ここの背景画像は「QUEEN」さんからお借りしたものを若干加工しました。
ポーランド継承戦争 (H11.11.22.UP)
ザクセン家出身の国王アウグスト2世(在位1697-1733)の死後、フランスなどの推すレシチンスキ派とロシアなどの推すアウグスト派に国内が分裂し、ロシア軍の出兵によりアウグスト3世が国王となった。
この戦争のためポーランドの独立と統一はさらに弱まり、18世紀後半のポーランド分割を待つような状態となった。
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法服貴族 Noblesse de robe (H18.5.22.UP)法服貴族 |
本来貴族の身分とそれに伴う官職は世襲制のものであったが、15世紀後半から国王の任命する官職は売買の対象となり、1604年のポーレット法により、これを制度化した。
この法律は、官職を持つ者は毎年購入価格の60分の1を国王に支払うことと引き換えに、その官職を売買したりあるいは世襲の自由を得ることできるようになり、このようにして高位の官職を得た富裕なブルジョワジーは貴族身分に入り込むようになった。これを法服貴族と言う。
数多くある官職の中でも頂点にそびえたっていたのが高等法院の官僚である。彼らは互いに婚姻を結び、特権を享受する一大勢力となり、王権に対する独立的な立場を堅持するようになった。彼らが自分たちの既得権を死守しようとしたために旧体制に綻びが生じた。
亡命貴族 Emigresフランス革命が起こるとさっさと国外に脱出した貴族。自分達の特権を取り戻すために、王政の復活を心から願う。彼らは革命を失敗させようとして、国内の革命反対派と手を結び、いろいろな裏工作をしていた。