ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

バスティーユ陥落の小部屋

時間は語る/7月14日

1.その前夜 7月11日】 【7月12日】 【7月13日
2.7月14日 廃兵院 廃兵院へ廃兵院襲撃
3.7月14日 バスティーユ バスティーユ】 【】 【誤解チュリオ

4.7月14日 攻防 城門の前】 【戦闘の始まり】 【市庁舎で】 【バスティーユの中庭】 【降伏直前
5.7月14日 降伏 降伏要求書】 【突撃】 【ド・ローネイ】 【夕方

1.その前夜

7月11日 (土)

選挙人たちがパリ市庁舎に集まり、頻発する騒擾事件と無警察状態に対処するために、「市民軍」を創設することを決議しました。


7月12日 (日)
ネッケル

「市民軍」の具体策が決まらない内に、国王は財務長官のネッケルを突然罷免し、プルトゥイユ男爵を任命してしまいました。民衆やブルジョワは、ネッケルの財政改革に大きな期待をかけて/いただけに、このことはショックでした。

パレ・ロワイヤル 正午、パレ・ロワイヤルにもこの知らせが届きました。まだ若いカミーユ・デムーランがカフェから飛び出して、テーブルの上に立ちあがり、片手を胸に置き、別の手で拳銃を振りまわしまして叫びました。
デムーラン

武器を取れ! シャン・ド・マルスのドイツ人部隊は今晩パリに入って、住民を刺し殺すぞ。記章を付けよう!」

そして、彼は木の葉をひきちぎり自分の帽子につけました。観衆は熱狂し、我先にと木の葉をちぎり、木という木は丸坊主になってしまいました。
オルレアン公

ネッケルオルレアン公の像に喪章を付け、午後4時頃デモ隊がパレ・ロワイヤルを出発しました。各地でこぜりあいが生じ、死傷者も出ました。

宮 廷 パリの騒ぎを知らないはずはありませんでしたが、何の手も打ちませんでした。この騒ぎが大きくなって、それが議会解散につながればよい、と思っていたのです。

パ リ パリにいた国王軍の司令官は、午後、シャン・ゼリゼにスイス兵一連隊と大砲を4門を配置しました。夕方、群集と小競り合いを起こし、銃声がとどろき、警鐘が鳴り響きました。 この暴挙の知らせはすぐパリ中に知れ渡りました。人々は市庁舎に駆けつけ、武器を要求し、武器商を襲いました。ついでに人々に憎まれていた徴税請負人組合の建物を破壊し、パン屋穀物商が襲われました。たった一晩でパリは混乱状態になりました。


7月13日 (月)

早朝、パリ市民は鐘や太鼓の音で目を覚まします。国王軍が鎮圧のためにパリを包囲した、というデマが流れました。緊張と興奮が走り、既に「革命」の兆しが見えていました。

市庁舎に集まった選挙人たちは、@常置委員会の結成とA「市民軍」の編成を決定しました。

  1. 常置委員会の議長は、パリ市長フレッセル(翌日民衆に殺害される)でした。
  2. 「市民軍」は選挙人資格を持つものからなり、1地区に800人、つまり60地区あるので合計48,000人とされました。ただし、志願者も受けつけました。また、「市民軍」はパリ市の色である「赤」「青」の記章を付けました。この記章は、のちに王家の色である「白」を加えて三色旗(トリコロール)になります。

さて、5万人近い「市民軍」が作られますと、次に問題になるのは彼らに持たせる「武器」です。どうやって確保したらいいのでしょう。

バスティーユ

  1. まず、武器商人の店を襲いましたが、そこで手に入る武器はたかがしれてます。
  2. 次に王家の「兵器庫」に行ってみても、弾薬と武器は前日バスティーユに運ばれて空っぽでした。
  3. 市庁舎に行って、市長フレッセルに武器を出せ、と迫りましたが、埒があきません。ようやく、小銃360丁を手にしただけです。
  4. 「廃兵院(アンヴァリッド)」の長官に武器を提出するように要請しました。長官は政府に問い合わせるから待て、という返事をしました。つまり「廃兵院」には武器がありそうです。

このような交渉をしていく内に武器はパスティーユ廃兵院にあることがわかってきました。そこを襲い、武器を手にしなければなりません。


7月13日 バスティーユ

一方、襲われることを覚悟していたバスティーユでは午前2時以来、武装し、警戒を怠りません。大砲に弾を込め、中庭に据えました。塔の上には荷車6台分の敷石、砲丸、屑鉄を運び込み、大鉄砲を12梃配置し、地上には最も信頼を置けるスイス人傭兵32人を配置しました。

来るべき襲撃に備えています。この日は結局無事でした。

いよいよ7月14日の朝が明けます…。


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