ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

マリー・アントワネットの小部屋

 オーストリアで その3 <1 2 3 4 5>

 子供時代の容姿

マリア・アントニア
マリア・アントニアの容姿についての評価はいろいろですが、決して美人だとは言えなかったようです。この肖像画は非常に美人に見えますが
(画像をクリックすると大きくなって見られます)、王侯貴族の肖像画と言うものは大抵実物よりもかなり美しく描かれますからあてにならないといえばならないでしょう。

具体的にはこんな感じだったようです。1)金髪碧眼、2)広い額、3)歯はやや不揃い、4)鉤鼻、5)尊大な表情の下唇、6)輝くように色艶のよい顔、7)雪のような肌、を持っていたそうです。

誰もが口を揃えて言うことは、アンバランスで決して美人ではなかったようですが、非常に魅力的な顔立ちをしていたそうです。そして、顔立ち以上にその優雅な立居振舞いは人を惹きつけました。

よく言われることですが、マリア・アントニアの歩く姿はまるで滑るように軽やかで、その足は地面を踏んでいないのではないか、と思われるほどでした。


 人を指に巻く少女

マリア・アントニアは少女時代こう呼ばれていました。これは「他人を自分の言いなりにさせる」と言う意味だそうです。

これは要領がかなりいい、という意味と、誰もがその魅力に惹きつけざれるを得ない、という意味とを併せ持ちます。

それを証明するかのように、マリア・アントニアは何人もの家庭教師を手なずけてしまい、嫌いな勉強をサボってばかりいました。また、マリア・アントニアを一目見た人はすぐ虜になってしまったそうです。いずれにせよ、これはかなり強烈な個性で、誰もが持てるようなものではありません。今でいう一種の「カリスマ性」でしょうか。正しく使えば、絶大な人気を博しますが、ひとたび「負」の方向に向かうと、今までの好意が裏切られたような感じになって、今度は極端に人から嫌悪、憎悪されてしまうものです。


 生  活

音楽を楽しむ
マリア・テレジア
革命が迫る頃、マリー・アントワネットはボーマルシェの「フィガロの結婚」という貴族を愚弄するオペラを宮廷で自ら演じたがり顰蹙を買っています。私達の感覚から言えば、王妃ともあろう人が役者の真似をするなんてとんでもない、と思いますが、当時のウィーンの宮廷は、演劇やオペラ、バレエがひっきりなしに上演され、大公女達は鑑賞することはもちろん、自分達も出演したりしました
(画像をクリックすると大きくなって見られます)

また、仮面舞踏会にもよく参加し、狩猟も楽しみました。おまけにトランプ賭博も好きでした。これは母親のマリア・テレジアが大好きだったため、自然と大公女達も生活の一部として取り入れていったのです。マリア・テレジアの踊り好き、賭博好きは有名で、宮廷内だけの催しだけでは満足できず、街のダンスホールや賭博場にまで足を運んだそうです。

マリア・テレジアは躾を厳しく行ったつもりでいましたが、教育方法は欠陥だらけで子供達は甘やかされました。マリア・クリスティーネ以外、集中力を育てることもなく、物事をじっくり考えることを学ぶこともなく大きくなったのです。特に兄姉がたくさんいて要領のいいマリア・アントニアは放任され、手におえないおてんば娘になりました。

マリア・アントニアをはじめ、マリア・テレジアは、そり遊びが大好きでしたが、ウィーンにあまり雪が降らない時は、シェーンブルン宮殿まで雪を輸入することさえありました。

このようなことを日常茶飯事として許してきたマリア・テレジアの躾がマリア・アントニアの持つ「負」の部分を作ったことは間違いないのでしょう。

H15.11.30.UP

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