No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7
「うえぇ〜〜〜〜〜……」
エリンの街中に、つらそうに舌を口から突き出している少女がいた。
「ごめんね…まさか猫舌だったなんて」
「う、うぅん…だいじょうぶ……」
先ほどミナが買ってくれた「ライスコーヒー」を一気に飲んだところ、
猫舌だったエルは見事に舌をやけど(?)してしまったのだ。
しばらく舌先のヒリヒリ感はおさまらないだろう。
「で、でもおいしかったよ。甘くてほんわかしてて…」
舌を突き出しながらも、口元をひくひく痙攣させながら素直に感想を述べるところがエルらしいというか。
そんなとき、ミナがふと空を見上げた。
西の空が橙色に染まりかけ、東の空の青みが少し増してきていた。
「もうそろそろ戻らないと、家に着くの夜中になっちゃうわ」
「早く帰ろうぜ。こんな重たい荷物持ってられっか」
両肘から袋をぶら下げ、両手で荷物を抱えながらガライが姉をせかす。
物価が安かったのを理由にミナはかなり買い物をしたようだ。荷物持ちがいるのもはたらいているだろう。
「そうね…………………エルちゃん?」
エルは街道に沿って立ち並ぶ建物のすきまをじっと見つめていた。
「どうしたんだ?」
「………………」
黙って一点を指さすエル。ガライとミナがそこに目をやると、
ぼろぼろの服をまとった人たちが建物の陰に小さくうずくまっていたのだ。それも2、3人ではない。
「この人たち……地方から職を求めて来た人たち」
エルがぽつりと言った。
「…店に群がる人の半分は求職者。街中を歩く人々も、半分が今夜の寝床を探している」
「エル…?」
誰にともなく話し続けるエルの表情は淡々とし、口調も詩か何かを諳じているようだ。
「物価が安かったのも、値下げしないと買ってくれないから…買いたくても、お金がないから。
これも全て、この国の政治がいいかげんだから。貴族たちが、民に重税をかけて、贅沢三昧してるから…」
彼らがこのような目に遭っているのは、全て自分のせいだと告白されているような雰囲気だった。
「………………」
ガライはエルの顔をそっと覗き見た。淡々としているのは変わらなかったが、
どこかに何か、強い意志…決意のようなものを漂わせているようだった。
怒り、憎しみ、復讐。
そう感じられたのは気のせいだったろうか。
「……私、何言ってるんだろ。気にしないで」
姉弟を振り返ってまた奇妙な表情を作るエルに、ミナが悲しそうな瞳でそっと話しかける。
「あなたのせいじゃない。自分を責めないで……」
自分の家は裕福な方だ。ミナはそう知っていた。母が経営するB&Bは観光シーズンには繁盛するし、
アレリア兵士としてアリテノンに暮らしている父から月最低500R£の仕送りがあるからだ。
だから、貧困に苦しむ人たちの事など、どこか自分とは違う世界のこととして片づけていた。
それなのに、エルは彼らから目を背けていない。本来エルこそが違う世界のはずなのに。
ミナが「自分を責めるな」とエルに言ったのは、自分こそ責められるべきだと思ったからだろうか。
「…私、何も出来ないのかな」
「………………………」
エルの呟きに答えを与えることの出来る者はいなかった。
「…もう戻りましょう」
ミナの言葉に操られるように、エルとガライは街道をミッドヘヴンの森へと歩き始めた。
夕日がガライとエル、ミナの影を黒く長く街道に落としている。
どんどん遠く小さくなってゆくそれを、じっと凝視する一人の少年がいた。
いつからそこにいたのかは分からないが、ガライたちに気付いてそこに来たことは間違いないだろう。
「どうかなされたのですか?」
街を巡回しているように見えた兵士の一人が少年に訊ねかける。
「この街道の先はミッドヘヴンの森だったな?」
「は、はい。そうです」
「やはり……」少年は腕を組み、何かを考えるように目を細めた。
ミッドヘヴンの森はアレリアの中でも大きく深い森で、魔物が多く跳梁することでも有名だった。
その中にはこれといった集落はない。街道に沿っていくつかの宿や小店が建っているだけなのだ。
そのため、森に住んでいる人たちのほとんどは買い出しなどをここエリンですませるという。
ミッドヘヴンの森を出た後、最終的に街道は隣国マネチスとの国境へと通じている。
また、エリンからさらに進むと、アレリア首都アリテノンだ。
(マネチスは今鎖国状態だ。まず行くことは出来ないだろう。だとすると、森か……)
不意に少年が腕組みをやめ、兵士へと向き直った。
「明日ミッドヘヴンの森へと捜索の範囲を広げる。そう皆に伝えてくれ!」
「かしこまりましたロニー様」
兵士は少年に軽く敬礼すると、街道から離れて街中へと走っていった。
