ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

★ マリー・アントワネットの小部屋 ★

 オーストリアで その1 <1 2 3 4 5>

 誕 生 Birth

マリー・アントワネット1755年11月2日、ドイツ皇帝フランツ一世とオーストリア女帝マリア・テレジアとの間の末娘として、ウイーンで生まれました。幼名はオーストリア皇女マリア・アントニアであり、マリー・アントワネットはマリア・アントニアのフランス語読みです。

この「マリア」と言うのにはあまり深い意味はなく、日本語で言えば、「良子」「花子」の「子」のようなものだそうです。事実、母マリア・テレジアにも「マリア」がついていますし、アントワネットの姉全てにも「マリア」が付いています。

後からこじつけたと言えば言えなくもないのですが、アントニアの誕生日である11月2日は、キリスト教では死者を祀る「万霊節」の日にあたる弔いの日です。また、アントニアが誕生したその日はリスボンで大地震があり、数千人の人がなくなりました。後にマリー・アントワネットの侍女となったカンパン夫人はこの地震を「宿命的な刻印のようだった」と回想しています。

 両 親 Parents

両親の紹介をする場合、通常ですとお父さんから行いますが、マリー・アントワネットの場合、どうしてもお母さんの方が強くなってしまいます。お父さんの名前を知っている人は少ないかもしれませんが、お母さんの名前を知らない人は(このページに遊びにきてくださる方では)あまりいないでしょう。

でも、ここでは敢えて、お父さんから紹介しましょう。なぜって、マリー・アントワネットの性質はお父さんによく似ているからです。


 父 親 Father

お父さんの名前は、フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンで、小国ロートリンゲンの次男として生まれました。

お父さん
当時並ぶものがいないほどの名門、ハプスブルク家のお姫様
マリア・テレジアの初恋の相手が、その小国のフランツ・シュテファンでした。マリア・テレジアは政略結婚が横行していた当時としては奇跡的に愛する男性と結婚することができました。

フランツ・シュテファンはいわゆるお婿さんでした。しかも、身分違いも甚だしいほどのお婿さんだったので、宮廷人からも国民からもよそ者扱いされたり馬鹿にされたりと苦労が絶えなかったようです。

しかしながら、フランツ・シュテファンは落ち込んだりするような性格ではありませんでした。彼は明るく楽天家で、遊びが大好きで、いわゆる快楽主義のような性格だったのです。宝石、賭け事、お芝居、狩などに夢中になる反面、政治や経済、軍事などに対しては全く才能がなく、全て妻任せでした。

このような快楽主義、楽天主義はそのまま娘マリー・アントワネットに受け継がれました。

ただ、残念なことにフランツ・シュテファンは確かに浪費もしましたが、財産をしっかり貯蓄する才能にはずば抜けたものがあったようです。マリア・テレジアの父カール6世から受け継いだ莫大な借金は、彼の代になると清算され、かわりに多くの蓄えをしました。浪費ばかりではなく、この財政の才能も受け継げば、マリー・アントワネット「赤字夫人」の異名を取ることはなかったでしょう。

 母 親 Mother

お母さん
オーストリア大公であり神聖ローマ帝国皇帝カール6世の長女、母親の
マリア・テレジアは説明無用に近いかもしれません。フランスブルボン家と並んでヨーロッパ一の権勢を誇ったハプスブルク家の後継者でした。

上述のように政治にあまり関心がなく能力もなかった夫に代わり、百戦錬磨の諸外国とわたり歩き、天性の政治能力でハプスブルク家を確固たるものにしました。しかも、その忙しい政務の中、夫との間に20年間で16人の子をなし、10人を成人させました。ほとんどの期間、妊娠していたわけです。それで大国オーストリアを確固たる物にしたわけですから、全くのスーパーレディとしか言いようがありません。

公私共に充実していた女帝ですが、悩みの種は夫の浮気です。大した政務もなく暇な夫は浮気も盛んでした。マリア・テレジアは浮気防止も兼ねて、自分の宮廷を道徳堅固なものにしようとしました。このことは娘マリー・アントワネットにも影響を与え、後のデュ・バリー夫人との確執の原因にもなります。尤も、マリー・アントワネット自身も後に、フェルセン伯爵との不倫の恋を経験することになりますが…。

さて、マリー・アントワネットが母マリア・テレジアから受け継いだ資質は、美貌(若い頃は美人でした)、無邪気さ頑固さ賭け事好きなことでしょうか。考えてみれば、こんなに優秀な母を持ちながら、あまりその長所を受け継がず、父親の短所(数少ない美質は受け継がないのに)ばかりたくさん受け継いで、フランスに輿入れしなければならなかったのが悲劇の第一歩だったかもしれません。

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