ここの背景画像は「QUEEN」さんからお借りしたものを若干加工しました。

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フイヤン・クラブ
Club des Feuillants (H11.5.19.UP)
立憲王制を主張する保守勢力クラブ

国王のヴァレンヌ逃亡後、王権をめぐってジャコバン・クラブが分裂し、その中の立憲王制を主張する保守勢力が、パリのフイヤン修道院に集まって、1791年7月フイヤン・クラブを設立した。自由主義貴族、上層ブルジョワを代表する彼らは、ヴァレンヌ事件における国王の裏切りに目をつぶり、国王は逃亡しようとしたのではなく、誘拐されたのだという苦しい弁明をし、何としても憲法を制定し立憲王制にこぎつけ革命を終わらせようとした。九月虐殺を契機に行政権を握り、議会の主流を占めるようになる。そして、強引に立憲王制的で有資産者的な性格の濃い1791年の憲法を設立させた。

しかし、革命が進行するにつれ、次第に国王寄りの反革命的性格が明らかになり、1792年8月、政権はジロンド派に替わられた。メンバーはラファイエットシエイエスバルナーヴラメット兄 など。

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ふくろう党(シューアン)蜂起
La Chouannerie (H12.2.14.UP)
フランス西部を中心に起きた反革命運動

ロワール河北岸のブルターニュ、メーヌ、ノルマンディーを中心に起き、小規模な集団がそれぞれの地域の首領の下に集まり、ゲリラ戦によって共和国に立ち向かった反革命運動

1790年に制定された「聖職者基本法」への宣誓を拒否する聖職者を擁護し、革命政府に不信を抱いていた西部農民が中心となり、1792年の「30万人動員令」で不満を爆発させ、一斉に蜂起した。彼らはヴァンデの反乱が敗北した後も抵抗運動を続け、1794年春から1795年春までの第一期には、ヴァンデの反乱の残党と合流し、亡命貴族軍と連携を図った。

しかし、1796年前半の第二期の蜂起と合わせ、オッシュ将軍に鎮圧された。

1797年に始まる第三期は、総裁政府が何の方策も取らなかったため長期化し、1799年秋にはナント他、数都市が攻撃された。しかし、ナポレオンの政権獲得により旧教信仰の保証を得た1800年に鎮静化し、1801年の政教条約が反乱に終止符を打った。

「ふくろう党」の名は、最初に蜂起を起こしたメーヌ地方のジャン・コットローの別名ジャン・シューアン(ふくろう)から取られたというのが定説である。なぜ、ジャン・コットローが「ふくろう」と呼ばれていたかと言うと、塩の密売をしていた彼が合図にふくろうの鳴きまねをしたからだとも、彼の祖父がふくろうのよにむっつりした男だったからとも言われている。 (この項、協力:たまさん)

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ブルジョワジー
Bourgeoisie (H11.11.5.UP)
第三身分で最も勢力のある階級

フランス革命が、時に「ブルジョワ革命」と言われるように、この階級が革命に果たした役割は大きく、彼らは革命を指導し、一番その恩恵を受けた。しかし、このブルジョワジーにもいくつかの階級があった。いわゆる「上級ブルジョワジー」は次の三つに分類される。

貴族が徐々に破滅していく旧体制末期、ブルジョワジーは、金銭的に社会をリードしていきながらも、それにふさわしい政治的役割を果たしてしなかった。彼らは、政治面でフランスを指導していく地位に登ろうとした。

このHPではあまり区別していませんが、ブルジョワBourgeois(女性形はBourgeoise)は「ブルジョワの人」を指し、ブルジョワジーBourgeoisieは「ブルジョワ階級」を指します。

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ブルボン家
Bourbons (H12.12.17.UP)
マリー・アントワネットの嫁ぎ先。

ヨーロッパの王家を排出した名門。フランス中部のブルボン・ラルシャンボーという市の名前から興った。

文献で知られる最初の人物は九世紀のアデマールという名の男爵。十三世紀にこの一家のベアトリスという女性がフランス王ルイ九世(1214-1270)の第六子ロベールと結婚。その子がルイ=ド=ブルボンとして、初めて公爵の位を得た。ルイの家系は十五世紀に断絶するが、バンドーム公の子アントアーヌがブルボン家を継ぎ、1548年のアンリ二世の時代、ナバール王国の女子相続人ジャンヌ・ダルブレと結婚し、やがてナパール王に即位する。二人の間に生まれたアンリが、ついで新教徒の頭領からフランス王位に即き、アンリ四世としてブルボン王朝を開き、フランス革命によって王政が廃止されるまで継続する。

1814年、ナポレオンの没落と共に再び王位に返り咲き、ルイ18世とシャルル10世が即位するが、七月革命によってまた廃位された。

ルイ14世の時代がブルボン王朝の最盛期にあたる。

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