ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

マリー・アントワネットの小部屋

 オーストリアで その2 <1 2 3 4 5>

 教育方針 Education

マリア・テレジアは娘達を当時としては珍しく厳しく育てました。例えば、こんな具合です。

しかし、「教育」となると話は別でした。「娘達は生まれたときから親や夫に服従するように定められているのです」と考え、啓蒙君主マリア・テレジアの娘にしてはお粗末な教育しか受けさせませんでした。 多くの子供を育て慈しんだマリア・テレジアですが、当時の慣習どおり、娘達が年頃になると次々と政略結婚させました。


 家 族 Family

家族の肖像
ここで子供達の何人かを見てみましょう。

ヨーゼフ(長男 1741-1790): 父フランツ1世の跡を次いで神聖ローマ皇帝となりました。後のヨーゼフ二世です。

カール(次男 -1761):マリア・テレジアのお気に入りの息子でしたが夭折します。

レオポルト(三男 1747-1792):兄ヨーゼフ2世の跡を次いで神聖ローマ皇帝となりました。後のレオポルト二世です。

フェルディナント(四男):マリア・テレジアのお気に入り。後のハブルブルク領ミラノ公国の総督。

マクシミリアン(五男):生涯独身を通し、初めはドイツ騎士修道会総長、後にケルン大司教の座に付きました。

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第一子(第一子、長女): 生後四ヶ月で死亡。

マリア・アンナ(第二子、二女): 体に障害を持ち、プラハの貴族尼僧院の院長になりました。

第三子(第三子、三女 1740-1740): 生後2週間で死亡。

マリア・クリスティーネ(四女): 大変頭が良く、ユーモアのある子供でお母さん子でした。ザクセン選挙候と恋愛結婚します。

マリア・エリザベート(五女): 姉妹で一番の美女とうたわれ、数々の浮名を流しましたが、後に天然痘にかかります。

マリア・アマーリエ(六女): 母に恋人と別れさせられ、パルマに嫁ぎますが素行がよろしくなく、勘当されます。

マリア・ヨハンナ(11番目 1750-1762): ナポリ王に嫁ぐはずでしたが、12歳のとき天然痘で世を去ってしまいました。

マリア・ヨゼフィーナ:マリア・ヨハンナに代わってナポリ王に嫁ぐはずが、天然痘に感染し急死しました。

マリア・カロリーナ(13番目十女 1752-1814): マリー・アントワネットと仲が良く、16歳でナポリ王妃となりました。

マリア・アントニア(16番目十一女 1755-1793): これだけたくさんいる兄姉なかでの末妹です。さぞや甘やかされて育ったことでしょう。


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