ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。
2.7月14日
運命の日、7月14日(火)は朝から東南の風が吹き、パリの上空は暗い雲で覆われました。気温はさほど高くなく(正午で22度)、夕方から雨が降り出しました。
廃兵院襲撃 |
朝の6時、4万人強(4000人、8万人などいろいろな説があります)とも言われる群集が廃兵院に押しかけ、武器を要求しました。パリの軍指令官ブザンヴァルは、3万2000梃ある小銃のねじを抜いて使用不能にしようと、前夜から廃兵達に命令しましたが、蜂起に気付いていた廃兵達は、のろのろと作業をしました。20人の廃兵は6時間かかって、たったの30梃しかねじを抜きませんでした。 (画像をクリックするとギャラリーに飛びます。)
市庁舎の選挙人集会から派遣された使者が到着しました。廃兵院の長官ソンブルイーユは、「たしかに銃はあるが、これは預かり物なので、軍人としてまた紳士としてヴェルサイユの命令がなければなにもできない」と繰り返すだけでした。
だらだら続く押し問答に痺れを切らした群集が強行突破し、長官は命からがら逃げ出しました。
大砲は装填してあり、いつでも砲撃できる態勢にありましたが、廃兵達は発砲せず、民衆がなだれ込むままにしておきました。
動こうとしなかったのは廃兵ばかりではありません。廃兵院のすぐ近くに駐屯していた国王軍もスイス人傭兵も何もしませんでした。兵士達の多くは「国民」のために働きたかったのです。
廃兵院に押し入った民衆は、地下室から3万2000梃の銃を持ち出し、手当たり次第分配しました。大砲は充分に固定されていず、12門(20門?)も運び出されました。午前11時頃のことです。
さて、武器を手に入れた民衆は火薬と薬莢を求めましたが、廃兵院にはほんのわずかしかありませんでした。
次の目標はバスティーユです。
「バスティーユ襲撃」のトップへ 小部屋のトップへ |