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「どうしたんだよエルちゃん!? そんな目して」
メリダが家に戻ってきたエルを一目見るなり驚いた声を出した。
ミッドヘヴンの森の中にある『血塗られた希望』の群生地で泣いてしまったせいで、
目が真っ赤に充血してしまっていたのだ。
「またガライだね? この女泣かし!!」
「わっわっわっ…ち、違うってば母ちゃん!!」
布団タタキを振り回しながらガライを追いかけるメリダの様子を見て、エルは思わず吹き出しそうになった。
…やっぱり、笑えなかった。
「エルちゃん? どうしたの?」
「ミナさん…ううん、なんでもない」
「またガライになにか言われたんでしょ? 今度叱っとくから遠慮なく言いなさい」
「ううん! 違うの!! ガライは私のために、ち………」
『血塗られた希望』の群生地まで案内してくれた。と言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。
こんなこと話したら、ガライはもっと叱られてしまうだろう。
「あんなバカ弟、庇うことなんて無いわよ。いっつもイタズラばかりしてさぁ……」
「庇ってなんかいません!」
ウソだった。間違いなく、ガライは叱られるようなことをしてしまったのだから。
………自分のワガママのために。
「…そう。ならいいけど、どうも不安ねぇ」
大丈夫です。そう笑おうとした。…やっぱり、ムダに終わった。
どうやら雨期が終わったらしい。真っ青な空が果てしなく広がり、太陽がさんさんと森の中に降り注いでいる。
森の中を走る街道を、ガライとミナ、そしてエルは仲良く手をつないで歩いていた。
エリンの街までの買い出しだ。雨期の間は滅多に客など来なかったB&Bだが、これからは忙しくなる。
ミッドヘヴンの森は、古代の遺跡があることで少し知られていた。
神か何かを祭っていたらしいそれは、アレリアだけでなくリージェンディ大陸中でもかなり古いものだった。
それを見に訪れる旅人で、これから先の「ミッドヘヴンズシャワー」はてんてこまいになるのだ。
しかし、どうやら今年はいつもより楽になりそうだ。
エルが、自分を助けてくれたお礼にと、観光シーズンが終わるまでの手伝いを申し出てきたのだ。
その第一回が、エリンまでの買い出しだった。
「エリンの街に行くのはホント久しぶりだなぁ♪」
ガライが楽しそうな声を上げる。本当にそれでそう思っているかは定かではなかったが。
「エルちゃんは、エリンの街に行ったことは?」
「うん…何回か」
答えるエルは無表情だが、声は楽しそうにはずんでいた。
これが彼女に出来る精一杯の感情表現なのだろう。
「…でも、見つかったらどうしよう」
「見つかる? 誰に?」
「……追っ手」
「追っ手!?」
ガライとミナが、同時にエルに注目する。
「うん……私、追われてるんだ。…正確に言ったら、捜されているかな?」
声が少し暗くなった。表情にもうっすらと陰が差す。
「…やっぱり、エルって逃亡奴隷だったの?」
ミナの言葉にエルは驚いたような顔をした。そして、そのすぐ後ガライの顔を見る。
「…約束、守ってくれてたんだね」
「…! ま、まぁな」
誰にも言わないで。エルにそう言われていたことをガライはいまさらながら思い出した。
約束を守っていたわけじゃなく、家族に言うのを忘れていただけなのだ。
「約束?」
「うん…ガライには、話してたんだ。私のことね……」
そして、エルはミナにもガライと同じ話をした。
「アレリアの貴族……!?」
ミナの顔は驚いているように見えたが、どこか納得したような感じもあった。
「…だから、見つかったらただじゃ済まなさそうなんだ…ミナさんたちには迷惑かけたくない。
でも、助けてもらったのに何もしないで出てくのもイヤ…ホント、私って困ったヤツだね」
エルの口元が少し引きつっているのを見ると、笑おうとしているらしい。あざ笑いだろうか。
「大丈夫! エルはなにも悪いことしてないんだから、きっと見逃してくれるよ!!」
「違うのよ、ガライ」
ガライを諭したのはミナだった。
「娘を虐待していたなんて、他のライバル貴族に知られてみなさい。
周りからは白い目で見られたうえ、エルちゃんのことで財産は没収、没落は間違いないわね。
エルちゃんのお父さんは、それを恐れているのよ」
「つまり…自分の名誉のためにエルを追っているってのか? エルが心配なんじゃなくて!?」
「そうよ」
エルとミナがほぼ同時に答えた。
「…なんちゅー親だ…ホントに人間かよ?」
「貴族は、庶民は人間じゃないって思ってるのがほとんどだけど、ホントは逆よ。
貴族の方が人間じゃないんだわ…人間以下の、最低な生き物よ。
…どうして、私そんなのに生まれちゃったんだろ………」
エルの声が泣き声になりかけているのに気付いて、慌ててガライはまたわざと明るく言った。
「あ、あそこの立て札、なんて書いてあるんだろ? 見に行こうぜ!」
「あっ!?」
ガライに強引に腕を引かれ、エルは泣くのを中止せざるをえなかった。
「え〜と…WANTED…1,000,000R£(アレリアの通貨:1R£=約150円)!?
