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 恐怖政治  

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8.恐怖政治
  1. 山岳派独裁ジロンド派を倒した後、ロベスピエールを中心とする山岳派は一丸となって重大な危機に立ち向かいました。絶大な権力を掌握した公安委員会を中心に、恐怖政治が敷かれます。
  2. 新しい軍隊公安委員会軍隊を強化しました。イギリスやオーストリアなどの外敵も、ヴァンデの反乱などの内乱も鎮圧され、戦局上の危機は一応克服されました。
  3. 最高価格法ジロンド派を追放した国民公会は、民衆の強い要求に応えて、全ての商品価格を公定する「全最高価格法」を採用しました。これにより経済は一時的に安定しました。
  4. 革命暦と理性の祭典キリスト教を破棄するために、「革命暦」を取り入れ、「理性の祭典」が催されました。
  5. 恐怖政治の恐怖恐怖政治下ではどのような恐怖が行われていたのでしょうか。多くの人々の命が消えていきましたが、そのほとんどはパリ以外の地方で行われていたのです。

iii. 最高価格法

一言で説明すると…ジロンド派を追放した国民公会は、民衆の強い要求に応えて、全ての商品価格を公定する「全最高価格法」を採用しました。これらの政策により経済は一時的に安定しました。

ジロンド派の経済政策の失敗は山岳派が建てなおさなければなりません。

全最高価格法 Maximum General

アッシニア紙幣の下落
アッシニア紙幣の下落
x軸は年、y軸は%で表した信用度
1793年5月4日に制定された「穀物の最高価格制」は小麦を中心とした穀物のみの価格統制であり、徹底性に欠けました。山岳派は、さらに経済統制を徹底させるため、全ての商品に最高価格法を適用する「全最高価格法」を9月29日に制定しました。

「全最高価格法」の成果はアッシニアの信用回復と言いう形で、すぐに現れます。1793年の後半、致命的なまでに下落(22%)していたアッシニアの信用度が50%以上に回復しています。

しかしながら、このグラフの先を御覧になればすぐわかることですが、「全最高価格法」もアッシニアの信用を真に回復することはできませんでした。全ての商品の最高価格が固定されても、その価格を維持することはもともと不可能なことでした。


全最高価格法の効能

次の二つの市場が自然発生しました。

1.公的なもので、粗悪な、しかも少量の商品が「全最高価格法」によって売買される市場。
2.良質で豊富な商品が自由価格で売買されるいわゆる「闇市」

民衆の生活難はますます逼迫し、公安委員会はパンと肉の切符配給を開始しましたが、肝腎の物が伴わなかったので、うまくいきませんでした。

公安委員会の必死の努力にもかかわらず、アッシニアは二度と回復できない下落へと向かいました。アッシニアでは実際に物が買えなくなったのです。

しかし、一時的にせよ、「全最高価格法」が効力を発したのは事実であり、これはジロンド派がなしえなかったことなのです。



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