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B&B『ミッドヘヴンズシャワー』の食事部屋に入るなり、帰宅したばかりの父は驚いたような顔をした。
「もう客が入ってるのか。今年は早いな」
「え? お客なんかまだ入ってないけど?」
ミナの不思議そうな声を聞いて、ガライはまた背筋がぞっとするのを感じた。
「だって、食事が一つ多いぞ?」
「あぁ、それはお客様のじゃなくて…」
「それよりもさ父ちゃん!!」
姉の言葉をさえぎるようにガライは突然大きな声で父に話しかけた。いや、さえぎるために話しかけたのだ。
「どうしたガライ?」
「その大変だったって言う仕事の話聞かせてよ! どんなのか知りたいんだ!!」
「そうだな。あれは今日から2週間くらい前のことだった………」
父が自分の記憶をたどっているのを見てガライはひとまず安心した。
一度父が昔話や自分の過去を語りはじめると、ちょっとやそっとじゃ他のことに目が行かない。
いつもはそんな父が少しうっとうしかったのだが、今日はそれに感謝している。
「ある人物を同僚たちと追っていたんだ。アリテノンから逃亡した……えっと、逃亡者かな?
合計100人で追ったんだが、なかなかそいつを捕まえられなかったんだ。すばしっこいヤツでな。
でも、とうとう街道から少し離れたところにぽつんと建てられた小さな奇妙な小屋まで、
そいつを追いつめることが出来たんだ」
アリテノンからの逃亡者。まさか………………!
「でも、その小屋の中にはそいつの他にもう一人人がいたんだ。
背が高くて、こうムッツリした顔の…すごく恐ろしそうな男が」
父は自分の顔を手で引っ張り、こんな感じの顔だったとガライたちに説明する。
…見覚えがある。そう確信したと同時にさらに背筋がぞっとしてきた。
「こともあろうにその男が逃亡者を庇って父さんたちに襲いかかってきたんだよ。
いや、あれは凄く恐かったね…何せたったの一撃で同僚の大半がやられちゃったんだから」
そして、父は自分の左腕…付け根から少し下からなくなっている腕を、ガライたちに向け突き出した。
「これも、その時そいつにやられたんだ。これだけで済んで父さんはラッキーな方だったよ。
25人で小屋へ行って、死んでしまったのが9人、大けがを負ってしまったのが14人。
無傷で済んだヤツはいなかった。父さんは大けがに入るけど比較的軽い方だよ」
笑いながら語っているが、それは決して誇張されていないのは明らかだった。
実際、父も思い出すのが恐いのだろう。声と足が少し震えている。
「そんな恐ろしいことが……」
ミナが父の左腕を見ながら呟いた。信じられないと言った様子だ。
「あ、ちなみにその男は今第一級指名手配犯で、賞金も懸けられてる。百万R£だったかな?