兵士が走っていったのを確かめると、少年は再び街道を凝視しはじめる。
「…レネー………」その口が小さく言葉を紡ぐ。
しかし、それを聞いたものは誰もいなかった。
B&B『ミッドヘヴンズシャワー』に戻ってきたガライたちは、早速夕食の準備を手伝わされた。
今夜の献立は、エリンで買ってきた羊肉と野菜、特にジャガイモをたっぷり煮込んだシチューに、
森から摘んできた木の実のジャム。ブラックプディングは明日の朝食だと言う。
「お楽しみは明日までお預けかぁ」
エルはどうやらブラックプディングの味を早く知りたいらしい。
「明日なんかあっという間に来ちゃうさ。ほら、今日はメリダ特製シチューとジャムだよ。
お客さんにも評判がいいんだ、この二つは」
「そうですね、それじゃあ、いただきます……あ、レモンあります?」
輪切りにされたレモンを一切れもらうと、エルはそれを飲料水の入った瓶の中に落とした。
「?」
「お客さんが来たときに、私の母はいつもこう、水の中にレモンを浮かべてたんです」
懐かしむような口調でエルが説明した。
「へぇ、カンタンなレモン水ってわけね。今度からうちでもそうしようかしら」
ミナが水をこくりと飲んだ。レモンの香りが喉から鼻に抜けていき、なかなかいい感じだ。
「でも、どうして今日はこんなに豪華な夕食なの? お皿も一つ多いし……」
「実はね、父さんが帰ってくるんだよ!」
メリダが嬉しそうに答えた。その言葉にガライとミナは驚いたようで、一瞬硬直してしまう。
「どうして? まだ休みじゃないのに…まさか、クビにでもなったの!?」
「いや、そこまでは私にもわからないさ。ただ、一昨日手紙が届いてね、今日には帰るからって」
「どうして言ってくれなかったんだ?」
ガライのもっともな問いに、突然メリダの表情が少し重く沈む。
「…イヤな予感がしたのさ。何か悪いことでもあったんじゃないかって。
でも、ここまで何もなかったって事は、ただの杞憂だったんだね。ちょっと帰るのが遅い気もするけど」
そうメリダは笑ったが、無理をしているのは明らかだった。
「……おじさまは、何をなされているんですか?」
突然エルが訊ねてきた。その瞳にはただならぬ光が宿っている。
「首都アリテノンに、一般兵として出てるんだ。……それが、どうかしたのかい?」
「誰に使われ……仕えてるんですか!?」
「確か………アレリア王弟エアル様だったと思ったけど」
その言葉を聞いたとたん、エルの表情が凍りついた。
怖れていたことが起こってしまった。そう語っているようにも見えた。
「……まさか」
エルがそう呟いたときだった。
ガチャリ
足音と共に扉の開く音がして、ただいまという声が聞こえた。
「さみしいな、誰か出迎えてくれてもよかったのに」
「父ちゃん!」「父さん!」「アンタ!」
ガライ、ミナ、そしてメリダが同時に声を上げた。
入ってきた男性の正体はそれだけで明らかだった。
久しぶりに帰宅した父を出迎えるため、ミナとメリダは慌てて宿の入り口へと走っていった。
しかし、ガライはその場を動かず、さっきから凍りついたように身動きひとつしない少女を見つめていた。
「エル……どうしたんだ?」
「……………………ゴメン、ちょっと隠れさせて」
「エルっ!?」
二階へと慌てて駆け上がっていくエルを、ガライは止めることが出来なかった。
「父さんっ!? どうしたのその腕!!」
エルの姿が見えなくなると同時にミナの甲高い叫び声が響いた。
「!?」
姉の声にただならぬ気配を感じ、ガライもエルの事を考えるのを中断させ、入り口へと急いだ。
「父ちゃ……っ!?」
父の姿を見たガライは、先ほどのエルと同じように凍りついてしまった。
家族を心配させまいと笑顔を浮かべる父には、左腕がなかったのだ。
「ハハ、これか。ちょっと仕事でやっちまってな。傷口は治ってるからもう大丈夫だよ」
「そうじゃないわよ! どうして手紙で知らせてくれなかったのさ!!」
メリダがいつにもなく厳しい口調で夫を怒鳴りつけている。
「もしかしたら腕も治るかもしれないって言われてたからな…結局治してもらえなかったが」
夫の言っていることはメリダにも理解できた。アレリアは魔法の盛んな国だ。
首都ともなれば切断された腕を再びくっつける…あるいは生やすことの出来る魔導師もいるだろう。
「どうしてそうしてもらえなかったのさ!?」
「けが人が多すぎたんだよ。それほど今回の仕事は大変だったんだ」
そう言うと、父はその仕事のことを話しはじめようとする。
「待ってよ、立ち話も何だから、ひとまず食事部屋に入って」
妻の勧めに夫は従ったが、それを見たガライは不意に背筋がぞっとするような錯覚に襲われた。
イヤな予感がする。
今までそう思ったことは何度もあったが、今回ほど鮮明に感じたことはなかった。
そして、それははずれていなかったのだ。