエルの顔は、笑ってこそいなかったが、それ抜きでも充分に喜びが伝わるものだった。
どぉーーーーん……
「あっ」
二人は同時に空を見上げた。
どぉーーーーん……
「花火がはじまったんだ」
薄く闇に染まった空に大きく美しく咲き、すぐに散っていく花火。
色とりどりの光が、ぱっと辺りを照らし、ぱっと消える。
その短い命の間に、沢山の人の心を和ませ、永遠に忘れられない思い出を作ることが出来る花。
しばらくの間、二人は何も言わずに、世の中で一番大きく、美しく、儚い花を見つめていた。
花火が終わったときには、既に日は沈み、空は闇と月と星に支配されていた。
「…きれいだったな」
やっとガライが言葉を出せた。
「…気のせいかな。今年のは、今までのよりもとってもきれいだった」
「気のせいじゃないよ。俺もそうだったから」
うそではなかった。
「……そろそろ、俺戻らなきゃ。母ちゃんが心配する」
その一言を言うのに、どれだけの勇気が必要だったかは言うまでもないだろう。
「…私も行かなきゃ。早くしないと、また見つかっちゃうから」
「…そっか。じゃあ……途中まで、一緒に行く?」
「そうだね…」
どちらがこうしようと言い出したわけでもないのに、二人はいつの間にか手をつないで歩き出していた。
突然、その前方に、いくつか赤い光が現れた。
「ガキが二匹か…たいした金にもなりゃしねぇな」
「だが、片方は男だ。奴隷として高く買ってくれるところもあるだろう」
「!?」
ガライが反射的に腰の剣に手をかけた。エルも懐から短剣を取り出そうとしている。
そんな二人を取り囲むように、ずらりと光が並んだ。数は10くらいだろう。
「最近のガキは物騒なもの持ってて困るねぇ」
声と共に光が近付いてくる。どうやら、人が持った松明のようだ。
「だれだよ、アンタら?」
ガライがエルを庇うように一歩前に出た。剣はすでに抜いてある。
「教育がなってないね。山賊って言葉くらい知らないようじゃ」
「さ、山賊っ!?」
エルが脅えたように一歩後ずさる。しかし、懐の短剣を離すことはしなかった。
「おじちゃんたち、ちょっとお金に困っててね…僕ちゃんみたいな元気な子供は高く売れるんだよね」
(コイツら、俺たちをさらう気だ!!)
山賊の数は少なく見積もっても十人。とても正面切って逃げ出せる数じゃない。
「逃げるぞ、エル!!」
右手で剣を、左手でエルの腕をしっかりと握りしめ、ガライは山賊たちから逃れようと走り出した。
「!!!!!!!」
しかし、しばらく走った後、彼らの足は止まった。
目の前は、崖だったのだ。
「おじちゃんたちが後ろをがら空きにしてたのは、こういう理由だったわけさ。
もっと勉強しようね、僕ちゃん」
「! く、くそ!!」
右手の剣をぎゅっと握りしめ、山賊たちに向け構えるガライ。
正直言って、勝算なんかなかった。しかし、このままここで捕まるわけにもいかない。
幸いここは街の近くだ。しばらく粘れれば助けが来てくれるかもしれない。
「お姫様を守る騎士様か…かっこいいねぇ」
山賊がバカにしきったような顔で笑いかけてくる。思いっきり気持ちが悪い。
「だが、これだとどうかな」
ひゅんっ!!!
「きゃあっ!!!!!!」
「!!!!!!」
突然飛んできた矢はガライの体をかすめ、エルの右腕に当たった。
思わず後ずさるエル。しかし、そこに大地はなかった。
「!!!!!!!!!!!」
ずりっと足を踏み外したエルは、崖の下へと落ちていった。
いや、かろうじてその腕をガライが掴んでいる。
「ガライ、離して! このままじゃ二人とも助からないわ!!」
「バカ!! 離せるもんか!!! 約束しただろ、次の収穫祭でまた会おうって!!!」
「そんなこと言ってる場合じゃあ……!!!!」
しかし、ガライはエルを掴む強さを弱めようとはしなかった。
「やっぱり騎士様だねぇ…これは剣闘士奴隷向きだな」
山賊どもの声はガライのすぐ上でした。
「だが、これでも果たしてお姫様を守れるかな?」
山賊の太い腕がガライの頭上に振り上げられ、勢いよく落とされた。
がぁん……………
頭から強い衝撃が響き、ガライの体全体に震えが走った。
堅く握られていた左腕の、掴んでいたものの感触がふっとなくなったのも、同時だったのかもしれない。
「エルっ!!!」
だんだん暗くなってゆく視界の中、ガライは崖の下へと落ちつつあるエルの顔だけを見てとることが出来た。
笑っていた。
ざばぁん………
何かがおちたような音がした。
しかし、それはエルが崖の下に広がる海に落ちた音なのか、
また、自分の意識が完全に闇に堕ちた音なのかはわからずに、
ガライはただ、闇の中に浮かんでは遠ざかり、消える笑顔だけを繰り返し見ていた…。
第一部 完