街道の途中に立て札があっただろう? あれに張り出されてるヤツさ」
「!!!!!!!!!!」
ガライの顔色が変わった。イヤな予感が的中してしまったのに気付いたのだ。
「ガライ……?」
ミナが弟の様子を心配そうに伺う。しかし、彼が何に驚いているのかをミナはすぐに悟ってしまった。
今朝、エリンへの道の途中で立て札を見たエルの言葉。
次の刹那、ミナの顔も弟と同じになっていた。
「どうしたんだよ二人とも。賞金の額に驚いてるのか?」
「………ねぇ父さん、その逃亡者って、どんな人だったの?」
ミナのそれは訊いてはいけない質問だったのかもしれない。
「ガライと同じくらいの歳の女のコだよ。名前はレネー・ネイディア・アレリア。
エアル様の長女だが、なぜか突然アリテノンから逃げ出してね、捕まえるように命じられたんだ。
ちなみに、これが似顔絵だな。あまり城で見かけることがないんで、兵士全員に渡されたんだ」
そう言うと、父は懐から一枚の紙を取り出した。
もはや、二人に逃げ道はなかった。
父の開いた紙に描かれている少女は、間違いなくエルだったのだ。
「……そんな………」
ミナが顔を青白くしながらうめいた。認めたくない。しかし真実から逃げることは出来なかった。
「まぁ、彼女も可哀相なコなんだけどな。エアル様は決して善人とは言えない人だから……」
父の言葉は静かに食事部屋にこだました。ミナとガライは顔を真っ白にしたまま身動きひとつせず、
メリダは父のために貯蔵庫へエールを取り出しに行っている。
「……で、話は終わりだが、この一つ多い食事は誰の分なんだ?」
父が一つ多いシチューを指さした。
「………私の分でした」
「!?」
突然二階への階段から声がした。テーブルに座っていた三人がほぼ同時に階段を向く。
そこには、似顔絵とそっくりな顔をした、一人の少女が立っていた。
「!!!!!!!」
父の顔が驚愕に歪んだ。ガライとミナも同じくらい驚いている。
「左腕の件は本当に申し訳ありませんでした。許してくれとは申しません」
深々と少女は頭を下げた。
「…エル……どうして………?」
「もう、これ以上ガライたちに迷惑かけられない…やっぱり、私ここにいちゃいけなかったんだ」
そして、エルは信じられないと言った様子のガライたちの父の前へ歩み寄った。
「…あなたのご家族を欺き、今まで匿わさせてきたことも、全て認めます。
どうぞ私を捕らえ、父の前へと引きずり出してください。恩賞が与えられるでしょう………」
はっきりとした口調だが、どこかで何かを堪えているような感じも否めない。
「…レネー様………」
ようやく事情が飲み込めたらしい父が、少女をまじまじと見つめる。
「………どうして、自ら姿を………?」
「これ以上、あなたのご家族に迷惑をかけることは出来ません。あなたが、直接ではないにしろ
私が原因で片腕を失ってしまったのだとすれば、なおさらです。それに、私はもう逃げられません。
エリンの街で、私を捜していると見られる兵士を何人か見かけました。
明日には、この森へと捜索の範囲を広げ、この宿もその目を逃れることは出来ないでしょう。
たとえ今からここを出たとしても、夜の森は魔物で危険。無事に逃れられるとは思えません…」
淡々とした説明だった。もしかしたら、父が帰ってくると知ったときから
こうなることを予想していたのかもしれない。
「エル………」
ガライの言葉を最後まで待たずに、少女は悲しそうに首を横に振った。
「もういいの。私はレネー・ネイディア・アレリア…あなたの父の左腕を奪った逃亡者よ。
許してとは言わない。恨んでくれても構わない……………」
「どうして、俺がエルを恨まなくちゃいけねぇんだよ!!」
叫ぶや否や、ガライは突然ガタッと音を立てて立ち上がり、エルの両肩を掴んだ。
「ガライっ……!?」
「なにが欺いてただ! 名前がレネーって事以外、エルはなんにもウソなんかついちゃいねぇじゃねぇか!!」
父ちゃんの腕だってそうだ! エルがそいつにやれって命令したんじゃないんだろ!?
なんにも悪くねぇじゃねぇか!! どうして謝るんだよ!!!」
どこか泣いているように見えたのは気のせいだったろうか。
「……レネー様、私はあなたを捕まえたくなどありません。
本当なら、私の方が捕まらねばならないのだと思っているんですよ」
「父さん…?」
父の言葉に、今度はミナが驚いたようだ。
「お前たちには今まで黙ってきたが、父さん、実はあまり良くない仕事をやっていたんだ。
エアル様自身が善人とは言えない…悪人とも言える方だから、
それに仕える父さんたちも、悪いことをしなきゃいけなかったんだよ。
この腕は、それに対して神様の与えて下さった天罰だと思ってる。だから、気にすることはないんだ」
だから、今まで自分たちは裕福に暮らしてこれた。この世の中、お金があるのは悪人だけだから。
……そんなことって………!