すげえ額だな……………………エル?」
エルの顔は蒼白だった。
「どうしたんだ?」
「この人……」
ガライは立て札のお尋ね者の似顔絵を見た。しかめっ面のいかにも恐そうな男が描かれている。
「コイツがどうかしたのか?」
「……ミッドヘヴンの森に来る途中…追っ手に追いつかれたとき…
………………私を………助けてくれた人…………………………」
「なんだって!?」
エルの言葉は、到底信じられるものじゃなかった。
こんな恐ろしい人相の人物…しかも、百万R£もの賞金を懸けられている犯罪者が、
エルのような得体のしれない少女を助けたりするものなのだろうか。
「…この人……私を庇ったから…賞金懸けられちゃったんだ……………私の、せいなんだ………」
エルの瞳からぽろりと涙が落ちる。大声で泣きだす様子はない。
どうやら、心の奥底からショックを受けているらしい。
「…そんなことないよ! きっと、元から悪いことしてたんだ!!」
「ううん、この人、悪い人じゃないもん! 見た目は恐いけど、父さんなんかよりもっといい人だった!!
私に…一緒に行こうとまで言ってきてくれた……さすがにそこまでは出来なかったけど………」
エルの顔は涙でびしょびしょになっている。何を思っているのだろうか。
「エル……」
「…私の、せい……」
「そんなことない!!」
反射的に叫んでいた。
「エルが悪いんじゃない! 困ってる人を助けるのは当然じゃないか!
それだけで犯罪者にするエルの親父さんが悪いんだよ!!」
父親の悪口を言ってしまった。そのことで姉に怒られるかなとガライは少し不安になってしまう。
しかし、普段なら弟を叱るミナも、今日は弟を責めなかった。
「エルちゃんは悪くない。天の神様に誓うわ。だから……もう泣かないで」
「……………………」
それからしばらくの間、エルは何かに縛られてしまったように、身動き一つせず、
ただ、虚ろな瞳から、ぽろぽろと涙だけが流れ続けていた。
エリンの街は、雨期が終わったばかりのこともあって、大勢の人で賑わっていた。
街道に沿って店が立ち並び、その全てが威勢のいい声で客をもてなしている。
エリンはその名の通りエリン地方最大の街なのだ。
「毎度!」
羊の肉がいつもより安く手に入って、ミナはホクホク顔だ。
もっとも、荷物を持たされるガライは普段より重たい荷物に顔を不愉快そうに歪めている。
「これと…あとブラックプディングね」
「ブラックプディング?」エルが不思議そうに訊ねてくる。
「ソーセージの一種よ。豚の内臓と血を混ぜたやつなのかな? 昔はうちでも豚を飼ってたから
家で作ってたらしいけど、今は家畜なんかとてもじゃないけど飼えないからね」
「へぇ…おいしそうですね」
笑いながらの言葉だったらよかっただろうに、無表情なエルが言うものだから少し不気味だ。
「今夜の夕飯だって」
「うぇ…」
ガライはそのブラックプディングが嫌いらしい。
「ガマンしなさい。帰りにライスコーヒー買ってあげるから」
「ホントか、やったぁ!!」
自分の好きなものを買ってもらえると素直に喜ぶあたりガライは子供だ。
「ライスコーヒー?」
「米で作ったお酒の残りかすに砂糖とお湯をいれた飲み物よ。なぜかガライはそれが好きなのよねぇ〜」
「だってうまいじゃん」
「ハイハイ…」
ミナはそのライスコーヒーがあまり好きではないらしい。
そんな姉弟の様子を見て、エルはまた吹き出しそうになっても吹き出せない奇妙な表情をした。
「どうした、エル?」
「…なんか、楽しい」
奇妙な顔のままエルが呟いた。
「姉弟ってこんなに面白いものなんだね。私…初めて知ったかも」
ガライの脳裏に、エルの話がよみがえった。
「…そういや、エルってお兄さんがいたんだっけ?」
「うん…いちおうね。でも、一緒に住んでなかったの。
私は母さんと父さんと一緒にお城に住んでて…兄さんは騎士見習いの宿舎に住んでたから」
「会うことは?」
「一週間に一度…かな? 私にとても優しかった…でも、私のこと何も分かってくれなかった」
父親に虐待されていたということをエルの兄は信じてくれなかったということだろうか。
「…だから、ガライが羨ましいな。こんなにいいお姉さんとお母さんが側にいてくれて」
「………」
ガライは何も言うことが出来なかった。こんなときは、何を言っても慰めにならないのを知っていたから。
「なんか今日はついてるわ〜、ブラックプディングも安い安い♪」
二人が話をしているうちに、ミナは買い物を終わらせてしまったらしい。
「これで買い出すものは全部買ったから、約束通り、ライスコーヒーね」
「…姉ちゃん」
ガライが顔を下に伏せ、真面目な様子で姉に話しかける。
「俺…いらないから、エルに買ってやってくれ」
エルが驚いたようにガライを見る。
「あら、カッコつけちゃって。そんな心配いらないわよ」
「?」
ミナがフフッと嬉しそうに笑った。
「二人分よ。今日は黒字が大きかったからね」
差し出された二つのカップからは、かすかに純白の湯気が上がっていた。