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一言で説明すると…ジロンド派を追放した国民公会は、民衆の強い要求に応えて、全ての商品価格を公定する「全最高価格法」を採用しました。これらの政策により経済は一時的に安定しました。 |
アッシニア紙幣の下落 x軸は年、y軸は%で表した信用度 |
「全最高価格法」の成果はアッシニアの信用回復と言いう形で、すぐに現れます。1793年の後半、致命的なまでに下落(22%)していたアッシニアの信用度が50%以上に回復しています。
しかしながら、このグラフの先を御覧になればすぐわかることですが、「全最高価格法」もアッシニアの信用を真に回復することはできませんでした。全ての商品の最高価格が固定されても、その価格を維持することはもともと不可能なことでした。
次の二つの市場が自然発生しました。
1.公的なもので、粗悪な、しかも少量の商品が「全最高価格法」によって売買される市場。
2.良質で豊富な商品が自由価格で売買されるいわゆる「闇市」。
民衆の生活難はますます逼迫し、公安委員会はパンと肉の切符配給を開始しましたが、肝腎の物が伴わなかったので、うまくいきませんでした。
公安委員会の必死の努力にもかかわらず、アッシニアは二度と回復できない下落へと向かいました。アッシニアでは実際に物が買えなくなったのです。
しかし、一時的にせよ、「全最高価格法」が効力を発したのは事実であり、これはジロンド派がなしえなかったことなのです。
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