「お〜い、お待たせアンタ! 特上のエールを出してきたよ〜!!」
エールの瓶を抱え、メリダが食事部屋へと戻ってきた。
しかし、食事部屋はしぃんと静まり返り、そこにいる者の表情も静寂の中に沈んでいる。
「どうしたんだよみんな。なにかあったのかい?」
不思議な顔のメリダの腕の中で、瓶に詰められたエールだけが、たぽんたぽんとかすかに音を立てていた。
次の日の早朝、B&B『ミッドヘヴンズシャワー』の前に、物々しい人山が出来ていた。
アレリア国の兵士服に身を包んだ男が数名に、騎士の鎧を纏った11、2歳くらいの少年が一人。
そして、彼らと向かい合っているのは、B&B『ミッドヘヴンズシャワー』の経営者たち。
経営者たちの中から、一人の少女がゆっくりと前に歩み出た。
「………ご迷惑をおかけしました、兄様……」
つらそうに下を向いたままの少女の背中に、少年はそっと手を回した。
「…寂しかっただろ…すまない、レネー」
「………うっ……うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!」
兄の胸にしがみつき、少女は大声を上げて泣きだした。
しかし、それは嬉しさからか、悔しさからか、またそれ以外の何かからなのかはわからなかった。
エルがアリテノンへと連れ戻された次の日、ガライは彼女が寝泊まりしていた部屋を掃除していた。
この季節は観光客が多いため、こまめに掃除しないとすぐに汚れてしまうのだ。
「…エル」
窓を雑巾で拭きながら、ガライは小さく呟いた。
今、彼女は何をしているのだろう。
あのロニーとかいう兄のそばにいるのか、それともまた父に………。
「…っくそ!」
体の中から急に沸き上がった悔しさに似た感情をごまかすように、ガライは窓を拭く力を強めた。
「……?」
窓のすき間に何か紙のようなものが挟まっている。
何だろうとそっとそれを抜き出した。
何か書かれている。
“ガライへ”
「!!」
慌てるように雑巾を投げ出し、紙を伸ばして内容を読みはじめた。
“どうか私の取った行動を許してください。地獄の日々に戻ることには耐えられませんが、
これ以上あなたたち家族に迷惑をかけることはもっと耐えられません。
ガライ、あなたには本当に世話になりました。感謝の言葉も思いつかないほどです
何故私がこのような手紙を残したかというと、実は、もう一つだけワガママを聞いてもらいたいのです。
今から約四ヶ月後に、アリテノンで収穫祭が行われることはご存知だと思いますが、
その日、花火の上がる時間に、『血塗られた希望』のハシバミの下で、あなたを待っています。
あなたにどうしても伝えたいことが、一つだけあるのです。
自分勝手なお願いだと分かっています。聞いてくださらなくても構いません。
しかし、それでも私は待ち続けます”
「エル」
文章の最後の署名だけ、ガライは声に出していた。
どうしてエルは、このような手紙を自分に残したのだろうか。
おそらく、昨日、父の話を自分たちが聞いているときに書かれたものだろう。
だとしたら、やはりエルは逃げ道がないことを悟っていたのか。
でも、どうして収穫祭の日に、『血塗られた希望』のハシバミの下で会おうなんて?
伝えたいことって、いったい何なのだろう?
(エル………)
紙を丁寧に折りたたむと、ガライはほっぽり出したままだった雑巾を拾い、再び窓を拭きはじめた。
彼女の真意はわからない。だが、一つだけ言えることがある。
自分は、エルに会いたがっている。
ほんの短い間一緒にいただけの彼女に、どこか惹かれていたのかもしれない。
とても弱く、傷つきやすく、少し力を入れるとすぐに壊れてしまう。
少しの間だけだが、エルを見ていて自分はそう感じた。
だが、本当にそうなのか。
(………………)
幸いにも、収穫祭へは毎年行っている。
少しくらい家族と別行動しても、もう大丈夫な年齢だろう。
(…わかった。約束だ、エル)
水の入ったバケツへ雑巾を入れ、ぎゅうっと絞る。
かすかにコーヒー色に濁った水が、あの日の水たまりみたいに見えた。